2005年08月

2005年08月30日

母は辛い!

暑い夏もたぶん終わりに近付いているのだと思う。
庭から聞こえて来る虫の音は、夕方になるとすっかり秋の気配。
昨日は初さんまを食べたし・・・。

ここのところ眠れない夜が続いている。
原因は、週末に行った息子の家。いつものとおり洗濯、掃除などなど。
新しい保険証が放り投げてあったので、それを仕舞うために引き出しをあけたら、カード会社の明細書が仕舞ってあった。
よせばいいのに誘惑に負けて中身を見てしまった。

あらら、ほとんど生活が破たんしているわ!
以前にも同じことがあり、同じように心配したことがある。「ボーナスで精算すればいいんだから」というのが彼の言い分だけど、ボーナスを組み込んで先行して借金生活をするなんて。あー、恐ろしい。何も言わず、心配も胸にしまって帰ってきたのはいいけれど、何か眠れない。

やっぱ、気になっていることは本人に言っちゃおう。そして楽になろうっと、ということでこんな夜中に起きだしてメールを書いた。説教調になってしまうのは注意しなくっちゃと思いつつ、モロ説教。どうせ「ムカツク」とか言って捨てられちゃうのは分かっているけど、聞くと聞かないでは大違いだと思う。きっと頭の隅に残るのではと期待しつつ。

あー、母は辛い!

見なければ良かったのにな。知らなければ親ばかちゃんりんしていられたのにな。
しかたないから寝よっと。言うことは言ったし。

もうお小遣いなんてあげるのやめよう。自立のさまたげになるだけだ。



asobist at 05:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2005年08月26日

履いてみたかったなあ

初めて「勝負パンツ」という言葉を聞いたとき、どういうパンツなのだろうと真面目に考えてしまった。あたかも格闘技に着用するパンツのような気がしたのだ。お色気とか、恋の駆け引きとかと無縁な人生を送ってしまったからかもしれない。考えてみればつまらない人生を送ってしまったと後悔しているのだ。

勝負服というのを耳にしたときは、「うまい!」と感心してしまったのだが、それのバリエーションで勝負パンツがあるとは知らなかった。
「毎日が勝負よ、いつ何があるかわからないじゃない」
「何もあるはずないじゃん」
「あーら、そんなこと分からないじゃない。恋ってね稲妻に打たれるみたいに突然始まるのよ」

ふーん、稲妻かあー。

わたしは極めてお行儀よく、一人の男に決めて生きてきてしまった。わたしにとってはそれが当たり前だった。恋愛などというものはしょっちゅうするものではない。嫁に行くときは見合いで行く。恋愛をしたとしても深い仲になるのは絶対にいけない。なにかにつけ、そうスリコマレてきて、気がついたときは「あーら、どーしましょ。こうなったら家出しかないわ」ということだった。

それでも、長年に渡ってスリコマレた価値観は、そう容易く変えることはできない。あれも違う、これも違うということの連続で、なんだか親の教えはオカシイと気づいたのだが、時すでに遅し。

今さら勝負なんてできないじゃん。ムカツク。
勝負パンツなんかつけても、ただのギャグだぜ。

後悔先にたたず
人生はあまりにも短いなあ。

asobist at 16:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月23日

締って行こうぜ

久しぶりに掃除機をかけた。
かなり長い間さぼっていたのだ。原因はいくつかある。掃除機が重い。その掃除機が2階にある。2階から掃除機を下ろす前に2階も掃除機をかける必要がある。あーメンドクサイ、止めとこ・・・などなど。

それでも、そろそろ限界だなということで、一念発起で2階をざっと済ませて下に持ってきた。やってみるとたいした労力でもなく、なんで毎日これができないのか自分でも分からない。

ナマケモノという言葉はわたしのためにあるのかもしれない。

小さなことの積み重ねが苦手なのだ。いざと言う時には火事場のくそ力というほど動ける。例えば、急に来客がある。到着まで30分などというときには、あっという間に取り繕う。しかし突然の来客には対応できない。

ピンポーンと鳴ると「えっ!」って感じ。大抵は回覧だったり、集金だったりだが、時々中にお通ししなければならないときもある。そんなときもできるだけ玄関で済ませたいと思う。

昔から掃除は苦手で、掃除をしてもさっぱりきれいにならないのだ。どーしてかなあ。
つらつら考えるに、物を片すということが苦手なのだ。読みかけの新聞を途中で止めて掃除を始め、読みかけだからそのまま上に持ち上げて掃除機をかけ、掃除機をしまう前に新聞の続きを読む。

洗濯物を取り込んでたたまずに、お茶を飲む。あ、そうだ畑に行ってみようと、突然思いつき、出かけてしまう。帰ってくるとなんだか疲れてしまい、テレビの前でうたたねをする。

そこで突然来客があると、洗濯物はほったらかし、掃除機は部屋の真ん中にほったらかし、テーブルには飲み残しのお茶、うたたねをした枕などもあり、お客様などお通しできないということになる。

ゴミなどは結構マメに出しているから、ゴミ屋敷ということにはなっていない。だからといって片付いてもいない。中途半端なのだ。物事を完結してから次に。これができればいいのだけど。

どうせたたまなければいけない洗濯物なら、すぐにやればいいのに。
どうせ洗わなければいけないお茶碗ならすぐに洗えばいいのに。
どうせ仕舞わなければいけない掃除機ならすぐに仕舞えばいいのに。

分かっているんですよ、そんなこと。でもね、気が緩んでいるんです。
わたしに必要なことは「締まって行こうぜ!」なんですよ。ハイ。

asobist at 18:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2005年08月21日

西武ドームで盆踊り

c4294520.JPG8月20日、数年前から始まり、毎年夏になると気になっていた西武ドームの大盆踊り大会に行ってきた。
盆踊りといえば子供の頃は、自分にとっては実に大きなイベントだったような気がする。

小学校の校庭に造られたやぐらの周りで練習を含めるとどれだけ踊ったことやら。
踊るということも楽しかったのかもしれないが、なにより三々五々集まってくる同級生や上級生の夏休み中の素顔と、誰かと誰かの楽しそうな語らい、妖しげな雰囲気とかに、敏感な反応をしていたような気がする。

普段の通学の姿と、浴衣姿のギャップ。意外な大人っぽさ。
おそらく、夏祭りは大人に近づく大舞台だったのかもしれないなどと思ったり。

町のお祭りには、なにか誘惑されるフェロモンが満ちているような、危険があったと記憶している。
といって、自分の身にそんなドラマティックな出来事があったかといえば、まったくなかったのだが・・。

さて、西武ドームの大盆踊り大会だが、なんであんなつまらない盆踊り大会を設定できるのだろうかとクビを傾げてしまう。主催が市だから?

まず、ひたすら自由に盆踊りをしていれば、もっともっと人が集まり楽しい一夜になるはず。
なのに、市長の挨拶、歌謡ショー、盆踊り愛好会の演技披露。これでは面白いはずがない。孫が何人もいるような元気なおばあさんの踊りを見たい人なんていないでしょ。

ばかばかしくなってさんざん買い食いをして早々に帰ることにした。

「ねえ、多摩湖畔のぐねぐね道を歩いて帰りましょうよ」とスミコさんの提案。ふっと嫌な予感。外灯はあったかしら。それでも、満月だしなんとかなるだろうと湖畔の道を目指す。

案の定外灯など一つもない。車は時々往来しているが、とぎれると不気味。左はゴルフ場で右は多摩湖。

「あたしたちシルエットで、女の子じゃないって分かるし、大丈夫よね」
「大丈夫よ、団扇持って大金持ってる人なんていないんだし、襲ったってなーんにもいいことなんてありゃしない」

など、大丈夫を繰り返して歩く。

「あ、何がぶら下がっているの、アレ」

なにげなく言ったわたしの言葉にスミコさん大慌て

「なに!?どこ!?えっ!?」

彼女、襲われるのが怖いのではなく、ユーレイが怖かったみたいでした。
たしかに、樹木の揺れる様が月明りの影でゆらゆらすると、なーんか怖いよーという感じではありました。おそらく、あの道を夜歩くということは2度とないでしょう。

ちなみに、わたしたちがびくびく多摩湖畔のぐねぐね道を歩いて家路を急いでいたとき、すぐ脇を走るレオライナーが満員の乗客を乗せて西武ドームを目指していました。もしかしたら、あの盆踊り大会は、すべての出し物が終って、夜9時を過ぎると白熱するのかもしれません。

来年、夜9時、お酒も入って相当いい気分で、もう一度だけ覗きにいきたいと思っています。






asobist at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月19日

年寄りを騙すなんて!

年寄りのフトコロを狙う詐欺事件というのをニュースで見ても、あまり身近な事とは思っていなかった。ところが、実家に帰るとそんな話がごくフツーの話としてテーブルにあがる。

近くに住んでいる叔母は、400万円の布団を買わされたとか、すでに亡くなっているが、母の姉は数千万円ものお金を巻き上げられ、物置の中には朝鮮人参と壷がぎっしりつまっていたとか。

そんな話を聞いてもピンとこなかったし、よくそんなに騙されるお金があるなあ、それを全部わたしにくれれば、もっと有効的に使ってあげるのになあと思ったくらいだった。

ところが、今回たまたま母宛にきた女学校(高校)の名簿作成のご案内ハガキを見て驚いた。そういうハガキはしょっちゅうきているそうで、何度もくると催促されている気分になって、つい返事を出してしまう年寄りもいるだろう。

よく見ると、インチキだというのは一目瞭然。まず、字が間違えている。
豊島区というのが都島区となっている。普通に入力すれば間違えるはずもないのに、わざわざ偽物の証拠を残しているのだろうか。

「お母さんすぐ捨てちゃってくださいね」とお嫁さん。それでもなかなか捨てない母。「悪い人がいるんだってね」など言いながら捨てない。こっそり後で返信したりしないでしょうね。

こんなおばあちゃんに「おこづかいよ」などとこっそりいただいてラッキー!なんて思っていたら、翌日電話がかかってきて「あなたにおこづかいあげたっけ」だって。「ありがたくいただきましたよ」とは言ったものの、「貰ってないよ」と言った方がよかったかななんて思う。

でもね、年寄りのフトコロを狙ってはいけませんよね、えーえー分かっていますとも。


asobist at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月16日

久しぶりに実家へ

13日に息子の家でご奉仕したあと、続いて実家に帰った。約2年振り。
2年という時間は、人が変化するには充分な時間だ。
「なんだか太ったんじゃない」
などと言われ、洋服のサイズが合わなくなったお墨付きをもらう。やっぱし!と同時にあーあ。

母は83歳になったのだそうだ。少し湾曲した足。なにげに左右ねじれてきた背中に老いを見る。
話はとめどなく同じ話の繰り返し。「さっき聞いたよ」の言葉も引っ込む。
右から左へ聞き流す。こうなっては、「さっき聞いたよ」の言葉も虚しい。

それでも、ダジャレが大好きな母は、ちょっとダジャレで遊んであげると、俄然張り切ってダジャレを繰り出す。毎日こういう時間があれば脳の訓練にはなるだろう。でも、現実に生活を共にしている人たちにとっては、それぞれ自分の大切な時間があり、くだらないダジャレに付き合っている暇はないのだろう。

何年かに1度訪れてちょっと相手をするだけで、とやかく言うことはできない。

「あたしは幸せだと思う。あいちゃんと比べてもそのちゃんと比べても・・・」

「あたしは幸せ」というのは、母が自分に呪文のように唱えている言葉。姉に言わせると、幸せな人間が口にする言葉ではないと言うけど、その真意は分からない。

「誰かと比べて幸せというのはおかしいな。他人の幸せなんて分からないでしょ。その人が何を幸せと感じて、お母さんが何を幸せと感じているのか。幸せを比べることなんてできないよ」

しばしの沈黙のあと「そうだね。幸せって、こっちはそう思ってもそうじゃないかもしれないね」

これが深夜2時の親子の会話。母はわたしが眠っても眠れず、下に降りてやけ食いをしたらしい。

一夜明けて、わたしは幸せという言葉は聞かないですんだが、同じ話の繰り返しは相変わらず。それでも母が目に見えて衰えている現実に、以前なら飛び出した皮肉も言う気になれない。

あからさまに弱っていく様を目の前にすると、極めて攻撃的な人間だと言われるわたしも、ただひたすら優しい人間になれるのだと知った。

核家族化がすべてを悪くしているというのは、わたしの持論なのだが、精神的にも肉体的にも弱って行く人間の終わりを身近に体験できないというのも、大きな勉強のチャンスを逃していることなのだと思う。

とか言いながら、やっぱ、一人はいいなーなどと伸びをするのも、またもう一つの真実。
いやー、困難なことですな、人生というもんは。



asobist at 21:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月15日

2週間に1度は奴隷です

最近暑さのせいもあって、プールで思い切り泳ぎたい!とか、海水浴に行って波乗りしたり、それに失敗して塩辛い水を飲んでみたいとか思う。

子どもが大きくなって、親と行動をしなくなると同時に海水浴やプール遊びと縁がなくなってしまった。

友人たちに海水浴に行かない?などと誘いをかけても「やーよ」の一言で却下。あー、このまま二度と波と戯れることもなく人生に終わりを告げるのかなあ。

プールで泳ぐのはスポーツジムに行けば簡単にかなうことだけど、あれってつまらないのよね。
わたしがしたいのは、プール遊び、海遊びなのです。

孫でもできれば一緒にというチャンスもあるかなーと期待しているけど、今のところ息子には彼女すらいないようで、相変わらず2週間に1度だけ「洗濯」という短い電話がかかるだけ。
しかも、こっちの都合は無視。彼の指定日にでかけ、山ほどの洗濯物をコインランドリーに運び、何度もアパートから往復し、間に洗面所、お風呂の掃除。冷蔵庫に飲み物やヨーグルトをいっぱい入れて、トイレットペーパーやゴミ袋を買い足し、息子が真夜中に帰宅すると、飛び起きて肩などお揉みする。深夜のスポーツニュースで、母親を球場に呼んで引退試合をした佐々木の報道に「みんな母親を大事にしているんだね」などといやらしい?発言をすると「またつまらないことを言う」と不機嫌に。

息子に言わせると「親が子どもを可愛がればいいんだよ。オレは子どもができたら思い切り可愛がる。いつだって親が子どもを可愛がるを繰り返すのが自然なんだ。動物の世界だってそうだろ」「動物はそうでも人間は違う」「違わない!だってオマエだってやってねーだろ。なに親孝行してんだよ」「うっ!」「なんにもしてないだろ。それでいいんだよ」「でもママはするとかしないとかという環境にないじゃん」

とかとか。子どもなんてアテにならないなどと言われるけど、それでもかなりアテにしているわたし。

「すごくビンボー?」「うん」「死にそうにビンボー?」「うん」ここで息子は期待でいっぱいのオーラを放つ。これが最近の別れ際の会話。わずかなこづかいを渡したり、渡さなかったり(これが重要)、またねと帰る。しかし、もしも息子からこづかいを要求されたら二度とこの会話はないだろう。

甘い親。バカな親。という感想もあるとは思うけど、安月給で死ぬほど働いている姿をみていると、きっとエバれるのは母親にだけなんだろうと思う。どこかでエバリンボのガス抜きをしてあげないとね。
家に帰れば一人天下なんだし、2週間に1度くらい容易いことですよ。



asobist at 10:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月12日

嫉妬ってやっかいな感情

日航ジャンボが墜落して20年。特番でそれを知る。
長いこと生きていると、何もかもついこの間のことのように思えてしまう。

幼い頃、身の回りには戦争の話がゴロゴロしていた。それでも、戦争を知らない身にはピンとこなかった。今、自分が何10年も生きてきて、10年なんてあっという間だと実感し、あの頃の大人たちにとっては、つい最近の出来事だったんだと思えるようになった。

「少年老い易く、学成り難し」って名言だよね。これは漢詩から来ているらしいけど、万国共通なんだろうな。「光陰矢のごとし」もしかり。祖母がぽつりと言った「過ぎてしまえばあっという間よ」もふむふむ。

船に乗って2ヶ月が経ったころ、そう、ちょうど太平洋に入ったころだった。船の乗客約800名が注目する三角関係が表面化した。その主人公たちは、80歳前後の3人だった。「ウッソー!」これがほとんどの人たちの反応だった。籍は入れないものの一緒にくらしている2人と、優雅にスイートで船旅を楽しんでいたご婦人。その発端はガラパゴスへのオプショナルツアーにペアの女性が不参加で他のオプショナルツアーに参加したことだった。ガラパゴスを選んだペアの男性はスイートのご夫人と意気投合し、船に戻ってからも親しく話をするようになった。

不思議その1は、船には若くて美しい女の子がたくさんいたし、ペアの男性はなかなかの社交家で、ダンスなどを教えていて周りには中高年の女性がたくさんいたのに、なぜ80歳を越えているスイートのご婦人が嫉妬の対象になったのだろうか。そのご婦人は美しいおばあさんではあった。でもねえ、杖をついている正真正銘のおばあさんなのですよ。ペアの男性と特別な関係はまったくなかったと思うし、そのご婦人にとっては、なんてことはない知り合いのおじいさんだったと思う。

どういう経緯があったかはしらないが、まったくごはんが喉を通らなくなってしまったペアの女性は(おばあさんは)、一時歩くこともできなくなってしまい、どこからともなく噂がもれてきたのだ。しばらくして、レストランの入口付近で血眼でおじいさんを探すペアのおばあさんがいるようになった。真っ青な顔で必死に見回す姿は痛々しかった。

結局、ペアのおじいさんとおばあさんはタヒチで船を降り、飛行機で帰国したのでした。

スイートのご婦人は、きっと今も自分がその話題の中にいるとは思っていないと思う。嫉妬というやっかいな感情は、時に暴走するんだね。一時はこのおばあさんは死んでしまうのではないかと思ったもの、マジで。

船が地球を一周して晴海に戻った時、ペアのおばあさんが元気に船を迎えていた姿をみて、つくづくよかったねって思いました。おじいさんも大変だったろうな、途中でリタイアして日本に戻るという決断を下すまでは。

人間て不思議な生き物ですね。若い奴らには分からないだろうな。わたしも若いころには絶対に理解不能なことだったと思うよ。今でもちょっとだけしか分からないけど。分かったのは、恋愛に歳などは、どーも関係ないらしいということだけ。けっこう悲しい現実だよね。肉体だけが衰えていくって。

不思議その2がなくてゴメン。もうよっぱらっちなの。

asobist at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月10日

郵政民営化って?

今日は1日中家にいた。といっても畑や買い物には出たのだけど。
家にいるとどうしてもテレビをつける。これは一人暮らしのサガかもしれない。

クイーンのCDを聞きつつ、ママミヤママミヤとかウイアーザチャンピオン!とか簡単なフレーズだけをこれみよがしに歌ってみるが、虚しいことこの上無し。

そのくせ、近所の友人に声さえかけない。こんな日もあったっていいじゃない。

スミコさんを散歩に誘おうかなって一瞬考えたけど、止めた。また郵政民営化の激論になってしまうから。でも、あれって何なの?日本という国は変わりつつある、変わらねばならぬということの線上にある話なんだよね。郵貯や簡保のお金が、安易な国債発行につながったり、特殊法人の無駄遣いになったり。だからあれは民営化して、市場の原理の厳しい掟の元で運用せねばいけないということでしょ。特殊法人に流れるようにしているのは誰?政府なんでしょ。禁止すればいいんじゃない。

それができないから市場のルールで運用すれば、特殊法人にお金が流れなくなるんですよって、自分では子供の躾ができないから、学校でしてくださいというのと似ている。

わたしは民営化に反対しているわけではない。民営化ならそれもいい。でも、それをこなせるだけの力があるんでしょうかね。今の日本に。どこぞの海千山千のマネーゲームのプロの餌食にならなければいいけどねって思うよ。

戦後のベビーブームって日本だけではなくて、世界大戦とはよく言ったもんで、参戦国のほとんどが同時ベビーブームだった。戦後60年、各国の年金マネーは運用して初めて年金の帳じりが合うわけでしょ。そのために企業買収も含めてあらゆる手段が講じられているのだし、禿鷹ファンドなんていうのも、言ってみれば運用している側からみれば必要悪みたいなもんでしょ。

民営化って自己責任がついてまわる。うまくやるにはしたたかに生き馬の目を抜いて、他人を出し抜いて、自分だけは勝ち残ってとあまり日本の文化には合わないような気がする。

でもね、官僚の目にあまるやりたい放題がこの問題を大きくしたんだよね。それとジャイアンみたいなアメリカ。わたしのような人間にはどうなってもあまり変わらない。というより、与えられた社会で生きていくしかない。

今のままだと、一部の人間がウハウハ富を肥やして、政府は国債をバンバン発行して無責任政治で国をだめにする。かといって民営化だとのんびりゆったり生きるなんてできない。どっちがいいんでしょうかねえ。わたしにはわっかりません。一億総ビンボーっていうのも悪くはないけどね。すでにビンボーなんだし。あ、お金持ちの人にはゴメンアソバセ。





asobist at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2005年08月09日

こいつらが犯人です

aebcd7f4.jpg今日も昨日も早朝散歩はパス。3日坊主じゃなくただの一発屋でした。
ちょっとだけ言い訳を言うなら、事務所に出勤という大仕事をするしいー、という甘えが頭の中に渦巻いて体が言うことをきかなかったのです。

昨夜は駅につくと雷雨のあとらしく、大きな水たまりができていました。
これで畑の水やりもさぼれるぞとうれしく思ったもんです。

今朝、畑をしようよの写真を撮りに行くと、発見しました、こんなやつを。
ぜひ、写真をクリックして大きくして見てください。

毎年気がつくとパセリが丸坊主になっているのですが、こいつらが犯人です。
でも、きれいでしょ、この子たち。例年だとハサミで切断するのですが、ちょっと気がとがめたので今年は切断はやめて、ぜひともきれいなチョウチョになっていただくことにしました。

だってきれいなチョウチョに変身するって、わたしの果たせぬ夢だったんですもの。
そ、つまり今となっては手遅れってことかな。

せめて本当のチョウチョにチャンスをあげましょ。

農薬などいっさい撒かない畑は虫たちの天国です。イナゴ、カマキリ、バッタなどやりたい放題。
農協に出荷するわけでもないから、折角の命だしこの世を謳歌してもらいましょ。

asobist at 15:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)