2010年05月15日

ROCKバンドなアニメ?のNEWS!

○『杉並のPARK8002』

最近は、ずっととりかかってませんが
機会を見てかならず再開しようと思ってることは思ってるんです。

ロックバンドネタ
ストリートネタのギャグアニメなんて
なかなか面白い視点だし
そうあるものじゃない。

オリジナリティがすばらしいと思うんです。

それに周りの友達(家族)も
みんな
「再開してくれ!」と言ってくれます。

ただ、今は、色々とバンド活動などが忙しくて
休憩してるっていうのが正しいかなと。。
(言い訳っぺーなーーーw)

色々やると
全てハンパになりまするし。。。
(なんだよその語尾は!)

ここは、一つ何を言われようと
ちょいと小休止を決めこもうかと。

気長に待っててくれたら嬉しいです〜。

とにかく今は、新曲作りに全力投球!!

そんな方向性が物語るように
最近のボクの作曲数は、ハンパないっすよー!

いろんなタイプの曲をわんさかこしらえてますんで。

例えば
USオルタナ系を基盤にしたROCK

打ち込みが合いそうなPOP SONG

バラード系

・・・等々

本当にたくさん作曲してます〜。

あとは、歌詞がすんなり出来てくれたらそれでイイんだけど。。

そうは問屋がおろさないってね。
(問屋サマ、そこをなんとか卸してくださいませんかね?)

そこんとこは、がんばってみせます!


まぁこう文章にして改めてみてみますと
なんといいますか
これまでメインでやってきたことの後始末とでもいうんでしょうか。

ようするにです

種を撒き散らかすだけではなくて
ちゃんと刈り取るという作業を怠らないようにしなければいけないと。

その収穫量が多いか少ないかは別にしてですw

そうでなければ
今までやってきたことが報われないと思うんです。

ってことで
まずは、ROCKバンドマンらしく
ROCKバンド活動での後始末。

そして、シンガーソングライターとしての後始末。

そして、サブカルチャーに影響を受けまくった
アーティスト&クリエーターとしての後始末。

こういうことをせねばならんと思う今日このごろでございます。

ataro1 at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2010年05月14日

杉並のPARK8002とは


≪杉並のPARK8002 VOL.1≫

Street感ただようというか
PUNKとかオルタナとかミクスチャーとか
そういう架空のBANDを題材にしたギャグアニメ。

架空のBANDの名前は、The Awinahc(ジ・アウィナーク)。
自称オルタナ系らしいですが、クソ・オルタナ系のクソBAND
と言った方が妥当でしょー。

メンバーは以下のとおり

The Awinahc
Vo : TSUNODA
Gu : TATARIN
Ba : X
Dr : 1(ICHI)

そもそも、vol.1となってますけど
実際は、動画コンテの色合いが強かったDEMO動画に
即興でセリフを付けて超ショートバージョンに仕上げたっていう
テキトーぶり全開の作品です。なのでドラムの1(ICHI)というキャラは
○に目・鼻・口を付けただけという手抜きバージョンでデビュー(笑)

今すでに第2作目に取り掛かっていて
ドラムの1(ICHI)は、通常バージョンで登場予定w
乞うご期待!



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2010年05月13日

バンドの過去を振り返るNEWS!

○杉並のPARK8002(号外)『SKATE ROCK ONLY』の中のフライヤを取り上げる場面でフライヤの掲載されてる“TORNADO”の綴りが“TORNADE”になってしまってました。本当にすみませんでした!猛省してます。以後、気をつけます。。

そーです、そーです。
こういうことありましたね〜。

ってか
こーゆーことばっかやってるよーな気がしますw

詰めが甘いっていうか
見直しができてないっていうか
何かにつけてチェック下手なボクら。

ロックバンドだからって
やさぐれ一辺倒じゃ通用しない世の中になってきましたからね〜。

やっぱ、人間性がちゃんとしてないとダメなんだなと

どの世界

どの業界でも一緒だなと
最近はすごく思わされます。

そんなイイこと書いておきながら
昨夜は、バンドのリハーサルにすんなり遅れて行ってますからね。
つまり遅刻しちゃったと。。

いくらバンドマンと言えども
遅刻は、いかんよー遅刻は〜〜。

普段は、お堅く
LIVEは、ゆるく。

これモットー。

さてさて
そろそろ寝る準備しねーと(汗)

皆さん明日もがんばりましょーね!

ataro1 at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2010年05月12日

ROCK祭りだーい!

お笑いは、ライオンヘッドと新たに“くじら”、“ゼット”が決定!また決まり次第報告しやッス!!

お笑いとROCKバンドのコラボって感じのイベント。

このイベントなつかしいなー。
とても新鮮というか
それまでは、バンドやアーティスト
いわゆる音楽畑、またはロック畑の人ばかりと
共演してたわけですけど
この頃は、お笑い芸人さん達を
イベントに呼んだり
または、呼ばれたりして
これまでとは違った空間作り
イベント作りをやってたって感じです。

それに、やってる側(出演してる側)も
例えば、バンド側の人たちは、コントを見て
爆笑したり
芸人さんたちは、ライブにノッたりして
普段とは違う楽しみ方ができるのも
この手のイベントの良いところだったね〜。

その後も芸人さんとかと友達になれたりして
ある種、偉業種のサロン的な役割を果たしてたように思いますー。

そして何より
お客さんたちが一番喜んでくれたんではないかなぁと思います。

そうなんですよね〜

ROCKバンドだって
大まかに言えば芸人なんですからね

ROCK芸を披露する人という意味では
なんらお笑い芸人と変わらないわけです。

そう芸人は、なんといっても
お客さんの喜ぶ顔を見れるのが
一番の幸せですから。

ロックだって
お笑いだって
お客さん幸せにできたらそれで満足なんですよね〜。

ギャラなんて・・・

いらないとは言えないなー
こればっかりは(笑)

という、まぁ
ROCKとお笑いの融合的な意味合い?の
イベントをふり返ってみましたー!



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2010年05月09日

SRって?

○CHANIWA制作のアニメ、杉並のPARK8002 号外 『SKATE ROCK ONLY』をアップしました!


スケートロックって?

・・・なんなんでしょーね(笑)

そもそも
あいまいではありますよね、このジャンル。

確か、、、
THRASHER(スラッシャー)誌という
アメリカの老舗スケートボード誌があるんですが
その雑誌の企画で80年代にSKATE ROCK Vol〜なんていう
カセットテープが発売されたんですよね。

これたぶんボク持ってたと思うんですけど
もう無いな手元に。売っちゃったか無くしたかしたと思いますね。

えーと、それで内容はよいいますと
タイトルがROCKってなってますけども
打ち込みのヘタレテクノみたいなショボショボな曲とかも入ってたと思います。

もちろんPUNK ROCKやらも入ってましたけど。

要するに当時80年代に流行っていた
アンダーグラウンドな音楽を集めたコンピTAPEだったんでしょうね。

80年代は、スケートボードシーンとROCKやHIP HOP、POPミュージックが
密接な関わり合いを始めた時。

ボクも多大な影響を与えてもらいました。

まぁボクは、アンダーグラウンドだけではなく
メジャーなものにも影響をかなり受けてますけども。

例えばマイケルジャクソンとかマドンナとかシンディーローパーとか。
あと、ヘヴィーメタルなんかにも非常に影響を受けました。

そんな大好きな曲を
集めてTAPEに録音し、今でいうところの
ミックステープを作って好きなあの娘にあげては
フラレテたっけ(笑)

あぁ、甘酸っぱい思い出ですねー。

おっとっと、話しがズレてしまいましたが、、、

まぁスケートロックってジャンルはあるようで無いようで
けっこう感覚的なジャンルって感じしますね。

(こんな感じっしょ?みたいな分かる人だけ分かるみたいな)

ataro1 at 22:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2010年05月08日

ひすとりー[8]

TOON RIDEという作品について。

ある日、クリエイターのてっちゃんと企画をたてて映像作品を出すことになった。

それで、前々からVIDEO MAGAZINEを作りたいって思いつつ何回か断念してるオレとしては、この企画にその要素をミックスできないかなって考えた。もちろん、CHANIWAを思いっきり宣伝するための自前のメディアとしても機能するやつ。

スケートボード等をチョイスしたビデオマガジン形態で
CHANIWAの宣伝にもなる作品を・・・と。

すると、てっちゃんがアニメを作りたいって言い出した。

いや〜、アニメってむっちゃスケールでかいこと言うけど、ちゃちーのデキちゃうんじゃないの〜なんて思ったよ最初。

アニメってブラウン管の中の世界だと思ってたし、まさか自分が絡む作品に・・・。

でも、それを覆すくらいの才能とアイディアと人を動かす能力に長けたてっちゃんのこと、心の中では、まぁできるでしょーって思ってた部分もあった。

ま、やってみっか〜
って感じでいつものごとく始めましたわw

あーだ、こーだと皆で意見出し合ううちに
アニメ、スケートボード、BMX、
そしてCHANIWAの映像に絞ろうという意見にまとまった。(願ったりの企画だぜ〜ってほくそえんだねw)


何人チームだったかな・・・とにかく作品に必要なものを一つずつ集めようってことになって手分けして奔走した。

まず、資金。

いつのまにかてっちゃんちがTOON RIDE制作本部になってて、そこに色んなヤツが集まりだした。

集まった時に、例えば「セガ(ご存知あのゲーム会社)ってゲームでソニーに負けてるしオレらの力とか必要だよゼッタイ!」なーんて無責任なこと誰かが言い出すとw、

じゃあセガに電話してみようぜって感じで、セガに電話する。

当然、お客さま対応係りみたいなところに回されるんだけど、その人にオレたちがいかにスゴイ企画を持ってるかを力説する。

相手は「はぁ・・・」って感じで

最後は「そういうのは受け付けておりません」って言われるんだけど、それでも粘る。

最後は、ウザがられてたらい回しにされ、あげくの果て飽きれられて終わっちゃう。

そんな調子で、思いつきで電話とか会いに行ったりとか制作本部wに呼んだりして資金集めしてたんだ。(実際セガには電話したなーw)

そして、あるヤツがてっちゃんの携帯を取り上げてあるところに勝手に電話しちゃったことあって、、、

電話した相手っていうのは、てっちゃんの知り合いでデッカイ会社やってる人だったんだよね。


結局、その会社の人が会ってくれることになった。
いざそうなると、かなり緊張するもんだよね。
でも、もう後には引けないっていうんで、行って皆で力説したんだ、顔引きつらせながらw

それがきっかけで、何ヶ月か後にTOON RIDEのメインスポンサーになってくれるってことになった。
その後は、服のブランドのCMを作って作品の中でCM入れるからって言ってお金出してもらったり、
某ファッション雑誌には、CM入れるから特集記事を組んでくれといったりして、どんどん皆のネットワークを搾り出して、プレゼンっぽいことしてスポンサーを募っていった。

タワーレコードやディスクユニオンにも流通業者を通じてキャンペーンやってもらったりした。ここではCHANIWAのネットワークがすごく生きたんだよね。

そして、肝心の今まで断念した大きな理由の一つである映像は、、、BMX・スケート共に当時のトッププロの映像を提供してもらうことに成功した!(量もとんでもなくあった)

BMXではSHOE-G君、スケートではINSTANTスケートショップの本間さんが前面強力してくれることになって、正真正銘のホンモノ映像が使えることになったんだよね〜!

やっぱりさ、作り手側としてはお金とか集めたとしても上っ面だけの作品って作りたくないじゃん。だから、リアルにその世界の最前線を撮ったモノが手に入ったことは、オレにとって80%成功したと言っても言い過ぎじゃないくらいだったんだよね。だから、このSHOE-G君と本間さんの全面協力は、、、うまく言えないなーなんていうか、ミラクル!神様ありがとー!って感じだったな〜。神様の前にこの2人にありがとう!だけどねw

あ、そんで言い忘れたけど、CHANIWAは映像だけでなく音楽も提供することになって、じゃあそれをサウンドトラック盤としてCDも出しちゃおうって案を出したらスンナリ通ったんで、そのままめでたくリリースと相成りました。

反響は上々。

このTOON RIDEをもとにして、今度はCHANIWA自体をもっと大きくしたいって思って色んな人に会ったり、作品送ったりして営業らしきものをしまくったんだ。

その模様は、また今度!




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2010年05月07日

ひすとりー[7]

TOON RIDEという作品について語る前に、BOOZ NIGHTについて少し触れとこうと思います。

今、色んな人によってBOOZ NIGHTというイベントが渋谷GAMEというクラブで盛り上がりを見せてますが、その原型は、PASTA POLICEをリリースした辺りまで遡ります。

場所は、当時杉並区は西荻窪というとこにあったWATTSというライヴハウス。

たぶん、ライヴハウスのチケットノルマ制の体質に嫌気がさして、安くで借りれるハコを探してて、WATTSに行き着いたんだと思う。

当時、蛯子さんという人が社長で、オレの話しを熱心に聞いてくれたんだよね。
最初はもちろん一発では、思うように決まらなかったと思うけど、最終的には、週一コンスタントにイベント続けるのを条件で破格の値段で貸してもらえることになった。

おかげで出演バンドはノルマを払わずしてBOOZ NIGHTに参加できるようになったんだ。

・・・が!

オレ一人で企画してるようなもんだったんで、ほとんど自腹で毎週大変(汗)


毎週月曜日のイベントはまぁ、予想どおりきつかったw


毎回、怖かったな正直。でも、まぁ何とかちょっとづつ盛り上がってきて、WATTSってのも相まって独特の雰囲気をかもし出すようになったんだ。


WATTSは本当にクレイジーなハコだったw


当時、殺害塩化ビニールっていうレーベルがあって(今もあんのかも)
そこのバンドを呼んだ時なんて、ボーカルのやつがスッポンッポンになって拡声器でお客を全部外に連れ出しちゃって、商店街でライブやったり(笑)

ライブハウスの配水管が壊れてて、常にフロアは水浸しだったり(オレらは水が貯まってるだけに“プールバー”って呼んでたんだw)してた。

ある時なんて、バンドのライブ中にやたら高音が際立ってたんで、後ろで見てたオレが「ちょっと高音出すぎなんで下げてもらえますか」って言いにいったらエンジニアやってた蛯子さん熟睡しててさww

まぁ、そ〜っとしておいたけどさ。そーゆーハコだった。ただ、際立って盛り上がったって記憶はないw周りのヤツらはワリと楽しんだのかもしれないけど、オレはドキドキもんでした。



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2010年05月06日

ひすとりー[6]

前回でも少し触れたんだけど、雑誌に何回か載るうちに自分でコントロールできる強力なメディアが欲しいと思いだした。

自分達を思う存分宣伝できる媒体が欲しいなと。これ言ってみれば究極のDIY(DO IT YOURSELF)でしょ。

まぁ一番の理由は、いちいち編集社とかに営業に行くのが面倒になったんだよねwやっぱ、雑誌とかって掲載が確約されてるわけじゃないじゃん。お金を使えば別かもしれないけど、そんな金ねーし。オレは作品を作り出すことに専念したいし、、、だから、何かあるたびに雑誌社に営業しなきゃいけないのメンドクセー。それならってことで自分達で強力な影響力を持つメディア(媒体)が欲しいと動きだしたってわけです。

そこで、その時ピンときてたのが411VM。これはUS産のスケボーVIDEO MAGAZINE。それより少し音楽多めなVIDEO MAGAZINEをオレなりに作ってみようと。そんで、まぁどうしたらいいか分からないけど、とりあえずやってみることにした。

まず始めに、知り合いネットワーク使ってスケートビデオを撮れそうな人に片っ端から会いに行った。といってもそんな即願ったりなネットワークがあるわけなく、ちょっとでもかするようならアタックしてみることにした。

とは言うものの、なかなかいない。


音楽とスケート映像の世界は全然違うものだから、最初は勝手わからないし、相手されないしで、、、さらに、映像って音楽に比べてお金がかかるし、音楽より手軽じゃない・・・まぁオレ音楽方面の人だからそんなふうに感じたのかもしれないけどね。


幻の第一発目のVIDEO MAGAZINE

それで、第一発目のVIDEO MAGAZINEは湘南方面のスケーター主体で進めようと企画が固まってきた。なんとか光が見えてきた感じだったんだけど、結局ボツったんだよね。なぜかというと、映像量が足りなかったから。映像作品に必要な、見た人が「おもしろい!」と理屈抜きに感じてくれる映像があまりにも少なかった。

このままじゃ、カッコワルイ作品になりそうだなと思って第一回目は断念した。

でも、映像は少しはあったのでどーにかしたいなぁと思ってたら、あるアイディアが閃いた。

映像じゃなくて音で出そう!ってねw

コンセプトは“ラジカセDJ ATARO”のミックスCD。

レコードとかCDとかでDJプレイをするんじゃなくて
カセットテープでDJってヤバい!


オレの愛機“サーチャーW”を肩に担いで現れたかと思ったらWのカセットプレイヤーを使って2つのカセットをつないで・・・いわゆる“2枚がけ”でフロアのお客は腰を振らずにはいられない・・・

sarcher
SHARP THE SEARCHER W

とまぁ、どんどんオレの妄想は膨らんでってww

生み出されたのがHARD CORE SLIDEっていう作品。
“音で表現したVIDEO MAGAZINE”とでもいいましょーか(そんな大そうまモンじゃねーがw)
えーと、まず撮った映像の音だけをカセットテープに落として、あと色んな音ネタのカセットテープをダブルカセットデッキで繋ぎ合わせてできた作品というところか。ちなみに繋ぎ目とかはブチブチいってると思うw最初はガンズ&ローゼスのウェルカムトゥザジャングルのギターの音で始まるんだ。あとはスケートの音とかしゃべり声とか・・・オレらのライブも入ってたのかな、、、たぶん。何回も聴くシロモノじゃないけど、ズッコケ度は高いと思うんだよね。つまりカッコイイってことw

でもこれは、みんなに意味が分からないって評価を頂いた。
今のCHANIWAのメンバーのヨシキは当時CHANIWAキッズだったらしいんだけど、騙されたって叫んだらしい。でもオレは大マジだったんだよね。できた時はマジでカッコイイ!って震えたのに、、、評判は良くなかったみたい。ただ、風の噂によるとブラッドサッカーのガイさんだけは、ATAROヤバいって言ってくれてたみたいだけどねww


夢のVIDEO MAGAZINE=オレのメディア

でも、まだVIDEO MAGAZINE=オレのメディアは生まれていない・・・ってことで、今度は、超音楽寄りのオムニバスビデオ形式で、スケートのビデオを作ろうと企んだ。

内容は、いろんなバンドの楽曲をバックにスケーターの映像をミックスして作るっていうものだった。

あちこちで、ライブイベントに顔出したときにバンドの人に説明して
楽曲を提供してもらう約束を取り付けたんだよね。今思い出すバンドで、ブラフマンやバックドロップボム・・・みんな快く承諾してくれた。

出来てたらすごかったけど、これもボツになった。これまた、ホンモノの映像が集まらなかったからだ。ホンモノっていうのは、本当の日本のトップスケーターの映像ってこと。やっぱやるからには、見る人が感動できる映像じゃなきゃ意味がない。それ突き詰めるとトッププロスケーターってことになるんだよね、どうしても。

それからあれやこれやと色んな人に会いに行くにつれて(プロスケーターでさらに映像クリエーターとしてもピカ一の人の撮影現場におじゃましたりして)、なんとか前よりは、スケート系のネットワークも増えつつあった。

あと、この頃ってすごく今までとまた違ったジャンルの人たちと友達になることが多くなったかな。さらに自分にも子供ができたりして、これまでとは違うステージって感覚はあった。

ある日、それを象徴するような人と会うことになる。てっちゃんっていうんだけどさ。デザイナーで色んな才能を持つクリエイターで、戦略家といった感じかな。

てっちゃんと会って何か生まれそうな気はしてたけど、、、まぁ結果的にTOON RIDEが生まれることになるんだよね。

オレらがメジャーと契約するきっかけになった作品TOON RIDE。これは、作戦と作品の完成度がカチッと噛み合ったもので、これまたオレらにとっては大切な作品だ。ってまぁ大切じゃない作品はないんだけどねww

じゃ次はTOON RIDEの話しかな多分。




ataro1 at 23:00|PermalinkComments(0)この記事をクリップ!CHANIWAヒストリープラス 

ひすとりー[5]

58643d67.jpgパスタポリスは、誰よりも短くて早く(速く)て、ミクスチャー(クロスオーバー)な作品を作るっていうコンセプトの元に生まれた。この頃のCHANIWAはライブが5分〜15分で終わってたし、奇をてらうのが目的みたいなところがあったから、それに見合った誰もがビックリするようなものを作りたかった。

本当に、短かったですわ、ライブ。CHANIWAの前にドリンクをカウンターに取りに行ったら終わってたとか、トイレに行ったら終わってたとか色んな逸話が生まれたけど、大部分はホント。それくらい短かった。

ジャケットモデルは友達のすーさん(HIROMI SUICIDE)を使うことに決めた。すーさんの本名はひろみって言うんだ。それで、ファイヤーで燃えてる感じのデザインに仕上がってたので、SUICIDEって付けたw。
デザインは有名なデザイナーに頼んだんだよね。リコの友達でメジャーどころのデザインをガンガンやっちゃってる人。代官山の仕事場&事務所に打ち合わせ行ったけど、そりゃもうカッコイイとこだったねー。

カメラはインディーズマガジンの編集とかやってた人に頼んで撮ってもらったと思う。女の人でキレイな人だったけど、名前なんていったかな・・・ゴメンど忘れしてるわ。この頃かなメディアにも取り上げられだしたのは。雑誌にどうにか取り上げられたくて色んな・・・今思えば営業と呼べる行為をさんざんやったね。

どこかにオレらのこと気に入ってくれてる(脈ありそうな)メディア関係の人がいるとか聞くと、どこだろうとアポとってすぐに出かけていってた。大阪とかは特に縁があった土地だね。

たぶんこの頃にメディアの力みたいなのを肌で感じ始めてた。

あと、PASTA POLICEのジャケ写で着てるTシャツはオレ達の初めてのTシャツなんだよね。CNAって文字のやつなんだけど、オレこれいっぺんに1000枚作っちゃったんだ。CDとかで売り上げたお金全部つぎ込んじゃった。リコにむちゃくちゃ怒られたの憶えてるw。なんで1000枚作ったのかな・・・。そーいえば、その昔友達が入院してて、お見舞いに行ったら、「暇だからなんかマンガ買って来て」って頼まれて、1万円札渡された。たぶん、頼んだ方はジャンプとかサンデーとかそーゆーものをテキトーに何冊か買ってお釣り頂戴ねって感じでオレに頼んだんだと思うけど、オレ1万円分全部マンガ買って帰ったんだよね。“沈黙の艦隊”全巻(当時)。友達は怒りに震えてたけどwたぶんそんな調子でTシャツも作ったんだと思う。意味はあんまり無いと思うよ。

あと、、、そーだなぁ、中ジャケのラジカセはサーチャーWっていう名機だよ。アレも日本全国探したな〜電話しまくって。どこかの古道具屋に飾ってあったんだけど、非売品で。もう欲しい気持ちを抑えられなくて。最初は都内を探しまくってたんだけど無くて・・・結局九州にあって送ってもらったんだよね。せっかくだし載せてもらった。

misfits中ジャケの写真でミスフィッツみたいなメークしてるのあるけど、ああいうのも気まぐれでよくやってたんだよね。別にコンセプトとかそんな大そうなモノはなくて。面白いからやってたんだ時々。リコも悪ノリしてライブ中にケチャップとか吐いてw血のつもりでね。Tシャツをケチャップだらけにしてダメにしたりして。まぁ、思いつきで楽しそうなことは何でもやってすぐ止めてたww


PASTA POLICEに入ってる曲について

短くすることに超燃えてたw
長くなったらちょん切って、いびつな部分はスムーズに繋げる工夫してって感じで、まるでバイクや車をチョップするみたいに作った。バイクや車も極限までシンプルにしたのがカッコイイと思うけど、曲も一緒。ドラムだってタムタムは取っ払ってもらったしね。そんな感覚で作曲とアレンジをしたと思う。

あと、そーいえばサンプラーを購入したんだ、その当時。ハードコア不法集会っていうオムニバスがあるんだけど、その中のリップクリームのノイズがやばくて、ずーっとコレどうやったら出せるんだろうって10年以上思ってた。んで、手ごろなサンプラーを手に入れたんで、そのノイズを作り出すってよりサンプリングしちゃえばいいじゃん!って思って。あー、オレって天才だって思った。本当ナイスアイディア。そのノイズをサンプリングしてループさせて、レコーディングに使ったんだよね。ミックスしたら、カッコよくて採用したんだその曲。まぁ、レコーディングが終わったらそのサンプラーは売ったかあげたかしたけどね。だから、ノイズ一回だけサンプリングしただけなんだあのサンプラーwおかげさまで、10年間の喉のつっかえは取れたんでよかった。

全体的には、POPさっていうか、メロディーを乗せることにこだわったかな。メロディーを乗せるっていうのはオレのこだわり・・・って言うほど頭で考えてるわけじゃなくてw自然にそうしちゃうんだよね。
今はズイブンと曲長くなったけど、メロディーをいかに乗せるかっていうのはずっと根底に流れてるもの。唯一、変わりない欲求かも。

この時はすでにコジがギターで、たぶんワケも分からずやらされてた感があったんじゃないかなぁ。とにかくオレの言うとおりにやってって言ってたらしいからオレ。後でコジに聞いたんだけどね。でも思い返せばギターの音色からリフから細かいこと言ってたなー。まぁベースやドラムに対してもだけどね。

そんなこんなで、PASTA POLICEを作ってリリースするに至るワケです。

こうやって振り返ってみると楽しかったねー。無我夢中で遊んでる感じだよね。しかし懐かしいとかはあんまり思わないな。


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2010年05月04日

ひすとりー[4]

アリはむっちゃすごいベーシストで、CHANIWAの“フリーキーファンキーフロウ”という曲とか
“夕日は見降ろす”とかでもベース弾いてるんだ。本当にすごいんだよねベース。
でもこの頃にギターで入ったのは、ギターをやりたがってたのと
存在がすごくその時のCHANIWAのイメージと合うなと思ったから。



きっかけは、ドラムのマルちゃんの紹介だったかな。

当時のギターのけんけんは、すごくロック的なギターで
一方ではニルバーナとかグランジ的なバンドをやってたんだよね。
(もしかしたらトロゴリもやってたかな・・・)

そん時のオレは、いやCHANIWAを始める前からだけど
BEASTIE BOYSにすごく影響をうけてたから
そういうニオイのするメンバーが欲しかった。
(ちょっと黒いっていうのかな…そーいう意味でもアリはばっちりな顔してたw
ちょっとファンキーな存在にひかれる癖があるねオレw)

だからメンバーチェンジしたんだ。


逸れる話し

ちょっと話しがそれるけど
幼稚園とか小学校の低学年とかって
70年代だったから周りにファンキーな曲が溢れてた。
オレは6コ上の姉ちゃんがいたし
周りにもたくさんお姉ちゃんみたいな人いたから
ディスコっぽい曲とかすごく好きだったんだよね。

あと、年代は分からないんだけど
ノーランズとかアラベスクとかアバとかすごく好きだった記憶がある
それにサザンの初期のころのやつとか。ちっちゃい頃から
ある共通したメロディを好む癖があることはなんとなく自分でも分かってた。
んでそのメロディは今曲作るときにも生かされてるっていう感じだ。


生まれた時代がそうさせたのか
もしくは血がそうさせたのか(まぁ顔はともかく生粋の日本人らしいけどw)
BEASTIE BOYSとかレッチリとかレイジとかロックとファンクを融合させたようなものにすごく影響うけた。

だから、CHANIWAは短くて速くて色んなジャンルをミックスしたようなオレなりのミクスチャーバンドにしたかったんだと思う。そういう時代でもあったしね。

そんな想いで
パスタポリスの制作に臨むことになるわけだけど・・・

これまたCHANIWAにとって重要な作品なんで
なるべく細かいところまで思い出しながら記していきたいと思う。

ここからコジも登場するわけだしねw


レーベルいついて少々

あ、パスタポリス語る前に、レーベルのことについても話しておこうかな。
オレはパンクを好きになったと同時にレーベルにも興味を持った。バンドとレーベルを一組として考えてたんだよね。だから、レーベルはやるものと決めてた。それが当たり前だと思ってたんだ。

だから、SHARK D RECORDSっていうレーベルを始めた。けどすぐにBOOZ RECORDSに改名。まずは、EVIL SURFIN’DREADというオムニバス7インチとCDを皮切りに、PASTA POLICEやらTOON RIDEをどんどんリリースしていった。ブームだったからセールス的にも良かった。オレは調子に乗ってどんどん突っ走ったね。ブームなのは知ってたし、ブームに終わりは付きものだってこともなんとなく分かってたから、突っ走れるときにどんどん行って皆でイイ思いしたいってのがあった。波に乗りたかったんだ皆でね。CHANIWA以外のバンドとも絡んでリリースしたから純粋な個人単位では相当なレーベルっぷりだったと思うよ。今思えばオレたちのやり方で大人の世界でも通用するってことを証明したかったのかもしれないね。そんなに甘くないってことを後で思い知らされることになるんだけどw

おっとー、とりあえずレーベルの話しは後でまた。

fanky
ファンキーとググったらコレ出てきたんで載せときます(笑)

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2010年05月03日

ひすとりー[3]

リコ、マルちゃん、ケンケン
あとオレの4人でCHANIWAをスタート。

あ、その前に
2ce77436.jpg最初はバンド名をCHOCO BALLって名乗ってた。
好きなAVにチョコボール向井が出てたから
…ではなくてw
ハードコアとかパンクとか熱いイメージのものを涼しくやりたいってのがあって。
まぁパロディーとしてやりたくて
当時、一番熱くてマッチョなバンドMAD BALLにちなんで
付けたバンド名。ロゴも一緒にしたかったんだけど
それは叶わぬ夢に終わった。だってそれ程長く名乗っていなかったからw。


言っとくけど熱い音楽をバカにしてるわけじゃないよ。
いやむしろ熱い音楽こそハードコアやパンクロックと言ってもいいし
実際俺も涙流して感動してたんだマジで。
でも、いざ自分が作るとなると
妙に冷めたモノができあがってくるんだよねw
どうもオレのOUTプットには冷却機能がついてるらしい。
まぁ、性格がそんなに熱くないから、自然と手法がそうなっちゃうw。
イイトコ取りが昔から好きで。今に至るって感じでしょうか。


CHANIWAYA〜♪

CHOCO BALLからCHANIWAに改名したのは
名前変えたいって思って(当たり前かw)。

んで、皆に相談したんだよね。

たぶんマックかどこかでダベりながら決めてた。
だけど、決まらないんだよね〜こういうのって。
2時間くらい話したけど、何もまとまらないから
お店を出ようかなと思ったら
リコがBEASTIE BOYSの曲で
「チャニワヤ〜♪」って聞こえる曲あるから
チャニワでいいんじゃない?
ってことになって。

その時はイイとも悪いとも思わなくて
っていうか2時間考えてたから正直疲れてたw

だから「あー、じゃあそれで」
ってことにしたんだ。



(Paul's Boutique,Johnny Ryall )


それから間もなくして
オレはレッドホットロッキンフッドを脱けることになった。
細かい理由は音楽のことだと思うけど、大きくいうと時期(時機)だったんだと思う。
すごくすんなりと辞めた感じだったので、スッキリした気分だったのを憶えてる。

レッドホットロッキンフッドはオレの原点。
っていうかストリートカルチャーの実戦大学みたいなもんかな。
あそこで、色々学んだんだよね。
バンドメンバー皆に影響受けたし、今でもよくお手本にして考えることがある。

あと、初めて東京に出てきて付き合った女のコも初めて結婚した女のコも今のギターのコジもレッドホットやってて知り合ったんだわ。(そーいえば、今の奥さんと知り合ったのもw)いろんな意味で思い出深いし、レッドホットロッキンフッドが僕にもたらしてくれたものは計り知れないです。


さて、CHANIWAに戻ります

話しは前後するんだけど
まだレッドホットを抜ける前だったと思うけど
7インチを出すってことになった。
これは、オレがハードコアやパンクロックをたらふく聴ける環境を作ってくれた恩人がきっかけになった。


その恩人は2人いる。
前川さんと中村さんっていうんだ。
(彼らと過ごした日々はレッドホットロッキンフッドを大学とするなら
高校といった感じ。まぁ、そのことも後ほどお話しします)


その内の中村さん、今はパン屋さんの幹部かな、たぶん。
それで、その中村さんを介して広島の幼なじみであるガイさん(ブラッドサッカーレコーズ&レコードショップミザリー)にオレらのデモテープを渡してもらったんだよね。

こん時のオレの心境は
「たぶんガイさんは、絶賛してくれるハズ」
という予感があった。

何の根拠もないけど、そんな自信があった。
そしたら、後日、よかったらウチから7インチ出さないか?
っていう誘いがあって。

その時の喜びようといったらハンパなかった。
もう飛び跳ねて喜んだ。

だって、当時も今も最もハードコアなレーベルの一つであるブラッドサッカーレコーズから、豆みたいな4人組バンドがリリースされるって、ヤバいくらいセンスいい感じだったんだよね。そのギャップがカッコイイと思ったし、ガイさんのセンスもいかしてると思った。

ちなみにこの7インチレコードの中身を見てみると
ミザリー、豆魚雷っていうリコのお店があり、サウンドクルーも載ってるし、ジャケを描いてくれたCHOBI、あと神戸の老舗服屋ランチキ(前出の前川さんのお店)。これらの人たちは、今すぐにでも会いに行って楽しみたい人たちだ。機会は少なくなったけど、CHANIWAをやってればまた会えると信じてる。



あ、あとこれも付け加えておかなきゃってことがあるんだけど、、、FYPというバンドのこと。

CHANIWAはFYPというアメリカのハードコアバンドに似てるって言われてた。後に川崎くん(当時CR JAPAN)プロデュースでFYPとはスプリットを出すことになるんだけどね。

確かにオレは確信犯的に狙ったテイストだった。たぶんCHANIWAを始めたくらいの頃、ズッコケるような極めて力が抜けている世界中のハードコアやパンクバンドを良く聴いてた。そういう手法ってなんかハードコアのパロディーみたいなことをやるにはうってつけだったんだよね。

ちなみに
そんなバンドの良し悪しっていうのは、曲を聴いてみてこっちがどれだけズッコケるかってのがバロメーターとなるw

例えば壮大な様式美のギターソロで構成されたハードコアにクソみたいなダメボーカルが乗ってたり・・・。ビースティーボーイズのSome Old Bullshitもそんな感じだよね。DFLとかの1stもそうだし。
とにかくダメ〜なやつを探してはズッコケて感動してたw。
destroy2
(DESTROY2は、ハンパなくズッコケるwwつまりカッコイイ!)

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2010年05月02日

ひすとりー[2]

CHANIWAを始めたのは
DOLLという雑誌のインタビューを読んだのがきっかけになったと思う。
年は1990年代のどれくらいだったかなぁ。。

その時はレッドホットロッキンフッドっていうサイコビリー系のバンドをやってて
その時期ってなんか色んなサイドプロジェクトをやるのが流行っててオレもやりてーな〜って思って。
それでやり始めた。

ちなみにDOLLのインタビューはサークルジャークスっていうアメリカのハードコアのバンドだったと思う。

オレは16歳の時にパンクロックを好きになってそれからどんどんハマっていって
ハードコアパンクと出会い、さらにどっぷりって感じで突き詰めていったんだよね。

ニルバーナのカートが何かの雑誌で
ブラックフラッグやその辺の80'Sアメリカンハードコアを好きになってからというもの
、今まで好きだった音楽を一たん全部捨てたって言ってたけど、まさにそんな感じ。

その流れでサークルジャークスもわりと好きなバンドの一つだった。

circle80'Sのアメリカンハードコアバンドはシーンとして好きなものが大部分で
実は個のバンドとしてすごく好きだったのは
マイナースレット、7セカンズ、デッドケネディーズ、バッドブレインズの4バンド。
この人たちは別格だった。
まぁそれで、そのDOLLのインタビューの内容に戻るけどさ
「短くて速いタイプの楽曲がまた流行るんじゃないかな」
っていうくだりがあって

「俺もそー思うな」
とか思って、なんかオモシロそうだなって部屋で一人で盛り上がってきて。

自分のイメージするバンドの落書きとかし始めてさ。
同時に曲も作って。その時周りにいた仲間にすぐに声かけてスタジオに入ったんだと思う。


その時ちょうどMISFIGHTS(ミスファイツ)っていうMISFITS(ミスフィッツ)のパロディーバンドを遊びでやってて、
一・二度友達のイベントに出たことあったから、そのツテでCHANIWAの前身バンドを始めた。


MISFITSは、ダンジグっていうカリスマボーカリスト率いるアメリカのパンクバンド。
(日本ではバルザックが彼ら流にMISFITSをアレンジして成功をおさめているから、
“バルザックの元祖”って言った方が伝わりやすいかもね)

俺はダンジグが大好きで、今もMISFITSはいるけど
ダンジグが抜けてしまったからあまりピンと来ないんだ正直


初期の顔ぶれ

danzigそれでCHANIWAの初期のメンツは
ケンケン(現ケーキ職人&オイスカのG)がGで
ドラムはケンケンに紹介してもらって
マルちゃん(現オイスカDr)に決定したのかなたぶん。

写真はまるでオレらっぽい位置に掲載されてますがww
これがDANZIGです



CHANIWAはメンバーチェンジが激しい。それは俺のせい。

やりたいこと重視で行動した結果そうなっちゃった。
何もメンバーチェンジが趣味じゃないよw。

ただ、その時その時で最高のメンバーだったことは間違いない。

今もすごく愛しいっていうかw
ホント感謝してる。


RICO

それで、ベースはケンケンやマルちゃんと同じくらいの時期にリコ(現フィギア屋&ガキデカ)に決定した。
みんな楽しい奴らですごくやりやすかった記憶がある。

その中でもリコは特に思い出深くて
なんていうか姉弟のような兄弟のようなw双子のような…
なんて言っていいのかわからないけど独特の存在だった。

リコと出会うきっかけになったのはあるライブハウス。
あ、たぶんACBだったな。
俺そんときに初めてACBに行ったんだ。
なんでそこに行ったかは忘れたけど。

リコ達のイベントはハードロック系で
少しオールドスクールの香りがするものだったw
まぁ、サークル的なノリって感じだったね。そこでリコがベースを弾いてて(メタリカのTシャツ着てw)。


CHANIWAのベースは絶対デブか女の子って決めてたから
テクニックなんてどうでもよかった。

たぶん、リコは、初ライブとかそんなんじゃなかったかな。
でも、カッコイイって思ったからすぐに誘いに行ったんだよね。

後日お茶したときにテープとかも一緒に渡したと思う。
自宅でラジカセで録ったオリジナル曲が入ったやつ。
でも、後で聴かなかったとかって言ってたなリコはw

テープを渡した帰り道は、これからのこと考えるとすごく楽しくなって、
新宿のどこかの階段の長い手すりをお尻で滑り降りたの憶えてるw。

ちなみに、オレが考えてたベース候補は他に
トロゴリ&オイスカのシム、オイスカのヒロシ。


デブか女の子って納得してくれた?w



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2010年05月01日

ひすとりー[1]

f5fc9dfd.jpgども、ATAROです。オレの誕生日は
7月しし座(動物占いはチーター)。ってことでつい先日一つ歳をとって世間的な年齢でいうとネクストレベルに達しましたw。オレは、これまでに昔は良かったな〜なんて思ったことは一度もないです。その歳その歳で前よりも良いなと思います。思うことにしてるとかそんなんじゃなくて自然にそう思いますね。

この前CHANIWAはレコーディングをしました。上尾のサウンドクルーっていうスタジオで。サウンドクルーはデモマン、パスタポリス、トゥーンライド、エバーラスト(マキシシングル)を録ったCHANIWAにとっては聖地と言ってもいいかもしれないスタジオです。


それで、レコーディングだけど、、、今回もすごく良かったです。

何が良かったかってやっぱり皆うまくなってて、それなりのことを表現できるようになってるのがよかった。さらに、原点であるハードコアとかパンクっぽさは失ってない。オレはこれがやりたくてCHANIWAをやり始めたんだな〜と実感しました。もちろん、さっきの話じゃないけどそん時そん時で、俺はこれがやりたかったんだ!って思ってんでしょうけどね。

さて、今回録った楽曲が今までの曲のセルフカバーってことでずっとやりたかったことをやろうと思い立ちました。それは、HPに載ってるCHANIWAヒストリーの補足です。オレにとって、とにかく色んな経験をさせてもらってるCHANIWAさんですからここは、恩返しの意味も込めまして、、、 ブログも再開したことだしこれまでの活動を思い出しながら飽きないうちに さっさと刻んでいこうと思います。

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2010年04月30日

CHANIWAジャム (大人気)

jam



CHANIWA JAM 1

毎週火曜日、僕らCHANIWAは練習と称してスタジオに入ってます。

スタジオでの内容は以下の通り

20:00〜20:30 世間話し

20:30〜20:45 演奏練習

20:46〜21:30 世間話し

21:31〜22:00 休憩

22:01〜22:30 世間話し

22:31〜23:00 演奏練習


とまぁこんな感じで、だいたいいつも進行してます。


「しかし、CHANIWAって無駄話し多いッスね」


と、心の中で思った人・・・





あんた、トーシロだ





素人さん(つまりトーシロね)はすぐこれを見て無駄話しなんてかたずけてしまいますけど

僕らは、“世間話し”と書いて“ジャムセッション”と読んでるわけですよ。エエ。


このジャムセッションで数々の名曲を生んできたんですよ、僕らわ。

そこはね、自負してますよ、自負。




わっかるかなー。

わっかんねーだろーな〜。
001





では、今日のジャムセッションの模様を特別におおくりしますんで

見終わったら「さすが、トークロ(玄人)は違うな」と、僕らをリスペクトしつつ

脱トーシロ宣言でもしてください。



2007/9/25 CHANIWAジャムる

(コジ=コ、ヨシキ=ヨ、ゲン=ゲ、宮っち=宮、ATA=ア)


003
ヨ:「佐世保バーガーってさ、キャベツ入ってね?」

ゲ:「あれは、キャベツじゃなくてレタスだろ!」

コ:「あーー、あれはレタスだ。あれは、キャベツじゃねー」

ヨ:「あ、そーなの?オレ分かんねーんだよね、野菜」

ゲ:「千切りしてあんのがキャベツ、葉っぱのやつがレタス」

ヨ:「なるほど・・・」


コ:「ヨシキくん、それマズイわ」

003
ヨ:「マズいか?やっぱ」

コ:「そりゃダメだわ」

ヨ:「ダ・ダメっすか?(そこまで?汗)」



コ:「野菜はね、26歳になったら分かんなきゃダメだ」





004
宮:「ん?」



ヨ:「はぁ・・・26歳以上・・・っすか?」


コ:「そう、オレがね、25歳まで分かんなかったから野菜」




004
宮:「ん?」




015
ア:「キターーーー!今キタわ!!

“R26ベジタブル”っていうハードコアパンクな曲キタわ!!」


003
「・・・」


015
ア:「いやー、間違いなく降りてきたわ今ブルースリーが!」


004
宮:「ん?」



ア:「デヤー!ヒャーーーーーー!アアアア!!!!!」
015
ア:「いやー、間違いなく降りてきたわ今ブルースリーが!」




003
「・・・・・・」

「・・・・・」

「・・・」


とまぁ、こんな感じで毎週火曜日、至高のジャムセッションが

東京都杉並区荻窪の小さなスタジオで行われているんです。




ataro1 at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!その他 

2010年04月29日

バンドマンもハマるデンドー系?

バンドマンと愛称の良いアイテム!

今日は電動のハナシです。

電動って言えば・・・

そう!

ラジコン!!

ヒワウィなイメージで右脳を染めた人〜

それもアリww

でも、今日はコケスィの話しじゃないので

さーせんww。


さて、その電動ラジコンなんですが

ガキの時に

流行ってですねー

これがけっこうするんですよ〜値段。

たぶん、本体だプロポだって色々揃えてたら

当時25000円〜くらいになってた憶えありますね。


田宮のマイティーフロッグ。当時、一番人気で
その後継機として下のグラスホッパーとホーネットが発売されたんだよね、確か。
一番値段高いのもマイティーフロッグで、僕は、まんまと買いそびれました。


グラスホッパ
田宮グラスホッパー当時買いました。

ホーネット
田宮ホーネットも当時買いました。

んで、僕も皆につられて買ったんですが

3回くらい走らせましたかね〜。

あとは、ボディーのデザインとかステッカーとか

タイヤの太さとか

そーゆーところばっかり

(つまりカッコばっか)

気を付けてたの思い出します。


工具とか

ラジコン用のバッグとかも一丁前に揃えてネ。


そーいえば、中日ドラゴンズピッチャーの山本昌は

やまもと
山本昌

ラジコンマスターらしいです。

地元の大会とか4連覇くらいしてるらしいですから。

何でも、野球が趣味でラジコンが本業と言ったとか言わないとかww

僕も今では、そんな興味ある方じゃないし

第一メカそんなに強い方じゃないっていうか

センスないんですよね、レース関連全般。

なので、山本昌がラジコンすごいらしいって聞いても

「ふ〜ん」って感じでしたよハッキリ言って。

それに友達が

マイティーフロッグなどを買ったところで

カッコイイけど、今さらそこまで沸かないなーって感じだったんです。


ところが、、、


エンジンジャンプ
これエンジンバギーで、サイズは1/8だと思います。知らないことだらけなんだけど、多分ハマってるっぽいんだよね、僕w


コレ見たとたん

ちょっと、やってみてもイイかなと

いや、今は余裕ないけど

老後の楽しみのために今から少しづつ

情報集めておくのも悪くないと思いだしたんですわwww。


最初、このジャンプのぶっ飛び方みて

笑いました。

これ、電動モーターラジコンを経験した人だったら

この笑うツボ分かってくれると思う。

「どえりゃ〜飛ぶね〜あんた」

って感じw。


さらに、これジャンプじゃないからwww。

“転げ下り”

もしくは

“転げ落ち”

もしくは

“死の側転しまくり”

の方が言い得てると思われます。


とにかくだねー、エンジンRCバギー

おそらく1/8サイズ。

気になってしょーがない今日この頃の僕ATAROです。


追伸、、、
山本昌も今エンジンカーに興味あるみたいです。
ってことで、山本昌も要チェックリストに入れちゃいました僕w。

ataro1 at 03:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!その他 

ROCKバンド的アニメのお手本

ROCKバンド的アニメのお手本と題してます。

オタク系ではなくアーティストが好みそーな
アニメって確実にありますよね?

例えば、ゴールデンエッグスや鷹の爪なんて
特にブレイクする前は、アーティストやクリエーター
バンドマン、ミュージシャンといったジャンルの方々に
指示されていましたもん。(今もされていると思いますけど)

そこで、そんなコンセプトのもと
今回紹介するのは、、、
なんとイイましょうか、奇才な方々?

えー、話しはズイブンと昔のことになりますが
テクノ系プログラマーである友人のK君というのがおります。
(あ、超ワタクシゴトです)

このK君のお部屋でこの作品を見せてもらった際
音素材のナイスな切り貼り具合サウンドと
クソなアニメムービーのキレ加減に
「カッコイイな・・・」と思ってしまったのが最初の出会い。

アートワーク、ミュージック共に影響受けたと思います。ハッキリ言って。

この作品とは、lemon jelly (レモン・ジェリー)のThe Shouty Track。
フレッド・ディーキン、ニック・フラングリンという2人組からなるユニットでして
まぁ早いハナシ、ブッタ切って、貼っ付けての作業が絶妙のアーティストという肩書きを今私が付けましたw。

しかし、このセンスの良さはどーにも只者ではないなと思ったら
案の定
お二人ともかなりマルチな才能を色んな方面で発揮しておる方でございます。

まずニック。
CM制作も手掛けるサウンド系プログラマーで
プライマルの『XTRMNTR』、スパイスガールズ、ビョーク、ブラー、パルプ
など色んなアーティスト(しかもかなり大物!)の作品にキーボードやドラム・プログラミングで参加したり。

また、お庭設計士でもあるのだそうです(フィ、フィル・コリンズがクライアントって本当?w)。

相方フレッドの方もこれまた、これまた。。
クラブのDJ兼オーナー、はたまた
デザイン事務所「Airside」のオーナー兼トップデザイナーでもあると。

いったい二人で何足のワラジを履いてるんだ!?
って数えるのにウンザリするような履歴が物語ってるように

そりゃ〜キレたのもあれば、うっとりするような美しいのもアリと基本ごちゃまぜっすこの人たちの作品は。

まぁ、この情報は、随分を昔のことで
lemon jelly (レモン・ジェリー)自体は、新しい方々ではないのですが

この音楽と映像の妙は
やっぱりいつまでたっても惹かれてしまうわけでございます。

だから、遅ればせばがら紹介させていただきました!



Lemon Jelly - The Shouty Track





あ、レモンジェリーのアートワークは、ユニットメンバーである
フレッドがを手掛けているらしい。

ということは、、、
このアニメキャラもそーなんでしょーか。。。









ataro1 at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!NEWS&info 

2010年04月28日

ストリートミュージック的アニメ

「WAVE TWISTERS」/ DJ Q-bert

いやーー
素晴らしい傑作アニメ。

神業スクラッチDJ Q-bertのアルバム「WAVE TWISTERS」。
その曲とグラフィック系アート感が漂いまくるCGアニメで展開する映像作品。


作られたのは2001年のことです。
ストリート系とかHIP HOPとかが元気ピンピンだった時代ですよね、この頃は。

さて、この映像作品のストーリーはといいますと、、、
SFアドベンチャーものでして
悪の帝王ロード・オークが独占するヒップホップ4つの力(MC、グラフィティ、ブレイ

クダンス、DJ)を取り戻すというもの。どっかで聞いたことあるような・・・でもそれが

またHIP HOPっぽくて良いです。

これですね、効果音、セリフ含め全ての音が、なんとDJ Q-bertの曲によって進行して

いくというものでして、他に類を見ないものになってます。

正直、好き嫌いは、ハッキリと分かれるでしょう。

普通のアニメ作品として鑑賞してしまうと退屈してしまうのかなぁと
個人的には思ったりします。

ただ、ストリートカルチャー好きには「よくやった!」と
賞賛せずにはおられない、痒いところに手が届く的な作品となっております〜。


今のところ、“GORILLAZ”と並びまして
デザイナーズアニメなるものの二台巨頭と勝手に認定しておりますよ。
(デザイナーズアニメっていう言葉・コンセプトがあればですがw)


巷では曲のPVに良くアニメが使われますが
ストーリー作品となるとなかなか見当たらないですよね。
という意味でもやはり貴重なのです、この作品は。




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2010年04月27日

ROCKバンドには、レーベルも重要

偉大なる人アーティスト、イアンマッケイ率いるDischord Records(ディスコードレコーズ)。

とにかくこの人は、地に足がついた活動をじっくりやるというイメージがあります。

(イメージだけではなく実際そーなんですけどね)

アンチメジャーといいますか
アンチ商業主義といいますか
ミスターDIYという感じです。


でもそのブレない活動
ゆるぎないアティテュードにリスナー、KIDS、もしくは周りの人たち
音楽関係者・・・等々が惹かれ寄ってくる。・・・まぎれもなく僕もその中の1人なんですけ

ど、そうやって少しづつ大きくなっていった偉大なアーティスト。


彼と関係の深い

MINER THREAT
FUGAZI
DAG NASTY
の楽曲はココで聴くことができます

http://www.myspace.com/dischordrecords

この他にも色んなアーティストをバックアップしています。
今ではいわゆるDISCHORD系と言われるくらいにまでブランド力が高まりました。
(一時、エモといえばこのレーベルでしたよね)
あの、ビースティボーイズも
DISCHORDレコードをお手本としてグランドロイヤルを作ったと聞いたことがあります。
じっくりとじっくりと名声を高めたというか
レーベルを育てていったんですよね。大手メディアに頼らない独自の手法で。

自分達が正しいと思ったことを何十年にもわたりやり続ける。

今世の中は、大変な時期にさしかかり混迷を極めておりますが
だからこそDischord Records、そしてイアンマッケイの活動に光を見出すことができるのではないかとさえ思います。




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2010年04月25日

ROCKバンド名論

カッコイイROCKバンド名論

The Hutchisons(ザ・ハチソンズ)

これは、架空のバンドでして私のかっこいいバンド名ストックとして
保管しているモノでございます。

これにちなんで
由来である
ジョン・ハチソンという方のことを少し書いてみようと思います。

ジョン・ハチソン。
彼は、カナダの方でしてストレンジな印象を世間に与えた発明家であります。

その理由は、、、経緯をざっと書きます。

常日ごろから誰に頼まれることもなく研究にあけくれたハチソン氏。
そんな彼は、研究の最中にある効果にでくわしそれを公表することになります。

そしてそれを機に世間に注目されることになるのですが。 。。

そのある効果とは、、、

物体が
〇ねじれ
〇重力を無視した動き
〇金属と木など異なる物質が融合

・・・といった
これまでの科学の常識を覆すような現象を引き起こすものでした。
いわゆる超常現象のオンパレード。それを映像に残すことも成功しております。

その効果(現象)は
後にハチソン効果(Hutchison Effect)と名付けられ知られることとなるのですが
世間では、物議をかもし続け現在に至ります。

氏は 、学があったわけではありません。
例えば大学などで物理を学んだエリートではなく
独学で感性を頼りに実験を進めてきた人。

ですので
このハチソン効果をなかなか理論化できず
再現性の確率もかなり低いことも手伝って
周りからウソッパチソン!なんて言われたかどうかは分かりませんがw
とにかく眉唾な発明者としての烙印を押されることになるのでした。

悪いことに
TVでハチソン効果の番組が組まれ際
撮影時についトリックを使って
それがバレてしまったこともあり信用はさらにガタ落ち。
(このトリックについては、自身も半ば認めている。ただ、TV番組で100%の再現を望むべくプレッシャーを与えたならつい不正もしたくなるのが人間というもの。その辺は、考慮してもよいのではないかと思いますけども)

今では、『アンダーグラウンドで奇怪な発明家』という位置付けに甘んじておるというわけです。

ちなみに、ハチソン本人によれば
ハチソン効果を公表した後
何者かによってその自宅の装置を破壊され
再現がより困難になったとか。

では仮にそんな輩が存在したとして
いったいそれはなぜそんなことをする必要があったのでしょう。

ただのイタズラ?嫌がらせ?

あくまでも仮説ですが
効果が認められたら何か困るような立場の者達が黒幕なのではなかろうか。
つまり、この効果(フリーエネルギー理論等)を世間に知られてはマズい人たちの サシガネなのでは?などという見方も存在するのです。

それほど
ハチソンが残した映像は、これまでの常識とは全く異なるエネルギーが働いてる。そうとしか思えない程のインパクトある現象が収められているといえるのです。

こういうブッ飛んだアティテュードは、ROCKアーティスト達のそれと近いものがあり、そういったところに惹かれ

The Hutchisons(ザ・ハチソンズ)というバンド名は、生まれました。

ataro1 at 22:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!