March 2011

March 31, 2011

第2100回「異常気象のタイ王国」

2100「外気温23度」


う〜、なんでこないに寒いんじゃい

朝起きるとベランダの寒暖計の針が23℃を差していた。
吹く風が冷たく体感温度は20℃を下回って感じる。
20℃もあれば十分温かいだろうと思う人もいるだろうが
普段30℃ある気温が一気に10℃も下がればかなり寒い。

例年であればゆうに30℃は超えている時期だと言うのに。
シャツの上にスエットの上下を着て靴下も装着。さらに
先月クリーニングから戻って来たばかりの掛け布団を、
再びビニール袋から取り出して冷え切った身体の上に掛ける。

寒いよぉ〜

例年なら既に暑季に入ってエアコンをつけなければ
汗が滴り落ちるほど暑いはずなのに、異常な寒さである。
そうは言っても我慢できないほどの寒さでもなく、
TVを観れば東日本の避難所で毛布にくるまって
いる被災者を考えるとこれくらいの寒さは我慢せねば。

それにしても今年は年明けのエジプトに始まって
メコン基金のスタディツアーのラオにノンカイ。
さらには2月の乾季に異常な寒さが続き、暑季に
入ってからも再びタイの上空に寒波が襲来してきた。

なんで今年はこうも寒さを耐える日が多いんじゃい

気象局によると28日のバンコクの気温は最低21・2度、
最高29・1度と例年を4度ほど下回り、さらに翌日の29日
のバンコクの最高気温は最低気温が20・6度と23・7度で
例年を約10度下回った。暑期としては異例の涼しさである。

30日も1日中寒く感じた。最高気温が30度を超えるのは
明日以降とみられている。年を追う事に例年と違いすぎる
異常気象に少なからず地球規模の危機を感じてしまう。

2100「洪水レポーター」


2100「洪水腰まで」


2100「洪水傘さして歩く」


一方、タイの国営放送を観るとタイ南部では悪天候が続き28日
までに洪水などで8人が死亡。 サムイ島では大規模な洪水が発生し、
一部地域で旅行者や住民が避難。島と本土を結ぶ飛行機や
フェリーが28日から悪天候のため運休。タイ国鉄も線路が
浸水した区間が多く南部線を運休していた。

こりゃあ、確実に地球の機能が乱れてきているな

昔は数年に幾つか数えるほどの地震や自然災害が、この10年では
世界各地で多発している。今回の東日本の地震は最たるものだろう。
今更だが、環境破壊による自然災害にようやく気付き始めた人類。
徐々に、或いは既に臨界を超えて一気に地球が滅亡に向かっているのか。
ノストラダムスもマヤの予言もあながち間違いではないのかもね。

こんな寒い日は鍋を肴にくぃっと、あ、禁酒中やった。やめとこ



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asia_jiyujin at 00:55|PermalinkComments(2) 気ままな呑んだくれ日記 | 藤岡わこう

March 30, 2011

第2099回「K社長の誕生を祝う」

2099「みんな集合写真」


先週の金曜日のことだ。
前日の夜、K社長のタイ人嫁のNから電話が来た。
「明日は誕生日だから店に来てね」

先週、みんなに失態を見せたばかりのオイラにまたも酒の誘いかよ。
で、誰が誕生日なんじゃい。K社長か。Nなのか。そもそもタイの
誕生会は主催者自ら会場をセッティングして参加者を呼ぶ習慣がある。

タイに来た16年前「今日、オレ誕生日」と不用意に言ったのが運のツキ。
「なら自分で会場を予約して友達を呼ばなきゃね」と同僚に言われる始末。
なんでやねん」異国とはいえ習慣を知らないとは罪である。

仕事中に手を休め、早急にイタリアンレストランを予約して
食事から飲み物の発注。さらに友人知人仕事仲間に電話する。
集まった人が20名。さすがに半月分の給料が一晩で消えた。

以来、誕生日を迎えても人様には言わずに、1人で呑み行って
入った店で祝って貰う作戦に切り替えた。ケチと言う事なかれ。
誕生日は我を祝うことなく、この世に送り出してくれた母親に
感謝する日と考え、産んでくれた母上様を敬う日にした。
(因みに、この考え方は高僧なタイ人に教えられたんだけどね)

ま、この10年ほどの誕生日は帰国して何処かの街に滞在している。
昨年は札幌から実家に移動する途中に滞在した新十津川で迎えた。
その前の年は札幌のススキノでW氏に祝って貰った。その前は・・・。

2099「乾杯たくろう」


2099「乾杯オレ次がれる」


2099「乾杯わかき」


2099「参加者だれ?」


2099「参加者若木&女2人」


話が横道にずれた。で、翌日の夜にどちらが誕生日でいいように
日本酒と写真好きのタイ人を考え写真パネルを持参した。結局
誕生日を迎えたのはK社長。晴れて御年51の歳となりました。

かんぱ〜い。お目出度う御座いま〜す

ポツポツと社長の顔馴染みが集まりだし、気が付けばBOX席は満席状態。
さすがに男だけに花束はなかったが、代わりに日本酒のプレゼントが目立つ。
知った顔から初めて見る人もいる。この1年でいろんなジャンルの日本人
の仲間たちが増えた。これも竹を割ったような真っ直ぐなK社長の性格と
仁義を重んじる人情味溢れる男気のカリスマ性が人を引きつけたでしょうな。

2099「1誕生日ケーキ」


2099「2誕生日かめと抱き合う」


2099「4誕生日泣く」


2099「5誕生日」


2099「6誕生日」


店の従業員が用意したローソクの点いたケーキが運ばれる。
ハッピーバースディーツーユー
少し照れたような仕草でローソクの火を一気に吹き消す。

K社長が感極まって目頭を押さえだした。
「あれ、社長泣いてんの」
「バカ言ってんじゃねぇ」
そう言いながら身体は嘘をつかない。

嫁がそっとお手拭きを渡す。みんなに深々と頭を下げる社長。
「みんな、ありがとよ」
今回旦那に内緒で人を集めたのは嫁のN。さすが内助の功です。

来月の1日で一周年を迎える神楽だが、赤服軍団の騒乱でタニヤの
他店が閉業を余儀なくされた中、紆余曲折を乗り切りながらよくぞ
今日まで店を持たせたものである。5年近くタニヤを取材させて
頂いている身としては、新規店がOPENする度に“活きている店
と明らかに数ヶ月で閉業するであろう“死んでいる店”が分かる。

野望を胸に秘めて真剣にやっている店と、バックに金持ちの日本人
スポンサーがついているような遊び半分でやっている店とでは活気も
熱気も違いすぎる。今やタイ人だけに任せて儲かる店は極稀である。

店側から何かを提供するかではなく、お客様が望むサービスを的確に
提供こそしてリピート客が増える。これP・ドラッガー氏の経営の
哲学の一説。綺麗なおねぇ様を並べておけば来客する時代はもう終わり。

神楽のブルーの灯りは不動客を引きつける不思議なパワーがある。
たまに変なお客も迷い込んでくるけど、来る者拒まず。タニヤでは
珍しくファラン(白人)から日本人まで客層は幅広い。

かつて1人でタニヤで呑むことは皆無だったオレまでも、つい
仕事帰りに寄ってしまう。この気軽さが結構危ないのである。
いずれにしてもこの苦境で1年維持した事は1つの偉業。

「ありがとよ、ファミリー」
この1年で出来た仲間たちをK社長はファミリーと呼ぶ。
「おいおい、ファンミリーってマフィアか」
「ちゃうちゃう、K一家」
と周りで誰かがツっこむ声。

実はこの後集まった仲間たちや関係者が何十人いたのか殆ど覚えてない。
だって、会が始まる前にK社長に呼び出されて近くの居酒屋で日本酒を
4本空けて来たばかり。誕生会もすぐに日本酒を煽っていたからね。


2099「泥酔したぞ」


2099「泥酔したばかり」


2099「泥酔女たち」


2099「泥酔頭セロテープ」


これがいけなかった。またしても途中で不覚にも爆睡してしまった。
痛ぇ」またもセロハンテープが顔中に巻き付いてる。
誰やねんな」でも、起き上がれない。
シャツのボタンが外されベルトが取られパンツが・・・。
こら、ワレしばくど」ダメだ。起き上がる気力がゼロ。

もうアカンわ。人様と一緒に飲むのはしばらく控えよう。
身の危険まで感じてきたぞ。あまりにも無防備すぎるやん。

もう誘わんでくでぇ〜

2099「ダーツとも」


2099「ダーツ爆睡中」


2099「ダーツ起きろよ」


ふと、気が付いたら神楽のラチャテヴィ支店のショットバーで寝ていた。
目の前で誰かがダーツに講じているのだが、頭は完全に寝ている。
途中でK社長に起こされたらしいのだがまったく覚えてない。
記憶にあるのは朝6時の始発のBTSで帰ってきた事だ。

宣言。しばらく禁酒いたします

それにしても酒を呑んで寝るっておかしくないか。かつてオイラと
酒を伴にした人なら分かると思うが、酒に酔いつぶれた姿は見せても
爆睡することがなかっただけに、こう続くと少々心配になる。
もう、そういう年齢になったのか。それとも誰かが悪戯目的に
オレの酒に睡眠薬でも盛ってんのか。

カメ、犯人はお前か

2099「ダーツかめ」


ところで、昨日神楽のK社長より掲載希望の電文が来た。
『神楽では1周年記念として4月1日と2日にご来店のお客様に日頃の
感謝を込めて【1時間飲み放題+女の子OFF代込を1,000B】の
特別料金にて提供して頂けるそうです』
(但しタニアの幽霊ガイド(無所属)とのご来店は200Bアップ)

4月1日って世界中でエイプリルフールだぞ。ま、それはさておき
日本の本社では海運業を営まれている故、今回の震災につきましても
多大なる貢献をされているそうです。店内に義援金の募金箱も設置。

いやはや、見かけによらず社会貢献してまんなぁ

2099「乾杯草野」



って言うかさ、なんでオイラのブログが神楽の宣伝HPになっとんの。
VanillaのN店長を見習ってmixiでコミュニテー作って呟いておくんなまし。



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asia_jiyujin at 00:30|PermalinkComments(3) 藤岡わこう 

March 29, 2011

第2098回「元気印越後母ちゃん」

2098「バンコク時代の郁恵どん」

【バンコクに住んでいた頃のI嬢(左)と千葉から遊びに来たK子(右)】

越後のI母ちゃんからメールが来て1つの疑惑が判明した。


ふじおかじいさん (はなさかじいさんみたいですね。)

里桜はノンブアでさんざん飲んだBEER LEOのリオです!笑
ちなみに、名前の候補で最終的に残ったのは、リオと、アサヒでした。
(元旦に陣痛が来たので朝日とか朝陽とか朝妃とかそんなんがいいかと。)
BEER LEO vs BEER ASAHI
いや、偶然ですよ?
ネタみたいだけど、ネタじゃないし!!
あと、親戚のおじさんが、里桜を”サトザクラ”と読んだみたいだけど、
リオです!!サトザクラって、相撲取りみたいだから!!ヤメテって。
確かに最近ぷっくぷくに太ってきたからお相撲さんみたいなんですけどね。
あと、沖縄のTちゃんは、元気なようですよ!
Kちゃんも、mixiで私のアルバムにコメント寄せてたので、元気みたいです!

なんだか、連日のテレビ、新聞の報道、そしてインターネットの情報を見ていると、
具合が悪くなる・・というか、これは現実なのか?とか思っちゃいますよね。
原発も、政府が発表してるよりも被害はもっと甚大で深刻だとかなんとか・・・

もうわけがわからないですが、ジタバタしてもしょうがないし、冷静に
時には客観的に物事を見て、考えなくてはならないな、とつくづく感じています。
HY先生は自宅近くの有料老人ホームで快適な暮らしを送っているとのことでした.。
ではでは、また折見てメールします。
越後Iかあちゃん

2098「プヤタイ乳児院」


かつて一緒にロッブリィ県のナンプ寺やチェンマイのビエンピンホーム
にボランティアに行った事がある被災した千葉の旭市のK子が無事で良かった。
沖縄のTも元気そうで何より。ところでまだ結婚しとらんのかの。

2098「3月11日の Rio」


ところで、やっぱりそうだったのか

先日のブログにも登場したI嬢の娘の命名の由来が解明されたぞ。
タイの低所得者層御用達のLEOから娘の名前を命名したのは明確。

そう言えば、アイツがバンコクで働いていた時も好んでLEOと
チャーンビアを呑んでたもんな。にしてもよく旦那が反対しなかったな。
そっか、きっと家族にも内緒にしてんだろうな。

娘が大きくなったときにこの事実を知ったら絶対グレるぞ。
いや、I母ちゃんのDNAを持ってんだから絶対呑べぇになるな。
ま、五体満足で元気に生きてくれれば言うことは無いけどね。

I母ちゃん、いま日本は大変だろうけど子育て愉しんでくんろ。
学生時代からの腐れ縁の優しい旦那もイクメンしてくれてんのか。

父ちゃん、母ちゃん、お姐にお兄ちゃん、祖母ちゃんにいつまで
経っても「わしゃ90歳だ」とのたまう明るい97歳の曾祖母ちゃんは
元気にしてるのかな。あれ、昨年逝ったのは爺様だっけか。

またいつかI嬢の実家の縁側で日本酒を傾けたいのぉ。
いやぁ〜、想い出せば懐かしき3年前の越後の旅。
新潟市のK氏夫妻とI女史と呑み明かしたあの温泉も格別だったなぁ。
胎内で手繰った蕎麦の味も忘れられないなぁ。

さて、今夜は蕎麦を手繰って日本酒を呑ん・・・、
いや、今宵くらいは休肝日にするべかのぉ。
と思った矢先に、韓国アジョシから電話が来た。

「ヨボセヨ」
オォ、チョーさん
「アンニョンハセヨ フジサン ペ−コッパヨ(腹へったよ)」
オディロ カセヨ?(どこに行きますか)
「イルシク エ カゴスプタ(日本食に行きたい)」
イルシク
「オデン食べたいチョセヨ」

実はチョーさん、大のオデン好きなのだ。
いつもの播磨屋は先月いっぱいでオデンを止めたので
馴染みの寅次郎に食べに行った。先ずは冷酒で乾杯。

ところがだ“みちのくフェアー”で美味い東北の幸があったのだが
岩手産や仙台産は放射能汚染されているから食べないとのたまう。
食材は全て3月11日前に日本から仕入れた物だと説明しても食べない。

たとえ放射能に汚染されていてもお互い後何年生きてんの
「嫌だ。危険だ。癌になりたくない」

バンコクの他の日本料理店でも同じようなお客が少なからずいる。

食後、和食好きの日本人から家族でイタメシに行くから来ないかと
お誘いの電話が来たが既に食べた後だけに丁重にお断りする。
にしても年中和食を食べていた人が珍しくイタリアンですか。

これも風評被害というのか

因みに居酒屋寅次郎のトイレに貼ってあった
粋なポスターだが意味がイマイチ分からない。
2098「地震」




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asia_jiyujin at 01:13|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

March 28, 2011

第2097回「酩酊泥酔の次が爆睡」

2097「3/18播磨屋」


以前にも一度書いた事があるがオイラと縁が深いイサーン(タイ東北部)の
ノンカイ県の東部が22日にブンカン県として分離し77番目の県が誕生した。

新しい県が誕生したのは1993年に同じ東北地方にアムナートチャルン、
サケオ、そして今年の1月に一児の母になった越後のI嬢や、先日迄
チェンマイに赴任していたA嬢が日本語教師をしていたノンブアランプの
3県が置かれて以来実に18年ぶりになるそうです。

ノンカイはラオス国境のメコン川に沿って東西350キロに伸びた県。東部の
一部地域は県庁所在地から遠く、行政サービスを受けるのが困難だった事もあり、
また、ラオスからの麻薬流入を防ぐため、国境警備の点からも分割が望ましいと
意見があり、昨年8月の閣議でブンカン県の発足が決まった。ブンカンはノンカイ
の全17郡のうち東部の8郡が分離し、同県の人口は約39万9千人、

そう言えばメコン基金から分離して発足したNGO団体がノンカイの東地区を
支援していたが、最近はパッタリと日本から来なくなったと聞いていたけど。
どうする。会員数がメッキリ減りつつあるメコン基金が再び支援の手を差し
伸べるのか。今年帰国したら6月の総会の議題に上げようかしらん。


さて、11日の日本の大震災以降バンコクでも自粛のムードが広がり
すっかり呑む機会が減っていた。いつも浴びるほど呑んでいるような
イメージが巷で囁かれておりますが、実は、日本からの客人が来ない
限りはオレも滅多に酒を口にしないのです。1人酒は侘びしいからね。

そんなある日、神楽のK社長から電話が来た。
「IT関連の客を連れて播磨屋に行くから来いよ」
そのお客様って直接オレと関係のない人でしょ。遠慮した方が・・・
「あれ?酒呑みたくないの。いいからつべこべ言わずに来いよ」
はいはい、行きます。行きますとも。サクっと行きますよ

3日も会わないと電話が来るK社長。
確かに酒は好きだけど言うほどオイラは呑べぇじゃないのよ。
普段から人様に迷惑を掛けずに節度ある愉しい呑み方を心情と
しているつもりなのだが、どうもK社長等と呑むと箍が外れてしまう。

2097「加藤夏希来」


酩酊までは良しとしても最近は必ず泥酔する。人様に迷惑を掛けて
まで酒を呑みたいとは思わん。と言いつつ播磨屋に着く早々に升酒を一口。
オイラの前に加藤夏希似の別嬪なタイ人女性が同席。きっと幼い頃から
お婆ちゃんにトイレを掃除するように言われたんやろうね。
それはそれは綺麗な女神さんみたいです。

きゃんぱ〜い。さ、呑むぞ

2097「オレ呑むぞ」


2097「ご馳走並ぶ」


さぁ〜、それからが大変。広島産の酒も出て来て一気に酒の料が加速。
活きの良いシメ鯖の刺身に広島産の牡蠣も食べ、気が付けばいったい何杯、
いや何本呑んだんだよ。時既に遅し。既にオイラは酩酊していた。

あれここは何処じゃ

2097「加藤夏希」


気が付けば河岸が移っていつもの神楽で呑んでいた。しかも2階席。
何だか嫌〜な展開になってきた。加藤夏希似が目の前にいてる。
オイラの横にはいつもの播磨屋のS氏と面倒見の良いキャバ嬢が座っている。

2097「嫁がVサイン」


2097「踊る2人」


2097「酒池肉林状態」


記憶はそこまで。その間、何があったのかまったく覚えてない。
まったくもって危険極まりない行動と言える。どうやって家に
帰って来たのかさえまったく覚えてないのだ。

おそらくは帰省本能で危なくなさそうなTAXIを選んで乗って
いるんだと思うけど、銃を出されればOUT。酔っぱらって下手に
抵抗でもすれば翌朝にはチャオプラヤー川にプカプカ浮いている。

おぉ〜、想像しただけでぞっとするわい

2097「オイラ爆睡中」


2097「よりかかるオレ」


2097「爆睡するオレ」


2097「漠水中の悪戯」


翌日、K社長から昨夜の愉しい・・・いや、オイラの失態の写真をまるで
嫌がらせのように何十枚も送って来た。オイラが爆睡している間に誰かが
悪戯しておる。谷村新司や研ナオコのものまねじゃあるまいし、鼻から
おでこにかけてセロテープが貼ってあった。どうりで翌朝起きた時に
鼻先とおでこが真っ赤になっていたのか。

誰じゃい。今度やったらただじゃおかネェぞ

それにしても酒を呑んで寝るようになるとは・・・もう、あきまへんがな。
被災地の避難所の人たちのことを考えると・・・反省然りである。



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asia_jiyujin at 11:12|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 27, 2011

第2096回「孫が4人も増えたぞ」

2096「2004ドイステープ寺院」

【チェンマイのドイステープ寺院にてHY教授と学生たち】

宮城のR嬢の安否を心配していた新潟のI嬢からメールが届いた。


藤岡どん。どーもーーー!!
Rちゃん、無事と聞き、とりあえず安心しました。
どんな状況かはわかりませんが、
彼女ならどんな苦境も乗り越えられるはず!!
何か力になれることがあれば是非したいですが、
今は私にできること・・・節電、寄付、祈り、、、そして日常生活を送ること。
買い占めなんて、本当に信じられないですね。
被災地の方々は、少ない食料をみんなで分け合って
やっとやっと食べている状況だっていうのにね。

さて、HY先生の件ですが、 先日メールで連絡があり、
仙台白百合女子大を3年早く退職されたそうです。
なんでも、脚の具合が悪く、仕事を続けるのが困難になったそうです。
(中略)
里桜がもう少し大きくなったら、
遅くならないうちに1度先生の所に遊びに行こうかな、と考えている所です。
藤岡さんも、身体には十分気をつけて、
お酒もほどほどにね!!
タイでの暮らしももう慣れたとはいえ、
そこは外国、いつ何時、どんなことが起こるかもわからないので気をつけてください。
まぁ、日本に居ても、今回のようなこともありますけどね!
ではでは、またー!!
越後のI

2096「里桜祭」


相変わらず元気印のI嬢である。母ちゃんになって益々元気印に磨きが
掛かかっとるばい。彼女を教えていたHY教授が言っていたけど、
「彼女たちは決してIQは高くないけど、人を思い遣る気持ちは人一倍高い」
と褒めて?いた。確かに机の勉強は苦手でも進んで弱者や困っている人の
ケアには感心させられる事が多かった。

オレも数年前、母上様が乳癌の手術を受ける時に帰国して1泊だけ東京に
滞在したのだが、その時わざわざI嬢たち6人が千葉から駆けつけてくれて、
朝まで元気づけられたことがある。ただ、朝まで呑んだだけなんだけどね。
おかげで気持ちが軽くなった。先生が言うように人を思い遣る優しいヤツ等である。

そうか、HY先生は3年前に退職されていたんだ。
オイラが講演に行った翌年には辞められていたのか。
仙台に単身赴任していただけに震災を心配していたが
東京に戻られて余生を愉しまれているのであれば一安心。

どうりでここ2,3年は連絡が無かったはずだ

かつては世界中を飛び回る“空翔る教授”と言われアジアの貧困国で
研究を続け自分が教える何百人の学生たちを海外に目を向けさせた。

日本社会事業大学を筆頭に東京国際大学、東京女子大、東京都立大、
早稲田、法政、明治学院大、大正大学、杏林大学院、関東以外でも
千葉の城西国際大、岩手県立大、九州は長崎大、そして仙台白百合女子大。

海外でもオイラが知っているだけでもタイは国立タマサト大学や
マレーシアは国立マレー大学。多分上記以外にも沢山あるだろう。
HY教授を通じてタイを始めマレーシア、シンガポール、フィリピン
韓国などのアジアやイギリスや米国に留学した学生は数知れず。

数年毎に変わるが上記の大学の学生を引率して毎年行われる
HY教授の海外ゼミ研修を現地で10年近く受けてきた。
おかげで仲良くなった学生は100人を超える。

今でも付き合いのある元学生たちの殆どがHY教授との縁であり、
永久不変の絆が生まれた。HY教授との出逢いでオイラの人生も
刺激あるものになりタイでの出逢いに感謝している。

「退職したらタイでのんびり暮らしますよ」と言っていた先生だが、
オイラも帰国したら一度会いに行ってみるかな。元気でいて下さいよ。

2096「2004大正大&城西合同萩原ゼミ」

【チェンマイのHIV患者支援センターにて】
東京のT大学と千葉のJ国際大学合同HYゼミ研修
2096「アカ族支援施設」

【チェンマイの山岳少数民族アカ族支援センターにて】
東京のT大学と千葉のJ国際大学合同HYゼミ研修
2096「チェンマイAIDS支援センター」

【チェンマイのオランダ人が運営するAISD施設】
因みにハリウッド女優のアンジェリーナジョリーも毎年寄付している。
2096「ビエンピンホーム」

【チェンマイのビエンピンホーム(孤児院)にて】
2096「ナンプ寺で」

【ロッブリィ県のAIDSホスピスのナンプ寺にて】
2096「プタヤイ乳児院

【バンコクのパヤタイ乳児院にて】
2096「2008年タマサト大学」

【バンコクのタマサト大学に来た時のHY教授(右側)】

ところで越後I嬢の娘の里桜ってなんて呼ぶんじゃ。
まさかアイツがタイで毎晩のように呑んでいた低所得者層御用達の
格安ビールLEOから取った名前じゃねぇだろうな。
だととしたら将来娘が呑んべぇになっちまうぞ。


因みに、年明けからすっかりブログの更新を怠っているウチに、先の
越後のI嬢も含めて日本全国各地で4人もの愛孫がこの世に生を受けていた。
いやぁ〜、遅ればせながら皆様マルっとお目出度う御座います



1月3日【東京M子】
あけましておめでとうございます。
お久しぶりです。お元気ですかー?
今年は日本帰国の予定はあるんでしょうか??
私はといえば・・・実は昨年11月に娘が生まれ、母になりました〜(笑)

信じられないかも知れませんが、約1年断酒してます!
ビール飲めないのでノンアルコールビールなんて何の慰めにもならず、
ただひたすら耐えてます。
手指の消毒スプレーをするたびにその匂いで焼酎を思い出す毎日です(笑)

子どもは、寅年生まれ・さそり座の女の柚李(ゆうり)といいます。
生まれた時はどっちに似てるかよくわからなかったんですけど、
最近プクプク太ってきて歯ブラシ王子に瓜二つの娘です。
(旦那はタイに来たときに異常な数のハブラシを買って行った)

ハローワークで職探しをして、日本社会に復帰したばかりだったんですけどねぇ…。
落ち着いたらまた雇ってもらえるのか、はたまた専業主婦でやっていけるのか、
先のことは未定ですが、とりあえず子育てに専念(?)しようかと思ってます。

そんな感じでしばらくは成増でのんびりしてますので、Jさん、帰国して
お時間あったら遊びにきてください〜。

では、2011年もJさんにとって刺激的で愉快な1年になりますように。
健康第一ですよ!

2096「M子さそり座の女の柚李」


ホンマや、旦那のハブラシ王子ソックリやん
そっかぁ〜、とうとうアボシになったのねぇ。お目出度う。
大学在学中に韓国に留学していたM子は、卒業後に大久保の韓国企業(個人店)
に就職して日夜コリアンパワーと闘っていたパワフルなアジョシだった。

毎年帰国すると歌舞伎町で開催する“アジアンジャンキー会”には
必ず参加してくれたコリアン娘だが、今年は旦那と子連れで参加かな。
それとも成増でI氏夫婦と一緒に“孫の会”でランチでも食うかの。

さそり座の女の柚李ですか・・・あぁ、また名前を忘れそうじゃ。
越後かあちゃんの娘が里桜。柚子に桜・・・花見か〜い。


2/19【セルビア Y】
こんばんは、ご無沙汰しています。お元気ですか?
エジプトのデモは藤岡さんの旅行の直後でしたね。巻き込まれることがなくて
よかったです。それにしても大統領の座に30年間というのも相当なものですね。
ムバラク本人というより、周りが辞めさせてくれなかったのかもしれません。

さて、今日は嬉しいご報告です。今まで何もお伝えしていなくてすみません、
父親になりました。予定日は3月4日だったのですが、それより3週間程早く
2月16日に長男が誕生しました!

2466gで少し小さかったのですが、お陰さまで母子ともに健康です。
もともと出産立ち会いのために日本に一時帰国するつもりでしたが、初産だし
少し遅れるかと思って、3月11日に帰る予定にしてました。どうも予約の変更が
できないらしく、予定どおり帰ります。早く会いたいですが、こればかりは仕方ない
ので、もう少し我慢します。これからもっと家族の絆を深めていきたいと思います。

また、前にお伝えしたイギリスの大学院もいくつか合格通知をもらい、何とか行けそうです。
これで確実に9月にはセルビアを発ちますので、藤岡さん、それまでにぜひ来て下さい!

ほぉ〜、Yくんに似て凛々しい顔してますな
胃を切った5年前にバンコクに会いに来てくれたJICA職員のYくん。
その翌年に新宿ゴールデン街で終電ギリギリまで一緒に呑んだYくんだが、
その後セルビアに赴任した彼がとうとうお父ちゃんになったんだね。

Yくんおめでと。これで君も父親の仲間入りやね

と言っても同級生はすでに2人目3人目がいても不思議でない年齢。
オイラが父親になったのは31歳。あれから20年が経ち我が息子は
大学2年生。つまりYくんと初めて会った頃の年齢になったわけだ。

子育ては面白いぞぉ。特に男親にとって息子は自分の分身である。
これから子育て通していっぱい家族の絆を深めて下さいまし。

ところで、メールでは3月11日に日本に帰国したようだけど、
ちょうど東北関東大震災の真っ最中じゃん。大丈夫なのかYくん。
何処で生まれたんだぁ。母子共に無事で元気なのか。もし関東圏なら
放射能漏れを考えると赤ちゃんの授乳が心配だな。母乳がえぇぞ。

そんな矢先2日前にセルビアに戻ったYくんからメールが届いた。

(前略)
その後、日本に帰り、子供と沢山の時間を過ごした後、昨日セルビアに
戻ってきました。行きの乗り継ぎのパリで地震が起きたことを知り、成田の
発着制限でパリで10時間待ちましたが、それでも帰れただけで恩の字です。

日本では基本的に家にいて、テレビも見ていましたが、地震や津波の映像
があまりにショッキングで、いてもたってもいられず、また居たたまれない
気持ちでいっぱいでしたが、直後で何もできずもどかしい日々でした。

JICAでも義捐金の動きがあり、私もこうした支援を続けて行きたいと思います。
とにかく被災地の皆さん、避難中の皆さんの暮らしが少しでも早く安定するよう、
願うばかりです。帰国中、セルビアやイタリアの友達からも心配や励ましのメール
が沢山届きました。皆異口同音に、日本はこれまで以上に強くなって復活すると
信じている、と励ましてくれています。セルビアでも支援行動の輪が広がっています。

息子はかわいかったですよ〜。2,3時間おきにおっぱいとミルクで、私は母乳以外は
できるだけやりましたが、私はたった1週間、妻と義理のお母さんはずっとですから
大変です。ちょうどお宮参りにも行ってこれました。息子の成長と家族皆の健康を
祈ってきました。

私の家族、知り合いはみな無事です。新潟の地元にも合わせて地震が来ましたが、
友達も無事でした。ただし中越地震並みに揺れ、皿などかなり割れたようです・・・

それでは藤岡さんも体には気をつけて元気でいて下さいね。
私もがんばります。


Yくん一家も大丈夫で一安心。メールでは11日に帰国と書いてあったから
さぞや難儀しただろう。バンコクでも成田や羽田行が混乱してかなり遅れた。
世界中の日本行きの飛行機に影響が出たんだろうけどパリで足止10時間は辛いね、

かつて2004年12月26日にスマトラ沖大地震による大津波で被災したプーケット
やパンガー県はテレビや雑誌の取材で何度か行ったことがあるリゾート地。被災後に
現地に行ったらオレが3年前に取材したホテル群がすべて跡形もなく無くなっていた。
港から1キロ先の山間部にタイ軍の巡視艇が流されていたのを見て津波の恐ろしさは
十分知っていたが、今回の東北部の津波の実況はまさにタイを上回る凄さだった。
まったく神様はなんちゅう試練を日本国民に与えてくれたんだよ。

かつて日本が海外の災害に貢献してきた実績は、極めて大きく評価されてきた。各国が
いま人道的支援のために次々と緊急支援に動き出している。同朋として感謝の念である。
タイでも義援金の募金活動が凄いことになっている。支援させて頂いているノンカイの
学校の先生や親しいタニヤのキャバ嬢たちからも日本人として見舞いの言葉をいただいた。
面白いことに、オイラが被災者でもないのにいつも外国人相手に暴利を貪っているような
露店商やTAXI運転手等がやけに優しくなった。仏教国だな、ってか普段からそうしろよ。

しばらく激務が続いたけど無理な頑張りでもオレの身体は案外壊れない。
胃を切って来月で丸5年。生かさせて頂いた事には必ず意味がある。
この目と口、手と足、頭と脳と身体、オイラも人様の役に立つ存在にならねば。

さて、今年は予期せぬ事変や突発的なミッションがやたらと多い。
果たして9月までにYくんがいるセルビアに行けるのかしらん。


今度は沖縄に嫁いだ娘からのメールが届く。

3/11【沖縄K子】
体調はどうですか?仕事も大切だけど、まずは健康な体があってこそ‥、
ブログのパパの画像みて、少しふっくらとしたかなって思って安心したけど‥
ムリは禁物ですよ!

孫の初お披露目〜。仁環(とわ)です(^_^)v
4ヶ月すぎたよ〜あっという間です。
今のところは母乳のみ!ミルク調乳面倒くさい(苦笑)
有り難いことに夜泣きしないんだけど‥6時半、
毎日決まって同じ時間に起きる(-o-;)早すぎる‥!
昼寝はほとんどしません。
『もっと眠ってくれーぃ!』と毎日思ってます(-"-;)

2096「沖縄慶子の子仁環(とわ)」


ほぉ〜、可愛いやんけ。目がK子似だな。おめでとう

ついこないだまでパンツが見えそうな超短いスカートはいて
いた娘が、もう一児のかあちゃんになっちゃったのかよ。

自分の夢を叶えに北海道の端っこから沖縄に就職して
一度は島んちゅうに打ち解けずに奇矯に戻り、再度意志を
固めて沖縄へ。で、知らんうちに島んちゅうと結婚していた。

月日が経つのは早いねぇ

それにしても、とうとう沖縄にも孫が生まれたか。
毎年沖縄においでと言われ続けて早数年が経つ。

そろそろ引退して孫たちに会いに全国巡業の旅でもいくべかの。
東京、千葉、新潟、兵庫、そして沖縄。
いずれ神奈川、山梨、富山、浜松・・・まだまだ増えそうです。


尚、誤解の無いように断っておきますが、上記の子たちとは
一切血の繋がりは御座いません。あるのはタイで出逢った縁。

asia_jiyujin at 12:20|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 26, 2011

第2095回「全ては愛から始まる」

2095「320博美説教される」


先日、寅次郎で呑んだ某医療系大学のA嬢からメールが届いた。

先日、タイで大変お世話になりましたAです。連絡が遅くなりすみません。
無事に帰国し、実家の家族ともゆっくり話ができて安心しているところです。
Jさんのブログを読ませて頂きました。色々とご心配頂きありがとうございますm(._.)m
(中略)
この度は、大変お世話になりました。親切にしていただき、ありがとうございました。
またタイに行くコトがありましたら、是非よろしくお願いしますm(._.)m
長文失礼しました。

S看護大学



彼女自身は東京在住だが実家は福島である。心配していたが家族が無事で
何よりだが、今尚沈静化できない福島県内故に放射能漏れによる
汚染の危機にさらされているのは事実だ。安心できる日はいつ来るのか。

そのA嬢と一緒に訪タイして1人ロッブリィ県に戻ってナンプ寺で
AIDS患者やHIV感染者などの介護を続けていたH美からメールが来た。


Jさん、サワディ・カー。H美です 。今さらですが、、、
9日は本当に映画のワンシーンのようでしたね 。
体調が芳しくないのに走らせてしまい、申し訳ございませんでしたm(__)m
ダンピングは大丈夫だったのでしょうかm(__)m??
(中略)
17日は8年ぶりにJさんにお逢いできて、本当に心から嬉しかったです
ありがとうございました。Jさんに逢った瞬間や、お釈迦様がお迎えに
見えたというお話を聴いた時、低血糖の症状で飴を舐めていた時、Jさんの
リアル体験談の漫画を読んだ時、自然に涙が溢れそうになって堪えていました
ここナンプーでも心優しいタイの方々にいつも心が、、、
言葉や文字にしてしまうと違う表現になってしまうので心の中にしまっています
(中略)
そうそう20日ですが、予定では 20:25着の電車(勿論3等)に乗る予定で
おります。あくまで予定ですが、、、。Jさんのご都合はいかがですか??
Jさんと日本酒を酌み交わしたいH美



2095「銘酒ずらり」


と言うことで、20日の夜にバンコクに戻って来たH美を連れだって、
先に帰国した3人たち同様に懇親と送迎を兼ねて馴染みの播磨屋に行く。
彼女たちが土産で買って来てくれた銘酒八海山を持ち込んで播磨屋のS氏と
盃を傾ける。酒の肴はオイラの郷土料理の石狩鍋に餃子を放り込んだ特別鍋。

かんぱ〜い。くぅ〜うっめぇ最高だね

2095「博美とオイラ」


8年前までは他の大学生同様“普通”に見えたH美も、この8年間で
波瀾万丈の人生を歩みながら多種多様の修羅場を潜り抜けてきたのか
風体や衣装がすっかり山岳少数民族っぽい顔に変貌していた。

福祉系大学を卒業し、一度は旅行会社に就職し、いろんな荒波に揉まれて
いるうちに勤めていた会社を退職して今度は医療系の大学に進学。今も
在学中だが、この間単身でインドに渡り2年間もボランティア活動を体験。

何が彼女を駆り立てるのか。自分探しの旅をしながらタイで知り合う輩も
そうだが、どうもオイラの周りにはモラトリアム症候群系の若者が集まってくる。

先日8年ぶりに駅で再会したときは、山岳少数民族のカレン俗が着るような
民族衣装にビーサン姿。まさに世界中の長期旅行者の聖地でもあるバンコク
のカオサンにわんさかいるようなベテランバックパッカーそのものだった。

どうもインドの2年間が彼女の右脳の思考回路を変えてしまったのか、
集中思考力や感覚が一般人とかなり違った言動が目立つようになった。
その度にS氏がコテコテの関西弁で説教する。ま、バンコクに戻ってくる
電車の中でLEOを2本を空にしてきたらしいから酔ってんじゃん。

何故か言動がブレて話題の結論が出る前に次元が変わる。
再びS氏がコテコテの関西弁で説教する。気が付けば店には我々3人。
タイ人の従業員はとっくに帰宅。結局場店を出たのは朝の4時。

すみません。Sさ〜ん。大変ご迷惑をお掛けしました

それから我が家に河岸を変えて播磨屋で買った酒を呑む。
で、いろいろと話しているウチに振り向いたらH美が爆睡していた。
行動や言動がタイ人特有の超B型気質のそれとまったく同じである。
無理矢理起こして空港に向かったのは朝の5時である。

はぁ〜、あいつ大丈夫かな・・・

そのH美から帰国早速にやたら長いメールが届いた。


Jさん、(長くなります)
お疲れさまです。H美です。
お蔭さまで18:30に無事自宅に帰還しました。
Jさんはその後少しはゆっくり身体を休められましたか?

帰りの飛行機の中では、赤ワインを呑まずに爆睡していました。
オオガタクワガタと瀬戸内寂聴さんが夢に出てきて格闘していました。

きっとタイに来る前に彼女の本を読んで感じたことや、ラオスやタイのこと、
日本料理屋でのSさんのボクササイズ姿のこととが色々ごちゃ混ぜになって
夢に出てきたのだと思います。
(中略)
9日、17日、18日、20日、21日と本当に本当にお世話になりました。
お忙しい中時間を頂いて、本当にありがとうございました。
Mちゃん、Aちゃん、Mちゃんからも、「Jさんに本当にお世話に
なったから再度御礼を伝えておいてね」との伝言を承っています。

20日には日本料理屋さんでJさんと他のお二人の方々からお話を伺えて、
とても幸せでした。あの時間も私にはとても貴重な時間でした。
お二人に御礼を伝えておいて頂けますか?
(中略)
こちらでの災害のことですが、東京、横浜は今は被害はないのですが、
昨日Jさんも仰っていましたが、連日24時間どの番組も悲惨な報道で、
弟が軽いPTSD症状に陥ったらしいです。

学校が1週間自宅待機をしなさいということで、1週間ずっと家に
籠っていたそうです。何も出来ない自分を責めていたそうです。
報道の在り方についても考えさせられました・・・

はぁ、それにしてもあっという間の濃い14日間でした。
色々なことがあり過ぎて、今意識が朦朧としていますが、
この感覚はインドから帰ってきてからずっとあります。

そうそう、『闇の子供たち』、自宅の本棚にありました。
またゆっくり読み返してみます。

本当にJさんと知り合えて、こうして再会できて、
心から幸せに思っています。ありがとうございます。
またお逢いできる日を心から楽しみにしています。
お身体(歯も)どうか大切になさってください。

日本から愛を込めて。

八海山・7月生まれ・飛行機通路側同盟会会員
H美



沖縄の竹富島に結婚する予定の彼氏がいるというH美だが
志は崇高に思えるのだが、どうも思考回路が一般人と違い
天然なのかはたまたインドで人生を達観してしまったのか。

メールそのものはまともに思えるのだが、会話になると
1+1が2にならない言動がやたらと目立つ。それにしても数百匹の
クワガタと瀬戸内寂聴さんが格闘したらどっちが勝つんだろうな。

かつて10年以上に渡って彼女たちのような日本からの学生を
何百人も見てきたが、最近の学生たちの言動や思考の感覚が
まったく理解不能になっている。オレの頭が古いのかはたまた
ネオ人類の彼女たちの考え方が今の時代なのか。

老兵にはようわからんが、自分が正しいと思った道を
真っ直ぐ進めばいいじゃん。

因みに彼女がバイブルと崇めてくれているオイラが執筆した
2冊目の「アジア・アンダーストリート」を今でも持ち歩いていた。
2004月3月10日の日付けでオレのサインが書いてあった。

無限の可能性を持った有限の我々は、喜び悩みながら生きている
これって確か有名な音楽家の格言じゃなかったかな。

8年ぶりの再会を祝して(あれ、正確には7年ぶりじゃねぇのか)
H美から新しい格言とサインを頼まれた。
すべては愛から始まる
これが2011年3月20日バージョンだ。

オレと同じ日本酒好きの7月生まれのかに座の29歳のH美。
ついでにオレも飛行機に乗るときは決まって通路側を選ぶ。
でも、いつの間に同盟会なんぞ創設したんじゃ〜い。

と思ったら同日にまたH美からメールが来た。


Jさん、H美です。2度のメールを失礼します。
(中略)
因みに天声人語はリビアのことを取り上げており、『略。日本では
「対岸の火事」だが、世界経済に遠い戦争はなく、油田で交える砲火に
縮こまるだけである。このうえ油価が上がれば、すでに厳しい日本の
エネルギー基盤が揺らぎかねない。揺れはもうたくさんだ。』と、
曽野綾子氏の『アラブの格言』(新潮社)の一文を引用した記事でした。

なんだか世界、世の中が少しづつ狂ってきているように感じます。
被災地では学校の入学時期の遅延、電力・石油不足、障害者や透析患者の
救済措置の遅延、農産物の放射線物質汚染問題など2次災害が続出しているようです。
被災地以外でも、声欄にもあるように、TV局の報道によるPTSD症状や暴行?、
海外アーティストの来日公演中止などが相次いでいるようです。

これからが長い長い闘いになるのだろうと思います。
気力だけで乗り切れる期限は限られていると思うので、少しでも何かできることを
これから行動に移さないとならないと考えています。

20日は、オウム真理教の地下鉄サリン事件から16年の日だったそうです。
私の大学隣接の病院が関わった事件であり、沖縄の石垣島でその犯人の1人が
捕まったこともあり、Jさんと知り合ったのも、彼の誕生日も3月ということもあり、
3月という月は何かとても深いものを感じます。

それでは又。
H美



なんじゃ、かなりまともに客観的に物事を見る冷静さをもってんじゃん。
バンコクで再会したときはフリだったのか。ま、1つだけ言えることは
彼女は底辺から確実にアウフヘーベンして1つ上の次元に行かれたようだ。


さらに翌日ふたたび彼女からメールが届いた。

お疲れさまです。毎度H美です。
昨晩、竹富島に住む彼にも電話したところ、
連日の報道でPTSD症状に陥っていました。

リーマンショック以降、彼のお店も、沖縄の離島の
観光客も激減したそうですが、今回の震災の影響も、
彼の住む竹富島をはじめ、八重山諸島にも多大な影響を
及ぼしている模様です。。。

明日は約3週間ぶりのNHKのBS関連のテレオペの仕事です。
色々な電話がかかってくることと思います。。。
では、また。

今度カラオケ行きましょうね。
Jさんの十八番を聴きたいです。

昭和フォーク&シャンソン&演歌大好きな、おやじ〜な29歳H美より



どんな劣悪な環境でも耐えられない哀しみを伴っても
その苦境を乗り越えて生きなきゃならんのが我々人類に
与えられた生きる意義。諦めたら全てがそこで終わる。

地震や津波被災や放射能汚染の被害で世の中が大変なときに
酒は呑めてもお気軽に歌なんぞ唄う気分にはならんだろうに。
因みにオレの18番は“島唄”じゃ。



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asia_jiyujin at 10:28|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

March 25, 2011

第2094回「懐かしき人生の師匠」

2094「福島原発放射の漏れ」


福島の原発事故による放射能汚染被害が深刻化している。
安全な“生活水”が確保できないでいる首都圏の国民たち。
兄弟や親戚、縁ある大事な友人知人が多く住んでいる街。

アジアでは“水と安全は金で買え”と言われるくらい、タイ
でも飲料水はコンビニなどで買うのが当たり前になっている。
だが、日本ではよほどの金持ちか、或いは健康や流行で買う
ことはあっても一般的には水道水で賄っているのが実状だろう。

昨日、取材先の店の社長さんと話をした。ちょうど地震が発生
した3月11日にも会っているだけに、話題はどうしても今の
日本の現状になる。当然ながら放射能漏れによる大気汚染の問題。

「子供の頃は東京の空はねずみ色でいつもスモッグ警報が出ていたよ」
僕は北海道の田舎町だから空気だけは澄んでいたっけなぁ
「今は昔より良くなったけどバンコクも綺麗じゃないよね」

かつて高度成長していた東京首都圏は、排気ガス規制のない車が
年々増え続け黒煙が棚引く工場も彼方此方に立っていたという。

16年前、オイラがバンコクに来た当初も、常に大渋滞の街の空は
白とねずみ色との二層にくっきり別れていた。今でこそ黒煙を吐いて
街中を走っているのは路線バスくらいで他は排ガス規制の新車が目立つ。

それでも未だに解消する事ができないでいる大渋滞の影響は
そのままバンコク首都圏の空の色を薄ねずみ色に染めている。

「こんな汚れた空気の街でもう15年以上も住んでいるんだからね」
それでも病気にならずに生きてんだからね
「でも、フジさんは癌やってるでしょ」
あぁ、あれは確実に仕事のストレスですよ

太陽光線だって一種の放射能だ。あんな熱い光線を毎日浴びている
タイだってみんな元気に生きてんだから、水が野菜がとあまり過敏に
なり過ぎるのもどうかと思う。農家や酪農家たちも風評被害で二次災害。

丹精込めて作った野菜が食べられずに処分され、栄養満点の牛乳が
出荷されずにそのまま廃棄処分される。アフリカには満足に食べられない
子供たちが数百万人もいるというのにね。複雑な思いでニュースを観る。



3月4日【バンコク】

人生の師匠でもある横浜のI氏が初めてタイに来た。今年の1月に
13年ぶりにエジプトのカイロで再会したB氏は13年ぶりだが、
I氏も12、3年ぶりの再会になる。今年は懐かし人の再会年かね。

以前も1度ブログに書いたことがあるI氏との縁は、簡単に言えば
オイラが34歳で離婚した後の一番の“酒呑み友達”である。
休日の前日には「フジさ〜ん、飲みに行くよぉ」とお決まりのお誘い。

札幌・千歳・苫小牧地区の建築業界の第一線で働いていた時代に、
当時神奈川県から転勤して来られたI氏のアパートにひょっこり
飛び込み営業に行ってからの縁だ。何故かすぐに気に入られ居間に通された。

普通の飛び込み営業は大抵の場合は玄関先の説明で終わるのが常。
数千万円もする新築の営業である。新聞や牛乳の勧誘とはジャンルが違う。
あれよあれよと話が進み新築が完成。その後も我が息子とI氏の娘さんと
仲良くなり、よくお泊まりしていた。その間父親組は子供を肴に酒を呑む。

35歳で勤めていた会社に辞表を出してタイに渡航するのを決めたときは、
将来のために働く会社が必要だと、勝手に設計コンサルティング事務所の
創設を進め、自ら株の16%を買って筆頭株主になってくれた。

面倒見が良いと言ったらそれまでだが、師匠とはそれ以上の仲だった。
実は師匠はマル3バツ3の娘1人の独身貴族である。コンピューターに
長けていてオイラが最初に教わったのもI氏だった。

オイラが離婚した当時は、I氏はバツ2だったが、兎に角明るかった。
「バツの1コや2コで人生暗くしてどうすんのよ」と休みの前日毎に
もう1人の社長と通った日本酒専門店で呑んだ酒がなんと84銘柄。

で、行き着いた酒がオイラが越後が産んだ八海山。師匠が久保田の万寿。
もう1人の社長が富山県の銘酒立山。兎に角この3人で事あるごとに
日本全国の銘酒を呑みまくっているうちに、とうとう幻の酒でもある
夏子の酒”の原酒にもなった“亀の翁”を口にする機会に恵まれた。

生があるウチに1回でも呑めたら幸せ者だと言われた貴重な銘酒。
北海道では滅多に手に入らない720mlを2万円で買った。蔵元から
手に入れるためには人気のない酒も買わねばならぬ抱き合わせ商品。

くぅ〜、うっめぇ〜。これってまるでコクのある澄んだ水じゃん

以来、オレが異常なほど酒好きになったのは、この人との出逢いからである。
人生で一番落ち込んでいたときに、立ち直る切っ掛けをくれた恩人であり
人生を愉しく生きる達人でありオイラの生涯の師匠なのだ。

その後師匠は会社の辞令で中国の大連に転勤。翌年上海に転勤するも
中国人との仕事の考え方の違いに辟易して退職。今は関東圏の
浄水場に勤めて日々綺麗な“を都民に提供する職に就いている。

し〜しょう〜、お久しぶりですぅ
「おぉ〜、ラマステ」
それインドです

師匠と、実に12年ぶりにバンコクのホテルで再会した。
言葉はなかった。お互い無意識にハグした瞬間に走馬燈のように
昔の愉しかった時代の回想シーンが一瞬にして頭を流れた。

2094「くすのき」


行きつけのホックシャークでフカヒレとアワビ雑炊のコースをビールと
紹興酒で乾杯。その後、オイラの仕事場でもあるタニヤに移動し
これまた行きつけのくすのきでAiuちゃんを使命して持参した
日本酒を呑む。さらにハシゴして神楽行くもK社長が田舎へ行っていたので
Hに日本酒を預かって貰い黒霧島を呑む。(あれ、あの大吟醸どうしたっけ?)

話は尽きなかったが、日本から一緒に来ている同輩たちとの予定が
翌朝早いと言うのでホテルまで送って別れた。

その5日後の9日。1人だけ先に帰国されるというので空港までTAXI
で送りチェックイン後に、持っていたタイバーツを全部使っちゃおうと
空港内の日本食レストランで刺身と寿司を肴に再び酒を傾けた。

次回は横浜で呑みましょう
「じゃ、グッドラック」

2094「エアポートリンク」


TAXIで帰ろうと思ったが1月にエジプトから戻った時に初めて乗った
エアポートリンクを想い出して再び利用して自宅に帰ってきた。
電車30BのTAXIが55Bの合計85.。主要時間30分。意外と
便利で早いことを再認識。でも未だに赤字路線が続いているらしい。


先日、師匠から自分が住んでいる神奈川県内の状況が送られてきた。

福島原発が今だ安定せず冷却用放水がやっと始まった状態
地震対策は出来ていたが津波は想定外だった為対応が後手々に廻っている
お陰で 東京電力の計画停電で電車の運休や間引き運転おまけに
ガソリン、石油、が供給されず、通勤や毎日の生活に支障が出ている

計画停電で浄水場も緊急対応、一部で断水 土曜、日曜は
計画停電が中止の為やっと家の事に手がつけられた
少しずつ ガソリンの供給が始まったが・・・スタンドは
凄い車の列自分は仕事の関係上優先給油 申し訳ない

そんな中 9日ぶりに石巻で80歳と16歳の二人が救出された、
諦めたらいかん。想定死者2万人以上、今だ 信じられない。
水道事業もライフラインの一つ明日からも頑張らねば。


初めてタイに来られて地震が起きる2日前に帰国した矢先の大惨事。
加えて福島原発爆発による放射能漏れにはさぞや驚かれたであろう。
バンコクにいても被災地の状況や政府の対応や関東周辺の計画停電に
よる不便さ、そしてもっとも恐れていた放射の漏れの被害状況は
毎日手に取るように伝わってくる。

幸い、石巻や仙台の友人の安否が確認できて少し安心しているが、
被災地や避難所の状況を見る度に何も出来ない自分に歯がゆさを
感じる。異国にいて出来る事は仏陀への祈りとブログの更新。

タイは震災後すぐに被災地の復興に向けて王室、政府、法人、個人と
あらゆるメディアを含めて義援金の募集を呼びかけている。タイは
2004年にスマトラ沖の大地震の津波被災で多くのリゾート地が
打撃を受け大きな哀しみを乗り越えてきた国だけに人事ではない。

安全な“生活水”を供給している神奈川の某浄水場に勤務する師匠だが、
全てが想定外だけにマニュアル通りの対応では処理しきれないらしい。
無理な頑張りはストレスの元であり時間的にも持続出来ないと思うけど
は全てにおいて生命の源。師匠の尽力を南国の空の下から祈っています。



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asia_jiyujin at 12:17|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 24, 2011

第2093回「ミッション無事終焉」

2093「原発ニュース」


東北関東大地震を受け、009に続いてTOT(タイ電話公社)008も
タイから日本への国際電話通話料金を今月末まで無料にすると発表した。
全国で展開されている【東日本大震災義援金】の募金活動や、タイ在住
の邦人や日本で就労しているタイ人や留学生に配慮した厚意に感謝だ。

ところがいくら北海道の実家に電話しても一向に繋がらない。地震が
発生した11日に電話したときも日本はすぐに緊急回線に切り替えられ
たらしく一切繋がらなかった。

仕方なく札幌の友人にメールして何とか母上様の安否を確認した次第。
ま、実家は内陸地だから津波の心配はないけれど、何せ一人暮らしの
後期高齢者故に倒れた箪笥の下敷きになっていたら大変だ。

タイに在住している約22,000人の日本人が今回被災した県の出身者
らしく、おそらくは回線がパンクするほど毎日掛けているのかしら。
と思ったら昨夜ようやく繋がった。

オレオレ
「はい、どちら様ですか」
だからオレだよ
「オレオレ様ですか」
お〜、まだボケてないね

実は“オレオレ詐欺”防止のために数年前から母上に電話するときは
必ずこの遣り取りを繰り返す。以前まではすぐにオイラの名前を
言うのでこりゃあアカンなと思った。

地震直後はかなり揺れたらしく、しばらく天井の照明器具が揺れて
船酔いしたような気分になったらしい。まぁ、戦争当時は空襲を体験
している昭和の女。オレの親父が他界した後も再婚することなく
2人の息子を育てた気丈な母親である。

神奈川に住む兄貴からは相変わらず連絡が無いらしいが、東京に住む
姪っ子からはスーパーなどで食料が売られてないと嘆いていたらしい。
たまにしか連絡しないから母上様は話し出したら止まらない。

裏のおばちゃんがどうだとか、●○さんは昼間っから酒を呑んでいる
とか、雪が溶けないから自転車が乗れないだとか、地デジ対応でデッカイ
液晶テレビを買ったけどリモコンの使い方がよく分からないとか、
あーだ、こーだと井戸端的なローカルな話題を20分ほど話した。

「貴方、お酒呑みすぎてないだろうね」
げっ、なんで知ってんの
「今度は肝臓を壊すから控えなさいよ」
酒は百薬の長だからね

47歳で他界した父親は一切酒を嗜まなかったが、爺様が浴びるほど
呑んでいたらしい。つまりオレはまさしく隔世遺伝やね

「電話代が高くなるからもう切りなさい」
あ、これね。無料なのよ
「あら、そうなの」

タイ電話公社の無料サービスを説明すると、それから再び選挙の話や
孫の卒業した北海高校が甲子園で初戦を勝った話など、気が付けば
30分が過ぎていた。

お〜い、もう切るぞ
「はいはい、じゃあ身体を大事に元気でね」
お袋も元気でな

実家の美瑛町は外気温10℃。まだまだ春は遠い。
兎に角、認知症の兆候もなく元気そうで安心した。



2月11〜16日【バンコク】

さてさて、年が明けから数えて11組目の楽しみにしていた札幌組さま。
帰国する度にお世話になっているロータリアンのW氏とそのお友達3人様。
昨年帰国したときも小樽で究極のウニ御膳をご馳走になったり、札幌でも
頻繁にススキノに繰り出して極みの食膳を堪能させて頂きました。感謝。

今回W氏はロータリークラブの検証視察ツアーでタイ東北部のウボンラー
チャタニからノンカイまでの長距離を移動してからバンコク入りした。
この8年ほど、通訳などを含めて毎年ノンカイに呼ばれていたのだが、
今年はWSCの委員長も替わりとうとうお役御免になった。

そろそろ引退の時期だな

メコン基金のサポートもだが、次なるステージに移るためにも老兵は身を引いて
後輩に道を譲る時期なのかしらね。ま、本音を言えば枠やしがらみから逃れて
身を軽くしてもっと自由気ままに生きられたらと思っているんだけどね。

「今でも十分自由に生きとるやんけ」とご指摘される事もありますが、これが
見た目と違って意外と多くのしがらみの中で不自由を感じることも多いのよ。
とは言え、真の自由は不自由さの中にあってこそ実感出来る」と偉人が名言。

脱サラして自由業に身を置いてから早22年。「自分の生きたいように生きたる
中学2年の時に授業をエスケープして町内の図書館で偶然見つけた稲田耕三著
高校放浪記”全4巻の中の一節。以来、敢えて人様と違った生き方を選択。

人生は一回限り。ならば自分の信じた道を好きなように生きたらんかい、と挑戦。
で、気が付けば日本を脱出して底辺を探索しながら人生を模索している。果たして
この生き様が正解だったのか間違っていたのかは棺桶に片足入れたときに分かる。

1つだけ大事にして来たのは、袖振り合った多生の縁。縁を活かしたことで
沢山のしがらみが出来ちゃったけど、それも人生を愉しむ為の自分の財産。
結局人生は1人では生きられないのよ。というか1人で生きちゃダメなのね。

と言うことで、袖振り合ったW氏との付き合いも早8年、ん9年か。
俗に人間関係には“ウマが合う”とか“相性が良い”とか言うけど、
アジアの偶然が何度も重なり、呑んだスコッチの本数は数えきれず。
呑んだ場所も札幌、旭川、銀座、新橋に中国は昆明と上海。もちろん
タイでも何度も呑んでいる。おかげでタイで知り合った人たちの中では
一番絆が太い存在かも知れない。

「何だよ、結局酒かよ

いえいえ、一緒に呑める相手がいると言う事は人生最高の幸せじゃん。

2093「八海山」


2093「立山」


2093「土産の大吟醸」


と言うことでゴルフにマッサージにグルメにショッピングにと例年同様
お寺や遺跡観光に行くことなく、連日ゴルフで汗を流して按摩で身体を癒し
中華やタイ料理や和食などで旨い酒を嗜みながら夜はクラブで愉楽の時間。

2093「バニラ」


2093「クリスダぬい」


2093「ストロベリー」


ただ、今回は初めて訪タイされた札幌でマッサージ店を営むK氏がタイ古式
マッサージを修得したいとリクエストされていたので、得意のネットワークを
駆使して国立チュラロコーン大学病院でも教えている女医に個人指導して頂き
最後の試験をクリアー。見事最終日に修了証を授与されて晴れて免許皆伝。

2093「修了証書授与」


こうして1月17日から休む事なく続いた1ヶ月のミッションが全て
無事に終了した。毎年のこととは言え、これ以上増えたら身体が持たん。
縁が増えれば増えるほど自由な時間が減っていく。でも、これも使命なのかもね。

実はこの5日後に千葉県の柏から団体が来る予定だったのだが、問題が発生
して急遽キャンセルになった。帰国するといつも癒しの空間を提供してくれる
N女史からのご依頼だっただけに非常に残念だった。次回に期待ですな。

さ、明日っからも元気に行くべぇ

その前に韓国アカスリに行って日焼けして溜まった垢を
綺麗に洗い流して貰ってリセットするべか。


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asia_jiyujin at 08:48|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

March 23, 2011

第2092回「アムステルダムから」

2092「アラー」

【オイラも毎日ひたすら無事を祈った】

人伝で安否が確認されていた宮城のR嬢から待望のメールが届いた。


藤岡さん
連絡がなかなかできずに大変ご心配をお掛けしました。
お陰様で、私も家族も全員無事で元気です。
(中略)
地震発生当初は父と姉が仙台港の近くで働いていましたが父は自力で避難、
姉は(幼稚園の先生)は浸水した幼稚園の2階で園児たちと2日間過ごし、
2日目の夜に、自衛隊の方に無事救助されました。
車などは津波に流されてしまいましたが、母も私も無事でした。
私の自宅は、高台にあるので地震や津波の被害は免れ、
避難所生活をせずに、自宅で暮らすことができています。

3日前から、電気や水道ももどりつつあるようです。食べ物も大丈夫です。
タイやエジプトの生活で、電気や水のない生活や突然のハプニングには
慣れているつもりでしたが今回は今まで経験した事のない日々で、まさか
日本でこんな思いをするとは思ってもいませんでした。
亡くなった知人に花を渡す事もできません。

しかし、私は家族も無事ですし、住む家もありますから、甘えた事を言っては
いけませんね。災害は仕方のないことですから、無事であった事に感謝して
頑張るしかないと思っています。私でさえ余震や原発の事でまだまだ不安なのに、
避難所で生活している方や、大切な人をなくした方を思うと本当に言葉では
あらわせない気持になります。

パソコンが昨日まで使えず、ご連絡が遅れた事申し訳ありませんでした。
藤岡さんのおっしゃる通り、こんな時に一番励みになるのは、
心から心配して世界中から連絡をくれるみなさんの言葉です。
本当に感謝しています。

エジプトの反政府デモの影響で一時帰国して、宮城で今回の災害に
遭遇したのは私にとって絶対意味のある事だったのだと思っています。
藤岡さんもどうかお体には気をつけてください。
タイのみなさんにもどうかよろしくお願い致します。


2092「理恵助かる」


よかったぁ、よかったぁ、本当に良かった
無事に生きていてくれて本当に有り難うである。
アラーも仏陀も彼女を見守ってくれたのか心から深謝だ。

地震や津波が襲ってきたときはどれほどの恐怖だったのか。
呑み込まれる車や流される家を何も出来ずに傍観するだけ。
自然の前ではいかに人間は無力なのかを思い知らされた瞬間。
未だにこの現実を受け入れられない人も大勢いるだろう。

「なぜ宮城が・・・、どうして岩手が・・・、そして福島が・・・」
今や日本列島のどこでも起こりえる大地震。安全と言える場所は極稀。

壊滅してしまった生まれ育った街を見るのは忍びないだろうが
これからが行政含めて地域が一丸となって復興していかなければならない。
NZが、インドネシアが、プーケットが、かつての被災地はその哀しみを
乗り越えて明るい未来を信じて生きている。運だけではなく生き残った
人たちには必ず意味があるのだと思う。

2092「シスター」


苦境に負けるなよR嬢。いつかまたアジアかアフリカの空の下で
再会出来ることを楽しみにしています。本当に生きていて良かった。



2月11日【バンコク】

先月の電気代が平月に比べてかなり安かった。それだけ部屋にいる
時間がない事を意味している。さて、今日も部屋を出て街に向かう。
先日オランダから日本人の友人が訪タイしている。

昨年までは名古屋の鮨屋で働いていたKくん。ひょんな縁が切っ掛けで
毎年遊びに来る度に会うようになった。実家は豊橋の100年続く老舗の鮨屋。
いずれ家業を継ぐ身だが、若いウチはよそ様の飯を食いながらの丁稚修業。

予てから海外でウデを試したく、バンコクでもオイラの友人の店を
紹介したことがあったが残念ながら現実には至らなかった。

ま、夢を捨てなきゃそのうち縁が出来るよ

そんなある日、突然彼の前に前髪のあるチェンスの神が舞い降りた。オイラ
も何度も経験しているのだが、タイという国は摩訶不思議な出逢いが多く、
日本ではあり得ないようなシチュエーションで、それがあたかも人生を変える
ような必然的な出逢いが度々起こる国である。一分一秒違っても出逢えない
ようなまさに“袖振り合うも多生の縁”的なミラクルな縁。

実はKくんと共通の友人Y君がバンコクの某テーラーに勤めているのだが、
彼が前日Y君から借りたお金を返しに店に行った際に、偶然アムステルダム
から来ていたホテルオークラの日本食レストランのオーナーと出遭った。

まさに運命の出逢い

海外で就職を希望していたKくんと将来バンコクにOPENする予定のホテル
オークラの日本料理人を探していたオーナー。あれよあれよと話が進み、
昨年の秋に10年勤めた名古屋の鮨屋を退職して単身オランダに飛んだのだ。

10数馬が訪タイ」


で、近況を知らせにキャイ〜ンの天野似の友人を伴ってタイにやってきた。

よ、元気
「どうも藤岡さん。久しぶりです」
馴染みの神楽で待ち合わせをしてテーラー勤務のY君も交えて4人で呑む。

どうオランダは
「寒いですねぇ」
緯度的には北海道より上。先月行ったエジプトより遙か北である。

そりゃあ寒いだろ
「いずれ遊びに来て下さいよ」
五つ星のオークラに泊めてくれて寿司が食えるならいつでも行くど。

アフリカ大陸の次はとうとうヨーロッパに上陸のチャンスが到来。
そう言えばセルビアの友人にも会いに行かねばならないしね。

身体が言う事を利くウチに行ってみるべかの

今宵は酩酊を超えて泥酔したのか殆ど覚えてない。
今やタニヤで酩酊しているオイラの姿は珍しくもない。
ただ、顔馴染みのタイ人からは呑みすぎを指摘されている。

「胃の次は肝臓壊しちゃうからねぇ〜」
はいはい、わかっとりまんがな・・・
因みに土産で貰ったオランダ産のゴルゾンチーズがなまら酒に合う。



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asia_jiyujin at 06:37|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 22, 2011

第2091回「最北端の離島から」

2091「フェアウエィ」


先日帰国した某医療系大学のM子から東京近郊の情報が送られてきた。

Jさんへ
17日に、H美たちと共にお世話になりましたM子です。
お忙しいところ遅くまでお付き合いくださって本当にありがとうございました!
Jさんのお話が面白いので、ずっとおしゃべりできてとても楽しかったです。
(中略)
東京近辺の情報について、私よりご存知かもしれないけれど、
いちおう、お伝えしておきますね。
成田空港の中は、まるで何事もなかったかのようでしたが、
リムジンバスは運休が目立ち、電車も2〜3割の運行で各停のみでした。
小売店は休業していたり、なるべく電気をつけないように、
暗い中で営業しているようでした。

コンビニやスーパーでは牛乳やら卵やらパンや、とにかく食料品を売ってないです。
ガソリンもないみたい。計画停電は毎日実施されているけれど、皆で気をつけて、
なるべく電気を使わないように生活すると、停電しなくても済むらしいです。
それでも地震自体の被害はほとんどなく生活に大きな不自由は感じません。
青森にいる親戚によると、青森の方は人口が少ないので、
食料品やガソリンがないということは、まったくないとのことでした。

私の家は川崎市(世田谷区のすぐ近くの辺り)ですが、
両親の話によると、放射能の被爆レベルが2倍だとのことです。
なので、なるべく外出しないとか、外出は1時間以内にするとか、
窓を開けない、洗濯物を外に干さない、程度の対策をしているようです。

でも、原発の事故現場は、予想にたがわず、報道以上の状態らしい。
私の姉の知り合いが、福島で原発だか区役所だかの職員をしているのですが、
帰宅も許されずに原発の消火活動に当たっているらしいです。
事務職員なのに・・。
ニュースではレベル5だと言っていますが、それ以上かもしれませんね。
Jさんは、日本には当分いらっしゃらない方がよいと思います。


2091麻由子」


ふ〜ん、そうなのか
ま、当分帰国する予定はないし、夏の帰国は羽田空港でトランジットして
都内に出る事なくすぐに北海道に飛ぶから特に放射能の心配はない。

だが、ちょっと過敏過ぎではないだろうか。メディアやマスコミが挙って
原発事故の放射能漏れ事故を過剰に報道すると「日本=危険」の図式が
出来てしまい、それは同時に日本の経済が一気に低迷する事を意味する。

いくら政府発表で危険はないと明言しても海外はそうは思わない。
既に日本からの食物などの輸入物資に対して放射能検査が厳格化し、
さらに世界中が日本への出張や旅行を見合わせる動きが加速している。

タイでも、旅行会社協会によると3〜5月の日本行きツアーのほぼ全てが
16日までにキャンセルになり損失額は30億バーツに上る見通しと発表した。
さらに観光サービス協会の会長によれば、タイ正月(ソンクラン)期間中に
日本旅行を予定していたタイ人の7万人がキャンセルする見通しだという。
日本を観光目的で訪れるタイ人は年間約30万人。ツアー料金は平均して
一人5万バーツ。今後3カ月は日本観光が冷え込む可能性が高いと発表。

急速に人気が高まりつつあったタイからの日本旅行が激減し、さらに
中国人が放射能汚染を懸念して日本に行かなくなれば、それこそ日本の
経済に大きく影響するだろう。もしかしたら今年の6月に帰国したら、
毎年台湾人や中国人で賑わっていた我が故郷が閑散としているのかしら。

一方、日タイ観光振興協会では今年は年間120〜140万人の日本人
観光客を見込んでいたが、東日本大震災により日タイ観光が一時的に
冷え込むとの見方を示している。昨年のバンコク騒乱後に政局も安定し
観光客も増え始めた矢先だっただけに再び観光業界が冷え込むのは辛い。
2091「原発事故CNN」


確かに地震も津波も怖いが放射能汚染はもっと怖い。体験したことがない
だけにその恐ろしさを知る術はない。だが、一括りに日本全国が放射能汚染
されているようなイメージが浸透すれば、海外からの観光客やビジネスマンが
激減し、ましてや安心安全のメイドインジャパンの神話が崩壊して物が
売れなくなることの方がもっと怖いと思うのだが。

地震に津波に放射能汚染。次々に問題が発生し、日本は戦後最大の窮地を
どうやって乗り越きるのか政権交代したばかりの今の政府の手腕が問われる。



2月6〜10日【バンコク】

今日から5日間は日本最北端の離島の利尻島から(実際は礼文島)
4人組がやってくる。旧知の友人から紹介されて今年で3年連続になる。
今回の宿泊先ホテルはチャオプラヤー川に面したかのアジアNO.1と称え
られたオリエンタルホテルのお隣の五つ星ロイヤルオーキッドシェラトン。

2091「五つ星ホテル」

【川を挟んで対岸にはペニンシュラホテルが見える】

実は、我が家からこのホテルまではBTSと船を乗り継いで
小一時間は掛かる。バンコク都内の地図では右端から左端になる。

宿泊する方は夜景も綺麗で部屋もゴージャスだからかなりリッチな
雰囲気に浸れるのだが、アテンドするにはちょっと遠いホテルなわけだ。
滞在中は3回のゴルフ。大渋滞になる朝のお迎えが大変で御座る。

さて、今朝の6時にバンコクに到着された4人組様。1年ぶりの再会も
今日の昼からラウンドしたいと申される。兎角日曜日のゴルフ場は現地の
日本人駐在員も多く、さらに近年再び急増している韓国からのゴルフ旅行で、
バンコク近隣は何処も滅茶滅茶混み合っている。

と言うことでオイラがセッティングしたゴルフ場はバンコクから
車で1時間20分のところにあるロータスバレー。3年ほど前に
完全リニューアルされたバンコクでは珍しく綺麗なゴルフ場だ。
日本人が監修した事もあって、クラブハウスは日本と殆ど変わらない。
通常タイのゴルフ場にはシャワー設備しかないが、ここはお風呂まで完備。

実は胃を切る前までは現地のGダイやバン週のスタッフ達に誘われて
よく来ていたゴルフ場だ。当時はワールドトレードと言う名前で。
クラブハウスは限りなく小屋に近くバーター料金で300Bの激安だった。

それがどうでしょう。すっかり生まれ変わってキャディの教育も
しっかりされていて下ネタや下品な話題は絶対話せない雰囲気。
フェアウエーもベルベットの絨毯のようにふっかふかなのである。

でもこの日は日曜日のため5人でプレーは出来ないので
ロッカールームで溜まっていた書物を読んでいた。

あれ、どうされたんですか
「いやぁ〜、あんまり暑いからさぁ〜」

4人組の中で一番のご高齢のNさんが、あまりの暑さに耐えきれず
ラウンド途中でリタイアしてきた。極寒の北国との温度差は50度以上。
その1時間後に3人も汗だくでラウンドを終えて戻って来た。

「いやぁ〜、藤岡さん暑いわ
そりゃあタイですからね。でも今日は涼しい方ですよ
「これで涼しいってかい。いや〜参った」

暑い暑いと言いながら毎年多くの友人知人がゴルフ目的で
訪タイされる。特に北海道は関東や西日本と違って11月には
クローズになって雪が溶ける4月迄はシーズンオフになるからね。

さて、翌日はオイラもゴルフに参加。OUT47 IN50の97。
最近は後半になると一気に集中力が欠如する。低血糖対策に甘い物は
事欠かないのだが、如何せん寝不足による体力低下は否めない。

2091「ディドリ」


2091「ドリームランド」


3日目は馴染みの店の子を伴ってバンコク郊外のDream Worldに行く。
何かというとタイ版ディズニーランドのような巨大遊園地だ。
3Dシアターやお化け屋敷や恐怖のエイリアン襲撃館。
スペースマウンテンに巨大ブランコにドラゴン。

子供や若い娘たちは愉しいだろうが、いい歳したおっさん連中にはちと辛い。
それでも非日常的な空間に時間を忘れて一時の青春時代にタイムスリップ。
実はこの日4人組の1人がタクシーの中に携帯電話を落としたのだが、
同乗した女の子がタクシーのナンバーを覚えていて無事に手元に戻って
来た。タイではタクシーの落とし物は滅多に出てこない。特に現金や
金に換えられる物は特にだ。

たまに“正直タクシー落とし物を届ける”という心温まるニュースが
新聞の一面を飾ることはあるが、殆どの場合はそのままくすねてしまう。

「良い運転手で良かったな」

みんなして喜んだが、どうもオイラが推測するにはこの運転手はどこかの
ショップに売りに行ったが、日本のドコモが買い取って貰えなかったので
謝礼金欲しさに持って来たと思われる。ま、どちらにしても良かった。
感心したのは女の子たちの対応だ。すぐにコールセンターに連絡して
覚えていたタクシーのナンバーで探し出す独自のネットワーク。感謝だね。

2091「利尻組ゴルフ」


さて4日目は再びゴルフ。オイラは体力温存のためにクラブハウスで
待機しながら就寝。無理にでも寝ておかないと身体が持たない。
最終日はお土産ショッピングにタイ古式マサージで疲れを癒す。

「帰国したら利尻島まで来ればいいべさ」
「そんだ。また美味いウニ食わせっからさ」
は〜い、ありがとう御座います

2年前に初めて利尻島に行った時は、札幌の友人が車で運転してくれて
北海道最北端の稚内まで5時間。さらにそこからフェリーに乗換えて2時間。
あの時ご馳走になったバフンウニやムラサキウニはな〜まら旨かったなぁ。

また行ってみるべかのぉ

こうして無事に怒濤の5日間が過ぎたが、すぐに次のミッションが入っている。
今年になってから11組目の札幌からのゴルフ4人組である。
果たしてオイラの身体はぶっ倒れずに持つのかしら。

あ、その前に明日はオランダから来た友人に会わねばならぬ。



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asia_jiyujin at 04:32|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう