September 10, 2016

宕陰(とういん)

京都市右京区の宕陰(とういん)地区。愛宕山の北西に位置するところで、棚田が有名。田んぼの中の道をのんびり歩くだけで、エネルギーが充填される。南丹市の八木のあたりから国道477号線を使ってみたのだが、狭くて曲がりくねった山道を進むことに。後で調べたところ、もっと北寄りに楽なルートがあったみたいです。

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September 08, 2016

重複する議決権行使の扱い

会社法施行規則63条4号ロは、書面による議決権行使と電磁的方法による議決権行使とが重複して行われ、その内容が異なる場合の取扱いに関する事項を、株主総会の招集に際して定めることができるものとする。立案担当者は、この場合の「取扱い」のやり方について特に制限はなく、(1)書面・電子のいずれかを優先する方法、(2)時間を優先する方法、(3)すべてを無効とする方法、(4)当該事項について賛否の記載がないものとする方法(この場合には、賛否の記載がない場合の取扱いに従って処理される)の、いずれをとってもよいとする(相澤哲編著『立案担当者による新会社法関係法務省令の解説』別冊商事法務300号(2006年)9頁[相澤哲=郡谷大輔])。

書面による議決権行使を認めることが強制される会社(会社298条2項)について(3)の「いずれも無効」という取扱いを許容することには問題があるようにも思えるが、(3)の取扱いでもよいという立案担当者は、会社法298条2項の趣旨が、書面による議決権行使の「機会」を認めれば、それで達成されると考えるのだろう。そうだとしても、重複しているとはいえ、現実に株主が書面・電磁的方法で議決権を行使しているのに、それをなかったことにしてしまう(3)の扱いには、問題が大きい。

また、会社としては、(1)(2)の取扱いが認められればそれで十分なはずで、あえて(3)(4)の取扱いをする必要もないだろう。実際、一般に(1)(また、これに加えて(2))の取扱い(書面より電磁的方法を優先、電磁的方法が重複すれば遅い方を優先)がされている(東京証券代行株式会社編『詳解株式実務ガイドブック』(中央経済社、2015年)274頁参照)。岩原紳作編『会社法コンメンタール7』(商事法務、2013年)76頁[青竹正一]でも、(1)(2)の取扱いだけを念頭に置いた記述がされている。

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September 07, 2016

再決議と第一の決議の取消の訴えの利益

昭和62年3月30日のブリヂストンの第68回定時株主総会で行われた取締役・監査役への退職慰労金贈呈決議(以下では「第一の決議」という)について、東京地判昭和63年1月28日判時1263号3頁は、説明義務違反を理由に決議を取り消した(退職慰労金は、同決議の翌日に、取締役・監査役にすでに支給されている)。

ブリヂストンは控訴し、さらに、昭和63年3月30日の第69回定時株主総会で、(前回と異なり贈呈すべき退職慰労金の総額を明示した上で)前回と同じ取締役・監査役に同じ退職慰労金を贈呈する旨を、「第一の決議の取消しが万一確定した場合に、遡つて効力を生じるものとする」という条件付きで、決議した(以下では「第二の決議」という)。第二の決議については取消しの訴え等は提起されず、第二の決議はそのまま確定した。

東京高判昭和63年12月14日判時1297号126頁は、次のように述べて、第二の決議についての取消の訴えは訴えの利益を欠くことになるとして、訴えを却下した。

第一の決議につきその取消し、無効等の事由がなく、これが有効であるとされる場合はもちろん、仮に同決議につき被控訴人らの主張するとおりの取消し事由があって、これが取り消される場合であっても、右のとおり第二の決議が有効に成立している以上、・・・[ブリヂストンが行った]退職慰労金・・・の支給は、その支給対象者についても、その金額についても、更にその支給時期についても、すべて有効に行われたものとして処理され、も早、控訴人において、これを取消したり、変更したりする旨の決議をすることはできず(従って、そのような決議をするための取締役の説明義務等を問題にする余地もない。)、また、・・・右支給金の全部又は一部の返還等を求めることも許されないのである。従って、右のとおり第二の決議が有効に成立している以上、仮に第一の決議に取消し事由があると判断してこれを取り消してみたとしても、控訴人会社の現在の法律関係ないし財産状態には何らの変動をも生ぜしめるものではなく、被控訴人らを含む同会社の株主等の利害にも何らの影響をも及ぼすものではないのであるから、も早、控訴人にとっても、被控訴人らにとっても、第一の決議の効力を争うことは無用、無益になったものというべきである。因みに、本件第二の決議は、第一の決議自体を有効として追認する旨の決議とは形式的には異なるけれども、第一の決議の効力を争うことを無用、無益にするというその法的効果の実質においては、両者は共通しているということができる。・・・そうすると、右のとおり第二の決議が有効に成立している現在においては、第一の決議の取消しを求める本件請求の当否自体についての審理、裁判をする法的な利益はなくなったものというべきであり、被控訴人らによる本件訴えの利益は消滅するに至ったものといわざるを得ない。

そして、最判平成4年10月29日民集46巻7号2580頁も、次のように述べて、控訴審の結論を支持した。

本件においては、仮に第一の決議に取消事由があるとしてこれを取消したとしても、その判決の確定により、第二の決議が第一の決議に代わってその効力を生ずることになるのであるから、第一の決議の取消しを求める実益はなく、記録を検討しても、他に本件訴えにつき訴えの利益を肯定すべき特別の事情があるものとは認められない。論旨はまた、取締役等に対する過料の制裁を求める上で第一の決議の取消しを求める必要があることを理由に本件訴えにつき訴えの利益があるとも主張するが、右の制裁を求める上で第一の決議の取消しは法律上必要でなく、単なる立証上の便宜を図る必要性をもって訴えの利益があるものとすることはできない。

この問題は、私にとっては、「いろいろ考えて行くと結局そうなるのだろうが、何だかモヤモヤするものが残る」という問題の一つだ。

たとえば、中島弘雅「株主総会の再決議と訴えの利益−ブリヂストン事件高裁判決の検討−」商事法務1180号(1989年)2頁は、次のように述べる(引用中の「本判決」というのは、控訴審判決のこと。[A][B]という記号は私が勝手に付けたもの)。

[A]
本件のような退職慰労金支給決議の場合には、株主総会が・・・第二決議・・・の効力発生時を・・・第一決議・・・の時まで遡求させたとしても、それにより法律関係に別段変動が生じるわけでもないし、また、特に誰かが不利益を被るということも考えられないので、新決議に遡及効を付与すること自体は是認されよう。そうすると、仮に第一決議を取り消したところで、それと同一内容の第二決議が第一決議に代わって直ちに効力を生じることになるから、いずれにせよ第一決議を取り消す実益はないということになる。・・・わが国の最高裁判例・通説は、・・・訴訟係属後の事情の変化により今更決議を取り消してみても実益がないと解される場合には、訴えの利益はなくなると解しているので、そうした最高裁判例・通説の立場からは、本判決の結論は当然是認されよう。

[B]
なるほど、第二決議が有効に成立したからといって、第一決議において株主が必要な説明を受けなかったという事実が消えるわけではない。しかし、決議が違法かどうかという問題は、決議に付着した瑕疵をどう評価するかという法的評価の問題であるから、後に遡及効ある第二決議が有効・適法に成立した以上、それにより第一決議に付着していた違法性が除去されるとの解釈も十分成り立つ余地がある・・・。そのように考えると、本判決の結論は、・・・決議取消訴訟の訴えの利益を会社経営の違法是正(適法性確保)についての利益と理解する近時の学説の立場に立っても、これを支持することができるように思われる。

しかし、[A]についていえば、「第二決議に遡求効を認めても法律関係に別段変動が生じない」とは、どういうことなのだろうか。仮に第二決議に遡及効が認められないという立場に立てば、第一決議の取消判決が確定した場合、昭和62年3月31日から、第二決議の効力が認められる時点(早くとも昭和63年3月30日)までの間、退職した取締役・監査役は、退職慰労金として支給されたものを、法律上の理由なく保持していたことになりそうだ。遡求効が認められるというのであれば、その理由は、もっときちんと説明しなければならない。また、[B]についていえば、第二決議が第一決議の追認決議なのではなく再決議だと捉える(中島論文もそう捉えているはず。同論文7頁)のなら、そのような再決議によって、第一決議の説明義務違反という違法性が除去(瑕疵が治癒)されると考えることはできないのではないか。

[B]についてのこういった指摘は、最判平成4年10月29日についての調査官解説でされている。大内俊身「判解」『最高裁判所判例解説民事篇(平成4年度)』443頁は、次のように述べる。

・・・本件第二の決議はいわゆる追認の決議ではないから、第二の決議により第一の決議の瑕疵(説明義務違反)が治癒されたということはできないであろう。しかし、退職慰労金の贈呈という会社の行為それ自体については、第二の決議が有効に成立し、確定したことにより、適法性が確保されたものということができるように思われる。

[A]については、調査官解説でも、中島論文に書いてあることと同様のことが書いてあるだけだが(445頁)、上に引用した記述を参考に考えれば、そのような遡求効を認めてよいのは、会社法361条1項(当時は商法269条)が株主総会の決議によって定めるとするのは、会社の機関としての株主総会が定めればよいということであり、したがって、報酬について株主総会が事後的に承認することも認められる(最判平成17年2月15日判時1890号143頁)ことによるのだ、といった説明ができるのかもしれない。

第一の決議の説明義務違反という瑕疵自体はなくなってはいないのに、第二の決議によって第一の決議についての取消の訴えは、訴えの利益を欠くことになる。その結論自体は、そうなるべくしてそうなっているのかもしれないが、何だかモヤモヤしたものも残る。また、ブリヂストン事件では、第二の決議は第一の決議の一年後に行われたからまだそういう結論でもおかしくないのかもしれないが、第二の決議が二年後、三年後に行われたような場合にも、同じようなことが言えるのだろうか。

こういったモヤモヤを手がかりにさらに考えていこうとするときに出発点になりそうな記述は、龍田節「ブリヂストン事件の高裁判決」商事法務1170号(1989年)6頁以下にある。以下、引用。

本件では、第一の決議に説明義務違反があったかなかったかについて、高裁の判断を聞けないまま終わり、原告株主らに欲求不満を残した。・・・訴訟の経済を重視する民事訴訟法は、第二の決議が存在する新しい状況の下で、紛争の解決に直接関係しない議論に裁判所がエネルギーを費やすことを拒否する。

そういう新しい状況を会社自身が作り出しておきながら、その会社が訴えの却下を主張したのはけしからんと原告株主らは非難する。高裁判決は、これを違法・不当とする理由を見出せないとして、控訴権濫用の主張を却けた。会社が紛争の早期解決を望むのは当然であり、これを非難することはできない。

・・・第二の決議は第一の決議から一年後になされており、その間に株主の変動もあったろう。第二の決議に際し説明を尽くしても、第一の決議で株主が必要な説明を受けなかったという事実そのものは消えない。説明義務違反の瑕疵は治癒できないという考え方も成り立つ・・・。

しかしこれは説明義務違反に限らず、手続の瑕疵に共通する問題である。招集通知期間の不足や招集通知の不備なども、事実そのものを消す方法はない。瑕疵が治癒されたかどうかは、株主総会決議という会社の意思決定の法的評価である。

瑕疵の治癒を一切認めず、すべて決議をいったん取消した上で、適法な手続による再決議を要求するのも一つの方法である。他方、会社が自治的に瑕疵を補正する道を選ぶなら、そして、それが法律関係に変化をもたらさないのであれば、追認による瑕疵の治癒を認めてよいのではあるまいか・・・。

株主に変動があっても、追認決議は追認時の株主でするほかない。その時に適切な手続で決議が成立すれば、追認の意思決定が適法になされたと見るべきだろう。説明義務が尽くされたかどうかも、後の決議を併せて判断することになる。


assam_uva at 13:30|PermalinkComments(0)││研究 

September 06, 2016

日本の経営判断原則をめぐる議論

経営判断原則についての日本の論文をいろいろと読んでいると、出口のない場所を回っているような気分というか、空しい気分を味わうことがある。

たとえば、日本における経営判断原則の「定式化」について議論する論文がいろいろある。しかし、日本の裁判例を見ると、経営判断原則について述べられる規範部分の表現と、裁判所が実際に行っている審査のあり方や、裁判所が到達する結論とは、あまり関係がなさそうだ。

アパマンショップ事件の第一審判決(東京地判平成19年12月4日金判1304号33頁)は、次のように述べ、結論として原告の請求を認めなかった。

・・・そもそも、証券取引所に上場されず、店頭登録もされていない、いわゆる取引相場のない株式については、会社の事情、評価の目的、場面等に応じて評価額が異なるものであり、会社がこのような取引相場のない株式を取得するに当たり、その取得価格を算定するに当たっては、当該株主から当該価格により株式を取得する必要性、取得する株式数、取得に要する費用からする会社の財務状況への影響、会社の規模、株主構成、今後の会社運営への影響等諸般の事情を考慮した企業経営者としての専門的、政策的な総合判断が必要になるというべきである。もともと、株式会社の取締役は、法令及び定款の定め並びに株主総会の決議に違反せず、会社に対する忠実義務に背かない限り、広い経営上の裁量を有しているが、このような政策的な経営判断が要請される場面においては、その判断において、前提となった事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、意思決定の過程・内容が企業経営者として特に不合理・不適切なものといえない限り、当該取締役の行為は、取締役としての善管注意義務ないしは忠実義務に違反するものではないと解するのが相当である。

これに対して、控訴審判決(東京高判平成20年10月29日金判1304号28頁)は、次のように述べつつ、結論として原告の請求を認めた。

株式会社の取締役の経営上の判断は、将来の企業経営の見通しや経済情勢に対する予測に基づく判断を含み、かつ、その予測は、事柄の性質上、不確実なものであって、企業を取り巻く情勢の変化等により、事前の予測を超える事態が発生することは不可避であることに照らすと、経営者としての裁量的な判断であるというべきであるから、取締役としての善管注意義務に違反するかどうかは、このような経営上の判断の特質に照らすと、その判断の前提となった事実の調査及び検討について特に不注意な点がなく、その意思決定の過程及び内容がその業界における通常の経営者の経営上の判断として特に不合理又は不適切な点がなかったかどうかを基準とし、経営者としての裁量の範囲を逸脱しているかどうかによって決するのが相当である。

二つの判決が規範部分で述べる表現には、実質的には違いはない(事実認定にも、実質的な違いはない)。しかし、二つの判決は、結論を異にするのだ。このように、経営判断原則という枠組みが用いられる場合に、取締役に責任ありとされるかどうかは、経営判断原則の「定式化」のやり方にはあまり関係がなく、むしろ、事案への当てはめのやり方、また、根本的には、「裁判所が経営者の経営決定の過程・内容に対して積極的に吟味・介入すべきか、それとも抑制的なものにとどめるかの相違」、つまり、裁判所の「態度」の相違(落合誠一「アパマンショップ株主代表訴訟最高裁判決の意義」商事法務1913号(2010年)7頁)によって決まるようだ。そうだとすれば、「定式化」にこだわる意味がどれだけあるのだろうか。

また、このようなこともあって、森本滋「経営判断と『経営判断原則』」田原睦夫古稀『現代民事法の理論と実務(上)』(金融財政事情研究会、2013年)684頁では、次のようにいわれる。

業務執行行為の具体的内容により判断過程・内容の「著しい」不合理性の程度も異なり、それに関連して情報収集・分析・検討の程度の異なる。「経営判断原則」は画一的なルールではなく柔軟な解釈指針である。それは画一的に適用ないし運用されるべきものではない。とりわけ、事実認識については合理性の基準、意思決定過程・内容については著しい不合理性の基準が妥当し、利益相反関係が認められる場合は経営判断原則は妥当しないと断定することは問題である。取引類型ごとにその具体的発現を検証しなければならない。経営判断に際しての手続問題と判断内容の相違に留意しつつ、取引類型ごとに取締役の注意義務の類型化を推し進めるべきである。この意味において、一般的に「経営判断原則」とは何かについて議論することは生産的ではなかろう。

このような「類型化」の一端として、森本論文676〜677頁、そして、この論文をベースに書かれた岩原紳作編『会社法コンメンタール9』(商事法務、2014年)244〜245頁では、グループ再編や子会社の救済等に際しては高度かつ総合的な経営判断が求められ、取締役の裁量範囲もきわめて広範なものとなるとされる一方で、融資については回収可能性という明確な基準があり、まずはこの基準に従って義務違反の有無が判断されるといわれる。

しかし、本当にこのように「グループ再編や子会社の救済等」と「融資」とを区別できるのかも、よく分からない。「融資」が行われる状況や理由もいろいろとあるはずだからだ。結局は、「判断内容が『著しく不合理かどうか』は、判断過程、さらには、事実認識過程もあわせて総合的観点から判断されるべき」「判断内容が『著しく不合理かどうか』について画一的基準があるわけではない。事実認識過程についても、問題の経営判断の重大性、時間的な余裕、社内スタッフの能力への信頼等を総合的に判定して決められるべき事柄」(森本論文676頁)ということになり、上に述べたような裁判所の「態度」にもよることになる。

もちろん、これはこれで、「結局のところそうならざるをえない」という話なのだが、何というか、冒頭に述べたように、出口がない気分になるわけだ。こういった気分を表現してくれているのではないかと思うのが、福瀧博之「経営判断の原則の実質的根拠−経営判断の原則は団体法に普遍的な制度か−」関西大学法学論集63巻4号(2013年)76〜77頁の、次の記述だ。

わが国においては、アメリカ法の経営判断の原則は、善管注意義務の判断基準を明確化する作業のなかで判断基準として受け入れられてきたのであり、したがって、わが国においては、そのような経営判断の原則の位置付けのために、・・・「裁判所は、経営者の経営判断の審査にあたっては判断の吟味・介入を抑制的にすべきである」といってみても、それは、結局、善管注意義務の判断基準を介して行う以外ないのであって、それには限界があるのではないか・・・。経営判断の原則を裁判所による経営判断の審査にあたっての対応の問題として位置付けるのであれば、・・・単なる任務懈怠(善管注意義務違反)の判断基準を超えて、裁判所の対応のルールとしての経営判断の原則を制度的に認める方向を取らざるを得ないのではないか・・・。

福瀧論文で「裁判所の対応のルール」として考えられているのが、たとえば、ドイツ株式法に法典化された、セーフハーバーとしての経営判断原則のルールだ(同論文75〜77頁)。あるいは、もう少し広く、米国のような訴訟委員会による却下の制度なども、そういったものとして考えられるのだろうか。

assam_uva at 11:29|PermalinkComments(0)││研究 

September 04, 2016

米国の経営判断原則の捉え方:補足

先日の記事の補足。

(1) rational と good faith

ALI 『コーポレート・ガバナンスの原理』が、4.01条(c)項(3) で、裁判所が経営判断の内容を審査する基準として「相当な(rational)」という基準を示したのは、「合理的な(reasonable)」という基準よりははるかに広く取締役・役員に裁量を認める(同書180頁)一方で、客観的に相当でない事業上の決定(維持されるべきではないほどに理性の領域からかけ離れた決定)について、主観的に誠実に行われたからというだけの理由で保護を与える理由はない(同書181頁)と考えられたからだ。

そして、ALI 『コーポレート・ガバナンスの原理』は、このような相当性の審査というものが、デラウェアの判例にも見られるのだとする。同書が挙げるのは、Panter v. Marshall Field & Co., 646 F.2d 271, 293 (7th Cir. 1981)、Unocal Corp. v. Mesa Petroleum Co., 493 A.2d 946, 954 (Del. 1985)、Sinclair Oil Corp. v. Levien, 280 A.2d 717, 720 (Del. 1971) だ。しかし、ユノカル事件は、そもそも、経営判断原則と完全な公正さの基準の中間的な審査基準を述べる判例。そして、シンクレア事件は、たしかに、「いかなる相当な事業目的にも資さない判断である場合を除いて取締役には責任がない」という表現を用いる。

しかし、このようなデラウェアの判例について、ALI の考えるような相当性の基準を示すものだという読み方をすることについては、従来から批判があるところだ。たとえば、Michael P. Dooley, Two Models of Corporate Governance, 47 Bus. Law. 461, 478-479 n.55 (1992) は、ALI のような判例の読み方は誤りであって、クリエイティブとすら呼べない、と述べる。

ALI 『コーポレート・ガバナンスの原理』自体も、異なる読み方のありうることは認めており、上記の3つの判例を示した後で、これと対照すべきものとして、In re RJR Nabisco, Inc. Shareholders Litigation, 1989 WL 7036 n.13 (Del. Ch.) [同書での引用は556 A.2d 1070 n.13]を挙げる。同判決では、アレン判事が、「経営判断原則が企図するそのような限定された内容面の審査…は、実際には、不誠実を推認する一つの方法なのだ」と述べる。

(2) 「経営判断原則の」違いなのか?

前の記事に引用した小林一郎「経営判断原則の日米比較にみるコーポレート・ガバナンスの在り方」金融法務事情1945号(2012年)22頁の記述。

米国の経営判断原則が内容面を審議しないという命題そのものが必ずしも米国の判例理論を正しく言い表していない。後述のとおり、現在の日米相違の本質は、内容面・手続面の際ではなく、日本が経営判断を「注意義務」という物差しで審査するのに対し、米国は「誠実義務」という物差しで審査するという相違に現れていると考えるべきである。

同論文は、「米国は『誠実義務』という物差しで審査する」ということを、両国の「経営判断原則の」違いだと言っているようだ。同論文のタイトルでも、「『経営判断原則の』日米比較」とされている。

しかし、デラウェア州で取締役の責任について「誠実義務」に違反するかどうか(「誠実義務」というのがスタンドアローンな義務ではないということが判例上確認された現在では、「義務」と付けずに「誠実に行為したかどうか」と述べる方が正確だと思うが)が問題になるのは、デラウェア一般会社法102条(b)項(7)号で認められた、基本定款による責任免除の規定があるからだ。しかも、同号で認められるのは、明文上、取締役(director)の責任の免除であって、役員(officer)の責任の免除は認められていない(役員の信認義務が取締役のそれと同じであり、かつ、102条(b)項(7)号が取締役についてしか責任免除を認めていないということは、Gantler v. Stephens, 965 A.2d 695 (Del.2009) でも確認されている)。

そうすると、上に述べられた違いを「経営判断原則の」違いと言うのは正確ではない。また、米国では現在の取締役の義務違反は、忠実義務違反や故意の法令違反が問題になる場合を除けば、誠実に行為したかどうかで決まってくるという話は、日本法について考える際には、社外取締役の注意義務違反による責任を定款で免除できるようにすべきかという話の中で扱われるべきものだろう。

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