December 11, 2017

金剛輪寺と西明寺

先月、金剛輪寺と西明寺(湖東三山のうち2つ)に行った時の画像。紅葉シーズンだったが、京都の寺社よりはすいており、のんびり楽しむことができた。

1
2
3
4
5
6
7

assam_uva at 12:27|PermalinkComments(0)││雑感その他 

December 05, 2017

代理権濫用の手形行為

手形法・小切手法の講義の準備をしていてよく分からなかったのが、代理権濫用の手形行為の問題について、民法改正がどのように影響するかという点だ。分からないままなのだが、とりあえずメモとして。例によって間違っているかもしれませんので、そのときにはコソっと教えてください。

(1)従来の判例

最判昭和44年4月3日民集23巻4号737頁は、次のように述べる。

「本件手形の受取人で、第一裏書人である武岡郁夫が…本件手形振出行為に事実上関与し、その振出が上告組合以外の者の利益を図るためになされたものであることを知つていたことは、原審の確定するところであるから、上告組合は、同人に対しては民法九三条但書の規定を類推し、右の事実を主張、立証して手形振出人としての責を免れ得るものと解すべきである(当裁判所昭和…四二年四月二〇日第一小法廷判決・民集二一巻三号六九七頁参照)が、本件のように、代理権を濫用して振り出された手形であることを知り、または知り得べかりし状態のもとに手形を取得した者が、さらにこれを第三者に裏書譲渡した場合においては、手形の流通証券としての特質にかんがみ、本人は、右知情の事実をもつて絶対的に右第三者に対抗しうるものと解すべきではなく、手形法一七条但書の規定に則り、手形所持人の悪意を立証してのみその責を免れ得るものと解するのが相当である。」

この判決については学説からの批判もあるが、とにかく判例では、次のように考えられているわけだ。

(A)代理権濫用による手形振出が行われた場合、振出人は、直接の相手方に対しては、民法93条但書の類推適用により、その手形が代理権濫用によって振り出された手形であることを相手方が知りまたは知りうべかりしとき(相手方に悪意または過失があるとき)には、振出人としての責任を免れる。

(B)そのような手形のその後の取得者に対しては、振出人は、手形法17条但書により所持人の悪意を証明した場合にだけ、振出人としての責任を免れる。

(2)改正後の民法の規定

改正後の民法では、代理権濫用について明文の規定が設けられた。それが次の規定だ。

改正後民法107条

「代理人が自己又は第三者の利益を図る目的で代理権の範囲内の行為をした場合において、相手方がその目的を知り、又は知ることができたときは、その行為は、代理権を有しない者がした行為とみなす。」

(3)第三者の保護

改正後民法107条は、第三者の保護については規定しておらず、従来と同様、第三者については動産の即時取得や民法94条2項の類推適用による保護を考えるものとされる(潮見佳男『民法(債権関係)改正法の概要』(きんざい、2017年)21頁)。そうだとすれば、上記の判例法理のうち、手形の第三取得者についての上記(1)(B)のルールは、改正後民法を前提にしても、維持されると考えてよさそうだ。

(4)直接の相手方についての改正後民法のルール

私がよく分からないのは、むしろ、上記(1)(A)の直接の相手方についてのルールだ。

まず、改正後民法のルールの意味自体が、そもそも分からない。改正後民法107条は、代理権濫用(代理人の目的)について相手方に悪意または過失がある場合、代理権濫用行為は無権代理行為とみなすと定める。これは、そのような場合に当該行為を不確定無効(効果不帰属)とするものであり、改正前とは異なり、当該行為には無権代理についての規定が適用されるという意味だとされる(潮見・前掲書21頁)。

そのような無権代理についての規定のひとつとして、無権代理人の責任に関する改正後民法117条がある。これがまたややこしい規定なのだが、次のようなものだ。

改正後民法117条

「他人の代理人として契約をした者は、自己の代理権を証明したとき、又は本人の追認を得たときを除き、相手方の選択に従い、相手方に対して履行又は損害賠償の責任を負う。
2 前項の規定は、次に掲げる場合には、適用しない。
 一 他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないことを相手方が知っていたとき。
 二 他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないことを相手方が過失によって知らなかったとき。ただし、他人の代理人として契約をした者が自己に代理権がないことを知っていたときは、この限りでない。
 三 (省略)」

同条によれば、無権代理人は原則として相手方に対して責任を負うのだが、(ア)他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないことを相手方が知っていたとき(相手方が悪意)、または、(イ)他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないことを相手方が過失によって知らず、かつ、他人の代理人として契約をした者が自己に代理権がないことを知らなかったとき(相手方が過失+無権代理人が善意)には、無権代理人の責任は生じない。

そこでまず分からないのが、この117条が代理権濫用に適用される場合の読み方だ。具体的には、同条2項では、「他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないこと」についての相手方の悪意や過失、また、他人の代理人として契約をした者の悪意が問題とされる。これを代理権濫用に適用するとして、次の[甲][乙]どちらの読み方になるのだろうか?

[甲]「他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないこと」「他人の代理人として契約をした者が自己に代理権がないことを知っていたとき」とは、代理権濫用の場合も、そのまま読み替えずに読む。

このような読み方をすれば、代理権濫用は、そもそも、(107条によって無権代理とみなされはするが)代理人として契約をした者が代理権は有していた事案であるから、「代理権を有しない」という事態はありえず、したがって、それについて相手方に悪意や過失があるということ(また、代理人として契約をした者が知っていたこと)もありえないことになり、117条2項1号2号は代理権濫用の場合には適用されないことになりそうだ。したがって、この読み方の場合、代理権濫用をした者は、同条1項によって相手方に対して常に責任を負うことになる。

[乙]「他人の代理人として契約をした者が代理権を有しないこと」「他人の代理人として契約をした者が自己に代理権がないこと知っていたとき」とは、代理権濫用の場合、「他人の代理人として契約をした者が自己または第三者の利益を図る目的で代理権の範囲内の行為をしたこと」「他人の代理人として契約をした者が自らが自己または第三者の利益を図る目的で代理権の範囲内の行為をしたことを知っていたとき」と読み替える。

このような読み方をすれば、117条2項を代理権濫用に適用する場合には、代理権濫用(代理人の目的)についての悪意や過失が問題になる。したがって、同項1号によれば、相手方が代理人の目的を知っていたのであれば、代理権濫用をした者は責任を負わない。これに対して、同項2号は、相手方が代理人の目的を過失によって知らなかったときで、かつ、代理権濫用をした者が自己の目的を知らなかったときには、代理権濫用をした者は責任を負わない。しかし、代理権濫用の場合に、代理権濫用をした者が自己の目的を知らないということは考えがたいので、結局、同項2号により代理権濫用をした者が責任を免れるという事態はないことになりそうだ。つまり、相手方が代理人の目的を知っていたときには代理権濫用をした者は責任を免れ、相手方が代理人の目的を過失によって知らなかったときには代理権濫用をした者は責任を負う。

以上の[甲][乙]どちらになるのかが、そもそも分からないというわけだ(法制審議会の部会資料66Aは読んでみたが、このあたりのことは書いていなかった)。

*会社法や商法総則の問題でいうと、代表取締役の代表権濫用や、支配人の代理権濫用についても、同様のことが問題になる。これらの場合にも改正後民法107条が適用され、その結果として代表権・代理権を濫用した代表取締役・支配人の責任について改正後民法117条が適用されるとすれば、やはり、[甲][乙]どちらの読み方をするのかを考えなければならない。最初に改正後民法の規定を読んだときには、[乙]と考えるのが素直なのかなとも思った。しかし、無権代理の場合、それが必ずしも「悪い」ことではない(そうとは知らずに無権代理行為をするということもありうる)ため、一定の場合に無権代理人が相手方に責任を負わないというルールも合理的なのかもしれないが、代表権・代理権の濫用は「悪い」ことであり、また、代理人がそうとは知らずに濫用を行うということも考えがたいので、[甲]と考える(権限を濫用した代表取締役・支配人は常に改正後民法117条1項により相手方に対して責任を負うと考える)ことに不都合はないのではないかとも思う(そもそも、民法で、代理権の不存在について相手方に悪意や過失があれば、無権代理人の責任が否定されるということ自体、私にとっては納得がいかないルールだったりもするのだが。代理権の不存在について相手方に悪意や過失があるからといって、なぜ、相手方が誰にも履行請求・損害賠償請求をできないという状態を生じさせなければならないのだろうか。もちろん、無権代理人の責任に実際にどれだけ意味があるのかという話もあるわけだが)。

(5)直接の相手方についての改正後手形法のルール

以上を前提に、代理権濫用による手形振出についての上記(1)(A)のルールがどうなるのかということだが、こちらも分からないことがある。

改正後民法107条が上記(1)(A)の判例法理に代わるとすれば、代理権濫用による手形振出も、代理権濫用(代理人の目的)について相手方に悪意または過失がある場合、無権代理による手形振出とみなされる。

そうすると、その場合、無権代理人の責任を定める手形法8条・77条2項が適用されるのだろうか。仮に手形法8条・77条2項が適用されるとして、手形法8条については、民法改正に伴う規定の修正は行われておらず、単に、無権代理人は「自ラ其ノ手形ニ因リ義務ヲ負フ」とされるだけだ。

手形法8条は相手方の悪意や過失は問題にしないが、最判昭和55年9月5日民集34巻5号667頁は、次のように述べる。

「偽造手形を振り出した者は、手形法八条の類推適用により手形上の責任を負うべきものであることは、当裁判所の判例とするところであるが(最高裁昭和…四九年六月二八日第二小法廷判決・民集二八巻五号六五五頁),その趣旨は、善意の手形所持人を保護し、取引の安全に資するためにほかならないものであるから、手形が偽造されたものであることを知つてこれを取得した所持人に対しては、手形法八条の規定を類推適用する余地なく、手形偽造者は、右所持人に対して手形上の責任を負わないものと解するのが相当である。」

この判例が無権代理の場合にも妥当するとすれば、無権代理人は、無権代理について悪意の相手方に対してはその責任を負わないことになる。仮にそうだとして、代理権濫用の場合に改正後民法107条によって手形法8条・77条2項が適用されれば、どうなるか。上記(4)の[甲][乙]と同様に、相手方の悪意を無権代理についてのものか、代理権濫用(代理人の目的)についてのものか、どちらと考えるのかが問題になりそうだ。

この場合は、上記の最判昭和55年の判決文の表現からして(「手形が偽造されたものであることを知って」。これをそのまま代理権濫用の場合に読み替えれば、「手形が代理権濫用によって振り出されたものであることを知って」)、[乙]の読み方をすることにもなりそうだ。仮にそうだとすれば、結局、代理権濫用による手形振出は、改正後民法107条により相手方に代理人の目的について悪意または過失があれば無権代理とみなされるが、相手方が代理人の目的について悪意であれば、代理人は相手方のそのような悪意を主張して、手形法8条の責任を免れることができる(これに対して、相手方に過失しかない場合はそうではない)ということになりそうだ。

assam_uva at 18:32|PermalinkComments(0)││研究 

October 23, 2017

伊根

少し前に、舟屋で有名な伊根に行ってきました。以前に比べて観光客を受け入れるための施設が整っていて、以前はなかった場所に駐車場ができていたり、食事ができる綺麗な施設も。「伊根湾めぐり遊覧船」の乗り場は少し離れたところにあり、個人的には、「海上タクシー」という名の、漁師さんがやっている小さな遊覧船の方がおすすめです。大人1回1000円程度で、漁師さんによるガイド付きで伊根湾をぐるっと回ってくれるというもので、水面を間近に感じられます。

1
2
3
4
5

assam_uva at 12:43|PermalinkComments(0)││雑感その他 

September 18, 2017

手形法・小切手法の講義順序

8月末締切だった仕事を終えて、いろいろ体調をくずしたりしつつ、9月に入ってから、秋学期の講義「手形法・小切手法」の準備をしている。人生で初めて担当する講義だから講義ノートのストックはゼロ、しかも、学部生の時以来本格的に勉強したことのない科目だから、準備はなかなか進んでいない。一応、昨年末から今年初めにかけて、今年度シラバスを書かなければならなかったこともあって、いくつかの手形法・小切手法の概説書を読んだりはしていたのだが、その時からまた時間も経ったので、だいたい忘れてしまっている。

手形法・小切手法を教える時に、まず悩むのが、何をどういう順番で話すのかということだ。これは、昨年末にシラバスを書いたときにすでに問題になった。テキストは、いろいろ考えて、おそらくは早川徹『手形・小切手法』(新世社、2007年)にすることになると思う。この本は、すごく分かりやすいのだが、記述の順序が、手形・小切手の基礎を説明した後で、いきなり「手形行為」についての説明がしばらく続くという構成で、このとおりに教えてうまくできる自信がない。

結局、いつもの講義の順序の作り方の基本ルール(「具体的な話が先、抽象的な話は後」「単純な話が先、複雑な話は後」)に則って、手形・小切手の基礎のような話をした後、振出、裏書、支払・遡求まで先に説明してしまって、それから、手形行為の議論や、手形抗弁や、白地手形や、そういうった難しい話をしていこうということに決まった。手形行為の話を後でやるというのは、別に私のオリジナルでもない。たとえば、1993年度に龍田先生が京大で担当された商法第1部(同科目は、商法総則+手形法・小切手法で4単位)の手形法部分では、まさに、ラスト6回で、手形行為にまつわる話(他人による手形行為や偽造・変造含む)と有価証券理論が説明されるという構成がとられた(私はその講義に出たわけではないが、受講していた知り合いにもらった講義計画プリントによればそうなっている)。

assam_uva at 18:13|PermalinkComments(0)││雑感その他 

August 15, 2017

ジュピターテレコム事件

*御無沙汰しております。生きてます。簡単な記事を書きます。

ジュピターテレコム事件許可抗告審決定(最決平成28年7月1日民集70巻6号1445頁)の判例評釈を書かなければならないのだが、苦労している。なぜ苦労するのかといえば:

(1)本決定は、いろいろと不明確で、決定文に依拠してものを考えることが難しい。たとえば、同決定が根拠として述べること(民集1450〜1451頁)は、意味がよく分からない。本決定のいう「利益相反関係」の意味内容も詳しく説明されておらず、本決定の射程を考えることも難しい。本決定が定立した要件についてどのような当てはめがされているのかも、実はよく分からない(第三者委員会がどのような意味で実質的に機能したといえるのかといった点が、原決定・原々決定に示された事実認定からはあまり詳細ではない)。

(2)このように不明確なところが多々ある本決定について、先行評釈の多くは、藤田友敬評釈(資料版商事法務、他2編)にかなり影響を受けて議論を展開している。しかし、藤田評釈は、「本決定にはよく分からないところや間違っているところもあるが、本決定の結論は自分の学説からも正当化できるよ」という議論を展開するもので、私から見れば、判例評釈ではなく、藤田説を展開する論文だ。だから、そういった先行評釈に影響されすぎないように注意しなければならない。

(3)他方で、本決定を「内在的」に読むことに徹しようとする舩津評釈(民商法雑誌)については、共感するところ大なのだが、本決定をあまりにも「内在的」に読もうとしているように思える。本決定はもともと不明確なところが多いのだから、本決定の文章構造や表現だけを手掛かりに本決定を読み解くことが良い結果を生むのかも、よく分からない。

(4)以上のように考えたことを反映させる形で判例評釈を書いていくと、分量が多くなりすぎる。頑張って削らなければならない。

assam_uva at 12:09|PermalinkComments(0)││研究