February 28, 2007

デラウェア最高裁首席裁判官の回顧

E. Norman Veasey & Christie T. Di Guglielmo, What Happened in Delaware Corporate Law and Governance from 1992 - 2004 ? ― A Retrospective on Some Key Developments, 153 U. Pa. L. Rev. 1399 (2005) を読了。1992年から2004年までデラウェア州最高裁判所の首席裁判官であったビージー(現在は、デラウェアの Weil, Gotshal & Manges LLP のシニア・パートナー)が、自らの時代のデラウェア会社判例法の発展を振り返るというもの(もう1人の著者は、Weil, Gotshal & Manges のアソシエイト)。

同論文は、ビージーが首席裁判官であった時期にデラウェア最高裁が下した会社法関連の判例(論文中にリストがある)のうち、特に重要なものを中心に拾いながら、多数のトピックについて、同時期の会社判例法の発展が描かれる。それ以前の時期が、敵対的企業買収に彩られた急激な判例法の展開の時期であるのに比べ、1992年から2004年は、それほど企業買収に集中せず、判例法の明確化が図られた時期といえる。実際に判例形成に携わった偉大なロイヤーによる回顧は、デラウェア最高裁の「内的視点」を知るのに最適で、分量がかなり多いが、いろいろと考える素材を与えてくれる。論文全体を要約することは難しいので、以下では、一部のみを自分のメモとして書いておく。

まず興味深く読んだのが、論文の最初の方に説明される、デラウェアの最高裁判所裁判官指名システム。デラウェアの1897年憲法は、最高裁判所裁判官について12年という任期を定め、さらに、裁判官が両党派からなること(bipartisan judiciary)を要求している。このようなシステムが、判例法の安定的な発展を支える。そして、最高裁判所の会社法判例のほとんどは、このような裁判官たちが、全員一致で下したもの。そのほか、デラウェアの判例法を見る上での注意点としてビージーは、ほとんどの会社法関連の事件は衡平法裁判所かぎりで終わること(85-90%は上訴されない)、そのような衡平法裁判所のケースの多くはインジャンクションなどの暫定的命令(interlocutory order)で処理されること、さらに、先例拘束性の法理が存在することから学説による批判は判例の射程を限定するという方向で行う方が効果的であることを、指摘する。

デラウェアの会社法判例の回顧から、ビージーは、次のようなことを導き出す。
・取締役会の構成と手続きに重点を置いたコーポレート・ガバナンスが、取締役、弁護士、裁判所の主要な焦点として現れてきた。
・取締役の行為基準(standards of conduct)は、会社制定法と、裁判官による信認義務の明確化によって定義される。取締役の行為についての期待は、ビジネスについての慣習が進化するにつれて進化するものであり、裁判所は、特定の状況に適用される適切な審査基準(standards of review)を決定する際に、そのような進化する期待を適用する。
・期待の進化とは、裁判官のみならず取締役自身も、単に機械的に解答欄にチェックをするドリルのようなものではなく、本物の手続きに焦点を合わせなければならないことを意味する。
・いくつかの事案で取締役の行為について裁判所による審査が行われた結果不正行為が認定され責任が認められたという事実は、主として、裁判所がより強く手続きに焦点を当てたことと、原告側弁護士による申立て(pleading)が改善されたことによるものである。
・原告側弁護士による申立ての改善は、1992-2004年の時期の裁判所による判決に影響されたものである。たとえば、同時期に、裁判所は、代表訴訟を提起する前に原告側弁護士が帳簿記録の閲覧請求を用いるべきことを強く示唆した。
・取締役たちがますます関心を強めている領域の2つの例として、「誠実さ(good faith)」というものが問題として現れてきたことと、取締役が個々の専門知識と経験に応じて異なる基準に服するのかという問題である。いずれについても確定的な答えは示されていないが、取締役の責任リスクが上がったということはない。
・経営判断原則は、判例法として生き続けている。重要なのは手続きだ。

assam_uva at 05:53│Comments(0)││論文紹介 

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