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June 30, 2008

第1025回「シェフK元教諭」

adf9f1d8.jpgこの旅初めての電車の移動で日本海を眺めながら新潟駅に到着。ホームを下りて改札口に行くと、K元教諭夫婦が迎えに来てくれていた。「お〜、来たねぇ」「とうとう新潟までやって来ました

お二人と堅い握手を交わしながら、タイ東北部ノンカイ以来の再会を祝った。K氏夫婦とは3年前にHY教授の海外研修で学生たちを引率してチェンマイのビエンピンホームに行ったときに、現地で孤児たちのボランティアをされている時にお会いした。

他の場所でボランティアを希望されているK氏に長年活動を続けているノンカイの中学校日本語教師を薦めた。ほんの数分だけの会話だったが翌年2人してM基金のスタディーツアーに参加。

支援している学生の家に泊まり、数日をノンカイで過ごした。
翌年からK氏はノンカイ県のポンチャルン中高学校で教鞭をふるわれた。
元々、新潟県内のいくつかの中学校で社会科を教えていたプロである。
その後シンガポールの日本人学校でも教諭経験をおもちである。

だが、いざノンカイで授業を始めてみると氏が思っていたほどのレベルではなかった。
当然、必須科目ではない日本語の授業は、真剣に学ぶ生徒も少なく、
学校側も、いろんなイベントを優先するがために氏の授業はつぶれることが多かった。
結果的に学期末までにすべてのカリキュラムを終えることなく終了した。

まぁ、これがタイと言えばタイなのだが、
子供たちの将来を考えると、もう少し真剣に学校側も取り組むべきである。
(氏が辞めた翌年から、授業の時間が倍になったそうだ)

何はともあれ、タイでのボランティア活動を終えて新潟に帰国したK氏は
昨年から今年にかけてニュージーランドで5ヶ月間ロングスティされていた。
夫婦そろっての海外ロングスティ。実に素敵で定年後の理想的な夫婦の姿だ。

そんなお二人から「是非、ニュージーランドへ」と誘われていたが、
出国すると失効してしまうタイの滞在ビザの関係でやむなく断念。
代わりに「ならば帰国した際には、是非新潟へ」を約束する。

約束を守る男」としては遠路遙々名古屋から大阪を経由して
縁のある仲間たちに会いながら、なんとか越後に辿り着くことが出来た。

到着後、早速新潟地震でも崩壊しなかった万代橋を渡って新潟市内を案内して貰う。
20万人都市の新潟市は幾度の震災から復興して今の綺麗な町並みが出来たそうだ。
横田めぐみさんが拉致された場所を通り過ぎ、日本海を一望できる展望台に来た。

へぇ〜、地球が丸い
当たり前だが、水平線を見渡しながら改めて地球の形を再認識する。
この日は晴天で佐渡島の端っこが微かに見えた。

その日の夜は、K氏が腕によりをかけてお手製の水餃子をご馳走してくれた。(写真)
氏は普段から料理をするのが得意な方なのでタイやNZに滞在していたときも
ご自分で酒の肴や食事を作っていた。

うぉ〜、美味そう
この日は、2年前にM基金のスタディーツアーにも参加された
氏の友人でもあるI女史も来られた。
こんにちは、ご無沙汰してました
「あらぁ〜、痩せたわねぇ」
I女史はオレのブログを見てくれている1人でもあり胃癌のことは知っていた。
はい、でも今は何でも食べられますよ。お酒もね

I女史もまた元教諭で、かつてはパナマの日本人学校で活躍された経験がある。
なんだか今夜は盛り上がりそうな予感が。
そうこうしているうちに水餃子が出来上がった。
さぁ、食うぞぉ


asia_jiyujin at 03:19│Comments(0) 気ままな流浪的旅日記 | 藤岡わこう

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