October 2013

October 30, 2013

第2558回「電書印税145円也」

2558 印税145円


おっ増えてんじゃん

今年の5月に電子書籍化になった最初の本の印税が、
僅か3円だったのが翌月は145円振り込まれていた。
とはいえタイの屋台でラーメンが1杯食える程度だ。

まぁ、そんでもいいじゃん

一般的に税金なるものは「取られる」イメージしか
ないサラリーマン職の人にとっては馴染み薄いけど、
確定申告組の自営業者にとっては「貰える」「還付
される税金は嬉しいもんだ。

ふ、ふ、ふ。よ〜し、このまま増えていけば・・・

悪代官のようにほくそ笑みながら取らぬ狸の皮算用
していたら、なんと今月の振り込みは16円だった。

2558振り込み16円


ま、所詮ボーナスも退職金もないフリーランスな商い。
地道に額に汗を流して稼げってことですな。

世の中、そんなに甘かねぇわな


asia_jiyujin at 23:30|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

October 29, 2013

第2557回「夢と信念を抱いて」

2557ノンカイの夕陽


【10月16日】ノンカイ

あら雨降ってら

珍しくこの日は朝から小雨が降っていた。この日は午前中に
孫たちを連れて基金の名前の由来になった大河メコンを視察。

2557先生と里子


2557タニカン教諭


2557里子とK氏


今年7月に他界された新十津川のI氏が支援されていたT教諭
とK氏の里子のN女学生も来てくれたので一緒に同行。因みに
Nの将来の夢はT教諭と同じ中学の先生。共に同じ中学卒業。

そう言えば3日後はオークパンサーだな

2557バンファイパヤナーク


7月のカオパンサーに出家して3ヶ月間の僧侶の修行を終えて
家に戻ってくる日。さらにノンカイ県のメコン川(ノンカイ市から
49卆茲離櫂鵐圈Ε汽つが有名)では龍神様が川面から火の玉
を吹き上げるという摩訶不思議な超自然現象が起こる日でもある。

ケンルアーやってら

2557メコン川でレガッタレース


雨季で水かさが増えた川では、日本で言えばレガッタレースの
ような50人乗りのボートレースをやっていた。優勝した選抜チームは
19日に行われる対岸のラオスとの勝負をかけたレースに出場する。
で、川沿いの市場通りを歩きツアー最後の記念撮影。

さ〜て日本に帰りますぞ

短期の旅でも出逢いや体験によって人間は大きく変わる。
はたして異国の子供たちに触れ異文化を体験をした孫たち
は何を得て何を感じたんだろうか。今は未だ分からぬとも
少なくても爺ちゃんの偉大さを肌で感じれたと思うのだが。

いろんな想い出と共に6人はすっかり秋めいた北海道に帰国した。
後日、代表からこんなメールが届いた。

(前文略)

遅くなりましたが無事に帰国しました。札幌市内の街路樹の葉
も色づき、秋も深まってまいりました。帰国日の17日早朝、
和寒に雪が10cmも積もったとH婆さんが吃驚していました。
札幌も朝夕温度も下がりこれから健康管理に気を遣います。
藤岡さんもこれからまた多忙の身に御身ご自愛を。


へぇ〜、(北海道の内陸に)もう雪が降ったのか

そう言えば「俺、大学に行かないでタイに行く」とのたまって
いたY君だが「高校卒業したら半年ほどバンコクでタイ語を
修学をして、それからコーコン中学校で日本語教師をやって
みるか
」と提案してみたら本人は意外と乗り気だった。

Y君、マジでいいんか

先月定年退職されたキッチャー校長先生夫妻も彼がノンカイ
に来たら現地の父と母になってあげますよと笑顔で申し出た。
そう言えば、かつてオイラも同じようなオファーを受けた事
があったけど東北料理が苦手なだけに丁重にお断りしたっけ。

実は「おらタイさ行くだ」と言うY君はその先の展望は何も
考えてない。取りあえず親元を離れて異国に住みたいらしい。
これが一番恐い。目的もなくただ漠然的に訪タイする若者の
中には途中でおかしな誘惑に惑わされて悪道に迷い込む輩もいる。

特に親と暮らしていた子はつい開放的になり、おまけに法律や
ルールが厳格な日本に比べればタイは信じられないほどゆるい。
それに常に百点満点取らなくてもマイペンライが罷り通る。

若い時の苦労は買ってでもしろ』は今の時代は死語になり
つつある。だから楽な方へついつい逃げてしまいがちだ。
昔は「何かを見つけにタイに来た」と自分探しの旅と称した
勘違いモラトリアム症候群の若者たちがよく現れたっけなぁ。

アホとちゃうか

別に日本を出なくたって自分のすぐ近くに「何か」があるのに
気付こうともしねぇ。海外に出れば見つかる的発想は危険だ。
ロバが旅に出て馬になって帰ってくるわけじゃねぇ。海外は
彼らが考えているより甘くはねぇ。成功すんのはほんの一握り。

まぁ、住む所はいいとして長期滞在ビザはどうする。生活費を
稼ぐにも就労ビザがなければ不法就労で捕まる。それとも全部
親が汗水垂らして稼いだ金を頼って異国で生活するのか。

自立出来なきゃ人生の意味なんて永遠に見つからんで

それでもY君は自分の可能性にかけてタイに「何か」を求めて
くるだろう。ならばノンカイの学生たちに将来のために正しい
発音の日本語を教えて欲しい。ビザの手続きは学校側がやって
くれる。それに田舎に暮らせば必然的にタイ語も覚えられるしね。

まさに一石二鳥じゃん。でもイサーン語(東北弁)だけどね

いずれにしても将来の展望くらいはキッチリ考えておかねば。
「何がしたいか」より「何が出来るか」だ。ま、まだまだ人生
経験の少ない今のY君ではな〜んにも出来ないだろうけどね。
原石は磨かなければただの石。輝きたければ切磋琢磨せんとな。

Y君夢と信念なくして人生は愉しめませんぞ

2557夢を抱けY君


因みにこの日ラオス航空の旅客プロペラ機がメコン川に墜落
する事故が起きた。乗員乗客49人全員が死亡。ラオス航空に
よれば、同機は首都ビエンチャンの空港を離陸。目的地の
パクセに着陸態勢に入ったあと悪天候のため墜落したらしい。

実は数年前、某TV局のラオスの取材に行った時にオレと
ロケ班が乗った古いプロペラ式のタイプと同機種だった。
おぉ、恐ぇ。

オレたち陸路でタイに戻って来て良かったぜ


asia_jiyujin at 10:20|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

October 28, 2013

第2556回「里子の家を訪問す」

2556奨学金授与式


【10月15日】ノンカイ

かぁ〜今日も朝からあっつ“〜いなぁ

雨期の終わりなのに随分と暑い日が続く。
風邪気味だったオイラはてっきり「東北は寒いんだろうな」と
厚着の衣服しか持って来なかったのがかえって裏目に出てしまった。

さて、ホテルで極普通のアメリカンブレックファーストを
食した後にノンカイ県の教育庁を訪れた。今日は17校の
中学生96名に奨学金授与式があるため、各学校の担当
教諭たちが一同に集まる。

2556教育庁表敬訪問


本来なら10月の1ヶ月間は夏期休暇で学校は休みなの
だが先生方には研修会やサマーキャンプなど、担当者に
よってはいろいろとやることがいっぱいあるんだそうだ。

思い起こせばオイラの中学時代の夏休みは芋掘りやスイカ
などの農作業。高校時代の冬は郵便局で年賀や小包の配達。
夏は山ホテルに住込みしながらバイトに明け暮れてたっけな。

貰ったバイトの報酬で欲しかったギターを購入し、学校祭
やイベントでステージに上がってフォークソングを歌ってた。
あん頃はモテたよなぁ」モテキ絶頂期だったな。

それが今ではこんなポンコツ野郎に・・・

おっと、いけね。話がだいぶ横道に逸れちまった。さて、
メコン基金創設以来、一番多い年で400名を超えていた
奨学生も今では100人を切っている。その大きな要因は
会員の大幅な減少(高齢者に伴い)と円安につきる。

とは言え、今は幼稚園から高校まで授業料が無料化になり
20年前の中学進学率50%に比べてほぼ100%が進学。
さらには当時に比べたら極貧農村地帯の村々にも普通にTVや
冷蔵庫があり学生等の大半はバイクで通学している。

もう我々の役目も十分はたしたと思うんですがねぇ

基金を創設した故・M氏は「一日でも早く我々のような団体
の援助が必要なくなることを目指す
」が信条だった。20年
近く携わってきたオイラもそろそろその時が来たと思う。
後は自国の民たちで自立を支援していく時代がきている。

1990年3月メコン基金創設以来、実に5,000人以上に
奨学金を寄贈し、また里親(会員)の個人的な援助で15人
が大学に進学。卒業後は中学教諭や五つ星ホテルや政府系の
仕事に就いた。すでに結婚して子育てに追われている子もいる。

基金で人生を切り開けた子がたくさんいるのね

毎年のように教育長や副教育長が人事異動で変わるため、
今まで23年間の功績を担当教諭がスパキット・グライサクン
副教育長に説明すると重々しく感謝の言葉をのべられた。


「今まで長年に渡って大勢の貧しい子供たちを支援して頂き、
また大学にも進学させて頂いたことに心から感謝します。確か
にタイはこの数年間で着実に経済が成長し田舎の暮らしも随分
豊かになってきたと思います。今や中学進学は当たり前の時代
になり誰もが大学進学を考えるようになりました。ありがとう」


貧困から脱出するには教育が不可欠と言った昔の偉人。
かつての日本もそうだったように、また韓国同様に今のタイは学歴社会が
優先する時代。高校卒よりはより高い教育を受けたいのが本心。

未来を変えるのは今の子供たちだからね

2556奨学金授与


2556教育庁で記念撮影


さて、各学校の担当者に副教育長から直接奨学金を手渡して頂き、
最後に皆で記念撮影。これも再来年(’15年3月末)で終焉予定。

長かったような、あっと言う間だったような・・・

振り返ってみれば、メコン基金に長年携われたことでオイラの
人生や人脈が大きく変わった。それも縁や運命だと思えば後悔
の念は1mmもない。紆余曲折ながらも心から感謝している。

2556ターボのお寺


コーコン中学校へ訪問してH家とY君の母親が支援している里子
に会いに行く途中に、オイラの個人的な所用でターボ郡で一番
デッカイお寺に寄ってもらう。そう、先日しばらくぶりにお会い
した霊能占者ヤダム女史の助言を実行するためだ。

2556仏教を体験す


2556ターボの仏陀さま


ま、そのことはあえて伏せておいて折角だから孫たちにタイの
仏教を体感して頂くことに。おそらく日本にいれば手を合わせる
のは盆と正月くらいだろう。タイは宗教が生活の一部。ま、母親
の実家に行けば否応なしに偉大なるH爺様の仏壇に合掌するか。

名は藤岡。住所はバンコクの・・・。健康な身体をたのんます

2556健康を祈願


黄金の仏陀様に手を合わせ3回頭を地べた付けてひたすら懇願。
まぁ、個人的にはこの所作そのものが他力本願に思えるのだが、
オイラの胃癌を見事に予知した霊能占者に間違いはないだろう。

中学校に向かう途中で植樹用の木を買いコーコン中学校校門近く
に設置された故・M氏の顕彰碑に備えた。孫たちが何も考えず
手を合わせる。

おいおいこれは墓石じゃねぇ。一同黙祷

2556記念樹


2556黙祷


学校の会議室で里子に会う。その後彼女たちの家を訪問するも
昭和生まれのHお婆ちゃんは自らの幼少時代の家を思い出す。
この地域では当たり前の高床式住居だが、中には雨風を
凌ぐだけの掘っ立て小屋に近い家もある。

2556里子に会う


2556里子の家訪問


2556義兄妹


夕方近くノンカイ県の中学校から選抜された生徒による
サマーキャンプが開催されているというので、ちょいと
現状を視察に行った。賢そうな精鋭学生が何やら難しい
顔をしながらノートパソコンと睨み合っていた。

じぇじぇマジかよ

2556サマーキャンプ


バイオ燃料や太陽光発電など、およそ大学院生がやるような
研究を僅か14,5歳の中学生がやってるのに吃驚こいた。
しかも会場は圧倒的に女子生徒が多い。まさにタイらしい。

アジアの殆どの国は女性の底力で持ってんだな

2556DDで晩餐会


その夜、コーコン中学校のチョークチャイ教頭先生と先月で
定年退職されたキッチャー校長夫妻、それとナーディ中学校
のラッチャニー教頭先生を招いて晩餐会を開いた。

あいにくオイラのノンカイの父と母であるパウブン元教育長
夫妻は用事で来られなかった。昨日まで便秘で体調を壊して
いた孫のYはすっかり治ったようでタイ料理を堪能していた。

子供っていうのは順応性が高いよなぁ

2556晩餐会


相変わらずタイ料理の苦手なオイラは持参した日本酒を隠れ
ながらちびりちびり呑んでいた。くぅ〜、うっめぇ。

asia_jiyujin at 13:36|PermalinkComments(0)

October 24, 2013

第2555回「山で生きる子供達」

2555H孫たちと婆様


【10月14日】ラオス・ビエンチャン

あっつぅ〜

前日もそうだったがこの日は朝から暑かった。この時期は
雨期の終わりの季節だけにもっと過ごしやすい気候かと
思ったら、なんと日中は34度まで気温が上昇した。

そんな朝、フランスパンだけが妙に美味いブレックファースト
を食べた後にピックアップトラック2台で一路100卆茲
ビエントン村に向かった。到着するまでの2時間、子供らは
ひたすら後部座席で爆睡していた。

さ、着いたでぇ偉大なるじっちゃんの学校や

H爺さまが6年前に自ら手塩に掛けて育てた黒毛和牛を売って
それまで藁葺き屋根の校舎だった小学校を鉄筋コンクリート
ブロック造の堅固で頑丈な校舎を寄贈してくれた。

娘さんでありY君の母親はトイレと水タンクを寄贈してくれた。
まさしくH爺さまと家族の想いがギッシリ詰まった小学校だ。

2555Hノート寄贈


2555Y君ボール


2555T君ボール


2555 Yくん寄贈


生徒たちにノンカイで買って来た文房具やサッカーボール
を寄贈。お返しに花束とココナッツと感謝状が贈られた。
現金収入が極端に少ない山村部らしい心からのお・も・て・な・し。

2555H家感謝状


255H5メコン基金感謝状


2555H教室の子供たち


2555H教室内


教室では小柄な生徒たちが感謝をこめてワイ(合掌)で受け入れ
てくれた。かつては雨が降ると教室全体が薄暗く雨音が
うるさかった劣悪な環境から一変した。手元も明るく教室内も涼しい。

Hじっちゃ〜ん。天竺から見てますかぁ

2555散骨


2555散骨


H爺さまの骨の一部を持ってきたY婆ちゃんは3人の孫たちと
校庭にある一番大きな木の回りに散骨して手を合わせた。
偉大なるじっちゃんの功績がこの山岳の地に永遠に眠る。

2555純粋な瞳


2校目は東京美装株式会社の従業員ボランティア基金で建てられた
ノンボア東美小学校を訪れた。前回来た時に水道のインフラ工事を
切願されていたのだが、実際に完成した施設を見て愕然とした。

「なんとまぁ、金を掛けた割には随分とお粗末な出来だなぁ」

2555東美小の水道


でも、これで毎日200m先まで水を汲みに行く重労働から解放
されたわけだ。オレが子供の頃はすでに蛇口をひねれば冷たい
水が飲めた。それでもちょっと田舎へ行けば井戸水が普通の時代。

今回は以前まで通訳をやってくれていたラオス人のダラボォン
女史が偶然帰郷していたので一緒に同行してもらった。彼女は
札幌の大学に留学して卒業後に日本人と結婚。

旦那様の転勤でしばらく広島県にいたのだが、今年の8月から
シンガポールに赴任していた。我々がラオスに入国した日に
偶然にも2人の娘を連れてビエンチャンに里帰りしていた。

彼女が一緒なら日本語の微妙な通訳が分かるね

2555Y君お菓子配り


2555Y婆ちゃんお菓子


2555東美の子供たち


2555Yくんお菓子


そのダラボォンと一緒に3人の孫たちとお婆ちゃんは各教室を
回りながら子供たち全員にお菓子を配っていた。突然の日本人の
表敬訪問に戸惑いながらも嬉しそうにお菓子を手にしていた。
帰り際71人の子供たちが一斉に校庭に出てきて見送ってくれた。

昼食はいつものラオス料理のレストラン。我々は稲作畑の真ん中
にあるそのレストランを“田んぼレストラン”と呼んでいた。
タイ料理と違って辛さはなくそれでいて中華料理とも違う。

おっ、孫たちは好き嫌いしないでいっぱい食べてんじゃん

2555昼食


インドシナ半島で唯一海に面していないラオスは淡水魚料理と
キノコや青菜などの山菜料理が意外と美味い。ところが、初
参加した中1のYが酷い便秘で体調が思わしくなく絶食状態。

下痢でお腹を壊すヤツは今までに何人も見てきたが、男子で
便秘症とは珍しい。朝はちゃんと食べていたのにね。ま、
タイに戻って激辛東北料理を食べれば一発で解消するでしょ。

2555なかよし幼稚園


さて、3校目の訪問校はファイドゥア村のなかよし小学校。
札幌にある女性が主体にボランティア活動しているゾンタ
クラブ兇10年以上前に建ててくれた校舎。小学生129人。

2555なかよし小学校


2555なかよし花束贈呈


その後に建てられた図書室が現在は幼稚園として34人の幼子
たちが元気に勉強していた。担当の先生からは日本で使わなく
なった積み木や想像力が湧く頑丈な玩具の寄付を懇願された。

2555なかよし幼稚園の子供たち


もう1つの要望は数年前にオーストラリアの団体が寄贈して
くれた浄水施設が現在まったく機能していないらしく、新たに
ステンレス製の水タンク購入費と蛇口までのインフラ設備工事。

どの村でも飲み水には苦労してんだね

2555ニチエイS氏挨拶


2555ニチエイ花束贈呈


さて灼熱の太陽が降り注ぐ午後の一番暑い時間帯に最後の
訪問校であるプーサン村のニチエイ小学校に訪れた。349人
が通うここは近隣地域でも大きな小学校であり、JICAが建て
てくれ校舎と合わせて2つの校舎が校庭を挟んで並んでいる。

昨年は浄水タンク工事。その前は教室の照明や天井扇風機など
今までに子供たちが快適に勉強できる環境をいろいろ援助して
きたが、今年はトイレ設置工事。今までは周辺の森や林の中で
シン(ラオの民族スカート)をまくって用をたしていた。

けして衛生的とは言えない環境でも子供たちにとってはそれが
極当たり前の天然トイレ。校長先生や生徒代表から感謝の言葉。

「今までに沢山の援助をして頂き有り難うございます。私たち
も快適な環境で勉強できることに心から感謝しています。掃除
をしながら綺麗に使っていきますので来年もまた来て下さい」

2555ニチエイ小学校ボール寄贈


2555ニチエイYとC


2555ニチエイ小学校


子供たちが普通に勉強できることもさることながら、未だに
子供を労働力としている山の民たちの家庭の中には学校に
通えない子がいるのもラオスの教育現状だったりする。

2時間かけてラオスの国境まで来た。時間は夕方の17時半。
我々一行は出国してメコン川を渡り再びタイに入国した。

果たして3人の孫たちはラオスで何を感じたんだろうか


asia_jiyujin at 04:31|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

October 23, 2013

第2554回「新たな一歩の旅へ」

2554大河メコンの夕陽


【10月13日】ノンカイ

この川を超えんのは何度目になるんやろなぁ

チベット山脈を源流とするメコン川は、中国、ラオス、
ビルマ、タイ、カンボジア、ベトナムのメコンデルタを
経て南シナ海に流れる全長4,425劼發諒譴覆訛膕蓮

タイ東北ノンカイからラオス共和国の首都ビエンチャンに
ミタパブ(友好)橋が掛かったのはオイラが初めてタイを
訪れた1994年。何の因果かその年の秋から単身タイに
渡り今日に至るまで教育支援の活動に携わっている。

はぁ〜、気がつけば来年でもう20年か

34歳で大切な家庭を失ったオレは翌年ユネスコ協会が主催
するメコン基金スタディツアーに単なる海外旅行のつもりで
参加した。ところがタイの極貧農村地帯の片田舎で過ごした
貴重な体験が、その後の人生を180度も変えてしまった。

人生には地位や金よりも、もっと大事なもんがあるんや

それまでの実績やしがらみを全部捨て去り渡タイ。何の保証も
ない国で異文化に戸惑いながらも我無沙羅に等身大で生きて
きたら55歳を過ぎていた。人生は実に面白いもんである。

飽き性のオレがようも長きに渡り続けてこられたもんだ

時には外国人にとっては理不尽で不条理な国でも紆余曲折で
波瀾万丈な体験をしながら未だに元気に生きている。何度か
死ぬ目や危険な目にあっても生きているのは紛れもない事実。

けっして強運の持ち主なんかじゃない

猛スピードのTXAIに跳ねられそうになったり、拳銃で撃たれ
そうになったり、交通事故に巻き込まれたり、寝台列車の脱線
事故に遭遇した事もある。密林のジャングルロケや、胃癌摘出
手術を受けた時も、何故か不思議と生きてんだよね。

その度に思った。「この国で生かされてんだな」と。生かされて
いるということは、まだまだこの国でやらねばならぬ使命がある
のだと。その1つがタイ王国との切っ掛けになったNGO活動。

毎年1月末に開催する援助されている里親たちのスタディツアー
と10月にはその里子たちに奨学金を手渡し、ラオスの山岳地帯
では会社や支援者たちから寄贈して建てた17校の小学校を巡り
ながら奨学金の授与やいろんな要望を聞いて支援を続けている。

2554救援物資

オイラのために新米のゆめぴりかや日本食の救援物資

さて、今回は本来ならS代表とノンカイ県の17校の中学生に
奨学金を持って行き、札幌の日本衛生株式会社が創設30周年を
記念して社員たちの援助でラオスに建てられた小学校にトイレ
工事代金を渡す為にK氏と3人だけで行く予定だったのだが。

実は6年前にラオスに小学校建設資金を寄贈して頂いた和寒の
H氏の伴侶のY奥様とその孫たち3人が同行する事になった。
その奥様から娘さんがオイラに宛てた一通の手紙を渡された。


藤岡様
今回のツアーに声をかけて下さった事に感謝しております。
父がラオスに小学校を建設し、初めて見学に行った日から
5年近くが過ぎ、そして父の死から2年・・・改めて我が
父ながら偉大さを感じております。

(中略)

ずっとこの日を待っていた初ツアーのY(孫)、そんなYの
先輩として二度目のC(共に中学1年生)、進学をしないで
「タイに行く」と決意のY(高2の息子)。父が死去しても
なかなか納骨できなかった母。藤岡さんの一言で「父の小学校
に私が分骨する」と体調を整えてこの日を待っていました。

それぞれの新たな一歩になる旅になる事を願っています。
よろしくお願いします。
Yの母より


おぉ〜、こりゃあ責任重大やなぁ

和寒で酪農を営んでいたH氏は昨年1月にこの世を去った。
沢山いる孫のうち中学1年のYくん1人だけがまだ行った
事がない。孫たち全員を連れて行きたかったH爺ちゃんも、
天竺で見守りながらさぞやご満足されることでしょう。

これがタイに長年在住しているオイラの使命。長舟に乗った
つもりで(大船じゃないけどね)マルっとお任せあれ。

バンコクから飛行機に乗りウドンタニに降り立ち、以前
S代表が勤めていた東京美装株式会社の従業員ボランティア
基金で大学に通っているSと、日本衛生株式会社のK氏が
個人的に学費を援助しているNに会って日本料理店に行く。

しばらくは日本食は食えないからたんまり食っとけよ

2554日本食を堪能する孫たち


2554最後の日本食


3人の孫たちはラーメンに餃子にトンカツを注文。2人の
里子たちは何故か牛丼と豚丼。一昔前までは「牛は
働いてくれる動物だから食べないの」と言っていたのに時代も
変わったもんだ。タイ料理の苦手なオイラは当然和定食。

2554国境まで見送りしてくれたS


食後ノンカイへ行き途中の大型文房具店でラオスの子供たち
のためにサッカーボールやノートを購入。そして
冒頭の陸路でタイ国境を越えるために今まで数え切れないほど
見てきたメコン川を渡る。西に沈む赤い夕陽が妙に懐かしい。

タイの国境を渡ったどぉ

この回つづく

asia_jiyujin at 14:30|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

October 12, 2013

第2553回「気ままな愉人生論」

2553山梨ぶどう園


あらま、なんとも素敵な再会でしょ

先日のブログを記載していた時に、偶然にも不思議な縁が
取りなす羨ましくも嬉しいメールが山梨のAから届いた。

2553エジプトから


Jさん 元気ですか?
嬉しい再会があったので、報告です!
9月○●日、一日で2つの再会をしました。
どちらも「Jさんつながり」です。

一つは、K恵さんファミリー。二つ目は、なんとなんと、
エジプトのムーディーとR恵さんです。

K恵さんは沙羅ちゃんを連れて山梨に遊びに来てくれました。
シンチャンのデレデレ親バカっぷりは健在で、本当に素敵な
家族だなあと、改めて思いました。

ムーディーは、エジプトから日本にやって来ました!R恵さん
のご家族に会いに。いま福島で働いているR恵さんが東京まで
ムーディーを迎えに来たので4人での再会が実現したんです。
ムーディーとNちゃんのジョークの応酬は相変わらずで、
聞いている私は笑いが止まりませんでした。

R恵さんは「いっつもこーゆーことばっか言ってる〜」って
引いてましたがいつかまたエジプトにと願い、私の携帯電話
の待ち受け画面、ずっとルクソールで乗った気球の写真に
していたのですが、まさかこんなにも早く再会できるなんて。
縁って不思議でそして大事にしてるとずっと繋がっていく
ものなんですね。密度の濃い一日でした。
そして、Jさんにメールしたくなりました。

2553ムーディ&Nちゃん


3年前のエジプトで勃発した独裁政治の転覆から、今も尚
政治的な紛争が集結していない国から訪日した日本語
ガイドのムーディ氏。人なつっこくていつも笑いを提供
してくれた芸人のようにひょうきんなアラビック。

彼との出逢いが初めて行ったルクソールの旅を最高に面白く
してくれた。その彼を紹介してくれたのが当時JICAで日本語
教師として赴任していたR恵。その彼女と最初に出逢ったのが
オイラが所属するNGO団体の活動の地タイ東北部ノンカイ県。

そしてその彼女を紹介してくれたのが、定年後毎年海外でプチ
ロングスティされている新潟の元中学教諭のK先生。その先生
と最初に出逢ったのがタイ北部チェンマイのビエンピンホーム

その孤児院に一緒に同行させてくれたのがAが通っていた大学
のゼミを教えに来ていたHY教授なのだ。そう考えると人の縁や
繋がりっていうのは何処でどう複雑に絡み合ってるのか面白く思う。

因みにタイで最初にAと出逢ったときにオイラが話しかけても
無視された。後から訊くと「変なタイ人が話しかけてきたから」
と。そんな失礼なヤツともう10年以上も縁が繋がっている。

で、現在は結婚して埼玉の川越に住むK恵と最初に会ったのが
マレーシアのマラッカ海峡の街。海外ゼミ研修でHY教授等
と現地を訪れていたときに教授から呼ばれてタイから行った
のが縁で未だに縁が続いている。

大学時代、違う大学に通っていた2人はタイを通して友だちに
なった。夏期休暇中にタイの我が家にもスティして彼女たちは
その後シンガポールと韓国に留学した。

2001年10月にK恵が留学していた韓国を訪れ、その前には
シンガポールに留学していたAにも逢いに行った。彼女たち
以外にも我が家にスティした多くの学生たちは、タイを始め
その後様々な国に留学していった。

そんな彼女等が大学を卒業して就職。その後結婚して子育てに
追われながらも未だにタイ繋がりで縁が切れない。学生時代から
ずっと見守っていたオイラはさしずめ父親のような存在なのだ。

そんな子たちから「第一子誕生」の報告が来ると、まるで
自分の孫に逢いに行くかのように帰国する度に
全国各地を周遊しながら愛孫をあやしに行く。

東京には5,6人。埼玉は川越。茨城は牛久。静岡の浜松に
千葉、横浜、富山、兵庫は尼崎、新潟は新発田市と今までに
何人の孫の写真を送って頂き会いに行ったことか。

オラいったい何人の孫がいるんだべ

大学を卒業して未だに結婚してない子もいる。皆それなりに
その職のベテランの域に達しているだろうし、異文化を体験
した経験が今の人生に何らかの糧になっていればいいと願う。

何はともあれ、オイラの人生というドラマを最高に面白くして
くれているのはその時々に出演してくれる千差万別なキャスト
と様々な業界の人との濃くて深い縁と繋がりなんだ。

だから、国が違えどどんな形で袖振り合った多生の縁でも相手を
思い遣り大事にしながら人生を時遊気ままに生きたいもんだと。

世知辛い世の中にはなって縁も稀薄になりがちだけどさ、実際
やってみればそれほど難しいことじゃない。金儲けや損得は
二の次。正道を歩いていれば自ずと食うだけの財は付いてくる。

人生を愉しくするのもつまんなくするのも自分次第だべ


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October 11, 2013

第2552回「導かれし霊能占師」

2552霊能者ヤダム


前回よりのつづき

確かこの道の先を曲がって・・・

まるで磁力に引き寄せられるように足が自然とその方向に
向かう。電話で話すことはあっても久しく会う事はなかった。
地面をはねる雨が急に勢いを増す。見上げると空が暗い。

こりゃあ、すぐにスコールが来るな

傘の役目が立たないほど急激に雨が強くなってきた。
かつてアポなしで訪れたことは一度もないから留守
でも仕方ないと思いながら恐る恐る店内を覗き込む。

お、いたいた
「あっらぁ〜まぁ、フジさ〜ん。どうしたの」

まるで幽霊でも見るかのような目で驚くヤダム。霊能者なら
オレの訪問も予知してたと思いきや意外な訪問者に歓喜の声。

サワディ クラップ。久しぶりだね
「ほんと久しぶりねぇ。元気だったの」
ほら、見ての通りさ
「あらぁ、見るからに顔色が良くないわよ」
バリバリ元気だけど、先週から風邪引いてんだ

今年で45歳というヤダム占師は歳より遙かに老けて見えた。
そうじてタイ人は日本人より10歳以上は老けて見えるん
だけどね。その分オイラも歳を取ったと言うことだ。

お互い久しく会わなかった月日の流れを語る。何でも
オイラがヤダム占師の事を小冊子に掲載してからは
飛躍的に日本人客が増えたらしく、つい先日は日本から女優と
テレビ局が取材に来たそうだ。名は分からねど、遙々
日本にまでヤダムの名が伝わっていることに正直驚いた。

「どれ、フジさんの未来を視てあげるわよ」
いいよ。未来が分かったらつまんねぇじゃん
「そんなこと言わないで視させなさい」
う〜ん、なら健康面を視てよ

2552ヤダムの占い


オレがここに来るといつも決まって霊視してあげるわよと
言うのだが敢えて断っている。かつて一度だけ頼って霊視
して貰ったのが胃癌。それ以外はオイラの寿命だけだった。

ヤダム曰くは、健康面があまりよろしくないと。ま、それは
普段から自覚している。何処のお寺でも構わないから自分の
誕生曜日の仏陀(置物)を買って名を記して奉納しなさいと。

「それで今後10年間は健康な身体でいられるわよ」
ほぉ〜、10年間ねぇ。悪くないねぇな
「それと、いま幸せを感じてないでしょ」
じぇじぇじぇ痛いところを突いてくるねぇ

以前にも「何やっているときが一番幸せを感じるの?」と
訊かれて即答できなかったことがある。具体的に応えられ
なかったということはそれだけ満足していた証拠だろう。

感じてるよ。食べてる時と仲間と酒飲んでる時は至福だね

本人は正直そう思っているのだが、ヤダムはさらに核心を突いて
くる。長年この国でいろんな場所を旅したり、様々な人と出逢い
恋愛したり、人に騙されたり、時にはタンブン(功徳)したり
様々な刺激的な体験をいっぱいしたから今は飽きているでしょ。

飽きたというよりは達観しちゃったのかな
「それと55歳の今年はあまり運気が良くないわよ」

自分自身が忙しい思いをして幸せを感じているヒマはないらしい。
いろんな人が貴方を頼って日本から来るけど、いつも自ら神経を
すり減らしながら無難にこなして帰国させることばかり考えてる
から幸せを感じることは極めて少ないのよ、と至極核心を突かれた。

おぉ〜鋭い。ヤダム師の言うとおり一理あるわ
「たまには断りなさい。無理すれば身体が壊れるわよ」
しゃ〜ないのよ。オレってNOって言えないから

相手のことを考えると、どうしてもNOと言えない。それが
オイラの性分でもありタイにいる使命の一つと感じている。
自我を捨て人様の役に立つ存在としての修練と鍛錬の地。

時々さ自分でも嫌気が刺すときもあるのよ

19年前にこの国に導かれた理由は、自意識過剰な自己を戒め
精神修行として異文化の中で敢えて流行や便利さから逸脱した
生活を送りながらその先にある精神の輪廻を成し遂げるまで、
戒律に生きる修行僧の如くストイックな自己と闘いながら、
常人を超越した時空に自分を高めたいからである。

「何のこっちゃ、よう分からへんわ」

確かに。単に自らの行動を哲学的に難しく記しただけで、
至極簡単に書けば、この難儀な修練の現世をいかに客観的
に観ながら達観した人間に自分を高めたいと思うだけだ。

「フジさん。幸せに生きなきゃダメよ」
ありがと。ヤダムもいつまでも元気でいてよ

気付けば先ほどまでの嵐のような豪雨がすっかりやんでいた。
雲の切れ目から夕陽が覗く。通りは仕事を終えた帰宅者らと、
これから夜の職場に出勤する人たちが対称的に交差している。
オレが一日の中で最も生を感じるマジックアワーの時間帯だ。

さ〜て、オイラも帰って晩飯でも作るとするべか

ヤダム占師はオレにとってはお釈迦様のような存在だ。
不安や苦悩が解消されモヤモヤした心が妙に癒される。
実は、この日を境に不思議と恐い夢を見なくなった。


asia_jiyujin at 16:19|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

October 10, 2013

第2551回「辿り着きしその先は」

2551 Canon


あっちゃ〜スイッチが壊れてもうた

長年取材で使っていたCanonのカメラがとうとう壊れた。
予備用にもう1台同じメーカーの機種を持ってはいるが
広角レンズでないから狭い部屋の撮影はかなり難儀する。

ま、仕方あるまい。形ある物はいつか壊れるもんだ

ちょうど最新機種のカメラの購入を考えていた時期でも
あり来年4月からの消費税8%を考えれば今が買い時かと。
(タイで買えば日本の消費税は関係ないけどね。タイは7%)

がしかし、根っからの「もったいない精神」者としては直る
ものならメンテナンスしてでも使うのがオイラのモットー。
ケチとか倹約家とは違う。単に物に対する愛着心が強いのだ。

まぁ、8年も使えばガタも来るわな

そのくせ諦めも至極早い。使えない物なら潔く捨てる。
念のため某デパートのカメラ売場に行って修理を頼んだら
MBKの5階にCanon専用カスタマーサービスがあると。

で、先日MBKに行っって修理を頼んだら20分ほどで
スイッチが治って戻って来た。あらま、治ったのね。

しかも、よくよく見ると何処かをカスタマイズしたのか
以前よりも画像が鮮明になった気がする。で、修理費を
訪ねたら、なんと「サービスで御座います」だってさ。

さす天下のCanonコップクン マーク クラップ

何でもかんでも拝金主義社会のこの世知辛い世の中でタダ
ってさ。店内には無料セルフコーヒーサービスもあった。

で、気を良くして外に出たら小雨が降っていた。前々から
気になっていたスクンビットソイ2にある日本ブランドの
StreamTrallのタイ支店に寄ってみた。実は相当の鞄好き。

アウトドアグッズでは有名なメーカーらしいのだが、どうも
この手にはとんと疎い。実は先日JCBプラザに立ち寄った
時にショーウィンドーに飾ってあったバックに興味を持った。

そう、素材が海に行ったときや雨が降っても中身が濡れない
ビニール製の生地なのだ。毎日毎日降り続ける雨にさすがに
温厚なオレも業を煮やして濡れても大丈夫な品を探していた。

で、スクンビットのソイ2という普段は滅多に通らない線路
沿いの道を小雨降る中ちんたら歩いて行ったら、
何ともタイらしくない空間の佇まいにその店はあった。

おぉ、まるで代官山にでもありそうなお洒落な店じゃん

2551ストリームトレイル


で、中に入ると親切丁寧なタイ人女性スタッフが早々に冷たい
水を出してくれた。さらには商品を手に取る度に価格と用途を
説明してくれる。嬉しいけどちょっとウザクなる接客である。

結局、興味は抱かさせるもそれほど購買をそそられる商品とは
出逢えなかった。で、外に出ると先ほどまで降っていた小雨が
急に本降りになってきたので一時何処かへ非難しようかと思案。

あ、そうだ。この近くに・・・


この回つづく


asia_jiyujin at 11:43|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

October 09, 2013

第2550回「来年正月の旅行国」

2550砂漠の3人衆


さて、来年の正月休暇は何処の国に行こうか

この3年ほど年が明けた正月は山梨のAと彼氏のNと
異国の地を旅するようになった。3年前はエジプト。
昨年はベトナム。そして今年はオレの住むタイ王国。

いつからそうなったのかは別として、大学時代から我が家
にも滞在していた彼女らと旅するのは面白くて飽きない。
特に彼氏のNちゃんは、物書きのオレにとっては比喩の師匠。

人を喜ばせる話術と思わず感心させられる言葉のテクニックは
文豪を父に持つ由縁。なんと言っても、あのベトナム戦争でも
米国に負けなかった勇敢でそれでいて無秩序でいい加減な民
たちと日夜闘い続けながらハノイで仕事をしていたである。

そんな彼らと来年は何処に行くのか考える時期になった。
実際には今年の秋口に帰国して山梨に滞在しながら岩魚の
骨酒呑んでジックリ検討するところなのだが帰国は微妙。

最近のNちゃんの比喩力はなんか薄れてるなぁ

2550AとNとオレ


確かに知り合った当初と比べたら明らかに言葉数が減った。
オイラとしてはもっともっと長い時間一緒にいて彼が喋る
溢れんばかりの言葉の比喩を勉強させて欲しいと願う。

彼女のAが言うには「Nちゃんは慣れた関係になってくると
リラックスしてお喋りが減るそうです。JさんはNちゃんに
とって兄のような気のおけない存在になったのではないでは。
自分の面白さをもっと認識した方がいいですよね〜」と語る。


そのNちゃんは、あれからハノイの会社を辞めて現在は帰国
して以前勤めていたフランス系のゲーム会社に復帰している。
その彼から今年の正月に始めてタイに来た時のことがまるで
弁明のような長文のメールが届いていた。

2550カイロは寒かった


どうも、こんばんは。ハノイでは、トムクルーズ来日ばりに
モテた過去の栄光をタイにも期待したが、あまりにも日本人
観光客慣れしていたタイ国民にガッカリ感を禁じえなかったです。

日本はただいま寒さMAXをむかえており、その自然の悪戯に
ただただ耐える毎日です。そういう時は南極物語のタロとジロ
を思い出し「彼らが耐えた寒さに比べれば・・・」と思い、
高倉健そして渡瀬恒彦が迎えに来てくれる春を待つのです。

JさんのおかげでAの暴走は最小限にまで抑えられ、まったり
過ごすことができました。ただやはり、帰国後の現実世界は厳
しく企業戦士は月一回来るか来ないかの3連休だけが唯一の楽
しみとしてその幸せを数珠繋ぎにしてかろうじて生きています。

来年正月も南国でAの暴走も最小限に「何もしない」をテーマに
素敵な国探しのリサーチを開始して行きたいと思います。Jさん
戻ってきたら日本での再開も楽しみにしております。お体に気を
つけて、車にも気をつけて、タイ料理にも気をつけて、スリにも
気をつけて、ぶら下がった電線にも気をつけて、オカマにも気を
つけて、鉄のドアノブカバーも壊されないように、ベランダから
上陸してくるゴキブリにも気をつけてお過ごしください。
ありがとうございました!


さすが言葉のソムリエは健在。メールを読みながら偉大なる父上の
DNAを引き継いだ息子の研ぎ澄まされた文章力と洗練された言葉の
魔術に感銘を覚える。やはり彼はオイラが尊敬する比喩の師匠だ。

さて、愉楽のタイのバーチャル的な世界から帰国されて一転して超
現実的な世界に無理矢理引き戻された企業戦士に返り咲いた彼だが
あの波瀾万丈だった常時戦闘モードでいたハノイの日々を想い出せ。

の帰国が叶えば、あの天井崩落事故から復仇した笹子トンネル
を抜けて山梨へ行き、そんでほったらかしの湯で天空の
星空と甲府の下界を愛でながら名物ほうとうでも食って語り明かしたい。

そうだ。来年の正月は台湾がええな。メシは旨いし温泉もある


asia_jiyujin at 13:30|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

October 07, 2013

第2549回「心温まるタイのCM」




はぁ〜アカン。起きられへん

やっべぇ。不覚にもツアーが終わった途端に気が緩んだのか
風邪を拗らせてしまっって身体が怠いくて食欲不振になった。
雨季の終わりは一日の温度変化が目まぐるしくてなまら辛い。

頭がボーっとして思考回路が麻痺してら

風邪の特効薬はない。暖かくしてひたすら安静にしながら
寝るしかない。食欲も湧かないし作るのも面倒。
それでも栄養を補給するために起き上がるも目眩がして
ふらつく。哀しきかな寝たきり老人の如くじっとベッドに横たわる。

ふぅ〜まいったなぁ。誰か助け・・・

こんな時こそ介護してくれる彼女が欲しいと思うのだが、
如何せん回りにはおらんし、そう都合良くは現れんしな。
寝ても寝ても何時間でも寝ていられる自分が恐い。
だが、またしても恐ろしい夢を見てしまった。

ぎぇ〜なんでやねん

以前勤めていた日本の建築会社で同僚や後輩たちから辛辣な
虐めを受けているのだ。断っておくが小中高校と虐められた経験
は一度もない。なのに大人になった今頃に虐められる夢かよ。

今週末には日本からNGO団体が訪タイする。
それまでには体調を万全にしておか・・・。アカン、起きられへん。
風邪は万病の元。早めに治さないと皆に迷惑掛けてしまうがな。

こらぁ病院に行った方がええかのぉ

そんなやるせない思いの時に、先日のツアーに参加出来なかった
馴染みのN氏から思わぬメールが届いた。それに添付されていた
You Tubeの画像を観たら思わず目頭が熱くなり涙がポロリ。


「ツアーも無事に終了したようで、ご苦労様でした。今回のツアーは
延長のミャンマーも含めて是非参加したかったのですが、所用が
有って泣く泣く諦めました。YouTubeでタイのこんなCMを見つ
けました。 藤岡さんは「生」でご覧になっていたかと察しますが。
日本でもこのタイプのCMは好まれていて?似た様なものは時々
流れているのですが、「じわぁ〜ん、ポロリ」と、最近めっきり
弱くなって来た50代のオヤジの涙腺を直撃されてしまいました」


オイラもN氏と同じで50歳を過ぎてからはすっかり涙もろく
涙腺が緩くなった。でも、こんな実話が実際あるのがタイ。
そんな人情味深い国に住まわせて頂いていることに心から感謝。

他にも心温まるタイのCMがあるので、あえて動画の大きさをそのままUP。
辛いとき、苦しいとき、喧嘩したとき、不毛の日々を過ごされているとき、
通勤途中や仕事の合間にでもちょいと観て下さいまし。きっと高額な映画や
流行ドラマを観るよりもよっぽど短時間で感動できることを約束します。

asia_jiyujin at 09:00|PermalinkComments(0) 藤岡わこう