October 2010

October 27, 2010

第2029回「越後娘結婚懐妊報告」

2029「祝I嬢の結婚報告」

新潟のI嬢から結婚の報告メールが届いた。彼女は千葉の某大学
在学中に友人8人とタイを訪れ、バンコクを始めロッブリ県のエイズ
ホスピスやチェンマイのビエンピンホーム孤児院でボランティアを体験。

彼女が通う大学に勤めるHY教授からの依頼で彼女たちを引き受けたのだが
教授曰く「彼女たちは偏差値は低いが人情的にはずば抜けている」と、
あながち褒めているのか貶しているのかよく解らなかったが
心の優しいネオ人類だったのは確かだった。

翌年もタイに訪れロッブリィとチェンマイを回った。すっかりタイを
お気に召した越後娘は卒業後も渡泰して東北のノンブアランプー県の
中学校で日本語を教えながらタイのファジィな生活を満喫していた。

在学中に彼女から相談を受けたことがあった。「このまま大学を卒業して
地元に帰って就職して今の彼氏と結婚してやがて子育てに翻弄されて
歳を取って婆さんになる。そんな人生は真っ平だ」とのたまっていた。
まさしく自分の考えを押し通して実現させたタイでの生活だった。

1年が過ぎて一度は日本に帰郷した。が、「このままでは中途半端過ぎて
想いが残る」とタイが忘れられずに再び戻ってきた。今度はオイラの
友人がバンコクで経営しているIT関連の仕事に就いた。彼女とは共通の
知人の社長に誘われしばしばタニヤに飲みに行く機会も多かった。

で、突如「タイはもう十分」と残心することなく1年8ヶ月前に帰国。
以来、しばらく連絡が遠ざかっていたが今年の4月に結婚したらしい。
って、もう半年も経っているじゃねぇかよ
その越後娘からのメール。

2029「郁恵文金高島田」


どーも、だいぶご無沙汰してました。
お元気ですか???
ブログはちょこちょこ覗かせていただいています。
イサーン、ラオスの旅、お疲れ様でした。
藤岡さんのブログ見てると、タイが恋しくなります。
見なくても、すでに恋しいですが・・・。

さてさて、ご無沙汰していた上に諸々のご報告が遅れ、
事後報告になってしまいましたが・・・今年の4月18日に
兼ねてから交際していた彼氏と結婚式、披露宴を済ませました。
(入籍は去年の12月24日の11回目の交際スタート記念日にしました。)
今は、のほほーんと専業主婦をしながら、2ヵ月後に産まれる新しい命を
大事に育てています。そうなんです、妊娠8ヶ月です☆仕事が早いでしょ!?
4月に結婚式挙げて、5月に妊娠が判明しました!!

タイから帰って来て、来年の2月で2年になりますが、
日本に帰って来てからのこの約年間で私自身の生活、環境・・
いろんなことがものすごいスピードで変化しました。
だからなお更、タイで生活していた4年間が夢のようです。
本当にタイに4年も居たのかな?って、ふと思うことがあります。

だけど、タイに居る夢や、タイ語を話している夢をよく見たり、
ふとソムタムが食べたくなったり、、、
やっぱりどこかで抜け切れてないというか、
吹っ切れてないところもあるんでしょうね。
まぁ、そんなこんなで相変わらずとりとめもない内容のメールに
なってしまいましたが、またルークが生まれたらメールします。
ルークが生まれたらポー・メーと呼ばせます。
それからタイにお披露目にも行きますから、そのときは食事でもしましょう!
それでは、藤岡さんくれぐれもお身体には気をつけて、
爆弾にも気をつけて元気でサバーイなタイライフをお楽しみください♪


2029「郁恵ウエディング」


しばらく越後娘から連絡が無くて心配していたけど、おそらくは
帰国してから日本社会へのリハビリや腐れ縁の彼氏との結婚の準備で
さぞかしクソ忙しい日々を過ごしているんだろうと推測していたら、
ある日彼女のブログが再開したことを知り、

ほぉ〜、やっと結婚しよったか」と胸をなで下ろしていた。

実は彼女と最初に会った年に酔った勢いで(酔わないと見えない)
彼女の手相を占った事がある。その時「いま付き合っている彼氏とは
ずーーーっと”腐れ縁”になると出ていたのだが、やはり結婚迄至った
ようで何よりである。実は3年ほど前に帰国して新潟に行った時に
彼女の家族や彼氏にも会っていた。おめでとう。よかった、よかった。

改めて祝結婚のメールを送ったらすぐに彼女からレスがあった。

2029「郁恵洋装」


うちのおじいちゃんは、去年の11月23日に白血病で亡くなり、
もうすぐ1周忌です。 おばあちゃん2人は元気ですが、
何かの拍子におじいちゃんのことを思い出しては、
寂しそうにしていますよ。私もそうですけどね・・・。
姉もまだ独身貴族です。 32歳になるので、そろそろ
結婚して欲しいんですけどね。まぁ、難しいかな。
(中略)
あと、赤ちゃんの名前は今いろいろ考えていますが難しいですね。
もちろんタイにちなんだ名前も考えていますが旦那が微妙な反応です(笑)
まぁ、あと2ヶ月ほどあるのでゆっくり考えますよ!
今は、お腹が大きくなって、 何するにも大変で、
おうちにばっかりいますが、 ちょっとは運動もしないとね。
午後からは、スーパー巡りにでも行ってきます。


2029「郁恵妊娠8ヶ月」


あの越後娘も間もなく一児の母になんのやね。
あぁ〜、また孫が出来る爺の心境になるな。
才能はあまり期待せんけど五体満足の元気な子を産んでくれろ。



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asia_jiyujin at 06:14|PermalinkComments(4) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

October 26, 2010

第2028回「肉体酷使で疲労困憊」

2028「肉体酷使で疲労困憊」

約2ヶ月ぶりにゴルフに行った。体調はかなり最悪。
寝不足に加えて昨夜の酒が未だ身体に残っている。
S代表は先週も北海道でラウンドしたとか。

マリンスポーツ好きのお2人はゴルフもやるので
今夜の夜便で帰国する前にゴルフをすることになった。
胃を切ってからはすっかり行く機会も少なくなり今年は10回目。

まぁ、途中でバテないように体力を調整しながら回ろうと思ったら、
な〜んと最初トリプル叩いたときは「今日はアカンな」と確信した。
ところが2ホール目で2打目がピン側1メートルに付けてバーディ。
さらに次がパー。その後ボギーが先行したがOUTの上がり3ホールが
驚異の3連続パーで上がり42の好スコア。

へぇ〜、意外とオイラって上手いんじゃん
自分ながら感心するもやはり後半に入ると体力が無くなり
さらに低血糖による集中力の欠如でダブルパーにトリプル。

それでも上がり3ホールがまたしても驚異の3連続パーで49.。
終わってみれば4人の中で一番良いスコアーの91。
いつも80台で回るS代表は手痛いOB2連チャンで94。
N専務は、変則フォームながらも92と大健闘。
で、Y嬢はOUT・INとも68の並行スコアー。

市内に戻ってから“痛い”ほど効くDr.Feetで足マッサージを受け
その後土産を買いにスーパーに。夕食は珍しくパスタとピザのイタリアン。
午後20時過ぎに3人は空港へ。これにて6日間のミッション無事終了。

で、オイラはあまりにも酷使した身体をメンテナンスするために
久しぶりにタイ古式按摩の奥義を持つ先生がいる店に行った。
痛ってててて・・・
「あんた、相当足と腰にガタがきてるよ」
あっそ。おぉ〜、痛たたたったたた・・・

昔は3日とあけずに通っていたマッサージも今は殆ど行かなくなった。
経済的な理由や多忙のせいではない。激痩せしてからは必要なくなったのだ。
それでも年齢的には月に2,3回は受けてないと腐敗物や老廃物が
身体から抜けないらしい。分かっちゃいるけど行くのがめんどくさい。

2時間たっぷり超痛い按摩を受けた身体はすっかりリフレッシュ。
あ〜、スッキリ。これから小まめに通うか
「あんた。2ヶ月前にも同じこと言ってたわよ」
あっそうだっけ・・・



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asia_jiyujin at 19:36|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

October 25, 2010

第2027回「長年の蟠り和解せり」

2027「パイブン教育長と再会」

実はメコン基金が分裂した時に、今まで支援を受けていた
東側の学校は新しいNGO団体との狭間で困惑していた。
援助を受ける側としては、双方の団体でも構わないのだが、
援助する側が何故か対象地区にくだらない縄張り意識を働かす。

「この地域は我々の管轄だから入って来ないでね」みたいな。
くだらん。実に心が狭い。如何にも日本人らしいエゴに過ぎない。
さらには分裂した会員たちとも変な確執が残り、北海道の故郷にまで
「フジオカはタイで麻薬中毒になっている」などと言うトンでもない
嘘の情報を流してオレを陥れる卑劣なヤツまで現れた。

さすがにこれには参った。故郷の友人知人にまで噂が広がり
それまで進みかけていた仕事までもがドタキャンになった。
いったいオレが何をしたというんじゃい。単に新しい団体に
移らなかっただけでなんでこんな酷い仕打ちを受けるんじゃい。

よっぽど名誉毀損で訴えてやろうかと思ったが裁判する時間も無い。
嘘を真に受けて去って行ったヤツ等はそれでいいと思った。
嘘に踊らされずに信じて残った輩が本当の朋友。

結局メコン基金側に残ったことで当時一緒に手伝っていた
日本人スタッフや仲の良かった会員たちとも疎遠になった。
日本側の会員とはさほど未練はなかったのだが、ナーディ中学校の
ステープ校長や父親のようなパイブン校長に会えなくなったのが
哀しかった。両校長も、その想いは一緒だったはずだ。

ま、そんな経緯もあり今夜バンコクでパイブン氏に会うのが楽しみだった。
約束の時間に待ち合わせの場所に行くとパイブン氏が凜と立っていた。
クンポー(お父ちゃん
「おぉ、フジさん。ご無沙汰じゃったのぉ」
わざわざ来て頂いてありがとう御座います
「おや、しばらく会わないうちに随分痩せたのぉ」

パイブン氏はオイラが胃癌摘出手術を受けたことは知らない。
実はね、4年前に胃癌になって・・・ま、後で話しますよ
話したいことはチョモランマ並にある。

みんなで久しぶりに懐かしいトンローの日本村にある寅次郎に行く。
パイブン氏もその昔出張でバンコクに出て来たときに一度来ている。
何から話そうかつのる話はいっぱいあったが、先ずは教育長就任を
祝して冷えたビールと冷酒で乾杯。

おめでとう御座いま〜す。かんぱ〜い

S代表が日本で買って来た高級万年筆をパイブン氏に贈る。
呑み始めてからしばらくしてからパイブン氏の息子が合流。
かつて北海道に語学留学したこともあるのだが、如何せん
出来の悪いバカ息子で朝寝坊や不登校の問題児だった。

厳しい両親は我が息子は可愛いものだ。それ故に我が儘に育つ。
得てして厳格な教育者の息子に限ってダメ人間になる子が多い。
親の期待への反発に加えて、親の目の届かない日本の生活。
自由を引き替えに彼のダメ人間ぶりは加速を増して落ちていった。

その為、身元引受人のメコン基金の前代表とも確執が残り、
一時は裁判沙汰にまで発展しそうになったこともあった。
そのバカ息子も今はバンコクでガイドの学校に通っているという。
近々卒業試験があるらしいのだが、自信は全然無いと笑う。
あかんな」相変わらず自立心の無さは変わっとらんわい。

ま、その前代表も5年前に他界し、東側を支援していた団体も
2年ほど前から来なくなったそうだ。ならば、もう誰に気兼ね
することなくこれからも自由に会うことが出来るじゃん。
そもそも支援する側が仲違いしてどないすんねんな。
ケンカや憎しみからはな〜んも生まれんけんね。

よっしゃ、呑も呑も
「かんぱ〜い」

2本目の瓶が開けられ途中から何を話したか覚えてなかったが、
お互いの角質を取り除くには酒は実に便利なディールだ。
「来年は東側にも来て下さいよ。歓迎しますから」

今宵の酒は一段と旨い。今夜で、今までお互いが心に
持っていたわだかまりが全て消えた感じだった。

因みにパイブン氏の邸宅はノンカイ市内から45キロ先にある
ポンピサイという町のメコン川沿いにある。15年前、オイラは
その家に泊まったことがある。年に一度だけ10月の満月日に
メコン川に生息する龍が火を吹く“バンファイパヤナーク”を見た。

メコン川の水面から突如オレンジ色の火の玉が出現して
上空7、80メートルまで上がるのだ。その数何百。
実際には水面下で溜まったガスが自然発火して上空に飛び出す
摩訶不思議な自然現象らしいのだが龍が火を吹き出す方がロマンがある。
因みに今年の“バンファイパヤナーク”は2日前だった。



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asia_jiyujin at 03:46|PermalinkComments(4) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

October 24, 2010

第2026回「極貧農村地帯の実態」

2026「極貧農村地帯の実態」

16年前、オイラがメコン基金をサポートするようになった時に、
セオム中学校の分校だったのがナーディ中学校だった。
当時はそれこそ今のラオスの山岳のように“三匹の子豚”を地でいく
ような藁葺き屋根に竹を編んだ壁で床は赤土がむき出しの校舎だった。

そのセオム中学校の校長先生だったのがナカセン・パイブン氏。
奥様のジラポン女史は教頭先生。そら厳しい先生やった。
当時は度々ノンカーイを訪れていたのだが、オイラが話す
タイ語の文法や少しでも発音が違うとすぐにダメだし。

例えば犬が来るはマーマー。馬が来るもマーマー。
日本語の箸も橋も端も微妙な発音で聞き分けられる日本人。
それ故に異なる5つの声調を覚えるのにマーだけでも一苦労した。

教育熱心に加え、自ら援助していた貧しい子も多数いた。
その後、生徒数1,500人を超えるセイカ中学校に転勤。
その時に「いずれパイブン校長は教育長になるな」と確信していた。

メコン基金の内部分裂のより久しく会えずにいたのだが、
その後ポンチャルン中学校に転勤になったパイブン校長に
会ったのが確か5年前のジャパン・キャンプの時。

ノンカーイ県の中学校で日本語を勉強する200人の中学生を対象に
習字や着物の着付け、琴の演奏やおはじきなど日本古来の遊戯を開催。
その時にサロマから来たアジア塾の塾生を伴って200人分のカレーを
作りに行ったことがある。その時に偶然パイブン校長に会った。

そのパイブン校長が今春からノンカーイ県の教育長に就任した
ことを聞いて驚いた。「とうとうなったんだ」奇しくも58歳。
後2年で停年を迎える。

久しぶりの再会に胸を躍らしていたのだが、生憎この日はバンコクの会議に
出席して不在だった。気を利かしてくれたステープ校長がパイブン氏に
電話を掛けてくれて話すことが出来た。今夜バンコクで再会を約束した。

さて、奨学金授与式を終えた我々は、お2人の会社が支援している里子に
会うためにターボ郡のコーコン地区に車を走らせた。折角ここまで来たの
だからどんな環境で生活しているのか家族にも会って行こうとの配慮だった。

メコン川を右手に対岸には昨日まで滞在していたラオスが見える。
左手は何処までも続くのどかな田園風景。時折煙草畑も顔を覗かせる。
30分ほどで着いた里子のN女子の家を見て2人は驚いた。

「ひぇ〜、ラオスの茅葺き校舎より凄いな

この地域では比較的多い高床式住居。ところが屋根はトタンに
壁は竹を骨組みにバナナの葉を編んだ昔ながらの家だった。
しかも2階の床がシロアリに浸食されて腐っている。民家と
言うよりは雨風が凌げる掘っ立て小屋に近い建造物だ。
今でこそ少なくなったか想像するに相当の貧困さが伺える。

家族は糖尿病を抱えた父親と弟の3人暮らし。働けない父親に変わって
母親が都会に働きに出たのだが、数年後に新しい恋人を作って離婚。
現在は小さな畑を耕しながら何とか生活費を捻出しているらしい。

まるで絵に描いたような“おしん”か“家なき子”のような苦境な世界。
それでも子供たちは至って明るく屈託がない。おそらくは周りに同じ
ような境遇の友達がいるからだろう。この日も親しい友人たちが
集まって我々のために自家製のお菓子を作っていてくれた。

N女子は現在3年生。将来の夢はナース。とても成績優秀な子で
来年は国立マハサラカム大学を受験したいそうなのだが、如何せん
学費も生活費も捻出する術がない。メコン基金の対象は中学校6年まで。

大学の進学援助は里親個人に委ねられている。かつて何人もの個人的援助で
大学に進学した子もいるが、好景気と違って4年間の援助を続けるのは難しい時代。
それでも、縁があって里親になっている日本衛生株式会社のN専務さんは、
「みんなが呑み行くのを一回我慢したら何とかなるっしょ」と帰国してから
社員たちと相談することを公言。実現すればまた夢を叶えられる子が増える。

さて、今夜はバンコクでパイブン教育長と再会ですな
午後3時。我々はウドンターニ空港からバンコクに向けて飛び立った。
2026「ウドンタニ空港」




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asia_jiyujin at 02:58|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

October 23, 2010

第2025回「運命的なサプライズ」

2025「ノンカイ教育庁」

ビエンチャンからタイに入国した我々はノンカーイ市内の
いつも常宿にしているグランドホテルにチェックイン。

「フジさん、サワディーカー(こんばんは)」
ホテルのレセプションも荷物係のベルボーイもみんな顔馴染み。
そのうち受付嬢の1人は、かつてメコン基金で奨学金の援助を
受けていた子。

夕食は、これまたいつものタイレストランのDD(ディディ)。
今宵はコーコン中学校の校長夫妻と、かつてその昔メコン基金の
支援を受けて札幌に語学留学していた数学のC先生と一緒に晩餐会。

料理はこれまたいつのも定番のプーパットポンカリーにカオパットプー。
カイチィアオムーサップにゲンチュートーフーサライタレー。さらにノーマイ
ファランに・・ってタイ語の解らん人は何の料理だか皆目健闘もつかんよね。

実はラオスでもノンカーイでも毎回同じメニューばかりを頼んでいたのだが
(もっともタイ料理の苦手なオイラは定番料理しか知らんのです)初参加の
2人は「ここのは美味い」と絶賛。ところ変われば味も変わるのね。

ところがだ、愉しく食事を終えた時事態が急変した。
い、痛ぇ。腹が痛い
食事を終えて帰りかけたときに突然オイラのお腹が痛くなった。

かつてこの16年間、食後に腹痛が起きたことは滅多にない。
う“〜、痛い。こりゃあ参ったぞ
首筋から大量の汗が流れ出し、胃(無いけど)に激痛が走る。

これはマジでヤバイ
イスに座って休んでも治るような状態ではない。
長年の経験でこれは病院行きだなと直感した。

それにしてもおかしい
食べたモノは全て火の通っているものだった。
生モノは食べてないしビールだって一切口にしていない。
胃に負担の掛かるモノは食べてないのにこの痛さは何だ。

あぁ、これだからタイ料理は苦手なんだよぁ〜
元々胃腸に自信のないオイラはなるべく辛いモノや香辛料の
キツイ食材は食べないようにしてきたんだけどね。

そう言えば4年前に胃癌になったときも、あまりの多忙で
3ヶ月間で和食を食べたのは僅か4,5回だけだったもんね。
やっぱり古い日本人には胃に優しい和食文化に限りますわい。

我慢して駐車場に行くも途中で力尽きてベンチで休む。
おぉ〜、痛ってぇ〜
状況はさらに悪化してきた。身体全体が熱っぽい。

例えるなら、ドリアンを食べた後にビールを呑んで(やったことはない)
胃の中で発酵して膨れあがったような痛さだ。或いはガキの頃に(多分
やったかも)カエルのお腹に空気を入れて爆発する寸前の状況に似ている。

何かが胃の中で化学反応を起こして確実に膨れているのは確かだ。
校長先生が運転手に頼んで何やら薬局から薬を買ってこさせた。
「フジさん、これを呑んで」

まるで乳酸菌飲料のような真っ白い液体の薬。
言われるまま口に含むとハッカのようなスーっとした
液体が喉を通って胃に落ちていった。

なんじゃい、こりゃあ
全てのタイ人が愛用するヤードゥムを飲薬用に改良した薬かいな。
何でもいい。さっきよりは多少状況がよくなってきた。
さらに二口ほど無理矢理呑んで流し込む。

予てより「タイは不思議な国だなぁ」と思う事がある。
こういう状況の時もそうだ。あまねく専門医でもない人たちが
あれが良いとか、これを呑ませろとか、はなっから病院に頼らず
昔ながらの薬草やら市販の薬などで治療してしまうことだ。精霊信仰を
信仰してきた祖先からの黒魔術や祈りに頼るのが由縁なのかね。

でも、これが意外と功を奏して治ってしまうのだ。
ホテルに戻り、熱いお湯をバスタブに溜めて身を委ねる。
おぉ〜、えぇ気持ちや

先ほどまで七転八倒していた胃の激痛が嘘のように治った。
一時は急性腹膜炎かと思って病院まで考えたが、不思議なもので
人生苦境になるといつも良好な展開になる“運命”にあるのです。

そうだ。“運命”と言えば翌日ノンカーイの県庁にある教育委員会に
顔を出した時である。この日は年に一度メコン基金が17校の
中学校に165人の奨学金を授与する日だった。(昨年までは
228名)ラオスは50名の奨学金を小学生に支援している。

2025「奨学金授与式」


各校から担当の先生たちが集まり奨学金の授与式を行っていた時
突然「フジさ〜ん」と白髪頭の初老の先生が部屋に入って来た。
見るとナーディ中学校のステープ・コンマニー校長先生だった。

わぁ、せんせぇ〜、懐かしかぁ〜

かつて友達のように一番仲の良かった校長先生だ。10年前は45歳
だった先生も今やロマンスグレーが似合うダンディな・・。いや、
髭も蓄えチョイ不良親父っぽい姿に変貌していた。

いやぁ〜、先生。嬉しいっすよぉ
「今日フジさんが来るって聞いてね。顔が見たくなったんだ」

2025「運命的なサプライズ」


実は、メコン基金は10年ほど前に会員同士に派閥が勃発して
内部分裂したことがある。志を同じくして立ち上げた当初も、
やがて組織が大きくなり多種多彩な人が入会してくると、支援金も
出さないのに難癖やいちゃもんをつけて我が儘を言う人も増えてくる。

現地スタッフとしては日本サイドの揉め事には顔を突っ込みたくない。
ところが、日本人ってぇのは兎角派閥や仲間枠を広げて多勢を欲する。
面子やプライドや役職や肩書きや世間体や体裁。あ〜、くだらん見栄だ。
こっちに入らんかとか、我々の味方になってくれとか頼まれる。

まっことバカバカしくて見てらんない。誰のための援助なんだよ。
あのねぇ、オレは日本人同士のゴタゴタはどうでもいいの。
考えて欲しいのは現地の貧しい子供たちの事とちゃいますか


やがてメコン基金を脱会した会員たちが新しいNGO団体を立ち上げて
今まで支援していたノンカーイ県の東側半分の地域を支援することで治まった。
以来メコン基金の支援地域は西側の半分となり、当時仲の良かった
ステープ校長先生とは会えなくなっていたのだ。何と10年ぶりの再会。

そして、さらにもっと驚く運命的サプライズが待っていた。



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asia_jiyujin at 12:12|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

October 22, 2010

第2024回「パカユーン大川小学校」

2024「メコンの夕陽」

午後ともなると再び強烈な暑さの灼熱太陽が襲って来た。
かぁ〜、首があづぃ〜

と思ったら最後の訪問地のパカユーン村に着く寸前でバケツを
ひっくり返したようなスコールが降ってきた。トラックの後ろに
積んである我々のカバンがビッショり濡れてきた。

女心と秋の空ではないが、山の天気は分からない。
学校に到着してからすぐに荷台にテントを掛ける。
ふと見渡すと村人達が全員校舎の軒先で待機していた。

2024「パカユン村大川小学校」


「サバイディー(こんにちは)」
ワイ(合掌)をしながら校長先生や村長等が傘を差してお出迎え。
勧められるままに教員室に入ると子供たちの父兄や大勢の村人が
集まっていた。早速校長先生の挨拶に始まり歓迎式が行われる。
それが終わるとお決まりのバーシーの儀式が始まった。

2024「パカユンバーシー」


2024「パカユンバーシーの儀式」


2日間で5校の学校を訪問した我々の手首は、まるで包帯のような
ポッケーン(白い糸)がグルグル巻きになっていた。儀式の後は
校舎の軒先に用意されたラオ料理の食事会。

正直、ここへ来る途中のナムグムダムで昼食を食べたばかりだ。
それでもオイラ以外は進んで料理を食べている。
美味いのか美味くないのか微妙な顔で食べている。

食事が終わる頃にはすっかり雨が上がっていた。
「さて、タイに戻りますか」
その前に折角だから凱旋門に寄りましょう

国道をひた走る脇には喉かな田園風景が何処までも続く。
ビエンチャンまでの2時間は4人とも車中で爆睡。

ラオスが初めての2人に金色の仏舎利塔とフランス植民地時代に
建造されたパトゥーサイ(凱旋門)をご案内。2人は階段で最上階
まで登りビエンチャン市内を展望。オイラは1階のベンチで休憩。
それほど体力は使ってはいないのだが正直足腰に堪えてしんどい。

2024「パトゥーサイ」


夕方5時。ビエンチャンのイミグレーションを出国してメコン川に
掛かる友好橋を渡るときには真っ赤な夕陽が川面に反射していた。
こうして2泊3日のラオ・ミッションは無事に終了。

さよなら〜ラオの民たちよ



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asia_jiyujin at 05:11|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

October 21, 2010

第2023回「ビエントン樋口小学校」

2023「樋口新校舎」


ってててて・・・
朝起きたら後頭部がやたらと怠い。こりゃあ明らかに二日酔いだ。
実は昨夜は山岳にあるコテージに宿泊したのだが、周辺地域には
コンビニもレストランも飲み屋もな〜んにもない。

だがら、夕食後宿に帰る前に町の商店でしこたまワインや
ビールを買いこんでオイラの部屋で飲み会を開催。
4人とも呑める口だからビールやワインはあっと言う間に・・・・。
で、朝起きたら部屋の隅に大量の空き瓶が並んでいた。

さすがに朝食を食べる元気もなく、迎えに来てくれたVさんの
ピックアップトラックに乗って本日最初の訪問校であるビエントン村へ。
この村には北海道の和寒町で酪農を営む樋口さんが3年前に建てて
頂いた真新しい小学校の校舎がある。

実はここは未だに旧校舎である茅葺きの木造校舎を使用している。
この重要文化財のような今にも朽廃しそうな建物をお二人に直に見て
頂く為に遙々やって来た。S代表の思惑は自分たちの会社が支援して
建てた校舎のその前はどんな劣悪な建物だったのかを知って欲しかったのだ。

まさしくイソップ童話の“三匹の子豚”ではないが、藁葺きの屋根に竹を
編んだ壁面。鉄板屋根に木造。それが今ではスレート屋根に堅固な煉瓦造りだ。
さらに天上には大型扇風機が回り明るい蛍光灯の下で勉強ができる。

2023「樋口旧校舎ワイ」


2023「樋口旧校舎」


2023「樋口旧校舎2」


我々が到着すると休み時間だったのか、高台の校庭で男子は裸足でサッカー。
女子はもっぱら木陰や教室内で縄跳びに乗じていた。双方ともお金の
掛からない遊戯。まるで映画のオールウェ−ズのような昭和初期の
雰囲気がそこかしこに。もしこの学校にDSやWillがあったら
いったい子供たちはどんなリアクションをするんだろうね。

だって、デジカメで撮った画像を見せると驚愕の顔になるんだもん。
最新の文明の利器は時として最高のコミュニティツールになる。
もちろん首都ビエンチャンにはデジカメも売っているしパソコンもある。
だが、限りなく牧歌的な山はまるでタイムスリップしたアナログの世界。

2023「樋口サッカー」


2023「樋口縄跳び1」



物質的な豊かさは殆ど無いが、心の豊かさだけは無限大だ。
子供たちと接しているうちにいつの間にか二日酔いが治っていた。
でもね、ここでもバーシーの儀式があり、必ずや強烈な濃度の
地元ラオカオ(地酒)を強制的に呑まされるのだ。

2023「樋口文房具贈呈」


2023「樋口バーシー」


うぇ〜、きつぃ〜
これにマナオ(かぼす)を入れてソーダー水を混ぜれば
意外とイケるかもね。迎え酒とはこれいかに。



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asia_jiyujin at 15:37|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

October 20, 2010

第2022回「ノンボア東美小学校」

2022「ノンボア東美小学校」


午後3時。さっきまでやたらにクソ暑かった灼熱の太陽が
徐々に西に傾きかけてきた。本日最後の訪問校は山岳地帯の
中地に位置するカムウ族が住むノンボア村の東美小学校。

ノンボア村はポーンホーン郡にある80の村でもっとも貧しく、
人口は53家族の323人。この村に学校が出来るまでは村から
6キロ離れた小学校に通学していたが、遠距離で通学できない子や
家族の農作業の手伝いなどでまともに学校に行けない子もいた。

今から18年前、郡長から相談を受けた当時のメコン基金のM代表が
現在代表になった東京美装株式会社のS専務に相談。翌年、北海道支社
の従業員ボランティア基金が支援してくれて6教室の校舎が完成した。

2022「東美おかしくばる」


我々が学校に到着すると全学級が授業を中止し、校長先生や先生達が
歓迎してくれた。この学校には唯一1人の女性教諭が勤めている。だが
大学課程を卒業していないため、現在メコン基金の支援で4年間の
教育課程を学びながら働いている。

でもねぇ、彼女の1ヶ月の給料を訊いて吃驚しちゃった。僅か30US$
(2,400円)たらず。これでは教師のなり手がないのが頷ける。それでも
山には農業以外の仕事も無く現金収入を得るには仕方がないのかな。

山岳地帯の学校の運営は基本的に村で行う。だが、予算が無くて校舎が
建てられない村もある。仮に学校を建てられても教科書を買うお金がない。
さらに教師に払う給料もない。68部種以上の山岳少数民族が住むラオスは
未だに政府の手の届かない村が無数にあるそうだ。

2022「東美お菓子配る1」



草だらけの校庭に並んだ子供たちに市場で買ってきたビスケットや
お菓子を配る。子供たちは掌一杯にお菓子を貰いながら嬉しそうに笑う。
1つ、つまみ食いしてみたがこれがまたやたらと「甘〜い」。虫歯になりそう。

それでも“甘いお菓子”は子供たちにとっては最高の美食なんだってさ。
オレもガキの頃は母上様が作ってくれたおやつは楽しみだったもんなぁ。

2022「東美お菓子配る2」


2022「東美おかし」




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asia_jiyujin at 02:25|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

October 19, 2010

第2021回「山岳なかよし小学校」

2021「なかよし学校の子供達」


プーサン村のニチエイ小学校で行われたバーシーの儀式。
我々の旅の安全と健康を祈願して手首に巻いてくれた白い
木綿糸のポッケーンが風になびく。

「なんだかバンテージみたいね」
記念にそのまま切らずに帰国して下さいよ
「え〜、知らん人が見たら怪我して包帯巻いてるみたいだべさ」

オイラもS代表も、もう慣れっこになっているが、お二人には
とても神聖な儀式故に多少緊張した趣でラオの文化を体験した。

さて、プーサン村のニチエイ小学校を出た我々は、次の目的地で
あるファイドゥア村を目指した。この村には1997年に札幌の
NGO団体のゾンタクラブ?が開設10周年記念行事として
建築寄贈してくれた小学校がある。

2021「なかよし学校花束歓迎」


2021「なかよし学校授業風景」


2021「なかよし学校保育所


当時は190人の子供たちが学んでいたが、貧しさ故に学校や村には
予算がないので、その後もゾンタクラブ?さんは制服や教科書など
(2人で1冊の割合)を贈呈してくれている。3年前には20周年
記念として校舎の横に立派な図書館も建築寄贈して頂きました。
その後も毎年のように5〜10万円の援助を続けてくれている。

今回は札幌東ロータリークラブのW氏から頼まれていた函館の
ロータリークラブで制作されたブルーバード(邦題は幸せの青い鳥)
の紙芝居をラオ語に翻訳してなかよし小学校に贈呈。

元々子供向けの絵本が少なかった学校だけに大変喜んでくれた。
授業で使ってくれればきっと子供たちも喜ぶだろう、と思ったら
早速生徒を代表して4年生の女子が感謝の手紙を読んでくれた。

2021「なかよし学校紙芝居」


2021「なかよし感謝の言葉」


この図書館の落成に伴いその後ユニセフから大量の絵本や単行本が贈られた。
その中にラオ語に翻訳された両手両足のない乙武くんの“五体不満足”が
あってちょっと吃驚した。僕は不幸ではなく不遇と語る乙武くんの本は
奇しくもオイラが1999年に1冊目の本を出版した年と同じだった。

方や本屋の入口に大量の平積み販売。オイラは背表紙しか見えない棚積み。
ベストセラーになった本は日本のみならずいろんな国の言葉に翻訳されて出版。
おそらく数億円の印税が入ったと推測されるが、それに比べてオイラの
印税は初版本が完売になり増版されたものの僅か10万円だけだった。
ま、本の完成度も違うし土台も違いすぎる。そもそも比べるのが間違い。

確かその年の作家業界の所得者番付高額納税者の2番目だったと記憶する。
1番目の高額納税者は言わずと知れた赤川次郎氏。

あ〜、夢の印税生活・・・
異国で夢見た印税生活はその後2冊目に執筆した本で諦めた。
いろんな体験を重ねて異文化を垣間見てもまだまだ未熟な文体故に
日頃から多種の媒体で修練しながらもう少し経験値を高めんとね。



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asia_jiyujin at 16:09|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

October 18, 2010

第2020回「プーサン日衛小学校」

2019?「ニチエイ小学校寄贈」


丁度一週間前の今日、日本では体育の日の祝日を含む3連休の最終日。
我々4人は朝早くにビエンチャン市内を出発して国道を北上していた。
向かう先は車で2時間のところにあるプーサン村のニチエイ小学校。

人口582人のプーサン村はモン族が住む極貧山岳地帯の1つ。農業を
生業とする生活環境は極めて貧しく、近郊の3ヶ所の村から子供たちが
通学しかやぶき屋根の粗末な校舎で勉強していた。

数年前にJICAが5教室の校舎を建設寄贈してくれたのだが、生憎4〜5
年生の生徒だけで一杯になり1〜3年生は古い旧校舎で勉強。雨季の豪雨で
度々授業が出来ない環境を不憫に思った郡長からメコン基金に支援の依頼。
その状況を旧知の日本衛生株式会社のF社長に伝えると社員一同が賛同。
奇しくも創設30周年を記念して新校舎を昨年寄贈してくれた。

落成式には社長自ら学校視察に来られたが、今回は我が娘と会社でNo.2の
専務さんが自らの目で自分たちが援助した学校を視察する任命を受けて
初めてラオスの山岳地帯まで足を運んでくれたのだ。

2019?「ニチエイ小学校横」



「いや〜、子供たちの瞳が綺麗だよねぇ」
2人とも学校に到着して開口一番の素直な感想である。
「裸足の子がいるわ」
「何だか昭和の初期にタイムスリップした感じだな」

天上には大型扇風機が回り涼しい環境の中で勉強している。
背丈ほどに掛けられたヒモに子供たちが書いた絵が掛けられていた。
おそらく自分たちが住む山や川の絵や寄贈してくれた小学校の絵だ。
決して突出して上手とは言えないが、明るい色遣いや全体の構成から
朴訥ながらも素直に表現した名画だと思った。

2019?「ニチエイ教室内」

教室の天井には大型扇風機が回る

2019?「ニチエイ絵1」

自分たちが通う小学校かな

2019?「ニチエイ絵2」

自然豊かな山と川の名画

1年生60人。2年生123人。3年生60人。4年生71人。5年生56人。
合計370人の子供たちが学ぶ学校は、教室数が足りずに午前と午後の二部制で
授業を教えている。日本のように6・3・3生ではなくラオスは5・4生である。

小学校5年に中学校が7年。中学の5年生が日本の高校1年生に当たる。
いずれも12年間の教育だが、貧しさ故に山に住む全ての子供たちが通える
わけではない。中には中途退学して町に下りて働く子も珍しくない。

国を変えるのは教育。さりとて貧困からの脱出もまた教育しかない。

2019?「ニチエイバーシー」

旅の安全と健康と幸せを願ったバーシーの儀式

2019?「ニチエイ子供達と」

子供たちと記念撮影


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asia_jiyujin at 02:43|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう