12月30日、去年と同じく西麻布「Rake」でシャンパーニュの会。
あまり聞かない銘柄ではあるがマスター大推薦のシャンパン「アラン・ロベール」はじめ珠玉のシャンパンを少人数で数杯ずつ味わって、大満足のうちに終了。
その後、麻布十番のバー「月光浴」で2次会。眠くなってきたのでお先に失礼して帰宅。
明けて大晦日。昼過ぎに起きて「M1グランプリ2006」の録画を見返しながら帰省の準備。品川駅からのぞみ号に飛び乗って一路新大阪へ。
新大阪からJRで大阪駅へ行くと、真っ先に隣にある大阪中央郵便局へ向かう。
そしておもむろに鞄から年賀状とリストを取り出し、せっせと宛名書きを行う。
「大晦日の夜に郵便局で年賀状を書き始める」というこの往生際の悪さに、世の中に対する僕の態度の悪さが表出していると大晦日にひとり思い至る。
職場の皆様+αぶんの宛先と「今年もよろしくお願いいたします」という場当たり的な挨拶文を25回ほど書いたところで、手持ちの年賀状が底をつく。
よってその他の方々への年賀状は、「3が日中にどこかで買い足して投函し、成人の日くらいに皆様のお手元へ到着する」ということがここに明白になったところで、あきらめて半ば捨て鉢で中央郵便局を出る。
そして大丸の前で大学院時代の同級生S君と落ち合い、阪急東通商店街の居酒屋へ。
S君は1年ほど前から大阪府内の大学にて研究員の職についていたのだが、2007年からは晴れて専任講師となるそうである。めでたい!ということで鍋をつつきながら乾杯。
しかし専任講師といっても職が保証されているのは2年間だけ。言ってみれば契約社員のようなものである。
そしてその後契約が更新されるかということには明確な客観的基準が存在せず、「教育・研究を人並み以上にがんばったのに、なぜか解約された」ということも往々にして発生するそうである。
この「明確な客観的基準が存在しない」というところがすごい。じゃあ一体何をどれだけがんばればええねん?
といったことについて「けしからん話だ」、と憤慨しながら二人で焼酎のお湯割を飲んでいたのだが、しかしこれは少子化時代の大学経営について考えると当然のことかもしれない。
少子化の進行で18歳人口が減り、かつ当該大学の志願者数も減少すると、その大学全体の学生数も減少していく。
そういうトレンドの中、「いま現在はある程度の学生数がいて教員数も必要だが、今後は学生数が減少していって教員が余り始める」ことは目に見えている。
よって「終身雇用の教員を多く抱えること」は将来的な「高コスト体質(仕事がないのに給与は支払わねばならない)」に直結するのである。
だから、「今は忙しいから必要だけど、暇になったらもう来なくていいよ」と言える人材が大学経営にとって好都合なのであり、「期間限定の専任講師」という奇妙なシステムが生まれているのではないかと思うのである。
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M1グランプリ2006は、チュートリアルの優勝で閉幕したのでした。
僕の予想は優勝経験コンビのフットボールアワーであったので予想は外したが、チュートリアルも以前から注目し応援していたので嬉しい。
チュートリアルについては昨年度も徳井のキモキャラを活かしたバーベキューのネタで大きな笑いを獲得していたが、2006年、優勝を目指すなら、キャラクターのユニークさだけではなくて、漫才としてのリズム感を出す必要があるだろうと思っていた。
漫才としてのリズム感というは何かと問われればなかなか形容しがたいのだが、それは例えば「ある程度のスピードで、パンチのあるボケとツッコミが規則的に現れる種類の音楽性」、つまり「ビート」のようなもだと思う。
「ビート」であるから、どこかで拍が抜けていたり強弱がおかしいと、リズムが狂ったように感じたり、聞いていてノリきれなかったりする。
過去のM1優勝者はみな優れた「ビート」をもっており、特に中川家は16ビートのような、密度が高くかつスピードの速いビートを有していたと思う。
チュートリアルの場合だと、2005年時の漫才は「楽器の音色(=徳井のキモキャラ)はユニークだが、ビート(=ボケとツッコミのスピーディーなリズム感)はそれほど感じられない」というような状態だった。
だが2006年、チュートリアルはなかなかいいビートを有した漫才を完成させていた。1本目の冷蔵庫ネタが終わった瞬間、今回の最有力コンビはここだと確信したのであった。
今回、どのコンビも総じて「4分間」という制限時間を意識して巻き気味にパフォーマンスをしていた印象をうけたが、チュートリアルの場合はその巻き具合がうまくビート的な要素を出すことにつながったのかもしれない。おめでとうございます。爆笑させてもらいました。
そして笑い飯は最終決戦進出ならず。
「うがらい」のネタが終わった瞬間、残ると確信したのだが…。
そもそも笑い飯の漫才というのは、ほとんどの場合「途中で拍子が変わる」という構造を有している。
最初は4ビートくらいで牧歌的な掛け合いをしているのだが、ある瞬間から、非常に短いブレーズ同士による、高速なボケのセッションが始まるのである。
審査員の松本人志のコメントで「相変わらずスロースターターやなぁ」というものがあったけど、やはり審査員の間には「最初からサビを聴かせてほしい」というような願望があるのかもしれない。
少なくとも、4分という制限時間がある場では、そのような「効率性」が重視されていることは間違いない。
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ところで視点を変えれば、M1グランプリの歴代優勝者のみならず、80年代の漫才ブームで世を席巻した漫才師たちの何組かも、そのような「ビート」や有していた。
その代表格が、M1審査員を務める島田洋七の「B&B」や島田紳助の「紳助竜介」である。
実際、島田紳助は松本人志との共著『哲学』(2002年、幻冬舎)でこう語っている。
「漫才ブームのとき、それまでにはなかった、すごく速いテンポの漫才が生まれた。それ以前の漫才を8ビートだとしたら、16ビートくらいの漫才だ。その速いテンポが、漫才ブームに新しい風を吹き込んだ。」
そう語る島田紳助と、彼が漫才師を目指すきっかけになった、マシンガントークを売りとするB&Bの島田洋七らを擁する審査員たちが、果たして笑い飯のような「漫才ブームの成功体験を超越するような漫才様式」を正当に評価できるのか?ということについては、検討の余地があるだろうと思う。
いや、百歩譲って笑い飯は評価可能として、ビートも周期性もスピードも何も感じられない、ということ自体から笑いを生み出す変ホ長調の漫才は、もはや彼らには評価不能である。(僕がそう思うのではなく、彼ら自信がそのようなコメントをしていたのである。)
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ところでさらに話は飛ぶが、80年代の漫才ブーム以降、紳助竜介やB&Bのようなスピード感を全く有しないにもかかわらず、頂点に駆け上った漫才師がいた。
それが他ならぬ島田紳助の左隣に座る審査員、松本人志のダウンタウンである。
ダウンタウンの漫才を初めて目にしたときのことを紳助はこのように述懐している。
「今まで漫才というものに見向きもしなかった若い層に訴えるには、その16ビートのテンポがどうしても必要だったのだ。〈中略〉ところが、ダウンタウンの漫才には、その速いテンポがなかったのだ。僕らのテンポが16ビートだとしたら、それ以前の8ビートよりも遅い、それこそ4ビートくらいに感じた。」
だがそれから数年後、梅田花月でダウンタウンと同じ舞台に立った紳助は、そのダウンタウンの『遅い』漫才が「客にがんがんウケている」のを目撃する。
「スローボールで相手の打ち気を外して、外して……そんな高度なテクニック。ぼくら紳助竜介は、相手が考える前に、ボンボン、ボンボン、胸元へ投げていく漫才だった。それに対して、ゆっくりゆっくり外すという、なんと高度なテクニックを持った若手が出てきたのか、と。〈中略〉16ビートの時代はいつの間にか終わっていたのだ。その日のうちに僕は吉本興業に行って社長に引退することを告げ、それから五日後に紳助竜介は解散した。」
このようにして、島田紳助も「もう16ビートの漫才の時代ではない」ということを思い知った。
しかしながら、どうもM1でのコメントを聞いている限り、やはりどこかで彼や他の審査委員が「漫才ブームのときの面白かった漫才」に準拠して評価を行っているように感じるときがある。
つまり、「16ビートの時代は終わった」のではなく、どこかでやはり続いているのである。
なぜなら、「ダウンタウンの登場によって16ビートの漫才は終わった」のではなく、「ダウンタウン『だけ』が『16ビートではない漫才で成功した』」からなのである。
いま再び16ビートの漫才師たちがM1で優勝を飾る中、笑い飯はそのセオリーを超越するスタイルで優勝することができるのだろうか。がんばれ笑い飯!
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次回は「漫才とコント」について書こうかと。