「1998年 屏東線 普通373次 高雄〜枋寮 2」

vimg23進行方向左側の全部の扉はとうとう駅構内を出てふつうに走るようになっても開きっぱなし。右側は閉めたのだから車掌(台湾では車長という)さんが閉め忘れたのかな?と思ったが、その車長はその車内を巡回してくる。別に忘れたわけではないようです。
とうとう次の駅の鳳山まで開きっぱなしでした。ここで発車してからこちら側のドアも閉まったのです。
その後列車は後庄、九曲堂と停車していきます。
線路は途中の屏東までは複線電化路線になっています。

vimg24九曲堂駅を3分遅れて発車すると、高屏渓の鉄橋を渡ります。複線電化の時に新しく鉄橋が作られてそちらを渡ります。
右側には単線のトラス橋の旧鉄橋(写真)がレールもそのまま使用されずに残っています。1987年から使用されていない旧鉄橋なのですが、日本時代からの鉄橋で鉄道文化財をして保存することになっています。
旧鉄橋は1913年に作られました。当時は下淡水渓鉄橋と呼ばれていて、1526メートルの長さがありました。24のトラスが連なり、当時の鉄橋としては阿賀野川橋梁や天竜川橋梁より長く、東洋一の長さの橋でした。台湾総監府の飯田豊二技師によって架設されました。当時の下淡水渓は必ず氾濫を起こし、地元の人を苦しめていました。それを見た飯田豊二がここに橋をかけることを決心したのですが、予想以上の難工事による過労で飯田豊二はこの鉄橋に列車が走るところを見ることなく40歳でこの世を去ります。
その鉄橋の上でイチャイチャしている男女が3組。台湾では何故かこういう鉄道施設が「イチャイチャポイント」になっています。結婚式の記念写真も駅や線路脇という場所でウェディングドレスで車両を背景に撮影しています。その2人のうちのどちらかがテツというわけではなく、台湾ではこのような鉄道遺跡やローカル線がノスタルジックなところがあり、流行っているのです。
日本でもこのようなものが流行ってくれれば書記長や私の得意技なのですが。

vimg25橋を渡ると六塊暦に停車。そして次が屏東。
電化複線区間はここまでです。
高雄を先行発車した500系電車はここまでで、これ以上先には進めません。高雄への折り返しを待っていました。


 

 

 

vimg26屏東から先は非電化単線です。縦貫線から直通してくる自強号やキョ光号も屏東止まりがほとんどで、南廻線に直通する少しの優等列車だけがディーゼルカーを使ってここから先も走ります。
普通列車に関しては屏東から先は全列車客車普通列車になります。嬉しいね!
この時は全列車藍色客車だったのですが、現在では客車列車は客車列車なのですが、藍色客車を改造した冷房つきの客車になっています。色も藍色客車ではなくて、復興号と同じ色になっています。
13:49に2分遅れて屏東を発車します。
少なかった乗客もここからはますます減って1つの車両に0〜2人となりました。誰も乗っていない車両もあります。高雄の近郊路線から急にローカル線になりました。
写真は屏東駅を出てすぐの右カーブ。この地点で頭上の架線は途切れています。ここから先は電車は走れません。ディーゼル機客車普通列車の独壇場です。

vimg27歸来、麟洛、西勢、竹田と各駅に停車していきます。
運行密度が低くなって単線で行き違いの出来ない片面使用の無人駅が多いです。駅舎はあるのですが無人駅。かつては駅員がいた駅が多いみたいです。台鉄も日本の国鉄末期のように大赤字です。ローカル線の廃止(既に10本の路線あるいは支線を廃止。計画中断2路線)や駅の無人化で合理化を行なっている時期です。
しかし、列車が無人駅に停車して、乗客が乗ってきても車掌は切符を売りにやってきません。無人駅に到着すると乗客はホームから思い思いの方向に出口を通らずに散っていきます。果てはホームと反対側に飛び降りていく人も。これでは切符の回収が出来ません。タダ乗りもされてしまいます。日本でも国鉄時代は無人駅や定期券を利用した不正乗車は多かったはずです。
どこまでも日本の国鉄に似ている台湾鉄路です。
潮州には14:13定刻に到着です。列車交換できる有人駅ですがすぐに発車します。
カン頂(Kanding)という(日本に当てはまる漢字がありません)無人駅を過ぎて南州へ。ここは有人駅です。その次は鎮安です。
写真はカン頂駅です。

vimg28鎮安はかつては主要駅で東港までの東港線6.2キロが分岐していました。途中に大鵬という駅が一つだけあるミニ路線でした。
東港線(Donggangxian)は、清代からの重要な商港だった東港との連絡を目的に建設されました。軍事輸送を主眼に置いた路線でしたが、光復後に道路整備が進むと利用客は激減して廃止直前には年間60人の利用者という超赤字路線となり、1991年に旅客輸送を廃止しました。年間60人とはすごいですね。1週間に1人しか乗客がいない計算になりますね。
しかしその後も支線である東港飛機場線の軍事需要があり燃料輸送のために暫く存続していたが、2002年に全面廃止となりました。2004年には屏東線から分岐の転轍器も撤去されました。
今でも扱いは1等駅なのですが実際は片面使用の無人駅です。
反対側にはかつての東港線のホームが残っていました。

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