2013年10月19日
悲しみと苦悩のあいだで。
わたしが、子供のいない人生を歩もうと決めたのは、
今から1年くらい前なのですが、
『よし決めた!』と思って、
すぐに決心、決行できたわけではなく、
『こんな子宮をしているから、
もう子供のことは、あきらめよう』と、
もっと前から、思っていました。
でも、
年齢の壁があって、
『あきらめよう。この事実を受け入れよう』と心に決めていても、
人間ドックでその都度、婦人科の女医先生に、
『40歳まで、あと、少しだよ。
不妊治療、もう一回やるなら、今しかないよ。
それ超えたら、本当にもう無理になるんだよ』とか言われて、
あぁ、どうしよう。
わたし、決めたけど、
でも、
あと、2,3年くらいしかないって言われたら、
このままあきらめたことを、
いつか、後悔するんだろうか。
と、
そんなことが、頭の中をぐるぐる、ぐるぐる。
でも、
頭のどこかでは、
『もう、ムリだよ』ってことは、わかってるんだけれど。
実家へ帰ると、
どこどこの、誰が
何人目を産んだとか、
孫が何人目だとか、
そういうことが、
聞きたくないけれど、耳にどんどん入ってきた。
そして、
あぁ、どうしようか、と思う。
わたし、
もう、授からないんだけど、
もしかしたら、
授かる可能性があるのかな、なんて思う。
ぐるぐる、ぐるぐる、
出口のない、迷路に入り込んだみたいに。
そういうことが、
何年もあった。
そして、
悲しくなって、
いたたまれなくなって、
もう、ここにはいたくないとか、思い始めて、
どうしたらいいのか、
自分でもよくわからなくなって、
考えることをやめたのが、2010年。
会社員として、
それまで長く、勤めていたけれど、
夜遅くまで残業したり、
同僚に負けずと、
がむしゃらに働いて、
なんだか、そういうのも、
20代の、一番いい妊娠可能時期に、
なんてこと、してたんだろうと、
すごく、後悔した。
そして、2012年。
もう、ムリだと思った。
たくさんある筋腫の芽は、
確実に大きくなっていたし、
何よりも、とにかく、体がきつくて
たまらなかった。
だからもう、
とにかく、子宮筋腫から解放してもらいたくて、
この子宮を治療してもらいたくて、
大きな病院の婦人科を訪ねて行った。
そして、また、
そこからが、
苦悩の始まり。
男性の先生から、
『まだ40歳になっていないでしょう?
あなたは、せっかく女性に生まれたんですよ。
筋腫を、もう一回手術して全部取ったら、
妊娠できるかもしれないのに。
あきらめるんですか!』 と。
それを聞いて、
『ああ、やっぱりそうかな』とも思った。
だけど、
もう、心の底から
『わたしもう、へとへとで、
もう無理だよ』とも思った。
だけど、
『産みたいと思わないのか!
女性なのに、妊娠したいと思わないのか!』と言わんばかりの
先生の勢いに、
そこでは何も言えなくて、
涙を流しながら、
車を運転して、帰った。
産みたいに決まっているじゃないか。
何言ってんだよって
そして、もう、
本当に、疲れてしまった。
でも、
やっぱり、もう一回、
開腹手術して、
筋腫とって、不妊治療をゼロから始めるのが、
わたしの両親のためにも、
わたしのダンナのためにも、いいのかな。
そんなことを考え始めた。
わたしの体にかかるダメージは、
そうだな、
なんかよくわからないけれど、
もう一回お腹切って、
不妊治療を始めれば、
なんか、それで、
みんなが納得すれば、
それでいいんじゃないの。と思った。
なんだかもう、
ひどく疲れてしまって、
わたしのお腹の筋腫を取りたい医者がいて、
不妊治療させたい、医者がいて、
でも、『決めるのは、あなたとご家族です』とか言って、
『不妊治療はしません』と言ったら、
それでいいんですか。
今しかないんですよ、とか言う。
そして、
そうこうしていたら、
わたしの両親と、ダンナが、
『不妊治療のために、
2回も開腹手術をするなんて、あんまりだ』と、言い始めた。
『授かるか、授からないか、わからない命のために、
体にメスを入れて、これ以上、痛めなくてもいいじゃないか』と。
わたしは、
ただただ、涙が出た。
そして、
『もう、やめてもいいんだ』と思った。
赤ちゃんを求めて、
一筋の光はないのか、探していたけれど、
『もう、やめても、いいんだ』と思った時、
なぜか、
わたしの前に、光の射した、広い道が見えた。
それが、今から1年前の出来事です。
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atatakaihoue at 13:22│TrackBack(0)│不妊でつらかった日々(2000年~2013年)