人工知能 vol29



















さて、台湾での留学生活もそろそろ終了し、就活も間近に迫っている。

何かと忙しい年末だが、一つ気になったことがあったので、今回はそれについての個人的が考えを、

手当たり次第に書いていこうと思う。

よろしくおねがいします。

問題となったのはこの記事の冒頭にある画像である。

これは、一般社団法人の”人工知能学会”が発行した学術誌、『人工知能 Vol.29』の表紙である。

この表紙に描かれている女性型ロボットの表現が、

「男尊女卑を表している!ひどい!」

「女性に家事を押し付ける性差別だ!」

といった批難を浴びているのだ。

ちなみにこの号の前の表紙は↓

人工知能 vol 28


















ずいぶんと違うことがわかる。

どうやらこの学会の方々は、あまり一般にはなじみのない人工知能という分野において、

もっと一般の人々にも興味を抱いてもらえるように、と親しみやすい表紙へと変更したようだ。

たしかに学問の分野は、それまで全く興味のなかったことでも、ふとしたきっかけで夢中になることがある。

個人的には哲学がそうだった。

こういった方法で色々な人に情報を発信しようとすることは、批難などされず、むしろ賞賛されるべきことだろう。


と、ここまでがこの事件の前提。

以下、新しい表紙とネットでの反応に対する自分の考えの足跡を書き連ねていく。

多く、アーティストのスプニツ子さんのツイートを引用させていただいています。

結論だけ先に書いておきますが、個人的には

個人的には大して問題のある絵だとは思わない。
しかし、学会は確かに性差別に対する配慮が足りなかったと言わざるをえない。
それは、自らの社会的に負う責任を考慮して、客観的に絵が潜在的に持つ問題に気づくべきだったからだ。
しかし、それに対する学会への批判は、大きすぎる。


と考えています。

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自分の第一印象 → この表紙は問題ないのでは?オーバーリアクションでは?

「縛られて家事に従事する女性」
「うつろな目」というツイートを見る。一考する。
ふむ・・・と一息つく
自分としてはうつろな目には見えない。どちらかというと、誰かの視線に気づいた目、といった感じがする。
確かにコードに繋がれてはいるが、これは、むしろこれがないと人工物であることが分からないからこその作り手の配慮なのでは?
確かに別の方法で人工物であるとアピールはできたと思うが・・・。

ここで、コード云々じゃなくて、”女性”がモチーフであることが問題であると気づく
自分の中の素直な印象として、女性の温和なイメージの方が家事をする姿に合うのは確か。
ただ、家事→女性という、一種のバイアスを抱いていることも真実だと思う。
この時点での俺の思考「確かに差別的な表現を含んでいると言える。しかし男尊女卑がこの絵の主題ではないだろう。主題とは関係ないことなのだから、気にし過ぎでは?」

スプニツ子「これが黒色・黄色人種だった場合のことを想定してみて欲しい。」
→なるほど・・・・。たしかにそういわれると問題な気がしてくる。
あと、スプニツ子さんの中には、「女性には歴史の中で不当に差別を受けてきた長い年月があるんだ!」という強い意識があるということも分かった。それに対して強い憤りを感じていることも。
まあ自分は、おとんよりも随分と強いおかんと姉上を見て育ったから、男尊女卑なんて考えはいまいち実生活と結びつくところが無いのだが・・・。

あの表紙はもちろん、男尊女卑を表現するために描かれたわけではないだろう。
ただ、作者が”家事をする女性”を題材として使用したところには、偏見と男女意識の差が含まれていると考えられる気がする。
じゃあ男だったらいいの?という話ではないとも思う。男だったらそれはそれで、男性に家事の負担をさせるべきだという差別、だと言えてしまうから。
まあ多分、実際に表紙が男だった場合は、女尊男卑というよりは、ただ単に「奴隷を彷彿とさせる。」みたいなことを言われただろう。
女性だったら男尊女卑で、男性だったら奴隷との批判を受けることの差に、じゃあ女性は家事すべきって言うのは奴隷として働けってことじゃんという指摘があるかもしれないが、例えば女性の労働環境と奴隷の労働環境は天と地ほど違うし、女性は家事をするというのはあくまでもかつての役割分担の残りであるのに対し、奴隷はまったくもって強制的である点でも違う。何が違うのって、例えば兼業主婦で夫が家事を全く手伝わないとかだったら、女性は離婚を申し出る自由がある上に慰謝料までいただける。これは奴隷ではあるまい。

この表紙絵の作者自身が、どのような表現を用いようと自由だとも思う。元来絵画は記号・シンボルで意味やニュアンスを表してきた。
女性には家事のイメージ・温和なイメージが実際にある。あの表紙に男か女が描かれていたとして、どちらが絵になるか?(=美しいか?)と言われたら、俺は後者だと答える。そっちの方が綺麗だから。
恐らく表紙の作者は、「人工知能→人を助けるもの→人を助けるといえば身の回りの世話とか?→家事→家事をする女性」 という流れでこの絵にたどり着いたのだと思う。
自分はこの思考の流れを自然なものだと考える。
ただ、例えば「家事をするC-3PO(スターウォーズの金色ロボ)」を書いたとしたら、こんな問題にはならなかっただろう。
つまり、その点について学会は配慮が足りなかった。
というか、その問題に学会はしっかりと気づいて、絵の採用を見送った方がよかったと思う。
学会には”性差別”に対する問題意識が薄かった。だから問題になった。
ただ単に、見た目も機械的なロボットが家事をしている様子、であるならば、きっとそれほど大きな問題はないのだ。(自分はロボットに関する倫理観とかの詳しいことは知りませんのであしからず)
ただのロボットでもいいはずのものが、敢えて女性の見た目をして家事に従事している。問題の本質はここにある気がする。

スプニツ子「女性が描いた男性が描いたでなく「学会誌の表紙デザインに無自覚に起用されてしまった現状」が問題なんだよ!」
学会誌は世界に対して発信していくものなのだから、スタンダード以上にグローバルな視点をもって物事を捉えることが大切。
学会誌が世界を対象としている場合、これには完全に同意。

スプニツ子さんはこの問題に関する発言への返信で、激しい暴言をくらっていた。
これはやはりツイッターという匿名環境の影響が大きいと見える。これに対し、彼女は「アニメ絵がプロフの人から多くの反論を〜」というツイートを掲示。
その後、その発言を訂正している。(恐らくこの発言は自分を悪く言った人々に対する憤慨から、反論と同時に軽蔑の対象としてオタク要素を含めたと思われる。まあこれはただの推察。)
ただ、スプニツ子さんに限らず、他のアンチ表紙派の人々も、学会の理事やオタクに対する激しい罵倒を展開。結局民度は変わらねえじゃねえかと思ったのが正直な感想。(自分も民度高くないのは承知)
確かに学会は配慮が欠けていたし、一部のオタクがスプニツ子さんを罵倒したりしたかもしれないが、それでも学会はそこまで過激な批難を浴びせられるほどのことをしたとは思えず、オタク云々は一部の例を一般化した上での蔑視でしかない。

スプニツ子さんはこの表紙に対する最初の発言で、「人工知能学会誌の表紙デザイン ひ ど す ぎ !!! うつろな目で掃除をする女性型ロボット..」
と言っている。これはいきなり学会の態度に憤慨したというよりは、表紙の絵そのものに憤りを覚えているように思える(俺には)
後に、「ああいう描写はイラストやアートとしては完全に自由だと思うし、個人的に絵を可愛いと思っている。」と言っているが、俺には彼女最初の表紙に対する印象は、表紙絵そのものに対する怒りだと思えてならない。
彼女は何かを表現する芸術家という立場であり、他人の創作物が持つ、表現の意図を汲み取る感覚に優れていると確信しているからだ。
そんな彼女だからこそ、第一印象で強い憤りの感情を抱けたのだと思うし、他人の価値観に影響を及ぼしたいと考えているからこそ、スプニツ子さんには素晴らしい作品が生みだせるのであろう。
彼女の感覚を否定する理由は無いし、そもそも何を感じるかは自由だ。
まあ、オンラインで意見を発信する上で伴う責任は十分把握すべきだが。
俺は個人的に、政治家などではなければ、有名人だろうが自由に意見を言っちゃってもいいさ、と思っている。


最後に考える。

確かに学会は配慮に欠けていたと言えるかもしれない。そして芸術家は何を描こうが自由。人が何を思うもまた自由。
では、学会は一体何を基準にこの絵の採用について考えるべきであったか?、を考える。
この絵について女性へのバイアスを考慮して採用を取りやめるべきだったか?

学会とは確かにグローバルなもの。
しかし雑誌の中身は日本語というローカルな表現形式。明らかに対象は日本人。そこまで世界を意識する必要はないという考えはありうる。
ここで、JapaneseだろうがGlobalだろうが男尊女卑的表現はダメだろという指摘が一つ。
はたまた、絵を見てそこまで男尊女卑を感じる人はいないんだから、そんな配慮しなくていいでしょ、という指摘もある。
最初の方で述べた、「そもそも女性かどうか本筋じゃなくて、あくまでも人工知能が人を助けているのが大切なんだから、気にしすぎ」という点も大切だ。

よく考える。

俺は、もしこれが英語で書かれた世界向けの雑誌だった場合、恐らく「これは配慮が明らかに欠けていた。」という結論を持つ。
それは世界的に見て、女性の自由を保証すべきという考えがマジョリティだから。
ならば、対象が日本社会になった場合はどうか。価値観は世界全体と日本だけとでは当然異なる場合がある。よって、同じ問題に対して異なる判断を下すことは、必ずしも誤りではないと思う。
それでは、女性差別のトピックに関する日本と世界の価値観はどうか。これは日本と世界でも、対して差がないように思える。つまり、俺の意見は雑誌が英語であった場合と同じで、学会は配慮が欠けていた!というものになる。

「女性の方が見栄えする、綺麗だからそう描いただけ。本筋じゃないんだからいいじゃん。」という意見についても考える。

本筋じゃないことは確かだろう。
それはこのモチーフを選んだ理由が恐らく、「人工知能→人を助けるもの→人を助けるといえば身の回りの世話とか?→家事→家事をする女性」
というものだから。

綺麗かどうかという点について考える。これは主観的なものにすぎないと思える。学会は学術的発表をする機関であり、社会に対して情報を発信することにまつわる責任をもつ。
このことから、客観性を求められるであろうと考える。
これは論文の内容に客観性がある、とかだけではなく、学会の態度からしてそうあるべきだと思う。(=客観性を持つべきだ)
よって、綺麗な方を選んだだけだから問題ないだろ、という指摘は誤りだという考えにいたる。

また、用いた表現に問題があるかどうかを見極めることは、採用する側にとって重要な役割であり、
慎重な立場が用いられる以上、「本筋じゃないからOK」と、楽観的に結論を出すべきではないと思う。もちろん、個人個人が「これそんな問題じゃないでしょ」、と思うのはまったくもって問題でない。
事実、自分自身もこの事件がそれほど大きな問題ではないと思う。
スプニツ子さんの指摘はもっともだ考える一方で、学会に対する批判が大きすぎるとも思うのだ。



以上が自分の考えたこの事件に対する意見です。

個人が何を思おうと勝手なので、あれを差別と捉えるも、重要でないと捉えるもよし。

ただ、だからといって、過激に他人を批難してはいけません。基本他人が何を思おうとOKなわけです。

メモ帳に書きなぐったことをコピー&ペーストしただけに近いので、長いうえに読みづらい駄文ですが、

ここまで読んでいただきありがとうございました。

それでは


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追記:考えの簡易まとめ
論点,海粒┐呂いいかりとは必ずしもいえないレベルで問題を内包しているか? (=問題なんてなくね?)

あると言える。女性を黒人男性に見立ててみる。黒人はかつて世界で奴隷として働かされていたので、かつての奴隷としての黒人を想起させる可能性が十分にある。そして奴隷は明らかに時代錯誤。
女性は日本では、現代に至っても、「従順なほうがよい」「家事は女性がすべき」という考えが残っている。
そして男尊女卑が原因で不当な扱いを受けている方々は確かにいる。そしてそれは日本でも時代にそぐわないと言われいる。よって時代錯誤といえる
→必ずしもいいがかりではないレベルで問題を内包している。

論点絵の中で問題となっている点は、絵を見て明らかに問題だと言えるか?

これは違う。確かに、この絵を見て「人間の命令を聞くべき存在であるロボットが、女性の姿に扮している。これはつまり、女性は命令を聞くべきという差別を表現しているんだ!」ともいえるが、絵を見てただ単に綺麗だとしか思わず、不快感は特に感じないという人たちは多くいるように思える。
男尊女卑を表しているというのは、あくまでも一つの解釈にすぎないといえるだろう。

論点この事件の問題は、作者にあるか、絵の表現にあるか、学会にあるか。

学会である。
まずは作者について考える。
例えば、自分が、「ヒトラーに率いられる、人工知能のナチス兵の図」をテーマに絵をかいて、この学会の表紙の公募に応募したとする。普通の常識でいえばこれは採用されない。しかし選ぶのは学会であり、自分がそれを描いて応募すること自体は自由である。ふさわしくないと思われれば選ばれない、ただそれだけである。
よって作者に非はない。
絵の表現についても、△能劼戮燭茲Δ法一解釈でしかない。よって、絵の表現をメインに据えて、この事件の核だと言うのは難しい。それに表現の対象や方法は自由であるべきだと自分は思う。
では、学会はどうか。学会が絵をどう選ぼうと、その基準は自由である。一般に認知されやすいようにイラストを起用しようが、知的に見せようと大学の教科書のような無機質な表紙にしようが、あるいはただ単に綺麗な絵を選ぼうと自由だ。学会が何を意図してこの絵を選んだのか、という具体的な基準は明らかではない。
しかし、本文で述べたように、学会には社会的責任がある。メタリックなロボットではなく、極めて人間的な女性に人工知能が組み込まれている意味、そして家事に従事している意味を、一考する義務があったように思える。そして、実際に大きな反感を読んでしまっているのも事実。学会という学術的立場からも、時流を鑑みた表紙の選択をすべきだったと言えよう。

論点こ慍颪呂修譴曚病腓な過ちを犯したのか?

個人的にこれはNoだと思っている。まず、先のヒトラーの例とは異なり、あの表紙絵は明らかに男尊女卑を
謳っているものではない。あくまでも、解釈の一つでしかないのだ。
そしてさらに、恐らく学会の理事たちは、この絵の内包する問題には気づかなかった。
気づいていたら採用は取りやめていただろうし、HPにも、「学術誌らしい表紙ではないから採用を悩んだ。」、と書いてある。男女差別云々とはどこにも書いていないのだ。
問題に無自覚で選んだ人に対して、強い糾弾をするのはあまり気持ちのいいことではないし、
この件はあくまでも問題提起のきっかけになっただけで、実際に女性を差別しているわけでもない。
それを、あたかも殺人犯かのように人格否定してしまうのは、行き過ぎた言動だといわざるをえない。
学会は認識不足を反省し、その旨の謝罪文を掲載して、以後気を付ける、と述べればそれでいいのではないか。