July 2012

July 26, 2012

第2364回「気になる宿泊者」

2364「被災者?」


7月24日【札幌】

滞在しているホテルにとても気になっている宿泊者がいる。
毎朝9時25分に現れてまるで漫画のようにてんこ盛りに
ご飯をよそい惣菜やおかずも人の3倍も食べている。
まるで1日一食しか食べてないような勢いなのだ。

食後には必ずロイヤルミルクティを作ってロビーに消えていく。
さすがに周りの宿泊者たちもあまりの奇行に好奇の目で見ている。
因みにホテルの朝食は朝7時から9時半まで。コーヒーは10時。

毎日色あせたジャケットを着て中に長袖の白いシャツ。ズボン
も靴も毎日同じ服装で現れるのだ。まるでホームレスのような
出で立ちと振る舞いが正直キモい。いったい貴方は何者なの。

日本人なのかそれともオレにしか見えない幽霊

一度この話を札幌の親しい友人に訊いたら「東北の被災民かもね。
ホテルや旅館が政府の予算で受け入れている所もあるからね」と。
そう言われれば納得もするのだが、それにしてもはたして1年も
前から同じホテルに滞在しているものだろうか。仕事は?生活費は?

ある日、まったくの偶然にオイラの真横で食べていたので、
つい好奇心が勝り訊いてしまった。

おっちゃん1年前からいますよね
「ん、あんたには関係ないだろ」
もしかして被災者とか
「そんなことはあんたには関係ないだろ」

癇に障ったのか明らかに怒っているが、正直会話が出来たことが嬉しい。
だって幽霊じゃなかったし中国人でもなく日本語を話す人間だったのだ。

君子危うきに近寄らず”というがどうも仕事柄血が騒ぐ。悪い癖だ。
結局気になるおっちゃんはいつもと変わらずてんこ盛りの飯を食った後で
ロイヤルミルクティを作ってロビーに消えた。365日同じ生活なのか。

2364「窓の外


ある朝、朝食に降りるのにばったりエレベーターの中で遭遇した。
オイラのことを覚えないのかそれともシカトしているのか顔は無表情。
鍵は14階のものだ。明らかにホテルの宿泊者である。でも今日も
服装は同じである。と言うより1年前から一切服装が変わってない。

今日も今日とて、まるで残り物の残飯を処理するが如く炊き込みご飯も
サラダもおかずもてんこ盛りによそう。おっちゃんの後ろにいたオレは
殆ど何も残ってない。仕方なくその日はパン食にした。

こら、おっちゃんオレの分を残せよ

2364「電車」


午後から3日目となる腰の治療に行った。もうすでにももの傷みは
引いていたがタイに戻る前にもう一度鍼治療を受けておきたかった。
治療後は髪を切りにQB床屋へ。タイなら260円だが日本は1,000円。
その後はドンキや100円均一でタイに持って帰る食材を大量に買い込む。

2363「大通公園噴水


日本滞在期間もあと僅か。今回も縁あるいろんな友人たちに会えて圧倒的
に楽しい時を過ごせた。体重も明らかに太った。ベルトの穴が1個分伸びた。
半期に一度の帰国。それはオイラに刺激と癒しとエネルギーを補う時間。


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第2363回「25年目で終焉」

2363「ススキの昼間


7月23日【札幌】

「藤岡さん、明日の夜は空いてますか」
はい、特に予定は入っていませんけど

日曜日の朝、いとこの家で息子共々二日酔いと低血圧で頭が
さえないままボーとしながら朝食をご馳走になっていたら、
突然メコン基金のS代表から電話が入った。

秋田県出身のS代表は昭和34年創業の東京美装株式会社に
入社し最後は東京の本社で専務職で定年を迎えた。その後は
札幌にある子会社に立ち直しを頼まれて5年ほど社長を務める。
そして今年の6月30日で目出度く退職となった・・・はずだった
のにまたしても東京美装札幌支社に相談役として再就職した。

もう御年72歳である。どうして昭和生まれの人は会社が好き
なんやろ。長年組織とは無縁な生き方を選んだオイラには理解
できまへん。ややこしい人間関係に悩んだり同僚を蹴落として
出世する気もないから一匹狼で生きとる方が楽やねん。

まぁ、管理職の育成を頼まれてのもう1年らしいが、週に3日の
出勤が本人のモチベーションを上げてんだとか。当然以前よりは
仕事の量が減るわけだから今は自分が趣味(糧)としている
ボランティア関係の資料や会員向けの会報作りに喜びを感じている。

2363「佐藤さんと差し向かい」


かんぱ〜い
「おぉ、これは美味しい酒だな」
えぇ、留萌のRCのT先生に頂いた増毛の銘酒です
「ほぉ〜、増毛ね。あそこは国稀酒造があるよな」

今年はタイでも日本でもS代表と呑む機会が多かった。2人とも酒は
嫌いじゃないからついつい呑みすぎて長居してしまう。正義感があって
真面目な御大と社会を逸脱した生き方をしているオレ。普通に生きて
いたら巡り会う事もなかった偉人だが全く持って不思議な間柄である。

「きんきの煮付けがあるぞ」
わぉ、それいきましょう

2363「秋田」


2363「きんきの煮付け


秋田県出身のS代表が贔屓にしている“秋田”というススキノの
馴染みの老舗店で2人だけで膝をつき合わせての晩餐会。考えて
みれば19年前にタイで知り合ってからお互い長い年月メコン基金
に携わってきたが、はたしていつまでこの関係が続くのかしらん。

「あと2年でメコン基金は創設25年目なんだけどな」
25年って四半世紀ですね
「あぁ、それでメコンを辞めようと思うんだがね」
う〜む。まぁ、そろそろ良い時期でしょうね
「まだ役員会にかけてないけどな」

タイの中学校の授業料が無料化になってから6年が経つ。
中学校の就学率も100%になり大学の進学率も上がった。
もう我々のような団体の役目は終焉する時期に来ていると思う。
やはり自国の貧困者の援助は自国民でやるのが理想的な社会だ。

タイ東北の極貧農村地帯で恵まれない子供たちの教育支援として
1990年3月に創立したメコン基金は十分その役目を果たしたと思う。
ピーク時には400人を超える里親(会員)や支援してくれる法人が
あったが高齢化と共にその数も減少して100人を切っているのが現状。

「会員も歳を取ったしなぁ、今の若いもんは余裕なんかないからな」

確かに長引くこの不景気では法人も余裕がなくなり若者も興味がないだろう。
ましてや東日本大震災で支援金は海外よりも東北に流れるのは必然性の摂理。

「タイはいいけどなぁ、ラオスの子供たちがな」

長年の変政でタイの文部省はようやく教育関係に大きな予算を組むように
なったが共産国のラオスは未だ最貧国。国立大は首都ビエンチャンにラオ大学
一校のみ。数年前に私立大学も開校になったがまだまだ教育に対する予算は低い。

タイは恵まれない子供たちへの奨学金の支援だったが、ラオスは基本的には
学校校舎建設が支援の主体だ。現在19校。あと2年の間に節目の20校目
になる校舎が建てられれば良い形で終われる。ならばオレがその役目になるか。

さ〜て、日本にいるうちにサマージャンボでも買うか

5億円が当たったらそれこそ円高だし200校は建てられるぜぇ。

2363「きりぱんぽ」

【秋田名物きりたんぽ】

asia_jiyujin at 03:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 25, 2012

第2362回「25年ぶりの再会」

2362「ポルシェと家


7月21〜22日【札幌】

痛てぇ・・・・

昨日に続いて筋肉痛がさらに悪化。もっとも歳を取れば翌々日に
その痛みが襲ってくる。湿布薬も塗り薬もまったく効いてねぇぞ。
あまりの辛さに5年前に通ったことがある鍼治療がある診療所に
行く。が、さすがに右ももの裏側が痛すぎて思うように歩けない。

2362電車


2362電車の中


仕方なく長い人生で初めてチンチン電車なる乗り物に挑戦した。
小さくて狭い年代物の電車。中々味わい深い乗り物だ。下車して
から右足を引きずりながらお目当ての診療上に行ったら、ない。

あれ、確かここだったけどなぁ

電話で予約したんだから閉業はしていないはず。ふと後ろを
振り返ったら自社ビルのような1階にお目当ての看板が見えた。
あらら、この5年間で相当儲けはったんやねぇ。

2362「ほうしん治療院」


「いらっしゃいませ、あら・・・物書きの人」
へぇ〜、よく覚えてたねぇ
「2年前にタイで暴動が起きたときに、藤岡さん
大丈夫かしらってみんなで心配してたんですよ」
そうですか、見ての通りピンピンしてるけど腰がさ・・・
「え、取材で痛められたんですか」
いえ、ゴルフで・・・
「ゴ、ゴルフです・・・か」

首と背中と腰に鍼を30本。それらに電気を流すと凝り固まった
筋肉が面白いようにブルブル震える。こればかりはタイでは出来
ないし、タイ古式マッサージでは施術できない治療だもんね。

おぉ、痛いけど気持ちえぇ

2363「診療」


さて、夕方息子がホテルのロビーに来た。帰国以来2度目だ。
未だ内定は貰えてないそうだが、この日は25年ぶりにいとこ
に会う事になっていた。実は離婚して以来、息子には親戚という
ものがいなかった。母方もあまり積極的に親戚付合いはしてない。

オイラがガキの頃は盆や正月に本家に集まるいとこたちに
会えるのが頗る嬉しかった。学校の友達や同じ血筋を持つ
姉弟と違って特別な関係の親戚だった。息子にはそれがない。

いとこ家族とは結婚していた時代に会ってからかれこれ25年も
経っていた。お互いどんな人生を歩んできたかは分からなかったが
オイラのことは母上から聞いてある程度は知っているらしい。

「Wちゃん元気」
どうもKちゃん。久しぶり。こっちは息子の弦記です
「初めまして弦記です」

その後旦那さんと息子も合流して5人でススキノの“くし路”に
行った。こうやって25年ぶり会うのも不思議な感じがした。
いとこのKちゃんも旦那さまもオイラと同じ歳。弦記は22歳だが
いとこの息子は27歳。姉が30歳ですでに結婚して子供がいる。
つまりは54歳にしてすでにお爺ちゃんとお婆ちゃんなわけだ。

じゃあ、再会を祝してかんぱ〜い

2362「25年ぶりの再会


実はこの再会には不思議な偶然が重なって実現した経緯がある。
今まであまり公言してこなかったがオイラには娘のN子がいる。
30歳で結婚したときに33歳の嫁には13歳の子がいた。

結婚と同時に養子縁組の手続きをして法律上オイラの娘になった。
離婚後は嫁も娘も藤岡の姓を名乗っている。その娘が数ヶ月前に
偶然札幌にあるKちゃんが経営しているフラワーアレンジメント
教室にふらっと入ってきてそのまま生徒になって通っていたらしい。

「千歳で名字が藤岡・・・もしかして」

いろいろと話しているうちにオイラの元娘だと分かりKちゃんは
わざわざタイまで国際電話を掛けてきた。その経緯を聞いて不思議
な運命を感じて帰国してから25年ぶりに会う事になったというわけだ。

ほんと不思議な縁だよなぁ
「いや、運命かもよ」

19年前、娘のことが原因でしょっちゅう夫婦喧嘩が絶えなかった。
バブル全盛期の建築業界は家族を顧みず日曜祭日関係なく夜遅くまで
仕事に没頭していた。だから娘が高校を卒業するまで1年間別居する
ことになったが、卒業してからも状況は変わらず、紙っぺら1枚で
繋がっている夫婦関係に耐えられず住居を嫁に渡して離縁した。

2362「みなち結婚式」


娘が原因で別れたのが、今回は娘が縁でいとこと再会できたことに
縁や絆とは割り切れない何かを感じた。しかも娘は今年5月に結婚。
その時のフラワーもKちゃんが創作したそうな。

2次会は旦那様の馴染みのスナックへ流れる。親子が息子と2人して
カラオケを熱唱。なんて仲の良い親子なんでしょ。因みに旦那さんの
職業はかつてのオイラの職業と同じ建築業界。今では14人の
社員がいる一級建築士事務所の経営者になっていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎて気がつけば終電が過ぎていた。
Kちゃんの勧めで今夜は我が家に泊まってとTAXIに乗り込む。
で、自宅に着いて吃驚。

なんじゃあい、こりゃ〜
「凄いね」

息子の弦記もオイラも酩酊した頭が一気に覚醒した。
ポルシェにBMWが3台。3階建てのコンクリート打ちっ放しの
1階には外車が4台も駐まってんじゃん。住居もさることながら
1800万円のポルシェ991にBMWのM5だぞ。
4台纏めたらもう一軒同じ3階建ての住宅が建っちゃうぜ。

2362「4台の高級車


2362「ポルシェ991」


いやぁ〜、頑張ったんだねぇ
「これで2軒目なんだよね」
はっ、2軒目・・・

部屋に入ってさらに驚いた。さすがに一級建築士が設計したお家です。
まるでスポーツ選手か芸能人が住むようなモデル住宅並の豪華さ。
いやはや、凄すぎて言葉が出んわい。こういうのを世間では成功者と
言うんでしょうね。息子と2人して酔いも覚めて絶句していた。

おまえ、今から出版界を変更して建築士になんないか

2362「BMWと息子」


さすがに25年ぶりとはいえ、元看護師だったKちゃんの成功も
さることながら旦那様の成功に同じ男として感動すら覚えた。もし、
19年前にあのままオイラも離婚しないで建築業界で頑張っていたら
外車を4台所有して大きな家に住んでいたのかしら。

今回の帰国は友人の奥様や会員さんの他界が続き少々悲しい気持ちが
続いたけど、久しぶりに嬉しくてしばし幸福感に包まれました。
ましてやめでたい元娘の結婚と昔の結婚していた時代が走馬燈の
ように思いだして年甲斐もなくつい目頭が熱くなった。

この19年間、神様はいろんな試練を与えてくれた。幸せだった家庭を
自ら崩壊させた罪を戒める為にそれこそ普通の人が体験しなくてもいい
ような理不尽で不条理な異国の地で自意識過剰な己の人格形成に挑戦。

禍福はあざなえる縄のごとし

世の中そうそう不公平にはできとらんもんやな。人生どこかで帳尻が
あうもんです。今回の帰国で25年ぶりにKちゃん家族と再会できて
お互いの子供たちの成長がみられた事がなまら嬉しかった。

この歳までやりたいことを叶えて来られて「さ〜て、50歳から
どうやって生きていこうかな
」と模索していだけど、今回のことが
切っ掛けでまた人生の喜びを見つけられたような気がした。

幸せの大きさは人それぞれだが、やはり仕事が順調で家族が
安泰なのが普通の幸せなんだろうな。泣いたり笑ったり時には
悩んでもその全部を肯定しながら楽しんで生きられるのが幸福。

今回を縁に、もし弦記がKちゃんら家族や息子と仲良くして
くれたら嬉しいな。あいつにとっては唯一のいとこだから。
それと元父としては娘には心からおめでとうと言いたいし、幸せに
なって欲しい。孫の顔も見てみたい。本当に嬉しいひと時だった。

後日Kちゃんの旦那様からメールが届いた。



藤岡わこうさんへ
先日はありがとうございました(笑)
藤岡さんも、私たちにいささか驚いたかもしれませんが?私の方も
藤岡さんにかなりの驚きと衝撃を受けました。日々仕事に追われる
毎日だったので新鮮でした。

家内のいとこが、海外で危険も顧みず頑張っているなんて・・・
何となく噂は聞いておりましたが、ご本人から聞かされた実態は本当に
生々しく驚嘆しました。藤岡さんの言う通り、人それぞれに幸せの基準や
考え方は違うのでしょうが経済的な豊かさや、少なからず名声を求めていた
自分が小さく感じた夜でした(苦笑)

今後は家族や従業員の為だけではなく、今までの人生で得た知識や経験や
経済的なことも含めて、社会に還元できたらなぁ〜と強く思いました。
そんな当たり前の事を、改めて考えさせてくれた藤岡さんに感謝します!

弦記君は北海道にいるので今後も僕等のことを頼ってくれたらなと思います。
歳のわりには、しっかりしてそうなので彼は大丈夫そうですね!
あちらは、これからも厳しい暑さが続くでしょうから身体ご自愛くださいね。
今後ますますの御活躍を祈っております。



父親としてまた男として家族を守り幸せにするのが人生の糧でもあり夢。
24年前に結婚したときはオイラもそう思ったんだけどね。はてさて今回の
25年目の再会を機にオイラの人生のターニングポイントが来るのかしら。

「ところでタイに行ったらガイド頼めますか」
もちろん、ウエルカムですよ

因みに旦那様の会社は毎年建築を勉強するために毎年ヨーロッパや
オーストラリアなどに海外研修旅行している。今年の10月末から
タイと北海道に直行便が飛ぶ。今年の研修旅行はタイになりそうです。


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July 24, 2012

第2361回「今宵も呑んで候」

2361「湯葉の鍋2


7月20日【札幌】

痛て・て・て・て・・・・

アカンやっぱり筋肉痛だ。湿布も塗り薬もまったく効かない。
あまりの辛さに浴槽にお湯を溜めて自らマッサージするもダメ。
右ももの裏側が痛すぎて思うように歩けない。

あきまへん。運動不足やねぇ

さて、今宵は昨日のS氏がセッティングしてくれた湯葉の店の
梅の花に誘われていた。先々月のバンコクで開催された世界大会
に来られた札幌東RCの面々との反省会の晩餐である。

世界中のクラブから総勢35,000人を超える過去最大規模の大会
になった国際ロータリークラブ世界大会は国別で一番多かったインド
の6,000人に続いて日本からは4,000人。タイはロータリアン
および大会運営関係者が5,000人を超えた。

「どうも、その節は有り難うございました」
いえいえ、こちらの方こそ

いつも札幌滞在中にお世話になっているIT会社経営者のW氏を初め
TAXI会社を経営するY氏。後からオイラが連載している某雑誌の
愛読者と聞いて吃驚。どうりでタイの裏事情の詳しい人だと納得。

至高の塩ラーメンの凡の風やかつての信月に製麺を降ろしている
S氏はオイラの1つ歳上。夏場のスケジュールは殆どゴルフらしい。
そして白石の枕博士のS氏と某大手自転車メーカーのWさん。

2361「梅の花」


晩餐会は大いに盛り上がり気がつけば2時間の予定が3時間半。
この後5次元の話で盛り上がるS氏とWさんを店に残してW氏と
2人でワインバーに流れた。今宵も呑んだくれた夜だった。

オレの肝臓・・・大丈夫かしら・・・それより腰が痛いっす


asia_jiyujin at 23:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

第2360回「帰国第一戦ゴルフ」

2360「ゴルフ1」


7月19日【札幌茨戸】

空は限りなく澄み渡っていた。場所は札幌の北に位置する
茨戸(ばらと)カントリークラブ。メンツはいつもの
Y氏と今年バンコクに来られたT爺様とメコン基金のS代表。

いずれも70歳過ぎの御大たちばかり。なのにティーショット
の飛距離は殆ど変わらないのはどういうこっちゃ。オレは
54歳だぞ。20歳近くも離れてんのにさすがに自信を失う。

100が切れんかった

アウト53。イン53の106。OB2。パーは2つだけ。
情けねぇ。惨憺たる結果や。昨年の帰国の時は90切れたのに。
あ〜ぁ、もう引退しょうかしらん。

因みに全英オープンの最終日を観戦しながらこのブログを書いている。
初日からトップだったA・スコットは最終日に2位と4打差を
つけながら誰もが初優勝を信じていたが上がり4ホールでまさか
のボギー連発。結局10年ぶりにアーニー・エルスが逆転優勝。
42歳が静かに笑った。

2360「ゴルフ2


ゴルフはつくづく自分との闘いでありメンタルなスポーツだぜぇ。
さすがに筋肉痛が酷すぎて夜の外出は控えた。

腰が痛ぇももが痛い。明日がもっと怖い・・・


asia_jiyujin at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 23, 2012

第2359回「枕博士と老人施設」

2359「まくら南天」


7月18日【札幌白石】

この日の昼、Y氏に誘われていつもの海森で鮨を食らう。
普通に旨いのですが、たまには回っている店でエンガワを
味わってみたいと思うのだ。エンガワ美味いよねぇ。

さて、この日の夜は5月にタイに来られた札幌東RCの
S氏に誘われて白石に行った。かつてJR白石駅周辺には
煉瓦工場や爆弾研究所のあった地域だが今や時代と共に
高層マンションが立ち並ぶ住宅地に変貌していた。

にしても寂しい通りやねぇ・・・

地元民の働きかけで最近建て直された駅前の繁華街通りは
場末のスナックや古い女将がやっている小料理屋とおそらく
行列も出来そうにないラーメン屋が数件。観光客や勤人で
賑わうススキノに比べれば明らかに人気も少なく寂しい町だ。

2359「裏の倉庫」


そんな町で高齢者が楽しめる町作りを推進しているS氏は先代の
店を引き継いだ繊維会社の社長さん。繊維と言ってもふとんや枕
の綿を研究して販売している由緒正しい老舗の寝具店。店裏にある
古い倉庫は明治16年に建てられた文化財のような建物だ。

現在は寝具店以外にも高層マンションを持ち、さらには
高齢者向けの低層階マンションを建築中。いずれ倉庫も
改装して老人向けのライブハウスやコミュニティ広場を
作って悲しい孤独死のない楽しい町にするのが自分の
使命と燃えていた。地域には必要な人だろう。

2359「世界のまくら博物館の看板」


2359「布団店看板


「ウチには江戸時代からの古い枕の博物館があってね」

バンコクでアテンドさせて頂いたときに札幌に来たら
是非見に来て欲しいと誘われていた。特段枕に興味が
あったわけではないが、これも袖振り合った多生の縁。

2359「通路1


2359「通路2


へっぇ〜、すっごい古い枕っすねぇ

まさに圧巻の枕の数。棚には江戸時代からの枕や日本最古の
ルーツとも言える様々な種類の枕が所狭しと陳列されていた。
もちろん長い年月を掛けて収集した中国や東南アジアの枕も。
さすがに西欧の枕が殆ど無いのは現地へ行かなかったのかな。

2359「まくら1


2359「まくら2


2359「まくら3


近所にある煮魚が美味しい小料理屋に連れて行って貰った。
場末と言うよりは先週行った砂川にありそうな店だった。
得てしてこういう店は味わい深い手料理にありつけるもんだ。

2359「きく代」


くぅ〜、なまらうんまいっしょ

まさにおふくろの味。いや、それ以上だな。
きんきの煮付けの美味いこと。さらに吟醸冷酒も満足。
お客は明らかに近所の常連さんと思われる。

オレ、意外とこういう雰囲気好きですよ

2359「きく代ママ


2359「刺身ときんきの煮付け」


こんな店がバンコクにあったら毎晩通っちゃうだろうな。
あっという間に4時間が経ち最終電車の時刻が迫る。
札幌に帰るには地下鉄よりJRの方が便利だと。

2359「白石駅」


さ〜て、明日は帰国第一弾のゴルフだ

毎晩呑んだくれてんのにまともにクラブふれんのかしら。
それにしても極旨だったきんきの煮付け。もっぺん食べたいなぁ。

2359「きんきにつけ




asia_jiyujin at 12:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

第2358回「至高酒と究極拉麺」

2358「札幌テレビ塔


7月17日【札幌】

再び札幌に戻ってきたら滞在ホテルに留萌RCのT先生から
増毛の銘酒“国稀”と福井の銘酒“わかな”が送られていた。

うぉ〜旨そう

美瑛の実家に滞在中には手延べそうめん“損保の糸”を送って
頂いた。有り難き心遣い。半分は実家に残しバンコクに持って
いって堪能しようっと。T先生に感謝。有り難うございます。
銘酒は滞在中に朋友らと一緒に五臓五腑に納めます。

2358「わかさと国稀


2358「そうめん


さて、札幌滞在中に行きたかった格別の塩ラーメン屋の1つ
でもある“鴇の家”に行こうと歩いていたら、なんとあの
行列の絶えない“信月”が昼から開いていた。

2358「信月店前


以前までは15時からの営業だったが最近は12時から開店して
いるらしい。ならば予定を変更して一年ぶりの味に陶酔すっか。
夜は常に行列が出来ている店も今はカウンターにオイラ1人。

うっめぇ〜、やっぱりここは裏切らねぇなぁ

2358「信月塩ラーメン


後から判明したことだが、以前までは凡の風と同じ製麺会社から
卸していたらしいが今年になって変わった。どうりで麺のコシの
モッチリ感が微妙に違うと思った。でも出汁が効いた塩は極旨だ。
凡の風”に“信月”。あとは“鴇の家”で完全制覇。

あ、じゃんぼのあさりラーメンがまだあったっけ

2358「壇」


夜、円山にある“”でW氏を含めたかつてタイに遊びに来られた
4人組の面々との愉しい晩餐に呼ばれた。彼らとは昨年の12月に
バンコク大洪水で一時東京に避難していた最終日に池袋で呑んだ。

ほろ酔い気分で別れてから電車に乗って羽田空港に向かったら
乗り換えの電車に間違ったことに気付かず、そのまま寝てしまって
反対方向の最終駅まで行っちゃった。さすがにあん時は焦ったぜぇ。

今宵の晩餐会の店もW氏ご推薦のおしゃれな創作料理の和食店。
店内に流れる心地よいジャズと厳選された陶器の数々。そして
限りなくシンプルな内装がこれから出される料理を大いに期待させる。

2358「限定国稀」


2358「最初のとうし」


2358「〆のラーメン」

【この〆のラーメンがなまら美味かったのだ】


「では、再会を祝してかんぱ〜い」
くぅ〜、うんめぇ

今宵の酒もまた留萌のT先生からW氏に送られた数量限定の国稀。
気心の知れた仲間たちとの愉しい語らいはあっという間に時が過ぎ
最後に出てきた〆のラーメンを食べて驚いた。昼に食べた信月より
格段に旨い。でも、麺は釧路からの仕入れらしい。おっしぃなぁ。

2358「勝駒」


さて、二次会は昨年同様ススキノに流れて夜の帳をハシゴする。
さすがに呑んだ帰りの〆のラーメンに鴇の家は行けなかった。

1日に3軒はさすがに掟破りだろうて


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July 22, 2012

第2357回「驚きの葬儀450名」

2357「ジャンボ倉庫


7月15〜16日【和寒】

今回の帰国で最後の目的地でもある道央の和寒町に札幌
から車で迎えに来てくれたメコン基金のS代表と向かう。
帰国してから4人目となる墓参りのためだ。

今年の帰国は少々切なくて辛いもんがあるなぁ・・・

Hさんの訃報を受けたのは1月8日に亡くなってから4日後
だった。除雪のためにトラクターに乗ったまま心筋梗塞であの世
に旅立たれた。酪農家がトラクターの上で逝った。享年69歳。

メコン基金創設者でもあるサロマの漁師、故・M氏は9月9日
に船の上で逝った。享年59歳。何故か不思議と2人とも自分の
職業に関わるところで最後を迎えた。正直、格好良いとさえ思った。

男らしい最後・・・

ならば、オイラの最後は酒の盃を片手につっぷしたまま逝くのか。
それともペンを握ったまま眠るように逝くのか。いや、孤独死だけは
嫌だからみんなの記憶の片隅に残る壮絶な末路で逝くのがいいな。

ま、いずれにしても畳の上では死ねないのは覚悟している。余談だが、
タイ人が一番好きな数字は“9”である。見てお分かりのようにタイに
大きく関わっていたお2人にはキッチリ9に纏わる数字が残っていた。


今から3年前にラオスの山岳地帯に小学校校舎を寄贈して頂いた
Hさんはメコン基金の創設以来からの会員だった。

「いつかラオスに学校を建ててやりてぇ」

決して裕福な酪農ではなかった。「年金を貰える歳まで待てば」と
いう奥様の言葉に一度は納得したが現地を訪れて純朴な子供たちが
劣悪な環境の中で勉強している姿を垣間見てすぐに決断した。
帰国後、自らの保険を解約して支援金を作った。

古い校舎は藁葺き屋根に竹を編んだ壁。床はむき出しの土のまま。
雨が振れば水が流れ込み、電気もない教室はいつも暗かった。
それでも勉強が出来る校舎があるだけで子供たちは満足だった。

「うっわぁ綺麗。明かりがある。天井に扇風機まであるわ」

真新しい校舎にキラキラ目を輝かせる100人以上の子供たち。
Hさんは完成した小学校校舎の落成式には娘や孫たちを連れて
参加した。笑顔の子供たちを見て感無量の顔が印象的だった。

2357「樋口家」


2357「ソーラー」


Hさんが他界した後は後継者もいなく40頭いた和牛を全て
売却して処分した。住宅前の牛舎も壊して更地になっていた。
2年前には自宅に700万円を投じてソーラーパネルを設置した。
毎月北海道電力に買い取られる電気代で家計は助かっているという。

さらにHさんは旭川に中古のアパートを購入していてその家賃も
生活費の一部に当てられる。まるで自らの死期を予期していた
かのように残された奥様のことを考えた男の優しさだった。

2357「仏壇前の孫たち」


2357「ジンギスカン」


仏壇のHさんの満足したような笑顔が「わしゃ、もう思い残す
ことはねぇだよ」と言っているようだった。元気なウチに自分の
最後の夢を叶え娘や孫たちを現地に連れて行けた。

通夜には450人の参列者が来たそうだ。お寺の本堂には入りきれ
ないほどの数。もちろん駐車場も足りずお寺周辺の道路は全て埋め
尽くされたらしい。ひとかどの人とは言え町の名士だったわけでも
有名な酪農家でもなく、ましてや何かの役員だったわけじゃない。

きょうび和寒の片田舎でドサ周りの歌手が来てもそれだけ集まるか。
なのに450人と聞いて吃驚。人望の厚さがその人の人生を物語る。
はたしてオイラが逝ったら何人の人が参列してくれんだろ。

まぁ、せいぜい10人でも来てくれば感謝ですな・・・

因みに通夜の席でラオスの山岳地帯に学校を建てられたことを
初めて知った参列者が多かったそうな。住職も驚かれていた。
人に自慢することなく心優しき爺様は、翌日白い煙と共に
静かに天空に昇っていったそうだ。

H氏のご冥福を祈ります。


asia_jiyujin at 22:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

July 21, 2012

第2356回「ガキの頃遊んだ森」

2356「晴れ渡る図書館の空」


7月13〜14日【美瑛】

図書館を出て帰宅しようと空を見上げたら珍しく晴れ渡っていた。
スーパーに寄って今夜の酒の肴を買おうと思ったが、ちょいと
足を伸ばしてかつてオイラが18歳まで住んでいた家の近くに
ある森林公園を探索した。

なんだか、ちっちゃく見えんなぁ・・・

2356「丸山公園まえ」


2356「丸山公園池」


子供の頃はデカイ森と山だと思っていた。夏休みには朝から出かけて
鬼ヤンマや塩カラトンボを追いかけた。クワガタやカブトムシを
捕まえた大きな白樺は今の健在だが、時代と共に町の区画整理が
進み随分と小さな公園になっちまった。

2356「森の向こうにかつての我が家」

【森の向こうにかつての我が家が見える】

2356「我が家」

【オイラが18歳まで住んでいたブロックの住宅】

2356「オレの部屋」

【オレの部屋】

近所にあった商店も後を継ぐ者がいなく店の前は自動販売機のみ。
中学校時代に通ったボーリング場も閉鎖した後は鉄さびが目立つ。
多くの人が居住していた営林署官舎も今や空き地のまま。賑わいを
みせているのは観光客が来る駅前周辺と農協と病院の待合室だけだ。

2356「美瑛町役場」

【美瑛町役場】

2356「美瑛町消防署」

【美瑛消防署】

夜8時も過ぎれば人気もなくなり数軒しかない場末の中通りを
千鳥足で歩く数組の親父たち。このまま少子化が進めばいずれ
爺婆の高齢者ばかりになってやがて衰退して町は統合される。

多くの同級生たちが町を捨て都会に出た中で卒業後そのまま町に
残って専業を継いだヤツは葬儀屋とスーパーの2代目だけだ。
いずれ世話になる時が来るかもしれないが当分は考えたくない。

居酒屋やラーメン屋や喫茶店を開業した同輩らは病気になったり
儲からずに廃業してすでに町を跡にしたと聞く。事業に成功して
高級外車に乗っているヤツもいれば豪邸に住んでいるヤツもいる。
でも、将来に悲観して自殺したヤツもいれば病死したヤツもいる。

黙とっても歳とっていずれ天からお迎えが来るわい

身体が元気なウチに故郷に帰って本でも執筆するかの。脚本家の
倉本聰氏のように。それとも廃墟を譲り受けて大釜を入れて陶器
でも焼くか。やめておこ、故郷を捨てたヤツが今さら・・・だろう。

2356「林道1」


森の公園も年老いた母上さまも確実に小さくなっていた。
はたしてオレはいつまでこの町に帰ってこられんのだろ。

来年、また帰ってくんからね



asia_jiyujin at 16:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

July 20, 2012

第2355回「母上様病院に行く」

2355「小熊ラーメン


7月11〜12日【美瑛】

テレビを点けると毎日のようにローラとマツコが映る。
時流なのかバラエティ番組は未だにクイズやグルメが
主流。時代とはいえもう少しためになる番組はないのか。

さて、故郷に滞在中は毎日行くところがある。学生時代に
よく通った図書館。今年は帰国して驚いた。なんと過疎化の
町のどこに予算があったのか立派な図書館が建てられていた。

Wifiやインターネットの環境は以前とは比べものにならない。
トイレはもちろん最新のウォシレット。乙姫まで完備してんぞ。
談話室では飲食もOK。毎日通うのが楽しくなる。でも絵本
コーナーで無邪気に騒ぐ子供たちの声が妙に耳障りで癇に障る。

2355「美瑛図書館


2355「美瑛図書館の中


2355「美瑛図書館談話室


母上さまの腰の状態が頗るよくない。家にいても寝たきり状態が続く。
見ていても辛い。町立病院の外科医はブロック注射が下手で1日しか
もたんと信用してない。しかし3,4前に行った旭川の山下整形外科
クリニックなら腕の良い医師がいるからとのたまうので「んじゃ行こ
と、雨の中を近所に住む姪っ子から車を借りて行ってみた。

2355「山下整形外科クリニック


「すまないねぇ。折角帰って来たのに」
えぇって、気にすんなって

そもそもオイラも若い時のバレーボールや野球やスキーで腰を酷使し
続けて長年腰痛が持病である。数十年前に医者から椎間板ヘルニアの
診断を受けたがブロック注射も手術も拒み続けていた。一歩間違えば
下半身不随になりかねない。正直言って怖い。だから針や按摩に頼る。

とはいえ、激痛が続けば辛いだろうし最低限生活できるだけの身体に
してあげんとストレス溜まって鬱病になりかねない。で、数年前に
行ったであろうクリニックの診察券を持って診察に行ったのだが、
5年以上も経っていてカルテは無かった。おいおい記憶力も危ないな。

で、診察の結果MRIやレントゲンを撮ってからじゃないとブロック注射
はうてまへんとのたまう。んなもん町立病院から画像を借りればいい話
なのだが他にも「医師の紹介書を持って来い」とか「役場の書類が必要」
だとか、どうして日本の行政の縦割りや医療システムはあんぽんたんなのだ。

そのくせ覚醒剤患者に生活保護の支給をしてんのはどういうこっちゃ

目の前で痛い、苦しい、辛いと言っている年配者に日本の医療はな〜にも
せんとか。歳を重ねれば誰でも腰が曲がると思っちゃねぇか。大金のない
ヤツは診てくれんのか。かつて日本国のために死んでくれと誰もが戦地に
かり出されその国を支えた後期高齢者が今や医療予算がないから死んでくれと。

アカン、おふくろ帰ろ

2355「母上とラーメン


炊事が出来ない母上さまを気遣い、家に帰る途中でラーメン屋に寄った。
母上と外食したのはもう20年以上も昔のことだ。昨年よりいっそう
小さくなった母上の姿を見ていると妙に心が切なくなってきた。

おふろく様。米寿まで元気に生きてくれよ・・・



asia_jiyujin at 17:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう