2008年11月

2008年11月28日

まだまだ食べたいものがあるんですよー

う、う、寒い。

一昨日の築地の外来は暖かく、またまた腫瘍マーカーの数値もよくて、肺がんという悪い状態の中でもいい1年がもうじき終わりそうだと思っている。

一年というのは長くて短くて、その短いほうの1年を重ねて、あっというまに62歳。
10年前なんてついこの間のことだったから、10年先なんてもっとすぐに経ってしまうだろう。70歳も目前です。
人間は、どこで自分は年寄だと納得するのだろう。
わたしは、肺がんになっても、還暦を2年も上回っても、自分を年寄りだとは思っていない。確かに体力にはあまり自信がない。しかし、それは肺がんという大病をわずらっているわけだから、仕方のないこと。年をとったから疲れやすいのかもしれないという現実を認識することができずにいる。
わたしは、自分の人生でやりたいことは先にやってしまうという前倒し方式で生きてきた。それに関してはまったく後悔はしていない。本当にたくさんの異文化を見てきたし、大自然もみたし…。
この期に及んでなんだけどという感じではあるが、ここのところ、おとりよせにはまっている。これは食欲のある証拠だ。
今は、かにと甘エビ。どこにもでかけずに買い物ができるなんて、病人にはありがたい。
しかも、毛ガニやたらばをたらふく食べられるなんて!
わたしは昔から自分の好きな食べ物を死ぬほど食べたい!という願望を持っていた。
ようするに、食いしん坊なのだ。

一昨日も、obachanが外来に来てくれて、後はいつものとおりのコース。お寿司、薬屋、タクシーで新橋駅だ。
お寿司屋に行くとすぐに「あれ、今日は二人?息子さんは」と聞かれた。Obachanが焼きサバを注文すると好きだね焼きサバ。だって。覚えているんですねー。
お寿司はいつ食べても美味しいからいいんです。わたしが今、末期を生きているのだとしたら、やはり、美味しいと言われているものは、食べつくしてからあの世にいきます。
だから、まだまだ、行けない。食べきれてないもん


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2008年11月21日

おやおや、親が反面教師ですか

いよいよ冬が来た。青い空、輝く太陽。寒くなければ嫌いではない。
でも、木枯らしが吹きぬける大通りにいるときなどは、思わず春を待ち焦がれてしまう。
秋の空とも共通しているかもしれないが、冬の真っ青な空に映える柿の木。
軒下につるされた干し柿。懐かしい情景だ。

今日、息子は父親の病状説明を受けるために、病院に行った。
仕事が忙しくてたまらないと言っているのに、本当に申し訳ないと思う。
逃げた亭主は、やっと、入院に応じたようだ。
本当に最初から最後まで迷惑な男だった。

物事はつまらない抵抗や思い込みを持つと、すべてがややこしくなるということが間々あるが、逃げた亭主はこのつまらない抵抗をする人間で、以前は、トラブルの尻拭いは女房であるわたしであり、今は、愛人と、息子が巻き込まれているようだ。
人の生き死には、法律で決められた家族でなければいけないこともあるようで、すべてを愛人にお任せというわけにはいかないようである。
息子に病院から直接電話があり、今日10時という約束になったらしい。
「行くことはないわよそんなの」と鬼のような意見のわたしに「行かない方が理由を説明したりよっぽど面倒くさい。あと1か月くらいらしいから、顔も見てくるよ」
そうか、わたしもかなり流れに逆らう性質だから、あの、チョー大変人と30数年一緒に生きてこられたのかと思い至った次第。
息子はどうやら流れには逆らわない主義のようで、淡々と事を進めるしかないでしょと思っているようである。
ただ、「母親ががんで末期というのにまた父親まで末期がんと聞くと気の毒がる人がいるんだよな。それがやだね。だってもう30歳だし、きっと両親死んじゃったって人もたくさんいると思うし、同情されるようなことだとは思わない」

パチパチパチ。えらい!そうだよね、昔は戦争に行って闘っていたくらいだもんね。
あ、ちょっと外しちゃったかしらん。
すっかり大人になってくれました。これも、反面教師のおかげですかな。



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2008年11月19日

ランチデート

昨日は姉とランチデートをした。
最近、動いても息切れすることもなく誘い出されればひょいひょい気軽に出かけていく。
それだけ元気になった証拠なのだろう。
デートしたのは次姉(こんな言葉あったっけ)。
長女ではなく次女。
わたしが三女だからすぐ上の真面目で固―い家裁の調停の仕事をしていた姉である。
運転免許をとるために自動車学校に行けば、「そんなに直角に曲がろうとしなくてもいい」と教官に注意されてしまうほどきっちりしていないと気がすまない性格。
お花(華道)のお稽古に行く道すがら、近所のおばさんに「どこにおでかけ?」と声をかけられて、「おならのおけいこ」と答えてしまったと、家に飛び込んできたことがあった。
「あーもうだめだ」とがっくりきていたが、それを聞いたわたしも、もうだめだろうなと思っていた記憶がある。
何がどう駄目なのか、今になって思えばくだらない話だが、年頃の娘にとっては、立派にもうだめな事件だった。
年齢も2歳しか変わらず、多少個性に違いはあるものの、同じ時代を姉妹として生きてきたわけで、思い出話も記憶の濃さが似ている分面白い。
昨日は、何を食べようかという話になり、脂っこいものは嫌と姉が言い、わたしもそれに同意。
じゃ、ラーメンでも食べようかと小奇麗なラーメン屋に(こういうラーメン屋で美味い店はないが)入り、何も考えずに「ラーメン二つとビール生中ジョッキ」と注文。
これって、すごく変な組み合わせというのに気がついたのは、ビールで乾杯している最中に、
「あ、早すぎちゃったかな」とウエイトレスがラーメンを運んできた。
これは早い遅いの問題ではなく、注文ミスだなーと反省。
「さ、ラーメン食べながらビールでも飲むか」と苦笑いのランチであった。



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2008年11月17日

秋眠暁を覚えず

最近、すこぶる元気なような気がする。
適度に食欲もあり、歩いても息切れもせず、これで、身体の中に爆弾のような病気を抱えているなんて信じられない思いである。
肺がんの宣告を受け、とにかく怖かった。というのが本音だ。
どうせ死んじゃう。
きっと死んじゃう。
と思っていたが、いつになってもその時が訪れない。

1年3か月が過ぎて、もしかしたらこのまま元気かもしれないなどと思いはじめたりもしている。
どこも痛くなくて、というのは風邪ひきよりも楽なのだ。
以前は、疲れてくると、このままぶっ倒れてしまうかもと思う瞬間があった。
最近はそういうことがなくなった。
しかし、今日午前中、爆睡して起きたら、歯茎がかばかばに乾いていた。
思わず鏡に向かい上の歯茎を渇くほどに露出してみると、そこには無残な顔が!
なぜ、こんな顔で眠っていたのだろう。
上の歯茎が乾いてしまうなんて生まれて初めてのできごとである。
だいたいが、鼻の下は遺伝的に短くはなく、結果、歯茎が露出する構造ではない。
ただ、歯を喰いしばって何かをしていたような夢を見たかもしれないと、鏡の中の顔を見て可笑しくなってしまった。

どんより雲の、ぱっとしない天気だが、こういう日は何をしたら気が晴れるのかな。
面白い本を読む。
美味しいものを食べる。
音楽を聴く。
映画を観る。
いろいろあるけど、やっぱり、眠ろうっと。
こういう天気の日はうつらうつらが最高です。
これって、もう人生終わってますかねえ。ホント。


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2008年11月14日

たまにはうれしいこともあるんですよ

昨日、朝早く熊谷に向って電車に乗った。
MRIの検査の予約日だったからだ。
肺の方はかなりいい感じの数値である。
しかし、今まで、MRIを撮ると脳への新しい転移が見つかったりして、喜びもつかの間ということがあったので油断はできない。
JRのグリーン車の2階から、かつて通いなれたはずのすっかり変わってしまった景色をぼうっと眺めながら、
林が減っている。こんな田舎にマンションが建っている。
など、どうでもいいことを考えていた。
奥武蔵の山並とそれに続く秩父の山並。
目を南に転じると雪を抱いた富士山が美しい姿でひと際堂々とそこにあった。
朝早いからこそ見られる景色。
今日はいいことがあるかもしれない。などなんの根拠もなしに思う。
MRIの検査も無事に終わり、経過は順調であり、新しい転移もなく、サイバーナイフで治療したところは小さくなっていた。
ばんざーい!なのだ。
やはり、美しい富士山を見るといいことが起きるのかもしれないぞ。
なーんちゃって。
いいことは、富士山を見たから起きたのではなく、治療をしたから起きたのであって、これからもしっかり病気と対峙して治療を進めていくことが肝心なのだ。
先日、筑紫哲也氏の特番を見た。
同じ肺がんでもあり、同じ病気にかかっている人の死は常に気にかかる。
どんな経過を辿ったのだろうか。どんな最後だったのだろうか。など。
筑紫さんは番組の中で何度も小細胞がんという最も質の悪いがんで、叩いてもたたいても、小さながん細胞が転移してしまうと嘆いていた。
最初にがんを告知されたときよりも繰り返される転移の方がショックであったとも。
その気持ちはとてもよく理解できる。

わたしのがんは非小細胞がんで、筑紫さんのがんと少し違うものだが、少しは治療に希望が持てるがんであるようだ。
ただし、すでにかなり転移していることもあるので、とにかく油断禁物で行くつもり。



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2008年11月09日

事実は小説より奇なり?

昨日、息子が遊びにきてくれた。
遊びにきたというのは正確ではない。
報告にきたというのが正しいかもしれない。
数週間前、息子に逃げた亭主(息子の父親)からメールがきて、
「どうも、あいつも具合が悪くて検査しているらしいよ」と息子から電話があった。
「そんなわけないと思うよ、だってスミコさんが元気そうよって言っていたし」というと、「よく分かんないな」ということだった。
どうせ甘ったれているのだから相手にしない方がいいとアドバイス。
ところが、自宅の草むしりに行って発見した水道の異常などを元に戻すように伝言してと息子に頼んだところ、どうやら連絡を取り合って判明したのが、逃げた亭主は末期の肝臓がんで手のほどこしようがないのだそうだ。
しかも、民間療法のようなものをしていて病院にも入院していないらしいから、息子が電話で話した限りではそう長くもなさそうだから会ってくるという。
息子にしてみれば、家を出たきりどこでどういう暮らしをしているのか一切を語らない父親の現在の暮らしが気になって、すべてを教えろと迫ったようだ。

結局、逃げた亭主はスッタモンダの元になった女性と暮らしていて、病気はよくないものの、入院はしていないので、自由があり、それなりに満足しているのかもしれない。
まあ、がんまでお付き合いいただかなくてもいいのにとも思ったが、面倒をみてくれている女性がいてくれて有難いかなと思う。
息子はしきりにそれを言っていた。
ちょっと複雑な気分でもあるが、世の中には物好きな人もいるものだと思う。
「たぶん、別れるタイミングがなくて腐れ縁でこういうことになっちゃったんだと思うよ」
話ができないような相手じゃなくてよかった。とも。
自宅に帰ると、亭主の恨みつらみがひしひしと伝わってくるような片づけ方をしてあって、わたしを恨んでいるんだなというのは知っていた。
息子も「あいつはすっごくお前を恨んでいるから」とわたしに言っていたが、なぜわたしが恨まれるのか分からない。

愛人を作ったのはわたしではないし…。
ただ、逃げた亭主を探したことも、愛人と対決したこともない。
これがいけないんですかねぇ。
もはや、わたしには亭主に対して激しい感情がないので、あまりにも嫌われると、当惑するばかりである。
愛憎と言うが、憎悪と愛情は表裏一体、まるで愛の告白をされているようで気持が悪い。

「おまえたち本当に分かりやすいよな。たばこ吸いすぎて肺がんになったのと酒飲みすぎて肝臓がんになったのと」と息子。
まったく!でやんす。ごめんね、こんな親で。


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2008年11月05日

怒ったり、感謝したり、忙しいですよ

11月連休は自宅の庭の草むしり(といっても、わたしがやったわけではなく、やったのは弟の嫁さん。すっかりお世話になっております)と、翌日は姉のお見舞い。ビールで乾杯だった。
飲兵衛は遺伝だから仕方がないとしても、携帯メールでビールの絵文字が並んでいると、やはり病気であろうと、なんであろうとビールで乾杯は外せない。

自宅の庭には5個もクモの巣が張っていたし、草ぼうぼうで確かに管理が行き届いているとはいえない。空き家を維持していくというのがこんなに大変だとは思わなかった。

この家の掃除に来ていたのに中途半端な管理しかできない逃げた亭主が、まだ時々来て、よけいなことをして帰る。

最近まではあったのに、布団も捨てられてしまったし、水道の蛇口も外してあって、いったい何を考えているのだろう。
何も考えていないからこういう馬鹿なことができるのだと思うが、わたしの理解の範囲を超えているから、対処できない。

これって嫌がらせ?

息子にとっては父と母だからと思って、わたしも遠慮していたけど、ぐちぐち嫌がらせが続くようなら出るところに出て決着つけてあげるぞ!
郵便物の管理だけしていればいいのによけいなことをするんじゃねーよ!

いろいろあっても、最近は体調にも変化はなく、かといって、治癒するとは思っていないけど、そこそこがん細胞と共存していければいいのかなと考えている。
それでも、世の中のがん患者は闘病の果てに、命尽きていくわけで、そのときは寿命なのだと諦めるしかないかと思うようになってきた。

62歳といえばそれほど早死にということでもないし、やりたいことはやったし、それほど心残りはない。
毎日、ベッドに寝転んで本を読んだり、ラジオを聴いたり、パソコンでゲームをしたりの生活も気に入っている。
これもそういう生活をさせてくれている人たちがいるからだ。
感謝、感謝である。


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