2018年06月21日

スマホを買いそこなった件

旅行から帰ってもう3週間も経つと言うのに体調が元に戻りません。
今週はスーパー等に出かけていますが、
体力がないので、少し歩いただけでぐったりです。
今日は駅の階段でちょっと急いだらよろけて転びそうになり
危うく捻挫するところでした。
手すりの側を駆け下りていたので必死に手すりに掴ってセーフでした。

ちょっと入院したら寝たきり老人になる・・・とはこのことか、
2週間ほどは寝たり起きたりの生活だったので
あっという間に足腰が弱るという事を実感しています。
少しは回復しているようですが、時間がかかりそうです。

さて、先週末からの楽天セール昨日で終わりました。
日用品やお米など重い物は月に一度程度の楽天セールを利用しています。
そして、ついに今回こそは楽天モバイル・・・と
機種選定に張り切ったのですが、体調の悪さで頭が廻らず
買おうと思ったものが次々売り切れとなってしまい
買わず仕舞いで終わってしまいました。

スマホにしようと思いながら
家に居ることが多く、小さなPCを四六時中見ているので
さほどの不便さを感じなかったのです。
lineもPCに入れて特に不満はありません。
今回旅行にこの小さなPCを持参して思ったのは
重すぎる!という事。

これ以上スマホに変えるのを延ばすと操作出来なくなる恐怖
そんなで今回の決意は固かったのですが、
近所の楽天店舗でカタログをもらい選択するも、頭が回転せず
仕様書がよく読めないという有様で
出遅れてしまいました。

img-device-00

セールの商品でASUSのzenfone3は1000円でした。
これでよかったのに・・・もう後の祭りです。
これで毎月2年間は980円で済みそうなのです。
スーパーホーダイは2Gで2年間1480円、
さらにダイヤモンド会員割というのが500円引きになって980円。
機種は型落ちでもいいので2G あれば大丈夫だと思います。
縛りは3年で途中解約料は9800円となってました。
途中解約はしないと思います。

他の機種もやはりセールだと半額位になるので
次回のセールでは一番に買おうと思います。

価格ばかりを気にしていたらもう操作できない頭になるかも知れません。


atelier_igrek at 21:00|PermalinkComments(0) 日々の出来事・雑感 

2018年06月18日

地震

緊急地震速報がTVでなるとビクッとしますね。
たいていTVは聞いていて見てないことが多いので
鳴った瞬間、画面を見ると赤い部分が多いので怖さが先にきます。

先日の群馬の時も今朝の大阪の地震も緊急地震速報ありましたね。
遠くで発生してこちらまでは揺れないだろうと
思う距離でも警報はあるのですね。

今日の大阪の地震では
塾生孫と同じ年の女の子が犠牲になりました。
子供が犠牲になるのは痛ましくていやです。
大川小学校の事を思い出してしまいます。

塀は途中から継いだような造りでしたね。
控壁は全くありませんでした。
これから調査で倒れた原因が究明されると思いますが、
失われた命は戻ってきません。
明らかに危ない塀を放っておいた行政の責任です。
犠牲者が出ないと分からないのでしょうか、この国は。
人災です。

ご冥福をお祈りします。


atelier_igrek at 09:30|PermalinkComments(0)

2018年06月16日

ファミリーヒストリ―的旅最終章 

思い立って父の青春時代を辿ろうと
父が勉強した学校に問い合わせをしてみたところ、
写真等があることがわかり出かけたことは
今まで書いてきたとおりです。

私達子供達はそう遠くないうちに亡くなります。
そうすれば父の事はすっかり忘れ去られていくことでしょう。
会うことのなかった祖父のことは記憶には残らないでしょう。
全ては自然の摂理です。

さて、今日は建築好きの私に気を使って、時間が無い中、
松江と京都を廻ってくれた義弟。
今までにUP出来なかった印象に残ったところを
紹介してこの項を終わりにしたいと思います。

3
宍道湖に流れ込む大橋川にかかる松江大橋

1
まだ、木建のまゝ住まってる長屋
2
歩いていると古い建物を見かけることが多い松江の町
上↑の建物、昔の遊郭かななんて思っていたら、旅館建築でした。
今は料亭のようです。
旧米江旅館本館北棟 昭和2(1927)年 国指定有形登録文化財

松江城の天守から見た宍道湖にある島根県立美術館
1
菊竹清訓設計とは思いないカーブのある大屋根のデザイン
中を見たかったです。

museum-guide-img_02
HPから

島根県には菊竹清訓建築多数
見ておきたかった「出雲大社庁の舎」取り壊されましたね。
皆生温泉「東光園」
「旧島根県立博物館」(現島根県公文書センター)
「島根県立図書館」
多いわ。どうして?

安田臣(やすだかたし島根県生まれ営繕官僚)設計、島根県民会館
1

3
歩いているときに出会った建築、
いいなと思って天守からも見て見ました。1968年築

2

1
松江城内にある興雲閣、明治36(1903)年
2
その歴史はこちらをご覧ください。
H27年保存修理完了、島根県に残る貴重な擬洋風建築

松江の町、そして・・・食べ物
4
全てが美味しかった居酒屋「根っこや」
6
お刺身コリコリでした。
本わさびは擦り方が右廻りと左廻りで辛さが違う?
(写真撮りそこなったので食べログより)
5
松葉ガニ・・・今度は食べたい・・・また行こう。

京都もそこかしこに古い町並みがあって一か月ぐらいは住みたい所
16
百万遍辺りの路地

雨の中連れて行ってもらったのが一番古い寮、有名な寮とか。
11

吉田寮、大正2年(1913)に建てられたというから驚き
13
正面玄関、寮生の交流の場だそうで、雨のせいか皆が集まっていた。
12
脇に廻れば恐ろしく古ぼけていた。一揺れでぐにゃりといきそう。
老朽化で危険なので大学側は
平成30年1月以降、吉田寮への新規入寮は認めない。
平成30年9月末日までに、入舎しているすべての学制は退舎
という方針だそうだが、自治会は反対しているとか。
どうなるんだろう?
不気味そうで中は見たくない。

最後は金平糖やさん、左端に大きな鍋
15
創業170年という、緑寿庵清水…高い…駄菓子でないことは確か。
銀座でも日本橋三越でも売っているそうです。

京都はまたゆっくり行って見ましょう。


atelier_igrek at 08:00|PermalinkComments(0) 京都建築 | 島根県の建築

2018年06月14日

ファミリーヒストリ―的旅番外編 ー城下町松江ー

長々父の話になってしまいました。
東京から島根県は遠いですね。疲れから風邪を引いて
未だに完治しない状態です。免疫力のない老体です。

松江には夫が見たがっている国宝があります。
(夫はこの旅行の後自分の同窓会旅行があるので来なかったのです)
1
松江城天守です。
松江城は,松江市街の中心部,亀田山に築かれた平山城である。
慶長5年(1600)に出雲・隠岐の領主となった堀尾氏が、
同12年より築城を開始し,同16年にほぼ完成した。
現在の天守はこの時につくられたものである。

2

通し柱による構法などの独自の建築的特徴を有し,
近世城郭最盛期を代表する建築として極めて高い価値がある。
防御性を重視した中世山城から,
高層化して近世都市の基軸へと進展してきた我が国の城郭文化の様態をあらわしており,
深い文化史的意義がある。
(文化庁DBより)

7

5
天守閣東側に見える大きな屋根群、松江歴史館です。

6
この辺りは松江城の東に隣接し、
江戸時代には松江藩の家老屋敷が建ち並んでいた場所にあります。

東側から堀沿いに北側に曲がると当時のまゝの武家屋敷の長屋門
5

塩見縄手通り、堀沿いの松
6

小泉八雲旧居
2
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、
怪談「耳なし芳一」、「雪女」なつかしい。
学校で習いましたね。
1
この辺りは堀と川の町、静かでどこかのんびりした町、水の都です。

5
松江駅の西側の辺りお寺が集中している。
移転させられたわけでなく最初からだそうです。

no title

1

2

長い塀と大きな本堂がいくつも並んでいる寺町、
出会った事のない町でした。


atelier_igrek at 21:46|PermalinkComments(0) 島根県の建築 

2018年06月12日

ファミリーヒストリ―的旅后 蕊磴榔親阿藩靴咾鯲称?−

今回の旅は父の足跡を辿るだけの旅
遠く島根県まで行きましたが、出雲大社は遠くてパスしました。
石見銀山もありますね。その旅はまたいつか。
松江に一泊して神戸の妹宅に帰り
疲労回復に(?)
1

3
神戸牛ヒレステーキを御馳走になりました。
夜行くと高価なお肉もランチはお手頃。
私達が一番乗りでしたが、アッと言う間に行列になりました。
最高でした。

次の日、天気予報は時々大雨という中、京都へ行きました。
こちらは松江と違い、父が通った当時のまゝ建物が残っています。
ありがたいことです。
学部の門は最初に紹介しましたが、門を真っすぐ行くと
7

2
旧農学部付属演習林事務室 1931(昭和6年)国指定有形登録文化財
3

6
こちらに学部の同窓会の事務室があり
5
最新名簿の父の欄には
1
この書き込みがありました。今回でやっと父も故人となりました。

9
時計台1925(大正14年)武田吾一設計
10
当時はこんな?
免震構造に改修されており中には歴史展示室があり
8
1930(昭和5)年頃の下宿の様子が設えてあり、
父は碁をやっていたので、「絶対こんな感じ」と妹と話しました。

父は下宿していたのか、寮に入っていたのか、
生きている頃は聞く術を持って居なかった余りに若い私達
どんな学生生活を送ったのだろうか。
陸上競技は続けていた、碁もやっていた、マージャンもやっていた、
学問もやっていた・・・多分。
いい学生時代を過ごしたに違いない。


atelier_igrek at 22:01|PermalinkComments(0) 京都建築 | 母のこと・家族のこと

2018年06月10日

ファミリーヒストリ―的旅検 嫉卮冉困世辰辛磧

今回の旅は私が思い立って、妹を誘って行ったものです。
弟にはまだ知らせていません。

最初に書いたように、
父が倒れたのが、私7歳、弟5歳、妹3歳
それからおよそ10年後に父は亡くなる訳です。
なので、父の思い出、父への思い入れは
兄弟で温度差があるのは当然のことでしょうか。

私は父の元気な時を知っています。
ごく普通の幸せな家族の光景を覚えています。

4歳下の妹が生まれて、もうハイハイしてたのでしょう、
その頃の食事は妹を籐のベッドに括って
掘りごたつのテーブルで家族で食事したこと。

父が仕事から帰って来たら、お土産のチョコレートが
たいていあったこと。それがこれです。
4
「SNICKERS」英語のラベルのチョコヌガー
たぶんこれは父が幼い頃食べていたチョコだと思います。
父は祖父の写真修行の為、サンフランシスコで生まれて
小学校に入るまでそこで育ったからです。

寝るときは足の膝の裏に手を挟んで、膝を折り曲げて
「ぶっ、ぶっ」と音を立てると私達3人はゲラゲラ笑うのです。

それから、夜の怪談話、カッパに尻子玉を抜かれるお話。

クリスマスには必ずプレゼントが枕元に置いてあり、
3人でそのプレゼントを布団の上で開ける光景。

父と二人で出かけて街の商店街で赤い靴を買ってもらった事
ベルトが付いたこの靴にそっくり
5

又、父の同僚の画家のアトリエに連れて行ってもらった事
アトリエの風景が印象的でした。

そして、何歳くらいの時からかだったのか
毎夏、植物採集に連れて行ってくれました。
これは倒れてからも少しは続きました。

新聞紙に採集した植物を挟んで植物標本を作ります。
植物の名前を植物図鑑で調べる事を教えてもらい、ラベルに記入します。
弟は昆虫採集で昆虫や蝶の標本を作りました。

植物採集に行かなくても近所に生えている植物の名前を教えてくれました。
雑草の名前、いぬふぐりや泡立ち草等沢山教えてもらったのに
すっかり忘れてしまいました。

妹は父の元気な時は全く記憶にないとの事、当たり前です。
妹の記憶は父のかわいそう事ばかりなのです。

この事はあまり思い出したくない事です。二人に取って。
弟はどうでしょう。話すと私の記憶と一致することは多いですが、
どこかに連れて行ってもらったのは私だけのようです。

父は子煩悩でした。なのに自分が障碍者になり
子供と遊んでやることもできず、
好きな仕事も出来ず無念だった事でしょう。


atelier_igrek at 23:39|PermalinkComments(0) 母のこと・家族のこと 

2018年06月08日

ファミリーヒストリ―的旅掘 10代の父を始めて見るー

疲れて熱が出て寝込む、そして咳が止まらなくなる。
せき込んで体力消耗と疲れ、そして食欲不振・・・
毎回同じパターンです。全く情けなくなってきます。
これが老化ってことでしょう。

さて、父の青春を辿る旅、高校編の続き、
成績表を見た後、図書館に案内されて、ワゴン一杯の冊子を頂き、
最初に見たのが、入学者永久保存 の写真集
「うわ〜」妹と二人で声をあげてしまいました。

そこには坊主頭で着物姿の父が写った名刺ほどの大きさの写真がありました。

父の写真は赤ん坊の頃から6〜7歳位まではアルバムがありますが、
その後、結婚してからの写真しかないので
この10代の写真は初めて見ました。
幼さの残った顔は私の小さい頃にそっくりでした。

ひとしきり衝撃に浸った私たちはその他の
当時の写真集(卒業生から寄付)や本を見たのでした。

ここで、卒業生が写真等を寄付しているのを見て
私も自分のお宝、父のメダルを3個と、
卒業証書を寄付しました。
卒業証書は一枚も残ってないとのこと、当たり前ですよね。
卒業証書は学生に与えたものですから。
喜んで頂けました。

急に思いついて写真を撮っておかなかったのが悔やまれますが、 
校章がついたインターハイの記念メダル等(径5僉砲任后
弟も妹もいらないと言ったメダル、私が持っていたのですが、
私が死ねばどこかに捨てられる運命間違いなしです。

島根大学の歴史の一部になると思うと有意義だったと
思えるのでした。


atelier_igrek at 22:09|PermalinkComments(0) 母のこと・家族のこと 

2018年06月06日

ファミリーヒストリ―的旅供 蕊磴寮績表ー

京都では、ちょっと酷い雨にあったりして
次の日、喉がもぞもぞして風邪引いたかなと思ってていたら、
疲れだったらしく寝ていたら良くなりました。と思ったら、
発熱、やられました。体力が全くありませんね。
なんとか熱は下がりました。

さて、父の学生時代を辿る旅

先に書きましたが、父は私達兄弟が7歳(私)5歳(弟)3歳(妹)の
時に病に倒れたので、母一人が支えるという悲惨な生活に
陥っていくのですが、

母は運よく学校の調理員の職を得ることが出来、
今思うとほんとうに「運よく」と言えるのですが、
母はあまりそうは思っていなかった様でした。

弟も妹も幼稚園に行ってますし、弟は公立の小学校ではなく
国立の付属の小学校にあげています。
私も妹も奨学金を得て、高校まで出してもらいました。
極貧生活といわけでもなさそうなのですが、ともかく
母の肉体労働ともいう仕事で我が家は成り立っていったのでした。

そういった我が家で父は半身不随の障碍者です。
それ故、父の事は母により京都大学を出た頭のいい人であったという
事実かどうかわからないまま拡大され、私達に伝わっていったようでした。
特に母の生きがいは弟の教育でした。
こういう場合はうまくいかないことが常です。
弟はなんとか国立大学に入りましたが、
自分の努力の無さを棚に上げ
自分の頭の良くないのは母の遺伝子によるものと言っておりました(笑)。

さて、島根大学(旧松江高等学校)に父の事を問い合わせると
成績表と写真が残っていることがわかりました。

まず最初に3年間の成績表を見せてもらいました。
本当にきちんと残っております。
クラス全員の氏名が載っており父以外は姓名は黒く消されておりました。
小さな部屋で、妹とその夫と3人で成績表を隅から隅まで見ました。
そこで妹婿が発見したのは
1年生の父の欄にある「補入」文字
皆で「ほけつにゅうがく」と声が出て結構笑いました。
何しろ出来がいいと吹き込まれていますので。
しかし、その年の赤点(60点以下が赤字で書いてある)はありませんでした。
順位も書いてあります。3年間を通して下から1/3位下でした。
点がいいのは体操です。

クラスは理科(他は文科)の甲組(一組二組で80名程)
(乙組は第一外国語が独語でほとんど医学部に進学しています)
勉強した学科1年では
修身、国語、漢文、英語1、2、独語、代数、立体幾何、
植物、鉱物地質、法制経済、図画、体操
2年になると国語漢文が無くなり、
修身、英語1、2、独語、解析幾何、物理、化学、動物、図画、体操
3年になると物理、化学、植物動物に実験が加わり、
植物・動物か力学・図画の選択になっており
父は植物・動物を選択していました。

田舎の中学ではよく出来た少年も、官立の高校に入るにはやっとこさ
でも、
落第生や原級性、4年修了生が居る中そのどれにもならず
陸上競技部で長距離選手をしながら学業は低空飛行で卒業したようです。
(インターハイ活躍選手の中に父の名前はありませんでした)

なんだか好感もてますね。

この項続く


atelier_igrek at 20:40|PermalinkComments(0) 母のこと・家族のこと 

2018年06月04日

ファミリーヒストリ―的旅 ―父の学生時代を辿るー

丁度1週間前、朝9時の飛行機で神戸に行き、
飛行場で妹とその夫と合流して車で島根県松江に行きました。

父の青春時代を過ごした場所を尋ねる旅
ファミリーヒストリ―的旅というか、
そんな旅行をしてきました。

父は私が高校を卒業した年、妹が中学3年の時に亡くなり、
それ以前10年間は闘病の時を過ごしているので
私達子供たちは父と色々な事を話す機会もありませんでした。

この年齢になって父の事を考える時只々かわいそうで
涙が出てきます。余り思い出したくない事ばかりです。

父にも青春の楽しい時代があったんだと思いたい・・・
そんなで我が家にある卒業証書を頼りに高校大学を見る旅です。

事前に高等学校に問い合わせをすると
写真等が残されていることが分かりました。
また、当時の学校の門が現在も残っていることはwebで調べていました。

1
旧制松江高等学校(現島根大学)正門(移築)1924年(大正13年)登録有形文化財

父は高校、大学当時陸上競技をやっていたとの事で
その時のメダルが残っています。
それを手掛かりに大学の同窓会が分かり、
名簿に未だ名前があることもわかりました。

後で分かる事ですが、高校も大学も国会図書館に
規則や生徒、卒業生が載った冊子があり、webで見ることができました。
教員の方の名前もわかるのです。

松江市に一泊して、神戸市の妹宅に戻り
一日休養して、翌日京都の大学に行きました。
父もくぐった学部の門、当時の場所にそのまま残っています。

2
京都大学農学部表門及び門衛所1924年(大正13年)登録有形文化財

今まで何回か京都にも行きましたが、父が通ったところを見ようとは
一度も思った事はなかったのです。

自分が大学に行って見て初めて父の大学時代の事を
考えたのかも知れません。
今までは、父の可哀そうな所ばかりを思い出していたのですが、
今度見た父の若き日の高校入学の時の姿、
このメダルはインターハイで優勝した時の物だった事、
今までと違う父の姿を思うことが出来るようになったのです。

以下続く


atelier_igrek at 13:02|PermalinkComments(0) 島根県の建築 | 京都建築

2018年05月27日

2019ランドセル ―30数年前を思い出してみるー

TVのランドセルの予約が早くなっているニュースが流れていました。
画面は予約会が既にドンドン行われている様子でした。

来年は次女の長男が小学校入学です。
以前より次女より「よろしく」と言われているので
もう、そんな時期なのかと、ネットで値段等を検索してみました。
9500-546x546
2019年ランドセル比較ランキングでは
ブランドランキング
男の子人気デザインランキング
などや、新作や予約日など詳しく載っておりました。

私はもう、面倒くさくて、お値段だけを見て見ました。
長女の長女、塾生のランドセルはパパの方のお祝いで買うから
と言うことで全くタッチしていませんでしたが、
ランドセル来たのと聞いてもまだ、まだでなかなか来ませんでした。
予約してから、縫製が時間が掛かる様でした。

そのブランドは土屋かばんだったのですが、
それを見ると6〜7万台、他のブランドでは8万以上もするのもありました。

最近は教科書などが重くて、腰痛にかかる子供もいるとか、
ほんとに、塾生のランドセルは私が持てばたちまち首痛になりそう。
ランドセル自体が重いといことはなさそう。

軽くて耐久性が良い物がいいのです、その辺は各社新製品は
考えて出しているようでした。

次女に聞いてみると
「高いランドセル買って、すぐ傷つけたりしたら我慢できないから
高いのでなくていい」と言ってました。
男の子は乱暴でなんでもすぐ壊すからと・・・
お祝いをあげるからその中から自分たちで買ってもらうことに
しようと思います。親子で好きなのを買うといいと思います。

いつの頃からランドセルは祖父・祖母がプレゼントするように
なったのでしょうか。長女のときは夫実家から洋服をもらいましたし、
ランドセルはどうだったのかな?母がプレセントしてくれた記憶もなし、
私はお金でお祝いもらいたいと思ってました。
色々自分の趣味で買いたかったから、それは覚えています。
だから、母からはお金でもらったのかもしれません。
お母さん、忘れてしまってごめんなさい。

それにしてもこの間、産まれたと思ったら一年生。
そんなにもこっちは年取っています。


atelier_igrek at 15:44|PermalinkComments(0) 日々の出来事・雑感