2008年12月24日

M1グランプリ2008/インタビューの話

8c5e2025.JPGM1グランプリ2008が終わりました。

「モンスターエンジン」は、コント以外で初めて見たという方が多かったと思いますが、僕は「オールザッツ漫才2005」で、彼らがまだ「にのうらご」と名乗っており3人組だった頃から注目していました。

でも漫才は、「M1向き」ではないですね。


ところで審査委員長の島田紳助が「来年からM1やめよかな」と思っているように見えてたのは僕だけでしょうか。

それから、別に今に始まったことではありませんが、

島田紳助
松本人志
上沼恵美子
渡辺正之
オール巨人
大竹まこと
中田カウス

この審査員の顔ぶれ、渡辺・大竹両氏以外は全員「西≒吉本」の漫才師、しかもこの二人はコント出身で漫才師ではありません。

もう少し多様性があってもいいのでは?少なくとも上沼さんと巨人師匠は、どちらか一人でいいでしょう。


そんな中、今回のM1は過去最高視聴率だったそうで。

不景気なので皆笑いたいのでしょうか。

***

日曜日に雑誌編集の仕事で、東京から1時間の某所に行ってきました。

とある人に取材させていただいたのですが、終わった後、

「インタビューが上手だから、僕も自分の考えを整理できましたよ〜。録音データをコピーさせてもらってもいいですか?」

とのお言葉をいただきました。その場でiMac Airにコピーして差し上げました。これはインタビュアー冥利に尽きるというものです。

僕は素直に喜び、反復横飛びしながら帰途につきました。



ところで僕は日頃から、インタビューの能力というのは、広告会社の営業やマーケッターにとって、とても重要だと思っています。

広告業界といえば「人の話を聴く」というよりも、「自分の主張を伝える」「プレゼンする」ということが重要だという通俗的イメージがあると思いますが、その重要性と同じくらい、「人の話を聴く」ということは重要だと思います。

確かに企画をプレゼンしたり広告を実際に制作するというのは、広告業界の外の人々にとってわかりやすい「シンボル」となっていると思います。

その一方で、プレゼンするのが「中期的なコミュニケーション戦略」であるにせよ、「テレビCM企画コンテ」であるにせよ「インターネット広告の出稿計画」であるにせよ、それらはすべて「クライアントが抱える、特定の課題」に対する「ソリューション」として存在すべきものであって、もしそのプレゼンの前提となっている「課題把握」に誤りがあると、どれだけスムーズにクライアントの決裁ととりつけても、どれだけ大量の広告費を投入しても、実際に制作される広告キャンペーンは「ほとんど空振り」に終わる可能性が限りなく高いと思います。

だから僕は、すべての広告会社の人材開発担当者は、「プレゼンテーション能力」の開発だけでなく、「クライアントの課題を発見・把握する能力」の開発にも力を入れなければならないだろうと考えています。

その根幹を成すのが、インタビューの能力、つまり「人の話を聴く能力」、もっと言えば、「相手が自分で気づいてすらいないことを、コミュニケーション過程の中で整理し、顕在化させてゆく能力」だと思います。

なぜかというと、僕らの仕事の中では、「クライアント自身が、商品やサービスの課題について把握しあぐねている」という状況が往々にしてあるからです。

だから「相手の頭の中に最初から顕在化していた事柄を、そのまま引き出す」というのは、僕らの仕事の中でのインタビューとしては、必要ではあるけど十分ではないと思います。

そうではなく、「相手がインタビューを受けることで、相手自身に新しい認識や発見が生まれるインタビュー」が、よいインタビューなのではないでしょうか。



人の話を聴く力、インタビュー能力の重要性がもっと正当に評価されれば、僕らの仕事はもっと面白く、もっとエキサイティングになると思います。

***

写真は近所の「戸越公園駅」。日没後で、夕闇に駅が浮かび上がっていました。  

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2008年03月19日

中川家ライブ

e952682e.JPGいやまったく花粉がひどいですね。頭がぼーっとして仕事も上の空?

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そういえば書き忘れていましたが、パラオ旅行の前に新宿の末廣亭で行われた「中川家の寄席」に行ってきました。

中川家は僕がもっとも好きな漫才師の中の一組です。

笑い飯も好きですが、技術と天性、ともに中川家は中堅の中でも群を抜いています。

ライブを見ていても、台本なのかアドリブなのか、自分で言うのもナンですがこの僕が見ても判別がつかないくらい、自由自在に漫才を繰り広げます。

それはまるでものすごく完成度の高いフリートークを聴いているよな感じです。

一度聴いたことがあるネタでも、次に何が出てくるのか、常にワクワクします。

それにはきっと、二人が兄弟であるということも少なからず関係しているのかもしれません。


ところでこの日はゲストが一組。なんと年末のM1優勝コンビ、サンドウィッチマンでした。

剛が彼ら好きらしいです。

サンドウィッチマンももちろん上手くて面白かったですが、中川家の自由自在なネタを見た後では、どうしても予定調和な漫才に見えてしまいました。

それだけ中川家の漫才は秀逸だということだと思います。


ちなみに寄席の小屋ということで、二組とも「スーツに靴下」で、靴は履いておりませんでした。

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4月と5月に、大阪のK大学で毎週、非常勤講師として教壇に立つ予定です。

その準備もあって、楽しくもなかなか忙しい年度末・・・。

がんばって働いて、GWはまた八重山に行こうと計画してます。

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写真はパラオ滞在中に泊まったココロホテルの、テレビチャンネル表。

よく見ると…

「ナショナル塩グラフィック」。  
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2008年01月16日

2008年、漫才の二つの潮流

d9db2568.JPG八重山旅日記がまだ完結してないのに、サイパン旅日記がたまってます…。

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年末年始に録り貯めていたお笑い番組のビデオをじりじりと消化しながら思う。

いま、(主に吉本の)若手芸人の間には、大きく言って、ある背反した二つの流れが起きていると思う。


一つは、漫才コンビの「脱・キャラクター志向」「脱・リズム芸志向」=「しゃべくり漫才化志向」。

もうひとつは逆で、漫才コンビの「キャラクター化志向」である。


漫才コンビの『脱・キャラクター志向』」というのは、たとえばレイザーラモンが「HG」というハードゲイキャラクターの仮想(あるいは仮装)人格を封印して、小道具や扮装を用いない漫才、つまり「しゃべくり漫才」を始めたような動きを指す。

あるいは「脱・リズム芸志向」というのは、オリエンタルラジオが、彼らを一躍スターダムにのし上げた「武勇伝」の様式を封印し、ある意味オーソドックスなしゃべくり漫才を始めたような動きを指す。(さすがに稽古時間がないのか、ネタの数は数えるほどみたいですけど。)

そして「漫才コンビの『キャラクター化志向』」といのは、たとえばかつては「ステレオタイプな『オタク』のキャラクターを演じるボケの向(むかい)に、常識人代表としての木村が突っ込む(もちろんこれ以外のバリエーションもあるけど、全体的には)」、という、ある部分ではボケとツッコミのコントラストが効いたトラディショナルな漫才を演じていたコンビ・天津が、木村がツッコミという役割を捨て、自ら「エロ詩吟します」と宣言し、「気持ち悪いオタク」と「変態的な詩吟」が相互にコミュニケーションすることなくネタが進むという様式に転換したような動きを指す。

そこにはもはや「絶妙な『掛け合い』で観客を沸かそう」という意図はなく、ただ奇天烈な二つのキャラクターが相互に独立して存在するだけである。

ちなみに、定番の「ラララライ」のリズム芸を封印して、コンビの二人が相互に異なるモノマネや形態模写を行うようになった藤崎マーケットの動向は、両者の中間あたりに位置する動きではないかと思う。


2008年は、前者の流れに属する芸人さん達が、身体芸やリズム芸を封印し、どこまで「話芸」を磨くことが出来るか、なかなか楽しみですね。  
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2008年01月02日

年末死のロード/正月に実家でオールザッツ漫才



さようなら、2007年。こんにちは、2008年。

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年末最終週にどどっと連続して忘年会。肝臓がつらい毎日。

青物横丁の激安居酒屋「会津村」で、同期数人と集まって忘年会。

仕事について、ちょっと青臭いけど熱い会話を交わす。

産業再生機構の元COO、冨山和彦さんが言っていたけど、人間、ラクな環境からはなかなか学べないものである。

ストレスフルな環境に身を置きつつも、ちゃんと学ぶことは学んで、ポジティブに仕事をしている(僕もそのつもりだけど)同期達と話して、負けへんようにせなあかんな、と改めて思う。

閉店まで話し込んだ後、大井町のロックBAR「ISM」へ移動して、深夜まで今度はアホ話に興じる。

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翌日夜、最近同じ業界に転職してきた学生時代の後輩Kさん、それから元・会社の先輩Tさんと、南麻布のワインバー「テラウチ」で落ち合う。

フランス大使館の近くにある、ワインの倉庫の中にいるような、小さな店。

Tさんが遅れてくるということで、その間生ハムや生牡蠣に舌鼓を打ちつつワインをいただく。

食事は美味しい。ワインのラインナップは、ちょっと高いけど、ワインバーだから当然か。

T先輩が到着するまで、Kさんに偉そうな顔をして広告業界の話。

T先輩が到着すると今度は一転してダメな後輩の立場で、「ヘエ」とか「ホウ」とか間抜けな相槌を打ちながらTさんの広告話に聞き入る。
(Tさんは僕のもっとも偉大な先輩なのだ。)

閉店まで話し込んだ後(またかいな)、三宿の和食屋さん「華屋」へ移動して、いつもの小茄子の梅煮や、豚舌のたたき、山菜の天ぷらなどをつまみながら、焼酎片手に話はまだまだ続く。

閉店まで話し込んだ後(またかいな)、さらに近くのバー「BUZZ OFF」へTさんと移動し、深夜まで広告の未来についての興味深い話に耳を傾けつつ、三宿の夜は更けていったのであった。

(華屋K山さん、遅い時間までありがとうございました。)

***

翌日は仕事最終日。休もうかと思ったけどちょっとだけ出社して年明けのプレゼンの準備。

切り上げてから品川のダイビングショップ「MIC21」へ寄り、カメラの防水プロテクター用のグリス、それから水中マスク用の曇り止めの強力なやつを貯まっていたポイントで購入。

その後急いで下北沢へ。なぜか今日もT先輩と飲むことになっている。

Tさんとその部下の皆さんとの忘年会に合流させていただく。お寿司と焼酎お湯割りをいただきながら、ネット広告業界の未来についての熱い議論に耳を傾ける。

お腹いっぱいになったところで隣のバーに移動し、ワインをいただきつつ更に深夜まで。

(T先輩とチームの皆様、チーム水入らずの場に暖かく迎えてくださってありがとうございました。)

それにしても、話が何故か大阪のおばちゃんのステレオタイプな服装に及んだとき、「違う!ヒョウ柄じゃない! そうじゃなくて大阪のおばちゃんの服装は『スウェットに豹そのもののプリント』や!」とTさんが指摘されたのは、まことに卓越した指摘だなと思った。

***

翌日のは21:00過ぎから西麻布のバー「Rake」にて、恒例のシャンパーニュの会。




ボランジェやアラン・ロベールのヴィンテージ、マグナムボトルなど、本来であれば僕のような浅学の者が飲むのはもったいないであろう美味しいシャンパーニュをゆっくりと堪能させていたただく。




毎年、このイベントを終えて翌日に新幹線で帰省する感じ。

***

翌朝は昼過ぎに起き出して、すぐに布団に入りながら録画していた「人志松本のすべらない話」を見る。

うーん、若干すべり気味だったような・・・。

夕方に品川駅へ行き、ホームが帰省ラッシュでごった返す中、京都行きの新幹線に飛び乗る。予約は一週間前にしたのだが、禁煙席で思うように席を取られず、新横浜で乗り換え。

車中でTOEICの勉強をするが、4ページで気力が枯渇する。

すっかり日が暮れた京都に到着し、延長された地下鉄の東西線を使って京都府庁前まで行き、木屋町三条のおばんざい居酒屋さん「楽坐」で学生時代の仲間達と忘年会。

ここ数年の忘年会・新年会は毎年この店だ。

窓から見える東山方面の上品な夜景と、ほっこりするおばんざいの品々がいいです。

店を出ると、強い冬型気圧配置の影響で京都らしい底冷えする寒さ。ちなみにこのお店は、去年もそうだったけど退店するときに一人ひとつカイロをくれます。

この日は結構寒くてうれしかったです。




二軒目は「スイッチ・フォーラム」、三軒目は昨年と同じく「我家我家」へ。




結婚する者あり、同棲する者あり、大学の教員に就職する者あり、お祝いもかねてシャンパンやらなにやら飲みながら、学生時代のアホな思い出話に興ずる。

なんかこういうふうに、毎年同じ場所で意味もなく集まって意味のない話をするのって、なかなか悪くないなあと思う。


深夜まで話し込んで、地元組と別れて京都ロイヤルホテル近くの漫画喫茶へ。「ドラゴンボール」のセル登場のあたりから読み直しながら朝まで過ごす。

ひたすら超人同士の戦いを描いてきたこの作品が、最後は凡人(ミスターサタン)の活躍で終わるというところが印象深いなと思う。

早朝に漫画喫茶を後にして、鴨川を渡り京阪電車三条駅へ。

三条大橋から空気の澄んだ、まだ人気の少ない鴨河原をながめると、とても美しいのであった。




これで連続宴会はひとまずおしまい。

途中さすがに体調悪くして風邪を引きかけたけど、なんとか気合いで切り抜けられた。ほっ。

あとは数日実家で、ちょっと仕事をしながらもお笑い番組を観ながらゲラゲラ笑って過ごし、3日の早朝からサイパンへgo diving!

***

正月は実家でゴロゴロしながら、「オールザッツ漫才2007」の録画を観る。

バッファロー吾郎もついに姿を消した今年のオールザッツ。

うーむ、こ、これは・・・厳しい。

ネタ披露組の何組かには見るべきものがあるとして、全体的に下ネタとモノマネが多すぎひんか?

それを象徴していたのが天津の「オタクのモノマネ+エロ詩吟」の連発。

これについては放送の終盤で僕の知る限りオーツザッツ初の「お詫び」スーパーが入る始末。

「ラララライ」を封印して決勝まで進んだ藤崎マーケット、ハードゲイのキャラを封印したネタで勝負したレイザーラモンについては、内容と結果はどうであれ一定の評価をしてあげたい。

それから、僕が以前から注目していた「にのうらご」改め「モンスターエンジン」、なかなか面白かった。彼らも恒例の鉄工所ネタを封印しての優勝。

相変わらずマイペースな中山功太と土肥ポンタのピン芸人二人も、安定感あってよかったです。

ただ番組全体の総論としては、これといった収穫がない印象を否定できなかった。

期待の新星ジャルジャルも早くも伸び悩みか。

うーむ今年の吉本の若手は、ちょっとキツそうな予感・・・。  
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2007年12月25日

M1グランプリの条件

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こりこりと年賀状の宛名書きに励む休日。

年賀状はいつも出来合いのものを買ってきてお手軽に済ましていたわけだけど、今年は宮古島でのダイビング中に撮ってもらった写真ですごくよいのがあったので、それをオンラインでフジカラーのネット印刷サービスに回して製作してみた。

もちろんデザインの自由度に制限はあるし、色校正はできないんだけど、質感は印画紙プリントに近いし、コスト的にもパフォーマンスがよいので、プリンタ持ってない人にはなかなかいいサービスですね。

***

麒麟の予選敗退という驚きの出来事から始まった今年のM1グランプリ決勝戦は、皮肉にも「麒麟枠」を呼ばれる敗者復活戦を勝ち上がってきた、ほぼ無名のコンビ「サンドウィッチマン」の優勝という誰も予想しなかった結末で幕を閉じた。

今年のM1グランプリに際しては発起人で審査委員長でもある島田紳助が、「普段ウケているネタをそのままM1に持ってきても勝てない。M1用にアレンジしないとダメと明言していたとおり、4分間という非常に限られた制限時間と、往年の漫才ブームを生きた芸人達顔を並べる審査席、という「条件」にうまくネタをはめ込んできたコンビが最後の3組に残っていた。

いや、というよりも、「そのようなM1の諸条件にもともと適合的なスタイルをもっていたコンビ」と言ってもいいかもしれない。

たとえばキングコングの漫才というのは「お笑い通」の間で決して評価の高いものではなかったが、M1の条件を考えると、持ち前の「テンポのよさ」に、彼らの中でももっとも出来のよいネタを二本乗せることができれば、(今年の出場者のメンツを見渡せば)実はまさかの優勝があるかもしれない・・・と僕は思っていた。

「お笑い通」の人々はそういう仮説を聞いて、「あほ!キングコングが優勝したらM1も終わりや!」と思う人もいるかもしれないが、彼らの漫才スタイルが現在の「M1で勝ち抜くための条件(そういうものがあるとして)」にかなり適合的であるということは間違いがない。

逆に、たとえば(「ささやき漫才」と評されていたように)千鳥の本来的な漫才スタイルというのは、テンポのよさではなくて、のらりくらりとした不思議な空白をもった、変則的なリズムで構成されている。

そして少なくとも今のところ、千鳥は彼らのスタイルを、島田紳助が言うように「M1向けにアレンジする」ということを拒んでいる。

笑い飯もそうだ。

僕はそれは正しい選択だと思う。

ただ残念ながら今年のネタでは、仮にM1があらゆるタイプの漫才に対して完璧に公平に審査していたとしても、「めちゃめちゃおもろかった」ということは難しかったと思う。

今年の結果について審査基準の公平性の観点から異議を唱えることはいくらでも可能なわけだが、そういうことは差し引いて、彼らにはもっと努力が必要だと思う。

(審査員達が確立し一世を風靡した)オーソドックスなしゃべくり漫才を凌駕することは簡単なことではないが、一方でそこに確実に可能性が存在することは、2003年12月に島田紳助が99点をつけた笑い飯のネタが証明している。

いつの日か笑い飯や千鳥が、新しい笑いで、文句なしの優勝を成し遂げることを、お笑いファンは心待ちにしている。

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それにしても主催者の吉本にとっては、今年はほとんどおいしくない大会でしたね。

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写真は近所のバーspeak easyのグラスワイン。自転車がラベルにデザインされているなんて、珍しいですね。ここのワインはグラスでもちゃんとおいしいです。  
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2007年12月11日

M1グランプリという商業装置

09d51d8a.jpgM1グランプリの決勝出場芸人が決まりました。







キングコング(吉本興業 東京)
ザブングル(ワタナベエンターテインメント)
ダイアン(吉本興業 大阪)
千鳥(吉本興業 大阪)
トータルテンボス(吉本興業 東京)
ハリセンボン(吉本興業 東京)
POISON GIRL BAND(吉本興業 東京)
笑い飯(吉本興業 大阪)

誰もが意外に思う麒麟の落選。

でもこの一年間で彼らが漫才の稽古のためにとることができた時間というのは、彼らの芸人人生の中で最も短かったはずである。

そして吉本としてもすでに全国に顔の売れている麒麟を、他に売り出したい芸人を差し置いてなんとしても決勝に出す必然性もなかったはずだ。

M1グランプリというものが、吉本興業(社名が吉本クリエイティブエージェンシーに変わりましたが)といういち芸能プロダクション(と朝日放送)により制作著作を保有されている番組であり、それが「全国区芸人」を産出するためのある種の商業的な「装置」になっているということを考えれば、麒麟の落選は決して合理性の無い話ではない。


その意味で言えば、この決勝出場者リストに「非・吉本」芸人がザブングルのたった一組であるというのは、いかにも不自然で、どこかしら政治的意図を感じさせるものがないではないが、では非・吉本の芸人で、実力の伴った結成10年未満の漫才コンビ(コントではない)が今年いたかというと、いなかったと思う。

いや、いなかったというのが言い過ぎであれば、「少なくとも我々がテレビ放送で目にしなかった」と言ってよいと思う。


いずれにせよ、決勝出場者リストだけを見れば、このイベントは漫才の日本一を決める大会であるというよりは、「吉本の社内コンペ」のように見える。

毎日放送の「オールザッツ漫才」は、文字通り吉本の社内コンペのようになっているし、それは今年のM1に始まったことではないのだが、ここまで吉本ずくめがつづいてくると、笑いというものを考えるときに吉本のある種の政治的パワーを抜きにしては考えられないということに改めて気づかされるのであった。

***

閑話休題。

麒麟の落選に加えて驚きがあるとするのならば、「なぜ今更キングコング?」ということだと思う。

「通のお笑い好き」の中ではすこぶる評価の低いキングコングであるが、「はねとび」で6年にわたりコントを続けてきた彼らが何を得たのか、そしてそれが漫才にどう生かされているのか、ここは見ものだと思う。

それから笑い飯と千鳥。

彼らはキングコングが大阪のbase theよしもとでロザン、ランディーズとともに女子高生にワーキャー黄色い声援を浴びていたときに、近くの小さな劇場でインディーズ漫才のライブチケットを手売りしていた。

そのときの「絶対俺らの方がおもろいのに」という悔しさがその後彼らが成長するときの原動力のひとつとなったはずである。

だから彼らがキングコングと、M1というある種の晴れ舞台で日本一の評価をめぐって争うというのは、非常に感慨深いだろうなというか、あるいは「ここで会ったが100年目」という気がするものだろうなと想像するのである。

笑い飯と千鳥、がんばってね。

***

で、そろそろみんな優勝予想を始めるわけです。

優勝予想をするとき、今年念頭においておかなければならないのが、島田紳助の要望で(と報道されている)審査委員に上沼恵美子が参加するということだと思います。

上沼恵美子はかつて海原千里・万里という姉妹コンビで一斉を風靡した漫才師で、ある意味関西的しゃべくり漫才文化が服を着て歩いているような人物である。

いや、もっと言えば「口から生まれてきた」というような比喩があるが、そういう赤ん坊が実在していたとすればそれは上沼恵美子である。

このことはとりもなおさず、「ある意味ステレオタイプな伝統的しゃべくり漫才がそうでない漫才に比べてプラスに評価されるような審査基準」が強化される可能性が高くなったことを意味している。

出場者である芸人たちもずいぶん前からこの審査傾向に気がついていたと思うけど、今年の上沼恵美子の参加によってそれにダメ押しがなされることになったわけである。


それをふまえると・・・今年はどうする笑い飯?  
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2007年03月08日

なぜ桂三枝だけが徳井義実に投票したのかなど

2bb98a4b.jpgジャン・ボードリヤール死去。享年77歳。

消費社会論における巨匠(?)。

彼の著作は『消費社会の神話と構造』+数冊しか読んだことがない。

学生時代、そこに書かれてあることのほとんど僕の知能では解読不能であったが、消費社会論というフィールドに彼が作った「礎」だけは理解したつもりだ。

いまこうして広告を作る仕事に携わっていると、「結局、消費社会論って未だにボードリヤールが70年代に言っていたことの域を出ていないよな〜」と思うことしばしばであり、それはまるで「西遊記」でお釈迦様の手の上をいつまでも駆けている孫悟空になったような気分である。合掌。

***

深夜1人、「R1ぐらんぷり2007」を観かえしていた。

R1とM1の、ある側面で大きく異なる点は、R1では番組の最初に審査委員長である桂三枝から、「審査基準」について述べられることである。

そこで桂三枝は、「とにかく面白いこと」「どれだけ笑わせるか」ということに加えて、「オリジナリティ」について言及していた。


結局今年のR1は、ザ・プラン9灘儀武とチュートリアル徳井義実の同点一位となり、最後に決選投票が行われた。

その際、三枝以外の審査委員はすべてなだぎ武の「ディラン」に投票し、三枝だけが徳井のスリランカ人による奇天烈な漫談に投票したのである。

僕はこの三枝の判断がわかるような気がした。

灘儀武は89年に「スミス夫人」という漫才コンビを結成し、90年代に千原兄弟やジャリズムとともに関西で人気を得た、結構キャリアの長い芸人である。

芸達者揃いのプラン9にいると決して目立つわけではないが、ピンでディランのモノマネ(正確にはNHK放映版での吹き替えを担当した声優の小杉十太郎)をする様は、観察力に富み、応用力が豊かで、芸歴を感じさせる。

しかしながら、彼が繰り出す笑いの核の部分は、「ディラン・マッケイ」というオリジナルキャラクターの「パロディ」によって構成されているのであり、そこが「片言の日本語で猥雑な漫談を繰り広げるスリランカ人」という「仮想の」キャラクターで笑いを生み出す徳井との決定的な違いなのである。

もちろん徳井の芸も観察力に富んでおり、少し見てもいろいろなもののパロディーが活用されていることがわかる。

たとえば「メガネが無いと思って探してたらおでこにかけてた、というベタなオチ」は、横山やすしきよしのネタが元になっているし、舞台の最中、不意に徳井が羽織を脱ぐシーンがあるが、これは落語家が噺の中盤で行う仕草と同一である。

だがしかし、これらの巧みなパロディーも徳井の繰り出す笑いの主旋律であるというよりは、その主旋律を彩るバックコーラスのような要素なのであり、主旋律はあくまでも、「見たことないけど、いかにもいそうなスリランカ人漫談師」という、徳井の類まれなる構想力によって仮想されたキャラクターなのである。


おそらくそれが、「オリジナリティ」を重視すると宣言した桂三枝をして徳井に投票させたものの動因なのだと思う。




・・・はっ、しまった。また全く世の中の役に立たないことを考えてしまった。

***

村上春樹訳、レイモンド・チャンドラー著『ロング・グッドバイ』出ましたね。
ロング・グッドバイ
  
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2007年02月15日

漫才とコントをどう分けるかなど

517448b8.jpg「ハケンの品格」が調子よくて、今週の世帯視聴率は20.7%。

脚本、キャスト、演出、どれもいい。

「華麗なる一族」は21.0%だったので、もうすぐ並ぶ。こっちはキャスト以外が…うーむ。

今クールのドラマで調子いいのは、「ハケンの品格」「花より男子2」くらいですね。

***

読書をする時間をレギュラーに取りたいと思って、出社を一時間早め、会社の前のエクセルシオールカフェで小一時間本を読むことにした。

夜帰ってからだと疲れてるし、面白い本に出会ってしまうと興奮して眠れなくなるという欠点があったこともあり、生活を朝方に変えようと試みる。

エクセルシールはコーヒーがそんなに美味しくないのが難点であるが、喫煙席とのパーティションがわりときっちり区切られているので、煙たくない。快適だ。

生活自体もなんだか引き締まってきた。やはり朝型のほうが健康的である。深酒して朝まで…というのは、もうあんまりやりたくないですね。(数少ない友人の皆様におかれましては大変恐縮なのですが誘わないで下サイ。)

***

そもそも僕が漫才とコントについてその違いをはっきりさせておきたいなと思ったのは、友人と焼酎お湯割を飲みながらM1グランプリなどの結果についてグダグダと言い合っているときに、「○○のネタはコントだから、M1グランプリとしては評価できない」というような話になった場合、人によって「コント」の定義がまちまちで話が噛みあわないためである。

なんだそんなどうでもいいこと?と思われるかもしれないが、お笑いについて生産的な議論を行うというのは、僕がお酒を楽しむ上で極めて高い優先順位に設定している事柄なので、看過することが難しいのである。お許しいただきたい。

(こんなヤツが居酒屋のカウンターで隣にいたら、うざいですよね。)


漫才とコントの意味について、それを一義的に規定する機関は存在しない。

よってその意味は、論者や文献、文脈によって様々である。

人によっては、

「ボケとツッコミが存在するのが漫才」

「ヅラや衣装を使用するのがコント」

というふうに両者を定義づけたりもする。

しかし中川家のコントのようにボケとツッコミの役割分担が存在するコントもあるし(その場合、漫才とは逆に剛がツッコミ役となることもある)、レイザーラモンのようにヅラや衣装を着用した漫才もある。

だからヅラや衣装の着用というのは、実は本質的な決定要因ではない。

そうではなく、「それ」が漫才であるかコントであるかを決定しているのは、「演者が、演者自身の人格としてパフォーマンスを行っているのか、そうでないか」ということであるというのが僕の「漫才とコントの違いについて論じるときの、判定基準の私案」である。


舞台上の演者が、初めから終わりまで終始一貫して「別の人格」としてパフォーマンスを行っている場合、それをコントというふうに規定してみよう。

そうすると必然的に、「どこかで『演者自身の人格』によってパフォーマンスが行われている」が漫才である、というふうに言うことができる。


もちろん実際のところ、漫才の中にも「演者が別人格としてパフォーマンスしている」という場合は多々ある。

たとえばM1グランプリ2003の千鳥の漫才では、ノブは「さっちゃん」という「少女」、大吾は「だい君」という「虫取りが得意な少年」という全く別人格の人間を演じるくだりがあり、笑いのほとんどはこの別人格のロールプレイング部分によって生み出される。

しかしながら、「夏休みに少年と少女が虫取りに行くというシーンを、ちょっと二人でやってみようか」という話になる前の部分は、「千鳥の大吾とノブ」という演者自身の人格によってパフォーマンスが行われている。

更に申し添えるなら、その別人格シーンの「終わり」は、

「さっちゃん、このままに死のう」
「もうええわ!」

というボケとツッコミによって訪れ、それがそのままこの漫才の「終わり」となる。

この「さっちゃん、このまま死のう!」は大吾の別人格である「だい君」の発話なのだが、漫才自体を終わらせるツッコミとなる「もうええわ!」を発話してるのは、どう見ても「さっちゃん」ではなく、「ノブ自身」の人格である。


ことほど左様に、いくらネタ中に「コント的な要素」が入っていても、その前後のどこか一部分にでも「演者の人格自身によるパフォーマンス」があれば、それは「漫才」としてオーディエンスに受容される条件を満たしているのである。

逆に、終始「別人格」しか出現しないパフォーマンスは、おそらく「コント」として受け止められるだろう。

「ヅラや衣装を用いているかいないか」というのは、あくまで「別人格を演じている」ということから生ずる「ひとつの現象」に過ぎないのである。

***

さて。

そもそもM1グランプリの結果についてあーだこーだと意見を交わしているとき、なぜ「それが漫才であるかコントであるか」が問題になるのだろうか。


M1グランプリの「M」は「漫才」の「M」である。

従って原義的にはM1は「漫才の日本一を決める大会」であり、その前提は多くの視聴者に共有されていると思われる。

また発起人の島田紳助がM1の創設を思い立った動機は、「漫才に恩返しがしたい」と考えたということであった。

ところが実際のところはM1グランプリには「漫才」以外の芸を行う芸人も多々エントリーしており、たとえばテツandトモは2002年度大会の決勝に出場し、ギターと踊りによる芸を披露している。

そしてそのたびに審査委員からは「これは漫才としてはどうなのか」という留保的なコメントがなされているのである。(2006年度ではザ・プラン9に対してそのようなコメントがあった。)


だがちょっと待ってほしい。

実際には漫才、コント、歌芸問わず出場を受け付けているのにも関わらず、いざ決勝に進出した段階で「それは漫才じゃないよね」と言うのはいったいどういうことなのだろうか。

であれば、まず最初に「M1グランプリは『漫才』のみを対象にした大会であること」を明言し、同時に「それが漫才であることの最低条件」を明確に定義すべきなのではないか。


それなしに「このコンビの芸は漫才としては…」という議論は始めることができないはずなのである。


果たしてM1グランプリとは、1930年代にエンタツ・アチャコによって確立されて以降70年以上にわたって維持されている「漫才」という型を有した芸能を保存するためのイベントなのか、それともそのような近代漫才枠組みをも崩壊させながら新しい笑いを生み出していくような芸の出現を目指すイベントなのか、一体どっちなのか?

僕はM1グランプリに、後者のほうの役割を期待したいと思う。
(関西でそのような役割を担っているのが「オールザッツ漫才」である。)

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写真は近所のバーにいる犬のココちゃん。小さくて癒されます。  
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2007年01月02日

帰省/漫才ブームとM1グランプリ

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12月30日、去年と同じく西麻布「Rake」でシャンパーニュの会。

あまり聞かない銘柄ではあるがマスター大推薦のシャンパン「アラン・ロベール」はじめ珠玉のシャンパンを少人数で数杯ずつ味わって、大満足のうちに終了。

その後、麻布十番のバー「月光浴」で2次会。眠くなってきたのでお先に失礼して帰宅。

明けて大晦日。昼過ぎに起きて「M1グランプリ2006」の録画を見返しながら帰省の準備。品川駅からのぞみ号に飛び乗って一路新大阪へ。

新大阪からJRで大阪駅へ行くと、真っ先に隣にある大阪中央郵便局へ向かう。

そしておもむろに鞄から年賀状とリストを取り出し、せっせと宛名書きを行う。


「大晦日の夜に郵便局で年賀状を書き始める」というこの往生際の悪さに、世の中に対する僕の態度の悪さが表出していると大晦日にひとり思い至る。

職場の皆様+αぶんの宛先と「今年もよろしくお願いいたします」という場当たり的な挨拶文を25回ほど書いたところで、手持ちの年賀状が底をつく。

よってその他の方々への年賀状は、「3が日中にどこかで買い足して投函し、成人の日くらいに皆様のお手元へ到着する」ということがここに明白になったところで、あきらめて半ば捨て鉢で中央郵便局を出る。

そして大丸の前で大学院時代の同級生S君と落ち合い、阪急東通商店街の居酒屋へ。


S君は1年ほど前から大阪府内の大学にて研究員の職についていたのだが、2007年からは晴れて専任講師となるそうである。めでたい!ということで鍋をつつきながら乾杯。

しかし専任講師といっても職が保証されているのは2年間だけ。言ってみれば契約社員のようなものである。

そしてその後契約が更新されるかということには明確な客観的基準が存在せず、「教育・研究を人並み以上にがんばったのに、なぜか解約された」ということも往々にして発生するそうである。

この「明確な客観的基準が存在しない」というところがすごい。じゃあ一体何をどれだけがんばればええねん?

といったことについて「けしからん話だ」、と憤慨しながら二人で焼酎のお湯割を飲んでいたのだが、しかしこれは少子化時代の大学経営について考えると当然のことかもしれない。

少子化の進行で18歳人口が減り、かつ当該大学の志願者数も減少すると、その大学全体の学生数も減少していく。

そういうトレンドの中、「いま現在はある程度の学生数がいて教員数も必要だが、今後は学生数が減少していって教員が余り始める」ことは目に見えている。

よって「終身雇用の教員を多く抱えること」は将来的な「高コスト体質(仕事がないのに給与は支払わねばならない)」に直結するのである。

だから、「今は忙しいから必要だけど、暇になったらもう来なくていいよ」と言える人材が大学経営にとって好都合なのであり、「期間限定の専任講師」という奇妙なシステムが生まれているのではないかと思うのである。

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M1グランプリ2006は、チュートリアルの優勝で閉幕したのでした。

僕の予想は優勝経験コンビのフットボールアワーであったので予想は外したが、チュートリアルも以前から注目し応援していたので嬉しい。

チュートリアルについては昨年度も徳井のキモキャラを活かしたバーベキューのネタで大きな笑いを獲得していたが、2006年、優勝を目指すなら、キャラクターのユニークさだけではなくて、漫才としてのリズム感を出す必要があるだろうと思っていた。

漫才としてのリズム感というは何かと問われればなかなか形容しがたいのだが、それは例えば「ある程度のスピードで、パンチのあるボケとツッコミが規則的に現れる種類の音楽性」、つまり「ビート」のようなもだと思う。

「ビート」であるから、どこかで拍が抜けていたり強弱がおかしいと、リズムが狂ったように感じたり、聞いていてノリきれなかったりする。

過去のM1優勝者はみな優れた「ビート」をもっており、特に中川家は16ビートのような、密度が高くかつスピードの速いビートを有していたと思う。

チュートリアルの場合だと、2005年時の漫才は「楽器の音色(=徳井のキモキャラ)はユニークだが、ビート(=ボケとツッコミのスピーディーなリズム感)はそれほど感じられない」というような状態だった。

だが2006年、チュートリアルはなかなかいいビートを有した漫才を完成させていた。1本目の冷蔵庫ネタが終わった瞬間、今回の最有力コンビはここだと確信したのであった。

今回、どのコンビも総じて「4分間」という制限時間を意識して巻き気味にパフォーマンスをしていた印象をうけたが、チュートリアルの場合はその巻き具合がうまくビート的な要素を出すことにつながったのかもしれない。おめでとうございます。爆笑させてもらいました。


そして笑い飯は最終決戦進出ならず。

「うがらい」のネタが終わった瞬間、残ると確信したのだが…。


そもそも笑い飯の漫才というのは、ほとんどの場合「途中で拍子が変わる」という構造を有している。

最初は4ビートくらいで牧歌的な掛け合いをしているのだが、ある瞬間から、非常に短いブレーズ同士による、高速なボケのセッションが始まるのである。


審査員の松本人志のコメントで「相変わらずスロースターターやなぁ」というものがあったけど、やはり審査員の間には「最初からサビを聴かせてほしい」というような願望があるのかもしれない。

少なくとも、4分という制限時間がある場では、そのような「効率性」が重視されていることは間違いない。

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ところで視点を変えれば、M1グランプリの歴代優勝者のみならず、80年代の漫才ブームで世を席巻した漫才師たちの何組かも、そのような「ビート」や有していた。

その代表格が、M1審査員を務める島田洋七の「B&B」や島田紳助の「紳助竜介」である。

実際、島田紳助は松本人志との共著『哲学』(2002年、幻冬舎)でこう語っている。

「漫才ブームのとき、それまでにはなかった、すごく速いテンポの漫才が生まれた。それ以前の漫才を8ビートだとしたら、16ビートくらいの漫才だ。その速いテンポが、漫才ブームに新しい風を吹き込んだ。」

そう語る島田紳助と、彼が漫才師を目指すきっかけになった、マシンガントークを売りとするB&Bの島田洋七らを擁する審査員たちが、果たして笑い飯のような「漫才ブームの成功体験を超越するような漫才様式」を正当に評価できるのか?ということについては、検討の余地があるだろうと思う。

いや、百歩譲って笑い飯は評価可能として、ビートも周期性もスピードも何も感じられない、ということ自体から笑いを生み出す変ホ長調の漫才は、もはや彼らには評価不能である。(僕がそう思うのではなく、彼ら自信がそのようなコメントをしていたのである。)

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ところでさらに話は飛ぶが、80年代の漫才ブーム以降、紳助竜介やB&Bのようなスピード感を全く有しないにもかかわらず、頂点に駆け上った漫才師がいた。

それが他ならぬ島田紳助の左隣に座る審査員、松本人志のダウンタウンである。

ダウンタウンの漫才を初めて目にしたときのことを紳助はこのように述懐している。

「今まで漫才というものに見向きもしなかった若い層に訴えるには、その16ビートのテンポがどうしても必要だったのだ。〈中略〉ところが、ダウンタウンの漫才には、その速いテンポがなかったのだ。僕らのテンポが16ビートだとしたら、それ以前の8ビートよりも遅い、それこそ4ビートくらいに感じた。」

だがそれから数年後、梅田花月でダウンタウンと同じ舞台に立った紳助は、そのダウンタウンの『遅い』漫才が「客にがんがんウケている」のを目撃する。

「スローボールで相手の打ち気を外して、外して……そんな高度なテクニック。ぼくら紳助竜介は、相手が考える前に、ボンボン、ボンボン、胸元へ投げていく漫才だった。それに対して、ゆっくりゆっくり外すという、なんと高度なテクニックを持った若手が出てきたのか、と。〈中略〉16ビートの時代はいつの間にか終わっていたのだ。その日のうちに僕は吉本興業に行って社長に引退することを告げ、それから五日後に紳助竜介は解散した。」


このようにして、島田紳助も「もう16ビートの漫才の時代ではない」ということを思い知った。

しかしながら、どうもM1でのコメントを聞いている限り、やはりどこかで彼や他の審査委員が「漫才ブームのときの面白かった漫才」に準拠して評価を行っているように感じるときがある。

つまり、「16ビートの時代は終わった」のではなく、どこかでやはり続いているのである。

なぜなら、「ダウンタウンの登場によって16ビートの漫才は終わった」のではなく、「ダウンタウン『だけ』が『16ビートではない漫才で成功した』」からなのである。


いま再び16ビートの漫才師たちがM1で優勝を飾る中、笑い飯はそのセオリーを超越するスタイルで優勝することができるのだろうか。がんばれ笑い飯!

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次回は「漫才とコント」について書こうかと。  
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2006年08月02日

笑い飯ロングインタビューから

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やっと梅雨明け、夏到来。

自転車でどこにいこうかな。ワクワクする。


最近夜涼しいので、会社から家まで、レインボーブリッジのたもとから天王洲の運河沿いの道を通って帰る。

湾岸エリアを走っていると、何故か東京に来たばかりのころを思い出す。

たぶん、大阪や京都にはない風景だからだろう。(大阪では湾岸開発は失敗しているもの。)

***

数ヶ月前に買ってずっと放置していた「Quick Japan」の笑い飯ロングインタビューを読む。

ううむ、笑い飯、熱い。


彼らは実は、ダウンタウンやナインティナインのような、吉本の芸人養成学校「NSC」の出身コンビではない。(西田は一度不合格になり二年越しで入学したが、周囲の生徒もあまりにもおもろなさに1ヶ月で「これは無駄や」と思い辞めている。)

中西哲夫と西田幸治による「笑い飯」が結成されるたのは意外と最近で、彼らが吉本に所属する2年ほど前の2000年である。

それより前は、当時キングコング、ロザン、ランディーズによるユニット「WEST SIDE」がアイドル的人気を博していた劇場「baseよしもと」の至近にある公共劇場「ワッハ上方」でインディーズライブのチケットを手売りしていた。

西田と哲夫は当時のことをこう回顧する。

「やっぱり、当時人気があったアイドル的なお笑いには苛立ってましたよ。baseのすぐ上にあるビルがワッハなんですけど、そこのロビーにWEST SIDEのファンが時間潰しに来るんですよ。それで、ずっとWEST SIDEの話とかするんです。もう、殺してやろうかなと思いました。(笑)〈中略〉当時、インディーズライブのチケットを手売りしてましてね、『キングコングは出ないの?』と聞かれて『出るわけないやろ』と言ったら、『ほしたら行かへん』と。そんなんばっかです。(笑)」(西田)

ちょっと読んでいて涙を禁じえない。

「キングコング、ランディーズ、ロザンのユニット『WEST SIDE』のアイドル的な笑いはイヤでしたね。でも、ぼちぼちそんなアイドルブームも終わるやろなと。それで吉本のオーディションを受け始めたんです。僕は時代には必ずサイクルがあると考えるのが好きで、よう風呂の中で考えてたんです。行動するなら今かなと。」(哲夫)

そんな彼らが2000年にやっとコンビを結成し、約2年後のM1グランプリ2002では、いきなり決勝で第3位に食い込み、翌年の2003では伝説のネタ「奈良県立歴史民族博物館」を炸裂させた。


こういう、なんというかちょっと泥臭い(いわるゆサブカルチャー的な匂いではない)カウンター精神をもってるやつって、お笑いの世界にもいて、見事にブレイクしてるんだなと勇気づけられる。


僕だって、色々な広告見ながら「俺がやったら、もっとおもろい広告になる」と思ってるもん(笑)。


2004年3月、笑い飯は、インディーズ時代に忸怩たる思いで眺めていた劇場「baseよしもと」のトップ組(トップは他に麒麟とレギュラー、そして同時期にインディーズを過ごした盟友・千鳥)に昇格するが、その少し前のことを西田はこう語っている。

「劇場も年配の人や男性も増えて、baseの客層変えたんちゃうかなと。アイドル目当ての女子高生ばかりではなくなりましたからね。」(西田)  
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