真我に出会って
私に起きた奇跡は、思いもしなかった実父に出会えたことです。
なんだか母の産道を行くようなそれは私の旅でした。
いつもブログを読んでいただき、本当にあり
がとうございます。
この生命(いのち)の浄化のワークは、
実は、人類たくさんの人が体験しているで
あろう現状を扱ったものであり、
2013年~天の時、地の利、人の和が訪れ
その時、受講生の水子の体験を語っていただ
いたことを機に、佐藤康行先生が、愛と喜び
を持って取り上げ研究されたものだったのだ
と思います。
私も、発信者側となり真我ユニバーサル友の
会においても取り組ませていただきました。
今振り返りながらも、やはり、佐藤康行先生
の取り組まれている真我の覚醒へのただ
この一筋の道は、切り口が豊富にある中の
一つとして、生命(いのち)の浄化が生
まれたのであり、改めてさらにさらに、
確信するばかりなのです・・・
前に、書かせていただいたように、私は
自分が、水子でずっと生きてきたことを
思わずにはいられませんでした・・・
物心ついた頃から、私はいつもいつもとても
苦しくて、気づいた頃からいつも、
‘ 私なんて・・・ ’ という思いでいっぱい
だったのです・・・
正に、私は自分自身をまるで水子のように
扱って、卑下していたのです・・・
私は既に自分の存在を思う存分、否定してい
たのですが、小学校1年生の時、
‘赤ちゃんの頃の自分’について、家の
人に文章で書いて教えてもらうという宿題が
ありました・・・
まるで赤ちゃんの頃の私に対する母の作文
発表のようなものを、担任の先生が読み上げ
てくれたのを聞きながら、私は母のその文章
表現に大変感動して、小さいながらも元気
いっぱい、母を困らせながらも、天真爛漫に
光輝いていた自分の姿を、その時知ったの
です!
自己否定の固まりだった私は、その時大変、
感激し、大いに勇気づけられたことを覚えて
います。
作文の中でも父親の姿は勿論ありませんでし
たが、いつも淡々と私に接する母のそんなに
も降り注ぐようないっぱいの愛の深さに
私はたいそう喜び、生まれたての輝いていた
自分自身が本当に嬉しかったのです・・・
小学生の頃から、私はいつも真っ先に
自分を否定し、不平不満の言葉を唱え、
何かに怯えるように、心の底から笑うことも
なく、日々、自分自身を隠しながら、苦しみ
の中でずっとずっと、生きていったように
思います・・・
それでも、私は幸せだったのです。
周りの大人から、たくさんの愛を注がれ、
母が再婚した事実もわからず、養父と母と
一緒のごく普通の幸せな家族だと思って
生きていったのです・・・
成人してからも、就職して社会人となって
からでも、私はいつもいつも、不安定さに
覆い尽くされながら、それでも、日々私なり
に精一杯生きていったのです・・・
皆と同じように、私も結婚をし、そして
自分で望むかのように、離婚をした時、
私は砂の城が崩れたかのようなその時、
何かが間違っていた自分だったことに初めて
気がついたのです!
そして、真我に出会い、本当の私に触れた時
私は、本当の私で生きてこなかったことを
思い知らされました・・・
生命(いのち)の浄化のワークを知った時、
私は、正に、私の思いは水子そのものだった
ことを思わざるを得なかったのです・・・
そして、私ばかりではなく、今も一人病院で
幻聴に苦しみながら、統合失調症の皮を
被って、ずっとすべてを背負うだけの彼の
人生を生きている実父・・・
私も何となくわかります・・・
はらってもはらってもはらえない・・・
死んでも逃げられない・・・
佐藤康行先生はおっしゃいます~
一番いいところに逃げるのは、真我の覚醒
だと・・・
実父もきっと、両親の愛に悩み、水子として
生きてきたのではないかしら・・・
だから私は、今の私は、決して、父を、
責めることはないでしょう・・・
一人で、すべてを背負ってくれている・・・
お父さん、あなたはまるでキリストみたい
ではないですか・・・
つづく
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私に起きた奇跡は、思いもしなかった実父に出会えたことです。
なんだか母の産道を行くようなそれは私の旅でした。
いつもブログを読んでいただき、本当にあり
がとうございます。
この生命(いのち)の浄化のワークは、
実は、人類たくさんの人が体験しているで
あろう現状を扱ったものであり、
2013年~天の時、地の利、人の和が訪れ
その時、受講生の水子の体験を語っていただ
いたことを機に、佐藤康行先生が、愛と喜び
を持って取り上げ研究されたものだったのだ
と思います。
私も、発信者側となり真我ユニバーサル友の
会においても取り組ませていただきました。
今振り返りながらも、やはり、佐藤康行先生
の取り組まれている真我の覚醒へのただ
この一筋の道は、切り口が豊富にある中の
一つとして、生命(いのち)の浄化が生
まれたのであり、改めてさらにさらに、
確信するばかりなのです・・・
前に、書かせていただいたように、私は
自分が、水子でずっと生きてきたことを
思わずにはいられませんでした・・・
物心ついた頃から、私はいつもいつもとても
苦しくて、気づいた頃からいつも、
‘ 私なんて・・・ ’ という思いでいっぱい
だったのです・・・
正に、私は自分自身をまるで水子のように
扱って、卑下していたのです・・・
私は既に自分の存在を思う存分、否定してい
たのですが、小学校1年生の時、
‘赤ちゃんの頃の自分’について、家の
人に文章で書いて教えてもらうという宿題が
ありました・・・
まるで赤ちゃんの頃の私に対する母の作文
発表のようなものを、担任の先生が読み上げ
てくれたのを聞きながら、私は母のその文章
表現に大変感動して、小さいながらも元気
いっぱい、母を困らせながらも、天真爛漫に
光輝いていた自分の姿を、その時知ったの
です!
自己否定の固まりだった私は、その時大変、
感激し、大いに勇気づけられたことを覚えて
います。
作文の中でも父親の姿は勿論ありませんでし
たが、いつも淡々と私に接する母のそんなに
も降り注ぐようないっぱいの愛の深さに
私はたいそう喜び、生まれたての輝いていた
自分自身が本当に嬉しかったのです・・・
小学生の頃から、私はいつも真っ先に
自分を否定し、不平不満の言葉を唱え、
何かに怯えるように、心の底から笑うことも
なく、日々、自分自身を隠しながら、苦しみ
の中でずっとずっと、生きていったように
思います・・・
それでも、私は幸せだったのです。
周りの大人から、たくさんの愛を注がれ、
母が再婚した事実もわからず、養父と母と
一緒のごく普通の幸せな家族だと思って
生きていったのです・・・
成人してからも、就職して社会人となって
からでも、私はいつもいつも、不安定さに
覆い尽くされながら、それでも、日々私なり
に精一杯生きていったのです・・・
皆と同じように、私も結婚をし、そして
自分で望むかのように、離婚をした時、
私は砂の城が崩れたかのようなその時、
何かが間違っていた自分だったことに初めて
気がついたのです!
そして、真我に出会い、本当の私に触れた時
私は、本当の私で生きてこなかったことを
思い知らされました・・・
生命(いのち)の浄化のワークを知った時、
私は、正に、私の思いは水子そのものだった
ことを思わざるを得なかったのです・・・
そして、私ばかりではなく、今も一人病院で
幻聴に苦しみながら、統合失調症の皮を
被って、ずっとすべてを背負うだけの彼の
人生を生きている実父・・・
私も何となくわかります・・・
はらってもはらってもはらえない・・・
死んでも逃げられない・・・
佐藤康行先生はおっしゃいます~
一番いいところに逃げるのは、真我の覚醒
だと・・・
実父もきっと、両親の愛に悩み、水子として
生きてきたのではないかしら・・・
だから私は、今の私は、決して、父を、
責めることはないでしょう・・・
一人で、すべてを背負ってくれている・・・
お父さん、あなたはまるでキリストみたい
ではないですか・・・
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