September 2010

September 30, 2010

第2013回「タニヤ通でボヤ騒ぎ」

2013「タニヤ通でボヤ騒ぎ」

そう言えば、先日神楽のK社長とニートのHくんと呑んでいた時である。
「火事だぁ
店の外が騒がしい。
なに
ほろ酔い気分で呑んでいたオレは一気に覚醒して店を飛び出した。
どこだ
通りにいた客引きたちに訊く。
「あそこ。もう消えたよ」
あそこ・・・って、HANABIじゃん
「知ってるの?」

知ってるもなにも先日取材したばかりの新規店だ。
急いで見に行こうとしたら、馴染みのTがバイクで送るという。
走っても1分の距離だが、多少酒で足もとがふらつく。

バイクの後ろにタンデムすると「フジさんカメラは?」
と言われ「お、そうだ」慌てて店に戻りカメラを手にした。
セブンイレブン前の火事の現場に着くと店のオーナーや
スタッフたちが呆然と立ち尽くしていた。

社長、大丈夫ですか
「おぉ、藤岡さん」
慌てて店から飛び出してきたキャバ嬢たちも
どうしていいのか呆然としている。

原因は何ですか
「漏電だよ」
表に面した店の上部にむき出しの配線が黒ずんでいた。
家庭用の消化器で消したとみられる白い粉が散満していた。

辺りを見渡すと興味本位で見ている野次馬たち。
さすがに手に持ったカメラを店に向ける雰囲気ではなかった。

密集した古いビルは、改修改装などで建物の中を縦横無尽に
配線が絡まっている。予てより漏電すればあっと言う間に
火の手が上がって大惨事になりかねないと思っていた。

ふと、2年前の年末に日本人を含む60人以上が無くなった
パブのサンティカの大火災を想い出した。数年前の新宿歌舞伎町
のビル火災でも数人の犠牲者が出た。巻き込まれた人は災難だ。
特に異国で災害や事件に巻き込まれることは不運としか言えない。

海外では「盗まれないこと」「狙われないこと」「騙されないこと」
「ぶつけられないこと」「殺されないこと」
そして「災難に遭わない」
ように普段から危機管理意識を高めていなければならない。

それにしてもだ。OPENした日にオーナーが冗談めかして
言った店名の由来ではないが「ドンと咲いてパッと散る
にはあまりにも早すぎるでしょ。

いわく付きの噂がある物件だけど、このまま何もなければいいのだが。



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asia_jiyujin at 05:18|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

September 29, 2010

第2012回「消えたバンコク百景」

2012「消えたバンコク百景」


以前、バンコクの某フリー誌の中に「バンコク百景」なるコラムを見た
ことがある。連載の1回目となる写真には渋滞の心配がないタイ人通勤
通学者ご愛用の水上タクシーが行き交うプラトナームの桟橋風景だった。

生活雑排水が流れるドブ臭いセンセープ運河はまさしくバンコク独特の
百景の1つに数えられるかもね。オイラも極たまに乗ることはあるが、
バンコク生活初級者の外国人にとってはかなり勇気がいる乗り物だ。

実を言うと、以前某小冊子に6年間に渡って「さいあむ百景」と言うコラムを
連載させて戴いていた事がある。発行元の諸事情により76回目で終焉になったが、
実はその前に1年間連載していたのが「バンコク百景」というタイトルだった。

はからくも連載当初は日本人在住者が目にも止める事もないような
バンコクのいろんな景色を題材にしていたのだが、1年近く執筆して
いた頃に“ハタっ”と行き詰まった。

このままではネタが切れるじゃん

意外と多いように見えても日本人在住者の誰もが知ってるネタにはあまり
興味は湧かなかった。悩んだ挙げ句に編集長に嘆願したのはタイ全土を対象
とした百景の連載。その為古の国名の「SIAM(シャム)」を使うことにした。
編集長の承諾を得て2年目からはタイトルを「さいあむ百景」に変更して
連載を続けた。

考えてみれば「バンコク百景」から数えたら「さいあむ百景」の76回を
含めれば全部で88回になった訳だ。あのまま連載が続いていればあと12回、
つまり今年の年末前には丁度目出度く100回目を迎えるはずだったのね。

だが「百景」というタイトルの割には連載途中から景色とは全く関係のない
胃癌の闘病生活やら、やたらと的中する霊能者の占い話やら、あるいは
さいあむ(タイ)の国境から抜け出してラオスのネタもいっぱい書いた。

時には人生の生きる意味や幸せに生きるための教則や、ラーメン戦争勃発
など、およそ「百景」とは無関係なネタが続いた。後半は殆どボランティア
のネタばかりだったような気がする。さすがに回数を重ねるとネタに難儀した。

一方、新連載になった「バンコク百景」だが、はたして無事100回まで
続くのかなと密かに応援していたのだが、その後第2回を未だに観てない。
継続は力なり”と言われるが、「あのコラムはどうなったのだ

ところで、バンコクの某会員誌にコラムを連載させて頂いていた
編集社から先日突然に最終回を告げられた。当初半年間のお約束で
お引き受けした「気ままな時遊人的日記」というこのブログと類似
したタイトルを丸2年間執筆させて頂いていたのだが、発行元の
広告主体の路線変更によりコラムのページを縮小するらしい。

陰矢のごとし”はこのことである。充実していたのか、はたまた
単に忙しさにかまけていたらやたらと時が経つのが早く感じるように
なったのか、気が付けばあっと言う間の2年間だった。

当初編集長から依頼されたコラムの構成を敢えて断り、今まで書いた
ことがないような切り口で「真面目」なジャンルに挑戦させて頂いた。
編集長からは「毎回楽しみに拝読していますよ」と社交辞令のように
言われたが、実際本来の読者からの声はまったく耳に届いてこない。

面白い」「詰まんねぇ」など反響の度合いが分からなければ、
所詮マスターベーション(自己満足)的な文章になりがちになる。
このブログにしても同じである。ある時、親しい友人から神妙な顔で
訊かれたことがある。「何のためにブログ書いてんの?」

確かに人気ブロガーになって幾らかの収入を得ることも可能だが、
目的は別なところにある。執筆業に携わる者として“日々の修練
とでも言えば表向きは格好がつくが(ま、それも多少はあるけど)
実際には、今まで親しくなった縁ある友人知人会員塾生信者仲間
たちに、オイラの生存を伝えているのである。

おかげで帰国した際には何処へ顔を出してもイチイチ近況報告を
求められることが無くなった。正直これでかなりの時間が割愛できる。
それに極たまに仕事のオファーも入ってくることもあるのよ。

ま、いつの間にか「書く事」が飯を食う種になってしまったが、
最近は1つ、また1つと年を重ねる毎に執筆する媒体が消えていく。
淋しいと言うよりはその時代の「お役目」を無事はたした感じである。

いずれ全ての媒体からお声が掛からなくなったら、その時は
長年暖めていた3冊目の長編を書き下ろそうかしらん。
S編集長。2年間執筆させ頂きありがとう御座いました



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asia_jiyujin at 05:28|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

September 28, 2010

第2011回「みちのくニート帰国」

2011「送別会店舗」


日曜日、神楽のK社長から呼ばれて再びHくんと呑む事になった。
彼は1ヶ月間の旅を終えて翌日の飛行機で生まれ故郷の青森に帰る。
面倒見の良い社長は「送別会をしてやろうぜ」と焼肉パーティー。

一次会は神楽でグラスを傾ける。出がけに雷鳴轟くほどの半端ない
ドシャブリ(日本ではゲリラ豪雨)で店に着いたのは午後22時を
過ぎていた。さすがにシルバーウィーク最終日のタニヤ通りは
人も疎らで閑散としていた。

こんばんわぁ〜
「お、来たな」
いつものカウンター席で社長とHくんが呑んでいた。
早速ウィスキーのロックで乾杯する。

結局帰ることにしたんだ
「ハイ、いっぺん国さ帰ります」
すると社長含めて周りからいろんな意見が飛び交う。

「どうせ田舎に帰ってもやることもないんだろ」
「また家から出ないで引き籠もりすんのかよ」
「だったら、このままタイに居て何かやった方がいいだろ」
「そうだ。まだ若いんだから何でも出来るって」

確かに彼の生まれ育った土地の周辺は山と田んぼばかりの大自然。
若いだけに暴走族にでものめり込んでいるかと思えば、族自体存在
しないド田舎らしい。今時の子にしてはスポーツもインターネットも
やらない。つまり“刺激”とは限りなく無縁な世界で生きている朴念仁。

それはそれで良いと思ったが、そんなマイナーでネガティブな話を聞けば、
みな好き勝手なことをのたまいたくもなる。確かに若いウチに外で出て
見聞を広めることも必要だけど、要は彼がどう生きたいのかだろう。

「お前、こっちに来てうどん屋をやれよ」と社長。
神楽ではうどん屋を開業する計画らしく、以前から
通りに面した物件を頼まれていたが未だ見つからず。

他人の人生に入り込むと言うことは正直かなりやっかいな事になり
かねないが、“袖振り合うも多生の縁”を大事にする社長は、その縁を
愉しんでいるようにも見える。一見、日本から逃亡して来た犯罪者にも
見えるが、我々と呑みながら口数も少なく背筋をピンと伸ばしている姿は
まるで幕末の武士だ。器のデカイ社長はそんな彼を気に入ったのかしら。

この1ヶ月のタイの旅で彼が得たものはK社長との出逢いと、自分とは
まったく異質な人間たちの愉しい生き様かな。特に屈託なく明るく生きて
いる底辺のタイ人たちと触れ合い“生きる”原点でも感じたのだろうかな。

再びタイに戻ってきて自分の可能性に懸けるのも一考だが、
はたして彼の人生は彼が決めること。異国で知り合った縁を
活かすことが出来れば自ずと人生は好転していくでしょ。

午前1時で閉店した後の二次会は、いつもの社長のコンドミニアム。
部屋に着くなり、社長自らスーパーで買い出しをした肉や野菜を
綺麗に切って用意してあった。親分肌の社長は賑やかなのが好きだから
店のキャバ嬢たちやスタッフたちも呼んでの大宴会。

2011「送別会1」

(酔っぱらって撮ったので多少ブレてます)

さすがに圧倒されたのかHくんは部屋の片隅でチビチビ呑んでいる。
「お前、遠慮しないでいっぱい食えよ」
「は、はい」

異国でたまたま知り合った日本人に、こうも盛大に送別会を
開いてくれるとは彼はなんと幸運なニートくんでしょ。

結局この日宴会が終焉したのは朝の6時。外に出ると太陽が眩しい。
タクシーで彼が泊まっているホテルまで送って行き自分の部屋に
着いたのは7時前。当然のように倒れるようにベッドへ。

その日、珍しく夢を見た。内容は詳しくは覚えていないが
家族や肉親の事だったと思う。いずれ我が息子も世の中に出れば
K社長のような人間とも知り合いいろんな生き様を知っていくだろう。

どんな人生を歩むのかは本人の自由。後悔しない選択をして欲しいね。
因みにニートのHくんは、将来DJになるのが夢らしい。
だったら尚更家に閉じ籠もっていたら何も始まらないじゃん。

飛び出せ若者よ人生は一回限りでっせ



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asia_jiyujin at 04:39|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

September 27, 2010

第2010回「みちのく若者ニート」

2010「みちのく若者ニート」


バンコク騒乱が続いた今年の5月に、ひょっこり日本からやって来た
福島県出身のNくんという若者がいた。まるで磁石に吸い寄せられる
ようにオイラが馴染みにしているタニヤの“神楽”という店に入って来た。
(オーナーから店名記載の承諾を得ましたので書きます)

気が付いたらすっかり酔っぱらったオイラの横でグラスを傾けていた。
外には装甲車が駐機し迷彩服の治安部隊がいざというときの為に待機。
そんな中で閉店した後で社長やスタッフ達とイサーン(タイ東北部)
スタイルで地べたに座りながら夜明けまで呑んだ。

その後NくんはK社長と共にパタヤに行きそのままイサーンも旅した。
何かを探しているようでもあったし、悩んでいるようにも見えた。
1ヶ月後、彼は日本に帰国。今は元気に新宿歌舞伎町で働いている。
先日、K社長の店で呑んでいたときにその彼から偶然国際電話が入った。

「久しぶりです」
おぉ〜Nくん、元気にやってんの
「はい、お陰様で」
秋に帰国したら歌舞伎町の東横インに泊まるから会いに行くよ
「はい、是非来て下さい。待ってます」

久しぶりに聞く彼の一声は頗る明るく元気にハリのある声だった。まるで
修行僧が長い修練を終えた末に悟りを開いたような、と言えば少々語弊は
あるが、あたかも人生の目的をハッキリとみつけた感じの声に聞こえた。

電話を切ってからK社長曰く、「実はNは自殺しにタイに来たんだ」と
告白され思わず呑んでいたウィスキーを吹き出しそうになった。タイで
1ヶ月ほど社長と飲食を共にしたことでいろんな事を吸収したらしい。
彼にまた「生きる目的」が見つかったのかも知れない。

日本で何らかの失敗や責任に絶えかねてにっちもさっちもどうにもブルドッグ
状態になってタイに逃避してくる日本人は相当数存在している。
その昔、オイラも3,000万円の借金苦で自殺未遂した年輩者やら
事業に失敗してありったけの金を握りしめて逃げてきた社長やら
自分探しの旅に出てそのままタイに沈没している若者やら
いろんな“逃亡者”的旅行者と縁が出来たことがあった。

元来“お節介焼き”のオイラは、いつもそう言う人たちに振り回され
ながら最終的には“悪者”扱いされて疎遠になることが多々あった。
慣れてくるとその人の為の助言がやがて鬱陶しいものになり距離を置か
れるようになる。やがて自分にとって都合のいい悪輩ばかりと連みだし
数ヶ月後、いろんなタイ人や日本人に騙されたり裏切られたりして
ボロボロになってから助けを求めてくる。それもある意味人生勉強。

ま、元来“来る者拒まず去る者追わず“だから、縁があれば
尽力させて頂くし、嘘や裏切られる好意があれば即座に終焉する。
生まれ持った性分は今でも変わらないが、どうやらK社長も
オイラ以上にお節介焼きのように思えた。

で、先日、またもNくんのような若者がタニヤの神楽にやって来た。
そんな若者をさして事情も知らずにまたもK社長が面倒を見るという。

2010「ヒデ」


Hと名乗るその若者は、青森県の南部町から初めて海外旅行でタイに来た。
訊けば高校中退で21歳になる今日までまったく仕事もしていない典型的な
ニート。つまり引き籠もり症候群である。次男の彼には兄が1人居るが
その兄もまた仕事をまったくしないニートらしい。ニートになる原因には
様々な要素が関与しているらしいが、こればかりは当人しか分からない。

だが、そんなHが吉幾三の唄ではないが「オラ、タイさ行くだ」と親に
伝えてそのまま日本を脱出してきた。ニートにしてみれば凄い冒険で
あり自分の殻を打ち破るための破格的な進歩と言える。

そんな若者がまたしても磁石のS極とN極のようにK社長の下に辿り着いた。
まるでテレビの連ドラを観ているようで、第1話が完結したと思ったら
ハイ、第2話の始まりです」みたいである。

はたして脚本は誰が書いてんだろね。



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asia_jiyujin at 18:33|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

September 26, 2010

第2009回「拘りの9月9日19時」

2009「拘りの9月9日19時」


タイ人がもっとも好む数字が“”と以前にも書いたことがあったが、
そのに肖って9月9日19時にタニヤ通りの一角に【HANABI】と
いう日本人クラブが新規OPENした。(お、偶然回数にも9がある)

かつてタニヤ通りでいろんな店舗を手掛けてきた日本人オーナーが
万難を排して開業したのだが、噂では長続きしないと言われている
いわく付きの物件。確かに短期間でいろんな店に変わっている。

それを知ってか知らずしてか、店名の由来は「花火のようにドンと
咲いてパっと散る」とほのめかすオーナー。「マジ(本気)かよ
長引く不景気で閉業を余儀なくされる店もある厳しい時代だけに、
出来れば線香花火のように末長く咲き誇って頂きたいもんです。

ところで、取材して驚いたのが先月取材したHという店の子が
挙ってこの店に移籍していたことだ。「あっちゃぁ〜マジかよ。
頼むから雑誌が発刊される前に店を移らんでくでよぉ〜


先日の若者のように、雑誌片手にお目当ての子に会いに来たても
在籍していなかったらガッカリするでしょ。とは言え、キャバ嬢
たちにもいろんな諸事情があるようで責めるわけにも行かず。

キャバ嬢が移籍しているだけならまだしも、取材して2ヶ月後に
発刊した雑誌を持って行ったら店自体が閉業していたこともある。
タイ人とのトラブルだったり、タイ語が読めずに騙されたり、
或いは巧妙な詐欺事件だったり、いろいろなラジバンダリ。
かつて円高で安易に開業を考えた素人的な日本人経営者もいたけど、
タニヤの流儀”はそれほど易しいもんじゃないのよねぇ〜。

一昔前までは考えられないことだが、最近では従業員の定着率が
低い店が多すぎるな。これはひとえにオーナーの責任に尽きる。
アメと鞭”を上手く使い分けながらアットホーム的な家族的
雰囲で管理しないと、今時の子はすぐに辞めてしまう時代である。

先月掲載したの店ではないが、たまには従業員全員を
連れて海や山などに慰安旅行に行くのも絆が深まっていいよね。
特に田舎から出来てきた子の殆どは海で泳いだ事がないのです。

2009「ビーチ1」


2009「バナナボート」


2009「海泳ぐ」


通りに面した1階で旅行者でも気軽に入店出来る雰囲気ですが、
果たして今度こそはジンクスを打ち破って長続きして欲しいと切に願う。

パっと散らんでおくれよ



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asia_jiyujin at 10:45|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

September 25, 2010

第2008回「嬉しい宣伝雑誌効果」

2008「嬉しい宣伝雑誌効果」


日本ではシルバーウィークと言われたこの1週間。赤服軍団が大規模に
集会活動したにも関わらず多くの日本人観光客が訪れたようです。
おかげで取材を兼ねてどの店に顔を出してもオーナーはニコニコ顔。

良かったねぇ
「ありがとね。シルバーウィークさまさまだわ」

多くの試練を乗り越えてようやく日本人観光客が戻ってきた。
良いことです。このまま衰退が続けば確実に閉業を余儀なくされた
店もあったかも。このまま年末まで好調を維持して欲しいもんです。

先日、スクンビットの某按摩店に打ち合わせに行った時のことである。
タイ人オーナーと話しているときに偶然日本人旅行者が店に入って来た。
ふと何気なく見ると片手にしっかりと握られた今月発売の○●○雑誌。

おっ、○●○じゃん

20歳代のその小柄な若者は見るからに気が弱そう。
次の瞬間、手に持った雑誌をめくって指を差して一言。

「この子」

それはまさしくオイラが取材で撮ったこの店のNo.1按摩嬢。
ほぉ〜、お目が高い」つい嬉しくなって声を掛けたら
「あ、いえ、そのぉ」と如何にも気恥ずかしそうな顔になった。

そうか、こういう若者が毎月楽しみにしながらコンビニで雑誌を
買って「そうだ。タイに行こう」とか思い描いているだろうね。
店のオーナーも早速の雑誌の宣伝効果に満面の笑みをうかべる。

「フジさん、コップンカー」

いえいえ、こういう風にすぐに効果が現れるとライター冥利に尽きる。
そういえば、先日タニヤの某店のママさんからも御礼を言われたっけ。
そう思った途端に何かが頭の中で弾けた。

そっか。なるほど

5年間もいろんな店の取材を続けてようやく1つの結論に行き着いた
瞬間だった。何故いままで気が付かなかったんだろう。お店の
紹介記事はタイ語が話せない日本人観光客の為の情報の1つ。

いかにボラれないで安全にしかも愉しく一時を満足して頂くかに
重点を置いて書いてきたけど全然違った。一昔前ならまだしも、
比較的アジアでは治安の良いタイはそんなこと考えなくていいのだ。

要は、狂おしく逢いたくなるほどの美系可愛系を掲載することに尽きる。
かく言うオイラだって日本ではあり得ないほどの絶世の美人や、可愛い子
がいれば興味を抱いて逢ってみたいという衝動に駆られる事もある。

それが、生まれ持った健康な男子の深層心理。女性もまた男以上に心に
秘めた想いも強いと思うけどね。もっとも、女性は現実主義的にエステや
ショッピングやグルメを主体にした子の方が多いけどね。

日頃仕事でストレスを溜めている人や退屈してマンネリ化した日本の生活を
飛び出して映画のようなアバンチュールな旅に憧れる人も多いだろうね。
現実逃避”は時として最高の心の癒しでありリラクゼーションになる。

長年タイに住んでいると、いつの間にか研ぎ澄ましたはずの感覚が
徐々に鈍感になりそんな初歩的なモチベーションを忘れてしまっていた。
と言うことは“ブス”を撮っても効果がないっちゅうことやん。

それでは店の女の子に対して失礼極まりない。だが、しかしだ。
多少残念な顔の子はどういう角度で撮っても非常に難しいのが本音。
そう言えば、そんな子でも「絶対に綺麗に撮ってみせる」と豪語する
新鋭のカメラマンがいたよなぁ。確かに彼が撮った映像はひと味違う。
オイラには彼ほど自慢出来るほどのウデはないし基本的に目的が違う。

基本的にオイラはライターである。つまり書いてナンボの世界。
それでも写真雑誌は最低限の画像は必要不可欠。かつて駆け出しの
頃はインドシナ半島のアジアのアンダーグランドばかりを取材して
いたから至近距離で被写体に光を炊いて撮ることは皆無だった。

ま、それでも5年間も撮り続けていれば要領も分かってくるし
それなりに試行錯誤しながら綺麗に撮る技術も備わってくるもんです。
それが雑誌に掲載になって先ほどの若者のように集客効果に繋がれば一役。

何事も結果や実績に繋がらなければ認めて頂けない世界。
これからも精進して、えぇもん創らんとね。



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asia_jiyujin at 02:07|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

September 23, 2010

第2007回「どう見ても盗難車?」

2007「盗難バイク?1」


先日、タイ人の友人とラチャダーピセーク通りのロビンソンデパート前
を歩いていた。ふと入口前に停めてあったバイクを見て目が点になった。

74-70 ●○市って、これって明らかに盗難バイクとちゃう

仮にタイに転勤になった駐在員が船便で引っ越しの荷物を送ったにしろ
普通なら税金が掛からないようにバイクのナンバープレートは住んでいた
市町村の役所に返納するのが常識だろう。

以前、某マスコミ関係からの依頼でタイの盗難車をリサーチしたことがある。
綿密に調べてみて驚いたのが結構な数で日本からの盗難車が多いことだ。
ハーレーダヴィットソンやホンダの高級大型車の盗難車が普通に売られている。

中華街の某所で・・・あまり詳しくは書けないけど、その時路地を歩いていて
思わず笑っちゃったことがある。埼玉県の某市のナンバープレートが付いた
50 CCの原チャリが無造作に並んでいたのだ。妙に異様な光景に見えた。

噂では埼玉県の某市には組織的な外国人窃盗グループが潜んでいたが、
その後の内偵捜査で地元の県警と警視庁が協力して一斉検挙したらしい。
でも、いま目の前にある原チャリは明らかに埼玉県内のナンバーではない。

誰が乗ってんだろ・・・

いつもの癖で、この場でしばらく張り込みしてようかと思ったが、
ミッションでもないのに時間の無駄である。タイ人の友人は
さほど関心する事もなく“我関知せず”状態。

「パイ、パイ、パイ(そんなん、えぇからはよぉ行こや)」
直訳では多少違うが、せかすようにタイ語でまくし立てられた。
ほな、飯行こか

2007「どう見ても盗難車?」


それにしてもバンコク都内で、この見慣れない原チャリだけが
周りのバイクと調和せずに妙に可愛く見えたのですが、もし、
盗難バイクだったら盗まれた人は可哀想やな。

「パイ、パイ、パイ」
はい、はい分かりましたよ



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asia_jiyujin at 06:35|PermalinkComments(4) 藤岡わこう 

September 22, 2010

第2006回「挙党態勢で乗越えろ」

2006「賑わうタニヤ通り」


いやぁ〜、凄いじゃん。嬉しくなっちゃうね
久しぶりにタニヤ通りが日本からの旅行者で賑わっていた。

不況の煽りを受けたタイの観光業界が度重なる赤服軍団の騒乱により
さらに現状が悪化して衰退の一途を辿り続けていたタニヤの歓楽街。
この2,3ヶ月で立て続けに老舗のクラブが三店舗も閉業に追い込まれた。

まさに希にみる氷河期に突入していた矢先のシルバーウィーク。
お盆の時期はお客も少なく完全に期待を裏切られた店も多かったようだが、
やはりタイ好きの個人旅行者やリピーターは存在しているようです。

「フジさ〜ん、雑誌持って来てくれたお客さんがいたわよ。ありがとね」
お〜、そりゃあ良かったじゃん。いっぱい稼いでおくれ
いつも苦顔をしていた店のママさんが満面の笑み。

「いやぁ〜、参ったよ。昨夜は対応しきれなかったよ」
嬉しい悲鳴じゃないですか
そう言いながらオーナーの顔は笑っている。

ある店では一晩に120人もお客が入ったらしい、他にも
お客が入りすぎて座る席が無くなった店もあったとか。
顔馴染みのキャバ嬢や客引きたちが挙って自慢気に言う。

かつては黄色い表紙の「地球の迷い方」(我々はそう呼んでいる)を
片手にバンコク市内を闊歩する旅行者の姿を多く見かけたが、今では
旅行の目的に合わせて手にする本は変わっていった。その1つが
オイラが毎月連載している通称コンビニの5棚本と言われる雑誌。

コンビニに入店して一番近い棚に並んでいるのが婦人雑誌。
そして店奥のトイレに近い棚に陳列してあるのが
週刊●○とか実話△▲と言われる男性専門誌である。

今や海外旅行する人の大半がインターネットのWEBサイトから
現地の情報をリサーチする時代になったが、アナログ世代は未だに
何がしかの書物を買って密かに自分旅を計画している人も多い。

とりわけ「Gダイアリー」と「rakuraku」の現地発行の情報誌が
バンコクの歓楽街や暗黒街の情報を提供してくれている二大巨頭雑誌。
かつてこの数年間で似たような小冊子や両誌をパクったような類似の
モノが出版されていたが、気が付けばいつの間にか書店から消えていた。

その両誌とも所縁や恩はあるものの、5年前からは日本で発刊
されている某雑誌でタイの愉楽の情報を掲載させて頂いている。
いまやタイに遊びに来る人たちのバイブル的な月刊誌にまで成長
したと言えば少し烏滸がましいが、未だ不況が続く厳しい時代に
耐え抜きながら発刊中止にならないことが不思議なくらいである。

ま、それだけ毎月楽しみにしている愛読者がいると言うことだね。
コンビニ界を征するもの出版界を征す”と言われる苦厳時代。
それ故に需要と供給のバランスが保たれてこそ存続する雑誌。深謝。

長引く不況により広告収入が激減した出版業界はもはや生き残りを
懸けて試行錯誤を繰り返しながら何とかしのぎを削っている。
そんな状況が続く中で昨今日本から新手のWEB会社が何社も
タイのシィアに参入してきている。

インターネットが復仇してからは紙媒体よりもいろんなWEB
サイトから最新の情報を得られる時代になってからは、現地の
歓楽街や風俗店のホームページを作成する会社が増えている。
まさに時代を反映した隙間的な業種とも言える。

この1,2年、そんなWEB会社がバンコクの彼方此方のお店で
営業を展開している。二大巨頭雑誌と言われていた両誌もまた
独自のWEBサイトで広告を掲載していたが、景気の良い時代に
比べて昨今の日本からの新規参入会社が増えてきたことによって、
それまで定着していた広告料のダンピングが余儀なくされている。

会社を運営する組織は利益を出さない限り存続が危ぶまれる。
だから、長年胡座をかいてきた業界にとって、新規参入は
まるでかつてのdocomoauが新規のSoft Bank
参入によって一気に価格競争が勃発したようなものだろうね。

ユーザー側にしてみれば、価格が安くなることは嬉しい現象。
だが、価格を下げて内容をさらに充実しながら仕事量を増や
しても結局は同業者で同じパイを取り合う形になる。

景気が良い時代であれは、数社に広告を掲載できる余裕は
あっても、如何せんこの厳しい時代にそんな元気のある店は少ない。
それでも広告を出さなければお客の認知度数は限りなくゼロに近い。

広告”にはそれだけの価値と役目を担っている訳だ。

さて、仕事柄そんな業界人とよく現場でかち合うことがある。
先日、親交しているタニヤの某店の社長に呼ばれてグラスを傾けに
行った。従業員の誕生日ともあってタイ独特の甘いケーキも出た。
低血糖のオイラとしては有り難い酒の肴の1つ。

ちょうどその時に、日本から来ていたWEB作成会社の
人たちがいた。彼らと会うのは2度目。昨年の2月頃に
いろんなWEB制作会社が来ていた時の一社だ。

不思議なモノで、この店にはいろんなWEB関係の人たちが
集まる。1階がカウンターバーだけに気軽に飲めるのが
ウケているのかもしれないが、実際にはたまに日本から来た
社長に直接会って売り込みたいのが本音、いや目的だろうね。

社長はわざとそんな同業者を一緒に同席させて飲ます事が多い。
自称“タニヤ売上向上委員会”のオイラとしては願ってもない
展開なのだが、何故か途中で酔っぱらって記憶がなくなる。

最近は不思議と社長に取り巻く業者と呑むことが多い。
ま、オイラとしては敵対するつもりもないし、業界全体の
努力で必ずタイに日本人旅行者が増えると確信している。

でもねぇ、「あの会社はどうで。この会社はここがダメでさ」
挙げ句の果てには「我社が一番優れています」などと相手を
貶しながら自社だけ突出したような誇張な営業を耳にすると
反吐が出そうになる。

昔から悪口、不平、不満、愚痴を肴に呑むと酒が不味くなる。
出来れば建設的な意見や将来的な展望を語ってもらった方が
遙かに酒も美味くなるってもんでしょ。

ライバルは褒めても貶す事なかれ。他社の悪口を言うくらいなら
相手の持ってない独自の良いところをのべよ。さらには親身に
なってお店の為に売上げ向上の1つでも考えて欲しいもんです。

実は我々は形あるモノを売っているわけではないのですな。
紙に書いたモチを本当に味のある食べられるモチにするのが極み。
だからね、売っているのは己という人間を相手に買って頂いている
のです。それが“仕事”の神髄でもあり面白さでもあるのです。

「このWEBを観て来ました」とか「この雑誌に掲載していたから」
などと、お客はイチイチ言わないだけに分析結果は難しい業種。
それ故に“実績”や、さしたる“広告効果”も出てこなければ
いくら自分を買ってもらっても存在そのものが不要になるんだけどね。

「ウチが一番だ」「集客効果には自信ある」
「日本でも実績がある」「他社と違って・・・」
皆様、口では幾らでも良いことは言えるんですがね。
所詮、現地の裏事情をよく分かってない方が多いよね。

最近の若い奴は(あぁ、こういう言い方はさすがにオレも歳やね)
謙虚さがなくあたかも自分が一番という自信過剰的な言動が目立つね。
もっとも日本と違って海外では自己主張しない限りは認められない
だけに短時間でありったけの自己主張をするのは間違いとも言えない。
でもねぇ、経営者はけっして“モノ”だけを見ているわけではないんだな。

な〜んて、そんな偉そうな事をもっともらしく語るオイラも
かつて若いときは、己の自意識過剰による失敗や幾度の不義理で
多くのモノを失いその度に反省を繰り返しながら真意を得た経緯がある。

人生50年生きていれば、不毛な闘いや争いごとは不要と悟る。
長年やっていれば“ベテラン”の域に達しているように思えるが
決して勘違いする事なかれ。まだまだこの業界では駆け出しの若輩者。

信用”だけは決してお金では買えない。だからこそ我を捨ててでも
今は己や自社の利よりも業界全体の反映を考える大事なときだと考える。

オイラが執筆しているのは日本で売られている月刊誌。
そのたった1冊の雑誌が、今までにどれだけタニヤの経済効果に
繋がったかは未知数。それでも独自の切り口で“面白い記事”を
書く事で確実に影響力がある事を信じてやっている。

モチベーションの根源は「報酬」ではなく「面白い」かどうか。
この国で活かさせて頂いている事に感謝して、雑誌もWEBも
今の民主党政権ではないが、みんなで挙党(巨頭)態勢を構築して
日本からの旅行者を増やしましょうぞ。それが我々の役目。

同じパイを奪い合うのではなく、共存共栄、コラボ、協力が必要。
タニヤやスクンビットが盛況になれば自ずと我々の業界も潤うからね。
と、長々と書いたところで同調してくれる人は少ないんだけどね。

2006「挙党態勢で乗越えろ」


ところで、この夜は悪酔いして醜態をさらけ出す前に甘いケーキを口に
したことで何とか凌げたけどオイラの身体、マジ大丈夫なのかね。

K社長、いつも愉しく呑ませて頂いてありがとう御座います
タニヤに革新的な新たなる歴史を創りましょう。



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asia_jiyujin at 08:35|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

September 20, 2010

第2005回「再び首都騒乱勃発か」

2005「すわっ首都騒乱勃発」


すわっまたも赤シャツ軍団がデモをおっぱじめやがった

4月から5月にかけて、バンコク首都圏の商業地域でもある
ラチャプラソン交差点で反政府集会活動を行っていたUDD
(反独裁民主戦線)が再び19日に反政府デモを開始した。

12時過ぎにはバンコク都心部のラチャプラソン交差点を封鎖し
デモ参加者を増やしつつあり封鎖がいつまで続くか不明。

2005「はた行進」


げっヤバイじゃん

ニュース番組を見ながら少なからず鼓動が早くなった。
この日はオイラが胃癌摘出手術を受けた4年前の9月19日に、
タクシン政権を追放した軍事クーデターから4周年目となる日。
5月19日の強制排除から4ヶ月目だ。ホントが好きな国民だ。

テレビによると午後4時までに、タクシン元首相派の市民数千人が
セントラルプラザ・伊勢丹前に集結し路上を占拠する事態となり、
都心部のラチャプラソン交差点の交通がほぼ遮断されたと報道。

おいおいおい、もういい加減にしてくれよぉ〜

君たちのその行き過ぎた行動がタイの経済にどれだけマイナスになるのか。
人様の軒先を借りて生きさせて戴いている身分とすれば内政不干渉なのは
十分熟知しているが、いい加減もう自国民同士の争いは止めてくでぇ。

こちとら来月のミッションで日々汗水流しながら必死に駆けずり回っていると
いうのに、再び騒乱が勃発したら日本からのツアーが全て中止になりかねない。
そんなことにでもなったら今までの尽力が全て水の泡と消える。

そうなればオイラだけの問題でなく、やっとこさ戻って来た外国人観光客が
確実に離れていくことになるじゃん。自分たちで己のクビを絞めている事に
気が付いてくれよ。と、言ったところで当事者には届かぬ無駄な意見か。

あ〜ぁ、もうウンザリです

先日、取材先のオーナーが涙ながらに愚痴をこぼしていた。
「赤シャツがまた騒ぎ始めたら日本からの旅行者が来なくなるね」
頑張ってよ。オレも応援するからさ
と言ったところで大した励みにならないことは知っている。

長年最底辺のタイ人社会に関わっていると、知らぬ間に自国民と同化する
ようで、いつしか「頑張れ」とか「努力」と言うことを口にしなくなった。
彼らの殆どが「無駄な努力」「無意味な頑張り」と諦めるタイ人が多いからだ。

諦めるな。それでもみんな一生懸命生きているんだぞ

いや、泥水舐めてでも生きていかなきゃならないのが現実。
生き馬の目を抜くバンコクの歓楽街で、一時期盛況していた店でも
不況の煽りでいつの間にかネオンが消えて夜逃げした噂を耳にする。

あぁ、もう見たくないっす

傍観者で居ることの方が一番の加害者。さして人様に自慢できる
お仕事ではないが、それでも縁があって紙媒体で後方支援できる
立場故に10月のツアーで一部の街だけでも活性化させたいのだが。

2005「赤服軍団行進」


各報道によると、地元警察は20:時までの期限を設けて集結していた
赤服軍団に対して路上の明け渡しを要請しリーダー格のソムバット氏が
18時に集結の解散を宣言。だが、20時を過ぎても一部の赤服軍団が
居残っているもののラチャプラソンの交差点は通行可能になったらしい。

SARS騒動に始まり、スマトラ沖の大地震による大津波。さらに
年末の同時多発爆弾テロに続いて新型インフルエンザ。そして
国際空港占拠事件に翌年は首都バンコクの騒乱。未だ続く爆弾騒ぎ。

タイは毎年のようにいろんな天変事変等が繰り替えされている国だ。
まるで仏陀様が自国民に対して修業や修練を与えているように見える。
平和な日本と違って今更驚くこともない年中行事と錯覚してしまうほど
刺激的な国だが、もはや民主主義国家にはテロや暴動は必要ない。



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asia_jiyujin at 06:26|PermalinkComments(0) 気ままな呑んだくれ日記 | 藤岡わこう

September 16, 2010

第2004回「T女教諭の昇進試験」

29」


いったい彼女はどこまで偉くなるのか。M基金の支援と北海道の里親
からの援助を受けて念願の女教諭になったT嬢は、昇進試験を受ける
ためとかで今年の4月にウドンターニからバンコクに上京して半年間
ほど大学院で勉強をしている。

現在ウドンターニ県の某中学校で社会科を教えているT女教諭。
「10月の試験には絶対合格するから」と意気込んでいる。
日本に帰国する5月末に彼女と一緒に食事をした。その際、
北海道の里親に渡して欲しいとプレゼントを預かった。

2004「女教諭昇任試験合格」


6月に帰国したオイラは偶然7月のてめぇの誕生日に里親宅を訪れて
彼女のプレゼントをしっかりと渡した。ついでに誕生日も祝って貰う。
で「お返しに」と今度は里親から化粧品のお土産を預かった。

オレは国際宅配便か」と苦笑いしながらもタイと日本の橋渡しを快諾。
こういうお役目を何度も経験するが「幸福宅急便」みたいで結構楽しい。

で、先日T嬢に連絡してラッチャダーピセークのカルフールのMK
一緒にタイスキを食べながら里親から預かったお土産を渡す。年頃の
彼女には興味津々の中身が一杯詰まっていたけど今は化粧よりも勉強優先。

で、試験の方はどうなの?」
「大丈夫よ。難しいけど必ず受かるから」
自信満々の笑顔で応える彼女。

合格したらどうなるの?」
「給料が1,500バーツ上がるの」
へぇ〜
給料だけでなくいずれ主任とか主事みたく偉くなっていくんだろうね。

3年前に初めて貰った給料は確か7,380バーツだったかな。
その初任給でアイスクリームを奢ってもらったことがある。
今では9千バーツ台まで上がったらしいが、試験に受かれば
1万バーツを超える。さぞや田舎の母親が喜ぶことだろう。

ノンカイの母親は元気なの?」
「お陰様で細々と農作業をやっているわよ」
母1人子1人。もっかの母親の期待は仕送りよりも結婚かな。

かつてM基金で5,000人を超える奨学生が社会に育っていった。
T嬢のように大学まで卒業できた子は10数名。フアヒンのヒルトン
やプーケットのJWマリオットのような五つ星ホテルに就職した子もいる。

大半はバンコク郊外の工場や会社に勤めて普通に結婚して子供が
出来たら田舎の親に預けて共稼ぎしてんだろうな。中には離婚して
ネオン煌めくバンコクの歓楽街に流れていく子も珍しくない。

たまに取材先でそう言う子に遭遇するととても複雑な気持ちになる。
家族や姉妹のために頑張っているだけに応援してやる事しか出来ない。
だが、それが現実でありタイの縮図の一片であるこも周知なのだが。

オイラが把握している限りT嬢のように自立した仕事に就いた子は一握り。
もっともっとこの国の将来を担う子が巣立ってくれればと願うのだが。



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asia_jiyujin at 01:45|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう