February 2015

February 27, 2015

第2775回「人生最良の生き様」

ゴルフ三昧


【2月6・7日】クルンテープ 

う〜身体が怠ぃ体力がもう限界だぜぇ

昨夜の深酒と風邪をさらに拗らせ、オイラ
の体力は既に極限状態だった。ラオスとノンカイでの
お勤めを果たし、S代表たちとバンコクに戻った日の午後に、
大戸屋で昼食を済ませてから客人が待つホテルへ直行。

どうも、いらしゃいませ
「お〜、フジさん。1年ぶりに来たっけよ」
すいません。ちょっと体調崩してますけど
「大丈夫だぁ、あんまり無理しないでけれ」

毎年この時期に来られる日本最北端の離島の利尻島
(実際には礼文島だが)から来られるゴルフ組客。
もう5,6年のお付き合いになる同郷の馴染み客たち。

明日から連日ゴルフのアテンドが始まる。オイラも
誘われたが、さすがにこの体調ではご迷惑を掛ける。
兎に角、滞在中の6日間は倒れないようにせんとな。

じゃあ、早速晩飯に行きましょうか

体調は最悪ながらも初日の晩餐にいつものフカヒレ&
アワビ雑炊の店にご案内してオレはウィスキーを煽る。
あらどうしたことでしょう。さっきまでの具合が、
体内に酒が流れた途端に細胞が沸々と活性化してきた。

あらら、不思議なやねぇ。急に快調になってきたぞ」」
「お〜、そりゃあ良かったべ。遠慮しないで呑んでけれ」

これはもう完全にアルコール依存症の症状に違いない。
盃を重ねる毎に体調が楽になって来る。食後にオイラの
ボトルがある日本人クラブに行くも、滅多に歌わない
このオレがいつの間にか吉幾三を熱唱していた。

涙には〜いくつもの〜」」
「おっ、渋いねぇ。演歌か」

カラオケを唄う
<

明日はゴルフだというのに、早めに帰宅しなければと
思いながらもやたらとバーボンが旨くてグラスが進む。
さりとて昨夜の酒の意味との違いにふと素面に戻った。

あ〜昨夜の酒と今宵の酒は全く違う味がするなぁ

何やってんだろうなぁオレは。訪タイされる客人たちと
毎晩毎晩酒ばっかり呑んで楽しく語らい酩酊する日々。
確かに至福のひと時なのだが、さすがに己を客観的に
みれば単なる酔っぱらいの老骨だけに自己嫌悪に陥る。

ま、いいや悩んでもしゃ〜ないべ。ボーペンニャン

日本人クラブ


1分1秒、毎日ストレス溜めずに楽しく笑って暮らすのが
今のオレの人生最良の生き様。さすれば悩んだり悔やんだり
するよりは、例え酔っぱらっても楽しければいいじゃないの。

人生〜いろいろ〜

ゴルフ場


翌日は重い体を引きずりながらホテルに客人たちを迎えに
行ってゴルフ場でチェックインしてからスタートさせた
直後に風邪薬を飲んで死んだようにソファーで爆睡した。

「フジさん終わったよ。あんまり暑くなかったべさ」
お疲れ様です。じゃあ、シャワー浴びて来て下さい

ゴルフが終わった後はお決まりのタイ古式マッサージ店へ
ご案内。その夜の晩餐は居酒屋寅次郎にて和食と冷酒を嗜み、
最後は日本人クラブで客人の歌を聴きながら焼酎を煽った。

う〜む果たしてこれが人生最良なのかしらん

誤解のないように言っておきますが、オイラはガイドを
生業としている訳ではない。某等の縁があって客人から
のリクエストがあれば、可能な限りでアテンドをさせて
頂いている所謂ホテルのコンシャルジュみたいな存在だ。

かつては報道や出版などのマスコミ関係や、NGO団体や
ロータリークラブ。福祉系の大学生や観光やゴルフ客。
ロングステーヤーに日本語教師に起業を目指す社長など、
それこそ某等の縁があれば何でも引き受けてきた。

オイラ自身は日本からの様々なオファーを請け負う
コーディネーター役だと自覚してんだけど、端からみれば
オレがやってることはガイドと同じに見えるんだろうな。

本業は設計士で復業が執筆業だったのになぁ・・・

昔、某ホテルに勤めていた時代に先輩に言われた事がある。
「君はただの世話役であってはならない。お客様の心を満足
させて、その喜びを共有できてこそ本物のホテルマンだ」と。

この教えを何処でどうはき違えたのか、最近のオレは
共に楽しみながら酒に呑まれるほど客人よりも先に
酔って落ちたらそれこそ本末転倒というものである。

でもなぁ、馴染み客と呑む酒は格別に旨いんだよぁ


asia_jiyujin at 02:00|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

February 26, 2015

第2774回「長年の活動の終焉」

コーコン中学でTちゃんたちと


【2月5日】ノンカイ県

う〜身体が怠い。どうやら風邪を拗らせたな

熱も鼻水もないけど、妙に喉の奥が痛くて身体が怠い。
おまけに咳も止まらない。今日が最後になるとは言え
今夜は今まで支援させて頂いていた26校の中高学校
の先生たちの主催で感謝祭パーティが開催される。

先生たちの主催とはいえ、ただ黙って酒を呑んでいる訳
にはいかず、通訳の役目があるだけに体調を整えねば。
参加者の方から葛根湯を頂いたけどはたして効くのかしら。

う〜今日は二日酔いしてないのに風邪かよ〜

ドゥア中学校記念撮影


さて、本日訪れる一校目の学校はドゥア中高学校。
25年前に開校した生徒数390人で教師26人の
ノンカイ県では平均的な数の中学校の一つ。

校長先生が不在のためサティ教頭先生から挨拶。
「今まで長年に渡りノンカイの貧しい子供たちに
支援を続けて頂き、心から感謝致します・・・」
(頭がボーっとしてタイ語が頭に入ってこないぞ)

ドゥア卒業生


ここの5人の奨学生たちの将来の夢は、化学の教師、
シェフ、経理、看護師、警察官と様々だったけど、
何故か軍人になる人がいないのは、タイには21歳迄に
徴兵制度があるからわざわざ希望する子がいないのかな。
(因みにタイの徴兵制度はクジ引きで白玉は免除される)

プラタートンプアン中学校記念撮影


さて、今回3日間の滞在中で最後の訪問校になるのが、
プラタートンプアン中高学校。生徒数308人。教師25人。

「今日は6年ぶりに我が校を訪れてくれて嬉しいです。
最初の頃はM代表が来てくれて、奨学金援助以外に生徒達の
通学用自転車やミニバスなどを支援して頂き感謝しています」

プラタートンプアン卒業生


ここの奨学生たちの将来の夢は、タイ語の教師が2人、
英語教師が2人医者が1人だった。皆頭が良いのね。

さて、現在メコン基金が支援している学校は17校だが、
今回はその内の9校を訪問。他の学校も訪問したかったが
日程的に無理がある。それでも、今夜のパーティには
かつての懐かしい先生たちと再会出来るのが何より楽しみ。

ま、オレの事だから今夜は泥酔するまで呑むんやろなぁ

ノンカイのホテルに参加者全員がチェックインした後で、
オレは体調を回復させる為に葛根湯を呑んで夕方まで就寝。

「フジさ〜ん、サワディクラップ 元気でしたか」
うぁ〜、S校長先生お久しぶりです
「フジさん、サワディカー」
R先生オレ風邪引いて体調最悪だよぉ

25年間の感謝祭


夕方18時ホテルの2階の会場には昔懐かしい先生方が
次から次ぎにやって来た。各テーブルには現在支援している
学校の先生たちや、かつて支援していた学校の先生たちの姿が。
それ以外にも、数年前に援助していた奨学生たちの姿もある。

ヤッベぇ酒を呑まな涙が出てきそうになってきた

思わず目頭が熱くなってきた。S代表が援助していた子が
卒業後に勤めた病院で知り合ったスエーデン人の旦那様
を連れて挨拶にやって来た。それ以外にも他の会員さんが
看護学校の学費を援助していた看護師の子も来てくれた。

25年間の思いが一気に込み上げてきた。オレ自身は
21年前からサポートさせて頂いている身だが、何とも全てが
懐かしすぎて嬉しさのあまりについ酒が進んでしまう。

「フジさん、あまり呑んだら通訳できなくなるわよ」
分かってるってこれが呑まずにおられるかっちゅうの

ナーディ中学校の日本語が流暢なR先生がオレを窘める。
現在のC先生の前迄は、R先生と一緒にスタディツアーの
通訳をやっていた仲だけに気心も知れていた。

感謝祭パーティ始まる


P元校長が音頭を取って、今までメコン基金の支援を受けて
いた学校の先生方やノンカイ県の元教育長にも声を掛けて
頂き本日の感謝祭開催の運びとなった。ステージ上では
我々の健康と幸福を祈願したタイ舞踊と唄が始まった。

それでは開催の挨拶と乾杯の音頭をP先生から

P元校長開会の挨拶


セオム校からセイカ校に赴任され最後はポンチャルン校の
校長職を経て、最後はノンカイ県の教育長を勤め上げた
P氏から開催の挨拶。

「1年ぶりにメコン基金の皆さまに会えて嬉しい限りです。
今やメコン基金の活動は、ノンカイ県だけでなくブンカン県
やノンブアランプー県など東北地方で知らない学校がないほど
有名になりました。今や亡きM氏が最初にセオム中高学校を
訪れたのは1990年です。空港に迎えに行き100勸幣
車の中で何を話しているのか理解困難でした。でも、日本
の北国から来た木訥としたM氏は信用できる人だと思い、
お互い手を繋ぎました。あれから25年間も続いたことが
私にとってとても感慨深く、嬉しい思いで一杯です。
2004年に今のS代表に世代交代され、その翌年の
9月9日にM元代表が他界された事は非常に残念ですが、
その後もS代表が引き継がれて今日に至るまで、並々ならぬ
尽力に感謝します。今日は卒業した奨学生たちも来てくれて、
またかつての先生たちも沢山参加して頂き有り難うございます。
今までのメコン基金の活動にみんなで感謝しましょう。乾杯」

元教育長から


乾杯の前にすでにかなりの量のウィスキーを呑んでいたオレは、
タイ語を日本語に訳してメモを書くのが全く追いつかないのに
その後すぐに、かつての教育長だったウィティヤン氏から挨拶。

「今日は皆さまに会えてとても嬉しい日です。今でも十数年前に
29名の先生と生徒で行った北海道13日間の旅は忘れません。
日本に行っていろいろと体験したことで日本人の優しさや文化や
沢山の人と交流できて日本人の心を知ることが出来た事に今でも
感謝しています。ただ1つだけ悲しいことは、その時のM代表が
今はこの世にいないこと。でも、その奥様が今回来てくれて嬉しい。
メコン基金の皆さまは活動を終えても、またこの地に来て下さい」

ふぅ〜やっとこさメモしても書いた字が汚すぎて自分でも読めん。
そうこうしているうちにかつての奨学生たちからの挨拶が始まった。

過去の奨学生たち


会員のM夫婦が援助していたセイカ校卒業後に看護師なったF女史。
「中学時代は家が貧乏で学校から帰ってから野菜を売って家計を
助けていました。そんな時にP校長先生からメコン基金の奨学生
に選んで貰いました。高校卒業後は会員のMさんが個人的に
看護学校の学費を援助してくれました。今はブンコンロン病院に
勤めて結婚して子供もいます。家も建てました。今の私がある
のも全てメコン基金のおかげです。本当に心から感謝しています」

オレは彼女の話をメモしながら思わず涙が堪えられず泣いた。
「野菜を売って親を助けてってさぁ」当時の様子が容易に
想像できるだけに、多少酔っていたから涙もろくなっていた。

「フジさん、大丈夫」
アカンわこんな調子でみんなお涙頂戴の話されたら

R先生がオレに気を遣って、元奨学生たちに手短に現在の
近況を話して下さいと即してくれた。R先生ありがとさん。

次は、先にも書いたS代表が援助していた看護師のN女史。
「Sさんに学費を援助してもらい医療大学を卒業後に職場で
知り合ったスエーデン人と結婚して、今は旦那様の祖国で
看護師をしていますが、スエーデン語を覚えるのにとても
苦労しています。いつもR先生を通して連絡してもらって
いたのですが、今日はSさんがノンカイに来ることを知って
旦那と一緒に会えたことが出来て涙が出るほど嬉しいです」

みんな今は幸せそうでよかったよね

次は昨夜ホームスティ先まで会いに来てくれたT先生。
「高校卒業後に教育大学の学費を援助してくれて、
その後も大学院まで援助してくれたIさんが、2年前に
他界されたことがとても悲しいです。今は母親と一緒に
暮らしながら地元の中学校に勤めている事が何よりも幸せ。
今年は是非Iさんの墓参りに北海道に行きたいです」

三十路を過ぎても未だに独身ながら、タイの田舎町では女性
が教師職だと中々自分と釣り合う男性が見つけづらいのね。

最後は会員のY氏が看護学校の学費を援助していた
セイカ校のP女史。今日はやたらと看護師の子が多いね。
「21年前、私の家庭はとても貧しかったのですが、P校長
先生に奨学生に選んで頂いたことで、スタディツアーの際に
里親のYさんが我が家に泊まり、最初は緊張しましたが、
それが縁で高校卒業後に看護学校に進学できて看護師になる
ことが出来ました。今は結婚もして子供も出来て幸せな家庭を
築けていることにメコン基金に大いに感謝しています」

ようやく元奨学生たちの挨拶も終わり、ゆっくり酒が呑める。
と思ったら、今度はKちゃんが主役のタイ民族舞踊が始まった。

Kちゃんとオレ


あらまぁ〜今日は一弾と色っぽいんじゃな〜い

Tちゃん踊る


とても16歳の高校1年とは思えん大人びた妖艶さである。
結局、この3日間ともKちゃんに会えたことになんのやね。
数年後この地を訪れた時にタイ舞踊の先生になってればいいね。

Kちゃんの踊り


あれ、もう1本空いちゃったよ
「フジさん、呑みすぎじゃないの」
こんな目出度い日に呑まずにおられるかいっちゅうの

K氏とKちゃん踊る


宴もたけなわながら、オイラは2本目のウィスキーに突入。
定年なった先生方は、まるで同窓会のように楽しそうに語
らっているし、ステージ前では参加者も先生方も出てきて、
まるで夏祭りの盆踊りのようにタイ民族舞踊で踊り出した。

全員で踊る


みんなで踊る


その後もみんなで記念撮影をし、再び踊りと唄が始まる。
いったいこの会はいつ終焉すんだ。結局4時間ほど続き
二次会は市内にあるタイ料理屋に河岸を変えたらしい。

全員で記念撮影


らしい、と言うのは実は記憶が曖昧なのだ。で、最後は
ホテルに戻り、そのままR先生も誘ってH氏の部屋で
三次会が始まったのだが、何とも記憶が定かでないのだ。

でも、酒を一滴も嗜まない素面のH氏が言われるには、
オレは言うこともシッカリしていたし、自分の部屋の
カギもチャンと開けて部屋に入ったらしいのだが。

あたたたたたまたやっちまったぜ

アカンまただよ。懲りんやっちゃ。服を着たまま落ちた。
しかも風邪をかなり拗らせてしまったようで、喉が痛くて
声がまともに出ない。昨夜はいったいどんだけ呑んだんだ。
何はともあれ、25年間の有終の美の酒は格別の味だった。

ふぅ〜ユンケルとウコンが呑みてぇ・・・

P元校長夫妻と


こうして最後のメコン基金スタディツアーが終わった。
感無量の気持ちに浸っている時間もないのだが、これで
1つのNGO団体の長い歴史の幕が下りたことに安堵した。

その昔、創設者である故・M氏が掲げた名言がある。
「この貧困な地域に俺たちのような団体からの支援が
1日でも早く終わることが彼らの自立に繋がるんだ」

21年前にメコン基金スタディツアーに参加してなかったら
おそらく今のオレは存在していなかっただろう。故・M氏
並びにS代表と日本の沢山の会員さんたち、さらにはノンカイ県
の多くの先生方や村人たちに改めて心から深く感謝いたします。

長年に渡りメコン基金の活動に協力して頂きコップンクラップ


asia_jiyujin at 05:30|PermalinkComments(6) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

February 25, 2015

第2773回「酩酊しない日もある」

Kちゃん一家と



【2月4日】ノンカイ県

うっ寒っどこだよここは

蚊帳の中で布団にくるまっていたのは分かったのだが、
妙に肌寒く感じた。隣にはまるで無呼吸症候群ように
K氏が寝息も立てず微動だにしないで寝ている。

どうやら1階に寝かされたようだな

腕時計で時間を確認すると午前3時半過ぎ。確か、
昨夜は高床式住居の2階に寝ると聞いていたはずなのが。

おそらくは泥酔したオレを見て、万が一階段を踏み外して
怪我なんぞされたら一大事になると察したのか、壁のない
1階の小上がりに蚊帳をつって寝かしてくれたらしいな。

へっくしょ〜んうっ寒

ヤバイ。寒さのために妙に尿意をもよおしてきたぞ。
さりとてこの真っ暗闇の中で動くのはかなり危険を伴う。
ふと、カバンの中に小型のLED懐中電灯があることを
思い出した。寝小便するくらいなら行くのは今でしょ。

う〜それにしても寒いなぁ

極寒の北海道から来たK氏にしてみれば、丁度
良い気温なんだろうが、こちとら寒冷地仕様の肌はとっくに
亜熱帯仕様だし酔い覚めは15度でもかなり寒く感じた。

何とか暗闇の中で尿を済ましてから蚊帳を捲って布団に
潜り込むも、あまりの寒さで眠気も起きん。結局朝まで
モンモンとしていたら4時半には家族が起きてきた。

しかも16歳のKちゃんは、起きてすぐに水浴びである。
いくら昔からの習慣とは言えオレなら一発で心臓が
止まってしまう寒さだ。

「フジさん、タンブンに行きましょう」
は〜いKさん托鉢僧にタンブンに行くよ
「う〜ん、ムニュムニュもう朝が明けたの」

托鉢前に


タイの田舎の朝は早い。何処の家でもその日の朝に炊いた
カオニャオ(餅米)や御菓子を持って家の前に裸足で待機。
この村は3カ所のお寺から托鉢僧が歩いてくるから全部
が滞りなく終わるまで20分くらいは掛かってしまう。

「毎朝、やってんですか」
タイは敬虔な仏教徒が多いからね

6時半を過ぎた辺りからボツボツと托鉢僧がやって来た。
昨年は日本に働きに行っていた流暢な日本語を話す僧侶が
いたけど、今回は最後に歩いてきた僧侶がそうだった。

「今年もまた会えましたねぇ」
はい、有り難き再会です
「では、ナモタサ パカワト アラハト サンマサプタサ・・・」

毎朝のタンブン


裸足になりワイをしながら頭を深々と下げた我々に念仏を
唱え始めた。先に来た2組の僧侶たちは、銀の器で食べ物を
受け取りそのまま無言で過ぎ去っていったのにね。有り難や。

さて、タンブンを終えると先生がトラックで迎えに来た。
鞄を乗せて家族たちに別れを告げると「来年も又来てね」
と笑顔で見送られた。独身のオレには温かい家族だ。

あったかいんだから〜」(今流行のタマムシ風に)

学校に行き、先生たちが作ったお粥やパンなどの朝食を
ご馳走になる。参加者のM氏の奥様が鮭の燻製を焼いて
持ってきた。それを熱々のお粥の中に入れて食べた。

うぉ〜なんまら美味いっしょ。これぞ感動の味だね

ノンカイに滞在中は日本の味は我慢するしかないけど
この鮭で何杯もお代わり出来るほど極上の旨さである。
考えてみれば、昨夜はイサーン料理が苦手で持参した
チーカマと魚肉ソーセージを肴に酒ばっか呑んでたもんな。

バンクワット朝礼


さて、生徒たちの朝礼が終わりみんなで記念撮影。
車に乗り込み次の学校に向かうときに、生徒たちが
沿道に並んで手を振りながら我々を笑顔で見送ってくれた。

嬉しいねぇ。また来たくなるよねぇ

バンクワット見送り


本日の一校目はワララポーン中高学校。開校時の22年前
は少なかった生徒数が現在では370人。教師が27人。
今年の10月で定年になるシティサック校長からの挨拶。

「今日は私や生徒たちにとって最良の日です。25年間に
渡り援助して頂き有り難う。奨学金を受けた彼らは幸せでした。
でも、今年で終わることはとても悲しい。これからも機会が
あればノンカイを訪れて下さい。いつでも歓迎します」

ワララポーン記念撮影


挨拶が終わり、5人の奨学生に記念品と里親の顔写真の
入った卒業証明書を授与し、皆で記念写真を撮った。

ターボ中学記念撮影


二校目に訪れた学校は315人が通うターボ中高学校。
何故かP元校長夫妻も来てくれていた。

ターボ中学卒業生


校長からは、今は殆どの子が大学に進学しています。
もし、メコン基金の支援がなかったら学校に通えな
かった子も多くいたでしょう。心から感謝しますと。

ターボ中学会議室で


因みに奨学生に将来の夢を訊ねると、ガイド、看護師、
教師、料理人と返答。職業の選択肢が多くなったね。

ノンナン中学記念撮影


三校目に訪れたノンナン中高学校は生徒数183人。
チャイリオ校長からは「2年ぶりの再訪を嬉しく思います。
25年間に渡り支援を続けてくれたことに感謝しています。
彼らが学校を卒業して仕事に就いてもメコン基金から
受けた恩は一生忘れないでしょう。有り難うございます」

ノンナン中学卒業生


ここの奨学生たちは実に個性が様々で、特に男の子の
1人が天才的に絵画が上手く記念にS代表が1枚頂いた。
他には女性警官志願者やエンジニアを目指す子がいた。

コーコン中学校記念撮影


さて、本日最後に訪れた学校はメコン基金の活動を長年
補佐してくれているC先生が勤めるコーコン中高学校。
560人が通う割と大きな学校だが、この学校には昨日
ホームスティしたKちゃんが今春から通っている。

故M氏の顕彰碑


校門から入ったすぐ右側に故・M氏の顕彰碑がある。
S代表とM氏の奥様と花束を献花し、参加者と奨学生
たちで顕彰碑に向かって一同黙祷。

「貴方の熱い意志を引き継いで今日まで続けましたよ」

コーコン中学黙祷


ここには15人の奨学生がいる。ウィラ校長からの祝辞。
「S代表並びに里親の皆さま、今年も来てくれて有り難う。
今回が最後のホームスティになりますが、里子の親たちや
村人たちと大いに親交を深めて下さい。長年の援助に感謝」

コーコン中学卒業生


今日もひょうきんなK専務とスティになるのだが、何と
今夜の宿は2年前に泊まったことがあるTちゃんの家。

「サワディカー」
よ、Tちゃん。今年もよろしくね

オレがノンカイに来てからこの21年間で同じ里子の家に
泊まったことは殆どなかっただけど、昨日のKちゃんも
今日のTちゃんも温かい家族で良い想い出が残っていた。

将来は数学の教師を夢見る小柄なTちゃんは中学3年生。
父親は数年前に交通事故で他界。母親はバンコクに出稼ぎに
行っていて、毎月欠かさず生活費を仕送りしてくれている。

タイの田舎では、両親が離婚した親子や、あるいは都会に
出稼ぎに行きそのまま失踪して行方不明というのも珍しくない。
それ故に母親の兄姉家族と一緒に暮らしている子は割と多い。

お〜家の前が増築してんじゃん

オイラが気に入っていた玄関先にあった縁側部分に壁が
出来ていた。2年前もそうだったのだが、酔っていたせいで
未だにここの家の家族構成が分かってない。母親はバンコク
だけど、今一緒に住んでいる人たちは母親の姉夫婦なのかな。

「市場に行こうよ」
よっしゃ〜ほなKさん買い出しに行きましょか

2年前同様、ビールとウィスキーと今夜の夕飯の食材を
買いに行くことに。ところがTちゃんのお友達が5人同行。
みんな中学3年生ながら妙に親切で人懐っこい子たちだ。

「ビールとウィスキーは市場の後ね」
は〜い、分かってますよぉ

もっともタイ人のホスピタリティとおもてなしは、
我々日本人よりも異常なほどお節介だからね。

あれ、そちら様も買い出しに来たんですね
「田舎の市場なんて滅多に来れんからさ」

市場買い出しに


昨年新しく出来た市場には、他の参加者と生徒たちも
食材と酒類を買い出しに来ていた。地元の野菜や新鮮な
果物や総菜類に御菓子に衣料品まで何でも売っている。

K氏が盆と正月に来る親戚のおじさんのように「何でも
好きな物を買いなさい」と言うのだが遠慮していたのか
中学3年生の少女たちが興味を示す品がなかった。

市場K氏と


さて、ビールと食材を買って帰宅してから例によって
陽が落ちる前に水浴びを済ませ、道路に面する縁側で
買って来たばかりのウィスキーとビールで乾杯する。

「里子の家族との交流って言っても呑んでばっかだね」
はい、それがいいんですよ

21年前にオイラが初めてこのツアーに参加したときは
日本からの東洋人珍しさにホームスティ先には70〜80人
が集まってきた。さらに晩飯の時も、まるで動物園のパンダ
の如く我々の一挙手一投是をジックリ観察してたっけな。

それが20年以上も経てば、さして日本人も珍しい存在
ではなくなり、しかも毎年訪れてんだから、村人たちも
すっかり慣れてしまって集まって来る人も少なくなった。

ま、そのおかげで気兼ねなく酒が呑めんだけどね
「そろそろ夕飯にしますよぉ」
は〜い。ほな、改めて乾杯しましょ

ターン家族の晩餐会


例によってタイスタイルで床にゴザを引き、家族やTちゃん
の友達5人が車座になっておかずを囲みながら宴と相成った。
昨夜に続き、今夜は綺麗系の独身女教師がやって来た。
妙にテンションが高いK氏は盛んにビールを勧める。

「さぁ、遠慮しないで呑んで」
「コープチャイ」
「ハロー、フジさん。今どこにいるの」

しばらくしてから2年前に他界されたI氏が援助していた
T先生から電話があり、その数十分後に車でやって来た。
昨年もホームスティ先に会いに来てくれた優しい子である。

「フジさん、今年はいつ日本に帰るの」
6月の第四週の金曜日までには帰国してるよ

T先生が会いに来てくれた


彼女曰くは、今年オレが帰国して北海道に滞在
している間に渡航するから長年大学の学費を
援助してくれたI氏の墓参りに行きたいと頼まれた。

いいよ、折角だから道東にも行ってMさんの墓参りもだな

予定では7月の第2週目辺りに訪日して1週間ほど
掛けて札幌→新十津川→和寒→佐呂間→小清水→北見の
会員さんと再会しながら北海道周遊の旅になりそうだ。

その節は道東の会員の皆さま方にご厄介になると
思いますが、何卒ご面倒のほどを宜しくお願いします


さて、女教師たちが帰っても普段は21時には就寝する
はずの子供たちが一向に帰ろうとしない。ひょうきんな
K氏が女生徒たちにちょっかいを出すもんだからねぇ。

Kさん、そろそろ寝ますよ
「まだ22時じゃない」
普段ならとっくに寝てる時間ですよ

ターンとK氏


で、結局Tちゃんの友達はそのまま家に泊まることになり、
0時が過ぎても部屋に明かりを灯して宿題をやっていた。
スタディツアー4日目にして今夜は珍しく酩酊してない。

アカンなぁこれでは寝られんばい

実はあまりの肌寒さで呑んでも呑んでも頭が冴えて
一向に酔いが回ってこんのだ。こんな日もあんのやね。
オレにとって酒は睡眠動眠剤みたいなもんやからなぁ。

ターン家族と記念撮影


asia_jiyujin at 02:22|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

February 24, 2015

第2772回「里子の家族に乾杯」


1年ぶりのKの家で


【2月3日】ノンカイ県

かんぱ〜いお疲れ様でした

タイスキで乾杯


晩飯はMKスキ


ラオスでの活動を終えてタイに再入国したのが午後19時。
それからホテルにチャックインして市内にあるMKスキで
参加者と先生方で晩餐を食べ始めたのが20時過ぎだった。

旨いっすタイスキは焼酎に合うねぇ

MKスキ


遅めの晩飯


ホテルに戻ってからも事前に買ったウィスキーとビールで
部屋呑みが始まった。例によってオイラは持参した焼酎を
ロックで煽るも、またしても記憶が無くなるほどの酩酊。

あたたたたまたやっちまった・・・

前日同様にTVも照明も点けっぱなしで、しかも素っ裸
で寝ていた。おそらくシャワーを浴びる寸前に落ちたんだろな。
今夜から里子の家でホームスティなのに大丈夫なのかしらん。

「サワディ トンチャーウ アルンサワ」
お早う御座います。う〜二日酔いで頭が重い

ノンカイ教育庁表敬訪問


朝8時半。ノンカイ県の教育庁を表敬訪問してプラムート
教育長に今回で最後となるメコン基金の活動を伝えると、
教育長からも今まで25年間の活動に対して感謝の辞を頂いた。

「メコン基金の皆さま。今年も訪問して頂き有り難うございます。
25年間の長きに渡り6千人以上の子供たちに奨学金を援助して
頂き心から感謝いたします。今回で最後になることはとても
残念なことですが、今まで援助を受けた子供たちや先生たちは
貴方方のような親切な日本人がいたことをけして忘れることは
ないでしょう。またいつかノンカイに来られることがあれば
我々はいつでも歓迎します。両国の親交に心から感謝します」

今回で最後になる為、滞在中になるべく多くの学校を訪問
して援助している奨学生たちと会う予定だった。最初の学校
はトン中学校だったが校長が体調不良で教頭先生が対応。

トン中学の奨学生たち


すでに会議室に援助を受けている学生たちが待っていた。
ここでは5人の学生を援助しているのだが、その1人が
ウドンタニ教育大学の入試の真っ最中のため欠席していた。

今回の奨学生の中に卒業後はテクニック専門学校に進学して
将来はエンジニアになって親孝行するのが夢の子がいた。

トン中学校の奨学生の卒業生


生徒数307人。教師25人の田舎えは標準的な中高学校だが、
今まで奨学金を頂いていた子たちの中には、名門コンケン大学
に進学した子やカシコン銀行に就職した子やノンカイの会社で
働いている子がいる。昔に比べれば職業の選択肢が増えた。

昼食はポータックの町中にある地元の先生方も通う人気の
ラーメン店に行く。今回のツアーで初めて参加された方が
6人もいるだが、はたして初めて食べるタイラーメンの味は。

「うん、案外サッパリしていていけますよ」
「意外と量が少ないんだね」
「何これ何の葉っぱなの。タイ人はこれ食べんの」
「胡椒、魚醤、酢、砂糖ってさ、どんな味になんのさ」

味はまぁまぁらしいのだが、テーブルの上にある複数の
調味料と大量のハーブ類の葉っぱを見て戸惑っていた。

ポータック中学記念撮影


さて、食後に訪れた学校はポータック中高学校。ここも
5人の奨学生を援助している。25年前にメコン基金が
最初に援助を始めた学校で、今回最後になる年に多くの
日本人が来てくれた事にとても喜んでくれていた。

ポータック中学の踊りの歓迎式


ポータック中学の卒業生


この学校には十数年前にメコン基金の援助で札幌に語学留学
していたN女教師がいるため日本語学科がある。その教室に
行くと生徒たちが初めて見る本物の日本人に興味津々だった。

「“お”と“を”の違い。“わ”と“は”の違い分かりますか」

タイ語の文法には“は”“が”“を”などの助詞がないだけに
「あなたこれ食べる。辛いよ」と外国人特有の喋り方になる。

ポータック中学の日本語学科


「是非将来は日本に遊びに来て下さいね」と気軽に言うけど
さすがにVISAが免除になったとは言え、おそらく彼らの給料の
半年分くらいの経費がかかるだけにおいそれとはね。

バンクワット中学記念撮影


午後14時過ぎ、本日ホームスティするバーンクワット中学を
訪れた。この学校は昨年も来たのだが、その際は6年ぶりの
再訪にサリット校長や村人が大いに盛り上がっていたっけな。

バンクワット中学の踊りの歓迎式


この学校は小学と中学が同じ敷地に併設されていているのだが
高校がないため、卒業後は大きな町の高校に通うことになる。
今回もタイの伝統的な民族舞踊とバーシーの儀式で歓迎を受けた。

バンクワット中学のバーシーの儀式


バンクワット中学ポッケーン


昨年ホームスティでご厄介になったKちゃんは、今年から隣町
のコーコン中高学校に通っている。その子が学校の帰りに我々の
ところまで迎えに来てくれた。しかもコーコン中学校のC先生が
気を遣って今回も同じ彼女の家にスティさせてくれることになった。

「サワディカー、フジ」
お〜Kちゃん今年も会えて嬉しいよ
「あら〜、めんこい子だねぇ」
めんこいってさ、久しぶりに道産子弁を聞いたよ

1年ぶりのKちゃん


ホームスティは2人1組になって援助している里子の家に
泊まるのだが、今回は初参加の日本衛生(株)のK氏が相棒。
Kちゃんの家族は農業が主体で両親共に健在で筋肉隆々の
兄ちゃんもいる。しかも敷地が広くて家もかなりデカイのだ。

お父ちゃ〜ん今年も来たよぉ
「おぉ、いらしゃい。いらっしゃい」

優しいお父ちゃんと料理の旨い母ちゃんが笑顔で迎えてくれた。
陽が落ちると急激に気温が下がるので、オイラは明るいうちに
水浴びを済ますことにしたのだが、さすがに真水は冷たい。

うぉ〜ちべてぇ。まるで修行僧だな

午後4時過ぎ、まだ夕食前だというのに先生方が見回りに
やってきた。早速にKちゃんを誘って酒類の買い出しに。
帰宅してすぐにビールと肴が出てきて宴が始まった。

「タムジュ、チョンゲーウ、かんぱ〜い」
Kちゃんの家族に乾杯今宵も酒がうめぇ〜

先生方も集まり


イサーン語(東北弁)にタイ語に日本語で乾杯。この日は
父親も畑仕事を早めに切り上げて先生方と酒盛りを始めた。
例によってオレは焼酎にマナオを絞ってオンザロック。

学校の先生たちが生徒の家で一緒に晩ご飯を食べて
酒を呑むなんて今の日本では考えられない光景だろうな。
この国の教師は、時には親代わりになるほど家族の
ように距離が近い存在なのだ。

早々に宴が始まる


「フジさ〜ん、こんにちは」
おぉ〜W。久しぶりだねぇ
「旦那と子供も一緒よ」
あれいつの間に結婚してたの

Wが結婚して


以前、会員さんの1人が学費と生活費を援助していたW。
大学卒業後はプーケットの五つ星の外資系ホテルに就職
しのだが、今年で最後のツアーになることを聞いて
旦那さまと幼子を連れてわざわざ会いに来てくれた。

援助した子が、良いところに就職して、その後結婚して
幸せそうな家庭を築いてるって実に嬉しいことだ。

いいねぇこの穏やかな雰囲気、幸せを感じるよ

家の周辺は見渡す限りの田園風景。放牧された水牛が家路に
帰る光景はまさに戦後の牧歌的な日本の田舎町に似ている。
午後20時を過ぎる頃には先生方も次のホームスティ先に移動。

寝る前に水浴びしてきて下さいよ
「1日くらい大丈夫だってば」
Kさん何事も体験ですよ

さすがに陽が落ちると肌寒くなる。嫌がるK氏に無理矢理
水浴びを勧めたオイラは、Kちゃんと卒業後に日本の研修
制度で名古屋に行く従姉妹と将来について語り合っていた。

「私は将来踊りの先生のなるの」
あれ昨年はアイドルって・・・

昨年までの彼女の夢は歌手と言っていたはずなのに、
今年はタイ舞踊の先生になると進路変更したらしい。

らしいと言うのは、実はオイラの記憶がここまでしかないのだ。
まさかホームスティ先でも落ちたとは思いたくないのだが・・・。

満月と星が妙に綺麗な夜だった・・・

ノンカイの満月




asia_jiyujin at 03:13|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

February 23, 2015

第2771回「山の子供達の将来」

なかよし教室内


【2月2日】ラオス共和国


うっ寒っどこだよここは

あまりの寒さで目が覚めた。一瞬、外で寝たかと錯覚。
乾季の日中は28度ながらも、さすがに朝方は10度以上
も気温が下がる。昨夜は酔って帰ってきてから酩酊状態で
パンツ一丁のままベッドの上で落ちてしまったようだ。

アカンなすっかり酒に呑まれるようになったわい

時計を見ると朝の5時。布団に入って二度寝をする気にも
なれず、朝食会場に行くと準備中で6時からだと言われた。

ビエンチャンの朝


仕方がないのでそのままホテルを出て朝焼けの街を散歩。
人影もなく街はまだ動いてなかった。細い路地を1人で歩いて
いると4匹の野良犬に吠えられてあわてて逃げ帰った。

危ねぇこんな国で犬に噛まれたら確実に狂犬病で死んでまう

朝6時、朝食のブッフェ会場にはS代表等がすでに並んで
フランスパンを焼いていた。この国で一番美味いと思うのは
フランス統治時代の置き土産でもあるフランスパンだけだな。

午前8時半にビエンチャンのホテルを出発して一路北上。
市内を抜けると一面に田園風景が広がる。2時間後、今日
最初の訪問校であるファイドア村のなかよし小学校に到着。

なかよし小学校教室内


サバイディ(こんにちは)

なかよしの子供たち


この小学校は1997年に札幌ゾンタクラブ兇10周年記念
の一環として建設。20周年記念では図書館を贈呈したが、
今は小学校に上がる前の子供たちの幼稚園として活用している。

なかよしサッカーボール寄贈


1998年からは毎年10万円を援助し、今回は古くなった
屋根や壁をペンキで塗装して綺麗にリペアーされていた。
116人の子供たちと6人の先生たちが校庭で我々を歓迎。

山の子供たちは瞳が純粋で綺麗だよなぁ

なかよし小学校の歓迎式


貧しい山岳地帯の子供たちの家庭にはテレビもなければ
パソコンもないだけにゲームやスマホに熱中する子はいない。
大自然の中で、川で魚を釣り山で虫を追いかけて
いれば目が悪くなることもないだろう。

ファイドア村なかよし小学校


じゃあ、次の学校に出発しますよぉ

本日、二校目のノンボア村の東美小学校は30分ほどで到着。
この小学校は2002年に東京美装の従業員ボランティア基金
が、山間の人口323人のカムウ族の村に開校した小さな学校。
3人の先生が68人の子供たちに複式学級で教えている。

東美の子供たち


一校目もこの二校目も、舗装された国道から外れて赤土の埃が
舞う悪路を走り続けないと辿り着けない山間の村にある。トラック
荷台に積まれた我々の鞄はすでに赤土色に染まっていた。

ノンボア村東美小学校支援金


東美サッカーボール寄贈


いつもながら小柄な子供たちに牧歌的な雰囲気の中で歓迎される。
校庭で記念撮影を終え支援金やサッカーボールを贈呈する。
僅かな滞在時間ながらも、純粋な瞳の奥に感謝の心を感じた。

東美見送り


そろそろ昼食の時間ですね

午後12時。三校目に向かう途中の田んぼの中に一軒だけ
ポツンとある野外レストランでラオス料理のランチタイム。
昨年までと違って今年は大人数名だけに食事も賑やかだ。

「ラオスの料理は辛くなくて食べやすいよね」
オレは食前に酒が呑みたいっすけど

昼食


30分ほどで昼食を終え、1時間で三校目の訪問校である
プーサン村のニチエイ小学校に到着した。さすがに午後とも
なると気温が一気に上昇してきて猛烈な暑さを感じてきた。

2009年に日本衛生(株)が30周年の記念の一環として
何か形に残るモノを」と言うことで建てられた新校舎。

ニチエイ花束


ニチエイ歓迎式


ニチエイ生徒と先生


その後も従業員のニチエイ基金で、高架貯水タンクを。
さらに翌年にはトイレを建設し、今回は将来のIT時代
を見据えてノートブックとプリンターを1台ずつ贈呈。

ノートブックとプリンター


新しく校長になった方が所要で学校を留守にしていたので、
代役のゴーロチャットン教頭先生から感謝の辞を頂いた。

「毎年、この村を訪れてくれて本当に有り難うございます。
今年は例年より多くの日本人が訪れてくれて嬉しく思います。
メコン基金を通じて日本衛生(株)が建ててくれた立派な
校舎は、プーサン村の子供たちを含め村民たちも大変喜んで
おります。また校舎だけでなく、高架水槽タンクやトイレの
新設で、今まで以上に子供たちも衛生的な学校生活が出来ます。
今回は待望だったパソコンを贈呈して頂き、大切に使い
ながら子供たちの教育のために大いに役立てたいと思います」

ニチエイサッカーボール寄贈


ニチエイノートPC寄贈


ニチエイ小サッカーボール寄贈


ノートブックの贈呈に続き、子供たちにサッカーボールと
学用品を寄贈。12人の先生と274人の子供たちが通う学校は、
この地域では比較的大きな小学校だが、首都ビエンチャン
の市内の学校に比べれば遙かに劣悪と言えよう。だが、都会を
知らない山の子供たちにとっては、掛け替えのない学校なのだ。

ラーカーハーシップソーン記念撮影


さて、最後となる四校目のラーカーハーシップソーン小堺中高
学校に到着したのは午後14時半を少し過ぎていた。ここでは
50名の中高生たちの奨学金贈呈式があり、また我々の旅の安全
と健康を祈ってラオスの伝統的文化のバーシーの儀式がある。

ラーカー花束


S代表挨拶


この学校は2002年に小堺氏とひろしま・祈りの石国際教育
交流財団とメコン基金が共同支援で建設した大きな校舎である。
生徒たちによる花束の歓迎に続き、今回参加された会員さんから
50名の子供たち1人1人に奨学金が手渡された。

奨学金授与M


奨学金授与T氏


奨学金授与Y


奨学金贈呈K氏


奨学金贈呈S


奨学金贈呈Y氏


18名の先生と260人の学生が通う中高学校。会場には村長や
50人の生徒たちと、その親御さんらしき人たちが集まっていた。
生徒を代表して男女1名ずつが前に出て女子生徒から感謝の辞。

生徒代表から感謝の辞


「13年間もの長きに渡りメコン基金から支援して頂いた事に
感謝すると共に、奨学金はけして無駄にしないで学業に役立てます。
今年で奨学金は終わるようですが、私たちはけして貴方方日本人の
ことを一生忘れることはないです。本当に心から感謝申し上げます」

その後、恒例のバーシーの儀式が執り行われ、我々の旅の安全の
健康を祈願して頂いた。また、恵庭市のS氏が寄贈した頂いた
ドンムアン村進藤小学校の校長先生が来られたので事前に買って
用意してあったノートやペンなどの学用品を贈呈した。

バーシースクワン


バーシーの儀式


ポッケーン


ポッケーンを巻く


全ての儀式が終わった後で、この学校の校庭に建てた故・M氏の
顕彰碑に花を献花し参加者全員と奨学生で頭を下げて黙祷した。

故M氏の顕彰碑に黙祷


M氏の顕彰碑


これにて滞りなくラオスでの最後の活動を終えた

貧困から脱出するためには教育が必要不可欠。世の中で
大事なことは学問であり、人生は教育如何によって大きく
左右されるのも確かだ。無学だと力仕事や安い賃金で他人
の何倍も働かなければならず、貧しい生活を強いられる。

貧しい山岳に住む子供たちの中には今も満足に義務教育を
受けられない子がいる。そんな環境の中でも奨学金で学校に
通い未来に夢を描けることが出来る子たちの表情は明るかった。

もうメコン基金として来ることは二度とないだろう

将来この国を担う多くの子供たちよ、師を尊び親兄姉を愛し、
隣人と争うことなくお互い助けあって祖国の発展の
ために役に立つ存在に成長して欲しいと願う。

asia_jiyujin at 04:00|PermalinkComments(0) 気ままなボランティア活動 | 藤岡わこう

February 22, 2015

第2770回「最後のメコンツアー」

すっかり大人


ふぅ〜やっとこさ休めるべさぁ

例年の如く、今年も年明けからの3ヶ月間は日本からの
友人・知人・団体などの訪タイ客が毎週のように絶え間
なく訪れるので、寝るヒマも無いほど多忙な日々が続く。

それ故に、毎年2月のブログは更新する時間もないから
1ヶ月ほど遅れて書き始めるのだが、今年は昨年よりも
割と早い時期で訪タイ客が一段落したので、ようやく
疲れきったポンコツの老体を休める日が来た。

さ〜て、ボチボチ書き始めるかぁ〜

ところが、すっかり体に染みこんでしまった飲酒の習慣が
まったく抜けきらず、毎晩自宅で早い時間から酒の肴を
作って呑むものだから21時には酔って就寝してしまう。

で、1〜2時間ほどして目を覚ますのだが、再びテレビを
観ながら晩酌を始めるので、「オレは生きてます」の
生存確認と近況報告を兼ねて書かねばならんと頭では分か
っていても、つい億劫になりPCを開く気にならんのだ。

さりとて今月末までには25年間続いていたメコン基金の
最後のツアーの会報の原稿を本部に送らねばならんので、
そろそろ本腰を入れて書かないと間に合わなくなる。

と言うことで3週間前の記憶を思い出して、25年間の
メコン基金の集大成の執筆に専念することにいたします。


【2月1日】ノンカイ・ラオス

さぁ、最後のスタディツアーに出発しますか

前日にタイに来られたS代表と会員の北見のH氏と札幌から
初参加された日本衛生のK専務を伴ってスワンナプーム空港
に向かった。出発ロビーで今朝到着されたメコン基金創設者
の今は亡き故・M氏の奥様とその友人夫婦と落ち合った。

午前10:55発のTG2004便でウドンタニ空港に向かう。
午後12時に到着すると、いつものコーコン中学校の
C先生とP元校長夫妻も空港まで迎えに来てくれていた。

サワディクラップ。クンポー、クンメー
「サバイディマイ、フジさん」

2週間前にバンコクの娘と息子に会いに上京したときに、
シーフードレストランで一緒に晩餐して以来の再会だ。
2月3日で63歳になるP元校長もいつもながらの元気。

じゃあ、最後の日本食でも食べに行きましょうか

K専務と


例によって市内にある大型デパートの日本料理店で昼食を
取ることに。東京美装(株)の従業員ボランティア基金で
大学の学費を支援しているS女史と、日本衛生(株)の
従業員基金で支援しているN女史が店前で待っていた。

「フジさ〜ん、サワディカー」
よ、2人とも元気でやってたか

N子とS子


毎年この時期と10月の2回会っているが、さすがに
高校を卒業した時は子供と思えた2人も、年を追う毎に
大人の女性に様変わりしてる。恋人はいないと言うが
今時の子であれば大いに恋愛も勉学にも励んでくれよ。

ま、援助を受けている身だけに、気を遣って気軽に本音は
言えんだろな。将来教師を目指す2人は5年制の教育大学
の為、卒業するまでは後1年間の就学が残っている。

さて、昼食を終えて支援しているラオスの小学校の子供たち
ノートやサッカーボールなどの学用品を買う為に、
タイを出国する前にノンカイの文房具店に立ち寄った。
毎年の事ながら、貧困の山岳地帯の子供たちは満足に
学用品すら揃えられない家庭もある。

「うわぁ〜、大きな川ですねぇ。これがメコン川ですか」
そうです。あ〜これで何度目になるんやろうなぁ

大河メコン


タイを出国してラオスとの国境でもある大河メコンを渡る。
オイラが21年前にメコン基金の活動に携わった年に完成
したタイとラオスを陸路で結ぶ最初のミタパブ(友好の橋)。

「お〜、フジさん。お疲れさん」
どうもその節は有り難うございました

ビエンチャンのホテル


ラオスに入国し、世話人のVさんの車に乗り込み30分ほど
で予約したホテルにチェックイン。2日前に先にラオス入り
して市内観光していた佐呂間や小清水の道東組7人と合流。

昨年帰国して道東を周遊した際に、みんな集まってくれての
大宴会で朝まで呑んだくれていた仲間たちとの半年ぶりの再会。
いつもは5,6人の少人数ながら、さすがに今回がメコン基金
としての最後のツアーになるだけに総勢14名の大所帯になった。

本来なら、もっと参加したかった会員さんたちも沢山いたと
思うのだが、実際にはご高齢や体力的な問題もあり、また
前々日にご主人の入院で急遽1名がキャンセルになった。

さ、みんな集まったし、今夜は久しぶりに呑みましょ
「おぉ、フジさんよ、また酔い潰れるなよ」
うっそれは・・・自信ありません

もはやNGO活動でありながら、今宵も酩酊するまで呑むオレ。
最近はタバコに火を点ける手が小刻みに震えることがある。

ヤバイな。こりゃあ完全にジャンキー症状じゃねぇの


asia_jiyujin at 22:11|PermalinkComments(0) 気ままなアテンド日記 | 藤岡わこう

February 01, 2015

第2769回「敬愛する師が召天」

祈る


あまねく人類全ての人は、生きていれば必ず死期が訪れて
いずれ天に召される。若くして病気や災害で他界する人も
いれば、年齢と共に衰えてやがて天命を迎える人もいる。

毎日のように日本からの訪タイ客のアテンドに追われながら
毎晩のように泥酔していたつい先日、訃報が舞い込んできた。


藤岡さん!
今夜も飲んでいますか。酔っ払ってる場合ではないです。
先ほどKから連絡が来てHY先生が亡くなったそうです。
私はまだ信じられずにいます。どうか嘘でありますように。
越後


さらに同日に別な2人からも立て続けに訃報メールが届く。


Jさん
ご無沙汰しております。お元気ですか?
先日、HY先生が亡くなったとのこと。
先生とのご縁でJさんとも知り合えて…。
私のタイ好きも先生の影響ですし。
なんだか寂しいです。
神奈川


Jさん
ご無沙汰してしまい申し訳ありません。
突然ですみませんが、HY先生が亡くなられたと、
本日タイのMから聞きました。とてもショックです。
詳しいことをご存じでしょうか。タイに住む人に
聞くのも変なのですが・・・。
東京

メコン川


かれこれ、18年前くらいにNGO活動が切っ掛けで
縁が出来た元大学教授の突然の訃報に驚いた。タイを
始めアジア全域で貧困問題をマクロで研究されながら
いろんな大学で教鞭を振るっていた先生だった。

毎年のようにタイにいろんな大学のゼミ生たちを引率
して、バンコクや東北部や北部の孤児院、ロッブリィ県
のAISD施設などで海外研修をされてきた活動的な先生。

先生を通して海外留学された学生は数知れず。そのことに
よって本当にどれだけたくさんの学生たちが人生の道を
開いてもらったことか。先月のシンガポールのA嬢も然り。

今や日本国内に限らず海外を舞台に重要なポストで
活躍している人も数多く知っている。考えてみれば、そんな
元学生たちと未だに縁が切れずにオイラとタイでも日本
でも親交が続いていることは、まさに先生との深縁である。

他にも、GWに訪タイ予定の福井のEも先生との縁だし、
昨年師走に来たJICAのY君もそうだし。数年前に信州
を旅した時にお世話になった飯田市のS夫婦もそうだ。

結婚して未だに律儀にタイまで年賀状を送ってくれる
兵庫に嫁いだK子も、富山に嫁いだAも.いつもオレの
体を心配してくれている横浜のK子も、千葉の消防で
活躍する息子も、マレー人と結婚した茨木のY夫婦も。

卒業後にタイの田舎で日本語教師をしていた越後のIも、
帰国後に東京滞在中はいつも呑む未婚の病院勤務のYも、
新潟の元中学校教諭のK氏もそうだ。川越のKも、
まだまだ数え上げれば切りがないほどいる。

18年間でいったいどれだけの縁が出来たのか

先生と出会ったノンカイ


他にも先生との縁で1冊目の出版本も増刷になり、
2冊目の出版時も先生の力沿いによるところが大きい。

考えてみれば先生の教え子もそうだが、むしろオイラの
方が遙かに先生との縁でいろんなチャンスと恩恵を受け
ながら、人生が面白く展開していったのでないだろうか。

定年を過ぎても精力的に関東から東北の大学に移られて
現役を続けながら研究を続けておられていたのだが、
その翌年には身体を壊されて静養されていたようだが。

それが・・・

実は、HY先生の訃報をオレのブログに掲載する旨を
大学卒業後も先生との交が厚く、生前まで連絡が
取れていた子に相談したのだが、先生の伴侶の心労や
ご家族に配慮して、しばらく伏せておくことにした。

ところが・・・

あまりにも訃報の問い合わせが殺到するのと、縁のある子
たちに知らせないのはあまりにも忍びなく、せめてオイラ
のブログを見ているであろう先生の元教え子たちにだけ
でもお知らせておこうと記載することにしました。

尚、葬儀はすでに身内ですませており、故人に恩義があり
直接的に連絡や礼拝に行かれたい方もおられると思いますが、
今しばらくはご遺族の心労を考慮して頂き、くれぐれも
ご迷惑にならない形で静かに故人の魂が召天してくださる
神様に感謝しながら祈って下さいませ。

仏教式だけど


HY先生は敬虔なクリスチャンでした
キリスト教の考えは人が亡くなると魂は礼拝の対象になる
のではなく、即座に神のみもとへ移るそうです。葬儀に
おいても天に移してくださった神様を礼拝し、感謝とともに、
遺された遺族に慰めと平安が与えられるよう祈るそうです。

(仏教では「成仏・冥福」神道では「永別・帰天」キリスト教
では「召天・神の元に召された」など宗教ごとに言い方が違う)

HY先生がいつも学生たちに言っていた口癖。
今を楽しみなさい

先生に受けた恩を返そうとした学生への返答。
同じ事を後輩にしてあげなさい

そして、先生が常々オレに言っていた名言。
多くの学生たちを海外に目を向けさせたい

空掛ける教授の異名を持たれていたHY先生が、穏やかに
召天されることを祈ります。本当に有り難うございました。多謝




asia_jiyujin at 02:06|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう