2006年09月07日

久留米大砲ラーメン

久留米大砲ラーメン「ご当地」と言われるラーメンのメッカをいくつか旅したことがあります。しかし豚骨ラーメンにとって聖地ともいうべき久留米を未だ訪れていないのです。ラーメンフリークにとって、それは怠慢といっても過言ではありません。出張のついでに一日休みをもらい(店長、そして職場の同僚のみんな、ありがとう!q(≧∇≦*)p )、このたびようやく成就しました。まず訪問したのは言うまでもありません。全国にその名を轟かす「久留米大砲ラーメン」です。
久留米は意外に佐賀市から近く、バスで1時間もかかりません。久留米の駅から歩いて10分少々のところにかの有名な「久留米大砲ラーメン」の本店があります。

ラーメン(450円)を注文。安いです。メニューには、屋台時代のラーメンを再現したという「昔ラーメン」(480円)というのもあります。迷いましたが、一番オーソドックスなものを選択。これだけ有名なお店だと、再訪することもあるでしょう。って厨房を見ると、あの香川均さん自らが厨房に立たれているではないですか!ちょっと感動です。

幸い厨房がよく見渡せる席に座れました。豚骨の出汁が入った寸胴は3つあり、左から右のほうへ向けて順番に移されていきます。ただでさえ品質を安定させるのが難しい濃度の高いスープ。「呼び戻し」も炊き上げる釜の数を増やすことによって、味のブレを最小限に抑えているのですね。

関西人いや全国の大多数の人にとって、久留米=濃厚な豚骨というコモンセンスが成り立っています。しかし「無鉄砲」や「まりお流」を知っている我々は、一般的な久留米ラーメンを食べると?と感じます。「無鉄砲」のそれをもって久留米系などというのは、正確なカテゴライズではありません。関西の圧倒的ともいえる豚骨の雄に、粘度の軍配は上がります。

ではなぜ、久留米ラーメンが全国的に濃い豚骨の代名詞となったか。あくまでも私見に過ぎませんが、九州域内における相対的な位置における久留米の存在、率直に言えば博多のそれとの比較において「濃い」というに尽きます。ただ、「濃さ」の概念が伝統的に「天下一品」など鶏こってりをベースにもつ京都人の感覚とは性格を異とするものです。佐賀の「一休軒」でも若干触れましたが、「濃さ」とは粘度の高さをいうのではなく、出汁の純度の高さ。「味が濃い」ということです。

久留米大砲ラーメンをいただき、そんなことに考えを巡らせました。
(異論をお持ちの方もいらっしゃると思います。ぜひコメントにてご意見をお聞かせください。)

さて、ラーメンは至ってシンプルな井出達で、具材はチャーシューと卵、ネギ。価格が価格だけにある意味仕方ないでしょうが、卵は半玉ではなく輪切りなのが少し寂しい。(^_^;) 麺はかなり細く(九州では標準的な細さかも知れません)、加水は相当低いです。誉れ高いそのスープは余計な油分は全く感じず、実にまろやかで旨味が凝縮しています。苦もなく最後まで飲み干せるスープでしたが、底には相当量の骨粉が沈殿しておりました。卓上に据えられた「煎り胡麻」や「辛子タレ」を加えると、味も七変化。いずれも自家製で販売もされています。香辛料・薬味の類ながら、実に自然な風味で美味しかったです。

久留米大砲ラーメン 醤油工房久留米大砲ラーメン 外観「さすが」と言わざるを得ませんね。

(→ お店の外観。となりには「醤油工房」と表札の掛かった建物が。気になります...^_^; )
地図 お店HP

【2006年9月7日訪問】

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この記事へのコメント
そうそう、私も「大砲」に荒木と行きましたが、久留米ラーメン=「こってり」=「高粘度」の印象がありましたが、全然粘度が無く拍子抜けさせられました。

頭骨が入っているので臭みがあり、脂分が少ないので粘度が出ないので、向こうの方と京都人の「こってり」の感覚がかなりずれていると思いました。

同様に「魁龍」も案の定拍子抜けです。

Posted by 石田 at 2006年09月26日 09:14
私も5年ほど前訪問しました。博多でラーメン三昧。「一蘭」「一風堂」「しばらく」など食べて満足してました。また、小倉では寿司とラーメンを一緒に食べたような…。
ところで大砲ラーメンですがキャナルシティ内のラーメンスタジアムで食べて、翌日本店で「昔のラーメン」を食べたいと翌日久留米まで行ってしまいました。いい思い出です。再訪したいなぁ(^^♪
決して博多にある「大砲ラーメン」と間違わないようにしてください。
Posted by yu2R at 2006年09月26日 09:17
「濃さ」あるいは「こってり」の概念は、かなり難しいですね。私的には、あくまでも「豚骨出汁」の濃さの意味であるんですが、ひとつ世代が落ちると、脂の量だったり元ダレの濃さだったりするような気がします。

その意味では、久留米とその系列が源流の北九州や佐賀は、私的にはこってりなんですが、バリカタ替え麺を供する博多・長浜系の元ダレ前面なラーメンフリークにとっては、それはあの意味「シャバシャバ」なんでしょうね。

まっ、絶対音感に比する絶対味覚は存在しないという意味では、ラーメンを食するというのは、必ずライブなんで、気持ちよく食えればそれで良いような気がします。
リピートできる、「究極の(どこかしら琴線に触れる)ラーメン屋」が近所にあれば満足みたいな。

※黒とか赤とかのラーメンがあるお店は、なぜかひくw
Posted by imagine at 2006年10月02日 20:25
ご意見を募っておきながら、レスポンスが滞り、申し訳ありませんでした。(x_x;)

石田さんのご意見もっともです。というか、日常的にお話させていただいているので、僕の思考の多くの部分に石田さんに影響されたものです。当然といえば当然なわけなのです。(^^ゞ
Posted by at_you_see at 2006年10月12日 03:19
>imagineさま
本場九州の方からご意見をいただき、大変嬉しいです。
「絶対音感と絶対味覚」なんてなかなかお洒落な比喩をありがとうございます。どっかで使わせてもらおうかしら...(^^ゞ

冗談はさておき、やはり九州の伝統的な「濃さ」とは、出汁の味の強さを意味するんですね。それが最近に至って、脂の量やタレの濃さを言っているように変化しているというご指摘には、頷かされます。ラーメンも進化しています。個人的な好みは無論ありますが、その変化は新しい価値が想像される一つの尺度の誕生とみることもできますね。「タレ」に視点が移っているというのは、なるほどと思えてきます。

ご意見ありがとうございました。m(__)m
Posted by at_you_see at 2006年10月12日 03:19