今は激変している広西省・藤県の十年前のレアな写真が出てきたので、チベカムばかりじゃ飽きるから一寸はさんでおきますね。
因みにここ藤県県城(県庁所在地)はこの直後に更地になって今では大廈高楼が所在なさげに建っている。
これ「藤県散歩」という題だったのをかえた。非常は、とってもの意味。
だから、とっても田舎なんだが、非常はよく使う…非常可楽というコカコーラの可口(コカ)を非常に書き換えただけのバチコーラはよく売れた。裁判か調停でもあったのか近頃みないが、メーカーが大儲けしたことだけは事実である。さて…
広西省というのは解放軍が解放という名の解放に来るまでは蛮地で、壮族がすむ瘴癘の地であった。一応清朝のあとをついだ國府軍によって広東の一部になっていたので解放初期に広東省長といえば広東・広西・海南三省を治める大官だった。(と、往時の広東省長の子息が言ってた)
そんな事はどうでもいいが、すでに中華民族化が完了した莊族はもともと温和で順応的な民族だったから、北京語(国語)をおぼえると急激に漢化した。字や言語はあるが、すでに自分たちは中華人民であることにいっこうに違和感をおぼえていない。
その他の少数民族と称する52の部族もまた似たようなもので、なんか問題が熾きるのは西のほうの2部種だけである。
サンプルの賞味期限から10年前だとわかる。
快餐屋のオババ達が笑顔なのはデジカメが珍しかった頃だから自分のツラ見て笑ってるわけ。
中華をずっと眺めている俺にとっては、小さな違いもよくわかるので、なんだか博物館に来たようだが、このイメージが10年前の藤県(地方町)20年前の南寧(省都)30年前のシンセンと同じようなものだと思ってくれて良い。
デジカメなんて実際ここ2-3年の流行りで5年前には珍しがられた。
こういう素直なはしゃぎっぷり、華人(漢族)は教養と知性が邪魔をするので、これが出来ないさまを死板瞼(スーバンレン)
と表現するが、お高く止まって「フンッ」て事だ。
盛りきり飯におかず4品で5元のメシ。
小学校にくっついた役所の招待所に泊まったが
外廊下をガラスで囲うのが当時のはやりで、ここ3人部屋で88元。今なら(改装してれば)150元か。
この程度がイナカ出張ベースのデフォなホテルである。
(これ以上が無い)ので。
歯ブラシセットとかは、上海の日本ホテルから全国に広まったものだ。
今は村落程度のところに居る「摩達車」摩はモーターのモだ。
「ロマン性愛」というエロ本売りのおばちゃんも明るい。
太平天国の発祥地だからキリスト教会もある。太平天国はキリスト教からヒントを得た。
暇な民工。
二階の下に道路を作って雨に濡れないアーケードのようにしたのを「騎楼・チーロー」という。
これは西洋人が南方植民地で考案したもので、このへん広西はフランスの植民地になっていた影響。
どこにでもある「軍と民は水と魚」とかいうスローガン。
靴修理屋と悟ったババア。
公安局とトラック駅の料金表。ここで荷にあわせたトラックを調達する。
引越しと、バスの客引きに注意の看板。
「切符は駅で買え!外の切符はぶったくられて恐喝だ。」
そうです。
長距離バスだが二人寝台で天井高1mのベッドで人民とともに3昼夜…サイテイである。
河の埠頭は階段でできてる(水位が季節で違うので)水上レストラン。
いいかげん飽きるが、これで50年もたてば立派な骨董品の記録になるかも知れないから、焼酎でもひっかけてまだまだヤルつもりだ。
犬・羊ナベ専門店。
雑貨屋では耳にピアスの穴あけサービスも(10元)やってた。
小学生のありさま。
県立運動場。
この時期はまだここで審判大会・即決銃殺の記憶があった。
バスと臨時の歌舞台
京劇の方言版のエツ劇というキーキー歌劇をやる。
船大工は流れ者。
船で暮らして仕事がなくなったら流れていって、仕事がありそうな時期にまた帰ってくる。
趣味のよいホテルの装飾と、正統な民家の玄関。
晩ご飯はニワトリ斬首メシだった。
ここで終わり。
今でも無名な内地ではこんな感じで生活がくりひろげられている。結局この国はずっとこんなふうに、虚の上海やウソな北京の見世もの町いがいはこれでいい。こっちの方が上海より俺は好きである。
因みにここ藤県県城(県庁所在地)はこの直後に更地になって今では大廈高楼が所在なさげに建っている。
これ「藤県散歩」という題だったのをかえた。非常は、とってもの意味。
だから、とっても田舎なんだが、非常はよく使う…非常可楽というコカコーラの可口(コカ)を非常に書き換えただけのバチコーラはよく売れた。裁判か調停でもあったのか近頃みないが、メーカーが大儲けしたことだけは事実である。さて…
広西省というのは解放軍が解放という名の解放に来るまでは蛮地で、壮族がすむ瘴癘の地であった。一応清朝のあとをついだ國府軍によって広東の一部になっていたので解放初期に広東省長といえば広東・広西・海南三省を治める大官だった。(と、往時の広東省長の子息が言ってた)
そんな事はどうでもいいが、すでに中華民族化が完了した莊族はもともと温和で順応的な民族だったから、北京語(国語)をおぼえると急激に漢化した。字や言語はあるが、すでに自分たちは中華人民であることにいっこうに違和感をおぼえていない。
その他の少数民族と称する52の部族もまた似たようなもので、なんか問題が熾きるのは西のほうの2部種だけである。
サンプルの賞味期限から10年前だとわかる。
快餐屋のオババ達が笑顔なのはデジカメが珍しかった頃だから自分のツラ見て笑ってるわけ。
中華をずっと眺めている俺にとっては、小さな違いもよくわかるので、なんだか博物館に来たようだが、このイメージが10年前の藤県(地方町)20年前の南寧(省都)30年前のシンセンと同じようなものだと思ってくれて良い。
デジカメなんて実際ここ2-3年の流行りで5年前には珍しがられた。
こういう素直なはしゃぎっぷり、華人(漢族)は教養と知性が邪魔をするので、これが出来ないさまを死板瞼(スーバンレン)
と表現するが、お高く止まって「フンッ」て事だ。
盛りきり飯におかず4品で5元のメシ。
小学校にくっついた役所の招待所に泊まったが
外廊下をガラスで囲うのが当時のはやりで、ここ3人部屋で88元。今なら(改装してれば)150元か。
この程度がイナカ出張ベースのデフォなホテルである。
(これ以上が無い)ので。
歯ブラシセットとかは、上海の日本ホテルから全国に広まったものだ。
今は村落程度のところに居る「摩達車」摩はモーターのモだ。
「ロマン性愛」というエロ本売りのおばちゃんも明るい。
太平天国の発祥地だからキリスト教会もある。太平天国はキリスト教からヒントを得た。
暇な民工。
二階の下に道路を作って雨に濡れないアーケードのようにしたのを「騎楼・チーロー」という。
これは西洋人が南方植民地で考案したもので、このへん広西はフランスの植民地になっていた影響。
どこにでもある「軍と民は水と魚」とかいうスローガン。
靴修理屋と悟ったババア。
公安局とトラック駅の料金表。ここで荷にあわせたトラックを調達する。
引越しと、バスの客引きに注意の看板。
「切符は駅で買え!外の切符はぶったくられて恐喝だ。」
そうです。
長距離バスだが二人寝台で天井高1mのベッドで人民とともに3昼夜…サイテイである。
河の埠頭は階段でできてる(水位が季節で違うので)水上レストラン。
いいかげん飽きるが、これで50年もたてば立派な骨董品の記録になるかも知れないから、焼酎でもひっかけてまだまだヤルつもりだ。
犬・羊ナベ専門店。
雑貨屋では耳にピアスの穴あけサービスも(10元)やってた。
小学生のありさま。
県立運動場。
この時期はまだここで審判大会・即決銃殺の記憶があった。
バスと臨時の歌舞台
京劇の方言版のエツ劇というキーキー歌劇をやる。
船大工は流れ者。
船で暮らして仕事がなくなったら流れていって、仕事がありそうな時期にまた帰ってくる。
趣味のよいホテルの装飾と、正統な民家の玄関。
晩ご飯はニワトリ斬首メシだった。
ここで終わり。
今でも無名な内地ではこんな感じで生活がくりひろげられている。結局この国はずっとこんなふうに、虚の上海やウソな北京の見世もの町いがいはこれでいい。こっちの方が上海より俺は好きである。