出産したてのころ、私は一生懸命だった。
子どもをちゃんと育てなきゃ!!って肩肘張ってたのが、
あるときから、子どもに私が育ててもらってるんだなって思うようになって、
いろいろなことで浮き沈みが激しいけれど、子どもが私を笑わせてくれることのありがたさに気づいてからは、
とっても気が楽になったように思う。

私が気楽になれば、子どもたちも気楽になる。

先日のオーラソーマ講座で、「子どもは無意識の領域がとても大きい」っていう話があった。無意識の領域が多く、順応性が高いのが子ども。もちろんしょうがいがあってもなくってもそれは同じで。

だから、ママの苦しみも無意識のうちに一緒に背負ってしまう。

ママが気楽に楽しくいることってやっぱりとっても大事なこと。



私が気楽になれたころから、我が家はコント劇場となった。

先日、次男の保育参観。

給食試食会で一緒に食べていたとき、壁に貼ってある次男の絵を見て「これ何書いたの?」と聞いた。
次男「怪獣!」と黙々と給食を食べながら答える。

でも、その絵をよく見ると、絵の横に先生の小さな文字。「ママ」
書いたときはママを想って書いてくれていたのね。
時々は泣かされることもあるよね。。。でも、きっとこれは、コントだったら結構面白いはずだ!と心で自分に言い聞かせるのである。


先日、ママの一声で家族全員で、鈴鹿までのドライブに。
なんだか自分時間がゆっくり取れずにいたし、イライラの塊となっていた私。
自分のいきたいドライブにみんなを巻き込んでの出発。
暑くなってきたし、短い半そでを着て、ママ運転席で気合を入れて、「さーいくよー!!」と掛け声。

助手席の次男。私の二の腕をぱちぱちたたきながら

「ママ、でっかいなあ!!でっかいぞ!!」

これもコントの一こまだ。きっとそうだ。と自分に言い聞かせるのである。
バックミラーに写るパパの厳しい表情は・・・・・・


とりあえず忘れよう。うん。そうしよう。


長男、会話が少しづつ成立するようになってきた。相変わらず、ものすごくマイペースであるが、長男の笑顔はみんなを幸せにすると思う。(親ばかですが)

園のお迎えの際の「先生さようなら」 
上手にいえるようになってきた。
お辞儀もついたスペシャル挨拶も板についてきたから、プロンプトはずしてみよう。
長男と先生の前に行って、私「先生~」だけ言ってみた。

長男「先生~・・・・・                      ありがとう・・・」



うん。間違いじゃない。先生への感謝。周りの人への感謝は忘れるんじゃないぞ。子どもたち。

でも、そんな不意打ちな言葉に、笑わせてもらえることはありがたいことである。



そんないろんな楽しいエピソードが、私の生きるエネルギーになる。



面白いエピソードがあると、これで1週間楽しく生きていける。なんて思うこともある。
たくさん笑わせてもらって、たくさん泣かされることもあるけれど、それも全部ひっくるめて、
子どもたちに感謝の気持ちでいつもいっぱいなのだ。



ただ、最近気がついた。
次男が保育園に行って、一人で過ごす時間が出来ても、一人で掃除する気に全くなれない。
今まで、子どもがいる間に、現実逃避(子どもたちの遊んで遊んでの視線から逃れたい)的に
掃除に没頭していたのがいつの間にか当たり前になり、
子どもがいないときに掃除をすることに、全くモチベーションが上がらなくなってしまった。

なんだか、ボーっとしてしまうのね・・・・・・・・・・・・


子育てにおいて役割があるってことに、私は生かされていたのだった。
このままではいけないぞ。。。。

さあ、これからは、もっと自分の足で立って、自分の足で進もうと思う。

笑う角に訪れる何か。。。。を信じながら。