April 22, 2012

息子の病気(その4)

3月半ばから今週まで「Delayed Intensification」と呼ばれる治療がありました。
半年間の集中治療の2回目の山で、副作用がきつく、免疫力が低下するらしいと聞いて、周りの友人や親戚に応援を頼んだりして覚悟していました。

その期間中に投薬される薬の中でもステロイド薬は、たった数ミリグラムの経口剤なのに副作用が強く、飲み始めてすぐに吐き気、気分のムラ、鬱に悩まされました。
学校に行くどころか、家を出ることも車に乗ることもいやがり、毎日ベッドとソファの往復のみ。「何かで遊びたいけどなにもできない、何をしたいかわからない」といってしくしく泣き、結局はビデオをぼーっと見て時間を過ごす事がほとんどでした。

ステロイドのもう一つの副作用、異常食欲もまた始まりました。
1時間ごとに何か食べたくなり、はっきり食べたいものがあるんだけど、それが食べられないと食べられるまでずーっとほしがります。そして欲しいものもころころかわる。。。まるで妊婦のつわりのようです。 11月によく食べたがったものは、飲茶、ワンタンヌードルスープ、かぶの煮物、ブロッコリー炒め、白いご飯。

今回はそれがころっと変わり、マカロニ&チーズ、牛乳、チーズ、フライドポテト、唐揚げ、コロッケが大好物になり、乳製品と油物のオンパレードで作ってる私が気持ち悪くなるほどでした。途中から、全部作ってあげるのを諦め、マカロニ&チーズは冷凍食品で済ませ、フライドポテトは近くのカフェでテイクアウトするようにしました。ほぼ毎日同じカフェにポテトを1つだけオーダーしに来ていた私のこと、お店の人は不思議に思っていたことだと思います。

この時期に限ってまた主人の出張が重なってしまいました。娘の保育園の送り迎えに息子を連れて行くこともできないので、あきらめて3人で一週間家にこもりました。友達に1日2時間ほど家にきてもらって息子をみてもらっては、娘を公園に連れて行ったり、買い物に出かけたりして、なるべく私と娘が煮詰まってしまわないように気をつけました。

主人が出張から帰ってきてほっとした頃に今度は息子が熱を出しはじめました。
3月28日の夜中3時、うんうんうなっている声で目を覚まし、熱をはかると38度1分。息子の病気の場合、38度を超えた場合、1時間後にもう一度計りまだ38度を超えていればすぐに病院にかけつけるようにと医師から指示されています。普通の人よりも免疫力が低いため、高熱が出てから症状が短時間で悪化してしまうからだそうです。

直感で今日はダメそうだと思い、入院の準備を始めました。1時間後、38度4分になったのをみてすぐにERにかけつけると目安になる絶対好中球数(Absolute Neutrophil Counts)という数値が驚くほど下がっているとわかりすぐに点滴、抗生物質の投与が始まりました。「感染の可能性を調べます。数値が上がって熱が下がるまで入院です。」と言われて、11月に発病してERに来たときの恐怖がまざまざとよみがえってきて我慢できず涙が出てきました。入院だけはしたくないと頑張って薬に耐えてきた息子も、がっかりした様子でした。

翌日には大量の抗生物質と点滴のおかげで熱は下がり、ほっとしたのもつかの間ステロイドの抗がん剤治療を再開すると言われ、また副作用とのたたかいが始まりました。

4月1日無事退院。その後も投薬と副作用は続き、家にこもる日々も続きましたが、なんとか今週この治療も終わりました。これから3週間、次の治療まで薬は休憩です。今回の副作用で髪の毛は全部抜け、足もバランスが悪くてよくこけるようになりました。それでも今週はがんばって学校に3回顔を出す事ができたし、だんだん体力が回復しているのがわかります。

集中治療ものこすところ2ヶ月。もうしばらく頑張ります。




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astrogirl_2004 at 01:28|PermalinkComments(1)

February 23, 2012

息子の病気(その3)

1月から息子の治療がゆるやかなものに移った事もあり、毎日「できること」が増えて行き、元気な笑顔で家の中を走り回るようになった。週に5時間の家庭教師では物足りなく、私一人で相手するには手に負えないほどの体力になっていたので、担当医師に相談して学校に復帰させる事になった。

2月1日、まるで入学式がもう一回来たかのようなうれしさで登校した。校長先生、事務員、担任の先生、同じクラスの親御さんたちが口々に歓迎の言葉をくれて、なんでも協力するからと言ってくれ、クラスの扉を開けて息子が入るとクラスメートから歓声があがった。

去年の9月に入学したときは既に病気が進行していて、病名を探している状態だった。息子の表情はいつも硬く、これ以上痛みを感じないように自己防衛に必死で友達なんか全然できていなかったから、何かがおかしい。こんなはずじゃない。と思う日々だった。 

2月からの息子の表情は打って変わっていつも笑顔で目がきらきらしているし、友達とのおしゃべりがとまらない。どんな血液検査の数値を見るよりも息子が回復していることを実感できる。

ただ、私が期待していたほど完全には学校に復帰できてないのも事実で、ほとんど毎日、体のどこかに副作用の痛みを感じて早退したり、ひどいときはお休みしている。 学校に送り届けて1時間で保健室から電話がかかり、急いで学校に戻る事もしょっちゅうだ。

実際に迎えに行ってみると「足が痛いけどまだ学校にいたい。ママがいてくれたらまだ残れると思う。」と言う。仕方なく教室の後ろに待機。そうすると息子はほっとするのか何事もなかったかのようにクラスに戻って行く。痛さと楽しさのどこで線引きをするか、毎日それが難しい。

今の治療は10日間に一度2種類の抗がん剤を投与するのだが、血液の数値がいいとその都度、薬の量が増やされる。2月1週目と比べると確実に副作用は強くなっており、特に投与した翌日は下痢や嘔吐に悩まされるようになってきた。薬はもう一度3月1日に増やされ、その後はまた別の薬の集中治療が始まる。

明日は学校行けるかな。。

七五三調子のよかった2月初旬、リトルトーキョーのお寺に七五三のご祈祷に行きました。千歳飴の代わりにペコちゃんチョコレートでしたが。。。

astrogirl_2004 at 17:40|PermalinkComments(3)

January 16, 2012

家のこと

引っ越しのブログを買いてからながいあいだ話が途切れてしまった。さかのぼる事9月12日、無事に愛する我が家を売却し、仮住まいのマンションに引っ越した。引っ越しの日、既に息子は膝の怪我で立てなくなっていたので、からっぽの家に一つ残されたソファーに座って引っ越しが終わるのを待っていた姿が印象的だった。

その後も毎週末、2,3軒のオープンハウスを見に行き続け、次の家を探した。息子の怪我と並行していたので「息子がはしゃぎすぎて足首を痛めた家」とか「3階建てのすみずみまで息子を抱っこで回った家」などと関連づけて覚えていた。

そして10月末に見た一軒をダンちゃんと私がとうとう気にいった。その物件は今よくあるショートセール物件(持ち主がローンを払いきれないため、ローン会社あるいは銀行が家を売りに出している。フォークロージャー/差押え物件の一歩手前)。不動産担当者はショートセールはおすすめできないといい、銀行との交渉に時間がかかり、いつ手に入るかわからないし、待っても最後に手に入らない可能性もあるから止めた方がいいとしつこく言ってきた。それでも直感で二人ともすごく気に入ったので、ダメもとで購入希望を出し、他にいい物件が出てきたらそっちに乗り換えようということに決めた。

その直後に息子の症状が悪化。オープンハウス巡りも一旦やめざるを得なくなった。息子が入院し、私の気持ちも混乱しているときに不動産担当者から連絡が入り、予想に反して着々とショートセールの手続きが進んでいるといわれた。こっちは医師から別室に呼ばれて病名を宣告されているというのに、そんなこと言われても正直どうでもよく、サインをしなくてはいけないものだけiPhone上で無条件にサインしては送り返した(最近のアメリカの不動産売買はほとんどe-sign/ウェブ上の電子署名だけでできる)。

退院して息子の看病で精神的に大変だった間もさらに家の交渉は進展を続け、私たちは心ここにあらずの状態でサインをし続けた。何度も「これでいいのかしら?あの家本当に気に入ってたのかしら?」と不安がよぎったけれど、息子の状況が状況だったので「こんなにうまく交渉がはかどったのも何かの縁さ」と割り切って流れに任せる事に。。。そしてあれよあれよという間に12月28日、「おめでとうございます!」と鍵を渡された。他人事のよう、というのがまさにそのときの気分だった。

さて、息子が歩けるようになり調子もいいので、今日はじめて家族で新居に遊びにいった。息子とダンちゃんはさっそくだだっ広い庭で久しぶりにバッティング練習。娘と私は庭を歩き回ってちらほらと咲き始めた花や実を拾った。山が目の前に見える住宅地で空も広く緑も多く、とーっても気持ちがいい。この家に決まってよかったと心から思えたひとときだった。

早く引っ越したいところだが、あと数ヶ月お預け。家のあちこちに修理が必要で、息子の免疫力が低いため、修理が終わってからしか住めないからだ。これからしばらく週末ごとに遊びに行くのが私たち一家の楽しみになりそうだ。

IMG_1116ここが子供部屋になる予定。ただいま壁の色を選定中











IMG_1135庭を散歩して見つけた花や実。リスの人形まで発見!

astrogirl_2004 at 15:39|PermalinkComments(1) | Los Angeles

January 04, 2012

息子の病気(その2)

11月18日抗がん剤治療がはじまった。最初は4日間。点滴、投薬、そして脊椎から、いくつかの薬を入れる。PICCラインという血管カテーテルを腕につけられ、それ以降、何度も繰り返される血液検査や点滴はすべてその管から行われることになった。その都度、針をさされる心配がないので私も息子もずいぶん精神的に助かった。4日間の抗がん剤で、かなり効果が出たらしく、これまで24時間のモルヒネでも取れなかった痛みがうそのように消えた。5日目に退院。ここからは定期的に通院しながらの治療にかわった。

最初の30日は寛解導入と言って、体内の白血病細胞を全滅させるための集中的な投薬だった。主な薬はステロイド。1週目ぐらいから副作用で食欲が異常に増え、夜中も空腹で起きるほど。特にうちの子は食べたいものがはっきりしていて、「ワンタンラーメンが欲しい」といってみたり「かぶの煮物が欲しい」、「とろろかけご飯が食べたい」「飲茶がほしい」と言って食べられないと泣いたり、私は彼の欲求を満たすため、周りの友達に買い物を頼んだり、食事作りで一日中振り回された。

食べると胃が痛み、気分がめいってぼーっとテレビを見るだけ。何か遊ぼうか?と聞いても答えず、廃人のようだった。11月13日からずっと自分の足で立てなくなっていたので、トイレに行くのも食卓につくのもすべて抱っこ。
30日間のステロイドのせいで、体重は4キロも増え、顔はムーンフェイス、靴も入らなくなり、おなかも風船のように膨らんだ。2週目ぐらいに髪の毛が抜け始め、退屈すると引っ張って髪をぼろぼろ抜いてはその量に自分でも驚いていた。

全身麻酔で骨髄検査を受ける日には、前夜から飲食が禁止。検査を待つベッドの上で、息子は空腹に耐えきれず大声で泣きわめき、「食べたい!食べたい!ばかばかばか!」と私にむかって叫び、周りの看護婦達を驚かせた。

芯の強い子供なのでほとんど弱音をはかずに医師のいうことをきちんと聞いたが、イライラする時は私にあたった。薬のせいだとは思っていても、一日中部屋にこもって看病をするのに疲れて私も何度か泣き言をいったら、息子はそれを聞きながら悲しくてしくしく泣いていた。

12月16日導入治療が無事に終わり、血液中から異常な細胞がなくなった。あれだけ急激に増殖していた細胞がたった1ヶ月で消えるなんて狐につままれたような気分だった。それからクリスマスまでの1週間、息子の症状が格段によくなった。笑顔が戻り、食欲が普通に戻り、字を書いたり、絵を描いたりする気力が戻ったのがうれしくて夜も眠りたがらないほどだった。

クリスマスまで1週間の休暇がもらえ、薬と副作用のない毎日を過ごした。ただでさえお祝い気分のクリスマスの日々、どこにもいかず家にこもっていても私たち家族はとにかくうれしかった。

その後から一旦全滅した白血病細胞が戻ってこなくする地固め治療が始まった。新しい副作用を恐れたが、うれしい事に今のところ特に何も見られない。これから数ヶ月、薬が変わったらまた新たな悩みが出るかもしれないけれど、それはそのときに対処しようと思う。とにかくこの調子で3年間治療を続けたら完治する可能性が見えてきた事、息子ができることが毎日増えているのが心からうれしい。

これまでも家族や友達に応援してもらって何度も救われた。世界のいろんな所からただ息子や私たちのことを考えてくれていると思うだけで励まされた。
この場を借りて心からありがとうございます。私たちはこれからもがんばるので応援していてください。

IMG_1055クリスマスイブ。どうしてもたべたかった小龍包レストランで大満足。


astrogirl_2004 at 13:35|PermalinkComments(11)ALL 

息子の病気

7月末に、息子が肩を怪我し、原因はわからないのに異常なほどに痛がる日々が続いたときはまだ成長痛だと思ってた。

9月頭、もう片方の肩を怪我して腕があがらず、入学したばかりのキンダーで毎日泣いている彼に対しては正直どこかでイライラしてた。

1週間後には膝の怪我で立てなくなった。その2週間後には反対の膝が、そして足首がおかしくなった。家の中では抱っこで移動、学校の送り迎えはベビーカー。入ったばかりの学校では「足の痛い子」と覚えられるようになり、先生に細かくお願いしても過保護な親と思われ始めた。整形外科と小児科で診てもらってもその度に問題はなく、「時間が解決するでしょう。痛かったら市販の痛み止めを飲んでください。」で終わった。心がざわざわする毎日だった。

10月半ばのある日起きてきて今度は突然、腕が痛いという。手首から肩まですべて痛くて腕があがらない。こっちは仕事があるから、心を鬼にして学校に無理に行かせるが、鉛筆を持てず、お弁当袋も鞄から出せず、しかもそれを誰に相談する事もできずにしくしく泣いて帰ってきた。心の中の信号が赤になった。小児科医に懇願してもう一度見てもらい、「小児リウマチの可能性があります」と告げられる。リウマチ専門医に紹介状を書いてもらい、アポを待つ事10日間。その間に、徐々に市販の鎮痛剤では効かないほどの痛みになっていた。

10月末、タイミング悪く私もイベントの仕事がピークで、正直仕事の間どうやって子供を預かってもらうかを考える方に気が回ってた。イベントを無事終わり学校のハロウィンイベントに駆けつけると、格好よくダースベーダーのコスチュームを着た息子が、痛みで棒立ちになり、マスクの下で号泣していた。そこまで無理をさせていた自分が情けなく、こんなはずじゃないのにと無性に悔しくて、しばらく仕事は入れないと決めた。

その数日後、リウマチ医にやっと診てもらったときには、腕がはれあがって「く」の字に曲がったまま伸びなくなっていた。小児リウマチと診断されるためには数々の検査結果が必要で、それがないと小児リウマチ専門医に診てもらえないと説明され、早速、MRI, 血液検査、と順番に片付けて行く。強い痛み止めを出してもらうが、それもだんだん効かなくなり、早く診断をしてもらえないのかとイライラする毎日だった。

11月13日(日)。朝、旦那が海外出張に出発した。それを見送る事もせず、ベッドから出てこない息子を横目で見て、無意識に悪い予感がした。
突然歩かなくなり、ベッドから出てこない息子をみて、私ができることは痛み止めを定期的にあげることとマッサージをしてあげることだけ。不安でリウマチ医に1時間ごとにメールで相談した。夜8時、医師から電話があり、小児病院の救急に行くことを薦められる。入院してしまえば翌日にでも小児リウマチ専門医に見てもらう事ができ、紹介状のアポ待ちを短縮できるというアドバイスを頼みの綱にして、急いで入院の準備をして家をでた。頼りがいのある友達が車で駆けつけて娘をしばらく預かってくれると言ってくれて本当に助かった。予想通りその夜から入院。痛み止めにモルヒネが24時間入れられる。薬の効果で息子は元気に出張先の主人と電話で話せるぐらいまでになって私の緊張はかなりゆるんだ。

入院して二日間はモルヒネと痛み止めで様子をみながら、血液検査、レントゲンなど順番に検査。大泣きに泣く息子を見守りながら検査をすすめ、三日目に骨髄検査をして、血液中の白血球の状態を見ることになった。その結果次第でリウマチの治療が始められるというので、私はどこかほっとしていた。

ところがその日の夕方、新しい医者に別室に連れていかれ、「白血病」だと告げられた。 これまで何度かリウマチの別の可能性として名前は挙げられていたが
言葉がはっきり飲み込めなかった。ただ出張先の主人に伝えなきゃという思いと、なんでうちの子がという思いがぐるぐる頭を回った。

翌日、ものすごいスピードで出張の予定を繰り上げて帰ってきた主人と、医師との話し合いをした。同じ病気の中でも「急性リンパ性白血病」の前駆Bタイプで症例も多く、治癒率が85−95%に至る事、治療が3年ほどかかること、など詳しい事を聞いた。頭で大丈夫だと思っても涙はとまらなかった。

IMG_0984入院中も左腕の痛みが続き首を曲げてテレビをみる息子


astrogirl_2004 at 04:25|PermalinkComments(1)ALL 

June 01, 2011

「やっぱり買いません」ってそんなー!?

家を売りに出してから3回のオープンハウスを開き、総勢100人が見に来て、5件の購入希望オファーが届いた。その中から選りすぐって一組のカップルに我が家を売ることに決めたのが一週間前。

それから建築物の査定をする人が来て家の隅から隅まで調べ、売り手が修理代を払うもの、買い手が数年後に修理をしなくてはいけないもの、などをリストにする。同時に、売買の代理を行う仲介業者がローン額を確認したり、細かい作業を行って契約から45日で鍵の引き渡しになる予定。

先週土曜日に、私たちは外出するように言い渡され、査定の人が家を調べにきた。

なんせ、こっちの家は築40ー60年なんてざらにあるので、柱が腐ってる、水漏れがする、蜂の巣がある、などふたを開けてびっくりなことがよくあるのだが。。。

我が家も例外ではなく、屋根のあちこちに穴があいていて、水漏れするので屋根を修理する必要があることが判明。雨がほとんど降らないロスだから、そんなこと気にしなくても平気で住めるのですねー。

私たちはもちろんその修理代を払う覚悟で、査定の一覧表が届くのを待っていたら、突然、今日、買い手から「屋根が古くて、住めない家らしいのでやっぱり買うのやめます。」っていう返事が返ってきたからびっくり!

えええええーーーーー?!そんな一方的に!?こっちに何の相談もなしに? 私たちは実際の査定に立ち会っていないので何がどの程度悪いのかもわからず、ただ呆然。。。

一応、私たちの雇っている不動産屋が先方と交渉してくれて、屋根の修理屋さんの見積もりをもらってから、改めて買うか買わないか決めてほしい、ということになったのですが。。。

どうなるのかなー。なんとしてもこのカップルを逃がしたくないのです。そして早く次に住む家を見つけて、7月か8月までには次の家で落ち着いていたい。。。







astrogirl_2004 at 15:32|PermalinkComments(0) | Los Angeles