July 2011

July 31, 2011

第2182回「愛妹からの贈り物」

2182「バースディカード」


7月25日【札幌】

おぉ〜、再び・・・いや三度北の街札幌に戻って来たぜ

すっかり顔馴染みになった東横インにチェックインにすると、
「お客様にお荷物が届いております」とホテルスタッフが。

おぉ、横浜の愛妹からだ。なんだべぇ

2182「愛妹からのプレゼント」


早速部屋に入り箱を開けてみると「HAPPY BIRTH DAY」のカード。
さらに中を確認すると、な〜んとさっぽろ塩ラーメンの詰め合わせと
日本酒が入っていた。しかも吉祥寺で買ったぐい飲みの切り子グラスまで。

おぉ、感謝でござる。こげな愚兄ぃの為にわざわざ。K子ありがとね

ここ数年、己の誕生日にプレゼントなんか貰ったこともかなけん、
ちょっと嬉しい気分になった。さっそく部屋にある湯沸器を使って
(本当はダメだけどね)インスタントの塩ラーメンを作って食べた。

2182「美瑛の塩拉麺」


う〜、これぞ懐かしの味じゃい。美瑛で食ったヤツより全然旨い

実は、名古屋の御大と二日目の昼に創業30年という地元の
ドライブインで塩ラーメンを注文して食べたのだが、これがまぁ
塩味なのに化学調味料がたっぷり入った超しょっぱい味なのだ。

きっとオイラの帰国流浪旅ブログをチェックした愛妹は、日本酒と
塩ラーメンの頻繁に出てくるので「こりゃあコレしかないじゃん」
と思ったか。「次回はダンナとニャンコ×2に会いに来てネ」とK子。
家には愛する旦那はんと愛ネコ二匹と幸せに暮らしているそうな。

今年の秋には行くけんね

って、今年はこれから益々忙しくなるのに帰国出来るんかいの。
関東圏は昨年帰国出来なかったから2年ぶりになる。千葉、東京、
栃木、山梨、沼津、横浜、あ、長野も行かんと。岩魚骨酒が呑みてぇ。

さて、週末明けにはタイに戻る予定なので、今週中にお会いする人たちと
日程のスケジュールの調整をして・・・と思った矢先にW氏から電話。
時間は夜の22時半を少し過ぎていた。まだまだ宵の口か。

2182「看板」


2182「店前」


「フジさん、ワイン飲みに行きませんか」

ちょうど電子書籍の件で話したいことがあったので即快諾。おそらく
札幌滞在中は週の半分以上・・・いや、それ以上会っている気がする。
早速ホテルに迎えに来てくれたW氏と出かける。

「フジさん、イタリア産とフランス産のどっちが飲みたいですか」
え〜と、じゃあイタリア

正直、タイではチリ産やオーストラリア産ばかり飲んでいたので
ユーロ圏のワインなら何でも堪能してみたかった、宿泊ホテル
から歩いて3分。ちょっとお洒落なカウンター主体のワインBAR。

2182「ワイン」


SA’LUS・・・サルス
「カンティネッタ サリュと言います」

なんでも店主のF女史は北海道でNo.1のソムリエとして表彰されているとか。
我々が入った時には殆どの席が埋まるほどの人気の繁盛店。でも殆どカップル。
わぉ、地震が来たらどないすんねん

と心配になるほど壁一面には数え切れないほどのワインがずらっと陳列。
何とも言えないこの店の雰囲気に包まれながら片っ端からワインを飲み
ながら執筆したらさぞ過激なハードボイルドタッチな小説が書けそうやん。

お疲れ様です。かんぱ〜い

W氏は白。オイラはポリフェノールたっぷりの赤ワインを堪能。
F女史がチョイスしてくれたワインは少々渋みがあってそれでいて
口の中にほんのり葡萄の酸味が広がる大人の味だった。

うむむ、美味しゅう御座います

2182「廊下」


結局、今日もアルコールが体内を駆けずり回り細胞が酸化する。
明日も明後日もさらにその翌日も、金曜日も土曜日も飲む予定。
こりゃあ依存症を通り越して、完全に中毒患者になっちゃうな。

宣言。タイに戻ったら禁酒します



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asia_jiyujin at 14:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 29, 2011

第2181回「美瑛の夏の火祭り」

2181「美瑛祭り1」


7月24日【美瑛町】

昼の時報とともに全国一斉にデジタル化に移行した。
TVの歴史的な瞬間に自分が日本に居る事にちょっと感動。
ま、デジタル化になってもタイ在住者にとっては微妙だけどね。

さて、午前中にYちゃんから車を借りてホテルまで御大を迎えに
行き美瑛駅まで送った。御大、今日は札幌まで行き昔の友達に会い、
翌日に占冠村のトマムに行って自然現象の雲海を観照するんだとか。

当分ボケそうもない御大はすでに2週間前から1人で北海道一人旅を
続けておられる。なんと、北海道には名古屋から寝台車とフェリーを
乗り継いで来道したというからまさにスーパー爺さまでございまする。

因みに御大がTVに映るらしい。なんでも旭川市内を観光中に
タレントたちが同じバスに乗り込んできてロケをしていたそうだ。
放送日が8月6日だと言うことですから、何処かのチェンネルで
北海道の旭川の旅番組がやっていると思いますんで観てくんなまし。

2181「美瑛駅前」


さて、駅で御大を見送ってから驚いた。さすがに夏休みである。駅前には
多くの子供連れの家族やしばらく見なかった中国人観光客が来ていた。
これから1ヶ月間、美瑛・富良野が一年で一番多忙になるシーズンだ。

さぁ、短い夏の始まりじゃのぉ

今日から美瑛町は毎年恒例の夏の火祭りが始まる。夜7時半に神社から
駅前まで火の点いた大きなたいまつを持った若者が練り歩くのだそうだ。
実は18歳から田舎を出たオイラは、このいなせな祭りを見た事がない。

よし、今年こそは観に行くぞぉ

2181「美瑛祭り2」


2181「美瑛祭り3」


2181「美瑛祭り4」


2181「美瑛祭り5」


オイラが子供の頃は300mくらいの道の両端に、綿アメや金魚釣りなどの
露店が軒を並べていた。蛇女や犬男なる見物小屋やサーカス小屋まであり
子供心ながらドキドキ、ワクワクしたのを覚えている。でも、今やその規模は
少子化と伴に半分以下となり、見物小屋もサーカスもなく少々淋しい風景である。
それでも昔を知らない現代の子供たちは、それなりに地元の祭りを楽しんでいた。

2181「最後の晩餐」


今夜くらいは、と思ったら母上が寿司を買って来た。最後くらい母親の手料理と
案じたが、今やコンビニが母親の味を超えてしまったことに一抹の寂しさを感じる。
さらに母上の知り合いが息子さんへと、またもキングルビー(富良野山部産)の
超甘いメロンを持って来てくれたので丸まんま1個全部食った。

くぅ〜、うめぇ〜。こげな旨いメロンはタイにはないもんな

2181「キングルビー」


2181「最後のメロン1」


2181「最後のメロン2」


2181「最後のメロン3」


6月23日に帰国してからすでに1ヶ月が経ち、毎日毎日タイでは食べられない
至高の食三昧をしているうちに体重が3圓眩えた。ベルトが締まらない。
毎日健康的に三食食べて酒も煽ってりゃ、そりゃあ肥るがな。

胃癌の術後は一気に18垳採漫M廚録らなきゃ人間は痩せるのです。
タイへ戻ったら再び出家僧のように日々摂生して健康に努めんといかんばい。
究極のダイエットは断食に尽きる』 byわこう

あ、また今年もたいまつ行列観に行くの忘れたわい・・・



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asia_jiyujin at 00:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 28, 2011

第2180回「母親孝行は突然に」

2180「御大と酒」


7月23日【美瑛町】

80歳の御大は朝の4時半には起床していた。
今日も元気である。たぶん明日も元気だろう。
1人で寝酒をしていたオイラは寝不足で辛い。

二度寝して6時半に目覚めたらベッドに御大がおらん。
しばらくして頭に湯気をたゆらせて戻って来たかと思ったら
冷蔵庫を開けてオイラが買って来たハイボールをプシュッ。

「ごくごくごく、うんみゃ〜ずら」

まるで小原庄助さんのように、朝寝朝酒朝湯が大好きで・・・。
それでも意外と身上はつぶれないらしい。

「わしゃ、老い先短いんじゃ。好きなことしにゃあ〜」

ごもっともです。元気が一番。健康優先。我が母上も旅好きなら
伊勢神宮にもお連れしたいのだが、なにせ昔から出不精の性格で
病院とスーパー以外はトント外出しない。その母上が突然のたまった。

「新しい洗濯機が欲しいわ」

しかもスイッチを押せば勝手にやってくれる全自動の簡単なヤツ。
この際息子が滞在中に買わせようと言う魂胆か。オレですら毎回
重たい洗濯籠を持ってコインランドリーを利用しているっちゅうのに。

親孝行したいときには・・・、なんてぇ事にならないうちに目一杯
感謝を込めてええもんを買ったるかいのぉ。それにしても今年は
地デジ化に伴って液晶テレビを購入したばかりである。2年前は
冷蔵庫。その前は湯沸器。果たして来年は何を強請られるのかのぉ。

幼馴染みのYちゃんは、今は町の浄水場と夏場だけの観光地の“四季彩の丘”
を掛け持っているが、本業は家電屋さんだった。以前までは店を構えていた。
家電量販店が主流になり店を閉めた後でも、マメなYちゃんは蛍光灯1本の
交換でも高齢者たちから連絡が来るらしい。まさに町の電気屋さん。

そのYちゃんが、この町の家電屋は高いからと、わざわざ朝の新聞広告チラシを
チェックして旭川の某家電量販店まで付き合ってくれた。しかも、配達すれば
1週間もかかるので自らの軽自動車に積んで運んでくれた。持つべきモノは朋。
因みに明日から全国的にデジタル化。TV売場が飛び込み客でごった返していた。

さぁ、それからが大変だ。家に帰り洗濯機の置き場に合わせてリビングの家具を移動。
20年以上もこびり付いた壁紙の掃除に1時間以上も掛かった。磨けば磨くほど
綺麗に汚れが落ちる。「うっ痛ぇ」さすがに持病の腰痛が悲鳴を上げてきた。

2180「全自動洗濯機」


残った壁は来年じゃい
「来年まで生きてられるかね」
バカ言ってねぇでコイツ(全自動洗濯機)が壊れるまで長生きしくれぇ

かつて政財界や建設業界など多くの男衆を惑わした元売れっ子芸者は
少々弱気になっていた。頼むから認知症にならないでおくれ。

2180「尚庵」


2180「バカデカイホッケ」


2180「銀鱈みりん」


その日の晩餐は町内の住宅街の中にある“おばんざいの尚庵”。
おばんざい」と言えば京都だが店主の女将さんは奈良出身だとか。
オイラの母親のことも仲が良いんだとか。例によって御大とオレは
ホッケの開きに銀鱈みりんで大雪山連峰の恵の水で貯蔵された銘酒で乾杯。

運転手のYちゃんには、再び御大を白金温泉のホテルに送って頂くのに
酒が呑めないからデカイホッケの開きをおかずに超盛りの御飯。

2180「パークヒルズホテル」


「今夜くらいは実家に泊まれよ」と、Yちゃんの粋な気遣いに甘える。
その日の晩酌中、お袋にA氏が連れて行ってくれた祇園での話を聞かす。

「あんた、その歳で芸者になんか入れあげたら身上潰すよ」
ほぅ、身上潰すほどハマってみたいもんじゃい
「ウチの親父(つまりオレの亡き父上)も金もないのによく通って来たよ」
そうだ、おふくろ。簪(かんざし)あったら見せてよ

2180「鼈甲のかんざし」


訊けば夕方晩酌していた尚庵の女将にも結構な数の簪を上げたそうな。
無理を言って母上が昔使っていたという高価な鼈甲の簪を譲り受けた。
62年前に三千円だった鼈甲の簪は今では数百万の値打ちがあるとか。

ふく帆は〜ん、来年芸妓祝いに持っていったるさかいになぁ
「へぇ、おおきにどすえぇ」(空耳が聴こえた)

2180「ふく帆ツーショット」

【19歳の今のふく帆はん】

2180「2年前のふく帆」

【2年前の17歳の時のふく帆はん】

当時の芸者の花代の相場は1時間300円程度。今なら少なくても5万円は
くだらないだろう。舞妓はそれよりは少し安いだろうがサナギから孵って
美しい蝶になって舞えば花代も高くなるってか。



はて

もしかしたらオレのうなじフェチも和服好きも全部母上の影響か。
げっ、オレってもしかしたらマザコンだったのかよ。
マザコン=母親孝行・・・紙一重。

さぁて、来年は自動三輪車でも買ったるかいのぉ



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asia_jiyujin at 10:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

July 27, 2011

第2179回「尾張から御大来道」

2179「青い池横」


7月22日【美瑛町白金温泉】

13:10発の関西発のANA1716便は定刻より1時間も遅れて
旭川空港に到着した。乗継バスまで僅か7分。これに乗り遅れれば
1時間後だ。既に名古屋の御大は美瑛駅前の鮨屋で呑んでいるらしい。

来たーーーー

バゲージムールの最前列で幸運にも割と早く自分の荷物が出て来た。
すぐにタグを外して到着ロビーをすっ飛んでバス停に走ったら
17時発のバスが目の前に見えた。

ギリギリ、セーーーーーーフ

オレの旅はいつもギリギリだ。沼津駅では乗る予定の新幹線が
すでにプラットホームに。熊本駅ではチケットを買ってホームに
入った途端に目の前に新幹線が来た。ホンマ、心臓に悪いわ。

この日はかつてのブログでも何度かご出演して頂いている尾張名古屋の
御大が美瑛を訪れてオイラを待っていた。今年で80歳になる御大は
毎年オイラの帰国に合わせて滞在先まで会いに来る。別に親戚でも
ないし血は繋がってないのだが不思議と会話も愉しく妙にウマが合う。

「お〜い、藤岡さんよ。今度はいつ日本に帰ってくるんぜよ」

一昨年前は伊勢神宮を参拝。熊本で講演していればわざわざ翌日に
福岡まで飛んできて一緒に鹿児島まで行ってレンタカーを借りて指宿で
人生初の砂湯を体験。その前は山口県秋吉台の鍾乳洞観光や佐賀の呼子の
活イカの食楽や熊本の阿蘇山や天草諸島も車で旅をした。

タイでも、東北のノンカイから毎日電車に乗りながら適当な街で下車して
バンコクまで5日も掛けて南下した。まさに「タイ東北版ぶらり旅」を
地でいった。スマトラ沖大地震の津波で被災したプーケットにも翌年現地
まで飛んで被災地の子供たちに御菓子や衣服を配って歩いた。

まるで夏のサンタクロースだね

またある時はタイを越境してラオスに渡り、ビエンチャン市内から100劼
離れた山岳地帯の幼稚園にブランコやシーソーや滑り台などの遊具を寄贈した。
いずれもガイド役のオイラも同行して異国のローカル旅を愉しんだ。

きっとNHKあたりでこの御大を特集したらさぞや愉しいドキュメンタリー
番組が作れると思うのだが。人生の伴侶は10年以上も前に亡くしているが
御大には2人の愛娘がおり中学生になる男の孫もいる。ま、いずれにしても
タイでも日本でも旅と酒の好きな元気な御大なのである。

さて、再び美瑛に帰って来たオイラは、実家にも寄らずにガキの頃の幼馴染みを
呼び出して中学時代の後輩がやっている駅前の居酒屋で酒を交わすハメに。

2179「名古屋の御大」


「あ、先輩。久しぶりっす。いま先輩はどこっすか」
タイだよ
「タイ、タイ。すいません。タイってどこっすか」
インドシナ半島のマレーシアの上だよ
「先輩、オレ地理が不得意で分からないっす」
う〜ん、まあ東南アジアの中の1つだな

ノリが完全に体育会系である。もっとも野球部の後輩だった店主は
卒業して何十年も経っていてもその上下関係は不変のモノとなっている。
おそらくは美瑛町で一番流行っている居酒屋“きむら屋”。一度ご来店を。

ここの名物は超天こ盛りの甘辛仕上げの“いかげそ揚げ”。オイラの
母上も大好物だったりする。仕事を終えてやって来た幼馴染みのYちゃんは、
数年前に御大が来た時に紹介して以来オレ抜きで交流を深めているらしい。
もっとも、御大の同世代の友人たちは殆どこの世に残っていないから、
精力的に全国に友人や知人を作っているのだ。

2179「美瑛の幼馴染み」


「おぉ、わこう。久しぶりだな。いつ帰ってきた?」
つい、さっき
「忙しいのにいつもすまんねぇ」
「Kさん。1年ぶりっすね。あぁ、腹減った取りあえずゲソ丼くれ」

げっ、こともあろうに幼馴染みがゲソ丼を頼みやがった。
店主がサービスで出してくれたいかげそ揚げに加え、
富士山のような超天こ盛りのいかげそに思わず嗚咽する。

なんじゃいこのドドメ色の巨塔は

2179「名物げそ丼」


3人がかりで挑戦しても食べきれずに結局実家の母上の土産にする。
晩餐後、幼馴染みに白金温泉にあるパークヒルズホテルに送って頂き
同部屋にチェックイン。この日は実家に泊まらず久しぶりに御大との温泉。

2179「パークヒルズ」


実は白金温泉に行く途中の脇道を入ると、近年になってから発見された
青い池”なる中国雲南省の秘境で発見された九寨溝に似た摩訶不思議な
自然の青い池がある。今ではすっかり観光地化されているが一昨年までは無名。

昨年名古屋から来た御大が話題になる前にYちゃんと来ていたというので
オイラも興味を持って観てみた。「なるほど、深みのある青だ
数年前、火山砂防工事のために建設した堤防に、いつのまにかこの川に
水が溜まり青い池が出来たらしい。美瑛川の地下水が流出するアルミニウム
を含んだ水が流れてコロイドを生成。太陽光が散乱し水の青さを一層際立たせていた。

2179「青い池看板」


2179「青い池縦」


ふ〜ん、それにしてもすっごい観光客の数だね
「去年は少なかったのにな。でも、中国人が来てないな」
来年になったら売店や写真コーナーが出来てんだろうね
「町との第三セクターでか」

今は砂利を引いただけの即席の駐車場があるだけ。

Yちゃん、やれば
「だな・・・、金貸してくれ」

2年前にも御大と泊まった記憶があるホテル。あの時はカニ食べ放題に
群がる中国人に辟易しながらレストランから退散したっけな。

あぁ〜、久しぶりの温泉じゃぁ〜。気持ちえぇのぉ

17歳で父上を亡くした叶わなかったオイラの夢は、成人したら父親と
酒を交わすことだった。御大と酒を呑んだり旅をするのは、案外疑似親子旅
体験なのかもしれない。いずれにしても酒が旨けりゃそれでいいのだ。

あ〜ぁ昨夜の今頃はなぁ・・・ふく帆は〜ん

昨夜は祇園の片隅で黒塗りの車に乗って白塗りのお顔の舞妓はんと。
今宵は枯れ葉マークをレンタカーの前に貼る元気な後期高齢者と晩酌。

帰国以来、すでに1ヶ月間ほぼ毎日日替わりでいろんな人に会っている。
友人や知人に会うと言うことは、つまり毎日酒を呑むと言うことに繋がる。

さてと、今夜はジックリ御大と・・・あれ

温泉から戻って来てしばらくベッドの横になっていた御大が高鼾を
かいてすでにご就寝なさっている。まぁ、無理に起こすこともあんめぇ。

その日北海道は大坂より10℃以上寒かった。山の上はもっと冷える。
温泉で暖まった身体が湯冷めしてきた。さてと、今宵は昨夜の舞妓はん
との愉しい宴を想い出して1人酒と行きますか。

・・・う、寒い



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asia_jiyujin at 00:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 26, 2011

第2178回「非現実的愉楽物語」

2178「ふく帆玄関前」


7月21日【京都府宮川町】

2年前にも記したが、オイラの母上様も60年以上も前に北海道の
旭川市で第35代横綱双葉山が活躍していた時代の芸者である。
以前実家に帰ったとき、ふく帆はんの踊りの写真を見せた事がある。

すでに後期高齢者の仲間入りした母上様も写真を見るなり、若き日の
自分を思い出し、やれ指先がどうの、扇子の位置が低いだの、まるで
お師匠さんばりの目線で説明していた事に息子としては喜ばしかった。

あれ、なんやあの子は

2177「仕込みのひとみ」


ふと気付くと、まるで座敷童のような小顔の子供のような子がお座敷の角に
凜とした着物姿で座っていた。訊けば千葉から舞妓を夢見てこの世界に飛び込んで
きたばかりの15歳だと言う。切っ掛けはTVのドキュメンタリー番組だとか。

へぇ〜、オレもあの番組観たけど、半端ない厳しい世界やろ
「へぇ、そうどすな。せやけど憧れましたんどすぇ」

まだ京都弁もしっくりこないあどけなさが残る少女が何故故に舞妓に
憧れるのか。同世代が普通に高校に進学して短いスカートをはきながら
好きな芸能人や憧れの彼氏の話をしたり、今流行のスマホに乗じながら
遊んでいる子が多い中、なぜ故に単身で異国のような街へ来たのか。

淋しないの
「へぇ、優ししてもろてるさかい、淋しことおへんぇ」

芸者の世界の厳しさは、幼い頃から事あるごとに母上様から聞かされていた
オイラとしては妙に興味をそそられた。舞妓になる前は“仕込みさん”。
(見習いとも言ふ)来年にはおねぇさんに付いて舞妓の源氏名を貰う。

そう言えばふく帆はんも東北は青森の田舎から出て来た娘さんや。
訊けば「中途半端な自分を試してみたかった」と言わはる。だから、
舞妓から晴れて芸妓に昇格した後のことまでは考えてないらしい。

きょうび、今の若者で夢や目標を見いだせない子は五万といてはる。
その中で自分が決断した目標に確固たる信念を持つ事自体が素晴らしい。

ほぉ〜、以前より踊りにキレがあるね

2177「踊り1」


2177「踊り2」


2177「踊り3」


2177「踊り4」


2177「踊り5」


今回はバチを弾く地方さんはおらんでカセットの三味線の音。
目の前で踊る祇園踊りは素人目で見ても2年前より遙かに上達していた。
二曲ほど踊りを披露してくれたが24日の若柳会で披露する京の舞は可憐だ。

もっとも、オレ的には踊りよりも隣でお酌をしてくれて、はんなりした
京都弁でぎょうさん会話を愉しみたかったのだが、ま、見て差し上げる
のも礼儀であり、見られることの緊張感で芸も上達するもんやもね。

上手くなったね
「そうどすか、おおきに、嬉しいどすわぁ」

この後、“もり多”の女将さんが出て来て挨拶を頂くが、年齢を聞いて
驚いた。なんとA氏と同年配の38歳の若さである。九州出身者だと
言うが、気丈な立ち振る舞いがまるで火の国熊本のおなごを連想させる。

A氏が電話を掛けて直接話した女将さんだったらしく、その後も4人で
愉しい会話が弾んだ。時計をワザとしていないオイラは密かに心で願う。

2177「もり多の女将」


ええなぁ、このまま朝まで呑ませてくれんかのぉ

なんだろう。愉しいはずなのに急に狂おしくも哀しい気持ちになってきた。
まるで大好きな浅田次郎の小説を読んでいて、もうじきエピローグが
近づいてきているような、「まだ終わらんといてぇ」そんな気持ちや。

どうして愉しい時間は早く感じるのだろう。だが、どんな愉しい宴も
いつかは終焉がやってくる。「夢なら醒めんといてぇ」と切願しても
現実は非情だった。聞きたくないゲームセットの声が。

「藤岡さん。もうそろそろ帰りましょうか」
えっ、そんな殺生な・・・

癌を宣告された時よりもショックな現実や。A氏に即されて時間を訊くと、
なんと21時半。2時間のお座敷だったのにあっと言う間に3時間半も
経ってしまっていた。酒は結構嗜んだはずなのに一向に酔ってない自分がいる。

「また来ておくれやすぅ」
はい、必ず来ます

A氏が支払いを済ませている間に、置屋の玄関先にはすでに几帳面な運転手が
黒塗りの車のドアを開けて待っていた。まるで現実の世界に引き戻すような
案内人に見えた。車に乗り込みと、ふく帆はんと女将さんが見送ってくれた。

「簪(かんざし)欲しなったらいつでも言って、藤岡さんが買うてくれるさかいに」
あ、そんな約束したらあきまへんがな

後ろ髪を引かれる思いで無情にも車は動き出した。夜半の宮川筋は
芸妓はんと闊歩する一団が談笑ながらしんなりゆっくり歩いていた。
明らかにここに流れる空気が違う。映画やドラマの非現実的な世界。

「水揚げってなんぼしますんやろね」
そらぁ、1本は行くでしょ
「壱千万」
そうでしょなぁ、ってAさん揚げんの
「そらないで」

車中は言葉が少なかった。先ほどまでのバーチャル的な世界が未だに尾を
引いていた。大坂までの道のりが偉く長く感じた。ホテルに戻ってからも
中々現実に戻れなかった。翌朝、迎えに来たA氏と喫茶店でモーニングを
食べていてもずっと心にポッカリ穴が空いた感じだった。

また行きたいですな
「ほな、本出して儲けまひょ」
三作目の書き下ろしですか

とうとう気張るときが来たんかな、しかも舞妓はん遊びでモチベーションが
上がる自分に我ながら情けなかった。しかし、A氏が語るには「かの昭和の
文豪たちは、みなスケベで女郎屋通いをしながら大作を書いていた」と名言する。

なるほど、オイラもその部類か・・・

この歳で“”に興味が無いことはないが、仕事柄性的感覚が麻痺している。
それ故に“舞妓”は別格のまるで次元の違う世界で生きている“おんな”に見える。
果たして2,3年掛けてもいいから執筆してなと迫るA氏の期待に応えられるのか。

ま、本一冊執筆する毎に舞妓はんに会えるんやった割に合うかな

2178「ふく帆横顔」


誤解の無いように言っておくが、別にオイラは本気でふく帆はんに惚れた訳ではない。
50も過ぎたいいおっちゃんが今更色恋に走ったところで、時期に下の世話にならねば
ならぬ。興味は50歳を超えてからどうやって意識改革して人生を愉しむかの問題や。

とりわけ、舞妓はんの世界はもの凄く興味深い事は確かである。
つまり人はそれを“ハマった”と言うようであるが、珍しくも最近
無気力気味だった己のスイッチに変化をもたらしてくれたA氏に多謝である。

ホンマAさんは不思議な大坂人や

そのA氏が「2年前の”2009年の10大ニュース”の第一位が
舞妓はん遊びやったでしょ」、とツッコむ。それだけ衝撃的で
印象に残る深い体験だったという証拠なんでしょうな。

上半期は断トツで年始めの人生初のアフリカ大陸上陸とエジプト紀行で
決まりだったが、う〜む、この先下半期ではセルビアのベオグラードや
ベトナムのハノイがあるしなぁ。今年はホンマ刺激の多い年やね。

クレオパトラと舞妓はん

はたして今年の年間第一位は、甲乙付けたがいでおます。



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July 25, 2011

第2177回「再びの京の祇園街」

2177「舞妓の襟足」

7月21日【京都府宮川筋】

オイラが大坂入りした16日から京の都では祇園祭が始まっていた。
八坂神社のお膝元の祇園町はお祭りで賑わいお茶屋さんや芸妓衆も
お参りや神事などが忙しく予定していた京都行きが今日になった。

「さ、藤岡さん行きまっせぇ」

2177「黒塗りタクシー」


ホテルを出ると目の前に黒塗りのハイヤーが横付けされていた。
白い手袋をした50歳代前半の運転手が頭をぶつけないようにドアの
上に自らの手をあてながら丁寧にオイラを後部座席に案内してくれた。

なにこれ
「うん、昨夜寝てないんで京都まで寝ていこ思いまして」
はぁ、そんで営業車をチャーター・・・

大阪から京都の祇園まで黒塗りの車で遊びに行く。なんだか妙な
シチュエーションである。2年前はA氏が自ら運転して人生初の
舞妓はーーーーーん”遊びを体験させてもろた。今でもあの時の
愉楽の衝撃が脳裏に深く残っている。

300年も続く独特の京の宴。およそ一般人が体験できる世界ではなく、
ましてや紹介者無しの一見さんお断りは今でも続く置屋(お茶屋)の流儀。
まさか自分が生きているウチに、かような世界を垣間見られるとは
夢にも思わなかったが、つくづく人生の縁とA氏との絆に感謝した。

昨年の秋は仕事で帰国できず、約束を果たしに2年ぶりの祇園へ。
しかもA氏が自らのネットワークを駆使して前回お座敷に付いてくれた
舞妓のふく帆はんがいてはる置屋を探してくれて予約を入れてくれていた。

ふく帆はーーーーーん

ふく帆はんに会うことはめっちゃ嬉しいことやけど、まさか2度も
祇園で“舞妓はん”遊びが体験できるとは思わなんだ。しかも、すでに
我々は“一見さん”ではなく“ご贔屓さん”のお仲間入り・・・なんやろか。

いやはや、人生長生きはするもんやなぁ

違和感のあるメーターのない運転手付きの黒塗りの営業車。
まるで自分が財界人にでもなったかような気になり
何だか急に偉くなったような間違った錯覚に陥る。

なんや緊張するわ

まるで芸能人がお忍びで人様に隠れながら愉楽の遊びに出掛けるような。
A氏の想定外のサプライズはいつもオイラのモチベーション上げてくれる。
恐縮を飛び越えて、もしかしてこの人はワザとオイラに貴重な体験させて
おもしろがってる気ぃさえしてくる。

「A様、ちょっと時間より早く着きそうです」
「あ、そうなん。取りあえず目的地の近くまで行って」

高速道路を降りた黒塗りは渋滞もなく予約の時間より早く着いてしまった。
運転手に迎えの店を伝えて我々は初めての宮川筋の路地を探索した。近くには
鴨川が流れ橋の向こうには映画の“千と千尋の神隠し”に出てくるような
大きな屋敷が圧倒的な存在感とその大きさを誇示するかのように建っていた。

2177「千と千尋の神隠し」


「凄いね。湯婆が出て来そう」

以前来た時よりも鴨川の川幅が狭くなったような気がする。その
鴨川に並行するように京都で有名な川床料理店が軒を並べている。

2177「鴨川河床料理」


陽が暮れなずむ頃、宮川筋の置屋街には淡い色の着物を着た
舞妓はんが左手に巾着袋をさげながらカランコロンと下駄の音を
靡かせていた。まるでタイムスリップしたかのような古の風情。

2177「宮川街の舞妓はん」


「ええね、まさしく京都やねぇ」
これからお座敷に行くんやろか

喧騒な街にありながら路地は独特の空気と雰囲気で佇んでいる。
世界中どんな国へ行っても最初は適度な緊張感があるのだが、
自分がその筋を歩いている事に妙な違和感を覚える。まるで
新人歌手のように地に足が付いた感じがしない。

しげ森”の置屋の玄関上に懐かしい“ふく帆”はんの表札を
見つけた。間もなく2年ぶりの再会に心臓が高鳴る。

2177「しげ森正面」


2177「置屋の表札」


「ちょっと早いけど、もう入ってみます」
そうでんな。ほな、行きましょ

玄関を開けると奥から若い女性の声。やがて着物姿の
20歳代後半の子が出て来て応対。

「ようお越しやすぅ。予約のAはんやろか」
「はい、」
「すんまへんなぁ。今日のお座敷はもり多に用意してますさけ
わてが案内させて貰います」

ええなぁ、このはんなりとした独特の京都弁。いやこの街でしか
使われない舞妓や芸妓言葉。博多弁と同等なくらい好きやな。
少し離れた置屋の“もり多”に案内され2階の間に通される。

前よりちょっと小さい部屋やねぇ
「そお、同じくらいとちゃいます」

それでも置屋の独特に雰囲気に呑まれそうになりおもむろに
煙草に火を付けて高鳴る心を落ち着かせる。しばらくして
襖が開き、舞妓姿のふく帆はんが凜とした姿勢で入ってきた。

2177「ふく帆玄関中」


「ようおこしやすぅ」
約束通り、また会いに来ましたでぇ
「ほんまに来てくれはったんどすな。わて嬉しいどすわぁ」
あれ、もう芸妓はんになったんとちゃいます
「わてまだ19歳どすえぇ」

2177「17歳のふく帆にお酌」

【2年前のふく帆はんは17歳】

あれま、じゃあ2年前は17歳やったん。でもお酒の返杯して
呑んでたやん。この街は日本の法律は適応せんのやろか。
今宵もA氏に勧められるままにふく帆はんは日本酒を普通に嗜む。

ふく帆はん、えろう別嬪さんになりましたなぁ
「そうどすか、おおきにそない言われると嬉しいどすわぁ」
そっか、あん時は17歳やったんか

ふく帆はんにお酌をして頂き、取りあえずの再会を祝って乾杯。
次から次に出される旬の幸の懐石料理。酒も旨いし料理も格別。

2177「鮎の塩焼き」


2177「鮪寿司」


2177「お吸い物」


「かんにんえ・・・かなんわ・・・きばらなあかんどすえぇ」

あかん、会話が弾むうちに愉楽の古夢の世界に入り込んだ感じや。
触れると壊れそうな聡明でガラスのように華奢な身体を包む着物。
その上にまるで鋼鉄の鎧のような幅の広い帯が妙に男心を擽る。

2177「ふく帆はんとおねぇさん」


「ほんでな・・・せやけど・・・してはりますぇ」
あぁ、このまま永遠に時が止まってくれんやろか

はんなりとした舞妓言葉が妙に心地良い。この癒しの空間から一歩も
離れたくない。3日前に「日本橋に究極の癒しを感じます」とのたまった
A級オタクのKちゃんの気持ちが脳裏に蘇ってきた。分かるわぁ。

「稽古した踊りを見ておくれやすぅ」
へぇ、きばっておくれやすぅ


この回つづく


世の殿方はアホやねぇ、と思わんで下さいまし。
所詮、男は単純な生きもので御座います故に・・・。
ただ、この世界はスケ平な気持ちよりもっと高貴な
次元を垣間見て・・・あぁ、上手く説明できんわ。


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asia_jiyujin at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

July 24, 2011

第2176回「松原の古の遊郭街」

2176「築50年は」


7月20日【大坂府九条】

「仕事でちょっと遅くなるから先に行ってやっといてぇ」
は〜い、分かりました

この日は2年前にも来た弁天町の割烹料理“まえ川”でM社長
と会う約束をしていた。出張で札幌に行っていたが台風で飛行機が
欠航になる恐れがあるとの事で前日に大坂に戻っていたらしい。

もう3年前にもなるが、M社長含めて今も原発問題で揺れる福島や
名古屋、千葉、札幌から建築関係の同業者や税理士の先生方が訪タイ
された。毎度のことながらゴルフと夜婦の連日なのだが、最終日に
「タイらしい下町を案内してくれないだろうか」と客人等からのリクエスト。

下町さて何処だろう

さしずめ東京なら浅草や月島のもんじゃ通りでも案内して
お茶を濁すところだが、バンコクの下町・・・古い街並みなら
最初に街が形成された怪しくも奥の深い暗黒街のチャイナタウン。

でも、ちょっとオイラのイメージじゃないし得意なテリトリーでもない。
ならばと、バンコク最大のスラム街のクロントイに案内した。
貧困、売春、麻薬が蔓延するおよそ現地に住む日本人ですら
近寄りたくもない危険ゾーンであり不介入エリアである。

縁があって日本からの福祉系の大学生やNGOやマスコミ関係者などを
現地に案内しているウチに比較的“安全”なエリアと信頼できる
コネ”が出来て以来、何に何度か顔を出していた地域だ。

そのもっともバンコクらしい下町に前出の社長さん等をご案内して
最低辺の暮らしと実状を垣間見て頂き現地の子供達とも交流をした。
たぶん、その時の強烈な印象から社長陣から一目置かれるようになった。

「気にいったわ。こないなコーディネーターお会たことないわ」

だから、今でも札幌に行けばT社長が、名古屋に行けばH先生が、
千葉に行けばT社長が、そして大阪に来れば弁天町のM社長が、
気軽に、或いは半ば強引に誘ってくれはる。

「帰国したら連絡せなアカンで。一緒に飲もうや」

遠慮して近場まで来ていながら連絡もしなければそれこそ大きな
不義理をしてしまう。ご厚意はそのまま酒と一緒に身体の奥深くに
流し込む。これが彼らの流儀であり、オイラの信条。これが全国に
波及すると全国津津うらうら巡礼の如く帰国する度に愉しみが増える。

ありがとう御座います。人の縁と旅の醍醐味に感謝です

2176「まえ川」


割烹料理“まえ川”は以前の所から引っ越されて少し離れた交差点
の角に少々敷居の高そうな気品ある店構えでオイラを待っていた。

こんちは〜
「あら、Jさん」
久しぶりです
「さっきMさんから遅れるからって」
電話来てましたわ

新しい店は以前よりこぢんまりとして綺麗な店内だった。

大将、なんで前んとこから引っ越さはったんですか
「何れ小さくても自分の店を構えたかったんですわ」
へぇ〜、気張ってますなぁ
「へい、借金あっても負けへんで」

2176「奈良の春鹿」


店の大将と奥様に2年ぶりの再会と挨拶。しばしたわいもない話を
しながら地場の冷えた奈良の春鹿をチビチビやっていると、
おもむろに引き戸が開きM社長がやってきた。

「やぁ、遅れてすんまへん」
構わんですよ。先にやってました

おそらくオイラが今まで知り合った経営者の中でもずば抜けて良識人で
あり、正しい生き方と常識を持った気質の人間だと思う。それは酒の
呑み方でも分かる。けしてオイラのようにバカ呑みはしない。

舌の上で転がし、喉で味を確かめ、いわゆる作り手と対話しながら
ゆっくり嗜むのだ。関西育ちでも京都よりのええとこの旦那はんやね。
そのM社長が「折角やからおもろいとこに案内したる」とある某所に電話。

2176「あなご」


2,3分してから「ほな、行こか」と即されて乗ったTAXIが止まった
ところが“松原新地”と言われる所だった。古い街並みが軒を並べ
店の前に点る薄暗い提灯がまるで昭和初期を感じさせる妖艶な印象だった。

なんやここ。すごいすっね。まるで時間が止まってるようやん
「ここは戦後に出来たとこでね。ぎょうさんの女郎屋があったんですわ」
女郎屋?」
「そう、東京の吉原のような遊郭」

2176「まさに昭和の歴史」


2176「松原のレトロな街並み」


2176「松原新地」


仕事柄、なぜかこういう陽の当たらない陰のある街に興味がある。

まるで竹久夢二の世界やね

そこには最低辺で生きる日陰者たちがお天道様を嫌うように生きている。
己の幸せと誰かを幸せの領域に誘う天使たちの集団。もっとも現代は
映画のような情緒ある話もなく殆どが15分間のビジネスライフだとか。

10分ほど路地を歩きながら古の昭和の雰囲気に包まれる。以前、大阪
初上陸したその日にA氏に案内された新世界にある“”飛田新地“を
彷彿させる空気だが、やはり妖艶の中に物悲しい物語を連想してしまう。

2176「遊郭の提灯」


2176「入り口には」


「ここや。先に入って」

M氏が予約してくれていた馴染みの店に足を踏み入れた。
一瞬背中にヒヤっとした霊的な寒さを感じる。
居るな・・・」と直感したが、敢えて人様に言うことではない。

「あっら〜、Mさん、いらっしゃ〜い。遅かったわね」
「ちょっとここら辺をぶらぶら歩いて案内してたんよ」
初めまして、藤岡です

今は鉄板料理を営むその古い建物は、ゆうに築50年は経っているとか。
九条の1丁目はお多忙に漏れずかつての遊郭街であり、この建物も
かつては華やかしき遊郭として沢山の女郎さんが働いていたそうなのだ。

いてんの
「お客はん見えはんの?」

質問したつもりが質問返しされた。

いえ、見えないっすけどさっきから背中に感じてます
「そう。前に有名な霊能者にも見て貰った事があるけど」
でも、悪さはしないでしょ
「そう、そないな事を言われましたわ」

これだけ古い建物であれば、戦後の歴史の中でいろんな物語があったはず。
切った貼ったの色粉沙汰や儚くも無情なドラマがあっても不思議ではない。
それにしても、この異様とも言える空間がまるで一瞬にして50年前に
タイムスリップしてしまったかのような錯覚になる。

1時間ほどこの街の歴史や古い逸話を拝聴する。実に興味深い街。
店を出て大きな通りに出てからようやく現実感のある空間に蘇った。

あっぶねぇ、あのままいたらあっちの世界へ誘われそうやったわ

それは別に霊的なものとは無関係に、古い街の雰囲気や独特な息吹が
身体中にまとわりついたのだ。昔、中国の売春窟やソウルの置屋街を
取材に行った時のようななんだか懐かしいノスタルジックな空気に包まれた。

きっと、オイラの祖先か前世にこの手の仕事に就いていたんだろうか。
生まれた場所なのか、それとも育った環境がそうさせるのか
言葉には表せぬ不思議な安心感に包まれる街でした。

ホンマ日本は時間が経つのが早いですわ

2176「最終電車時刻表」


2176「最終地下鉄」


例によって、愉しい時間はあっと言う間に過ぎ去り最終電車が迫っていた。
M社長と別れて九条から中央線の地下鉄の最終電車に飛び乗る。一駅で
弁天町へ到着し、小走りで急ぎながら環状線の最終電車に飛び乗る。

前回は天王寺駅で乗り換えを間違い、最終の奈良行きへ乗ってしまった。
2駅目で気が付いて慌てて引き返した。あのまま乗って寝てしまったら
法隆寺の鐘を聞きながら朝を迎えたのかしらん。

2176「最終電車」


「藤岡はん、オレンジの電車に乗ったら間違いおまへん」
おおきに

ま、今回は乗り換え無しの“環状線”っちゅうもん(東京で言えば山手線)
を覚えたから心配御無用。後は気張って寝ないように気をつけて寺田町で下車。
に、してもだ。東京も大阪も日本の都会は1,5倍増しで時の流れが速く感じますぅ。



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asia_jiyujin at 15:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 22, 2011

第2175回「これぞ食い道楽」

2175「天こ盛テーブル上」


7月19日【大坂府桃谷】

「ここのうどん美味いんですわ」
なんじゃいこの大きさは

出て来た器を見て目の玉が飛び出るほど度肝を抜かれた。
こりゃあ、まさに顔を洗う洗面器やねぇですかい。
店内を見渡すと殆どの席は常連さんたちで埋まっていた。

2175「ふる里」


ここは24時間営業の“ふる里”と言う地元の知る人ぞ知る老舗店。
店内には無名なのか有名なのか分からんサイン色紙がいっぱい。
胃のないオイラにこの大きさはちょっとキツいやろ、と思ったら
向に座るA氏の前にさらに一回りデカイ丼が出現。

「藤岡さんの普通の大きさやで」
えっ、これで普通なん

2175「荒木氏とでかうどん」


2175「洗面器ばりの器」


マルボロのタバコケースと比べても明らかにこの大きさや。
さらにA氏はマグロやらあなごやら寿司棚ケースから4皿も
持って来てテーブルに並べた。どんだけ食うんじゃい。

大坂到着初日も、豚玉のお好み焼きを食べている先から
次の焼きうどんをオーダーしたA氏。お好み焼きに焼きうどん。
うどんに寿司。炭水化物に炭水化物。たぶん、胃の大きさは
オイラの倍以上もあると思われ、さすが食い道楽の大坂人です。

さて、その日の夜は2年前にもわざわざ和歌山から会いに来てくれた
S先生との晩餐会をA氏がセッティングしてくれた。今年の1月に
オイラがエジプトからバンコクに戻った日に、ちょうど日本から
遊びに来ていたS先生と会食して以来の再会である。

「どうもいらっしゃ〜いませ」
「ご無沙汰してました」
せんせ、1月以来やね

3年ほど前までバンコクでタイ語を教えていたS先生は
軽度の認知症の父上の介護のために日本に戻ってきた。
彼女が書く父上との温かくも軽快なバトルの介護物語ブログは
1日に300人以上の閲覧者が有り、僅か3年で27万を超えている。

凄くねぇか、オイラのブログは300回目以降から今のURLに
移行してから5年7ヶ月も書き続けているのに6万アクセスですぞ。
まぁ、それだけ肉親介護の日々の苦労を共鳴している人や思いの丈を
共有してる関心のある人が多いっちゅうことやろうね。

糖尿病&軽度認知症のチュー吉父ちゃんと娘チュー子の日々の出来事
チュー吉父ちゃんとわたし』は 
http://blog.goo.ne.jp/chuuchuu-neko

「どーーーん、と食べて下さい」
うぉ〜、すっげぇ刺身やん
「わぁ、美味しそう」

2175「荒木氏とハモ鍋」


2175「お造り」


2175「ハモ刺身」


2175「風呂吹き大根」


鮎の活け作りや梅肉付けのハモの刺身。オイラの好きなふろ大根に極めつきは
今が旬のハモしゃぶ鍋。前回はてっちり鍋やったけど季節が夏ですからと。
それにしても初めてご対面する“ハモ”のお顔。スッポンの頭にも似てるし、
なんともグロテスクでとてもお魚のお仲間とは思えましぇん。

しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃ〜ぶ
「もう、えぇんとちゃう」
くぅ〜、うまっ

S先生はキンキンに冷えたビールにオイラは適度に冷えた上善水如を堪能す。
この日台風6号は低速で四国に上陸。和歌山の南部も直撃する勢いだったが
意外と南海電鉄は大丈夫だったらしい。

しゃ〜ぶしゃぶ、しゃ〜ぶしゃぶ。うめぇ〜

お前、大阪に行ってからずっと飲んで食ってばっかりとちゃう、と思うてはる
人多いでしょ。その通り、と言いたいですが実はちゃんと仕事のお話も進めている。
A氏は先日お亡くなりになられた先代さんの会社を引き継ぎ、時代的に合わない
いろんな分野を淘汰しながら自分がやりたい出版業を改めて会社の定款に追加した。

「出版一作目は是非藤岡さんで」
しゃ〜ぶしゃぶ、しゃ〜ぶしゃぶ

「Sさんも介護日記を執筆しましょ」
しゃ〜ぶしゃぶ、しゃ〜ぶしゃぶ

2175「柿の葉とプリン」


因みにS先生がわざわざ和歌山から柿の葉鮨とプリンにあんみんを
お土産に買って来てくれた。鮨にプリン。大好物です。




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asia_jiyujin at 00:22|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 21, 2011

第2174回「オタクたちの聖地」

2174「花月前」


7月18日【大坂府日本橋】

Kちゃん、楽しそうだね
「はい、幸せです。あ、この店ちょっと入って良いですか」

4年前、栃木県宇都宮にある某会社の慰安旅行のアテンドを受けたことが
ある。25人の従業員を一度に旅行には行けないので3〜4人の班分けなった
グループが毎週金土日の3日間5週連続でやってきた。

その時のタイ旅行を発案した経理部のKちゃんが、その後会社を辞めて
東京の会社に転職した。1年前に転勤になり現在大阪に住んでいる。
時間があったら是非お会いしたというので懐かしさのあまり難波で再会。

2174「ビル」


「いま、けんおんが流行っているんですよ」
けんおん。なんじゃい、そりゃあ
「4人組のですね・・・」

Kちゃんはタイに来たときにエバンゲリオンの60兮羂叔肇譽い離侫ギアを
買って帰国した正真正銘の“オタク”である。2次元の世界でしか恋愛が
出来ないのかと思ったら3次元でも十分対応できますよとのたまう。

正直オイラには“オタク”たちの特異な世界が理解出来ない。
確かにオイラもその昔はルパン三世や機動戦士ガンダムに
ハマった世代である。プラモやフィギアも持っていた時代もある。
でも、大人になるとともにそのモノたちは何処かへ消えてしまった。

街を歩けばテレビから出て来たようなファッションの子や一歩間違えば
「風俗やろ」と思える可愛いメイドカフェの呼び込みが彼方此方にいる。
まさしく東京の秋葉原そのもの。大阪では日本橋がオタクの聖地なんだって。

2174「街中」


なんかKちゃん嬉しそうだね
「はい、今度こっちに引っ越してこようかな」

今Kちゃんが住んでいるところは、大阪の某風俗街のど真ん中らしい。
そこに住んでいると言うだけでも会社であらぬ噂が立ちそうなのに
(既に噂になっていた)婚期が遅れるだけとちゃうのか。
現在27歳。彼女いない歴3年。

いずれ生まれ故郷の宇都宮に帰りたいと顔を萎ませる。大阪はただせさえ馴染まない
関西弁を早口でまくし立てられると恐怖を感じるらしい。大阪は自分には合わ
ないけど、唯一日本橋に来ると心が癒されるんだとか。分からないまでもないが
こんなKちゃんを新世界へ連れて行ったらどないなるんやろ、と密かに妄想した。

「ここがいいです」
何屋さん
「め、めいどカフェです」
おぉ、さすがKちゃん
「どうします。普通の店に入りますか」
いいよ、折角だから入ろうよ

お腹が空いたので、どこか適当な店に入ろうと言ったら
AKB48のような衣装を着たアニメ顔の子が応対。

「お帰りなさいませ、ご主人様。この学園は初めてですか」
学園
「はい、ここのシステムは会員になるとお客様は先輩になります」
先輩
「はい、ポイントが上がるといろんなメリットがあります」
メリット
「はい、一緒に写真が撮れたり・・・」

こりゃあ、新手のボッタクリ風俗みたいじゃん。最初は安い料金で
店に引き込みオプションを重ねる毎にすぐに万金が飛んでいくシステム。
でも、仕事柄こんな子ばかりを取材しているオイラには何の魅力も感じない。
ふと横で説明を聞いていたKちゃんが漫画目のようにリンリンと輝いていた。

おいおい、もう魔法に掛かっているのかよ

Afilia魔法学園なるメイドカフェの1階は至って普通の喫茶店だが
学園に入学すると2階席ではそれはそれはオタクたちにとっては
楽しい愉楽の時間が過ごせるようです。でも時間制で料金が追加される。

これって、風俗じゃん
「いえ、ギリギリ違います」

2174「ハヤシライス」


ハッシュドビーフのハヤシライスが900円。スプラッシュジュースが500円。
それ以外のカレーライスやパスタ類は全て1,000円を超えるメニューばかり。
後から入って来たオタクらしき若者が説明を聞いて2階席に上がっていった。

やがて笑い声や楽しい会話が聞こえてくるが、女の子の声がアニメの声優さん
ばりの大袈裟な可愛い声。「先輩、そうなんですかぁ。ワタシ困っちゃいますぅ」

こんなんで癒されるの
「はい、僕たちにとっては」

普段から女性と会話が出来ない人たちにとっては究極の空間なんだとか。
時間制故に1時間後に我々は外に出た。もし、このシステムをタイに持っていったら
タイのオタクたちは来るのだろうか。以前あったメイドカフェは閉店したけどね。

その後も聖地を闊歩するKちゃんは様々な店に入り、オイラにいろんなジャンルを
レクチャーしてくれた。確かにオイラの知らない凄い世界です。最後にNMB48が
定期的にコンサートを開催する場所に案内された。

AKBは知っているけど大坂はNMBなんだ
「はい、ナンバの頭文字ですけどね」
へぇ〜、名古屋もあんでしょ

さすがにこの世界に詳しいKちゃんはそれから講師のように教えてくれた。
今やなでしこもゴルフ界も女性が元気のない混迷する日本の社会を背負って
いく時代になんのだろうね。まさにアジア的な活力と熱気の向上だね。

2174「NMB48ポスター」


2174「48会場入口」


2174「NMB48地下会場」


「NMB48の悪口書いたらブログが炎上しますよ」
へぇ〜、炎上は困るけど観に行こうよ

コンサート会場は難波花月の目と鼻の先にあった。先週この近くで
NMB48のメンバーの1人が買い物をしていたら大勢の人集りが
出来てまるでデモか暴動のような騒ぎになったそうだ。

なんだか熱き民族のタイ人たちが繰り広げるデモや集会や騒乱に
似てるような部分があるけど、その煮えたぎる熱いエネルギーを
だらしない今の政府にぶつけて革命を起こして欲しいけどね。

2174「豚まん」


その後千日前を探索しながら有名な・・・ベタな551の豚まんと
ちまきを食べ近くの居酒屋で酒を酌み交わして別れた。超多忙な
Kちゃんは翌日の朝6時の新幹線で東京に出張して最終電車で
大阪に戻り、翌日には今度は奈良の会議に出席するんだとか。

企業戦士になり日々仕事に追いまくられる現代の日本人たち。
彼にとっての日本橋は、まさに戦士たちの拠り所であり喉を潤す
砂漠のオアシスなのだ。1日歩いてほんのちょっと理解出来た気がします。

2174「Kちゃんと飲む」


Kちゃん、近いうちにタイにお出でよ
「はい、癒されに行きたいです」

因みにNMB48ファンの皆様、悪口は書いてませんので
ブログを炎上させんといね。



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asia_jiyujin at 11:20|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

July 20, 2011

第2173回「深緑の吉野山にて」

2173「吉野山の店並み」


7月17日【奈良県吉野山】

「ここで創作活動したら、きっとえぇ作品が書けまっせぇ」

見渡す限りの深緑の森。修行僧が苦行の場とする鬱蒼たる緑の山々。
世界遺産に認定された紀伊山地の霊場と参詣道が連なる吉野山。
テレビで観たことがあるけど足を運んだのは生まれて初めての国立公園。

空気も美味いし、えぇとこでんなぁ

確かにこんなとこで執筆活動したら、さぞや奇っ怪な長編物語が書けそう
だけど、夜の静寂は1人だと寂しいやろなぁ。

2173「絶景の景色の中で」


今日は執筆創作活動場所を探しに来たわけではなく、実は前回来た時に奈良県の
法隆寺前の茶屋で食べた柿の葉鮨にすっかりハマってしまったオイラの為に
わざわざ柿の葉鮨発祥の地とされる吉野山の茶屋街に連れてきてくれたのだ。

「先ずは、あれちょうだい。やたがらす生貯蔵酒」

2173「吉野山の地酒」


2173「柿の葉鮨」


2173「柿の葉鮨大」」


地元の吉野では名産的な日本酒なんだとか。ちょっと辛口で喉に引っかかる
けどこれが柿の葉鮨に実に良く合う。地元の山菜やこんにゃく料理。特に
深緑の森を愛でながら食べる獲れたての鮎の塩焼きは至高の味。

2173「鮎の塩焼き」


2173「鮎のかぶりつき」


くわぁ〜、なんまらうんみゃずら

思わず以前探訪した長野の飯田市で食べた岩魚やあなごの塩焼きを想い出す。
今NHKで放送している“おひさま”の舞台になっている長野の安曇野や
松本城に連れて行ってくれたNにS嬢に今更ながら感謝である。

NにS。元気でやってるかぁ。あん時はありがとね

冷酒が鮎の肉に絡みちょっとした苦みが玄人好みの味になる。
人は本当に美味いもんを食べると幸せな気持ちになれる。

えぇなぁ。なんか知らんけど、ごっつぅ幸せな気持ちになってきたわ

大阪を訪れる度にA氏は粋なサプライズを用意してくれる。関西人は
ホスピタリティに長けているタイ人に似ている部分がある。日本からの
ゲストには必ずちょっとしたサプライズや幸福感を用意してくれるもんな。

世界中を旅しても大阪以上にワクワクする街は少ない。と言っても
考えてみれば“食べる”が主の“食い道楽の街”やけどね。

だが、大病を体験し、紆余曲折の荒波をかき分け、さらには波瀾万丈の
人生を乗り越えて来たオイラにしてみれば、博打や色恋よりも
究極の銘酒に地元の至高の肴に気軽に話せる朋友”が幸福の三原則。
それだけで人生晩年に向かって生きる活力になれるもんです。

2173「霞が掛かる山々」


えぇね。酒も旨い。肴も美味い。朋友もおもろい。人生は楽しいね



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asia_jiyujin at 09:37|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう