March 2015

March 14, 2015

第2781回「バンコク拉麺紀行」

99バーツの塩拉麺


おっ99B。この鶏香味塩って安くて美味そうやん

昨年10月に引退した頃からフリー誌に掲載になって
いるいかにも美味そうなラーメンの写真に魅了されて、
ちょくちょく1人でラーメンを食べに行っていた。

ところが、都内の名のある店の格安プロモーション
だけに、つい興味本位で出かけてはみたものの、
大抵の場合は期待を大きく裏切られてガッカリする
ことの方が多かった。

どっかに塩ラーメンの店はねぇのかなぁ

昨年は毎月のように日本から進出してくるラーメン店が
新規に開業してたけど、今時は如何もくどそうな背脂
や豚骨がベースだから胃のないオイラにはとても辛い。

頼むから札幌の信月や凡の風やタンポポのような
器の底が透けて見える黄金スープの塩ラーメンの店が
オープンしてくれないべかと心から切望する。

塩ラーメンって一番誤魔化しがきかない味だからね

毘沙門


毘沙門煮干しラーメン109B


北海道からは毘沙門にゆうしにがんてつ。東北は仙台の
もっこりに釜神家に山形のじ屋関東からは豚骨東京
ばんからに麺屋こうじに幸楽苑と千葉の勝浦担々麺。
TVチャンピョンで優勝したちゃぶ屋とんこつらぁ麺。

幸楽苑


幸楽苑の醤油ラーメン99B


東海からは知多ラーメン。関西で30店舗を展開している
らーめん亀王に、九州からは一風堂に筑豊の山小屋。
そう言えば富山のブラックラーメンってすぐ潰れたな。

他にもよう分からん横浜家系とかいう秀家とか内田家も
あるし、進出県の分からぬ孔雀堂や彩味やきせき。そう
言えば先日京都のラーメン屋が開業したけど評判は如何に。

この中では知多の塩ラーメンは旨かったな

幸楽苑はタイ人ばかり


以前にはトンロー10に関東から老舗の大正軒やせたがや
など有名な6店舗が一気に集結して開業した。当初は
かなり話題になって行列も出来て賑わってたけど、
日本人の料理人が帰国した後は、猫舌のタイ人の舌に
合わせてなのか汁が温くて食えたもんじゃなかった。

さらには昨年鳴り物入りで関東から進出してきた有名店
が集結して作ったスクンビット26のらーめんキング。

かつてのらーめんキング


冒頭の“鶏香味塩ラーメン99B”に魅了されて食べたけど
期待した割にはスープも麺もガッカリ。よっぽど即席麺の
さっぽろ一番塩ラーメン”の方が美味いと感じたべさ。

鶏香味塩ラーメン


因みに、先日湯の森に行く途中でらーめんキングの前を
通ったら、扉が閉まっていて全店閉店になっていた。
中を覗くとまるで祭りの後のようにゴミが散乱していた。

あのコンセプトじゃ長くは続かんだろなぁ

かつてのらーめんキングの店内


とにかく空前のラーメンブームで一時期は怒濤のように
日本からの出店が続いたバンコクだけど一番成功したんは
早い時期から進出して来た北陸の八番ラーメンでしょ。

99Bのラーメンだが


そもそも最近のラーメン店の殆どの写真が、店主が腕組み
しながら、さも自慢げに「俺の逸品を食わしてやるぜ」の
偉そうな格好が気にいらん。本気で味に自信があんのなら
てめぇの顔写真より自慢のラーメンの写真だけで十分だろ。

昔から旨い店はのぼりと暖簾だけで客が来たもんだぜ

で、時には吉野屋の牛丼やcoco壱番屋も行ったけど
一度で懲りた。然るに今までに何度食べても満足したんは、
まい泉のトンカツと大戸屋の縞ホッケ定食くらいである。

でもなぁ〜こんなに円安が続けば外食は厳しいぜよ

牛丼67B


イスラム系が牛丼食べてた


そう、昨今の円安である。以前までは1,000円以下と
思って食べていた定食も、今じゃ日本円に換算すれば
1,300円を越えてんだから、おいそれとは食えんわな。
ラーメンにしたって殆どが1,000円近い価格なのだ。

ま、日系のスーパーで日本食材を買って、自分の舌に
合わせて料理した方がナンボか安くて美味いっしょ。

それよりこのポッコリお腹をどげんかせんといかん


asia_jiyujin at 04:10|PermalinkComments(7) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 10, 2015

第2780回「炭水化物は太る元」

5



げっマジかよ。3圓眤世辰舛泙辰燭

毎日自堕落な生活をしながら三食を食べているうちに
気がつけば体重が66.5圓砲發覆辰討い拭9年前に
胃を切って以来、最高値の体重増を記録したのである。

こりゃあ、ちぃとヤバいっしょ

胃を切ってから4年間は、ずっと62圓鬟ープして
いたのだが、5年目にしてビタミンB12欠乏症が判明
して悪性貧血になりかけたときにメチコバールを知った。

それを呑み始めてからは、血流が改善されたのか異常な
ほど食欲が増し、体中くまなく栄養素が行き渡るように
なった結果が体重増の要因になっていたような気がする。

それでも何とか63〜4圓鬟ープしてたんだけどなぁ

考えてみれば酒を呑む量も昔と比べたら格段に増えたな。
以前までなら1人でいる時は滅多に呑まなかった酒も
最近じゃ、ほぼ毎晩と言っていいほど晩酌してるもんな。

こんな食生活してりゃ、太ってもしゃ〜ないわな

極めつけは、就寝前に食べる炭水化物の摂取。寝る前
とは言っても空が明けた朝方である。ラーメンに
うどんにパスタに蕎麦。お茶漬けの日もある。

チャーシュー麺


因みに、救援物資で貰った日本製のラーメン類の在庫が
底を突きかけたので日系のスーパーで売っていた即席
ラーメン(5個入)の値段を見てビックラこいた。

マジかよ255Bって1,000円もすんのかよぉ

5個入パックで970円だぞ


日本なら255円だろうけどタイじゃ4倍の値段だ。
一昔前ならタイの物価は4分の1って言ってたけど
今じゃ玉子も野菜も軒並み値上がりして日本並みだ。

とは言え、大好物な麺類だけにいろんなスーパーを
巡りながら賞味期限間近のバーゲン品を見つけ出す。
時には我慢してタイで製造された麺類に野菜や挽肉を
ぶち込んで自分流の味に挑戦してみるも結果は不味い。

炭水化物ばかり食ってりゃ、ブタになんだろ

幸楽苑の醤油ラーメン


最近じゃ、一日中部屋に籠もって運動すらしてない。
もっぱら至極楽な体制でカフェを飲みながら読書に
耽っているか、夕方からはTVを観ながらの晩酌。

で、夜の9時過ぎには一度酔いつぶれて寝てしまう。
0時前後に目が覚めて、今度は酒種を変えて再び晩酌。
夜が明ける頃には小腹が空き、つい麺類を食べちまう。

これを自由気ままな生活と勘違いしているオレだが、
言い換えれば自堕落な生活を続けているわけで、けして
健康的でもないし生産性すらない怠惰な生活に過ぎん。
さりとて今だけはこの自由で気ままな生活を愉しみたい。

来週からはこんな生活も出来そうにないからなぁ


asia_jiyujin at 03:17|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 06, 2015

第2779回「因縁のお騒がせ女」

乾杯



「お前のブログは酒と女しか出てこねぇな」

仕事柄、以前まではどうしたってタイ人の小姐たちの
ネタが多かったのは否めない。でも、引退してからは
もっぱら酒の話題くらいしかネタがないのである。

もう少し役に立つ情報とか書ければいいんだけどね

思い起こせば書き始めた当初は日本ではあり得ない
経験や、文化も習慣も違うタイで理不尽で不条理な
体験をネタに書いていた時代もあったんだけどなぁ、
昨今のネタは殆どが酒のネタなのは確かだな。

そんだけ酒に纏わる四方山話が多いっちゅうことや

さて醜態をさらけ出した2月14日以降、2週間ほど
何事もなく平穏な日々が続いていた。まさに嵐の前の静けさ
のように、何処からも電話はなくメールも数える程度だった。

はぁ〜やっと憧れの気ままな生活になったでぇ

夕飯の食材と酒の肴を仕入れにスーパーに買物に行き、
いつものカフェで誰の目も気にせずに読書に没頭し、
疲れが溜まれば馴染みの按摩屋へ行って身体を癒し、
腹が減れば飯を食べ、眠くなったら時間に関係なく寝る。

当然、こんな怠惰な生活をしていれば時間は不規則に
なり、いつの間にか以前ように朝寝て昼過ぎに起きるという
まるでドラキュラ伯爵の如く夜行性人間になってしまった。

なんじゃこりゃあ

そんな矢先に、見覚えのないチェーンメールのような
英文が届いた。題名が英文なら迷惑メールのフォルダに
自動的に移動するようにセッティングしてあんだけどね。

Dear Mr.Wako san,

Good affternoon Wako san. How are you?
Long time no see you and hope you are fine.
You can remember me? I'm is "Pu"

I would like to call you please tell me you Phone
number by E-mail or call to me 092-×××-○●○●
I'm looking forward to hearing from you.
Take care and don't give!
"Pu"

Pu・・・ハテ誰やろ

タイ人は生まれてすぐに親からニックネームを命名される。
トックやオーやノイやノックなど、昔の日本の太郎や花子
並みに、それこそ学校の同じクラスには同名が数人いた。

古より精霊信仰を信じているタイ人は、生まれたばかりの
子供が悪魔にさらわれないように人間とは違った生き物や
象形の名前をつけることが習慣となっている。

ま、最近は日本のキラキラネームのように、タイも時代の
流れなのかキャサリンとかパンケーキなんて、如何にも
西欧かぶれしたようなニックネームも増えてきてっけどね。

で、そのPuだが、タイ語の意味はカニである。タイに在住
してこの20年間で知り合ったPuと言うあだ名はそれこそ
数えきれんほどいるし、10年以上前に付き合っていた彼女
はPuだけど、昨今親しくなったPuは全く記憶になかった。

どうしようかなこの手のメールって恐いよなぁ

ましてやオレの事をWAKO sanと呼ぶタイ人は極少数だ。
殆どはFUJI sanである。さらに送られたメールは仕事用で
しか使ってないメルアド。って事はオレの名刺を持ってる。

じぇじぇじぇ(古っ)いったい誰やねん

そもそも、昔からPから始まるタイ人女に良い思いをした
試しががない。大体がいいように利用されて逃げられるか、
はたまた「お金が無くて母が病院に行けない」の類で金を
騙し取られるか、或いはオレの友達だと偽っての詐欺行為。

オレって昔から女難の相が出てっからなぁ

いずれにしてもPから始まるニックネームの子は、どの子にも
痛い目に遭っている訳で、下手に連絡して嫌な思いをする
くらいなら、いっそ『君子危うきに近寄らず』が賢明な選択。

ところが、懲りないっちゅうのか、学習能力が欠如してんのか
若しくはよっぽど人が良いっていうのか、普段は使ってない
訪タイ客貸出用携帯電話の番号から英語で連絡してみた。

ハロー、ディスイズ ワコウ スピーキング
「ワコウサン、プーナカー チャムダイマイ」
じぇじぇじぇじぇもしかしてあのプーかよ

今になってみれば何処で知り合ったかさえも記憶にないのだが、
その当時は仕事を探していたので、試験的に日本のTV取材の
アシスタントとして採用したのだが、兎に角時間は守らないわ、
しかも取材途中にも関わらず疲れたから帰るという、まさに
自由本奔放で我が儘な娘だからすぐに解雇したのを覚えている。

でも、当時日本の大学を卒業してタイにやって来た越後姫と
友達になり仲良くしてくれた事もあり、その後も縁を切らずにいた
のだが、2年後に越後姫が帰国してからは殆ど疎遠状態だった。

その越後姫も、当時から付合っていた彼氏と結婚して今や
お腹の子を含めて3児の越後母となって子育て奮闘中である。

それ以来Puとは連絡もなく、かれこれ6、7年は経っていた
のだが、それが今更なんでオイラに連絡してくんだろ。きっと
アイツのことだから某等の頼み事であることは予想出来る。

「ワコウさん、近いうちに食事に行きましょうよ」
そのうちヒマになったらな

どうすっべかのぉ。アイツに会ってもろくなことねぇもんな。
普段は使ってない携帯電話だから、二度と会いたくなければ
オフっておけば彼女からの連絡は来ることはないのだが・・・。

「サワディーカー ワコウサン」
おぉ〜マイチューウカン ナーンレーオナー

Naraya


結局会ってしまった。これから始まるであろう不条理な
案件と分かっていたのだが、さすがに2週間以上も
誰とも会ってないと人恋しくなるっちゅうのか、ことさら
誰でもいいから喋りたい衝動に駆られたのかもしれない。

で、タイ料理の苦手なオレとあまり日本食に馴染みのない
Puのことを考慮して北京飯店で晩飯を食べることにした。

ところでPuはいくつになったんだ
「今年で31歳。E(越後母)と同い年なのよ」

Peijing


知らぬまに三十路を過ぎていたPuは、チャンライ県の
少数山岳民族リス族の12人姉妹の子だった。一番上の
兄が60歳だと言うんだから、父ちゃん頑張ったね。

Eは結婚して子供がいんのにPuは結婚せんのか
「結婚には興味ないもん」
お前、昔っから男に興味なかっただろ

Pu2


見た目は美系のリス族だけにモテると思うのだが、何分
にも昔から男には全く興味がなく、かといってレズでもない。
12人も姉妹がいるから、自分は所帯を持たずにいっぱい
働いて田舎の両親にお金を仕送りたいとのたまうのだが。

その健気さに帆座されてアシスタントにしたのだが、
これが殊の外世間知らずで全然使えなかったんだな。

今は何やってんの
「ここに勤めてます」

名刺


と差し出された名刺が【Siam solana】という日系企業の
LEDなどの工場や店舗の照明設備を扱う会社だった。
訊けば、給料が破格の25,000Bと言うのだから驚いた。
但し、固定給+歩合給で社会保険料などは引かれる。

十分な給料もらってんじゃん
「でも、最近歩合が少なくてね」

親への仕送りは月に8,000Bほどらしいのだが、現在
土日に大学に通いながらMBAを習得するために励んで
いるから、その為の学費も稼がないといけないとのたまう。

立派だねぇ。で、オレに学費の援助を
「いいえ。出来たら顔の広いフジさんだから会社とか・・・」
あ、なるほど。そう言うことか

Pu


読めたわい。知り合いの工場とか店舗を紹介して
貰って自社のLEDを売り込もうという魂胆かいな。
またまた人の良いオレを利用するつもりかいな。

はぁ〜結局オレってそんな存在なんだろうな・・・
「お願い。何処でもいいから紹介して」
いいよ。知り合いの社長さんに訊いてあげるよ

Pu&Fuji


もちろん、その場のKYを考えた社交辞令に過ぎん。
確かに人様の役に立つ存在として、困った人が
手を差し伸べてきたら掴まないわけにはいかんしな。

さりとて、長年のNGO活動を終えたばかりである。
決して見返りも報酬も求めないのがボランティア精神
とは言え、オイラの場合は単なるお節介焼きの爺だ。

今のオレには気力も人力も財力もないからなぁ

矢吹ジョーのようにすでに燃え尽き症候群の
オレは何もやる気が起きないただの呑んだくれ爺に
成り下がっていた。後日、Puからメールが届いた。

Hello Fujioka san,

How are you?
Thank you for dinnered time in Friday 27th.
However,could you please send the photos
for me and please be take care.

Pu,

いったい写真を何に使うんだ。オレにとっては迷惑な
だけの疫病神女。「恐ぇ〜」また厄介毎に巻き込まれる
んじゃねぇだろな。果たしてアイツの目的は何なんだ。

またしても仏陀様はオレに試練を与えたもうのか


asia_jiyujin at 03:00|PermalinkComments(0) 藤岡わこう 

March 04, 2015

第2778回「聖バレンタインの夜」

今宵も歌う


【2月日】

えっ社長いま何処ですか

北海道の利尻組が帰国された3日後のことだ、昨年の
10月から毎週のように続いていた訪タイ客がようやく
一段落したと思ったら、突然札幌のT社長からの電話。

「いまパタヤを出たから夕方にはバンコクに着くから」
今回は何人で来てんですか
「Sさんとうちの社員入れて6人。夕飯はフカヒレね」
分かりました。いつもの店に予約しておきますわ

このT社長2週間前にも来たばかりなのに、またしても
社員を連れてパタヤでゴルフ三昧。で、最終日は決まって
バンコクに立ち寄ってオイラを酒の席に誘ってくれる。

頼むからさぁもっと早くに連絡してきてよぉ〜

昔からT社長から事前に連絡してくる事は滅多にない。
いつも突然に「今から行くから一緒に飯食おうよ」なのだ。

ま、それはそれで嬉しいのだが、こちらにもそれなりに
事情ってもんがある。折角酒の肴をこさえて一人酒と
決め込んでいたのに。さっき夕食用に炊いた北海道産
ななつぼしは、食わずにそのまま冷蔵庫保存となる。

あ“〜炊きたての白米が旨いのにもったいねぇ

沢山頂いたお土産の酒類


なんせ今年は函館のH氏から土産で頂いた日本酒や麦焼酎や
ボージョレヌーボに復刻版のニッカのウィスキー。
さらにはメコン基金のツアーで来られたH氏やK氏からもいいちこが。

で、先日帰国された利尻島組からも麦焼酎2本に地元の
特産物の酒の肴を沢山頂いていたのだ。こんだけ豊富に
酒があれば、わざわざ外に呑みに出る必要もないわけで、
仮に自宅で泥酔しても危険性は極めて少ないからね。

こりゃあ〜しばらくは部屋で呑めるっしょ

北海道産のお土産


と思った矢先のお誘いである。だが、義理を重んじるオレと
しては郷里からの縁人に会いに向かうのだった。で、T社長
始め馴染みの従業員や旅行代理店の友人と半年ぶりの再会。

「お、しばらく藤岡さん。昨年の札幌以来だね」
いやぁ〜Sさん。その節はどうもご馳走様でした
「藤岡さん、あの時はかなり酔っぱらて覚えてないっしょ」

昨年はメコン基金の年次総会に出席して、その日の夜は
代表や各地から集まった会員さん等とススキノで呑んで
から新十津川のI氏の息子さんの店がある平岸に河岸を
変えて呑んでたら、突然S氏からの電話で呼び出されて
再びススキノに戻って呑んだので当然記憶は曖昧だった。

ま、いいやさ、呑もぉ。かんぱ〜い

郷里の友とは不思議なもんで、しばらく会わなくても
酒を交わせば一瞬にして会わなかった時間が短縮される。

ところで、いつ帰国すんですか
「社長は明日だけど、僕らは今夜の便」
今夜っすか
「だから、この後呑みに連れてってね」
いいっすよって、今日って確か・・・

タニヤ


よりによって今日はバレンタインじゃん。こんな日に呑みに
行ったらそれこそ鴨が葱を背負っていくようなもんじゃろ。

フカヒレを堪能した後にT社長ご贔屓の日本人クラブに流れて
21時過ぎにはS氏等を見送った後で馴染みの神楽に行った
のだが酔いつぶれて当然の如く最後には記憶を失った。

あ“〜どうして酒呑むと最後はこうなんのやろ


asia_jiyujin at 03:35|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 02, 2015

第2777回「酒浸りのラプソディ」

今日もゴルフ


【2月9〜11日】

グッド ショット〜じゃあ熱中症に気をつけてね

豪快なショット


乾季とはいえ、この炎天下なのに北国から来られた
客人たちは嬉しそうに連日のゴルフを満喫していた。
風邪が治りかけてきたオイラはクラブハウスで休息。

実は前日のMOCAを拝観した後湯の森に案内して
長時間熱い温泉に浸かりながらひたすら汗を流した。
晩餐はそのまま隣接している九州酒場“どんたく”で呑む。

くぅ〜風呂上がりの一杯は格別に旨いっすよねぇ
「おぉフジさん、大分呑めるようになったんでねぇかい」

蘭姫


その後は近場の日本人クラブにご案内して歌を熱唱。
例によってオイラは淡々と焼酎を呑み続ける。さすがに
体調が回復すると酒の味も格別に美味しく感じてきた。

グッドショット


で、翌日もゴルフの後にタイマッサージにご案内し晩餐は
今まで高額過ぎて1人では入れなかった居酒屋“つぼ八
にお連れして久々に北海道直送の肴をアテに焼酎を堪能。

白糠産の譚高鍛があるじゃん
「フジさん、遠慮しないで何でも呑んでけれ」
は〜いやっぱ北海道の酒はうまいっしょ

つぼ八デビュー


その後はタニヤの日本人クラブでカラオケを熱唱
しながら、オイラはもっぱら焼酎を口に運んだ。

いやぁ〜毎日みんなと酩酊気分で幸せっす

プレイガール2


で、翌日もゴルフの後に今日は日本式の按摩屋に誘った。
晩餐は前日の子等を誘っての中華飯店で晩餐と相成った。

「フジさん、紹興酒は体にいいんだぞ」
なら一本頼みましょ。おーい、小姐

中華で乾杯


体調が良くなれば焼酎だろうが紹興酒だろうが
この際酔えて楽しくなれれば何でもよくなっていた。
酒は百薬の長である。但し、適量ならばなのだが、
とにかく呑む量が狂人的なのは自覚してんのだが。

明日が最終日なのにヤバイよなぁ〜

キャディと記念撮影


で、毎日毎日二日酔い状態でのお迎えだが、今日が最終日。
いつも通りゴルフの後にいつもの日本式按摩屋へご案内。

按摩屋


この日の夜便で帰国されるので、按摩の後はホテルに近い
居酒屋“こいも”で最後の晩餐会。ところがタイ人従業員の
過剰なほどのサービスで、ついつい焼酎を何杯もお代わり。

サービス満点


「フジさん、今回も毎日楽しかったよ」
こちらこそ毎晩みんなと呑めて楽しかったですよ
「来年はチェンマイに行くべや」
チェ、チェンマイっすか
「フジさん、先に現地に行って空港で待っててけれ」

最終日はこいもで晩餐


とほほほほどうやら6年も続けて来ているとバンコクの
ゴルフ場や酒場も飽きてきたようです。北の方が物価は安い
とはいえ彼の地にはかれこれもう5,6年は行ってないな。

寅次郎の支店はあるから日本食はいいとしてもだ

ゴルフ場の手配や送迎車の手配も何とかなるだろうけど、
かつて取材したチェンマイ市内にある馴染みの日本人
クラブはさすがに現存しているのか全く情報がない。

そう言えば、あの約束も時間を守らないトゥクトゥクの
嘘つきトミーは元気にしてんのかな。年内中にひょいと
チェンマイに飛んでリサーチしてくっかな。

こうして怒濤の愉楽の6日間が無事に終わり、皆さまを
空港まで見送るも、酔い方が中途半端で帰宅してから
またも一人で呑みながら気付いたらベッドに落ちていた。

あ“〜ぁすっかり酒が弱くなっちまったぜ・・・


asia_jiyujin at 03:05|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう

March 01, 2015

第2776回「バンコク現代アート」

MOCA


【2月8日】

ほぉ〜こりゃあ凄い建造物やなぁ

バンコクに長年住んでいながら博物館や美術館などの
類は滅多に来ることはなかったけど、ここは仏教国の
タイとは思えないほど近代的で斬新な建物に見えた。

連日のゴルフ以外に休息日として1日だけ市内観光を
入れて欲しいとリクエストされたのだが、さすがに毎年
来られているだけに、殆どの寺院や遺跡や名所は巡った。

バンコク三大寺院は元よりアユタヤの遺跡群、パタヤの
リゾートにカンチャナブリの戦場に掛ける橋、アトラク
ションパークやサファリワールドにマリンパークも制覇。
さすがにバンコク近郊で興味のありそうな観光名所がない。

「フジさんMOCAに行ってみたいんだけどさ」
MOCAってカフェですか

ネットで調べてみるとMuseum of Contemporary Art
と言うタイの通信会社DTACの創業者で現CEO大富豪
のブンチャイ氏が建てられたバンコク現代美術館だった。

へぇ〜バンコクにこんなとこあったんやね

そう言えば、ブンチャイ氏って昨年末に再婚されたことが
新聞に掲載になってたけど、その時のプロポーズの演出が
まるで映画並みのサプライズでかなり話題になってたっけな。
館内には新しい夫人の肖像画がちゃっかり展示してあります。

場所はドンムアン空港方面でカセサート大学の向かい側。
BTSモチット駅からタクシーで行った方が時間的
にも早いかなと思ったけど、この日は日曜日だしホテルから
タクシーに乗って高速道路で行ったら30分ほどで到着。

あれまだ閉まってますよ

蓮の葉のアート


で、チケット売り場に行ったら開館は11時からだと。
仕方がないので入口付近にある近代アートをバックに
記念撮影を。重厚感のある建物に摩訶不思議なアート。

何だか奇妙な生物のオブジェだよね

摩訶不思議なアートの前で


11時になるといつの間にか入場客が並んでいた。入場料
(180B)を払おうとしたら、外国人でも60歳以上は無料
と言われた。3人のウチ2人が60歳を超えていたので無料。
しかもパスポートの確認もなく自己申告で承認とはまさにタイ。

へぇ〜タイ人価格と外国人価格が当たり前の国なのにな

広い館内


1人1人胸にシールを貼って、いざ入館する。天井も
高く空間もやたらと広く、まさに美術館という建物だが
何分にもエアコンが効きすぎて風邪気味のオレには辛い。

うぅそれにしても寒すぎないっすかぁ

オレ座る


順路を示す矢印が床に書かれていたのでそのまま進む。
各フロアーには微笑みの国なのに笑みも浮かべず無言で
観覧者の行動を厳しくチェックするスタッフが。と思ったら
何人かはスマホを片手に画面を覗き込んでいる。やはりタイだ。

ほぉ〜凄い画ですねぇ
「何だか理解出来ない描写だべさ」

現代の若者の縮図画


チャオプラヤ川の船上生活


タイに長年住んでいるオイラとしては、その画を描いた
画家の意味するところが手に取るように分かる。まさに
何気なく書かれた描写に今のタイの縮図が見えてくる。

大きな絵画が


ソンクランの画


1階からは様々な現代的なアートが沢山展示されていたの
だが、上の階に上がる毎に宗教的な画が大半を占めていき
5階に辿り着く頃にはまるで仏教の悟りの部屋を歩いている
ような錯覚になり、最後はとても幸せな気持ちになった。

有り難や、有り難や、いやぁ〜それにしても寒いよぉ

死ぬまで伴に


老人とカラス


一般公開するようになってからまだ2年くらいなのだが、
展示されているモノは殆どが絵画で、国内の作家が中心。
さほど現代アートに関心が無い人でも素直に楽しめる。
でも、いささかこの美術館は女性の裸の比率が高かった。

やはり美を深考すると女体の神秘に行き着くのかね

少女


少女A


ミュージアムオブコンテンポラリーアートということで、いかにも
現代美術館らしい作品が多数展示されておりました。

奇妙な絵画


すでに何の画だか理解不能


考えてみれば、オイラの子供の頃の将来の夢は画家だった。
物心ついた頃から絵を書くのが得意だったオレは、小学3年
の時に、先生の薦めである展覧会に出展した絵画が何かの
賞に選ばれた。以来高校まで美術の通信簿は常に上位だった。

オレは東京に行って絵を勉強したる

当然、高校卒業後の進路は多摩美大か武蔵野美大を狙って
いたのだが、高3の夏に父親が他界して夢が閉ざされた。
それでも絵を諦められず親に黙って上京し、某師匠に弟子
(アシスタント)入りするも在京の兄貴に見つかり断念。

その後は建築士の免許を取り設計士になってバブル時代に
結婚し高額納税者になりながらも家庭内湾岸戦争が勃発
して4年で離婚。その翌年、傷心を癒しに参加したメコン
基金のスタディツアーで人生が180度も変わった。

ほんと紆余曲折な人生を歩いたもんだよなぁ

天国と地獄


時代が21世紀になる前に設計業から物書業に転身。
最初の駆け出しの頃は、業界のルールを知らずに失敗も
沢山経験した。それでも奮起して精力的にインドシナ半島
全域や東アジアを飛び回りながら必死に時代を生きぬいた。

やがて成功して安定してくると、誹謗中傷の類や恨み、妬み、
嫉みを買うようになり、人に騙されたり、勘違いや誤解が
元で人間関係が拗れて疎遠になった人も数多くいた。

出る杭は打たれるもんだし異国で1人生きるって大変なのよ

タイ社会に身を置きながら人様の役に立つ存在を目指し
ながらも、何やかんやあってなれの果てが、新たなる夢を
見つけずにしょうもない呑んだくれ爺に成り下がっている。

情けねぇ何やってんだろうねぇオレは・・・

早朝の托鉢僧


昔、一度画家を諦めたときに「一番好きなことは二番目
に取っておいて、歳取ってから改めてやればいいじゃん

と誓った。まさに今がその時なんじゃないの。そう言えば
先日観た民放番組で98歳の老婆が今でも現役で描いてた。

呑んだくれ爺。老骨前に絵を描き始める

画家の蝋人形



酩酊しながらの酔拳ならぬ酔画なんてどうだろ。


asia_jiyujin at 05:45|PermalinkComments(0) 気ままな時遊人的日記 | 藤岡わこう