November 2014

November 30, 2014

第2727回「カオサンと霊能者」

ヤダムと記念撮影


バンコク・カオサン】11月2日

今日は日曜日のため体験レッスンは受けられないので、
本来Yくん親子がタイに渡航した目的とは少々脱線
するのだが、世界中のバックパッカーの聖地でも
あるカオサンロードにやってきた。

長期旅行者でもないのに何でカオサンなの

カオサンでY親子


実は今夏に帰国した際に1冊の本をYくんに渡した。
下川祐二氏が執筆した、日本人の外籠もりに関する本。
内容は日本で数ヶ月働いて貯めた金を握りしめて来た
日本人が何もしないでカオサンに長期滞在するものだ。

日本でも問題になっている親のスネをかじりながら
部屋に引き籠もるニート生活に甘んじている若者たち。
つまりそれの海外版のニート生活みたいなもんだ。

少しでも安い部屋に長期滞在しながら食費も極力
かけないで日がな一日何もしないで過ごすという
端から見たら完全に社会不適応者のダメ人間。

しかし、誰しもが好きでそうなったわけでもなく、
そうなるには人それぞれ理由や原因があるわけで、
ケースごとに調査しながら執筆した興味深い本だ。

考えてみればオイラも20年前に社会からドロップ
アウトして日本を脱出してタイに来たようなもんだ。
ただ、オイラには明確な目標があったからこそ
カオサンの沈没組にならずに済んだだけである。

オレも一歩間違えば、汗臭いヒッピーに混じりながら
何の目的もなくその日暮らしをしながらカオサンの
安宿街で外籠もりになっていたかもしれんもんな。

そんな日本人になって欲しくない思いでその本を
Yくんに進呈したのだが、逆にそんな異質な街を
見てみたいと母親の方から要望があったのだ。

何でなん

変貌するカオサン通り


はたして世界中から集まるその街には、どんな魅力が
あるのか。そんな場所に巣を作って長期滞在する人間
とはどういう生き様の人種たちなのだろうか。

ただ、あの本が執筆されてからかなりの年月が経っていて
今のカオサン通りは昔と違ってまるで竹下通りとまでは
言わないまでもすっかりお洒落な街に変貌している。

カオサン名物10Bパッタイは、今や30Bを越え、
偽造運転免許証や学生証の相場も当時の3倍以上だ。
もちろん正規で使えるわけがないのに未だに売られて
いると言うことはそれなりに需要があるんだろうな。

砂利道だった通りはインターロッキングに変わり車道と
歩道がキッチリ別れ大雨が降っても洪水は少なくなった。
1日60Bのドミトリーや100B以下の部屋も消え去り
エアコン付きの300B以上の部屋が主流になっている。

これじゃ長期滞在するには高すぎるわな
「あの本のイメージとちょっと違うわねぇ」
もしかしてあそこかな・・・

変貌するカオサン通


華やかな通りに隙間のような狭くて古い路地を見つけた。
小誌に出ていた日本人が住んでいたであろう部屋を発見。
部屋は狭く昼間でも光の入らないカビ臭い部屋だ。

うぇ〜こらぁゴキブリと南京虫の住み家だな

家主に訊くと今でも数人の日本人が長期滞在しているとか。
本文に掲載になっていた下町のような路地裏で缶ビールを
呑んでいたイスは今時のお洒落なベンチに変わっていた。

こんなとこに沈没する人間になったらイカンぞ
「何だか奇妙な空間に紛れ込んだ体験でした」
沈没したら死んだ爺っちゃんに会わす顔がないわ

H家族


得てして映画や小説に出てくるロケ地や現場には不思議
な魔力が宿り、一瞬でも自分が主人公になった気になって
疑似体験してしまうことがある。かく言うオレがそうだ。

やっべぇこんなとこに憧れちゃイカンばい

カオサンで屋台の名物パッタイを食べるのに抵抗が
あったので、比較的綺麗なレストランで昼食をとった。
例によってオイラは土産のいいちこをグイッと。

焼酎呑みながら日がな一日人間ウォッチングもいいね

ローカルタイ料理を食べる


資本主義に背を向け、社会や制度を放棄し、既成の
価値観に縛られずに自然への回帰を主張するような
陽気なヒッピー風の若者たちが笑いながら目の前を過ぎた。

やはりこの街には人間を堕落させる魔力が犇めいている。
仕事に疲れたり、人間関係に疲れたら携帯電話を
オフにしてこの“聖地”に身を置くのも有りかな。

意外とこんな近場に現実逃避できる場所があったんやね

ヤダムに占って貰う


さて午後からはオイラの命の恩人でもあり、
また人生の岐路に立った時に道標を教えてくれる、タイで
絶大な信頼を寄せている霊能者ヤダム占師に会いに行った。

実はここもYくんの母親からの要望の1つだった。
もしかしてYくんのタイ語学校視察よりも
こちらの方が主たる目的だったりして。

霊能者ヤダム


ヤダム女史に会うのは今年の6月にNちゃんと
Gちゃんが来たとき以来だ。いつも驚かされるけど、
あん時も当たりすぎて吃驚したなぁ。

で、Yくんの母親の占いは個人的な悩みの為に
内容までは書けないけど、来春(節分過ぎれば)
からは全て運気が上向きになって好転するそうだ。

良かったですねぇ

神妙なおもむきで


Yくんは、自分でタイ語が話せるようになってから
個人的に占ってもらいますと豪語したけど、はたして
何ヶ月で理解出来るようになるのかしらん。

ま、若いだけに脳細胞も吸収性が良いでしょ

その日の夜は北京飯店で極旨の小龍包に焼き餃子を
堪能した。この店は以前にもYくんの爺っちゃんが
奥様と沢山の孫たちと食べた懐かしい想い出の店だ。

さ、明日からは体験レッスンが目白押しだからな
「はい、楽しみです」
あ〜このYくんがオレの息子だったらなぁ〜

と、密かに妄想しながらすでに社会人になっても
一向に長年親父が住むタイには興味を
抱いてくれんシュールレアリズム(超現実主義)
な息子が歯がゆかったりするのだった。


asia_jiyujin at 20:35|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

November 29, 2014

第2726回「将来の夢は国際人」

タイ語体験レッスン



バンコク】11月1日

10月の第1週の土曜日にシンガポールのA嬢が来て一緒に
離島を旅した。その翌週には愛泰家のO氏が訪タイ。
さらに3週目にはまったく予期していなかったアムステルダムの
T君から初タイする元同僚Tくんのアテンドを依頼された。

で、1日ずれてウドンタニのO先生がバンコクに上京。
4週目の週末にはメコン基金のS代表等が来られて
一緒にタイ東北部に飛んでNGO活動に尽力。

で、S代表等が帰国された週の11月の第1土曜日は
来春の高校卒業と共にタイで語学留学を希望している
Yくんが母親と一緒に札幌から下見にやって来た。

事前に彼のような日本人が通えそうなタイ語学校を7校
ほどリサーチしておいた。いろいろ調べてみると都内には
外国人向けのタイ語学校が20以上もあることに驚いた。

ほぉ〜そんだけ需要が多いってことですか

語学留学


Yくんがタイに長期滞在するには、VISAが必要になる。
それまで30日毎に近隣の国境を出入国していたビザラン
組も、今年の5月のクーデター以降、軍政になってからは
複数回の出入国を認めず厳しく取り締まるようになった。

つまりツーリスト(旅行)ビザやED(就学)ビザなど、
正規のVISAを有しない不良外国人たちを一掃する狙い。

税金も金も落とさない外国人はタイから出てけってか

それらを考慮してYくんには、EDビザが取得できる学校
を選び出し、将来住むであろう住居から比較的交通の利便性
が良くさらに無料体験レッスンが受けられる学校をチョイス。

滞在予期間が4日間しかない上に、体験レッスンが出来る
日は平日のみ。わざわざ高校を休んでまで来るのだから
極力短期間で自分に合った学校を決めなければならない。

マンツーマンレッスン


さて、タイに着いた初日は土曜日。タイ語学校に通って
いる間はEDビザが取得できるが、卒業後を見据えて
オレがタイで一番信用できる今や都内に4店舗。
タイ北部チェンマイに支店を構える“居酒屋寅次郎
と“博多どんたく”の経営者であるN氏に会わせた。

彼もまた、国立大学を卒業した後にオイラを頼ってタイに
来た1人だが、彼ほど実直で起業に成功した日本人も稀だ。
文化も習慣も違うタイ人に根気よく教えながら今がある。
飽き性のオレなら、きっと途中で諦めて挫折してんな。

ま、そんな異質な経歴の偉人だからこそYくんに会って
頂いて、もし使えそうな人材であれば厨房の皿洗いでも
いいからタイ人の中で働いて欲しかった。毎日タイ人と
接していればタイ語の上達にも繋がるし、一石二鳥だな。

とは言っても、日本と違って簡単にアルバイトと言うわけ
にはいかないのが実状。タイで日本人を雇う為には労働ビザ
も必要になり資本金も200万B追加せねばならない。

「どうも藤岡さん。こんばんは」
よ、大将。わざわざ来てもらって悪いね

いつもジッと休むことなく常に回遊魚のように
慌ただしく忙しく動いているN氏だが、この日も都内
の4店舗を見て回っている途中で立ち寄ってくれた。

こちらがYくん。来春高校卒業したらタイに来るんだ
「Yです。宜しくお願いします」

いつもは数分しか店にいない彼だが、この日はドカッと
同じテーブルに座って、延々とYくんの将来について
語ってくれたが、その内容が実に突拍子もない話だった。

「これからはロシアの時代だよ。ロシア語を勉強して
将来北海道とロシアの架け橋的になった方がいいじゃない」

ひたすら酒を


確かに今更英語や中国語を習得したところで使える人材は
相当数いるだろうし、ましてやタイ語を習得したところで
活かせるところはタイと近隣のラオスぐらいなもんだ。

どうバンコクでロシア語を勉強してみるか
「あ、いや。先ずはタイ語を勉強してから・・・」

外国語を勉強する切っ掛けは人それぞれだが何でも良い。
日本のアニメやコスプレに興味を持って、
日本語を習いだすタイ人や西欧人も相当数いる時代である。

今の時代、学生時代にいくら英語を勉強したところで
テストで満点取れても会話が出来ないヤツが殆どだろう。
グローバルな人間を目指すなら海外に出るのが一番手っ取り早い。

トライアルレッスン


どんな国でも半年もいれば生活できるくらいの言葉は覚える。
ましてや現地に友達や恋人が出来れば上達は一掃早くなる。
つまり必要性の問題。話せなければ行動範囲が狭まるだけ。

「ねぇ藤岡さん。ロシア語いいじゃないですかねぇ」
おいおい大将。無責任なこと言わんでくれよ

まだ17歳の彼が体験してきた世界では、さすがにロシア語
の選択は範疇にないだろう。ただ高校時代に勉強してきた英語
がタイに来ても、いかにままならないことは分かったはずだ。

英語でレッスン


先ずは日本語以外の外国語を習得することで次のステップに
進めばいいさ。Yくんの将来の夢は外国と日本との架け橋的
な存在になることらしいのだが、それならば尚のこと世界中で
使える英語か中国語の方がいいんじゃないのかな。

N氏が力説するロシア語もあながち間違いではないかもね

学校視察




asia_jiyujin at 22:00|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

November 28, 2014

第2725回「最後の奨学金贈呈」

奨学金贈呈式記念撮影


ノンカイ】10月28日

痛てて、て、て・・・

さすがに昨日長時間車に揺られていたせいで持病の
腰痛が悪化した。しかも、昨夜は市内のレストランで
先生方も誘って一緒に会食した後に、ホテルに戻って
からもS代表と記憶が無くなるまで飲み明かした。

深酒の翌朝は決まって覚めだけは良いのだが、後頭部が
妙に怠い。毎回のことながら自己嫌悪に陥るが仕方ない。
朝食もかったるくてお粥で済ますも味が分からない。

あ〜今日は大事な奨学金贈呈式なのになぁ

各学校から集まった先生たち


毎年ノンカイの県庁舎の中にある会議室で行われる
奨学金贈呈式は支援している17校の中学校の先生方
が集まる。しかも、県の教育長も出席しての行事である。

そこに頭を抱えて酒臭いオイラが行くのは失礼極まりない。
早々熱いお湯で朝シャンをしながら脳の細胞を覚醒させる。
そもそも何故故に毎回記憶が無くなるまで呑むのだろう。

長年夜型生活の人間はまでは寝られない習慣になって
しまった為に深酒でもしないと落ちるように寝られん体質
になってしまったんだな。こげな悪習は人として失格やな。

と自己反省しながら県庁の中にある教育庁に表敬訪問し、
今年の教育長であるプラムート氏に出迎えられる。
なんとこのお方、昔北海道大学に留学経験があり、
札幌から来られたS代表とK氏に今の街の変化を訊いていた。

S代表の挨拶


もっとも今ではすっかり日本語を話す機会がなくなり
話すことは出来ないのだが、感謝の言葉をのべられた。

「25年の長きに渡りノンカイ県の子供たちに奨学金の
支援を続けて下さり本当に有り難うございます。日本と
タイ国は同じ仏教国ながら文化も風習も違いますが、
経済力は圧倒的に違います。昨今のタイは5月に軍事
クーデターが起きてからは観光や輸出などの経済力が
減速していろいろと問題を抱えています。でも軍政に
なってからは麻薬や汚職などの問題にも取り組むように
なり、少しずつではありますが国が正常化に向かいます。

そんな中でノンカイ県の子供たちも家の仕事や家事を
手伝いながら勉学に励んでいます。昔に比べれば村人
たちの生活も豊かになり、殆どの学生が大学に進学する
道を選べられるようになりました。来春にメコン基金の
活動が終わっても家庭が貧しくて大学に進学できない
子供を支援して頂ければ嬉しいです。活動が終了して
も、いつでもノンカイに来て下さい。これからも貴方
たちの末永い健康とご多幸を祈っております」

チョークチャイ先生


教育長の感謝の挨拶の後は、奨学金を支援している
17校の中学校の担当教諭たちが来られて贈呈式が
行われた。93人に贈られる奨学金は、残念ながら
昨今の急激な円安のために昨年より減額されていた。

奨学金贈呈式7


奨学金贈呈式6


奨学金贈呈式5


奨学金贈呈式4


奨学金贈呈式3


奨学金贈呈式2


奨学金贈呈式1


この25年間で一番ピークだった時代には、400人を
越えていた奨学生も、時代と共に支援して頂いていた
日本の里親たちの高齢化やおそらくは他界されて減少化
の一歩を辿っているだけに今年は93人が限度の支援。

さりとて我々のような団体の支援が1日でも早く
なくなることが本来の目的であり最終地点である。
会員の里親の高齢化もそうだが、代表やオイラも
含めて、老いる歳には勝てませんな。

にしても、よぉ20年間も続けてこれたもんだな

記念撮影


タイ料理も苦手でパクチーも食えず、辛い料理は
からっきしダメなのに、それでも20年間もノンカイ
に通い続けて里子たちの家にホームスティした。

昭和の古い時代を生きた御年配者たちには、えらく
好評なスタディツアーのホームスティなのだが、
昭和30年代生まれのオイラにはまるで戦前で闘う
野戦食か、はたまた修行僧並みの食事に思えた。

ぎぇ〜むし、虫じゃん。これ食うの

時にはオケラや虫の素揚げや、ウサギほどもある
大きさの野ネズミの網焼き。生きた鶏をその場で
締めてガイヤーンやスープ。極めつけは赤アリの
スープや生きたカブトムシの幼虫を強いられた
こともあったっけな。

さすがに昨今のスタディツアーは、比較的辛くない
タイ料理を作ってくれるのだが、それでも焼酎か
酒を呑みながらでないと殆ど口に出来ないでいる。

アルコールは消毒代わりじゃ。なんてね

そんな情けない男ながら、彼らの生き様を通して
生きる意味や人生の意義を教わり精神的にも肉体的
にも少しはタフに強くなったような気はするのだが。

奨学生も参加


さて、滞りなく各学校の奨学金贈呈式が済んで、
わざわざこの日のために造って戴いた垂幕の前で
記念撮影をしたのだが日本語訳を見てつい笑った。

メコン基金 国日本』は致し方ないとしても
奨学金贈呈式】が『奨学生採用式』になっていた。

意味は十分に理解出来るし、あながち間違いではない。
ま、彼らタイ人風に言えばマイペンライである。

こうして2泊3日のラオとタイ東北のNGOを終えた。
S代表等が帰国されるこの夜の晩飯は、バンコクの
大戸屋で縞ホッケを肴に冷酒を呑んだ。結局毎晩じゃん。

ふぅ〜旨ぇやっぱこの味が格別やねぇ

最後に食べた縞ホッケ定食


asia_jiyujin at 23:40|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

November 27, 2014

第2724回「辺境地の子供たち」

ニチエイ子供たちとオレ



ビエンチャン】10月27日

朝8時半にホテルを出発して最初に訪れた小学校は
K夫妻が15年前に寄贈したセンサワン村にある校舎。
現在は96人の子供たちが学ぶ小さな小学校である。

「いやぁ〜懐かしい学校ですなぁ」
「すっかり校舎も傷んでますねぇ」
でもここは掃除もして綺麗に使っていますよ

学用品を寄贈


元来、小学校などの校舎はラオの文部省や教育省の予算
で建てられるべきものなのだが、アジア最貧国の1つでも
ある共産国の政府は、財源が無くて行き届かないのが現状。

子供達とK夫妻


その為日本を始めとする西欧などの先進国のNGOや
ODAが教育支援活動の一環として校舎や黒板などを
支援している。最近では韓国や中国などの企業が進出
して来て、国絡みで支援している学校も多く見受ける。

Kさ〜ん次の学校に行きますよぉ

15年前の石碑の写真


よほど懐かしさと思い入れがあったのか、K夫婦が時間に
なっても一向に車に乗ろうとしない。それどころか校舎
の回りのトイレや給水タンクなどの写真を撮り始めた。

全校生徒と記念撮影


今日中に5校の学校を訪問しなければならない。
移動時間を考えれば1校30分が限度である。
結局K夫妻が車に乗って出発したのは1時間後。

この調子じゃ夕陽が沈む前にタイに入国出来るかな

センサワン小を後に


2校目の東美小学校を訪問した後に昼食にする予定だった
のだが、時間が押してすでに子供たちや先生等は昼食を
取りに自宅に帰っていた。

「サバイディー」

Vさんが気を遣ってここら辺一帯の集落を総括している
ブンペーン郡の教育長を昼食会場に呼んでいてくれた。
K御大ご夫婦は好き嫌い無しにラオス料理を堪能。

「昔は食料が無かったから何でも食べられますよ」

昼食はいつもの田んぼレストラン


食後、2校目のノンボア村にある小学校に着いたのは
午後13時10分。12年前に東京美装株式会社の
従業員で募ったボランティア基金で建てられた山中の
分校だが、昨年から本校と分離して独立したらしい。

現在の生徒数は68人。2002年2月4日に新しい
校舎が落成して以来、生徒の数は減少気味だという。
小学校(ラオの小学校は5年制)を卒業すれば
中学校まで通うのか結構遠いのだそうだ。

東美小学校記念撮影


それでも学校に通えて“学べる”嬉しさは何ものにも
勝るそうなのだ。長年の内戦やベトナム戦争が終結した
1,975年から40年余りのラオの人口は約626万人。
ラオ族やメオ族など68部種族の少数山岳民族が住む国。

勉強はラオ語で教えられるが、中には話せない子供や
見るからに顔も体つきも違う民族の子等も通っている。

ニチエイ小学校記念撮影


さて、2校目を早めに出て3校目のプーサン村にある
小学校に着いたのが午後14時30分。ここは2009年
に日本衛生株式会社の創設30年を記念して「何か形に
残る物を造ろう」と従業員が資金を募って建てられた学校。

ニチエイ小学校訪問


それまで子供等が小さな手で井戸を汲み上げていた地下水を、
校舎寄贈の翌年に高架浄水タンクを設置。その翌年にトイレ。
さらに翌年に2つめのトイレを新設。そして今年は時代の
流れなのかパソコン購入の要望があり支援金を贈呈した。

ニチエイ支援金贈呈


長年タイやラオの恵まれない子供達の教育支援活動に携わら
せて頂いてきた身としては「もういいんじゃないの」と
危惧してしまう。「種は上げるけど育てるのは自分たち
これはメコン基金の創設者である故M氏が残した名言。

何でもかんでも援助してしまうと自立心が芽生えず、すぐに
誰かを頼ってしまう。先進国だけに依存してしまうと国の
発展が遅れるばかりか民族の誇りまで失いかねない。

ニチエイ運動具贈呈



堅固な“校舎”に綺麗な“”に衛生的な“トイレ”。
もうそれだけで十分な気もするのだが国の予算も
村の財政も困窮している状況では致し方がないのかな。

ニチエイ教諭たち


現在276人の子供たちが通うニチエイ小学校の校長から
今までの支援に関して心からの感謝の言葉。

「5年前にメコン基金を通じて日本衛生株式会社に建てて
頂いた立派な校舎で、多くの子供たちが良い環境の中で
元気に明るく勉強することが出来るようになりました。
また、高架浄水タンクや新しいトイレの設置で以前よりも
衛生的な環境になり、下痢や病気も少なくなりました。
これからはIT時代に向けて生徒たちにもコンピューター
の授業を取り入れて国に役立つ人間を育てていきたい」

はたしてこの子供たちが母国のために役に立つ人間に
成長するまでにメコン基金の活動は終焉してしまう。
そもそもそんな先まで元気でいられる自信は御座らん。

いずれにしても次代を担う偉い人物になってくれよ

ニチエイ子供たちと


さて、今日中に5校全てを回るのが無理と判断したVさんは
札幌のゾンタクラブ兇校舎を寄贈した後も支援を続けている
ファイドア村のなかよし小学校の校長先生を4校目まで
来てくれるように頼んだ。

すでに予定より1時間以上も遅れていながら4校目の訪問校
であるK夫妻が昔校舎を寄贈したラーカーハーシップソーン
小中学校に着いたのが15時20分。

ラーカー授与式


時間を大幅に過ぎていたために、生徒たちの帰宅時間と
重なってしまった。それでも奨学生たちや先生方や村の
人たちが笑顔で待っていてくれた。

ラーカーハーシップソーンとはビエンチャン市内から
52劼砲△訛爾粒惺擦箸いΠ嫐なのだが、ここは
小学校と中学校が同じ敷地内にある為に生徒数も多い。

ラーカーの教室内


メコン基金が奨学金を援助している学生は中学生が35人
に高校生が15人の総勢50名。それも来春には終焉する。

ラーカーとご夫妻


生徒代表の感謝の挨拶に続き校長先生からの一言。

「毎年、遠い国から長い時間を掛けて来てくれて感謝します。
我が国はようやく外資からの投資が活溌になり経済も上向き
になってきました。しかし、国の予算は相変わらず十分では
なく貴方方のような団体の援助に頼らなければならないのが
現状です。戴いた奨学金や支援物資は絶対に無駄にしないで
一生懸命に勉強を教えて将来は国のために役に立てられる
立派な人材を育てていきたいと思います」

儀式の途中でファイドア村のなかよし小学校の校長先生が
来られたので同じ校舎内で支援金の贈呈式を済ませた。

なかよし小学校支援金贈呈


さて、一通りの儀式が終わった後に、ここでも懐かしさの余りに
K夫妻が教室に居残りしていた生徒たちと記念撮影をしたり
勉学風景を見学されていた。今日の移動距離は軽く200
以上になるというのに、いやはや元気なご老人たちである。

寄贈した学校の前で


最後の小学校を16時に出てラオの国境のイミグレに
着いたのが18時。オイラの腰はもう限界に近いくらい痛む。
友好の橋を渡る頃には夕陽も落ちてすっかり暗くなっていた。

ラオの子供たちよ。ラコ〜ン


asia_jiyujin at 23:41|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

November 26, 2014

第2723回「何とか生きてます」

大人っぽくなったNとS


「あの〜、生きてまっか?」
「ずっと忙しいんですか?」
「もしかして何かあったん?」
「健康を害されて入院・・・」

さすがに1ヶ月以上もブログを更新していないと日本
各地から不測の事態を案じてか心配メールが届いていた。
こんな酔老爺をご心配して頂き誠に恐縮で御座いまする。

大丈夫オイラは元気に生きておりますぜ

病気も怪我もなく、巷で発生している犯罪に巻き込まれる
こともなく、低血糖にもめげず額に汗しながら訪タイされる
方々のお世話をさせて頂きながら淡々と日々をおくってます。

今月は2月並みの超多忙期なんでした

例年2月はブログが更新出来ないほど超多忙な日々が続く。
さりとて、戒厳令が未だ解除されない中でこの2ヶ月ほど
急速に円安が続いているのに訪タイされる人が多い事に驚く。

長年連載していた雑誌を9月末で引退して、さぁ、これから
しばらくは〆切りもしがらみもなく時間に追われずのんびり
した生活を満喫してやろうと思っていたら、その翌月から
毎週の如く旧知の友や馴染みの方々が怒濤のように訪タイ。

仏陀様は中々暇な時間を与えて下さらんのですな

結局この2ヶ月間で10組の友人知人客人たちが訪れた。
アテンドしながら、ほぼ毎食中に呑んだくれていたので
ブログは元よりメールの確認さえ怠っていた。

と言うことで1ヶ月前に遡って、かすかな記憶を辿り
ながらブログを書くことにいたします。


ノンカイ】10月26日

前日に訪タイされたメコン基金のS代表とラオスに
小学校を寄贈して頂いた日本衛生株式会社のK氏を伴って
ウドンタニ空港に降り立ったのは丁度午後12時の昼時だった。

「サワディカー」

ウドンタニ空港到着


将来は社会科の先生


将来は数学の先生


空港で東京美装株式会社の社員ボランティア基金とK氏が
個人的に大学の学費を援助しているNとSが出迎えていた。
さすがに大学3年生ともなれば年頃の女性に成長している。

「どうもフジさん」

先週バンコクで晩餐を伴にした現地の中学校で日本語教師を
やられているO氏も空港に来てくれた。なんと彼が勤めている
中学校は空港のすぐ近くにあり、歩いても5分と掛からない。
しかも3,000人を超えるマンモス中学校だってさ。

出迎えに来てくれたコーコン中学校のC先生と、みんなで
市内にある大型デパートの中の日本料理を食べに行く。
これでしばらくは日本の味とは遠ざかってしまう。

不謹慎ながら失礼して1杯呑ませてね

O氏も一緒に昼食


昼食にも関わらず、オイラは持参した焼酎をコップに注ぎ
ながら食前酒と称して1人悦に入りながら一献傾ける。
食後にダンピング症候群になって皆様にご迷惑を掛けたく
ないと言う理由だが、こりゃあ完全に単なる呑んべぇだな。

東美が援助しているS


K氏が援助しているN


食後は車で国境の町のノンカイまで送って頂きタイを出国。
満席の移送バスに揺られながら友好の橋を走る。まだ陽が
高い大河メコンを渡りラオス共和国に入国。入管を
過ぎるとラオスでの世話人Vさんが出迎えてくれた。

大河メコンを渡る


「サバイディ フジ」
コープチャイ Vさん

定年後すっかりご高齢になったVさんは長年現地で世話役
を務めてくれている。でも、さすがに歳なのか時々認知症
のように物忘れが酷くなる。車を走らせること30分。
ホテルにチャックインした後にビエンチャン空港に向かう。

15年前に小学校と中学校の2校を寄贈してくれたK夫妻が
夕方ハノイから飛行機で入国されると言うのでビエンチャン
空港に迎えに行った。来春でメコン基金の活動が終了する前
に、どうしても昔建てた校舎を自分らの目で見ておきたいと。

へぇ〜昔と違ってえらくでっかく立派になったねぇ

ビエンチャン空港


オレの記憶では8年前に日本から来たTVクルーたちと
降りた時は、まるで北海道の女満別空港並みの規模だった。

近年に立て替えられたという国際空港は、3年前に行った
ハノイ空港の雰囲気に似ていてそれなりに立派に見えたが、
バンコクの国際空港と比べたら圧倒的に利用客が少ない。

こんばんは。どうもお疲れ様です
「あぁ、どうもご厄介になりますよ」

しばらくして奥様を車イスに乗せながら出てきたK御大は
S代表と同じ歳の73歳。(だったかな)奥様は60歳後半
と記憶するが、2人とも腰は曲がっていても元気な様子。

この歳でベトナムを旅しながらラオスに入国し、
ビエンチャン市内の宿泊先も自分たちで手配したそうだ。
しかも明日の学校訪問を終えたら翌日には街全体が世界
遺産の古都ランパバーンに飛行機で向かうのだとか。

あっぱれまさにスーパー爺様と婆様である

オレがもしその歳まで生きていたら、きっと旅なんかしないで
海を見ながら昼間っから酒をかっくらって酩酊してんだろうな。


asia_jiyujin at 23:40|PermalinkComments(0)