March 2012

March 30, 2012

第2311回「後継者育成に奔走」

2311「ボーちゃん


浪速の3人衆が帰国された翌週からは連載の取材に奔走していた。
今月からは後継者育成のためにTくんをアシスタントにして同行取材。
いずれオイラの身体がポンコツになってシャッターを押せなくなる前に
せめて後任候補を育てておかなアカンやろと言う自らの責務。

そんなことは編集部で考えることじゃん」とも思うが几帳面で
クソ真面目なオイラは6年前に胃を切った時に切実に思ったのだ。
所詮歯車の一個。部品の一個くらいすぐにでも交換できるやろと。

ところが特殊なジャンル故にオイラが辞めても次世代の候補者が
次から次に控えていると思ったらこれが意外と少ないらしい。

へぇ〜、あんまり魅力のねぇ世界なんかね

2311「プレイガール2


かつては華やかで羨ましく思えた出版界も今やリーマンショックに
東日本大震災の影響で一気に低迷ムード。広告の激減と共に経費を
大幅削減。当然将来性を危ぶむライターやカメラマンたちは嘆き悩む。

「あぁ〜あ、これじゃメシも食っていけねぇよな」
「しゃ〜ないな、別の仕事でも探そうかいの」
「アホか、今更何処でつぶしが利くんのや」
「そうやなぁ・・・」

普通の会社であれば長年の実績と功績で上がるはずの報酬(原稿料)
はここ数年は横ばい状態どころか下がる一方では魅力もなくなる。その
ためかこの1〜2年は次期候補者が現れてもすぐに業界を去って行った。

「若もんはいいやねぇ。てめぇの可能性に賭けて何でも勝負できるもんな」
「ロートルはアカンで。この歳になったらどこも使うてくれへんで」
「そやなぁ、貯めた金をチビチビ使って何とか食っていかなな」
「これから益々出版業界は厳しくなっていくんやろねぇ」

スマートフォンの復仇で数年前から電子書籍化が進み紙媒体の限界を
感じてはいるが、それでも紙に書かれた活字や写真を見たい人は多い。
元に新聞や週刊誌がそうだ。IT化がどんなに進んでもアナログ志向の人は多い。

2311「蘭姫


さて、縁あってアシスタント兼将来の後継者として育てることになった
Tくんは在泰11年目の35歳。タイ人と結婚して2人の子供がいる。
35歳と言えばオイラがタイで活動し始めた年齢と同じじゃねぇか。
しかも、それがすで結婚して2人も子供がいるのか。

オレが18年前に来た時に、すぐに結婚していれば子供は間もなく
高校を卒業する歳になっていたっちゅうことかいな。あぁ、やっぱり
あん時あの子と結婚しとけば良かったかなぁ。

女の子やったら嘸かし可愛いかったやろなぁ

2311「くすのき


ま、そんな妄想は置いといてこれからこの業界で食っていく若者に
手取り足取りレクチャーするのだが、オイラがやり始めたときは師匠
もいなけりゃ先輩も誰も教えてくれなかった。まさに手探りの新参者。

昔は諸先輩に同行して『見てワザを盗め』と言うのが通説だったが
今は1から10までレクチャーしてすぐに即戦力になってもらわないと時間がない。
どんな業界も厳しい世界やけど後は自分で体験しながらスキルをアップ
していけばいい。センスと構成力を養いながら人と人の縁を大事にして
いけばこのタイの異質な業界でも長く続けていけるでしょ。

2311「ポプラ」


「義理を欠かず嘘をつかない」
「常に相手の立場になって考える」
「目先の利権に惑わらされて仕事をするな。財は後からついてくる」
「いつでも謙虚な姿勢と感謝を忘れず」


コレさえ守っていけば息は長い。とは言え因果な商売だ。異国で人様の
軒先を借りて商売させて頂くっちゅうことは決して敵を作ってはいけない。
危険を感じたら即撤退。どんなに腹が立っても「マイペンライ」。
喧嘩しても不毛な時間とエネルギーを費やすだけで何1つプラスにはならない。
詰られても忍の一字。ひたすら我慢。ま、酒でも呑んで早く忘れる事だ。

2311「ボーカガミ」


いずれ成功しても「実るほど頭を垂れる」ことを肝に銘じてくんろ。
なんてぇ偉そうな事をのたまったところで自ら実践出来てない時もあり
まだまだ人生を反省すべく半端者故にオレに後輩なんぞ育てられんのかね。


asia_jiyujin at 18:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 29, 2012

第2310回「浪速からの3人衆」

2310「キャディ縦」


【3月8〜11日】

ふぅ〜ようやく一段落できるばい

札幌のVIP様が帰国されてから1週間は月例取材以外は何のミッション
も無く身体が求めるだけ好きなだけ寝た。それこそ誰に気遣うことなく
毎日毎日死んだように寝まくった。いやはや驚くほど寝られるもんだ。

どんだけ夢を見ただろう。その殆どは目が覚めると同時に記憶から消えた。
無理に想い出す必要もないし、何かを暗示する予知夢でもなさそうだった。
大好きな和食を毎日堪能し体調は頗る良くなりウ○コの色も健康色。

うぉーハノイから戻ったときの元気な身体に戻ったぞぉ

人間という生きものは実に回復可能な動物と言うことを実感する。
健康な身体は同時に性格まで明るくして毎日が楽しくなるもんや。
アントニオ猪木が叫ぶ「元気があれば何でも出来る」は本当だ。
さぁ、いつでも何でもやってこいや」という気になる。

「まいどMです。元気でやってまっか。8日から仲間連れてタイに
遊びに行きたいんやけど藤岡さんのスケジュール空いてまっか」
はい、大丈夫ですよ。楽しみに待ってますわ

国際電話は大坂は弁天町のM社長からだった。M社長は昨年こそ
洪水騒ぎで来られへんかったけど毎年ゴルフに来ていた人。
オイラは妙にこの人が好きだ。酒の呑み方もお洒落で
何よりもオイラとの縁を大事にしてくれている。

今時珍しいほど実直で真面目に生きてこられた常識人の社長さん。
(あ、他の客人さまたちが非常識人とは言ってませんからね)
さて、8日に訪タイした浪速の3人衆を迎えに行った。

「やぁ〜、藤岡さん元気そうやね」
ようこそいらっしゃいませ。待ってましたでぇ

普段は極力共通語で話すオイラも関西人が来ると関西弁で話す
ようにしている。18年前にタイに渡航した当初に諸先輩から
タイ語を習う前に関西弁をマスターしろと『関西弁集中講座
という本を渡されたのが関西弁を話す切っ掛けになった。

タイ語を勉強した人なら最初に気付くと思うが、実はタイ語と
関西弁の発音は妙に類似していることが解る。「見えない」は
マイヘン」これは殆ど「メェヘン」に聞こえる。極めつけは
トイレは何処ですか」は「ほんなんゆうてない」で通じる。

元々、大阪が大好きだったこともあり数十年前に初めて大阪に行った
時はA氏から「下手でもええから大阪弁で喋ってな」と助言された。
現地で関東弁で喋ると大阪人から反感を買う恐れがあるからだと。

今週末で終わってしまうNHKの連続テレビ小説『カーネーション』は
関西地区でも一番キツイ言い方をする関西弁らしいけど、オイラは
このドラマを観ていつも元気を貰っていた。まさしく元気の源的方言。

負けたらアカン。ウチは負けへんでぇ。やったるわい

関西人は強くて逞しい。逆境を笑いに変えていつの間にか周りを元気にしている。
気が付けばあの阪神大震災から18年も経っている。あの復興力はまさしく
微笑みの国のタイと同じようにどんな苦境も笑いで跳ね返す逞しさがあんのやろな。

だから、いつかタイでの役目を終えて日本に帰国することになったら
出来れば大阪に住んで関西人になってみたいと願望している。あの無駄な
熱気と活気と陽気さは今オイラが住んでいるバンコクと同じ匂いがするから。

2310「ティーショット」


さて、8日に到着した日から夜の帳に誘って翌日からは連日ゴルフ三昧。
終わった後は疲れた身体をタイ古式マッサージで究極のリラクセーション。
晩餐はフカヒレスープにアワビ雑炊に紹興酒。そしてお決まりの夜の帳へ。

2310「キャディ前川さん」


2310「キャヂィブリッコ」


翌朝、まだ陽が明けきらぬうちにホテルに迎えに行き2ランウンド目に。
終わった後は再びタイ古式マッサージを受けて・・・・。

2310「ワットアルン」


2310「3人衆懺悔」


2310「暁の寺院」


最終日だけは身をもって仏教を体験して頂くためにバンコク三大寺院巡り。
僧侶に清水を頭から掛けて頂き1年間の悪行を懺悔してリセットする。
タイで直接お坊さんの説法を聞けるなんて滅多にないことでしょ。

「おぉ、なんか心が軽くなった気がするわ」
ホンマでっか。ほな次はお土産買いに行きまっせ

その後は気持ちよくタイに送り出してくれた奥様や娘さんたちに
パシミヤのマフラーやタイ料理の材料や雑貨類の土産を大量購入。

「またこれで来年も来れるやろ」
ほな、万難を排して待ってまっせぇ

今回はM社長が連れて来られた初タイの友人と妙にウマが合い
ゴルフも食事も夜の帳も毎日笑いながら楽しい日々を過ごした。

「ワシと藤岡さんは赤い糸で結ばれとったんや」
そら、恋人同士の話やろ
「何でもえぇねん。ほれほれ、呑んだらえぇ」
おおきに。やっぱ、酒が飲める人はええねぇ

自慢話も講釈もたれずに楽しく飲める人はいい。貴方がどんな生き方を
してきてどう言う立場でどんなバックボーンを持っている人なのかなんて
まったく興味ない。ただ一緒に旨い酒が飲めればそれで十分幸せなのだ。
袖振り合うも多生の縁。知り合った以上盃を交わしたからにはもう朋友。

またいつでもお越しやすぅ
「帰国したら大坂に来てや。みんなで待っとるわ」
そら嬉しいわ。どうもおおきに」
「おもろいとこに連れてったるわ」
九条ちゃうやろな・・・

こうして楽しかった4日間があっと言う間に過ぎた。
さすがに3月も中旬近くなると1日1日が暑くなってきた。
来月はタイ人が待ちに待ったソンクラーン(タイ正月)だ。
日本からの訪タイ客の予定はなく1ヶ月間はのんびり過ごせそうだ。

その前に再来週から今度は大坂のA氏が家族でやって来る。
コンドミニアムを購入する前に先ずは子供たちが実際に住んで
対応出来る国かどうかを身をもって体験するのが目的だとか。

よっしゃ〜、万難を排して待っとるでぇ

asia_jiyujin at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 28, 2012

第2309回「VIP様体調崩す」

2309「歓楽街」


【2月25〜3月1日】

ふぅ〜さすがにもう限界だ。頼むから休ませてくでぇ〜

もうこれ以上“忍耐と寛容の実践”の修業を続けていたら
ぶっ倒れかねない。頼むから2,3日でいいから身体を休みてぇ。
と切望しても今夜の便で、あのVIP様が3年ぶりにやって来る。

VIP様。そうオレを数年前に禁断の園に誘わしたゲイ様である

2309「会場」


タイは男にも女にもそしてゲイやホモにも寛容たる差別のない国である。
だからこそ世界中からその筋の組合員が大挙してやって来る町なのだ。
だがノーマルなオレとしては我慢と忍耐以外の何モノでもない。例え
感情を殺しても目前のシュルレアリスム(超現実主義)の世界に困惑する。

色即是空・・・

差別区別はしたくはないが愛は形もなく誰にも邪魔も束縛も
されることなく真の恋愛を貫き通す事が出来ることが彼らに
とって至福の証。オレには到底理解出来ない世界だけど。

おかげでバンコクだけでなくパタヤやタイ北部のチェンマイの
町まで飛んでタイのありとあらゆるゲイタウンを垣間見てきた。
もちろん飛行機代から五つ星ホテル代から食事代は全てVIP様負担。

当時提示されたアテンド料は破格の報酬。だが報酬額よりもタイの
暗黒街のあらゆる分野に精通するための修練と割り切って受けたが
2日目で根を上げた。正直、普通に生きていたら知らなくていい世界。
それを開けてはいけない禁断のパンドラの箱を・・・だが、ここで
根を上げたら悲しむのは客人であり断ったら誰がケアするのだ。

オーマイゴット

そもそも、なんで昔からオイラには奇人変人を初めとする
その筋の親分衆から現役警察官、果ては大学の教授までと
ありとあらゆるジャンルの人たちが訪ねて来んのやろ。
その数は年間150人を超えている。

まぁ、殆どは普通の社長さんや一般のサラリーマンが多いのだが
極たま〜にそっち系の組合員や業界人からオファーがくんのよねぇ。
おかげで経験値の高さや引き出しの数はバンコクでも指折りでしょ。

自画自賛。言うよねぇ〜

で、そのVIP様なんだが、空港からホテルまで送迎してもらえる
ツアーで来るはずなのだがホテルのロビーで待っていても一向に姿を
現さない。痺れをきかせて受付に訊くと既にチェックインされたと。

はぁ、オレずっとこのロビーにいたのよ

急いで部屋に電話すると元気のない声が。部屋に行ってみると
どうやら長旅で疲れたらしく疲れた様子。さらに北海道で引いた
風邪が治ってない。取りあえず外に出て3年ぶりに歓楽街を歩くも
かなり辛そうだったのですぐにホテルに戻ってきた。

翌日から一応滞在中のアテンドを依頼されていたので自宅待機。
ところがVIP様から連絡が来たのは帰国される前日である。
訊けば連日病院に通って点滴を受けていたと言うのだが・・・。

あれ、もしかしてオレ嫌われたのかな・・・

それはそれでお役目御免になるからこの奇異な世界から離脱出来る。
ところが、ホテルのゲストリレーションに確かめると確かに毎日
保険会社のスタッフが迎えに来て病院に通っていたと言うのだ。

折角楽しみにしていたのだが、結局VIP様が愛して止まない
フカヒレ&アワビ雑炊を最後の晩餐で堪能されて帰国された。
翌日無事北海道に着いたVIP様から国際電話が掛かってきた。

2309「バンコク摩天楼」


「あれから空港の免税店でねぇ、とてもカッコイイ子を見つけたの」
はぁ、それで
「来月またタイに行くから調べておいてくれないかしら」
・・・・無理です
「F2待合ロビー近くの免税店の子よ」
だから無理ですって
「食事のセッティングだけでいいのよ。お金ならあるから」
そう言う問題じゃなくて国際便に乗らない限り中に入れないです
「それなら日本に帰ってくればいいんじゃない」
・・・・無理っす

今やおねぇ系は日本でも十分に認知されている世界だが、
一般人的にはやはり特異で異次元的ワールドである。

おぉ、仏陀様。これも忍耐と寛容の実践なのかしら


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March 27, 2012

第2308回「NOと断らん理由」

2308「カフェでラテを飲みながら思う」


【2月23〜24日】

「だからさぁ、彼は私のメールを見ているのよ」
どうやって
「スマートフォンを買ったときに彼が自分のノートブックと同機してね」
ふ〜ん、そりゃあI Phoneと同じセッティングの要領だな

義妹のSは数年前にアメリカ人と結婚して現在は2児の母。
彼女がフライトの時は北海道の実家から母親が上京して
幼い子供たちの面倒を見てくれている。

「もう無理。彼とは一緒に住めないわ」
かと言って別れたら君の給料だけじゃ食ってけないだろ
「うん、それもそうなのよねぇ」
旦那が浮気した訳じゃないし、もし別れても慰謝料は出ないだろ
「もし離婚したら子供たちの親権は彼が主張しているのよねぇ」
そりゃあ経済的に言えば圧倒的に君は不利な立場でしょ

どんなに愛し合って結ばれても、何処かで歯車が狂えば
徐々に溝が生まれやがて歪みは大きくなるばかりだ。
子は鎹」とは言っても昔と今じゃ時代が違う。

あのね、これだけは言っとくけど。絶対に別れるなよ
「どうして?」
君も腹を痛めた子供たちと別れたくないだろ。だったら我慢しろよ
「でも、もう無理よぉ」

ふと時計を見たら朝の5時。間もなくBTSの始発が動く時間だ。
24時間営業のマクドで冷めたコーヒーを掻き回しながら
オラはなにやってんだろ」とつくづく自問自答する。

懺悔を聞く神父様じゃあるまいし、何でもかんでも人様の
相談事や問題に顔をツッコんで挙げ句の果てには寝る時間も
奪われる。もっとてめぇの健康を考えんと倒れるぞ。

「来週もフライトがあるのよねぇ。また相談に乗ってくれる」
あぁ、もちろん。連絡してよ
「ありがとう」
じゃ、お休み

お〜い、お前。なんでNOと断らないんだ」てめぇの心の中に
もう1人のオレが現れて自問自答する。「さぁ、なんでだろうな

1つだけ言えることがある。年に一度来るY氏にしてもたまに来る
S女史にしてもオレを信用して頼って来るからには、もし断ったら
どんだけガッカリするんだろと思うと断れない。結果的に自滅する。

2308「バンコク夕暮れ」


S女史をホテルまで送り届けて薄暗いバス停で一人佇みながら思った。

忍耐と寛容の実践っていつ終わんだろうな・・・もしかして永遠か


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March 26, 2012

第2307回「忍耐と寛容の実践」

2307「アユタヤ涅槃増」


【2月14〜23日】

Y氏とTさんは毎年顔馴染みになっている常連組。Y氏のお友達の
73歳の元ロータリアンとも札幌で何度か会ったことがあるのだが、
今回うつ病を煩わして勤めていた会社を辞めたという65歳のEさん
にはさすがに参った。

タイに来た翌日にゴルフに行ったのだが、暑さで体力が続かなかった
のかその後のゴルフを全てキャンセル。勿論日本で支払ったゴルフ代
は戻らない。で、ゴルフの代わりに観光旅行に行きたいとのたまう。

ところが、HISを初めとするバンコクの旅行代理店のパックツアーは
最低催行人数が2名様からになっている。ならば個人的なガイドを
手配してくれと頼まれ日本語堪能な旧知のタイ人女性Mに仕事を依頼。

2307「ゴルフ場


代わりにオイラがゴルフに参戦。今年最初のラウンドはもっとも苦手と
する池の多いパンヤインドラ。近年希に見るワーストNo.1の113。
2日目も113。3日目にしてようやく違うゴルフ場で調子が戻り92。

まぁ、それはいいとして。酒を呑まない3人に代わり、Eさんと夕食を
共にしながら夜の帳にも誘った。うつ病とはいえ酒は呑めるし、極普通に
思えたのだが、3日目くらいに豹変した。

「私はこんなとこに来たいと頼んでいないんだ」
あ、そうですか。それではホテルに帰りましょう

オイラは医者じゃないだけに、うつ病の人に使う言葉は慎重に選びながら
使っていたつもりだが、ご機嫌に呑んでいても途中で豹変されると怖い。

2307「アユタヤ移籍」


極めつけは最初に観光ガイドを依頼したMが4日目に風邪で休むことになり
急遽オイラがアユタヤ観光に案内することになった。Y氏とTさんは2年前
に行っているのでEさんとHさんと行くことになったのだが、ご高齢という
事もありかつ日中の暑さは日本とは比べものにならない。

手取り足取り何とか無事にホテルに戻って来たが、その日の夜にバンコクの
歓楽街を観たというのでソイカウボーイを闊歩。その後に「ニューハーフ
ショーが観たい」と言うので事前に安いチケットを手配して4人を
カリプソショーへご案内。まぁ、ここまでは想定内だったのだが・・・。

翌日から風邪を引いたM女史の代わりに急遽日替わりで女性ガイドを
3名手配した。3名は全てガイドを生業とするタイ人ではなく単に
日本語が話せる知合いの店のキャバ嬢とママだったからだ。

当然、タイ人のドタキャンは十分想定しなければならなかったから3名に
日替わりで依頼して残りの4日間を乗り切るつもりだった。Eさんも当初は
「いいですよ」と納得していたのにもかかわらず前日になってから豹変した。

「私はMがいいんだ。他のガイドはいらん」
Mは風邪引いて具合が悪いから他の人を頼んだんですよ
「Mに連絡してくれ。あの子に世話になったから何か買ってやりたい」
おぉ、なんちゅう自己中な爺様なんやろ・・・

声には出さず心の中で思ったが、さすがにこの時はまいりました。
ま、男という生きものはうつ病だろうがアスペルガーだろうが
根底にあるモノは異性に対する特別な拘りと執着心。

2307「焼き肉」


これが1つの治療にでも繋がればと思ったが、さすがに限界だと
思いキャディを誘って焼き肉を食べていたY氏に相談した。

オレ、もう無理っす
「まいったなぁ。あんな人だとは思わなかっな」
思わなかったって、誘ったのはYさんなんでしょ
「う〜ん、普段は大人しいんだけどなぁ」

Y氏もさすがに触らぬ神に祟りなし状態で触れないようにしている。
おいおい、オイラに任されてもワシしゃ精神科医じゃねぇぞ。
みんなずるいよ。なんでオレ1人がEさんの面倒みなアカンのじゃ。

縁ある人に頼まれれば極力NOとは言わん。ただ、頭は垂れても
媚びは売らない。だから納得出来ない理不尽な事案はさすがに断る。
結局頼んだ3人に自腹でペナルティーを払い未だ完治していない
M女史に連絡して残りの滞在中のアテンドを頼んだ。

M女史は対価が発生するけどオイラは・・・なんか割に合わんなぁ

と、嘆きながらも、今になってからふと先日拝読した和歌山のS先生の
書いたブログの一節を思い起こした。折角だから抜粋して掲載します。
(S先生。事後承諾だけんど許してくんろ)


本の内容はというと、本当に基本的な人間の喜びや怒り、死、愛そして
思い遣りなど心の持ちようを解りやすく優しい言葉で語ってくれているもの。
その中で私が一番“ほぉ〜”と思ったのが「怒りなどの感情をつきあう」の章。

その内容を簡単に抜粋すると…

怒りが生じそうになったときに、心の平和を保つための、とても大事な
テクニックがあります。それは不満に思ったり落胆したりしないことです。
というもの、不満や落胆は怒りや憎悪の原因になるからです。
ですから、状況をよく観察し、怒りの原因となるプロセスが
見つかった時には初期の段階で摘み取ってしまいましょう。

しかし、なかなかなくならない怒りの感情に対して、残された方法は 
自分の心の受けとめ方を変えることだけです。ものごとや出来事に対する
受けとめ方が変われば、すべての事柄が敵やフラストレーションの原因に
なるどころか友人や幸せの原因になることだって可能です。

敵(怒りを生じさせるもの)はとても悪いものです。敵は私たちの心の
平和を破壊します。しかし、別の見方をすれば、敵だけが私たちに忍耐する
チャンスを与えてくれます。敵の他にはだれも、寛容さの修行や忍耐の修行を
させてくれません。

あなたが知ってる人で、なおかつ、あなたに厄介ごとをもたらす人だけが、
忍耐と寛容の実践のとてもよい機会を与えてくれるのです。
(『ダライ・ラマ ハートフルメッセージ』ダライ・ラマ14世
テンジン・ギャツォ著 鈴木樹代子訳より)



この“ダライ・ラマ法王14世の教え”を例えれば、まさしくEさんは
オイラに苦痛を与えてくれた人物でありオレ自身に我慢や忍耐を身につけ
させる為に修業させてくれた人だったのかと。そう思えば腹も立たない。

何はともあれ病気も怪我もなく(最終日にEさんはM女史と病院に行った
らしいのだが詳しい内容は聞いてない)犯罪に巻き込まれることなく
初めてのタイで散々いろんな問題を起こしたEさんを含めた4人の
高齢者軍団は23日の夜便で無事に帰国されましたとさ。

ふぅ〜やれやれ

ところが4人組を空港に送ったその4時間後、今度はもっと厄介な問題を
抱えたUAのCAの義妹が久しぶりのフライトでタイにやって来た。
「ねぇ聞いてよお兄さん。彼ったらさ」「えっ、なに?愚痴、不満かよ」
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが今回ばかりは離婚寸前の危機らしい。

やれやれ、これはオールナイトになりそうだな。夜1時。彼女等UAの
CAやクルーたちが宿泊している某ホテルに迎え行き近くの24時間営業
のマクドで溜まり溜まった彼女の不平不満愚痴の嵐を聞くハメに・・・。

おぉ、ダライ・ラマ法王様。オレの忍耐と寛容の実践はまだまた続く
のでしょうか・・・気力と体力が限界に近づいてきました。眠てぇ




asia_jiyujin at 00:18|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 24, 2012

第2306回「極旨の塩ラーメン」

2306「らーめんチャンピョンズ」


【2月13日】

最後の不動産会社と打ち合わせを終えた後でアソ−クに出来たばかりの
巨大ショッピングモールのターミナル21の中にある『CHABUTON』
なるラーメン屋で昼食を食べた。大食家のA氏は替え玉までペロリ。

食うねぇ〜。オレは半分でも満腹や

2306「豚骨塩ラーメン」

『味は不味くはないが豚骨が濃厚すぎや』

2306「荒木氏食べる1」


2306「荒木氏食べる2」

『見事な食べっぷりは胃があった頃のオイラと同じや』

オイラは塩とんこつ味のハーフサイズ。店はほぼ満席に近いほどの
混みようながら客の大半は如何にもお金のありそうなタイ人である。
場所はオフィス街ながら大概のタイ人は外の通りの屋台街で昼食。

現政党が選挙の時に打ち出したマニフェストのうちの1つである
労働最低賃金300Bが(現行バンコク215B)来月4月1日から
施行される。賃金が上がると言うことは同時に材料から仕入れも
上がる。結果的には物価上昇が一気に進むわけだが、何だかのんびり
していた仏教国のタイも段々に住みづらくなってきて嫌やなぁ。

なんか違和感あるなぁ。ラーメンもうどんももう飽和状態だな

今やバンコクは昔からある店も含めて日本から進出してきた多種多様の
ラーメン屋が混在する東南アジアでは珍しいほどのラーメン激戦都市の
1つになっている。うどん屋もだ。もうその数は掌握できない程の数。

ところで、以前から旨い塩ラーメンを探していたのだが、期待した北海道
から進出してきた毘沙門の塩味は豚骨の味が濃厚すぎてガッカリした。
ところが、今年の元旦に東京から遊びに来たKさんらと食べに行った
東京から進出してきた6店舗がひしめく“らーめんチャンピオンズ
の中にある『初代けいすけ』のゆず塩ラーメンはめっちゃ旨かった。

2306「店前看板メニュー」


2306「店前」


2306「柚子塩ラーメン」

『丼の底が見えるほど澄んだ黄金色の塩味に絶賛』

ほぉ〜驚いたね。やっとめぐり逢えたよ。嬉しいねぇ

長年探し求めていた究極の塩味が偶然にも年の初めに遭遇しちゃった。
とは言え、最近は日本から来られる客人たちに北海道産のラーメン
を買ってきて貰っているから敢えて外食することは殆どない。

2306「土産のや、あ」

『大坂のA氏がごっそり買って来てくれたラーメンや塩辛や乾物類』

そう言えば今週22日から、伊勢丹デパートで恒例の北海道物産展が開催
されている。以前までは心待ちしていた函館ラーメンやウニやいくらの
海産物もさすがにバンコク都内にこれだけ本格的な味の店が出来ると
わざわざ足を運ぶほどのフェアーではなくなった。これも時代だねぇ。

さて、A氏が1週間の滞在を終えて夜便で帰国される日の夕方に、
毎年この時期に来られる札幌の60歳過ぎのゴルフ組年配者を
迎えに空港に行った。ところが案の定待合わせ場所に姿がない。

どうして毎年来てんのに覚えないかなぁ・・・

事前にメールで何度も確認したにも関わらず約束の時間に現れない。
1時間くらいしてから通りすがりのタイ人に「ヘルプ ミー」と
お願いしたらしくオイラの携帯電話に連絡が来てようやく会えた。

「やぁやぁ、あそこで待ってるって言わなかったっけ」
そんな事ひと言も言っておりませんぜ
「まぁ、いいや会えたから。さぁ行こう」

すでに現役を引退されているY氏を始め息子に会社を譲った元左官業の
70歳のTさん。それと73歳になられる元ロータリアンともう1人が
今回問題を起こすことになるうつ病を煩わして会社を辞めた65歳の輩。

ホテルに全員をチェックインさせた後に、A氏を空港に送る前に
同じ日本料理店でテーブルを別にして晩餐を堪能した。御年輩チーム
は酒を一滴も嗜なまないので、オイラはA氏と最後の晩餐で酒盛り。
タチでお好みの鮨を握って貰い、冷えた大吟醸の八海山をクイッと。

くっはぁ〜、五臓六腑に染み渡るねぇ(オイラは一腑足りないけど

コンドミニアムの購入の目処が付いたおかげでオイラの大役もひとまず
終焉。ならば今宵くらいはパッと贅沢をしてもバチは当たるまいて。
後方席では明日からのゴルフの話に花が咲き蕎麦の啜る音がした。

散々、旨い酒とお寿司を堪能した後でアイスコーヒーを頼んだ。
少々酒を呑みすぎて喉が渇いていたので一気に喉に流し込む。

げほっ。んっげぇ〜なんじゃいこりゃ

2306「ヤマサ醤油」

『見た目はアイスコーヒーですが味はヤマサ醤油』

不様にもその場に吐き出した。よくよく鼻を近づけて匂いを確認
したら、な〜んとヤマサの醤油がたっぷりグラスに入っていた。
日本人女性の女将さんも味見をして驚きながら笑っていた。

おいおい、先ずはお客に詫びるのが先だろ

おめぇも醤油の一気飲みをしてみろよ。バツゲームじゃあるまいし。
これが銀座の高級料亭なら女将が出て来て平謝りするんだろうが、
タイでは日常茶飯事。マイペンライ(気にしない)で済まされちゃう。

どうやらタイ人スタッフが冷蔵庫に冷やしてあったヤマサ醤油と作置きの
アイスコーヒーの器と間違ったようなのだが、みんな笑っているだけで
誰も謝らない。オイラは喉が痛くて再度出されたコーヒーも飲めない。

文化も風習も違いプライドが高いタイ人は間違いを起こしても言い訳する
だけで謝ることは殆どない。言い訳と責任転換の上手な民族なのだが、
よしんば日本人スタッフまでもがタイ人化したらその店はお終いだろ。

何だか明日から前途多難を予感させるような出来事だよなぁ〜

さりとて、その予感はモノの見事に的中する事になるのだが・・・。


asia_jiyujin at 02:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 23, 2012

第2305回「A氏コンドを買う」

2305「外観1」


【2月8〜13日】

A氏からの依頼でバンコクにある不動産会社をくまなく調査した。
驚いた事にバンコクには賃貸物件や売買の仲介まで扱う日系の
不動産業社が36社もあった。

へぇ〜、驚いたねぇ。いつの間にこんなに増えたんじゃい

昔から知っている老舗から昨日今日始めたような新参の会社もある。
ネットや雑誌で調べて片っ端から電話で素行調査を計ると、まぁ、
吃驚する事にまともに電話の対応も出来ない(実名会社を書きたい
くらいだ)ような若造が経営している会社もあれば、実に親身になって
受け応えてくれる親切丁寧で信用出来る会社までいろいろあった。

それにしても情けない。日本語が話せるタイ人ならまだしも、日本人
が母国語である日本語の正しい使い方が出来ない。嘆かわしい限りだ。
上司は何も言わんのか。タイで質の高い採用者は少ないんだろうな。
まぁ、笑っちゃうほど宇宙人のような日本人がいる事に驚いた。

「だからさ、今は賃貸の方が忙しくて相手できないんっすよ」
「売買物件の担当者が日本に帰国しているんで無理です」
「いま時期的にダメなんだよねぇ」
「来月また電話してくんない」

雑誌の広告には『いつでも親身になってお客様の依頼にお応えします』とか
『日本人による安心サービス。お気軽にご連絡を』とか。まぁ、いい加減な
もんだ。それよりも今のバンコクに努めている日本人って電話でまともな
対応が出来るヤツは少ねぇなぁ。オレが上司なら横っ面ひっぱたいてるぞ。

あまりの電話の言動の悪さに耐えかねて押し殺したように言う。
あのね。なんでお客様にタメ口で話してんの。貴方は友達か
「そういう時もあるでしょ。それじゃ忙しいから切るわ」

30歳過ぎの若い社長さんである。なんとも嘆かわしい限りである。
こういう会社は問題が発生すると責任も取らずに逃げるんだろうな。
このブログを通して対応の良かった不動産会社ベスト10でも掲載
しちゃおうかしらん。いや世間はワースト3の方が知りたいでしょ。

ワースト1はスクンビット26にある・・・そう、あの会社

電話は相手が見えない分だけ、最初の応対がその会社の全てを決めると
言っても過言じゃない。それが電話に出ても会社の名前も言わなかったり
面倒臭くたらい回しをしたり、挙げ句の果ては切りやがんの。

ま、そんな素行調査を終えて最終的には16社まで絞り込んだ。
さらにその中からA氏が滞在している期間中に対応してくれる会社が
6社あった。所詮不動産は水物だけにその時に縁がなければそれまで。

1日4,5物件を1週間掛けて見学した。新築物件から中古物件。
庶民的な500万B台からまるで映画スターでも住んでいそうな
超ハイソサイティな2,000万Bを超えるような物件まで。

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かぁ〜なんじゃいこの部屋。まるで映画館じゃん
「この部屋もいいねぇ。カウンターバーまであるじゃん」
「いいなぁ。オレもこんなとこ住みてぇなぁ」
Aさんここ買ってよ。オレ毎晩遊びに来るわ

まぁ、あるはあるはバンコクの大都会にはすっげぇ生活している人が
いっぱいいるんだねぇ。それに比べてオイラが住んでるとこは、
まぁ、なんてちっさい部屋なんでしょ。恥ずかしくなるわい。

さて、日中は毎日物件を見て回るも夕方になればオイラの役目も終わる。
オレの小食に比べて大食家のA氏は辛いタイ料理もバクバク食べる。
ある日K旅館のミャオちゃんが絶賛する近所にあるローカルなタイ
フード店に入ってみた。店は小綺麗でファランのお客もいた。

「はなんじゃコレ

2人でメニューを見て思わず腹を抱えて笑ってしまった。
おそらく日本人客用に作った日本語メニューなんだろうが
たぶん自分等でウティペキアでそのまま打ち込んだタイ語を
直訳したもんなんだろうな。その一部を紹介。

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『スパイシーなお皿をカレー蒸し』
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『炒めハヤトウリを撮影』
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『パットポイしてSian』
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『グリーンはココナッツミルクで鶏肉、豚肉、エビカレー』
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『土Tek社の豚肉、鶏肉、魚』

何となく写真を見ながらニュアンスでどんな料理か想像できるのだが、
それにしても久しぶりに笑ってしまった。考えてみれば我々外国人も
案外慣れないタイ語でこんな失敗をしているのかもしんないね。

2305「あらき」


2305「あらき1」


2305「あらき3」


2305「あらき4」


2305「あらき6」


さて、なんだかんだとA氏は短い滞在ながら密度の濃い体験と
刺激的な料理を堪能しながら家族4人が住めるめぼしい物件を
1つ決めた。日本人学校送迎バス学区内&日系スーパー近く。

「これで春からは一家してタイに来れますわ」

子供たちの学校の転入から滞在ビザなど外国人が1人で住むのと
違って家族で住むには日本以上に諸々の手続きが一杯あるのだが。
そのA氏が子供たちが春休みになる明日から奥様を連れて訪タイする。
勿論オイラは万難を排して滞在中のケアに尽力するつもりや。

2305「景観」


そのA氏からメールが届く。

実は家族で海外移住計画においてビザ取得がどうもうまく行きません。
で、第二候補地としてマレーシアも上がっているのですが、可能でしたら
日帰りでも良いので今回の日程中にマレーシアのジョホールバルに視察に
行けたら良いなんて思ってます。可能でしたら藤岡さんもご同行してもらえませんか?



マレーシア日帰り

オイラが仕事で毎月マレーシアのクアラルンプールに行っていたのは
かれこれ15年も前だ。当時はブキブンタンにあるロット10近くの
JWマリオットに滞在しながら発展する町を眺めていたが、当時は電車もなく
マレーシア人と中国人とインド人と先住民のタミール人が融合する多民族国家
であり、時折コーランが流れ女性は目しか見えない黒いブブカの衣装を纏っていた。
ホテルやパブ以外は気軽に酒が呑める場所が少なく男としてはつまんない国
だったのを記憶している。

まぁ、さすがにマレーシアの日帰りはあまりにもタイトすぎる。
ましてやシンガポールに近い南部のジョホールバルはバスやTAXIを
上手く乗り継いでも結構時間がかかんる。きっとな〜にも見れずに
バンコクに戻ることは容易に想像できる。今回は奥様とお子たちに
タイのええとこ見せて現実的に生活していけるかどうかを実体験して
もらった方が賢明でしょ。

2305「プール2」


でも今のバンコクは既に猛暑の暑季。日中は軽く35℃を超えている。
来月のソンクラーン(タイ正月)を過ぎる頃には40℃を超える。
この暑さで熱中症にならんか心配になるわい。

帽子忘れんといてね



asia_jiyujin at 04:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう 

March 22, 2012

第2304回「A氏海外移住計画」

2304「A氏とオレ」


【2月7日】

「藤岡さん、2月はいつ空いてますか?」
えっ、2月は結構ビッチリなんすけど
「急遽タイに行かなアカン用事が出来ましてなぁ」
う〜、ほな7日から13日の間であれば何とか

1日くらい空けて来るのかと思ったらキッチリマス目を埋めるように
Sさんが帰られる7日から13日に来られる札幌のゴルフ組の日まで
滞在されて、その間にバンコクでコンドミニアムを購入したいと依頼。

2304「コンド景観」


しばらく賃貸に住んでから良い物件を決めはった方がええんちゃうの
「嫁がねぇ、家賃もったいない言いはるんですわ」
そやかてタイシルクや土産もん買うんと訳が違うでしょ
「いや、一刻も猶予がないんです。急いで決めな」
何でそない急ぐ必要があんの

A氏曰くは、福島原発の事故により漏れた放射線被害が子供たちの
食べる給食などの食材にまで影響していると言う。信じられない実態だ。
4,5年後には確実に幼い身体を蝕み癌などの病魔が急増するはずだと。

ホンマでっか
タイから見ると単なる風評的な噂に思えてしまうのだが。
「政府が言わんだけでかなりヤバイでっせ」
マジでっか
「それに今おっきな地震が来たら終いや」

近年の異常気象や度重なるマグニチュードの大きな地震。いつ大地震が発生
するか分からない。いざ大阪に直下型地震が襲っ時にすぐに海外に逃げられる
とこがあると安心やと言う。財ある日本人等は既にシンガポールや上海などの
海外に移住を始めているらしい。彼の知人もシンガポールに移ったのだとか。

「ほんまに日本はヤバイっすから」

放射線汚染のことは福島原発を何度も取材している某マスコミ関係者からも
聞いていた。4,5年以内には確実に被曝した身体に影響しますよと。
だから、しばらくは関東付近には近寄らない方が賢明ですと助言してくれた
のだが昨年の11月に行っちゃったもんね。まぁ、老い先長くないからな。

2304「コンド」


そんな現実的な理由ですぐにでもコンドミニアムを購入して一家してタイか
アジアに移住する計画なんだとか。そんなに切羽詰まった問題なんだろうか。
ま、A氏がバンコクに住むんならオイラも楽しみが増えるけど・・・。

って、えっ待てよ。ほなオイラが帰国しても京都の宮川町のふく帆はんに
会いに行けんがな。折角母上様から鼈甲の簪もらったのになぁ。しかしながら
その舞妓のふく帆はんなんだが、事前にA氏からのメールを読んで吃驚した。

2304「ふく帆top


お元気ですか?先日、「お茶屋 しげ森」のHP(http://ochaya.kyo2.jp/)を
見たらふく帆さんが体調不良で舞妓引退だそうですぜ!!
なんたることかということでメールしました。 

また、本年初の極秘プロジェクト会議のため打ち合わせの結果次第では
来月あたり単身にてバンコクに乗り込みます。ではではよろしくお願いします。


なるほど、今考えれば、この「本年初の極秘プロジェクト会議
っちゅうのが「タイ移住計画」やったんかい。それにしても
ふく帆はん、体調不良で舞妓を引退って・・・心配やなぁ。

で、話は7日に続く。Sさんを見送ってからすぐにA氏を迎えて
エアポートリンクとTAXIを乗り継いで宿泊ホテルにチェックイン。

2304「銘酒と柿の葉すし」


わぉ、なんちゅうお土産の数やん
「遠慮せんと呑んでぇな」
おぉ、久保田の万寿やん特選の越乃寒梅も

一番先に目に飛び込んできた銘酒の数々。先日の訃報以来
気持ちが落ち込んでいたのだが一気にテンションが上がった。
我ながら単純な思考だ。今は酒や酒呑んで嫌なことは考えない。

「これも食べてぇな」
うおぉ〜、柿の葉鮨に赤ふくやないですかぁ

とても1人では食べきれない量。柿の葉鮨はまだ日持ちするけんど
伊勢名物赤ふくは今日明日中にさばかへんと悪くなっちまう。
さぁ、それからが大変。普段からお世話になっている人の
頭が脳裏を駆け巡り、彼方此方の店にお裾分けに奔走する。

その夜はタニヤのいつもの店で柿の葉鮨を肴に越乃寒梅を
浴びるように呑んだ。当然、途中で落ちた。ええのや。

今はこのひと時だけが唯一無になれる時間やから・・・



asia_jiyujin at 03:51|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 21, 2012

第2303回「さりとて心は空虚」

2303「怪しい2人組」1


【2月2〜7日】

辛ぇなぁ・・・」

Nさんの奥様の死を知ってから心が妙に渇いている。
今すぐ飛んで帰ったとしてもオイラに何が出来るのだろうか。
折しも札幌では華やかに雪祭りが開催されている時期である。

義理は欠きたくないが、どうにもこうにも心の折れそうだった。
来月末までは途切れることなく日本からの訪タイ客が来る。
それらを放棄するのも義理を欠く行為になっちまうしなぁ。

でも、辛ぇなぁ・・・

ま、クソ忙しい方が余計なことを考えないだろうからしばらくは
てめぇの哀愁の感情を押し殺して全てのミッションをつつがなく
無事に終わらせることに専念した方が賢明だろ。

サロマのSさんがチェンマイ旅行へ行っている間にいつもの
レギュラーの取材に没頭していたら、札幌の某会社のT社長さん
から突然お電話が掛かってきた。

「今パタヤなんだけど今夜バンコク行っから晩飯セッティングしてくれる」
あらま、タイに来てたんですか。晩飯は例のフカヒレ屋でいいですか
「急で申し訳ないね。お願いします」

とまぁ、こちらの都合に関係なく今年は何の前ぶれもなく突然電話を
かけて来る客人が多いねぇ。ま、このT社長は以前までは会社の慰安旅行を
1人で受けていたけどあまりにも傍若無人過ぎてオイラ1人では完全に無理。

今では日本語の流暢なタイ人ガイドに依頼しているのだが
それでもゴルフや晩餐会にはよく誘われる。しかしながら
この歳でパタヤまで重いゴルフバック担いで行く体力はない。

こんにちは。お久しぶりです
「おぅ、藤岡さん久しぶり。元気だった」
もう死にそうなほど忙しいですよ
「いいねぇ。儲かってんでしょう」
それなら、いいんですがねぇ

胃を切ってからはフカヒレのコース料理が全部食べられないオイラはひたすら
ウィスキーのロックを煽っていた。酔えば余計な考えも不安な感情も消える。

さて、チェンマイに行く前とバンコクに戻って来てからSさんのリクエストで
数日間バンコクの夜の帳に誘った。今は兎に角哀しみを悟られずにひたすら酒を
呑んで酔っぱらいたかった。酔って候である。

酒の力は偉大やねぇ。一時でもいろんな事を忘れさせてくれるもんな

Sさんが滞在していたK旅館に胡散臭いアラフォーの女性2人組が
宿泊していたのだが、よりによって優しいSさんはオイラにどこか案内
して貰えばと紹介してくれたが、知らない一見さんの面倒は見ない主義。

「4月中旬までタイに滞在するんです」
それまで何しているんですか
「毎日タイ人ガイドを雇って観光とかグルメとかね」
へぇ〜、毎日ですか・・・

どう見ても訳ありの2人女性組である。あまり関わりたくないのだが
Sさんが帰国される夕方に一緒に小龍包の旨い北京飯店に誘った。
普段ならいろんな事を訊くオイラもさすがに素性調べは控えた。
ただでさえ心境的に凹んでいるし、君子危うきに近寄らずだ。

さて、半月間の滞在もあっと言う間に過ぎて北海道の極寒の地へ帰るSさん。
夜の便で帰国するので4階のディパーチャーまで送りパスポートコントロール
で手を振って別れた。すぐに2階のアライバルロビーに降りて行き、今度は
大坂から来られるA氏を出迎える。

ふぅ〜忙しいな。この後も2月末まで4組がやって来るんやね

今月はプライベートの時間が殆どなく、原稿を朝まで書いていたら
寝る時間もままならない。せめて旨い日本酒が呑みてぇよぉ。

酒だ。酒だ。酒持ってこんか〜い


asia_jiyujin at 01:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 20, 2012

第2302回「予期せぬ悲壮訃報」

2299「初めて参加したメコン基金スタディツアー


【2月1日】

えっ、まさか・・・うそだろ・・・

実は28日にノンカイに行った日の夜にオイラの親代わりにも
なっている千歳のNさんから訃報メールが届いていた。奇しくも
つい先日ハノイで出先でもメールの確認が出来るようにして
もらったばかりのI Phoneを見て愕然としてしまった。


三ヶ月ぶりのメールです。
バンコクの水害騒ぎはどうなっていますか。フジさんから心配要らない、
とのメールで安心したのと、こっちの事情もありご無沙汰です。

・・・今日1月27日(金)妻の初七日を終えました。
1月10日に5回目の入院、12日目の朝1月21日(土)
午前5時40分妻が逝ってしまいました。

手術をしてから2年10ヶ月、頑張りましたが癌には勝てませんでした。
頑張った分、苦しさも長かったのかと思います。守ってやれなかった
悔しさと辛い思いをさせた侘びのこころ、そして寂しさが残っています。

妻はいなくなりましたが、今年の帰国を待っています。
Iさんと三人で飲みましょう。
また涙が出そうなので、連絡だけとします。       



あまりのショックでその場に崩れ落ちてしまった。涙が込み上げてきた。
実はメールを読んだのはノンカイで宿泊しているホテルの部屋である。
偶然にもNさんと仲良くなった切っ掛けが18年前に参加したメコン基金の
スタディツアーからであり、まさしく今いるこのノンカイの地だった。

よりによって何でノンカイでメール見ちゃったんだよ・・・

実は数時間前、パイブン校長宅で18年前の懐かしいNさんとの写真を
見たばかりで当時の懐かし思い出話に浸っていた。こんな偶然があって
いいのか。皮肉にもまるで何かを暗示するような運命めいたメールだった。

神様は意地悪だよなぁ・・・

当時は郵便局の局長を務めていたNさんとは面識もなかったのだが
ノンカイで仲良くなりタイから帰国してからもずっと良い付き合いを
させて頂いていた。

「友達を作らない主人がフジさんを家に連れて来るって珍しいわね」

Nさんの自宅に招かれて奥様の手料理をご馳走になり酒を交わした。
2人の娘さんたちとも仲良くなり父の数少ない友達の1人として歓迎
されていた。タイに渡航した後も毎年帰国すれば必ず2,3日は滞在
して美味しい手料理と銘酒を酌み交わしながら夜遅くまで語り合った。

もう20年近くも付合いをしていれば言わば親戚や家族のような間柄だ。
それが2年10ヶ月前、奥様が胃癌を患い摘出手術を受けたのだが
その後の抗がん剤治療も虚しく転移したがん細胞が身体中を蝕み
とうとう命の線を断ち切ってしまった。

くっそぉ、何故だ。今の日本の最新医学でも治せなかったのか・・・

いつか身体が良くなったらタイに呼んで毎日アロママッサージや
美味しい料理を堪能して欲しかったのだが。すぐにでも飛んで
帰って仏壇に手を合わしたい。Nさんを元気づけたい。

だが、今年は3月までのスケジュールが真っ黒に埋まっている。
オレにとっては親代わりのご夫婦。いつも心配してくれている。
哀しい。哀しすぎる。果たしてこんな気持ちのままでこれから
続く怒濤のミッションが出来るのだろうか。オラぁ自信ねぇ。

人はいつか天に召される。生まれた時から日々死に向かって生きている。
老齢化が進むにつれてそれが徐々に現実化していき、いざという時の為に
うろたえないように心の準備をしておくのだが・・・まだ早すぎた。

Nさん。心からお悔やみ申し上げます


超多忙が続きながらもしばらく返信メールすら書けなかったが、何とか
心が落ち着いた時に49日を迎える前にNさん宛にメールを送った。


Nさま

奥様の訃報に短い文章ではかたづけられなく、今日まで遅くなってしまった
事をお許し下さい。手術をしてから2年と10ヶ月ですか。頑張りましたね。
辛くて苦しかったでしょうね。元気なウチにタイで心ゆくまでマッサージを
受けて欲しかったですね。僕は今年で6年目になります。ある意味異国で
手術をしながら未だに元気に生きていることが奇跡に近いことです。

最愛の人を亡くされたNさんの哀しみは本人でしか分からないことですが
急いで飛んで帰って少しでも和らげることが出来たらと思いながらも今年も
例年の如くいろんな縁ある人が訪タイ。さらに抱えた仕事も放り出せず
6月までは帰国出来そうにもありません。それまで待っていて下さいね。

人の哀しみは時が経つのを待つしかありませんがNさんには最愛の娘さん
夫婦やお孫さんがおられるだけでも少しは気が紛れると思いますが、僕が
帰ったら真っ先にNさん宅に行ってママの仏壇に手を合わせたいと思います。

呑みましょう。Iさんと3人で故人を慈しんでしんみりよりも楽しく。
ゴメンなさいね。実はママの訃報の前にもノンカイで縁が出来た人の訃報が
届いたばかりで今はこんな事しか書く事が出来ません。でも今は毎日笑える
ように明るく元気に生きて下さい。Nさんやママの想い出の写真を添付します。
いろんなしがらみを抱えながらママも含めてお互い若かったね、あの頃は。
不肖息子より


そしてNさんから返信メールが届いた。


メールありがとう。まだ、ぜんぜんダメですね。毎日妻を思っては気持ちが
落ち込みます。でも仕方ないと自分に言い聞かせています。写真懐かしく
見ました。いろんな事がありましたね。未来には希望だけが見えていた。

3月9日、妻の49日です。花をいっぱい飾ろうと思っています。
今日は、別件の大切な知らせです。3月5日(月)街でI君に偶然ですが
会いました。彼にも試練が起きていました。昨年10月に彼の母親が亡くなり、
49日を迎える前にI君本人の胃がんが見つかり、12月に入院、手術しました。

彼も胃の全摘で、周りのリンパも取ったそうです。リンパには1っ箇所転移が
あったそうです。すぐに抗がん剤(TS-1)治療を始めましたが副作用がひどく、
抗がん剤治療を中止することを選択しました。あとは自然にまかせるようです。

3月6日夜に夫婦で、僕の家に来て嫁さんに線香をあげてくれました。
自分も大変なのに、「ママが亡くなったこと、知らなかった。ごめんなさい。」
と手を合わせ、二人で涙を流してくれました。僕としてはただ、ありがとうです。

僕の気持ちも落ち着かない毎日なので、また日をあらためて二人と会いたいと
思っています。詳しい話は、その時にしようと思います。とりあえず連絡だけと
思いました。またメールします。藤岡さんも無理せず毎日を楽しく頑張ってください。
          どうにも気力が戻らない、でも仕方ないと思っているNより



Nさま

お気持ち察します。1人でいるとどうしても気持ちが滅入ると思いますので
気の合うお仲間や友達と一緒に酒を酌み交わすか旅に出てみるのも一考かと。
それでも家に帰ればやっぱり広い空間に1人。辛いですがこればかりは時が
流れて自分自身が未来に向かって明るく笑って生きる術を見つけていかねばと。

僕の場合は離婚で愛する家族を失ってしまいましたが、幸いI社長やIくんや
沢山の友達のおかげでなんとか自分自身を保てました。その翌年にタイと言う
国と出逢えたのが究極の人生のターニングポイントでした。Nさんと出逢えた
のもタイでしたからね。あれから18年、まさか自分がこんな刺激的な人生を
送るとは思ってもいませんでしたがあの時の1歩が今の自分に繋がっています。

裏切られたり騙されたり逃げられたりいろいろ波瀾万丈な人生を送りながら
紆余曲折ありましたが、袖振り合った多生の縁を活かして多くの友人たちの
おかげで僕は十分幸せな人生を送れていると思います。

これから老年化していくと、老眼が進み体力も弱体してきて当たり前のことが
徐々に困難になってきます。老いと闘いながらも毎日笑って楽しく暮らすことが
あらゆる病魔を防ぐ特効薬。ストレスを溜めない生き方を身につけないとね。

死は誰にも当たり前にやってくる試練と思い、現実は現実として今ある家族を
大切にしながらあまり頑張らずにあまり欲張らずに足りる生活の中で人生を
歩んでいけたらいいね。心の中にママを想いながら明るく元気にね。

実を言いますとIくん(オレの千歳時代の親友)のことは昨年11月に帰国して
東京滞在中にIくんと共通の友達のHから連絡を受けて知っていました。母親の
病床生活の介護や喫茶店の仕事のことやいろいろと彼なりに大変だった事も
知ってましたがよもや胃癌になるとは思ってもいなかった。相当ストレスが
溜まっていたのでしょうね。彼も術後の抗がん剤治療で大変だと思います。

今年6月末に帰国したらいつもより少しばかり長く滞在させて頂いて
NさんやIくんとも話す時間をいっぱい作りたいと思います。昨年はIくん
の母親もHの母親も同時期に亡くなり、今年1月はメコン基金で
ラオスに小学校を寄贈してくれた和寒町のH氏が亡くなり、そして
大好きだったママも他界。いずれ僕の母親にも死は訪れます。もうこれは
現実として受け止めて生きていかないと自分自身が折れてしまいそうです。

実は南国でのんびりマッタリ生きているように見える僕でさえ、
日本と同じような仕事や責任を抱えて病魔に襲われたのですから
これから人生の後半に差し掛かった我々はあまり心配や不安を抱えずに
気ままに生きましょう。それでも目に見えないストレスは溜まるけどね。

東日本大震災で被災した方々もあれから1年が経ち、家族を失った人や
心が折れた人たちも復興と明るい未来を信じてみんなと助け合いながら
最初の一歩を歩き始めていると思います。タイも洪水被害で多くの人が
被災しながらも持ち前の逞しさと強かさで日々笑って生きています。
いろいろと教えられますがやはり逞しくて凄い国民たちです。
僕らも負けないで生きていかないとね。

つれづれなるままに思うことを書いてしまいましたが、1日も早く
Nさんが元気になられることを遠くタイから祈っております。
不肖息子より



昨年から今年にかけてこれだけ立て続けに親しい人たちの訃報や病魔と
闘っているメールが続くと常日頃から楽天的に生きようとしているオイラ
でもさすがに心情穏やかでなくなってくる。

はぁ〜、正直まいったねぇ

最近つくづく思うことがある。かの天皇様でさえ日頃から食べ物や健康面には
十分気を遣っているはずだし、日本で最高の医療団やスタッフがいるにも
関わらず病気になる。もちろんストレスが溜まる公務も多いのだろうが。

方や不規則な食生活や劣悪な環境で生きている人間でも毎日愉しく笑って
ストレスを抱えないで暮らしている人の方が逆に健康で病気にも強いのかもね。
つまりはこれはいかにしてストレス社会から自分を守りながら上手に生きる
術を身につけなイカンということだな。

それにしても、人の死は辛ぇなぁ・・・



asia_jiyujin at 22:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 藤岡わこう