July 2010

July 31, 2010

第1977回「親が死ぬまでにする」

1977「親が死ぬまでにしたい」

巷で話題になっている本がある。『親が死ぬまでにしたい55のこと
以前6月末にTVで放送された“エチカの鏡”から大反響を得ているらしい。

司会のタモリ氏と進行役の高島彩アナウンサーの軽快なトークも
面白いが、この番組結構為になる。で、実家に滞在中に考えてみた。
オイラも本に載っていた項目を1つ1つ検証してみた。

●親が死ぬまでにやっておきたい55のこと

1977「正面」

○親に聞いておきたいこと(12項目)
(1)母子手帳を見せてもらう
(2)親の初恋を聞く
(3)自分が生まれたときの話を聞く
(4)我が家の味を教えてもらう
(5)親を心配させたことを聞く
(6)自分が最初にしゃべった言葉を聞く
(7)両親の馴れ初めを聞く
(8)自分の名前の由来を聞
(9)初めてぶたれたときの話を聞く
(10)親の夢を聞く
(11)親の悩みを聞く
(12)親にとって仕事とは何かを聞く

(3)は兄貴(長男)が生まる時は近くに居たらしいのだが、
オイラが生まれたとき父親は麻雀屋で卓を囲んでいたらしい。

(7)は芸者をやっていた母のところに親父が転がり込んで
きたらしく“押しかけ女房“ならぬ”押しかけ旦那“だったとか。

(8)は母上様が「和恵」で親父が「幸一」。長男の時はやはらと
いろんな名前を考えたらしいがオイラの時は、「お前と俺の名前を
一字取って付けておけ」と言ったらしい。何ともいい加減な命名だが、
これが意外にも字画総数が良くて運勢も大器晩成型らしいのだ。
1977「昭和22年7月22日」

写真は親父が18歳の時。日付が昭和22年7月22日と記載。
まさに終戦の2週間前である。この後親父は鹿児島の知覧飛行場に飛んで
数日後には神風特攻隊の一員として玉砕覚悟で南方に散る運命だったとか。

1977「後ろ姿」

○親と一緒にしておきたいこと(11項目)
(13)父に腕組みしてあげる
(14)家族揃って記念写真を撮る
(15)親と一緒に酒を酌み交わす
(16)親の若い頃の写真を見
(17)親子でショッピングに出かける
(18)親の趣味を共有する
(19)父とキャッチボールをする
(20)親を一緒にアルバムを見る
(21)親と一緒にコンサートに行く
(22)一緒にディズニーランドに行く
(23)お正月を一緒に過ごす

(15)はさすがに父親がいないから一緒に飲むことはないが、
母上様とはチビリチビリ呑みながら昔話に耳を傾けています。

(16)は、これが大変なことになった。つい芸者時代の話を
訊いたら次から次ぎに古い写真を出してきて若いときの自慢話。

1977「髪結い」

○あなた自身がしておきたいこと(9項目)
(24)親の好きなところを10個書き出す
(25)親のビデオを撮っておく
(26)親が自分にかけたお金を計算する
(27)余命宣告するべきか考えておく
(28)家族が集う日を決める
(29)親の誕生日を手帳に記す
(30)携帯電話で親の写真を撮る
(31)親とケンカしたことを思い出す
(32)親の名前を改めて書いてみる

(27)は、たぶんオレが先に逝くだろう。


○親のためにしてあげたい親孝行(20項目)
(33)親の肩をもんであげる
(34)親に手料理をふるまう
(35)オーダーメイドの服を仕立ててあげる
(36)孫を抱かせてあげる
(37)自分で稼いだお金でご馳走する
(38)両親を思い出の場所に連れて行く
(39)親を海外旅行に連れて行く
(40)親に花をプレゼントする
(41)親を人間ドッグに招待する
(42)大切な品を買い戻してあげる
(43)自分の誕生日に親へプレゼントする
(44)メールの操作を教えてあげる
(45)親の背中を流す
(46)おふくろの料理を喜んで食べる
(47)親の髪を切ってあげる
(48)年末の大掃除を手伝う
(49)親のカレンダーを作ってあげる
(50)用事がなくても親に電話してみる
(51)親の結婚記念日をお祝いする
(52)親が買ってくれたうれしかったものを話す

(36)(37)(40)はすでに実践済み。
(38)(39)は極度の出不精故に近くの温泉ですら
行きたがらない。本人曰くは「家が一番」と申しております。
(46)は現在進行形である。


○全国から寄せられたアンケートで特に多かったもの(3項目)
(53)親に手紙を送る
(54)親にありがとうと伝える
(55)親に会いに行く※アンケートで最も多かった項目

毎年帰国して(55)だけは続けたいと思う。

1977「日本舞踊」

かつて勝って栄えるという“勝栄”の源氏名をもっていた売れっ子芸者の
母上様。実はこの歳になるまで母親の昔話は殆ど聞いたことがなかった。

琴、三味線、鼓、茶道や華道に至るまで、さらには日本舞踊とありとあらゆる
作法を身につける。実に奥深い昭和の伝統と芸者の世界の特別な流儀。
昔は故・佐藤栄作首相が旭川に来たときの席に踊ったことがあるとか。
1977「ふく帆はん」

昨年は大坂のA氏の計らいで初めて“舞妓は〜ん”遊びに連れて行って貰い、
おかげで母上様の若かりし頃の時代背景がほんの少し垣間見ることが出来ました。
Aさん、おおきにどす
たしかに華やかで特別な時間が流れている不思議な異空間でした。



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July 30, 2010

第1976回「タイからの珍観光客」

1976「タイ人写真2」

写真はタイ人たちの了解を得ていないのでボカしてあります

7月29日【美瑛町】
この日は名古屋からK御大が電車で美瑛に来ることになっていた。
先週の22日から千歳空港に着いてレンタカーを借りてトマム→
釧路→斜里→弟子屈→摩周湖を周遊して昨日旭川に到着したらしい。

朝4時には目を覚ましている御大は、娘と孫たちを旭山動物園の
ツアーに送り出した後に10時着の電車に乗ると連絡が来た。

えぇ〜っ、それは早いでしょ
まさにオレにとってはまだ夢の中の時間帯。
まぁ、そうは言っても「朋、遠方より来たる」である。

いつもより早めに起きたオレは言われた時間に
駅に迎えに行ったが電車が着いても降りてこない。
あれ、時間を間違えたかな
「どうしました?」
駅長が心配顔で訊いてくる。

すいません。次の旭川からの電車は何時ですか
「10時34分着ですね」
おぉ、30分待ちだな

ふと、時刻表の横に見慣れたタイの国旗が見えた。
駅長に訊くと、これから美瑛の丘を観たタイのAJINOMOTO御一行様が
大型バスでやって来てノロッコ電車に乗り換えてラベンダー畑の観光らしい。
ほぉ〜、そりゃあ珍しい
1976「駅構内」

いまや毎日台湾人や中国人を見ない日はないがタイ人はおそらく初めてだろう。
数分後、大型バスからそれらしき御一行様30名ほどが降りて駅に入ってきた。
「ガヤガヤ、ドヤドヤ。ピーチク、パーチク・・・」
懐かしいタイ語が駅構内に響き渡る。そして“うるさい”

見たところ日本人らしき人は2名。
タイの会社に赴任してまだ1年という男性とJTBの添乗員だけ。

サワディクラップ
添乗員に挨拶をしながら自分がタイからの里帰りと話す。
「わぁ、一緒に着いてきて欲しいですよ」
結構大変でしょ
「えぇ、小学生みたいで参ってます」
分かりますわ

もう10年以上も前の事だが、メコン基金の主催で当時支援していた
ノンカイ地区の学校の校長や教頭先生、一般の先生たち含めて26人を
北海道に招いたことがある。まぁ、それはそれはガキのようにテンションが
上がり騒ぐしうるさい。支笏湖の野天風呂では校長が泳いでいた。

てめぇら、いいかげんにしろ
元全日本の天才セッター、中田久美ばりに怒鳴ったが、
「フジさん、チャイイェンイェン」と微笑んでいた。

あの時の記憶が走馬燈のように蘇る。
ふと裕福そうなご婦人と目が合った。挨拶して僕の故郷ですと言うと
「あなた一緒に来てタイ語で説明してくれないかしら」と頼まれる。
ま、いつものパターンであるが、丁重にお断りをして見送った。

1976「バイバイ」

きっと愉しい想い出が出来ることでしょ。正直我が古里にタイ人が
来たことは嬉しい限り。もっともっと来て欲しいよね。実は美瑛には
Oさんという若い女史が2年間もノンカイで日本語教師をしてくれてた。
その後郷里に帰ったと聞くが消息は分からない。町内には数人タイ語が
話せる通訳が居るらしくオイラの知らないところでタイと繋がっている。

に、しても御大はノロッコ号でも降りてこなかった。
その後、乗り遅れたとかでK御大は2本遅い電車で美瑛に到着。
結局駅で1時間半待ち。でも、おかげで素敵な出逢いに巡り会えた。

時間は11時半。到着してから昼食がてらに“こえる”
という美瑛の名産豚を使ったレストランにご案内。

御大は早速ビール。オイラはグラスワインで乾杯。
周りのお客が「まぁ、昼間から・・・」と言う怪訝な顔。
関係ねぇ」お互いすぐにビールとワインも空になったので
再びグラスワインをお互い追加する。でもすぐに空になる。
1976「ワイン」

面倒だから瓶ごと持って来てもらいワインのアテにソーセージをオーダー。
生姜焼きに美瑛のポテトを使ったサクサクコロッケ。山菜にサラダに・・・。
気が付けば7,000円を超えていた。ランチと言うよりディナーだな。

この日は朝からずっと小雨が降っていた。
以前にも美瑛に来た御大にいまさら観光もないだろうと思い、
河岸を変えていかにも“田舎”っぽいログハウスの喫茶店に入った。

店内には70年代風の古いジャズが流れている。お客は誰もいない。
かぐや姫の伊勢正三似のマスターがドリップでコーヒーを落とす。
良い雰囲気のお店ですよね
「1杯380円のコーヒーではやってられんだろ」
でも、この店(経営して)長いでしょ
「どうせマスターの道楽じゃろ」
1976「コーヒー」

訊けば以前までは愛知にいたらしく2年前に美瑛に来てここを借りたらしい。
しかも大分出身。偶然にもK御大の出身地も大分。現住は愛知だ。変な縁だね。
しかし、もっと驚いたのは、以前までこの店を経営していた人がタイ人と結婚
して現在東北のコンケーンに住んでいるという。これまた不思議な縁で繋がる。

ふと外を見ると雨足が強くなってきた。北海道には梅雨も雨季もないけど
まるで本州並の梅雨さだ。今週は道内各地で局地的な豪雨が降っている。
先日の広島並ではないと思っていたら、とうとう午後には道北地区で
大雨が降り国道が寸断されるほどの洪水になった。

世界的な不況で幾多の人類が泣き。異常気象にラニーニャ現象で
地球も泣いている。明日は我が身と思いながらも、せめて流浪の
オイラくらいは日々笑って生きましょう、と思うのだが。



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July 29, 2010

第1975回「美瑛町の夏の火祭り」

1975「美瑛祭り通り」

7月24〜26日【美瑛町】
毎年、美瑛町の夏祭りは7月24日から3日間行われる。
丁度小中学校の一学期の終業式になるため、子供心に
オイラはこの日が待ち遠しかったことを覚えている。

昔は300メートルくらいの通りに多種多彩な露店が建ち並んでいた。
カラースプレーで色を付けた可愛いひよこを売っていたり、
(成長したら普通のニワトリになった)普通の金魚だけでなく
緑ガメ釣りなどの奇抜なモンや、型抜きと言われる極めて
チープでアナログ的な懸賞金付ゲーム。

1975「反対通り」

そして祭りの醍醐味は、いつもゾウやトラが出る大がかりな
サーカスに見せられたもんだった。いまでも思い出されるのは
見せ物小屋と言われる、如何にも子供心をくすぐる怪しい妖怪まがいの
化け物”を見せる小屋。俗に言う首が長く伸びる“ろくろ首
や顔が人間で胴体が四つ足の“犬人間”。“蛇女”というのもあったな。

全てがまやかしものだと分かった頃は、お祭りを楽しめない
大人になってからだった。あの頃は祭りの露店にも夢があった。
ワクワクドキドキしながら目を輝かして友達と見入ったものだ。
1975「金魚すくい」

少子化に伴い、いまや我が古里の祭りの露店は昔の半分もない。
当然、時代の流れと伴にサーカスや見せ物小屋は姿を消した。
子供達は絶対に特等が出ないヒモ釣りゲームに人気が集まり、
いまだ無くならないシンプルな型抜きに集中している。

でも、一番の関心事は夏休みと伴に同級生の異性が浴衣を着て
祭りの通りを闊歩してあるく姿が異常に大人びて見えた事だ。
あっ、見ろ。3組のあけみちゃん別嬪やなぁ〜」なんて・・・ね。

1975「フレンチドーナツ」

いつも露店の最後は決まって花や植木を売っている園芸屋さん。
ここも昔は“たたき売り”という映画「ふうてんの寅さん」宜しく、
「よってらっしゃい見てらっしゃい。御用とお急ぎでない方は・・・」
お決まりの名台詞が人気を集めたもんだが、いまやその勇ましい
声も聞こえず実に静かで大人しいもんだ。
1975「焼き鳥」

さて、美瑛の夏祭りのメインは、大きな火の点いたたいまつを
数人で抱えながら街中を練り歩き、最後は神社に奉納となる。
オイラが子供の頃には無かった儀式だが、数年前から那智から
取り入れた“熱い”儀式を定着させたそうだ。



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asia_jiyujin at 17:06|PermalinkComments(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

July 28, 2010

第1974回「新潟からの訪問者が」

1974「美瑛駅の駅前周辺」

7月23日【美瑛町】
初めての知床を探索した後で気になっていたのは翌日(22日)に
車を返す約束をしていた和寒のH爺様。時間はすでに午後3時半。
どんなに急いで帰っても和寒に着くのは午後7時ころ。それから
電車に乗って実家の美瑛に帰っても午後9時を過ぎる。

心配しているだろうと、急いでH氏に電話をしたら
「電車も無いし一晩泊まっていきんしゃい」と相成った。
前にも書いたが、オイラはH爺様とお婆様と飲むのが好きだ。
仮に親父が健在で、もし穏やかな家庭を持っていたとしたら・・・。

だから、ご年輩の方と酒を飲むのが好きなのかもしれない。
でも、母上様曰くは「死んだ親父は“”では酒は飲まなかった」と言う。
(注:この場合の“”とは、実は“”では飲んでいたと言う事だ)
では、オイラは隔世遺伝の単なるアルコール依存症の呑んべぇなのかいな。

和寒で一晩ご厄介になった翌日、丁度良い時間帯のバスも電車も
ないからと、わざわざH爺様が車で旭川まで送ってくれた。感謝。
1974「新潟からの訪問者」

予定では22日には美瑛の実家に着いていたのだが、
まぁ、そう急ぐ旅でもないし」とのんびり構えていたら、
な〜んと新潟のI女史がお友達と美瑛に来ていたらしい。

I女史は、かつてノンカイの中学校で日本語を教えてくれていた
新潟のK先生のお友達でもあり、以前メコン基金ツアーにも
参加して頂いた元教諭である。3年前にオイラが新潟に行った時も
K先生夫婦と一緒に温泉に泊まられて頂いて愉しい一時を過ごさせて頂いた。

そのI女史が来られたのであれば、是非にお会いしたかったのだが
残念ながらニアミスで北海道を後にしたらしい。I女史も毎日
このブログを見てくれているようでメールを頂いて吃驚した。

覚えていらっしゃいますか?
タイでメコンツァーでお世話になりました。
また、Kさん宅にもお会いしました。

毎日ブログを拝見しております。一時途絶えたときは、少し、心配しました。
先日のブログに美瑛の写真が載っていましたね。実は私、22日に行った
ばかりでしたのでびっくりしました。石ばかりで出来ている駅舎に魅せられて、
駅舎をバックに写真を撮ってきました。駅前の郵便局にも寄って切手を買ってきたんですよ。

町並みが整備され、お店の壁に創業年が書かれていました。まるでヨーロッパを感じさせました。
先週はお天気周りが悪かったのですが、さいわい傘はささずにすみました。

富田農園もゆっくり見ることが出来ました。三浦綾子の記念館にも寄りあらためて、
本を読み返したくなりました。友達と4人、タクシーに乗っての移動でしたが
なかなか良い思い出になりました。

勿論、旭山動物園にも行きましたよ。日本サルの前で時間を忘れてみていました。
自分を見ているようで、、、、、
ぜひ新潟にもおいでください。



帰国以来、酒を理由に怠惰な生活を送っていたせいだろう。
ブログを2週間も遡って書いていただけにオイラの現在地が
分からなかったのかもしれない。実に残念なことをしました。

この場を借りて謝罪。「Iさん。すいませんでしたぁ
ま、いずれアジアの空の下で再会出来ることを願っております。
それにしても美瑛がヨーロッパのような町並みねぇ・・・。
1967「駅交差点」

I女史、確かに全国の都市計画のモデルにもなり、電線は地中埋設で
電信柱は一本も立ってない。さらに屋根は全て三角形の切り妻が決まり。
竣工年を正面上に入れるのが原則らしのですが、あれって、実は駅前の
周辺だけなんですぞ。オイラの実家はあの通りの裏手ですが至極普通です。

美瑛町もまた、少子化や地方交付税減などの財政難で難儀しているようです。
先週は「日本で一番美しい町に住もう」キャンペーンをやっていて
本州や地方からの移住者を呼びかけていましたから。

この際、タイや中国からの移住者を呼びかければえぇのにな。
そんでリトルバンコクリトルチャイナタウンが出来て、いずれ
我が故郷がリトルアジアに侵略され・・・なわけないか。


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asia_jiyujin at 14:21|PermalinkComments(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

July 27, 2010

第1973回「世界自然遺産の知床」

1973「ウトロ知床五湖」

7月22日【斜里町ウトロ】
さぁ、じゃ実家に帰ますね」朝食を終えた時だった。
「折角だから知床まで行かねぇか」とT氏に誘われた。
知床っすか・・・」

実はこの歳になるまで知床には行った事がなかった。
かつて若かりし頃は彼女や友達らとドライブして
最北端の宗谷岬や最南端の襟裳岬や函館などを回った。

バレーボールの全道大会で国後島が見える根室の
ノシャップ岬にも行った。小樽の先端にも行ったし、
昨年は函館の松前にも行っている。つまり北海道の
尖った“五大先っぽ“(オレが勝手に命名している)
の四大まで制覇していたオイラは実は最後の道東にある
知床岬だけは未だ行った事がなかったのだ。

じゃあ、行きましょう
生きているうちに日本にある世界自然遺産に登録された
3箇所を巡ることはかなりの縁や偶然がなければ無理である。

1973「世界自然遺産の知床」

と言うことで急遽知床国立公園に向かうことになった。
先ずはかつて天皇様も観賞に来られた小清水の原生花園に
立ち寄りな〜んもない丘から遠く知床の山々を眺める。
1973「小清水原生花園」


で、かつて極悪人犯罪者が拘留されていた事で全国的に知られた
網走番外地の刑務所を通り過ぎる。やがて知床の入り口でもある
オシンコシンの滝で足を止める。
1973「オシンコシンの滝」

アイヌ語で「そこにエゾマツが群生するところ」の意味らしく
別名「双美の滝」とも言われている。
(帰宅して先日知床の特集番組をテレビで観ていたらこの滝を
男の滝」と言っていた。因みに女の滝もある)

滝を見た後はひたすら山間部の道路を走りながら知床五湖を目指す。
車はゆりかごのように右に左に揺れながら、強烈な睡魔に襲われる。
たまにエゾシカの親子を見かけながら和む。廃虚した家も点在。

「昔はこんなところにも開拓に入った人がいるんだべぇ」
「そうだろうね」

オホーツク管内斜里町ウトロから知床五湖へ通じる道には
大正から昭和の半世紀にわたった開拓の時代が色濃く残る。
だが、広がるささやぶにはすでに朽廃した廃虚が見え隠れする。

国策で始まった開拓は1966年(昭和41年)に幕を閉じた。
一時期は60戸以上を数えた開拓農家はすべて離農し羅臼岳山麓を
去った。ヒグマやエゾシカが生息する手つかずの自然が残る知床は
5年前に世界自然遺産に登録され、いまや完全に観光地に生まれ変わった。

「さぁ、着いたぞぉ」
だが、ここでも行く先々で中国人の団体観光客がやはらと目立つ。
いまや何処に行っても中国人がいる。まるで高度成長を遂げていた
一昔前の日本の農協ツアーを見ているようだ。

この日は、ついさっきヒグマが出現したとかで知床五湖のうち
二湖しか見学できないことになった。ヒグマが出ることは想定内だが
自然に足を踏み入れてくる我々の方が、動物から見たら恐怖だろうね。

バーーーン、バーーーーーン
うぁっ
近くでライフ銃の音が空に響いた。
1973「知床五湖の一湖」

一瞬、首が縮こまる。バンコクの騒乱以来、銃声がトラウマになっている。
実は、バーベキューなどで炎や黒煙を見ても嫌〜な気持ちなるのだ。
PSTD(心的外傷後ストレス障害)ではないが、あの凶器的な騒乱は
いまでもオイラの心に暗い影を残している。

そういえば、先日25日にバンコクの商業地区がひしめく伊勢丹前で
またしても爆弾事件があり1人死亡10人が負傷したらしい。
もう止めてくれ」また騒動が起きたら本当にタイが崩壊するぞ。

もし、日本で同じような事があったら、同じように観光客は激減する
だろうけど間違っても日本は爆弾テロは起こらない国だろうね。多少の
事件や事故があってもこんな安全で平和な国は世界でも珍しいでしょ。



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第1972回「恒例北海道巡礼の旅」

1972「サロマ漁港」

7月21日【佐呂間】
H爺様から愛車を借りて一路道東の佐呂間を目指す。
民主党政策の高速道路無料化の社会実験だかで道央や道東の高速道路が
全て無料になっている。それでも利用する車はそんなに多くない。

たまに『シカ飛び出し注意』の看板に「あぁ〜、北海道だな」と和む。
やたらとトンネルが続く山間部地帯。豪雨の時や冬は運転しやすいが
さすがに3キロも4キロも続くと宇宙にワープしているようで視覚が異常になる。
1972「サロマ湖全景」

途中で休息しながら3時間後にラムサール条約に加盟しているサロマ湖畔に到着。
先ずはメコン基金を創設した故・M氏の墓に手を合わせに行く。
来年で七年忌を迎える。墓前にワイしながら「早いものだ」と感慨深い。
1972「前代表の墓参り」



さて、これにて全て終了」毎年帰国する度に手を合わす縁人たち。
我が父」「親交深い社長」「高校時代のマブダチ」そして生きる
意味を教えてくれた国に導く切っ掛けになった「NGOの創設者」。
手を合わす人はこれ以上もう増えて欲しくないと切に願う。

さて、夜は民宿をされている創設者の家で、今年のツアーにも参加して
頂いた佐呂間や小清水の面々たちが晩餐会を開いてくれることになった。
その前に地元の温泉に行ってみんなでゆっくり湯に浸かる。

あぁ〜、やっぱり温泉はいいねぇ〜
「うぅ〜、極楽、極楽」
帰国以来、同窓会の札幌定山渓で入ってから温泉に入るのは2度目。

露天風呂から遠くサロマ湖に夕陽が落ちていくのが見える。
綺麗っすねぇ〜
地元の人にしてみれば、毎日見ている当たり前の光景だが、
やはり自然が創り出す有形無形の美しさは感動するものだ。

1972「富良野ワイン」


うぉ〜、すげぇ〜
さて、今宵“民宿M”の晩餐会のテーブルには今が旬の北海シマエビ、
毛ガニ、柳の葉(ソイの仲間かな)ホタテやタコや鮭の刺身、〆の
しじみ汁まで地元のサロマ湖とオホーツクの海の幸がずらっと並んでいた。

1972「北海しまえび」


んじゃ、かんぱ〜い
みんなはビール、オイラは懐かしき富良野ワインの赤で乾杯する。
ほぉ〜、うまいっす
「・・・・・」
わぁ、これも旨いや
「・・・・・」
ありゃ、これも・・・
「・・・・・」
ふと周りを見渡すとみんな毛ガニを食べるに夢中だった。
そう、人は毛ガニを食べると無口になるのです。

オイラは毛ガニの身を食べるよりも、甲羅に秋田の銘酒を
少々垂らして脳味噌を解きほぐしながら楚々と口に運ぶ。
くっはぁ〜、なんまらうまいんじゃないんかい
思わず喉の奥から失った胃が道産子弁で叫んじょる。
1972「民宿むらおか」

あぁ・・・、超し・あ・わ・せ・・・で御座いまする
気が付けばいつの間にか布団で寝かされていた。



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asia_jiyujin at 14:47|PermalinkComments(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

July 26, 2010

第1971回「1年ぶりにH家訪問」

1971「山梨からモモが届く」

7月20日【和寒】
朝早く(と言っても8時半)宅急便の電話で起こされた。
数分後「山梨のAさんんからお届けもので〜す」と佐川さん。

おぉー、モモじゃい。お袋〜ピンク色のモモじゃぞぉ〜
銘酒に続いて今度は山梨の桃で御座る。嬉しいですねぇ。
早速食べてみると、まだ熟す前だが結構甘くて美味いぞな。
感激である。果物の中では1番の好物だから一気に心が躍る。

だが、今日から道東の旅に出るから桃はしばらくお預け。
グスン
実に残念で御座る。帰って来たら全部無くなっていたりして。

さて、この日は昨年も顔を出した和寒のH家に行く。
途中旭川で電車を乗り継いで2時間。ローカル電車には
地元の通学生が賑やかに乗り込んで来る。乗り込むとすぐに
携帯電話を手にしてメールを打ち始める。これも時代か。

2時間後、和寒駅に迎えに来てくれたH爺様と小学生の孫。
4年前にラオスの山岳地帯に小学校の校舎を寄贈してくれたH爺様。
3年前には、娘や孫たちを引き連れて一族みんなで訪タイした。

今年の春には、その時行けなかった高校生の孫がスタディツアーに参加。
孫たちは爺ちゃんの偉大な功績に感動を受けて自らバイトや小遣いを貯めて
募金を始めた。で、貯まったお金で文房具を買ってラオスに届ける。

ちっちゃくて地味なボランティアに見えるが中々出来る事じゃない。
なによりタイとラオスから帰って来た孫たちの意識が大きく変わったらしい。
オレはH爺様と酒を飲むのが好きだ。酪農家として牛を育てながらも
娘や孫たち意外にも他人のことを思いやれる昭和生まれの男気の生き様。

H爺様は姪っ子に勧められたニンニクの栄養補助食品で元気になりすぎて
夜が寝られなくなり返って体調不良で4,5キロ痩せたらしいが、
1年ぶりに再会する孫たちは、少しだけ背が伸びて大人びていた。

山梨から届いた桃を手土産に、仏壇に手を合わせて祖先様にもご挨拶。
ふと居間を見渡すと47インチの大型液晶テレビがドンと置かれていた。
外を見るとかなり大きな太陽光パネルが設置されていた。

「あれでラオスに小学校が2校も建てられる」と婆様が言う。
げっ700万円もすんの
「そうよ」

全世界が温暖化を食い止めるためにエコ化に向けて動いているが
日本でもこんな小さな町にエコと称した資本主義が侵略してきている。
テレビでは、ひっきりなしに“地デジ”のCMが流れる。

時代は急激に進化し車もハイブリッドカーが主流である。
毎年帰国する度に、世の早い流れに着いていくが精一杯。
毎回自分が浦島太郎になり時代から取り残されていく感覚。

それでも人は人、オレはオレである。もうそんなに無理できるほど
身体は若くはないしね。時代や流行に左右されずに
50歳代にやる目標とそれに相応しい生き方を探しましょ。
1971「1年ぶりにH家訪問」

さぁさ、Hさん。先ずは一盃くいっとやりましょう
「では、かんぱ〜い」



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asia_jiyujin at 16:55|PermalinkComments(2) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

第1970回「再び仲間たちと飲む」

1970「再び仲間たちと呑む」

7月19日【中富良野】
ドラマ『北の国から』で全国的に有名なったラベンダー畑。
今週から8月上旬までが見頃とあって全国各地は元より
今や中国や台湾からも観光客が大挙して殺到している。

かつて若かりし頃に住んでいた地域だけに思い出深いのだが
今や街全体が観光一色に染まっているのは多少違和感がある。
地元民は言う。「よそから来た奴等は糞とゴミしかおいてかねぇ

そう、儲かるところは極一部の業界のみ。畑やあぜ道を
荒らされて嘆いている農家も少なくないと聞く。それでも
地元民は分かっているのだ。シーズンが終われば再び老人と
子供だけの穏やかでそして淋しい町に戻ることを。

さて、この日は午後から電車に乗って4年前に他界した上富良野の
Nくんの家に行って霊前に手を合わせた。「毎年すいませんねぇ」と
恐縮する奥様だが、中学時代から仲の良かったオイラは、せめて元気
だった頃の彼の昔話をすることでしか淋しい心を癒してあげられない。

3人の子供たちのうち男2人は就職し、末娘はまだ高校生。
亡くなった当初は思い出すのが辛そうだったが、今では
冗談も言えるほど明るくなったようにみえる。だが、やはり
一家の大黒柱がいなくなれば淋しいだろう。高校時代に
父親を亡くしたオレには子供たちの気持ちは痛いほど分かる。

でも、これが現実。「前を見て歩きんしゃい」亡くなった
君たちのお父さんはいつも天竺から見守ってくれているはずだから。


「折角藤岡が来たんだからよ」とNくん家を出てから中富良野の
Mくんの家で焼き肉パーティーをやることになった。天気は小雨。
北海道の田舎の家には、大阪の家に当然のようにあるたこ焼き器の
ように必ずと言っていいほどバーベキューセットが一家に一台ある。

Mくんも4年前に自宅で狭心症で倒れながらも、丁度看護学校に
通っていた娘が帰宅してすぐに病院へ運ばれて一命を取り留めた
運のいい奴である。そう考えれば、偶然にもオレを含めた3人の
同級生は4年前の同じ年に生死を分けたわけだ。

47歳は、そろそろ身体のパーツもくたびれてポンコツになる年齢。
普段からの手入れと定期的なメンテナンスが必要な
年齢っちゅうことですな。

「おい、何わけの分からんこと言ってんだよ。呑むぞぉ」
おぉ、かんぱ〜い

豪快にビールを煽る仲間たち。普段は不況で家庭では
ビールが飲めない肩身の狭い“お父さん”もこの日は
特別らしい。飲めないオレは少々羨ましい。

釣りを趣味とするMくんが釣ったカレイや鱈をアルミに
包んでムニエルにする。中々板に付いた料理技である。
おぉ、うまい、うまい
釣人は釣った魚をさばいてこそ1人前。
肉が食えないオイラには何よりのご馳走である。

さてさて、時間も遅くなり明日から道東の旅に出るオイラは
電車に乗って早めに帰宅の途につく。かつて高校時代に
毎日のように利用していた駅が夜は淋しい無人駅になっていた。
1970「上富良野駅」

あれから34年かぁ〜
紆余曲折の人生を乗り越えながら今に至るオイラの人生。
あの頃、自分が海外で働くなんて1ミリも考えてなかった。

人の人生は“”でどう変わるか分からない。だから面白い。
もし、あの頃に返ることが出来たら・・・
いや、やめとこ。今が一番幸せだから。

やがてプラットホームにゆっくりスピードを落としてワンマンの
一両編成の電車が入って来た。4,5人の乗客が降りてくる。
学生時代に通学していたときは3両編成だったのに今は一両だ。

時代とは言え少子化問題を早急に解決しないと、
やがて日本から元気の“”がなくなっちまうぞ。



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asia_jiyujin at 16:30|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 25, 2010

第1969回「すくすく育つ孫たち」

1969「すくすく育つ孫たち倫太郎と妃奈子」

7月18日【美瑛】
帰郷して実家でマッタリのんびり過ごしていたら、
全国各地にいる「」たちの近況報告メールが届いた。


東京R子家
お元気ですか?虫歯の治療は順調ですか?
孫たちは元気に大きくなっていますよ。
妃奈子はすっかりお姉さん顔に、倫太郎は
ずりばいを始めやんちゃばかりしています。
秋に東京に来たら孫の会しましょうね。



東京Y子家
優菜(娘)は、あっという間にもうすぐ8ヶ月です。
ますます活発になって、最近はCDをたたき回したり、
スピーカーを倒したりと一人遊びも際限なくなってきました。
目が離せないです。
でも、とにかくかわいくて。これが段々生意気になるのかな。
私も娘も元気いっぱいの毎日です♪
Jさんも、益々身体に気をつけて、北海道でしっかり栄養つけてくださいね!



東京A家
キヨネは1年生になりました。初めての夏休み、プールやら補習みたいのやら、
なんだかイベントが沢山で、この夏は海外旅行はお預けです。
また東京へいらっしゃるときはご連絡お待ちしています。



東京S家
我が家は相変わらすで、清瀬での
こじんまりとした生活を割と楽しんでいます。
関東にくるころ、AやKに便乗しますね。



千葉K家
Jさん、ご実家は涼しいですか〜? こちらは暑い(ι´О`ゞ) 梅雨明けしそうです。
私はつわりでヘロヘロ。秋にお会いするころは、おっきいお腹です。
健太郎が電車マニアになっちゃいました。美瑛ノロッコでラベンダー畑を見に行きたい!

1969「鹿熊健太郎」

【電車マニアになった健太郎】
1969「ノロッコ号」

【期間限定のノロッコ号】
1970「咲き誇るラベンダー」

【山一面に咲き誇るラベンダー】


兵庫県K子家
こんにちは。体調はどうですか?長く連絡もせずですみません(>_<)!
日々、バタバタで今日も下の千咲心が手足口病で病院に行ったりと、
なんか仕事もしてないのに、余裕がないんです。
ゆっくりできる時に良く体調を整えて、また沢山、活躍して下さい。
また、会える日を楽しみにしています。



北海道千歳K家
元気でやってるー?
いつもならこの時期帰国してきてるのに
今年は連絡も無いしどーしたのかなって
YやSと話してました。
元気で忙しくしているのだったら全然OKだけれど
タイは国内情勢が良くないってニュースで見るし
体調悪いのかな・・とかちょっと心配しています。
元気だったら短くていいからレスしてね(^_-)



どうやら全国各地にいる「」たちは、元気にすくすく育っているようです。
それにしても、ついこの間まで大学生だった奴等が結婚していまや子育てに
追われるいっぱしの母ちゃんになっているんだもんね。オレも歳を取って
ポンコツになるわけですわ。こりゃ、秋も忙しくなりそうです。

さらにこんな珍メールも届いた。

大阪Kくん
こんにちわ。お久しぶりです。栃木のKです。お元気でしょうか。
もしかして、今、日本にいらっしゃいますか??
私は、色々ありまして、転勤で大阪にいます。
もし、日本にいらっしゃいましたら色々聞きたいことがありまして、
お会いしたいのですが、いかがでしょうか。

いや〜、関西人かなってくらいにこっちの方があってますよ!!
当分帰りたくないですね。それで、今も人材派遣の会社に働いておりまして、
なぜか、平社員なのに経営会議に参加しており、その中で三年後、
海外に支店を持ちたいという計画があって、
現在は、海外情報を集めているところです。
そこで私はタイのプレゼンをすることになったので、
藤岡さんに色々教えて頂きたかった次第です。
もし、後日、まとめてメールで聞いてもいいですか?
8月末に、第一段階のプレゼンがあり、そのあと続きますので、
今度、関東・関西を旅される際にはお会いしたいです。


へぇ〜、あのタイ好きのKちゃんが大阪に転勤になったのね。
ならば、秋には会わなくちゃね。是非、お力になりましょ。



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asia_jiyujin at 15:09|PermalinkComments(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

第1968回「古里は遠きにありて」

1968「美瑛の丘」

7月16日【美瑛】
結局、実家に帰ってきてもほぼ毎晩酒を呑んでいる。
母上様は「台所が片付かないでしょ」と嘆いているが
ゆるせ。だらだら食事がダンピングにならんのじゃ」と
勝手に弁明する息子である。
1968「結局実家でも酒飲む」

考えてみれば、究極の贅沢な晩酌かも知れない。
大根やフキのおでんが妙に味わい深くて美味い。
やっぱりお袋が作ったおでんは旨いよなぁ〜
「それ、セブンイレブンで買って来たおでんだよ」
ガクッなんだよ
思わず口に含んだタマゴを吹き出しそうになった。

歳を重ねる度に、凝った料理は面倒になったらしく、
今やコンビニの惣菜の方が安くて美味いと豪語する母上様。
これこれ、せめて煮物ぐらいは作って食べさせて下さいよ

翌日芋の煮物が食卓に並んだ。さらに翌日は好物の銀だらみりん。
これですよこれ。あぁ〜、故郷に帰ってきたなぁ〜
やはりこれがお袋の味です。

だが数日後、昔食べた甘口カレーが食べたいと嘆願したら、
出て来たカレーは、ボンカレーのレトルトだった。
あぁ、悲しきかな
子供の頃に食べたハウスバーモンドカレー甘口は永遠なり。
1968「芋畑」

ふるさとは遠きにありて思うもの・・・
いざ故郷に帰って来てみれば全てが資本主義社会の波に
押し流され、もはや「古き良き」は存在しない。



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asia_jiyujin at 14:37|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう