自称「文化昆虫学研究家」のひとりごと

いつか,文化昆虫「楽」者になることを夢見て…

雑談

2.15 - 文化昆虫学英語短報を執筆 / 本日の祝勝会 / 本日の夢の扉

◆文化昆虫学英語短報を執筆

 昨日の夜と本日の午前中を使って、文化昆虫学英語短報を執筆し、全文を書き終えた。
 書きやすいテーマだったので、割とすんなりと書けたのだが、アクセプトまでもっていけるかどうかは何ともいえないところである。ただ、オーソドックスかつ短い論文ながら、割と完成度は高いと思っており、本人的には好感触である(人がどう思うかは別として)。内容は、この場では非公開だが、2年ほど前からスタートさせたシリーズの一角を担うものである。



◆本日の祝勝会

 本日は、先週に見つけた某中華居酒屋にて、軽く一人祝勝会。毎週休日にはやっていることだが、今回この場でこのネタで書くのは、本日いただいた豚肉の酒盗煮があまりにも絶品だったからである。創作料理としては、かなりの絶品料理だ。
 ちなみに余談だが、最近は電子レンジで如何に簡潔に茶碗蒸しを作るかという研究をしている。ようやく、家にある電子レンジの癖がつかめてきて、うまくできるようになってきた。

20150215 豚肉の酒盗煮




◆本日の夢の扉


 本日の夢の扉は、京都大学の篠原さんの「無限のエネルギーを宇宙から手に入れる」で、宇宙で太陽光発電を行い、無線でエネルギーを地球に転送する仕組みの研究に関する話だった。
 篠原さん曰く、「自分が現役でいる間は実現できないかもしれない」が、『たとえ自分が死んでも、夢を止めてもならない」がモットーだそうである。また、夢と現実をつなぐ架け橋が科学だともおっしゃっていた。
 篠原さんも、苦労人で研究を始めた当初は、まわりから無茶な研究だと馬鹿にされまくっていたのだそうだ。しかし、そういう馬鹿にする人は、ライト兄弟が飛行機で有人飛行を実現すると宣言した際には馬鹿にしていただろうとおっしゃっていた。この考え方は大事だ。例えば、現在は地動説が当たり前で、天動説など誰も信じていないだろうけれど、ガリレオが地動説を唱えた当初は天動説が宗教上の関係で常識であった。ガリレオは、裁判にかけられ罪を負うことになったが、彼の業績はのちに大きな影響を与えることになった。アボガドロ定数を発見したアボガドロだってそうだった。ベロウソフ・ジャボチンスキー反応を発見したジャボチンスキーだってそうだった。彼らは、常識外れだと馬鹿にされたが、結果的には後の世に名を残す発見だったのだ。こういったことを踏まえて、常識から外れた意見でも、簡単に馬鹿にしたりせず、耳を傾けるようにしたい。

2.7 - セミ・オートでデータ収集 / 久しぶりに文献漁り

◆セミ・オートでデータ収集

 久しぶりに、文化昆虫学の研究テーマの金脈を掘り当てた。この金脈は、個々の粒こそ小さいが、ネタはかなり豊富なのでありがたい。この研究テーマの強みは、普段の生活の中でセミ・オートでデータが取れてしまうことだ。



◆久しぶりに文献漁り


 久しぶりに、文献漁りをした。有力そうな文献が一件引っかかった。



◇お知らせ


 なかなか身動きが取れない。余裕があるようで、実はあまり余裕がない。




8.9 - 文化昆虫学について(概説論文の執筆)

◆文化昆虫学について(概説論文の執筆)

 昨日から夏休みに入った。

 昨日の夜中は、文化昆虫学の論文を書き書きをして楽しんでいた。ひとつは、共同研究の論文なので教えられないが、もうひとつは英語で文化昆虫学の概説論文を書いていた。「はじめての文化昆虫学」のリメイク英語版であるが、これが想像以上に難しい。何故かというと、文化昆虫学の定義付けになるような論文であるため、論文で使うキーになる言葉が示す概念について、個人レベル、あるいは日本語と英語との間でのズレをひとつひとつ検討する必要があるからだ。

 例えば、論文では気軽に「culture」などという言葉を使えない。実は、これまでの自身の文化昆虫学の概説論文を書くにあたっても、重要なキーワードである「文化」という言葉については、迂闊に使わないように、その概念の捉え方に相当な検討を重ねている(これは、ある人文科学者からのアドバイスを受けてのことである)。実は、日本の「文化」という言葉も、文化昆虫学者あるいは個人、文中や会話中のコンテクストによっ て、実質上捉えている概説は違うのである。
 
 文化という言葉の問題だけではない。同じく人文科学の昆虫学である「民族昆虫学」や、自然科学だけど人と昆虫とのかかわりについて研究する「応用昆 虫学」との位置づけも難しい問題だと思う(「はじめての文化昆虫学」では、その問題について、やんわりと書いている。話がややこしくなるという理由から)。ちなみ に、経験上の話であるが、同じ人文科学の昆虫学を研究している文化昆虫学者と民族昆虫学者とでは、驚くほど話が噛み合わない。これは、文化昆虫学者の論文と民族昆虫学者の論文を比較しても見て取れることである。 

11.15 - 久しぶりに論文を執筆 / 逆手を翻訳

◆久しぶりに論文を執筆

 今日は,時間的にも気分的にも少し余裕があったので,久しぶりに1時間ほど論文執筆を進めた.といっても,以前書き終えた論文初稿を,日常の合間をぬってとっていたメモに従って少し修正しただけ.ただ,それでも論文の「完成度(できばえ)」はより高まったように思う(あくまで,自己評価ではあるが・・・).本当は,今週末に英文校閲に出す予定だったけど,念のためしばらくねかせて,様子をみたいところである.
 それにしても,今回はメモの重要性を改めて実感した.今回の論文修正では,大筋の内容に変更はなく,単なるワンポイントのマイナー修正であったが,論文が引き締まったように感じられたからだ.



◆逆手を翻訳

 本日は,日本語の言葉である「逆手」をどのようにインドネシア語に訳するのかについて学習した.結論から言うと,インドネシア語に「逆手」を表す言葉はない.「逆手」とは,「鉄棒などを、手のひらを手前に向けて下から握る握り方」で,おそらく語源は日本刀の持ち方(刃物の柄を、親指が柄の端、小指が刃の方になるように握ること)に由来するものと思われる.私は,日本語では一言で言えるけど,外国語では一言で表現できない概念を見つけることができたことにとても喜んだ.ちなみに,「逆手」を英訳すると「grip a bar (or somethings like stick) underhand(棒を下から握る)」,インドネシア語に訳すると「genggaman menghadap atas(手を上に向けて握る)」になる(と思われる).

10.5 - 文化昆虫学報告文(和文)を2編投稿した / 人間中心主義について思うこと

◆文化昆虫学報告文(和文)を2編投稿した

 今週は,某研究報告と某昆虫同好会誌(正確には紀要に近い)にそれぞれ1本ずつ,和文の文化昆虫学方向分を投稿した.



◆人間中心主義について思うこと

 人間中心主義という概念には,中心である人間の周辺に環境が想定され,その先にあるのは自然との対立である.一見,そのような人間と自然との対立構造が自然破壊を生み出すかのように思われがちだが,その対立的な観念があるからこそ,自然を客観視することが可能であり,論理的思考を以て自然保護活動に取り組むことが可能なのではないかと考えた.現段階での単なる思い付きであるが,メモとしてここに記載しておきたい.
プロフィール
 在野の文化昆虫学研究家です.文化昆虫学とは,人間社会の文化事象にかかわる昆虫のインパクトや役割について研究する学問です.

 なお,昆虫生態学などにも興味を持っており,飼育を通してゴミムシダマシ,ジョウカイボン,ハサミムシ等の生態を調べています.

 拙ブログでは,主に自分自身の研究活動に関することについて,徒然なるままに書きます.

 ※当サイトは,リンクフリーです.
ギャラリー
  • 7.5 - 神戸三ノ宮センター街にて昆虫グッズ採集
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  • 6.20 - 文化昆虫学の本を購入
  • 2.15 - 文化昆虫学英語短報を執筆 / 本日の祝勝会 / 本日の夢の扉
  • 1.11 - 有馬富士自然学習センターの特別展 / 文化昆虫学報告文の投稿 / 本日の夢の扉
  • 1.1 - 謹賀新年
  • 12.20 - 岸和田にて文化昆虫学フィールドワーク / きしわだ自然資料館
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