先日来より読んでいた五木寛之の小説「親鸞」を読了した。
第一部青春篇、第二部激動篇、第三部完結篇の合計6冊。
タイトルは難しく感じられるがとても面白い小説だった。是非手に取って読んでもらいたい小説だ。

その小説のクライマックスで年老いた親鸞が、昔は目を閉じていてもすらすらと思い浮かべることができた事が、最近はそれすらもできないと語るシーンがある。人はそれを「耄碌(もうろく)」と言うがそうではない。自らの計らいではなく他力のはからいで自然と愚に帰ろうとしていると言っている。

私の年老いた両親もそうだ。
動作が遅くなり、物事の記憶が曖昧になりがち。さっき言った事も忘れる。
それを哀しいと思う時もあり、また、ぼけたのか?などと思ってしまう事もある。しかし、この小説にあるように、人は皆老いてくると自然と何も知らなかった頃の子供のように帰るのだ。そして往生する。

今の日本は高齢者が多い。私自身も老いについていろいろ考える事がある。老いていく事は哀しいかもしれないが、自然を受け入れて自然のままにありたいと思う。