Paka Paka ブログ ~きみの世界をおもしろく~

 発達しょうがいを持つ子どものABAを中心としたる個別療育と家族支援をするべく、2011年10月から愛知県武豊町を拠点に、知多半島を中心に活動しています。  発達しょうがいを持つ子どもたちの世界が少しでも面白く、楽しいものになるように、みんなで考える場になればと思っています。

2014年02月

 今日は、半田市教育委員会の依頼で半田市内の保育園・幼稚園の先生方を対象に、『家庭と協働する発達障がい児の支援』と題して講演を行ってきました。

 家庭と協働。とっても大事ですが、結構難しい。支援者としては伝えにくい部分もあるし、親としては理解しにくい部分もあるだろう。それを、信頼関係を保ったまま、子どもの将来のために協働していかなければならない。でも、親自身も支援の対象者でもある。

 今のPaka Pakaに来られる保護者は、療育が必要と思っているので、療育という共通認識では話しやすいと思うが、保育園・幼稚園のような集団で預かるという機能を持つ機関では、保護者の意識もまちまちなので、先生方の苦労は多いのだろう。以前、私も放課後等デイで務めていた時は、療育の必要性を全く感じていない保護者と話をすることに大変困ったことがある。

 親と支援者の意識を近づけるには、その土地の社会資源の選択肢や、療育に関する文化が大きく関係するのだと思うが、その選択肢も必要と気づいた保護者が運動しなければ簡単に増えるものではない。

 卵が先か、鶏が先か。そんなに簡単に療育に関する文化が創れるものではないと思うが、地道に頑張ろう。

 今は他の法人枠を利用させてもらい、公的サービスを実施していますが、傘下を抜けることができました。

平成27年度から特定非営利活動法人枠を取得します。5月頃に設立総会を実施しますので、ご参加下さい。

こんにちは!
今日は雪。こーんなに降るのって本当にまれで、困ってしまいますね。

私もスタッドレスでないため、昼の長男の学校の送迎が不可能。。
あえなく自宅ワークデーです。
皆様、外出される際は、十分お気を付けくださいね。

さて、ちょっと思いついたので、ママコラムを書いてます。

私は、福祉の仕事についたのは、今から17年前。これまで、高齢者福祉の世界から、福祉教育、障害者福祉。。といろいろやってきました。

最近、よく思い出すのは、高齢者施設で働いていた時のこと。
この頃の後輩たちの頑張りを見ながら、あの頃の自分を振り返ることが多くなりました。

私は20歳から25歳の5年間。介護老人保健施設で介護職として勤務していました。
最初の2年は、とにかく仕事をスムーズにこなすこと。臨機応変に対応できるようにと、必死でした。
もともと、「気が付かない」タイプの人間ですので、とにかく先輩の動きをとにかく真似ていた記憶があります。

「必死」だったわけは、「人の命」にかかわる仕事であったから、先輩たちの厳しさはそれはそれはすごかったです。
病院と特養の中間施設ということで、看護師の方の人数も多く、介護士と看護師が一緒に業務に携わっていました。

私が初めて夜勤に入ったとき、仕事を覚えるのにとにかく必死で、ナースコールにビビりながら、右も左も分からず、戸惑いっぱなし。
朝方、5時前、起床の介助が始まるその直前。先輩ナースから「あなた、今から何するの?」「どういう順序でやっていくつもり?」と怒涛の質問。うまく答えられず、何とか仕事は終わったものの、タイムカードを押しながら、こぼれそうになる涙を必死にこらえた記憶があります。

たくさんの失敗と、反省と、先輩たちからの叱咤激励に耐えながら、何とか恰好がついてきた2年目。
私が、各フロアにいるフロアリーダー(主任補佐)の次の候補になっているということを、聞きました。

私の働いていた施設のポリシーは、「年功序列」ではなく、「能力主義」。
経験年数にかかわらず、能力のある人が上に立っていました。だから、たくさんいる介護職の中でも、
上に立っていた人は、20代前半の方がほとんどでした。もちろん、年配の方もいらっしゃいましたが。

その中で、私が主任補佐になったときは、自分より、2年、3年先輩の方々がいる中での昇格でした。当時、プレッシャーで眠れなくなり、体重が激減した記憶があります。
そのことを、恥ずかしながら誇りに思っていた時期もありましたが、少しは大人になった今冷静に考えると、その理由が少しわかってきた気がします。

大体ものすごく仕事ができるっていうタイプじゃなかったわけで、、大きな理由は、当時の主任が押してくれたってことだったそうです。
あとは、仕事もスムーズにこなせるようになってくるころって、結構余裕も出て来る時期。楽しかった仕事もなんだかマンネリに思えてくる時期だってある。そんなとき、私が大切に思っていたのは、「介護福祉士としての役割」。
見えない部分でいかに動けるか。。そんなところを評価してくれたのと、あまり、人間関係に執着しないってところだったんだと思います。

主任は仕事に厳しい反面、部下とぶつかることも多い。その主任を支えるには、たまたま人材的にちょうどいいってところだった訳で。

でも、認めてもらえたということは、素直にうれしかったし、初めての夜勤で泣かされた看護師さんやその時の主任とは、夜勤中や、食事やお酒の席で本当によく話をしました。そんな雑談からもたくさん学びがあったなあ。

そんなある時、先輩ナースに私がふと言いました。
「最近先輩、怒んないね。もっと怒ってよ。」

その時、先輩はこういいました。
「あんた、そんな受け身じゃだめだよ。今はもう怒るのは私の役目じゃない」

その時、はっとした記憶があります。
ずっと先輩の下で、学びながら成長するのが自分の位置だと思っていたけれど、役職がついて、後輩の指導に当たる今は、それじゃダメなんだって。

それから先輩は、こうも言いました。
「前はね、介護福祉士も、看護師と同じように育てなきゃいけないと思って、厳しく怒っていたんだけど。最近の主任やあなたの仕事ぶりを見ながら、それはちょっと違うんだっていうことが分かったの」と。

施設勤務をしていると、「介護士であろうと、看護師であろうと、一日の業務をスムーズにこなすこと」が、すべてになってしまうことがあります。でも、そうじゃない。資格を持って働く上で、必ずその資格が持つ「本分」があります。

例えば、看護師ほどの医療行為はできない介護士は、医療の知識や技術はありません。(もちろん最低限は知らなくてはならないのですが)でも、排泄介助や食事介助など、生活のほとんどの場面で関わる介護士は、利用者の小さな情報をたくさん持っています。
その情報をもとに、「あの利用者さん、こういう話すると、すごく笑うんだよ」とか、「あの方、昔、こんなことしてたんだって」そんなたわいもない職員同士の小さな情報交換が、施設という小さな社会において、利用者さんの「人」の社会を広げるきっかけになる。生活の質の向上につながる。そんな目に見えない黒子の動き。そういうところが、本当の介護士の本分なんじゃないか。。そんな私の小さなつぶやきを聞いた先輩が、「介護士の役割」を理解してくれて、私たちの職種を尊重してくれたんです。私はあの時から、「介護福祉士」という資格がさらに誇りに思えて、ほかに資格を取ろうとかは、あまり思わなくなりました。

そこから、重度認知症専門棟の介護主任を一年して、5年の老健時代を終え、知多半島に出てきたのですが、その経緯についてはまたそのうち。

介護現場、福祉現場において、医療と福祉の違いとかでよく混乱したり、うまく行かないことってたくさんあります。
でも、簡単に言えば、「職種の違い」

それぞれに「本分」があります。

まあ、利用者さんを思う気持ちが一緒であるからこそ、ぶつかり合うのだけれど。
それぞれの持ち場をお互いが理解し合える環境って大事ですよね。

私は、そういういい環境で最初にお仕事させてもらえたことが本当に幸せだったのだなあと思います。

でも最近思うのは、医療と介護っていうカテゴリだけではなくて、世の中にそういう場面はたくさんあるということ。

当事者と支援者だったり、当事者と地域の方々、ある時は当事者と専門家とか。。。事業所内でもいろいろたくさん。
子育てに対する考え方だって、世代が違えば、もう全く違う世界だったり。。ね。

でも、それぞれに「役割」がある。
人にもそれぞれに合った「動き方」がある。

私がいくら早くに昇進したといっても、私はバリバリ人を引っ張っていくタイプではなくて、どちらかというと、見えない部分でいろいろ動いて少しづつ動かしていくタイプなんだと思うし、あのまま老健に残って、さらに上の役をもらったとしても、それはまたちょっと大変だっただろうなと思います。

ガンガン引っ張っていくリーダー像がすべてじゃない。
時間はかかっても、お互いの役割や個性を認め、それがうまくまわるような組織づくりも大事なんじゃないかなと思うのです。時間をかけて、少しづつ築いていけたらいいなあと思います。

そして、最近、ちょっと仕事に苦しむ後輩達を見ながら・・・
まあ、年功序列ってのは伝統的ですが、あまりいいものではないというのは、今の私も同じ思い。でも、年齢を重ねてみて、年を重ねなきゃ言えないことってやっぱりあるよなあとも思う今日この頃。

だからこそ、今の自分の役割ってどこにあるんだろうと考えながら。。。

自分よりも若い人たちと一緒に、足並みをそろえて、それぞれが持つ最大の役割を認め合いながら、進んでいけたなあと。そのためにひと肌脱げるような、「大人」になっていけたらと思っています。

そして、いそがず、焦らず、でも、諦めず。ゆっくりと地域と繋がっていけたらいいな。と思うのです。



















bebima(追記あり・・参加費、お子さんの対象、年齢について追記しました。)

もう一つ、イベントのお知らせです!!

こちらは、初の開催となります。

Paka Paka、チャレンジド合同企画 ベビーマッサージ教室を開催します!!

詳細は以下の通りです!!



Paka Pakaは発達に遅れ、または凹凸があるお子さんの療育支援、母親支援、家族支援を行っています。
多くのお子さんとその家族と関わる中で、第2子、第3子が生まれるとき、家族は幸せをかみしめると同時に、たくさんの不安と困難と向き合います。その現実と一緒に向き合いながら、「Paka Pakaとしても、何かできることはないか。。」とずっと考えていました。
下の子が生まれる前から、「お母さんも、家族みんなも、そして生まれてくる赤ちゃんも、一人じゃない」という、安心した環境づくりから、兄弟児の育ちを見守り、お母さんとご家族の安心に繋がれば・・と思い企画しました。

今回は初めての企画ですが、できれば定期的に開催したいと思っています。
なかなかない機会です。ぜひ、ご参加下さい!!

日時:平成26年 3月 13日 (木) 10時~12時 
場所:NPO法人チャレンジド 和室
愛知県知多郡美浜町奥田儀路272番地
名鉄「知多奥田駅」より、西へ徒歩12分。
駅西側出口より、奥田小学校の前を通り、中奥田交差点を渡り海側へ約300m。黒い門に「チャレンジド」の看板が出ています。

会費:会員1000円 非会員1200円 ワンドリンク付き
対象:上の子に発達の遅れがあるきょうだい児とおかあさん。お子さんは1歳半ぐらいまでを対象にしていますが、就園前のお子さんで参加希望がある場合はご相談下さい。

持ち物:おむつ替えシート、又はバスタオル、フェイスタオル、赤ちゃんの水分補給用ドリンク、おむつ、着替え

講師:加藤玲子さん ご自身も発達障がいがあるお子さんをお持ちの子育て中のお母さんです。
             セラピストとして活動されていて、赤ちゃんはもちろん、お母さんも癒してくれますよ♪

参加希望の方は、pakapaka_aba@yahoo.co.jp 0569-77-0492 土肥りさ 
または、npochallenged@y2.dion.ne.jp 0569-87-6727 籾山えりまで、参加者氏名、連絡先をお知らせください。



皆様の笑顔に会えるのを、楽しみにしています!!
             


ナン画像









こんにちは!!
まだまだ寒い日が続きますね。インフルエンザが流行しています。みなさんお気を付け下さいね。
でも、Paka Pakaの花壇には、チューリップの芽が出てきていますよ。きっと春はもうすぐそこですね~。

さて、春休みのイベントです。
今年度最後のパン教室開催のお知らせです!!

詳細は以下の通りです!!

日時:平成26年 3月30日 (日)  10時30分~13時30分 10時受付開始
場所:武豊町中央公民館 1階調理室
対象:発達に遅れがあるお子さんとその家族
定員:14組 
参加費:Paka Paka会員 大人1150円 子ども100円、非会員大人1350円、子ども100円
メニュー:手作りカレーと手作りナン、ワッフル焼き体験 一家族2個ワッフルお土産つき

講師:パン作り研究会代表 戸田美保さん 
協力:パン作り研究会の皆様

今回、昨年度も好評だった、手作りカレーとナンがメニューです。
おうちでも簡単にできるレシピですので、帰って、家族でまたみんなで作ってみることができますよ。

また、今回のお土産は「ワッフル」です!!各家族2個、ワッフル焼きの体験ができ、お土産となります。
お土産を大切な方にお届けするってのも、いい経験になると思いますよ!!
楽しみですね♪

参加希望の方は、pakapaka_aba@yahoo.co.jpまで、参加者氏名、連絡先をお伝えください。
人気企画なため、参加受付締切を、今月末までとします。
それまでに定員に達した場合は、そこで締切ます。参加希望の方は、お早めにお申込み下さい。

また、参加受付された方には、お子さんの情報を情報用紙に記入していただきます。協力してくださるパン研スタッフさんとの連携を取っていくために大切な情報となりますので、ご協力のほどよろしくお願い致します。

それでは、みなさんの笑顔にお会いできるのを、楽しみにしています!!


最近は、年度末に近づいているためか、認知度が上がっているためか?セッションを希望する方が多い。
こちらとしては、ありがたいことなのだが、キャパがオーバーしそうなので待機待ちをお願いするしかない。

う~ん、もどかしい…

うまく、やり過ごす、、

長男が小さかったとき、私は子育てが不安で不安でしょうがなくって、空回りばかりしていました。

長男の成長がゆっくりで、まわりと比べて、落ち込んで、自分を責めてばかりいました。

そんな中、かなり辛い出来事が結構あったので、バリアをはった、、って感じの、思い切り孤立した子育て期間を経験しています。

あの頃の自分を考えると、今の自分は、よくここまでこれたなあと思います。辛かった出来事は自分でいうのも結構なものだったです。でも、今はそれを人前で一つの経験としてお話できるようになったぐらいだから、ありがたい限りなんですが。

ただ一つ、同じ立場の人は、似たような経験をたくさんしているし、むしろ思い出せば嫌な気持ちが蘇るから、口に出せない人はたくさんいます。

発達がゆっくりな長男と向き合いながら、自分が支援者だったときは見えなかった、当事者の本音をたくさん知りました。

実際、わたしもすごく傷ついた出来事や辛かった時期を思い出す、人や場所には、いまも足を踏み入れることができません。だいぶよくはなってきたのだと思うけれど、気持ちが大きく傾いてしまいます。

恨んでるとかそういうことではないのだけれど、少しずつ自分の中で消化して、なんとか過去の出来事、、とは思えるようになってはいますが、綺麗事では片付けられないものがやはり心にはあります。

子育ては大変だし、いろんな出来事を乗り越えて、母は強くなっていくんだろうけれど、、障がいあるなしにかかわらず、育てにくさをもった子どもの子育てにおいては、私が歩んできたような辛い道は、できれば通ってほしくないと思うし、孤立せずに子育てをしていける道をつくらねばならないと切に思います。

あのときの私を知ってくれていて、受け入れ、支えてくれて、かつ、「あなたは外にでていったほうがいい」と背中を押してくださった方々に感謝しながら、人間らしく、自分の気持ちに正直に、簡単に乗り越えることなんでできないから、、うまくやり過ごして、進んでいきたいと思います。

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