July 2019

July 31, 2019

第3521回「うちなぁーで呑もう」

うちなぁーで乾杯



7月31日】 札幌 

あれぇくっきーさんだ

昼はY氏がご贔屓の店の鮨“海森”でランチ。
有り難いことに札幌に戻ってきたら
毎日縁人さんたちからお誘いを受けてる。

「S代表は元気だったかい」
毎日ジムに通ってるみたいっすよ

Y氏と寿司ランチ


あれだけ好きだったゴルフを今年からやめて
今はもっぱらジム通いと読書に勤しんでる
S氏。足腰は断然オイラより強いだろうな。

「じゃあ もう3人でゴルフは行けないんかい」
オレは今年は無理だけど来年は復活するよ

オイラの鮨はネタを小さくしてる


昼時は近くの会社に勤めるサラリーマンたちが
カウンター席を埋めていた。たまに情報誌や
SNSを見てひょっこり来店する観光客もいる。

この日もランチタイムが過ぎてお客が一頻り
引けた後に、2人の子連れの家族が、
ひょっこり店の暖簾をくぐって入って来た。

M大将


「へい っらっしゃい」
「この時間でもいいかな」

鮨 海森


カウンターの隅に座っていたオレは客に背中を
向けてたので最初は単なる観光客の親子だと思った。
でも、おもむろに男の子の何気ない言葉に一瞬
会話が止まり固まってしまった。

「宮迫やめるんかな」

その言葉に吃驚して振り向いたら、あらま。

野生爆弾のくっきーさんだ
「こんにちは」

Y氏とランチ


さすがに驚いた。こんなビルの地下にある
名も無き(昔は有名な千春鮨だった)店に
しかも家族連れで入ってくるとは。

ま、逆に有名店の方があれこれ騒がれるだけに
こういう隠れ家的な店に昼食の時間帯をずらして
来た方がお客も少なくて正解なんだろうな。

「これね 昨日もらったんだ」
おっちょっと見せてくんない
「いいよ」
う〜ん・・・読めん誰のサインだ
「清宮」

これぞ清宮幸太郎のサインボール


訊けば昨夜ホワイトドームで日ハム楽天
試合を観戦しに行ったときにルーキーの
清宮幸太郎選手から貰ったサインボールだと。

なんで君がこんなんもらえんの

さすが今話題の吉本興業の有名芸人の子供
だからか。どこで誰がどう動いてゲットした
のかはあえて訊かんかったけど、良かったね。

「へぇ〜タイに住んでんのや」
バンコクにも吉本興業の芸人さん活躍してますよ

今世間を騒がしている芸人たちの闇営業のこと
には触れずに、オレがタイに移住した切っ掛けや
貧しい子供たちのNGO活動をやんわり話した。

NHKの芸人先生に出てましたよね
「お〜観てくれたん」
予告ですけどね

因みにこんな出逢いがあったからバンコクに
戻ってから西武動物園の職員たちに講義する
くっきー先生の番組を食い入るように観た。

くっきーさん一緒にいいですか
「お かまへんよ」

野生爆弾のくっきーさんと


くっきーさんの幼い娘さんがオイラの
型遅れの古いスマホで撮ってくれた。

ブログにアップしてもいいっすか
「まさか・・・」
大丈夫オレ詐欺師じゃないっすから
「は、は、は、は おもろいな君」

バイトの舞台役者のRちゃん


何とも微妙な話題のネタに店内が沸いた。
地元の舞台で活躍するバイトの役者の
R太郎くんも思わず苦笑いしてた。

やっぱり札幌は都会だなぁ

昨日は楽天のM打撃コーチに出逢って
今日は野生爆弾のくっきーさんだもんな。



寿司ランチの後でY氏の車でC区役所に送って
もらってから別れた。住民課の窓口でタイに
転出届を提出してから保険証も返却した。

あ〜ぁこれでまた住所不定になっちゃった

区役所に転出届提出


さて、今夜はW氏と愉快な仲間たちとの宴席。
1人が仕事で一次会の時間が遅くなるらしく、
「5丁目の角の店でゼロ次会やるから来るかい」
とW氏からメールが入った。

新旧の路面電車


ど〜もぉご無沙汰してました
「あれ 藤岡さんどしたのその腰」
脊柱管の手術したばかりなんです
「腰 無理しすぎたんじゃないの」

ゼロ次会のAVANTI 5


一頻り腰のネタで場が盛り上がった。

「はい おつかれさま〜」
お〜久しぶりのメーカーズのバーボン

ゼロ次会で呑む


かなり印象的なボトルのMaker’s Mark
昔は好んでこのバーボンを呑んでたけど
バンコクではもう見かけなくなって久しい。

「お〜来た来た じゃあ行きましょう」
「遅れてすいませ〜ん」

二杯目を飲み終える頃整体師のK氏が仕事を
終えてやって来た。今夜の晩餐会場は今まで
呑んでたオープンバーの2階のだった。店の暖簾には
沖縄&北海道DINING【うちなぁー】本店と書かれてた。

あらま昨日は秋田で今日は沖縄料理だ

泡盛壺がずらり


「沖縄と言えばあぐー豚でしょ」

アグー豚とは


胃が無くなってから肉類を食べなくなってたけど
しゃぶしゃぶ系の軟らかい肉鍋であれば大丈夫。

へぇ〜販売店証明書なんてあんだ

あぐー販売店証明書


昨日から義歯を入れてるから、たまには
健康を考えてビタミンB6を摂取しておかんと。

「フジさん泡盛いくかい」
あわもりですか

先ずはつき出しで一献


じゃあ かんぱ〜い
「またタイに行ったらよろしくね」

今夜は沖縄料理


友人の葬儀で送れて来たI氏も合流して
愉快で賑やかな鍋パーティーが始まった。

くぅ〜腹が熱いっすわ

極旨アグー豚


W氏を始め美食家だらけのCEOたちだけに
食べ物や酒類にはやたらと詳しい。勧められた
泡盛を喉に流し込んだら一気に腹が熱くなった。



さて、例によって二次会は狸小路を
歩いて移動したんだけど・・・。

狸小路を闊歩


何処の店に入ったのか覚えてない。スマホを
確認したら珍しく白ワインの入ったグラスを
持ってるけど初めてのカウンターバーだった。

たぶんAYALAで


嗚呼やっぱり泡盛が効いたんかなぁ

二次会は・・・覚えてない


ま、愉しく呑めたんだから嬉しい限りです。

みなさま今宵も愉しいひと時に感謝です


asia_jiyujin at 20:59|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 30, 2019

第3520回「老舗が暖簾下ろす」

お互い元気なウチに



7月30日】 札幌 

「え〜そうかい とうとう閉めるのかい」

この日は夕方から秋田出身のS氏が
長年贔屓にしているすすきのにある
酒蔵秋田”で2人だけの宴席。

3週間前にY家でジンギスカンを食べながら
オレのスケジュールが空いていた30日に
呑む約束をしてながらすっかり記憶になかった。

オレの携帯電話が繋がらないので、以前一緒に
ランチをしたY氏に電話があり「明日は何時に
待ち合わするかとSさんから連絡が来てたよ」
メールが来て思い出した次第である。

やべぇやべぇ全然覚えてんかった

呑んだら記憶障害になる癖を直さんとイカンな。

で、この日の昼は看護師のM嬢とランチの約束を
してたんだけど、どうやら彼氏のT君と結婚指輪を
造りに行っていて仕舞いにはドタキャンになった。

今日はそっちを優先して正解だろ

婚約指輪を施策中


結婚指輪


お陰でオレは昼飯を食べずに歯科医へ行った。
ま、普段から食べないからいいんだけどね。

ふがふが・・・
「どうですか?」
まぁ こんなもんですかね

ようやく義歯が完成した


多少の違和感があっても慣れるしかないん
だろうな。これで多少の堅いもんでも
噛んで食べられるから大事に使わんとな。

よしこれで今夜からガッチリ食えるぞ



夕方18時に以前常宿にしてた東横インで
待ち合わせをしてから何度か連れて来て
頂いてる酒蔵秋田”に入店した。
座ってすぐに二代目女将の衝撃の一言が・・・。

酒蔵 秋田


「Sさん 来月店を閉めるのよ」
「え〜そうかい とうとう閉めるのかい」

来月閉めちゃうのよ


「よかったわぁ 住所が分からなかった
 から連絡出来なかったんだけど今日
 来てくれたのも虫の知らせかしらね」

今宵もS氏と呑む


先代から娘が引き継いで今年で開業57年目の
すすきのを代表する老舗の居酒屋。秋田出身者
にしてみれば憩いの場だ。S氏も故郷の季節の
郷土料理を味わいに贔屓にしてた店だった。

「長年贔屓にして頂いてありがとうね」
「店がなくなったら寂しくなるよな」
「最後にきりたんぽ食べてって」

秋田名物きりたんぽ


女将に秋田名物きりぱんぽ鍋を勧められて
焼酎と銘酒を酌み交わしながら想いに耽る。

おっ堅いもんでもちゃんとかじれるぞ

秋田名物いぶりがっこ


秋田名物いぶりがっこを食べても、右奥歯で
ちゃんと噛めた。次いで腰骨のカルシュウム
補給のためにしまホッケを肴にくいっと。

「藤岡さんとも長いよなぁ」
ホントですよね 25年ですかね

腰骨に良いカルシュウム


S氏と最初に出逢ったのは1994年1月の
メコン基金のスタディーツアーのときだった。
初めて参加したときに偶然バンコクからの
国内線の機内で隣同士に座ったのだ。

えっあのジャンプの原田選手の・・・

その時は冬期オリンピックのスキージャンプの
選手を何人も排出している東京美装株式会社の
お偉い役員さんとは全然知らなかった。

後に代表取締役専務まで昇進してから定年を
向かえて退職した。これでメコン基金の活動に
専念するのと思いきや、すぐに同系列会社の
CEOになった。それも2年前に退職した。

機内では自分が退職してから何か趣味的に没頭
できるものとしてメコン基金の会員になってタイの
貧しい子供達の教育支援活動を始めたと語った。

へぇ〜そうなんですか・・・

オレはそんな気はまったくなかった。ただ
物見遊山的に気ままに旅行気分で参加した
だけのお気軽なバツイチ人間に過ぎなかった。

ところが、いざタイ東北部ノンカイで支援して
いた貧困家庭の学生の家にホームスティした
時に受けた衝撃的な体験から人生が一変した。

目から鱗が落ちるってああいう事を言うんですね

アルマーニのスーツに身を包みながら腕には
グッチをはめてBMWを駆っていたオイラ。
高額納税者でありながら家庭は崩壊した。

方や泊まった家にはテレビも冷蔵庫なかった。
水道もなく水瓶に貯めた雨水で身体を洗う。

しかし物質的な豊かさは無いけど親を敬愛し
教師を敬う姿を垣間見て離婚したオレが
一番欠如してた心の豊かさに気づかされた。

人生 地位や名誉やましてや財よりも
 もっと大事なもんを目の辺りにしましたよ

「まさかあんたが仕事辞めてタイに行くとはな」
人生どこでどう変わるか分かんないですよね

長年ごくろうさまでした


以来メコン基金に携わるようになってからは
S氏と2人切りで呑む機会が多かった。
会社の肩書きは抜きにして1人の人間として。
S氏の貧しい秋田時代のことは何べんも伺った。

「集団就職も当たり前の時代だったし
 子供の人減らしも多かったな」
まさに昭和のおしんの世界ですね

こんな話題で酒が呑めるのもすべてはタイと
いう仏教国で知り合った多生の縁からだ。

オレがタイに来たのはきっと心の豊かさの
修練のために仏陀様のお導きだったんだな。

様々な人種と出逢い理不尽で不条理な
対応が当たり前の異国で苦境や苦難の壁から
逃げずに真っ向からぶち当たった。

ま、紆余曲折な人生を体験しながら今の
呑んだくれの自分がいるんだけど、お陰で一緒に
呑める仲間がいっぱい増えたのは幸せな事だ。

Sさん 来年また寅次郎のN大将と千歳の
 Nさんの車で佐呂間まで行きましょうよ

「おぉ いいなぁ」

御年79歳になられるS氏は月曜の定休日
以外はほぼ毎日近所のジムまで歩いて
通って脚力や筋肉トレーニングを続けている。

オレは呑んだくれてるだけだもんな

3年前はバンコクから来たN大将を伴って
千歳→新十津川→和寒→佐呂間(創設者)の
会員たちの故人の墓参り巡礼の旅に行った。

お互い元気なウチにもう一度巡礼の旅をとは
言ってはみたものの、肝心のオイラの身体が
老体ポンコツだけにはたして実現できるのか。

女将さんごっとさん美味かったよ

今宵もススキノの夜は





asia_jiyujin at 01:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 29, 2019

第3519回「至高の創作旬料理」

ホテルのバーで飲む



7月29日】 札幌 

じゃおふくろさん身体に気をつけてね
「あんたも酒呑みすぎるんじゃないよ」

2週間の静養を終えて


2週間ほど生まれ故郷の美瑛で母親孝行を
兼ねて腰の静養と命の洗濯をしたオレは
惜しみつつも母上さまに別れを告げて電車と
バスを乗り継いで再び札幌に戻ってきた。

あ〜ぁもう少しいたかったなぁ

札幌に戻って来たぞ


当初の予定では10年に一度開催される
上富良野高校第1期卒業生の同窓会が
9月上旬にあるので出席を考えていた。

幹事からはおそらく最後になるだろうし古希を
過ぎた恩師たちも来るからと連絡が来ていた。

先生には40年以上も会ってないしなぁ

とは言え、8月のお盆前にバンコクで
アテンドを頼まれていたので時期を早めた。

う〜ん9月に弾丸で帰ってくっかぁ



今夜はJだけに料理が楽しみだなぁ

歩くグルメ本と称されるくらい札幌は元より
全国の旨い名店を知ってるグルメのW氏。
中でも今夜の店は別格の料理が堪能できた。
お陰でオイラの舌も大分肥えてしまった。

ところが毎年札幌滞在の最終に連れて
行って頂いていた完全予約制の創作料理の
”が2年前に惜しまれて店を閉めた。

日ハムの野球選手たちやツアーで参戦していた
有名なプロゴルファーも訪れる人気の店だった。

〆のあさりラーメンが絶品だったよなぁ

それが再び札幌の某カ所の一軒屋を改装して
ご夫婦2人だけで開業したという。前の店と
同じシステムだけに連日予約で満席だった。

「フジさん月曜に予約取れたから空けといてね」
は〜いその日に札幌に戻ります

オイラがバンコクに戻る前に何とか
W氏の顔で本日だけ無理に席を空けてくれた。
もっとも大将はW氏の高校時代の後輩だけに
多少の無理を利いてくれたんだろうな。感謝

おばんです大将ご無沙汰してました
「お〜いらっしゃい」
今夜は楽しみしてます

陽も暮れなずむ頃タクシーで店に向かった。
今宵は4週間前にも一緒に盃を交わしたS氏と
3人でカウンター席に横一列にならんで座った。

あれどこかで見た顔ですね

明日から日ハムと3連戦があるガタイのデカイ
楽天のM打撃コーチがカウンターの隅に座ってた。

「俺の高校の先輩なんだ」
「そうですか どうも楽天のMです」
「北海道は日ハムファン多いけど頑張って下さい」

気さくなW氏が大将を介してすぐに仲良くなる。
どうやらこの時間帯の客は我々3人だけのようだ。

「では おつかれさま」
くぅ〜雑味のないキリッとした辛口ですねぇ

先ずは一献


大将のお任せで注がれた辛口の銘酒は明らかに
昨夜まで呑んでいた安酒とは雲泥の差だった。

これも繊細で胃に優しい味ですねぇ

2つ目は


会話と酒に合わせて絶妙な間を空けて
懐石のようにそっと目の前に出される。

おぉ〜利尻のバフンウニ

3つ目は利尻のウニ


明日歯科医で義歯を入れてもらうんだけど、
今は右奥歯がないだけに軟らかい料理は助かる。

おぉ毛蟹の茶碗蒸し いいっすねぇ

5つ目は毛蟹の茶碗蒸し


6つ目は鵡川のシシャモにサザエに北海しまエビ


ここからはあえて料理の説明は省きましょう。
兎に角、旬の食材を腕によりをかけて作る大将の
創作料理はまさに至高の逸品ばかりだった。

くぅ〜焼タラバは言葉が出んほどうまいっしょ

7つ目はタラバガニ




「わぁ〜札幌の夜景が綺麗ですねぇ

札幌の夜景を観ながら呑む


旨い料理に十分満足した後は大通公園方面が
一望出来る某ホテルの上層階にある高級
ラウンジに河岸を変えてグラスを交わした。

天井が高くて雰囲気の良いバーですね

2軒目はホテルのバーで


周りを見渡しても身なりの良い客層ばかりだ。
場慣れしたバンコクならまだしも、お二人が
いなければ完全にオレなんか場違いだな。

もうちょっと上品に呑むべか

と言いながら最初は水割りを呑んでいたのに、
気がついたらグラスを変えてロックで呑んでた。
どうもオレはS氏と初めて知り合った時から
つい泥酔になるまで呑む悪癖がある。



ではではかんぱい

3軒目はワインバーで


午後23時S氏と別れて3軒目は馴染みの
ワインバーへ行くも、珍しくこの時点でも
今夜は酩酊することなく割と正気だった。



嗚呼無性に塩ラーメンが食いてぇ

夜の帳に


W氏と別れてから無性に塩ラーメンが
食べたい衝動に駆られた。実は最初の店で〆の
あさりラーメンが食べられると期待してたん
だけど、残念ながらこの日は用意してなかった。

おぉ美瑛の写真じゃん
「はい まだ少ないですけど」
どれもあまりパットしないね
「はい あまり良い天気の日がなくて」

駆け出しの新人写真家だけど


人間は一度食べたいと思ったら脳裏に執拗に
焼き付くようだ。宿に帰る前にラーメン横町に
歩いていたら路上で駆け出しの若い
写真家の兄ちゃんが我が故郷の写真を売っていた。

オレ美瑛に行ってたけど快晴だったぜ
「そうですか 行こうかな」

ススキノ交番の前でどうどうと路上販売して
大丈夫なのか。一応市の条例があるはずだろ。

ラーメン横町に向かうも


以前W氏に教えて頂いた“あさり”ではなく
同じ貝類の“しじみ”をウリにした“しみじみ
に行くも客が1人も座ってなかった。

こりゃあ期待外れの味なんかい

しみじみに行くも


でも、店の入り口には如何にも芸能人にも
人気店の宣伝のように“サンドウィッチマン”の
伊達さんと富澤さんの写真が貼ってあった。

これでも客がゼロって・・・

サンドウィッチの伊達さんも行く


この時間で回りの店はそこそこ入ってんのに
こりゃあダメだなと直感が働いた。で、
塩ラーメンと言えばかつて札幌滞在中には
何度か食べていた“信月”に行くも満席だった。

ありゃ〜やっぱりここは混んでんなぁ

信月ラーメンに行くも


そんじゃあ、と意外と塩ラーメンが美味い
いそちゃん“に行ったら定休日だった。

あれ閉まってら月曜が定休日かよ

なんと定休日かよ


残念しゃ〜ねぇ 大人しく帰るべか

ラーメン横町のいそちゃん


トボトボと肩を落としながらススキノ交番の
前を歩いていたら、さっきの駆け出しの
若い写真家の姿が見えなかった。

まさか美瑛に向かったのか・・・


asia_jiyujin at 01:29|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 27, 2019

第3518回「変わりゆく故郷町」

澄み渡る青い空



7月27日】 美瑛 

父上さまが亡くなってから43年が経つ。
今夏も慶雲寺の住職さんが檀家回りで
我が家にやって来た。随分若い住職だ。

当時父の葬儀の時の住職はすでに他界して
二代目の息子も高齢で隠居してから今は
同じ浄土真宗本願寺派からの三代目らしい。

浄土真宗本願寺派


で、おもむろに仏壇前に正座して数珠を
片手に「南無阿弥陀仏」と10分唱えてから
お布施を手にそそくさと帰っていった。
説法とか世間話もないんか〜い。

坊主丸儲けってやつだべさ・・・

慶雲寺


そう言えば美瑛のお寺はどこもみんな立派な
建物だ。人口12000人前後の町にそんな
金持ちの檀家さんがいるとは思えんがな。



母上さまから頼まれた案件も大方終わらせ
3年前から顔を出してる福祉センターに
行って母担当のS氏にお会いして現状を訊く。

「まだまだお元気で特に問題はないですよ」
去年来た時よりも元気なんですよね

福祉センター


どうも3年前に一緒に老人介護施設に
見学に行ってからは妙に元気になった。

「牢獄みたいで嫌だわ」
なんか雰囲気が暗っかたしなぁ

まぁ、確かに入居者は車イスや杖をついた
笑顔の少ないご老人ばかりだし、三食付いて
ても好きなもんを自分で料理した方が良い。

「我が家が一番」
そだね

ただ、母上さまの最大の敵は“暑さ”だ。
猛暑が続く今の時期は特に熱中症が恐い。
故にいくらエアコンがあっても絶対に
亜熱帯のクソ暑いタイでは暮らせんだろな。

美瑛町役場


福祉センターを出てから田舎町には不釣り合いな
展望台がある立派な役場の前の道を通り過ぎて
ガキの頃に遊んだ丸山公園まで足を伸ばした。

ここも随分変わっちまったんでないかい

子どもの頃に遊んだ丸山公園


オニヤンマを追いかけて走り回った大きな
池は今は埋め立てられて遊歩道になってる。
ノコギリクワガタを捕まえた木は今でも
風に枝を靡かせながら聳え立っていた。

こんな小さな山だったべか

スキーを楽しんだ山は今は禁止らしい。
水泳を覚えた25mプールは今は取り壊されて
幼児専用の小さくて浅いプールになってた。

おぉ〜今日は大雪山が見えるべさ

競技場から大雪山を眺める


オレが街を出た数年後に出来たサッカーや
陸上の出来る競技場は立派に整備されていた。
隣には町内で2つ目の立派な校舎の小学校もある。

子供が多いって町っていいことだべ

遙か遠くに大雪山が眺める


全国的に少子化が問題になっている昨今、
道外からの移住者が割と多い美瑛町の
人口は意外と変動が少ないのだとか。

それにしてもガキの頃の面影がないっしょや

駅前の本通りや丸山通は電線が地中埋設
されて歩道も明るいインターロッキングだし、
街灯も統一されてさながら外国のような街並みだ。

長年閉業していた古い建物は町が買い取り
幼児から老人まで使える交流会館に。図書館は
VDOも観られるしパソコンも自由に使える。

ホント便利でお洒落な町になったべさ

今も病院前にあった公民館が取り壊され
何かが建設中だし、本通りの角地にあった
古い建物が何処かの企業が買い取って
観光客用の宿泊ホテルを建設中だった。

毎年帰省する度に町が少しずつ変貌していく。
ガキの頃からまったく変わってないのはJA農協と
地元の石材で造った駅くらいだな。

来年帰国したら何が変わってんだべなぁ

歴史的な石造りの駅






美瑛2019


2019年のひと夏も至福の2週間でした。


冬の青い池

因みに冬季の青い池


asia_jiyujin at 23:09|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 25, 2019

第3517回「祭りの後の寂しさ」

駅前ロータリー



7月25日】 美瑛 

おぉなんじゃいこの寂しい露店は

オレのガキの頃から美瑛の夏祭りは毎年
学校の終業式の7月24日から始まる。帰宅
して鞄を置いて母上さまから特別に貰った
小遣いを握りしめて露店に走った。

お寺の縁日より屋台が少ねぇじゃん

昔より寂しくなった露店


昔は子供心にワクワクしてた祭りも
今やしょぼすぎる露店の数。まぁ、本職の
テキ屋や興行を営む香具師(ヤシ)たちが
閉め出されてからは面白さがなくなったな。

なんだろねぇ子どもたちが可哀想だな

昔はサーカスや見せ物小屋もあった


昔はライオンや象のショーや空中ブランコに
感激したキグレサーカスや大きな樽の内側を
バイクで走るショーに胸躍らせたもんだ。

今考えたらいるはずもない顔が犬で胴体が
人間やヘビのように首が伸びる妖怪人間の
見物小屋に子供心ながら興味津々だった。

色付ヒヨコもなければ金魚釣りや
ヨーヨーすらない。カタ抜きだけはまだ健在だった。

これならタイの田舎の祭りの方が
よっぽど盛り上がって子供も大人も
爺さまも婆さまも楽しんでるよなぁ。

ま、昔を知らない現代の子供たちには
今はこれが当たり前の光景なんだろな。

あれ綿アメも今は500円の時代かよ

原価数十円の綿アメも時代と共に
ラーメン並みの値段に驚いた。

「あ雨降ってきたぜ帰ろっと

雨雲だ




asia_jiyujin at 16:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 23, 2019

第3516回「尾張名古屋人は酒」

1年ぶりに御大と呑む



7月23日】 旭川 

「火曜日にあんたのとこに行くわ」
えっ美瑛まで来るんですか
「またあんたと昼から呑むだがや」

先週初めから道東の佐呂間の民宿に
泊まっていた名古屋のK御大が電車に
乗って美瑛までやって来ると連絡がきた。

今年は美瑛かでも昼から呑んでも
 2時には店が閉まるからなぁ


昨年は避暑を兼ねて北海道を周遊していた
K御大と札幌駅で待ち合わせした。それに
合わせて函館から1泊2日で札幌に来たH氏と
看護師のM嬢と駅構内の居酒屋で呑んだ。

その前の年もオイラに会いに札幌駅北口の
ホテルを予約したので駅構内の行列が出来る鮨屋で
から夕方まで呑み続けていたっけな。

その前の年は確か美瑛だったかな。雨降る中
バスに乗って白金温泉に行って温泉に入って
蕎麦を手繰りながら焼酎と酒を酌み交わした。

実家にも寄って母上さまとも盛り上がった。
以来、毎年夏には名古屋名産のきしめんを
送ってくれていた。意外と麺好きの母上さま。

その前の年は・・・兎に角御大とは今までに
毎年どっかの街で呑んでたのだ。御大の地元の
名古屋はもちろん三重の伊勢神宮でお伊瀬
参りしてから的矢の牡蠣を食べながらクイっと

福岡の博多では水炊き鍋を食べながら焼酎を。
佐賀の呼子では海に面した店で活イカを肴に。
熊本でも馬刺しを肴にレアな森伊蔵を呑んだ。

電車に乗って鹿児島にも行った。地元で
レンタカーを借りて御大の運転で指宿まで
行って砂風呂を体験してからその夜は
近くのホテルに泊まって呑んだくれた。

その昔はメコン基金のスタディツアーで
ノンカイに来た時は参加した会員たちが
飛行機で帰る中、御大と福岡の従兄弟の
N氏とバンコクまで3日かけてバスの旅をした。

2,3時間走った街で下りて適当な宿を探して
その街の居酒屋で3人して呑んだくれた。
確かノンカイ→コンケーン→コラート
(ナコンラーチャシマー)→バンコクだったな。

今考えたら御年配2人を伴ってタイ東北を
バスに乗って旅するなんて無謀だったな。
日本なら青森→仙台→宇都宮→東京の
ような旅をするようなもんだからね。

ま、いずれにしても何の因果か御大とは
毎年何処かの街で呑むのが恒例というのか
宿命なのか、今年も腰と足に多少の痺れと
痛みはあったけど断る理由もないので快諾した。

どっか(部屋)空いてるとこあるべかな

以前御大が美瑛に来たときに泊まった町内の
ホテルや民宿の空き部屋を探すもこの時期は
何処も満室状態だった。白金温泉街まで
行けばあるだろうけどさすがに遠いし面倒だ。

結局、今泊まっている佐呂間の民宿のM子さんに
旭川の駅前のホテルを予約してもらったので、
オレが電車に乗って会いに行く事にした。

「名古屋の爺さん美瑛に来るのかい」
いや オレが旭川に行って会ってくるわ
「あんたもつき合いいいね」
まぁ これも縁だからな

いやはや実家で腰に負担をかけないでゆっくり
静養するつもりでいたのだが、先週は同じ
愛知の知多から今週は名古屋からです。

わざわざ会いに来てくれんのは嬉しいん
 だけど、そんな特別な人間でもないのにね


晴れ渡る美瑛駅から


昔の時代は尾張名古屋は城でもったけど、
きっと今は尾張名古屋人は酒で持つのかね。

ほんじゃあ Kさんのお相手してくるわ
「あんたまた酔って寝て駅を乗り過ごさんでや」

電車に乗って旭川へ


晴れ渡る美瑛駅から電車に乗って30分。
旭川駅で待ち合わせをしてから、以前も一緒に
呑んだ店がある駅前にある古いビルの地下へ。

Kさん 前に来た店ないですよ
「つぶれたか この店でいいだがや」

地下の居酒屋で


東京の赤羽にあるような立ち飲み屋のような店が
ビルの地下に昼間から何軒か営業していた。

それにしても駅前は変わっちまったなぁ

無駄にデカイ旭川駅


かつては駅前の買い物通りは丸井今井や
西武やマルカツや大きなデパートが軒を
並べて映画館やストリップ劇場まであった。

学生時代はよく映画を観に来たよなぁ

変貌する駅周辺


今はその殆どがホテルや大型パチンコ屋に
変貌してた。一番栄えてんのは大きな駅ビルに
近接してるイオンデパートとフードコートだな。

駅前の宮下通を挟んで未だに建て直されずに
残っている化石のような古いビルの地下の
飲み屋街は、まさに時間が止まって
しまった昭和の世界がそのまま残っていた。

かつての盛況を失った駅前の買い物通り


「ここもいつまであるんかのぉ」
んじゃKさん1年ぶりのかんぱいです

駅前ビル地下で呑む


「あんた腰は大丈夫なんかい」
まぁ徐々には良くなってると思うけどね
「このイカの揚げもんうみゃー」

今回もから3時間ほど呑んだくれてから
駅に移動して構内にある学食のような小さな
食堂で再び呑んだ。御大はビールでオレは
バンコク同様に持参していたウイスキーで。

おぉ懐かしい味だべさ

小腹が空いたので昔ながらの旭川ラーメンを
注文した。本来なら旭川と言えば醤油味が
定番だけど、やっぱり好みの塩味を選んだ。

この昔ながらの普通の味がいいね

名物旭川ラーメン


これが帰国して初めて食べた無名のチープな
ラーメンだったけど、学生時代に小遣いで
食べた懐かし味がした。1杯400円也。



小一時間ほど談笑しながら駅の改札口で別れた。

今度はタイで呑みましょう
「9月にHさんに連れて行ってもらうわ」

駅で御大と別れる


御年88歳の御大は、老いても益々元気だ。
そのバイタリティーをオレにも分けてくでぇ。

さぁ〜帰って今度はおふくろのお相手すっかぁ

夕焼けに映える美瑛駅



asia_jiyujin at 21:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 21, 2019

第3515回「普通に幸せな日々」

今日も駅前には観光客が



7月21日】 美瑛 

うめぇ胃に優しい味だべさ

帰省した日からカレイの煮付に始まり翌日は
カスベの煮付に鮭や鱈の焼魚や銀鱈ミリン、
カニ玉やジンギスカンまで料理してくれた。

見た目悪いけど味付けがいいな

かに玉


さすがに暑い日は煮物料理は避けたいようで
冷やし中華の日もあったな。おまけにお隣の
Sさんが母上さまの安否確認のために2,3日
起きに自ら料理した惣菜を届けてくれる。

毎日夕方には酒の肴の手料理がテーブルに並ぶ。
ちょっとしたお任せコースの小料理屋さんだな。
こんな美味い飯が毎日食べられるんならこの際
本帰国して母上さまと一緒に住んじゃおうかしら。

でもなぁ、すっかり亜熱帯肌になってるだけに
極寒の冬の寒さには耐えられんだろうな。

まぁ たまに帰ってくるからいいんだろな


今年で87歳の母上さま

今年で87歳になる可愛い母上さまです

因みに母上さまは毎朝6時には起床して
外出もしないのにキッチリ化粧をします。で、釜で
白米を炊いてご飯を食べてそれから仮眠する。

朝飯は食べないオレだけど昼は前日の残り物を
食べてからエアコンが効いてる“丘のまち交流館
にチャリで行ってブログを書いて更新する日々。

美瑛の町中は観光客が食べられる店が少ないから
目の前の蕎麦屋には昼はいつも行列が出来てた。
昨年はなかった焼肉屋とラーメン屋が開業してた。

あれここって前は呉服屋だったのにな

昼時に蕎麦屋に並ぶ中国人観光客


まぁ、今の季節だけはお客も多いだろうけど
問題は観光客が少なくなる冬期間だろうな。
跡取りがない店は閉業して売却するしかない
ようだけど地元に根付いた商売をして欲しいね。

さぁてと帰るか今夜のおかずは何だろな

丘のまち交流館から見える通り


夕方に家に帰ると玄関先から美味しそうな
匂いが鼻腔を擽る今夜も母上さまの昔話に
耳を傾けながらゆっくりグラスを傾けるか。

なんか普通に幸せな日々だな・・・


asia_jiyujin at 22:59|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 19, 2019

第3514回「ボーっと過ごせんぞ」

この日は始球式に参戦



7月19日】 美瑛 

「ボーっと生きてんじぇねぇよ

帰省してボーっとしようと思っていた
つもりが母上さまから「これ直して、
あれやって、除草剤巻いて」とか静養
どころかやたらと人使い荒く頼まれた。

あのねぇ息子はこんな状態なのよ・・・

とは言え年に一度の帰省故に、週に一度
来るヘルパーさんに頼めない案件はオレが
やるしかないようだ。ま、これもオイラを
産んで育ててくれた感謝の母親孝行ですな。

先ずはテーブルの下段の外れた棚の修理。
壊れた時計バンドの交換と電池の交換。
母上さまの足の親指の巻爪を丁寧に切る。

ふぅ〜まだまだやる事がいっぱいあるぜ

アパートの裏庭の雑草取りに害虫駆除。
冬に備えて窓の隙間テープを張り替える。
台所の換気扇と洗濯機の洗濯槽の清掃と・・・。

やれやれ足腰が痺れて結構大変だぜ

今年の8月で87歳を迎える母上さまは、
士別高校卒業後に旭川で芸者の職に就いた。
毎日日舞踊りや三味線や鼓の稽古に励む日々。

お座敷に出てからは贔屓客も多かったらしく、
北海道新聞の地元版の夏景色コラム欄に
河原で涼む芸者“と写真掲載されたとか。


18歳の頃の母上さま

これが当時18歳というのだから驚いた

故にオレの幼少の頃はしつけが厳しかった。
小3からは強制的に珠算塾に通わされ、
殊の外父親は厳しかった。答えを間違えれば
そろばんで頭を殴られた。「電卓あるのに
とはとても恐くて逆らえなかった。

兄貴との喧嘩も容赦なく火鉢で叩かれた。
今なら立派な児童虐待だろうけど、昭和の
当時の親はどこも当たり前の時代だっただろう。

中学校になりオレにも自我の芽生えと共に
あまねく誰しもが訪れる反抗期の時代があった。

そんな頃に東京から長髪の転校生がやってきた。
当時は開校以来ずっと坊主が当たり前の時代。
体育館の天井には戦争時代の米戦闘機の機銃痕が
残っているほど歴史のある古い校舎だった。

野球部だったオレも五分刈りが当然で中学に
進学すれば男子は全員坊主になった。だから
転校生に触発されて仲間で生徒会を動かした。

結果、学校側は町内の理髪店から3店舗を
選抜して全校生徒を体育館に集合させて
,歪紅鵜△漏儡△蠅里茲Δ蔽使鵜は今まで
と同じ坊主の髪型を生徒を見守る中でモデルの
生徒をカットして民主的な多数決になった。

結果は当然,砲覆辰燭呂困何故か△砲覆辰拭
PTAの役員だった母上さまが生徒の前で
△鮨笋靴拭2箸傍△辰討ら母上さまに訊くと
教頭や先生方からそう言えと言われたと。

当然納得が出来るはずがない。さりとて
ざけんなクソばばぁ」とはとても言えん。
ここでちょっと話をいったん休止する。

当時中体連の試合前に腕を折ったオレは野球部を
退部して民謡研究会(今は軽音楽部)を設立した。
民謡と言っても英語で言えばフォークソングだ。

音楽好きの同級生を集めて作ったけど部としては
認められなかったので研究会として活動した。
部室はないから各自ギターを持参して音楽室か
放課後の教室だった。

で、吉田拓郎や井上陽水や泉谷しげるや岡林信康、
小室等と六文銭や古井戸やかぐや姫などの歌を
コピーしながら演奏した。オレは独自で詞を書いて
ピアノが弾ける友達に曲を作ってもらっていた。

時代的にこれが同級生や後輩たちにウケて
とうとう学校側に認められて学芸会で披露
させてもらうまでの人気者となった。

で、話を戻そう。そんなヤツ等だからこそ
血気盛んな年頃だけに全校生徒を巻き込んで
大人の言いなりにならず髪型の決定に不正が
あったことを学校側に猛然と抗議した。

今と違って当時の先生は恐い存在で反抗的な
言動や態度をしたらビンタや鉄のチェーンで
ケツをひっぱたかれた。オレもやられた。

今じゃ暴力事件になるから絶対あり得んけど、
さすがにこの時は全校生徒600人を相手に
渋々教員たちが緊急会議を行った。

結果はバーコード頭の校長と古い考えの先生
たちが、なるべく中学生らしい髪型ということで
,砲覆辰拭今美瑛中学に通う男子生徒たちは
オレたち先輩の歴史的な革命は知らんだろな。

思春期真っ盛りの歳にそんな事件があってからは
母上さまからあまり叱られることもなくなり、
その頃から親は恐い存在ではなくなった。

電車通学した高校3年間は毎日朝早く
起きて健康を考えた弁当を作ってくれた。
お陰で3年間は大きな病気も怪我もなかった。

高校3年の夏に父親が胃癌で他界したときは
家を抵当にして銀行から借りてた多額の借金が
残った。返済するために母上さまは働きに出た。
保険の外交員から始まり夜はスナックでバイト。

昔住んでいたブロック住宅


オレが高校を卒業して夢を追いかけて故郷を
出た後は自ら小料理屋やスナックなどの
水商売を初めて借金の返済を続けたようだ。
しかし、結果的には家は競売で人手に渡った。

親姉妹には一切頼らず誰にも依存しなかった。
昭和の激動の時代に息子2人を育てあげた
母上さまは、まさに気丈な女なんですな。

タイに移住してからは敬虔な仏教徒のタイ人の
裕福層も低所得の貧困者の誰しもが自分の
ことよりも母親を大事にして敬愛してる姿を
垣間見てからは自分を恥じて大いに反省した。

だから今は長年離れて暮らしてるけど、年に一度は
帰省して上納金を納めてから母親孝行に努める。
毎年歳を重ねて高齢になる姿を見る度に何だか
とても愛おしくて可愛い存在の母上さまなんだな。


50歳前後の母上さま

たぶん50歳前後の頃の水商売時代かな



チコちゃんに叱られるを観ながら


「あんたこんなの観てんのかい」
チコちゃんに叱られるはタメになんだよ

チコちゃんに叱られる


オレが観たい番組があっても基本的にテレビの
主導権は母上さまにあるけど、金曜日のこの
番組だけはタイでも楽しみにしてるだけに譲れん。

『ボーっと生きてんじぇねぇよ
「は、は、は、は、は」
おぉおふくろが笑ってんぞ

母上さま魅入る


因みに札幌のゲームセンターにはチコちゃんの
UFOキャッチャーがあった。これって
はたして頭から被れるのかしらね。

チコちゃんのUFOキャッチャー


もしこんなの被ったヤツが町を歩いて
ぶつかったら「ボーっと歩いてんじゃねぇよ
って叱られるのかな。その前に避けるわな。

これ被れんのかな


さて、今夜も母上さまが料理してくれた銀鱈
ミリンを肴に一献傾けながら〆には釜で炊いた
ご飯に鮭を入れてお茶漬けで食べる。

銀鱈ミリンと極旨ご飯


やっぱ銀鱈はうめんでぇねぇんかい

この鮭を〆にお茶漬けで食べる


くぅ〜この鮭は毎日食っても飽きないなぁ


asia_jiyujin at 18:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう

July 18, 2019

第3513回「知多から弾丸ツアー」

青い池をバックに



7月18日】 美瑛 中富良野 富良野  

いらっしゃいまさか美瑛で会うとはね

オイラがwifiの使える施設で待ってたら
午前10時半過ぎにレンタカーに
乗ってO氏が美瑛の駅前にやって来た。

「どうも〜会いに来ました」

O氏がレンタカーで参上


彼は昨日千歳空港に着いて電車を乗り継いで
日本最北端のノシャップ岬を展望してから
旭川手前の町の士別に泊まったのだとか。

「旭川の駅前のホテルは高いんですよ」
士別ってささすが旅慣れてんね

駅前通り


で、今朝旭川駅前でレンタカーを借りて
上川神社を参拝してから美瑛に来たようで、
O氏の要望は美瑛神社で恋愛成就祈願。

次いで噂の青い池と中富良野の富田ファーム、
最後は富良野の神社を参拝したいそうな。

青い池と富田ファームのラベンダー園は
分かるけど、なして神社巡りなんじゃい。
彼曰くは「この歳になったら神様から力を
貰わないと仕事も恋愛も成就しない」と。

そう言えばタイで働いていたときも
 ジャトカムラマテープやらいろいろな
 仏陀のお守りを首からさげてたっけな


兎に角今日の夕方には旭川駅でレンタカーを
返してから電車に乗って札幌駅で乗り換えて
千歳空港から名古屋に戻るというタイトな強行軍。

「1泊2日の弾丸ツアーです」
ほな美瑛生まれのワテが案内しまひょうか
「静養中 ご無理させては申し訳ないですよ」
な〜んもさ

大雪山




なんだろうねぇ。なして美瑛に帰省すると
チェンマイのRCのタイ人たちやバンコク
からの友人カップルやらと毎年のように縁人を
青い池とラベンダー園を案内してるんだよなぁ。

バンコク同様に地元に住んでる人間の
 宿命ってやつかな。ま、これも多生の縁




と言うことで先ずは美瑛神社で恋愛成就祈願。

二例二拍手してから一例してと・・・

参拝する女性たちが


オレも知らんかったけど昔の場所から移設して
建て直した正面の飾りがハートマークになってた。
それがTVで放送されてからパワースポットの
噂になって一躍話題になったというわけだ。

来週は地元の火祭りがあんだよ

屋根下の飾りがハートマークだ


詳しく書くのは面倒だけど、どうやら地元の祭りも
オイラの子ども時代とは随分様変わりしたようだ。



じぇじぇ〜なんじゃいこの混みようは

観光客で賑わう


すっかり観光スポットになった青い池は
以前までは砂利道の駐車場だったのに、
今年は専用の道路が出来てアスファルトの
駐車場に大型バスやレンタカーがギッシリ。

いやはや凄い車の数だな

偶然の産物の青い池だが


この時期は中国や台湾などの中華系から
韓国やタイやマレーシアやシンガポールからも
大勢のアジアの観光客が大挙して訪れていた。

ほぉ〜とうとう順路まで出来たか

後から後から観光客が


逆送すると歩道が混み合うので『順路』の
矢印看板が彼方此方に立てられていた。
それでも逆送するヤツ等はやっぱり中国人。

お前ら漢字が読めんだろ
「それにしても人が多いですね」

O氏も早速パチリ


以前来た時よりもそれまで行き止まりだった
道の先が延びていて、その先には青い池を
一望出来る展望台が建設中だった。

町も入場料取ったら相当儲かんのになぁ

小道が先まで延びていた


どこから予算が承認されてんのか美瑛の町の
財政は潤ってんのかね。因みに今年の選挙で
町長になったのは京都から移住した人らしい。

オレの同期は立候補しなかったんかいな

みんなインスタ映え撮り




わっちゃ〜ここも車でいっぱいだよぉ
「駐まってる車が“わ”と“れ”ばかりですね」
Oさんの車も“わ”じゃん道外からだね

ラベンダー畑でパチリ


高校卒業してから何度か来ていた山だけど、
テレビドラマ“北の国から”で一躍有名になり
今や目の前には富田ファーム駅が出来るほどの
盛況ぶりで多くの外国人観光客で賑わってた。

北の国からで有名になったラベンダー園


おぉとうとうメロンの店まで出来たんかい

撮影に夢中になるO氏


留まるところを知らないラベンダー効果は
今や香水や石鹸だけでなく、富良野の赤肉
メロンが食べられるレストランが開業してた。

「うん美味しいですよ」

ラベンダーアイスクリームを頬張る


O氏はラベンダーアイスクリームを頬張って
いたけど、オイラは一度も食べたことないな。

今日は晴れて良かったね

遙か彼方に大雪山連邦が聳え立つ


ラベンダー園の遙か向こうには十勝岳や
トムラウシの大雪山連邦が聳え立っていた。



は〜いここが富良野神社です

最後の目的地に到着


国道の渋滞を避けて地元民しか知らない
農道を走って何とか午後14時前に最後の
目的地である富良野神社に到着した。

んじゃ二例二拍手して・・・

富良野神社


この20数年でバンコク三大寺院巡りは
数え切れんほど参拝しているけど、まさか
故郷の三町寺院を巡るとは思わなんだ。

まぁ、四国の八十八カ所を巡るお遍路参り
ではないけど、オイラの1日も早い腰の
完治とO氏の祈願が叶うように合掌した。

あれ33年生まれって後厄だったんか

オレ後厄だったんだ


どうりで60歳の昨年は胆嚢全摘手術で
今年は脊柱管狭窄症の手術だったんかな。
こりゃあ今年も健康に留意せんとな。



ありゃ〜どこも閉まってんね

地元の名物料理が食べたいと言うので
美瑛まで戻って来てB級グルメで大賞を
取った名物のカレーうどん店を回るも
どこも14時でいったん閉めていた。

観光地なのにバンコクと同じかよ

仕方なくオレが毎日ブログのアップをしてた
wifiの使える“丘のまち交流館”の地下に
ある“bi.yell cafe”に行くもカレーうどんは
売切れてたので焼きカレーなるものを頼んだ。

野菜根菜のスープカリーにカレーうどんに
カレーラーメンで、次は焼きカレーかよ。

道産子ってカレー好きが多いんだなぁ

焼きカレーを堪能


オイラは何かのチーズグラタンを肴に
持参したウイスキーで喉の乾きを潤した。

チーズグラタン


「北海道の田舎が好きになりましたよ」
ノンカイやウドンタニの田舎に似てるよね

美瑛でランチ


食後に別れた彼は旭川駅でレンタカーを
返してから電車に乗って千歳空港に向かった。



『札幌行電車、余裕で乗れました。今日は
 腰の状態が悪いなか有り難うございました』

な〜んもさマイペンライだって

今回は十分なアテンドは出来んかったけど
オレも我が故郷の変貌に感激した次第。

『昨日今日とローカル地区を旅して、景色の
 良さにしびれました。根室やら・網走・知床
 なども行ってみたいところが増えました。
 またよろしくです』

次回は道東の知床や根室にも行ってみたいと
すっかり北海道を気に入ってくれたO氏。

人は何故岬のような先っぽを目指すんだろな

そう言えばオレが地元に住んでいた若い頃も
最北端の稚内の宗谷岬や根室の納沙布岬。
道西の積丹岬に道南の襟裳岬や函館の
立待岬にも行ったっけな。

5年前には佐呂間に行った時に地元の会員
たちに連れられて初めて知床岬まで行った。
あの旅で北海道の先っぽ岬はほぼ制覇した。

まぁ北海道の夏の旅は気持ち良いよね

夏の空


毎日時間に追われて忙しく働いている人は、
たまにはストレスを発散するためにも仕事を
忘れて現実を逃避する旅を勧めたいですな。

あ、それでタイに来る人が多いんかな・・・

丘の夕陽


因みに8月20日の時点でアテンドさせて
頂いた友人や団体の数は26組総勢71名。

今のところ年末までに6組訪タイ客の予定。
また愉しく呑める・・・いや、無理はイカン。

まだ腰が完治しとらんしなぁ・・・


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July 16, 2019

第3512回「電撃的な来道連絡」

美瑛の青空



7月16日】 美瑛

じぇじぇじぇOさんが来んのかい

『ご無沙汰しております。ブログ更新全然
ないですけど、まだ北海道にいますか?』

数年前ハノイで知り合った知多(愛知県)の
O氏がその後オイラの紹介でタイ東北部の
ウドンタニの中学校で2年間日本語教師を勤めた。

その後本帰国した今は名古屋のセントレア
空港で機内食を配送している会社に勤めていた。
そんな彼からの想定してなかった突然のLINE。

今は美瑛に帰省してしばらく静養してますよ

美瑛駅前の鐘


『もしかすると7/17-18に稚内→旭川・富良野
or根室→旭川・富良野に行くかもしれません。
(中略)
天気が怪しいので、電撃的に考えてます』

電撃的ってどっちなんだ

人気の青い池


『勢いで航空券やらホテルを予約しちゃいました。
18日朝から夕方まで旭川〜富良野あたりを
レンタカーで回ります』

「お〜マジで来るんかい」

ならば酒を控えて体調を整えておかんとな。
不思議なもんで帰国して美瑛で静養していたら
何故か毎年誰か彼かタイの縁人が訊ねてくるな。

これも多生の縁ですな



asia_jiyujin at 14:19|PermalinkComments(0) 気ままな帰国滞在記 | 藤岡わこう