藤村さんと門脇さんからお声掛け頂き、昨年から編集長を藤村さんが2年間務める「建築雑誌」(日本建築学会発行)の編集員を務めている。月1回の委員会にまだ3回(うち1回はネットから参加)しか出席できておらず、積極的に関われていないのが現状である。この度、藤村編集委員長による第1号が発行された。毎号2つの特集と連載記事で構成されるが、第1号の特集は「建築と学び」「デジタル(のよう)に学ぶ」の2つ。「建築と学び」については高等教育の現状と今後の建築技術者に求められる能力開発の有り様が議論されている。「デジタル(のよう)に学ぶ」はデジタル技術を応用した建築やまちづくりの現場や今後の応用について議論されている。
特集記事に参加している編集委員のみなさんのほとんどは大学に在籍し、教育の現場に身を置いた実施と研究開発に携わる。市街地から離れた島で活動し、地方の私立大学の学生だった私には、なかなか高度な議論でついていけていないのが実情であり、学ぶことの方が多い。しかし、同時に学生だったころに大学の教育に疑問と不満を感じていた部分も多く、実施的教育の必要性と座学とのバランスに興味があり、純粋に読み進めることを楽しんでしまった。今のところ、私自身は委員会の刺激的な議論に興奮するばかりだし、東京にいらっしゃる皆様さんは委員会外でも積極的に雑誌の製作に時間を使われているようだから、今後どのように雑誌づくりに貢献していけばよいものか…と少々悩んでしまう。
民間雑誌においては1970年代の「都市住宅」等は今でも手に取り時間を忘れて読み込んでしまうほど深い論考や議論が交わされている。その理由は現代にも通用する力強い批評性と先見性にあるように思う。この度の「建築雑誌」2018年1月号を読み通してみると18・19年の2年間に発行される「建築雑誌」はそのようなものになるのかな…とまだまだ主体性なく感じてしまうが、とにかく、たくさんの人にぜひ手とって頂きたい。
※明けましておめでとうございます。
特集記事に参加している編集委員のみなさんのほとんどは大学に在籍し、教育の現場に身を置いた実施と研究開発に携わる。市街地から離れた島で活動し、地方の私立大学の学生だった私には、なかなか高度な議論でついていけていないのが実情であり、学ぶことの方が多い。しかし、同時に学生だったころに大学の教育に疑問と不満を感じていた部分も多く、実施的教育の必要性と座学とのバランスに興味があり、純粋に読み進めることを楽しんでしまった。今のところ、私自身は委員会の刺激的な議論に興奮するばかりだし、東京にいらっしゃる皆様さんは委員会外でも積極的に雑誌の製作に時間を使われているようだから、今後どのように雑誌づくりに貢献していけばよいものか…と少々悩んでしまう。
民間雑誌においては1970年代の「都市住宅」等は今でも手に取り時間を忘れて読み込んでしまうほど深い論考や議論が交わされている。その理由は現代にも通用する力強い批評性と先見性にあるように思う。この度の「建築雑誌」2018年1月号を読み通してみると18・19年の2年間に発行される「建築雑誌」はそのようなものになるのかな…とまだまだ主体性なく感じてしまうが、とにかく、たくさんの人にぜひ手とって頂きたい。
※明けましておめでとうございます。