会場は老若男女の徴収で満員。(老の会員は朝日カルチャーセンターのレギュラー会員さんだろうけど。)
編集者らしき身なりの人々も多い。みんな隙あらば内田先生に一筆書いてもらおうと思っているようである。
対談は予想通り、WBCで日本が世界一の話題から。
内田先生曰く、
「メジャーリーグというのは既に各国混成で出来上がっているのにもかかわらず、なぜアメリカは今更WBCという国の威信をかけた戦いを組織したのか。それはアメリカが国際関係を捉えるとき、『国対国』というフレーム以外のものを持ち合わせていないからなんですね。9.11にもはっきり表れていますが、彼らはテロ組織のようなアモルファスでリゾーム状の存在というものにうまく対応することができない。この歴史意識のズレは決定的です」
とのこと。なるほど。
メジャーリーグには世界中から様々な国のプレーヤーたちが頂点を目指してやってくる。
つまり事実上の「野球版・ワールドカップ」なのである。
にもかかわらず、なぜそのMLBの選手たちを、「国家」という仕切り板に沿ってアサインしなおし、WBCというイベントに動員しなければならないのか。
それはアメリカが国際社会の中での力をゆっくりと落としていく中、あらゆる問題を「国対国」でしか処理できなくなっているからだ、というお話。
それからホリエモンについてのこういう話もあった。
「ホリエモンは実は何か『贈与』を行っているんじゃないかと思っていた。ふつうビジネスでは、他者に等価交換以上のもの、つまり『贈与』を行わないと、あそこまで成功するわけがない。それでわかったのが、彼が『金で買えないものはない』と言い放ったそのことが作り出した『時代の変性感』自体が、実は『金で買えないもの』だったんです」
なななるほど。
世間の「ホリエモン擁護派」の皆さんは口をそろえて「彼は若い世代の挑戦心を呼び起こした」「日本の市場に活力を与えた」というような点を挙げて評価していたのだが、実はそれらはすべて「『金で買えないものはない』と言い放ったホリエモンがほぼ唯一『金で買わずに成し遂げたこと』」だったのである。
「金で買えないものはない」というホリエモンの最大の功績が「金で買えないものだった」というのはまことにアイロニカルで逆説的である。
初めて実物を拝見する内田先生は、ほぼ想像通りの方だった。やや前のめりの早口で、口癖?の「なんつーのかな」という言葉を時折さしはさみながらびしびしと話す。
大澤真幸先生と似ている感じもしたけど、最大の違いは、大澤先生が「既に頭のなかで完成している話の結論」をするすると話す感じがするのに対して、内田先生は、「半分くらい、考えながらしゃべっている」という感じがすることかな。
内田先生がブログで、ご自身著作について「なんだかわからないけど、書いているうちにこういうものができた」とおっしゃっていたが、それはスピーチについても同じことが言えるのでないかと思った。
それにしても、僕が関西に住んでいたら、絶対内田先生の大学院のゼミの聴講生になるんだけどなあ。
そもそも僕が勝手に内田先生を慕っているのは、2001年4月12日、今の会社の採用試験最終面接を受けに行く東京行きの新幹線の中で、先生の著書『ためらいの倫理学』を読んでいて、数時間後に内定を獲得したという、実はまったく関連がないのだがなんとなくゲンがよかったのだろうかという気がして勝手に恩を感じていることによるのであった。
ためらいの倫理学―戦争・性・物語