2008年09月

2008年09月29日

寒い!寒すぎる

突然訪れた秋。
寒い!去年はこんなに寒くなかったとか、とにかくなんでも1年前と比較してしまう。
それは恐怖に満ちた日々だったし、もちろんそれは今でも続いているのだが、1年生きられたという実績がちょっと傲慢さを生みだしているかもしれない。
今年が早いのか、去年があまりにも夢中で気がつかなかったのか、今朝、わたしの部屋の前にある大きな木犀が銀木犀だと知った。
子供のころ、いつも父が「銀木犀が咲いたぞ」と一番乗りで見つけたものだった。わたしは銀木犀の木がどこにあるか知らなかったし、興味もなかったのだろう。
でも、今はなーんだという気分である。というのは、以前、家を建て替える前は、父の部屋の前に位置していたに違いないからだ。そして今朝、びっしりと小さなアイボリーの花をつけた様子が手に取るように見えることを知ったのだ。
去年は気がつかなかった。
そんな余裕はなかった。
父はまるで銀木犀が咲くのを見つけるのは、自分だけにできる特別なことのように言っていたし、わたしが勝手にそう思い込んでいたのかもしれないが、今朝は、父の超能力がただの能力と知った記念すべき寒い朝だった。
暑いのは嫌い。でも、寒いのも嫌いだ。数日前はやっと清々しい季節になってよかったよかったと思っていたのに、うまくいかないものだ。
そういえば、わたしは今大流行の朝バナナダイエットに挑戦している。
だって、痩せないんだもん。
あと、ストレッチもしたほうがいいかなとか考え中。


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2008年09月26日

なんてこったい!また太っちまったい

昨日、最新の頭の中をスキャンしに熊谷の関東脳神経外科病院に行ってきた。

特に問題にするような転移はないようである。
もっとも、がんセンター同様造影剤を入れて撮るMRIは混んでいて予約なしにはできないということで、
造影剤を入れないMRI検査なので、小さい転移などはわからないということだが、とりあえず、大きな腫瘍はないのだと分かっただけでずいぶん気が軽くなった。

造影剤を入れての検査の予約も入れて、11月半ばには頭の中の様子はだいたい分かることになる。

MRIの検査室に入ると運よく無人。
そして、そこにはレンズ付きの老人用体重計が!
いつもどおり「ちょっとは痩せたかも」と期待しつつ乗ってみると、レンズに映ったでっかい文字は無情にも増えてる!

なぜだー!なぜなんだー!あたしはがんだぞー!
ちぇ!つまんねぇの。

実は、実家にくるときに旅行鞄に詰め込んだ服には、
痩せるというのが前提で伸びないデニムのパンツなどもあるのに、
いつまでたっても着ることができない。

それにしても、どうして太ってしまうのだ。
やはり、1日中ぐーたら寝っ転がっているのが、肥満の元ですかね。

心のどこかには、今や延命路線に変更した自分としては、痩せることイコールヤバイかもというのもあって、複雑な気分であるが、ちょっとだけ痩せているのもうれしいのにと思っている。しかし、この期に及んで、痩せるなどという野望を持つこと自体変なことかもしれない。

だって、体力温存には多少のでぶは仕方のないことだと諭されているしね。
でも、ほんとにちょっとだけでもきれいになりたいは女子の本音ですもん。


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2008年09月24日

ゲームはやっぱり面白い

今日は絵にかいたような秋晴れ。

お彼岸は姉、叔母、姪などが訪ねてきてくれて楽しかった。
「わー、元気じゃない。ちっとも痩せないね」
「ぜんぜん病人には見えない」などなど。
素直に喜べばいいのだとそう決めた。

確かに痩せない。
ここへきても痩せないとなると、おでぶのまま三途の川を渡らなければいけないのかと思う。
もしも関所みたいなところがあって、何が原因で川を渡る羽目になったのかと尋ねられたら嘘をつきそうな気がする。

らしくないがん患者。
ま、いいか。
らしさなんて面倒なこととは無縁で生きてきたのだから、最後まで規格外でいいや。

明日は熊谷の病院でサイバーナイフの治療後のMRI検査をしてこようと思っている。
小さくなっていますようにと祈らずにいられない。

今日のような青空を見上げると、山や海がきれいだろうなと旅ごころをくすぐられるが、実際の日常は、怠け者の本領発揮でPCを開くとすぐにゲーム。

今はVistaに入っていたスパイダソリティアに熱中していて、16日に出した新記録を塗り替えるべく、ほぼ1日中やっている。

もともとゲーム大好きおばさんなので、PSPもやっていたが、絵が小さくて肩が凝るので、今ではパソコンゲームばかりやっている。
ま、多少は脳トレになればなどと言い訳しているが、実際は、転移を促進しているかもと思うことがなきにしもあらずだ。
読書も適当にしているし、なにより新聞を隅から隅まで読んでいる。
最近はサプライズが多いから、新聞が一番面白いかもしれない。
リーマンブラザースの破綻もびっくりしたけど、その後の野村証券や三菱東京UFJの動きにも注目している。
そんなことして大丈夫?って老婆心満タン。
あんまり面白い展開になると本当に命が惜しい。


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2008年09月19日

美味しいご飯でさんまの塩焼き

さんまが大漁とか。
朝日新聞にさんまの塩焼きが載った日、弟の嫁さんが
「ウチもさんまにしよう!」とか言って買いに走った。

しばらくして帰ってくると「あー、みんな考えることは同じだー。売り切れだったー」
と無念さを漂わせて言った。「で、何にしたの」
「さんまにするよ。一軒じゃあきらめない。パパ、車だして」
結局どこのスーパーに行ってもさんまには会えなかったようで、サバで我慢した。

新聞の記事はフライパンでも美味しく焼けるさんまの記事で、
写真が食欲をそそる焼け具合、確かにわたしも読んでしまった。
わたしが主婦現役のころはクッキングシートなど使いこなしたことはなく、マンションのように気密性の高い住まいにさんまの煙がこもるのを嫌う人は多いのかもしれない。
わたしは個人的にはさんまの煙やにおいは嫌いじゃない。グリルで焼けば煙もでないし、いい匂いで季節を感じる。
食欲の秋って食欲が出てしまう旬の食材がいっぱいの秋なんだとこの歳になって初めて気がついた。
お米も美味しいはずなのに、あの農薬の騒ぎは安いものには訳があると教えてくれたような気がする。
以前、チラシ広告に「蔵出し米」とあり、値段も安かったので買ったことがある。
蔵出しという言葉に新鮮さを感じてしまったのだ。
ところが、こんなまずいお米は食べたことがないというほどだった。
結局全部は食べずに捨ててしまったが、今回の三笠フーズの事件をみていると、
昔は、米穀通帳などが発行されて、お米は管理されていた主食だったのに、
今は、自己管理の下で農薬からも身を守らなければいけないのだ。
昔の制度がどういうものであったかは知らないので、
制度そのものをどうこういうつもりはまったくないけど、
無理に事故米を輸入しなければいけないということもなかったし、
新米の季節には新米を安心して美味しく食することができた。

今ではお米屋さんでお米を買う(第一米屋がない!)ことができないし、
昔ならあった「この間のお米美味しかったよ。どこのお米?」
などという会話もまったくない。
スーパーで買えるのは便利でいいが、配達してくれる米屋が残っていてもいいと思う。
やはり、最後にこだわる食べ物はご飯なのかな、わたしの場合。
おいしいご飯でさんまの塩焼き。いいですねー。


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2008年09月18日

メールのタイトルにご用心

最近携帯のメールに出会い系?の変なメールが入る。
気持ちが悪いので、
ダウンロードせずにせっせと削除しているが、
どうやら友人や、親戚からのメールも削除しているらしく、
姉や叔母から実家に電話がかかってきたりしている。

やはり、メールに返事がないと、最悪の事態を連想してしまうらしい。

姉は「身体の具合はどう?というタイトルで出したけど」というので、
「それってエロメールっぽいでしょ、だから即削除」とわたし。
「そうかなぁ」と姉。
感じ方はそれぞれだが、
今後のために、タイトルは名前でという協定を結んで一件落着。

叔母にも出会い系のメールと間違えて削除してしまったというと、
「わ!面白そう。あたしのところはきたことないよ」とか。

おそらく、無差別に送っているメールだと思うが、
わたしは迷惑なのよね、ホントに。
肺がん患って、命拾って生きている人間は、
出会い系なんてばっかじゃないの!て思うのよ。

あんなメールを歓迎する人はいないと思うから、絶対に止めて欲しいです。
急にかしこまってしまったが、お願いですから、一応。

最近の体調は悪くはなく、効かないといわれているイレッサを飲み続けているが、
痛みもなく、普通に過ごせていることに感謝すべきところだが、
命が思った以上に長持ちすると欲もでてくるものnなのだ。

そこで、このブログにもいつのまにか載っている免疫療法とかいろんな情報が目に飛び込んできたりするわけで、
主治医を信じるしかないと思いつつ、何かあるかもと思ったりもする。
しかし、食道がんで亡くなった父の闘病と比べると、天国だ。
少しでも長生きしている間に特効薬ができることを祈らずにはいられない。


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2008年09月16日

まだ、時間はあるさ

ステージ犬濃呂泙辰燭んとの闘いも1年が過ぎて、何の変化もなく、痛くもなくというのは傑作といえるかもしれない。

いつ、覚悟の時が来るのだろうと、そればかりを考えていたが、この頃、きっとくるのだろうが、来ないかもしれないと思うようになってきた。

来ても来なくてもどっちでもいいやとも思っている。

子どものころは死ぬ前にはあれをやって、これをやって、
これだけはあいつに言ってやるとか予定がいっぱいつまっていたような気がするが、いざ、そういうときを向えると何もない。

そんなエネルギーは残っていないし、そんな強い執着もない。

まだ行ってない国、食べてないものなど未体験なことは山ほどあるが、そこそこいい時代に生まれてきてよかったと思っている。

是非やっておきたかったことでやれなかったことの一つにダイビングがある。

姪や従妹もやっていて、その気になればできたものなのに、やらないまま人生の終末を向かえてしまった。

無念である。

竜宮城のような海底と海水と太陽の光が作り出すアートを楽しみたかった。

自然が作り出す芸術は圧倒的なパワー!そういえば、もう1度だけ船で地球を周りたいというのが、わたしの最後のお願いだった。

しかし、106日間というのはさすがに自信がなく、もう行けないと諦めている。
ならば、オーストラリアだけでもとか、カナリア諸島のクルージングなどの広告が新聞を開くたびに目に飛び込んでくる。
カナリア諸島のクルージングにはかなり心ひかれている。
カナリア諸島はかつてピースボートで一周したときに寄っているし、ジブラルタル海峡をたくさんのイルカとともに通過した楽しい思い出がある。
右にヨーロッパ左にアフリカ大陸。それが同時に見えるほど近い距離だったと記憶している。
旅は楽しい。
異文化は楽しい。
元気なうちにいろいろな文化に触れたかった。
いや、まだ時間はあるさ。きっとね。


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2008年09月12日

勉強は自分のためにするものって今なら理解できるけどね

昨日秋らしいと書いたのに、この暑さは何?という暑さだ。

病人にはきつい暑さ!である。

でも、空の高さはやはり秋。
そろそろ、八百屋の店先には栗が並び、運動会には必ず持っていった緑のみかんもでてくるころだ。
最近はみかんはスーパーに行けば1年中あるけど、やはり季節季節で、食べるのが自然というものだ。
わたしは、この運動会の季節は憂鬱だった。
駆け足も遅いし、まだ、今日のように暑さが残っている日中に運動会の練習なんて勘弁してよと思っていた。

子供の頃から集団行動は苦手。
授業中も、よくチョークをぶつけられたりしていた。
誰にって?それはもちろん教師に
。今から思うと、実にコントロールのいい先生だった。
ビシっとおしゃべりしている生徒に当てるのは難しいだろうにと思う。
おそらく、いい生徒ではなかったに違いない。

この歳になってみると、もっと勉強しとけばよかったななどと思ったりもするが、子供のころはどうやって親の目をかわして勉強をサボれるかと、そればかり考えていた。
勉強は自分のためにするものだと、学校でもどこでもかなり何度も聞いた記憶がある。
まさに、そのとおりなのだが、勉強なんかしたくない子どもにとって、それほど抽象的な言い回しはないと思う。
子どものころ、もっと解りやすく具体的に導いてくれていたなら、どんなに立派な大人になっていたことかと、ためいきがでてしまう。


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2008年09月11日

たくましいがん患者になりたい

すっかり秋らしい風と太陽になった。
風は涼しく爽やかで、太陽は刺すような強烈な光を放つ。

実家の2階の部屋の前に伸びすぎた木犀が今にもあの独特の匂いを放つ準備をしているようだ。

自宅の垣根も木犀で囲まれていた。
あまりにもの数の木星に、この季節になるとくらくらするような気分だった。
またこの季節が体験でき、この匂いに包まれるのはめでたいことである。

散歩に行きたい。そう思う。
旅行に行きたい。そう思う。
ベッドに寝ているだけでは、散歩に行くだけの体力はつきそうになさそう。
少しずつ、少しずつ歩くようにして、距離を延ばして様子をみながら、
命と相談しながら、たくましいがん患者になろうではないか。


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2008年09月10日

名前を呼ばれて、あーご飯だと思うのは元気だからだよ

昨日、築地の外来に行ってきた。名前を呼ばれ診察室に入る。

「どうですか」
「すっごく元気!ということはないか…、がんですもんね」
「あはは、それはよかった」
「イレッサ効いてます?」
「効いてないみたいね」
「そんなことはないでしょ」と粘ってみたが、
専門家である医師が効いてないというのであれば、
効いていないのだろう、がっかりである。
でも、大江先生に見放されるといけないので、
素直に「そうなんだー」とがっかりしてみせる。嘘も方便て言うじゃないですか。
「効いてるというのは、こんなに残ってなくて、もっときれいになってしまうんですよ」
これは悪い知らせだなと思った。
「イレッサを続けますか」
「先生が決めてください」
「じゃ、やめましょう。効いてないんだから」
えっ!止める?そんなことできない!のであれば最初から続けますと言えばいいのに。
がんの治療を止めるというのは命綱を手放すように怖い。
夕方、息子から電話。効いていない話をする。
「で、増えてはいないのね。なら、効いていないということでもないかもしれないよね。イレッサはどうすることに決めたの?」
「イレッサは続けることにした。だって次の外来が3週間後だから…」
3週間というのは長い空白のような気がしたのである。サイバーナイフの効果も診てもらわなくてはいけない。次の外来までに、熊谷まで行ってこなければいけないだろう。

ただ一つ言えることは、自分の身体は自分が一番分かるのだと思う。
気分の悪さや痛みなど、本人にしか分からないことなのだから。
「自分の身体は自分で守る」と看護師さんに言ったら「そのとおり!」と賛同されてしまった。
今のところわたしは自分ではとても病気とは思えないほど元気だと思っている。

痛いところは一つもなく、不自由なところは疲れやすいかもしれない程度。
今朝は、先生に外来で呼ばれるように名前を呼ばれて、なぜか、「あー、ご飯だ」と思って目が覚めた。
まだまだ、生きる意欲満々なのかもしれない。




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2008年09月03日

わたしは負け組

来週のCTの結果でイレッサの治療を継続するか、他の治療に切り替えるかを決めるのだそうだ。
レントゲンの写真だけでは劇的な効果というのは感じられない。
やはり、喫煙者だったからかしら。

イレッサはわたしの場合副作用も少なく、痛くもなく、このまま続けられたらうれしい抗がん剤ではある。
でも、確かにさほどの効果も見られないのに続ける意味はないかもしれない。
となると、また点滴で抗がん剤の治療ということになるわけで、まだまだ続くぬかるみぞである。
今日の青空のようになんとなく嘘っぽい空は嫌いじゃない。
なにを唐突に!と思うが、最近感性が細切れになってきていて、自分でもまとまりのない脳みそに辟易している。
自分が今何をしなければいけないのか、たとえばそれがみつかったとして、それをやりとげるだけの体力がないというのは、現実だ。

たとえば、自宅に戻って腕組をして逃げた亭主を迎え入れ、「いったい何を考えとるんじゃ!」とあれもこれも聞いてみたいものである。
ただ一言で言えば「非常識」これにつきるのだが、人間として恥ずかしいという気持ちはないのか聞いてみたい。
論より証拠聞く必要もなしか。
家庭を持つのも嫌がった男だが、子供もいるのに家庭を突然放り出して、ホッタラカスこと7年。
子供にはメールで連絡をしてくるが、いったい何を目的に?しかも、わたしには音沙汰なし。
息子に言わせれば「あいつすっごく憎んでいるから」とのこと。へー、わたしは何とも思っていないよ。
曲った根性叩きなおしてやるというくらいのイライラ感はあるけど、特に憎むという感情はない。
7年間の間、携帯の番号を知っているにもかかわらずわたしから連絡することなど一度もなかったし、おそらく、それを恨んでいるのだろう。
30年も一緒にいたから、どこでどういう反応をするのかはだいたい分かってしまう。

病気になるとあらゆることを相談できる伴侶がいたら心強いと思うし、入院時に旦那さんに付き添われて入院してくる奥さんは幸せそうに見える。だいたい、意識がなくなってからは手を握り励ましている夫婦が多いが、それは、素直に美しい光景に見えた。
そしてしみじみ、わたしって負け組だぁと思ったのだ。


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