夜の公園

ひさしぶりの人に会う。
 

美術館に併設された、ベトナム風のカフェに入った。わたしはミントティー、相手はチャイを飲む。付き合っていた頃から、お店で同じ食べ物を頼まないという暗黙のルールがあって、まだ有効のようだった。

 

相手はニットにリネンのドット柄のシャツを合わせていた。冬にリネン?と不思議に思ったが、わたしが夏にプレゼントしたものだと気付いた。


レストランの予約の時間まで、暗くなった公園をとりとめもない話をしながら、少し離れて歩く。ランニング中の男女が数人、わたしたちを追い越していった。
—近所にこんな大きな公園があるなんて素敵だね。

—走るためにジムに通わなければいけないなんて変だよね。
わたしが少し計算高ければ、鈍感を装って「将来、こんな場所に住めたらいいね」なんて言ってみるのだろうか。


雨を吸って光る石畳。見上げた月が疲れ目にまぶしい。

その後

最後の日記を書いてからはや1年半、いろいろなことがあった。


わたしには恋人ができたり、幾度目かの転職をしたり、

旅行に行ったり、結婚しようとして失敗したりした。


しかし、何に関しても実感が沸かないのだ。

大学生の頃、他人の履歴書に目を通すアルバイトをしたことがあるが、

まさに他人の経歴を眺めているような感じだ。


おいしいコーヒーを飲む、公園で日光浴をする。

それらは楽しいことに違いない。

でも、どこか遠いところで起こった出来事のような気がする。


弟の住んでいたアパートはわたしの通勤途中にある。

仕事帰りに地域一帯の明かりを見ていると、

どれ一つとして、弟のものではないということを思い知らされる。


わたしはなぜ、彼が生きている間に何もできなかったのか。

「寿命だったと思って諦めなさい」という言葉をかけられたが、

わたしには弟の寿命がたった25年だとは思い切れない。

実姉としてできることはたくさんあった。

しかし、わたしは弟のことに限らず、家庭の責任から逃げ回ってきたし、

そういったことが彼を追いつめる要因になったのではないかとも思う。


弟が亡くなって以来、生前の弟の夢をみることが多くなった。

25歳の弟に、「死んだなんて噓だったのね。ずっと生きていたのね」

と言ったところで、泣きながら目が覚める。


この苦しみは、わたしが死ぬまで続くのだろうか。

The Death

弟が死んだ。彼の直接の死因は現場を見れば分かった。死に至らしめたいちばんの要因は仕事のストレスだが、背後には複数の混み入った事情があって、今回の震災にともなう緊張や不安が引き金を引いたのではないかと思う。わたしが現場に駆けつけて、先に来ていた母親がブルーシートにくるまれた遺体を見ないようにしていたら、「あなたのほうが危ないと思ったので、あなたにかまけていて、弟に構ってやれなかった」と言われた。その後、「いちばん美しくて、賢い子が死んでしまった」というようなことも。「葬式はあげないで」と笑っていた弟の葬儀は明らかに家族葬の規模ではなくなっていき、弟が居場所を家庭以外に求めたことを知っていたため、いたたまれなくなったわたしは、弟が死の直前まで連絡を取り合っていた方に「東京に向けて手だけ合わせていただけませんか」とお願いをした。すると、彼女が大学の友人に連絡をとってくれ、偶然が積み重なって、大学から高校までの友人がお別れに来てくださった。

兄弟とは10年近く会話をしなかった弟。弟は家族について多くを語らなかったようだが、わたしは発見までの間に初めて会った人に弟の話をするほど、弟が好きだった。わたしたちは両親の不和におびえながら、おたがいを名前で呼び合って、双子のように幼少期を過ごした。チェスを指したのも、クラシック音楽を聴くようになったのも、もとはといえば弟の影響だった。わたしは容姿について誉められることが少ないが、「○○ちゃんは本当に可愛いね」「あくびをするところが可愛い」「世界でいちばん可愛い」と言ってくれたのは弟だった。彼がわたしのすべてを認めてくれたように、わたしは弟の世界のかなりの部分を知っていて、彼のすべてを受け入れる準備はできていた。しかし、弟はすでに亡くなっていて、わたしが彼の高潔さや美しさについて話す間も、静かに硬く、冷たくなっていったのだ。

わたしの周りでは25、6で命を絶ってしまう人がとても多い気がする。自分の年齢と能力の限界だとかに気付くような年頃なのだと思う。しかしそのあたりを越えてしまえば、一種の諦念ではあるのだろうけど、ささやかな幸せに生きがいを求めることも可能になってくる、というのはわたし個人の経験に過ぎないのだろうか。弟は桜を待たずに逝ってしまったが、桜が終われば、葉桜や青もみじの季節が来る。父が「桜を見たら弟を思い出してください」などと抜かしていたが、もちろんそんなことをする必要はなくて、訪れる日々を大切に生きていくことができればそれでいい。

弟の遺書には「朝がきませんように」とあったが、弟の死を知った翌朝も朝日は差し込み、わたしの住む沿線の始発は元気に運転を始めた。弟がいなくても世界が動きを止めないことに絶望を覚えたが、よく言われることだが、明けない夜はないし、デンマーク語風に言えば暮れない日もないのである。個人的には、世界は生きている人のものであって、生者が死者に縛られる必要はない、ましてや負担が増大するなどということはあってはならないと考える。とはいえ、世界が進んでいく以上、あとは生者の責任だから、ゆっくりおやすみなさい。大好きな、わたしの弟。あなたはわたしのベアトリーチェであり続けるでしょう。あなたの世界がその短さにも関わらず、豊穣で美しさに満ちていたことを知ることができただけで、わたしは幸せです。

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