「1998年 瀋陽蒸気機関車陳列館」

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翌朝、病院見学が始まる前に蘇家屯(現在の瀋陽南)にあった(現在は移転しました)瀋陽蒸気機関車陳列館に行きました。
ここにはかつて中国の大地を駆け抜けたSLたちが展示されています。展示状態はよくありませんがここの目玉はこの機関車です。
満州国時代に大連〜奉天(瀋陽)〜新京(長春)〜哈爾浜間を現在とあまり変わらない所要時間で走った特急あじあ号の牽引機、パシナ型(中国解放後は勝利7型)が保存されているのです。
あじあ号は1934年(昭和9年)11月から運転を開始しました。最高速度時速130キロ、大連〜新京間701キロは8時間30分で結びました。表定速度は82.5キロです。当時日本の本土で最速の特急列車だった「燕」が表定速度69.6キロでしたから、かなりの蒸気機関車牽引による高速運転です。
またこの列車は世界で初の全車冷房車の列車でした。
1935年(昭和10年)9月には新京から哈爾浜まで運転区間が延長されます。ただしこの区間は軌道が脆弱なため、軸重の大きいパシナ型機関車は使用できずパシイ型機関車で牽引しています。大連〜哈爾浜間943.3キロを12時間30分で走破しています。
1943年(昭和18年)2月に太平洋戦争の戦況悪化によって運転を中止します。その後、終戦により一部の客車はソビエト連邦に接収されますが、機関車・残りの客車は中国に置き去りにされます。
その後パシナ型の消息は不明でしたが、ある、鉄道雑誌の企画のツアーでこのパシナは見つかりました。その後大連でも1両が見つかり、現存しているパシナは2両です。この瀋陽のパシナは動くことは出来ませんが、大連に保存されているパシナは状態が良いようです。

vimg1この機関車の動輪の直径はなんと2メートルもあります。パシナ型の特徴でした。
私の身長、165センチをはるかに超えます。

 

 

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乗ることもできます。ただし、中はボロボロです。全てがさび付いていてもはや動くことは二度と無いでしょう。
運転席にいるのは私ですが被っているのは中国の鉄道員の帽子です。この博物館では鉄道員のグッズをなんでも売っていました。帽子の他に、中国国鉄のバッチや列車員章、列車長章その他鉄道グッズが売られていました。

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このパシナ型は1984年に久しぶりに日本人の前に現れ、1985年頃に日中友好の証として大連〜瀋陽間の復活運転を行なうはずでした。しかし、かつての侵略を象徴するものとして日本側から圧力がかかりそれは実現しませんでした。その後そのまま足回りの不調を理由にこの機関車は二度と動かなくなりました。

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本当ならば全部の機関車を載せたいところなのですが、全部載せるとみなさん飽きてくる(え?もう飽きてます?)と思いますので、他の機関車は簡単にだけ。


この機関車は満鉄時代はミカロ型でした。中国解放後は解放6型と呼ばれています。
この機関車は日本で作られて満州に運ばれてきました。専用線や駅構内の運用に主についていて、終戦後は地方各地で旅客運用もしました。

DSCF0042こちらは満鉄時代はマテイと呼ばれていました。
マテイ型は、1936年に日立と川崎で製造されました。
マウンテン型の1番目の機関車ということでマテイです。
動輪直径1メートル75センチ、全長26メートル、運転整備総重量は211.2トンにもなりました。このサイズは国内のC62をはるかに上回ります。
満鉄の貨物用機関車としては最大で、急行貨物を担当していました。

DSCF0043勝利5型です。満鉄時代はパシコ型でした、急行「はと」の牽引機でした。
急行「はと」は大連〜新京(長春)を走った急行列車です。

 

 


 

 

DSCF0044こちらは解放1型、満鉄時代の型式はミカイです。
製造年は1919〜1960年で、 製造両数は2500両以上あります。軸配置 1−4−1です。一番当時多く作られた型式だと思います。
製造地は1〜2120番は美国(!)・日立・川崎・汽車・満鉄沙河口製です。
2121〜2500番、4000〜番は四方・大連・チチハル・青島机車工場製 です。
2121号機以降は中国製です。しかしパーツの共用が多く、いろいろなタイプが存在します。

DSCF0047こちらは中国名解放2型、満鉄時代のミカニ型です。
これは日本製ではないんです。なんと私の敵国、美国アルコから輸入した三気筒機関車です。貨物列車用の機関車でした。

 

 

 

 

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こちらは満鉄の最大機、勝利8型、満鉄時代のパシハ型です。
日立笠戸工場と満鉄大連工場製です。総数17両です。
パシコの改良型で、ダブサの成果を応用して設計されました。

 

 

 

ところで満鉄の機関車の名称はどのように付けられていたのか、このパシハはパシフィック型の8番目の意味です。パシナはパシフィック型の7番目、他にミカイはミカド型の1番目という具合です。
全部の型式をあげますと、
「アメ」 アメリカン型 4-4-0(2B)
「エト」 エイトホイールカップルド型 0-8-0(D)
「サタ」 サンタフェ型 2-10-2(1E1)
「シカ」 シックスホイールカップルド型 0-6-0(C)
「ソリ」 コンソリデーション型 2-8-0(1D)
「ダブ」 ダブルエンダー型 4-4-4(2B2)または2-6-4(1C2)
「デカ」 デカポット型 2-10-0(1E)
「テホ」 テンホイーラー型 4-6-0(2C)
「パシ」 パシフィック型 4-6-2(2C1)
「プレ」 プレーリー型 2-6-2(1C1)
「マテ」 マウンテン型 4-8-2(2D1)
「ミカ」 ミカド型 2-8-2(1D1)
「モガ」 モーガル型 2-6-0(1C)
これで以上です。後ろの数字は機関車の車輪の軸配置を示しています。こうして見ると、満鉄の機関車の型式は軸配置で決まっていたのですね。
で、1番目がイ、2番目がニ、3番目がサと後ろに付くので、この機関車パシハの場合はパシフィック型の8番目、パシイ、パシニ、パシサ、パシシ、パシコ、パシロ、パシナ、パシハとなります。ちなみに9番目は「ク」、10番目は「チ」でした。

その他の機関車。正体不明なので、写真だけ。

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