名称未設定 1ウルトラJBって何?誰?

という問い合わせも少なくないので、監督が3年前に月刊にいがたタウン情報に書いたコラム(現在も好評連載中)を、ここに編集長の許可なく転載します。

3年前というと、3部昇格を決めた年かな。

コラムゆえ、かなり長文の、週末特別企画。

秋の夜長にお楽しみください。

ではウルトラJBの世界へようこそ。

dsc02673我がジャミネイロが、県社会人リーグ参入4年目にして、ついに昇格を勝ち取った。県4部リーグ新潟地区最終戦、新潟コンマ戦は、試合終了直前に同点ゴールを叩き込まれてドローに終わったものの、勝ち点1を上積みし、単独2位で次年度の県三部リーグ昇格を確実なものにしたのだ。応援席に挨拶をすませた後、僕を含めた選手達全員は、ある人の下にダッシュし、胴上げを開始した。2度、3度となく宙に舞った彼こそが、チーム創設時からジャミネイロを支えたサポーター、ウルトラJBである。

ウルトラとは、サッカーの熱狂的なサポーターグループを指す。また、JBとはジャミネイロ・ボーイの略。Jリーグでは、サポーターグループとして浦和レッズのURAWABOYSがあまりにも有名であるが、僕らのチームのサポーターはウルトラJBと名乗ったようだ。ただし、浦和がBOYSなのに対して、こちらは単数(1人)なのでBOYであるところがミソ。選手からは「JBさん」と呼ばれる謎の人物である。

JBは、クラブが立ち上がるときから、俺はサポーターとして勝負すると宣言していた。プレーヤーとしての経験はないが、ジャミネイロのクラブ理念に強く賛同し、彼なりにクラブに貢献する方法を模索したのだろう。当時から、「俺は徹底的にやるぞ」と言っていたが、その言葉を額面通りに信じた者は僕も含めて少なかったと思う。


JB12004年、県リーグ初見参の日、ハンドメイドの緑色の装束に身を包み、颯爽と会場に現れたJBはそれだけでも衝撃的だったが、試合開始前のアップをする僕らの傍らで、おもちゃの小太鼓、笛などの小道具をそそくさと準備をし始めていた。痛い、あまりにも痛すぎる光景。まさか本気だったとは。キックオフに向け、両チームがセンターサークルに向けて並んで歩き出したが、気が付くと、JBはゴール裏に1人フル装備で陣取っていた。当たり前だが、アマチュアの、それも底辺のリーグ。当事者以外は会場に見あたらない中で、その姿は50cmほど宙に浮き上がっているように見えた。小学生の大会なら、間違いなく不審者扱いされるレベルである。最初はさすがに気恥ずかしさと戸惑いがあったようであるが、意を決してジャミネイロコールを始めると、いつの間にか用意していたオリジナルチャントを連発。間抜けな音を出していたおもちゃの小太鼓は開始数分で破壊されたものの、ウルトラの名にかけて、そんな小さなことでは気持ちは折れず、それどころか、「昔、曽野木小のピッチャーを野次って泣かせてことがある」と自信満々に語る低レベルなヤジで相手を挑発した。かくして、試合内容は寒かったが、そこだけ常夏のオンステージとなったのである。土砂降りの中、ウルトラJBはこうしてデビューした。

DSCF0523初年度、ウルトラJBは奇異な目を持って各チームに迎えられる。最初はどのチームも失笑。しかし、試合後は、皆、感嘆の声に変わっていた。うちにも彼が欲しい。そして、JBはデビュー以降本日に至るまで、1試合も欠かすことなく、毎試合魂のサポートを繰り返した。かくして、県リーグ4部では、彼の顔を知らぬチームはないほど認知されてきたのである。




DSC00178We are Three!」昇格決定後、1人叫び続けるJB。最初は何のことか分からなかったが、どうやら、我々は3部だ(昇格したぞ)、というコールだったらしい(笑)。JBは、弱くて話にならなかったチーム創設時からクラブの成長を全て見続けてきてくれた。その間、彼にも子供が誕生し、子供が物心つく前にやめないと、とボロっとウルトラらしからぬ弱音を吐いたこともあったが、そんな言葉もなんのその、2歳の子供がじっと見守る前で、相変わらずの馬鹿を演じてくれている。汝、笑うことなかれ。親父の生き様を目に焼き付けられる子は幸せだ。そして、彼の子供が、親父とともに声をからす頃、その時初めてジャミネイロ・ボーイズを名乗るに違いない。