2024年03月05日
旅は道草―その8
旅は道草―その8
―と言っても、世の中真っ直ぐな道ばかりじゃあない。
例えば、―
熱中して絵を描いていても、「ここらで一服しよう!」と思い立って
タバコを吹かしていると、「晩飯は何になにをしよう?」と思案が湧き、
頭に(ジャガイ)が浮かぶ。
「コロッケか、いいね! マサキ!今晩コロッケというのはどうだい。」
「良いね、イイね・」で決定。
「じゃあ、せっかくだから、仲間にも食わしてやるか。」と電話をかけ
まくる。
「これまで匂いばかりだったが、その自慢の(?)コロッケ食ってや
ろうじゃないか!」
5個で済むはずの晩飯のおかずが、30個に膨れ上がり、買い物、料
理準備で、今日の日記の予定をすっかり忘れしまっている。
2024年02月27日
旅は道草ーその7
旅は道草―その7
2月27日 火曜日
朝食後、万歩計で250歩の喫茶店に行くのが日課である。
美味しいコーヒーと日記を書くためである。
ボクの日記は、今日の出来事や反省を書くのではない。
今日やるべきこと。
今日やりたいこと。
―を、熟慮して箇条書きに5,6項をかきつける。
そして「今日も充実した1日になりそうだ!」と満足する。
ところが1日、終わってみれば、2項目か3項目かしか実行
できないのが現実である。
ここでボクは、こう考えるー
トルコの諺に(明日出来ることは、今日するな!)とある。
本当かどうか知らないが、ボクの好きな言葉だ。
ネ、やり残しがあるってことは、明日の楽しみだってことだ
よ。
しかし、この現実は世間的にみればーボクの(意志の弱さ)
(優柔不断さ)(無責任さ)(無計画)(無節制)(思慮の浅さ)
(不細工さ)(イッチョ噛み)(一攫千金を夢見る山師)等々の
性格的欠点から成せるものである。
2024年02月23日
旅は道草ーその6
旅は道草―その6
2月23日 金曜日
行きつけの飲み屋でよくきく話題。
「今日は8千歩歩いた、」
「俺は1万2千歩歩いたよ。」
健康のため、毎日自分にノルマを課して(散歩)なり
(街歩きをする)ってすごいことだと思う。
ボクは、1日平均250歩
朝食後、喫茶店に行きコーヒーを飲む、―この往復路が
ボクの万歩計数である。
こんなことがあった、―友人宅に泊りがけで遊びに行っ
た時に、酔っぱらった友人に、愛犬の夜の散歩に連れて
行ってくれと頼まれた。5分程度だろうと思い快く引き
受けた。
しかし、この愛犬は、ボクがこの散歩にすっかり飽きて
しまって(家に帰ろう)と主張するのに、頑固に自分の
散歩道(30分)を完遂した。
このとき(散歩)と(道草)とは根本的に違うことを知
った。
哲学者カントは、毎日散歩したという。時計より正確
にそして定時定刻に。
どうも、(散歩)とか(街歩き)というのは苦手だなあ。
2024年02月22日
旅は道草ーその5
旅は道草―その5
子供の頃、朝母親に用事を云いつかって出かけたものの、夕焼
け小焼けの赤とんぼ、カラスが無くから帰ろウかなと1日遊び
呆けて帰宅し、晩飯にありつく。
「アンタ!昼飯も食わんと、どこで道草食ってたの?」
と母親に小言を食らうことがたびたびあった。
そりゃー報告できない事にも遭遇するし、(犬も歩けば棒に当た
る)幸運にも出会う。
道草って、目的をうっちゃいといて、時間を忘れて遊べるから
面白いのだ。
(無為に時間を費やすことは、人生の無駄遣い)って考え方―
嫌だね!
絵描きって職業は、売れるか売れないかもしれないものを七転
八転の独り相撲で遊んでいるようなもんだからね。
アイルランドのとある小さな田舎町の道端でスケッチしていたら、
14,5歳の少女が二人、ボクの横に座り込んで眺める。
「おっちゃん、その絵ちょうだい。」
「ウーン?これ、オレの商売道具だから、あげれないけど、何で?」
「その風景、私の街だから、部屋に飾る。」
「それなら自分で描けよ。紙も筆も絵具もあるから、、、」
彼等は、まるで屋台のおでん屋で飲みかつ食いそして笑うような
雰囲気で2時間ほどかけて1点それぞれ絵を描き上げて帰って行った。
「Thank you.
Bye Bye 」
「My pleasure! 」
これも
(一期一会)かなあ。
2024年02月20日
旅は道草ーその4
旅は道草―その4
旅に出ると、いろんなことに出会い、またいろんな人に出会う。
川縁の土手に座って向かい側の家をスケッチしていると、老人が
テイクアウトのコーヒーを持ってきて、ボクの横に座る。
「飲まないか?」
「ありがとう。」とご馳走になる。
「あの家は、何年か前、退役軍人さんが買ってな、それから
若いお嫁さんをもらってーそのお嫁さんが美人で気立てが優しく
てな。草木を植えて、まああのあばら家も綺麗になったもんだ。
―ところで君は絵描きかい?」
石垣の塀で中庭は見えないのだけど、こうゆう情報はほのぼの
とした気分にさせてくれ、日常の生活が見えてくるようだ。
「明日は,どこに行くんだ?」
「わからんけど、あっち」と指させば。
「そうか!頑張れよ。」とエールを送って去っていく。
地面に座ってスケッチしていると、
「よおー!オマエ、今日仕事にあぶれたのか?」
とたいていの街でこんな風に野良犬が寄って来る。
首輪をしているから、帰る家はあるのでろう。
「まあ、美人に出会うような花盛りの日もあれば、肘鉄食らうよ
うな木枯らし吹きずさむ日もあるさ。まあ人生すべからく塞翁が
馬よ。気楽にいこうぜ!」と雑談30分ほど喋って去る。
目線の高さが同じなので、同類と思うらしい。
2024年02月12日
旅は道草ーその3
旅は道草ーその3
2月12日 月曜日
ボクが学生だった1969〜1973年は、せわしい時代だった。
べトナム戦争反対、部落解放運動、内ゲバ闘争、と大学内では騒
がしく又機動隊対学生の激突があり、大阪万博でもりあがってい
た。
ボクは、世相も思想も関係なく、ひたすら勉学に励む、、、、、、
、、ということなく、いわゆる平凡なノンポリの学生であった。
美大を受けるため2浪をしたけれど、ボクには絵の才能なんてない
ことに気が付いて、私学の文学部なら何とかなるだろうと親父に
3浪させてくれルように頼み込んだ。
美術がダメなら文学、とか小学、中学、高校においてロクに勉強
しなかったボクがよくもまあぬけぬけと(何とかなるだろう)と
思ったものだ。
それが何とかなったのである、
入学金はオヤジに出してもらい、学費は自分のアルバイトで払う
ことを約束した
ーで、いろいろやってみたが土方が一番効率がいいことが判った。
働きたいときだけ働く、これだったら、学生生活と両立でき
る!
大阪西成区(釜ヶ崎の立ちんぼ)である
日当ー5000円とか4000円とトラックのフロントガラスに
紙が貼ってあるので、荷台に乗れば、現場に連れて行ってくれる。
作業が終われば、トラックでご帰還で現金払いで手当てをもらう、
(当時アルバイトの日当は1000円−1500円 円くらい)
宿代ータタミ1畳の木賃宿 1泊 200円
生活費ー朝、昼、晩と銭湯代含めて800円
つまり、5000円ー1000円=4000円が残る。
学費の方は年間9万円で、3期分割が申請できた。
9万円÷3期=3万円
釜ヶ崎に10日住みこめば、1期分の学費が払えた、
「今日の仕事、何?」訊いたことがある。
「生意気な!仕事を選ぶんなら、他のトラックに乗れ!」って手
配師に怒鳴られた。
作業は、土管を埋める溝を1m深さ、長さ10mをスコップで掘る
とか、ビルの土台のコンクリートを1日中をハンマーで壊すとか
そりゃあもう真っ黒に土方焼けした。
当時は釜ヶ崎と言えば、治安が悪く、また悪いことをした奴が逃げ
込めば警察も追跡に難義したという。
(怖くなかったか?)って?
(怖かった!)
でもネ,(怖い)って心配すれば、(お化けの出る夢は何処で見て
も怖い)くらいに考え、又慣れって怖いもんで、住み慣れれば野
良猫が自分のテリトリーをのさばって歩けるようになるもんだ。
ボクは、ここで4年間、学費を稼いだ。そしてボクは世界中、何
処に行っても住めるという自信を得た。
2024年02月09日
旅は道ずれーその2
旅は道草―その2
アイヌ文化に接すことでいろんなことを学んだ
ある日
「弟子として、お前にアイヌ名をつけてやろう、孝という名は
どんな意味だ?」
「親に孝行。親を大切にすることです、」
「そんな当たり前のことは、アイヌ語にゃないんじゃないか?」
親に孝、人に仁―これは儒教精神である。
「酒を買え。これからアイヌの酋長のお母さんを訪ねて、教え
てもらおう。」
親を大切にするということは、あまりにも当然のことで言葉にな
らないということらしい。
当時ボクは20歳で、お袋が大正初期の生まれだから、その女性
は、明治生まれの人だったろうと思う。
「アイヌ語で親孝行って言葉、ワシも知らネェ、金田一京助先生な
ら、知っとるかもしれねー。今度会ったら、聴いとくべ」。
結局、この時はボクのアイヌ名はもらえなかったが、田舎の囲炉
裏端で、有名な国学者である(金田一京助)先生の名を聞いて、
驚いた。また、アイヌ文化の研究者であることを知った。
武田泰淳の「森と湖の祭り」や「コタンの口笛」や「アイヌの童話
集」や歌集「アウタリ」などを読んだ。
ユーカラの話も聞いた。
コロボックルの話も聞いた。
アイヌ民族は、厳しい自然の中でいかに共生共存してきたを、少し
だけ解った。
2024年02月07日
旅は道ずれーその1
2月7日 水曜日
旅は道草―その1
船の上に生涯を浮かべ馬の口をとらえて老いをむかうる者は、
日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。
ボクの好きな松尾芭蕉の「奥の細道」の序章である。
昨年は、いろんなところに出かけた。
東京、ハワイーロスーサンデエゴ(20日)、福岡、長崎(故
郷)佐渡、―と合計50日間、家を空けた。
ボクの場合−業務とか出張とかではなく、(取材)と言えば
カッコイイのだろうがー計画性もはっきりした目標もない、
旅に病み 夢は枯れ野を 駆け巡る(芭蕉の辞世の句)
ー芭蕉ほど壮絶ではなく、単なる放浪の旅である。
日程も宿の予約もとらない。行き当たりばったりである。
学生時代、北海道を旅していて、摩周湖でアイヌの木彫り師
の彫刻に見惚れてしまって時間を忘れて日が暮れてしまった。
泊まるところがないので、―
「おじさん。ボクをアルバイトで雇ってもらえませんか?
「オマエ、彫刻はやったことあるか?」
「彫刻はありませんが、木版画をやっています。」
「じゃあ、彫刻刀は使えるな。アルバイトで使ってやろう。どこ
に泊まっている?」
―で、その晩から住み込みで生活し、大学4年間春、夏、冬
休みを北海道で木彫り師の弟子として過ごした。
2024年02月01日
麻生さんってどこがいいの?
麻生さんって、どこがいいの?
2月1日 木曜日
数々の暴言失言を恥もなく、反省もなく、のたまう。
ボクにいわせりゃ「裸の王様!」だ。
政治家というのは、多くの清き一票に選ばれ、尊敬を築き
敬意をもって慕われるべきものである。
インスタントラメンの値段も知らず、日本国民に「日本人は
単一民族であると言ったり、ヒトラーの政策をまねしたら?
とか
今回は外務大臣に対して(美しくもない)とか(おばさん)
とか、男尊女卑の権化みたいに見下して言う。
外務大臣と言えば、内閣の重責の一端を担い、国際政治の
先端で活動する政治家である。
そんな人に対してちょっと不敬だよね。
哲学(=信念)って無いのかねえ。
美学ってもの持ってないのかねえ。
居酒屋でオッちゃんたちが酔っぱらって喋る、
「あの(おばはん)、美人でもないのに英語で外人としゃべれる
ねんテ!ようヤルわ!」―の会話レベルであろうか?
これってー誉め言葉?それともヒガミ?
因みに「裸の王様」は英語タイトルは「The Emperor`s new clothes.」
という。
蛇足ながら、確か、こんな内容だった。
王様に最高の衣装を頼まれた仕立て屋が、
「愚か者には見えないデザインです。」と言って、仕立て上げた。
王様は、自慢したいがためパレードをやると
民衆は(アホには見えないドレス)と宣伝されているものだから
「素晴らしい!!」
と褒めたたえる。
すると群衆の中で一人の餓鬼が、
「王様が、素っ裸だー!と喚いて、皆目が覚める。−いう話。
2024年01月27日
これって、常識?
これって常識?
1月24日 水曜日
30年間ニューヨークに生活し、還暦になったとき、日本に
帰国した。
理由は、単純に言えば帰趨本能かな。
ボクは人生の半分(還暦時)をアメリカに住んでいたので、
少しヅレているかもしれない。
「30年もアメリカに住んでいたのですか?
カッコイイ!!」
何でカッコイイのか、ボクには解らない。清く貧しか
っただけなのに。
「じゃあ、英語はぺらぺらにしゃべれるんですか?」
通訳や翻訳者にはなれないが、自分の気持ちや考えく
らいはじゃべれると思っている。
日本に帰って来ていまだ違和感を感じることは、
「お歳はいくつですか?」
と度々訊かれること。
アメリカじゃ。公用の時以外、普通の会話のなかで
年齢などきかない。特に女性に訊くことはエチケット
違反である。
「??? えーと、70といくつかなあ?」
還暦過ぎてから、年は数えないことに決めている。
ボクの生活は、盆も正月も日曜日も給料日も定年退職も
ない。
年々歳々花相似たりで(春夏秋冬)を回転するだけであ
る。
年齢では、その人の本質など何もわかりそうもないのに、
むしろ、誤解をうみ、下心を疑われるだけだよなあ。
それから、
「職業は何ですか?」ともよく訊かれる
「絵描きです」と答えれば
「? えつ、えつ どうやって飯、食ってるんですか?」
絵描きというものは、霞でも食っている仙人の類の人間
のように思っているらしい。
(左手で茶碗を持ち、右手で箸を持ち、口に運んで食らう。)
と一度言ってみたい
そして、(絵描き)というは、江戸時代の喜多川歌麿を最後
に途絶えてしまった職業―というような驚きである。
「いつ、どこで、何をどうやって描いているのですか?」
(起きている時、畳の上に座って、右手に筆を持ち絵具で、、、、。
ヤーメた!アホと思われる。)
「絵ねえ?ワシは、小学校の時から絵は下手で 、絵は
は判らん。」というところで話はお終い。
飲み屋で、ボクのことをあまり判ってない人が、常連の知り
合いに自慢げに紹介する。
「な!この人、(がか)なんだぞ!
「???」
「いくら、冗談や下ネタばかりいうからといって、(バカ)はない
よなあ。」
「イヤイヤ、ごめん! エノセンセーだ。」
「エロ先生はもっとひどいよ。」
「やっぱり ヌードの絵も描くんですか?」とか、
「儲かりますか? 年収はどのくらいあるんですか?」とか、
「絵を描いてない時は、何をしているんですか?」とか、
とかく(絵描き)という人間の生活実態は、興味のない人間に
は不可解なものらしい。
聴くところによると、
(年齢はいくつか?)
(年収はいくらか?)
(家賃はいくら払っているか?)
これらを、対話の3大質問というそうだ。
これって、あまり話したくない3大プライべ−トじゃない。