陸ノ孤島

愛と感動、世紀のアクション大作、 字伏(アザフセ)のボーカル、阿斗のサクセスストーリー(´−`´▽`)ノ

小説を書きました。

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154941023

LINE

LINE ID:apmgwa5

帽子を押さえるが故に風は吹く


公園で子供が父親に言った。

「樹がザワザワ遊んでいるね。」

「木は自分で考えて動いている訳では無いよ。」





「帽子を押さえるお母さんも同じ?」



この世の全ての肥満は

言い訳だということが最近分かったよ。
2000回程度腹筋すれば一週間で嫌でも身体は締まる。

必要なのは方法じゃなくて決意。

山に登るぜ!

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字伏でサポートギターをしてくれた磨呂くんと川苔山という山に登ることになりました。

自己イメージの破壊、つまりポジティブな自殺に行ってきます。

彼は相当なアクティブで、結構頻繁に登山をしているらしく、今日は色々山登りの装備を教えて貰い色々池袋で買ってきました。

「阿斗さん、最近運動してますか。山登りは体力付けないと気合では乗り切れない本物の限界に倒れますよ。」

そこで体力作りを開始。
今日は取り敢えず3km。
腕立て腹筋、其々20回を1セットとして500回づつ。
なんとかなるもんです。

引きこもりだった10代の時の俺からは全くイメージ出来ない自分になっている。
今の自分は好きだ。

さて、今日は不思議な出会いがありました。
20代前半の子達がやってる会社にお世話になるかも知れない。
彼等全員、目がキラキラしていた。

明日はその用事で原宿に写真撮影に行ってくるよ。

詳しく話せそうな状態になったらまた何か報告します。

自分は誤魔化せんなぁ

今夜不意に、

その動機が向いてる方向が、「本当はやらないといけない嫌なことをしているか否か」、それが重要で、実際に何を学んだかとか、何をしたかということ自体には全く微塵も意味も価値も無い様な気さえしてきました。
と、すると行い続けること以外に方法が無くて、自己完成は無いのかも。

思い描いたその地獄は自分しか知らない、それにまた一歩近づく。
逃げても逃げても絶対に逃げ切れない

それこそ地震予知の学者より正確な未来を読み切る千里眼だよ、これでは。
なんせ理想の地獄は自分のイメージの中にしか無いんだから。

現代魔術に対して質問、指摘を頂きました。

議論は本来楽しい物の筈だが、一般的には議論を避けようとする傾向があるように思う。

議論と喧嘩は似ているようで実は違う。

例えば人間以外の動物は喧嘩をすることは出来るが、議論は出来ない。
議論は人間として産まれた喜びを感じられるものの一つとして上げられないでしょうか。





さて、現代魔術と題して3回に渡って書いた訳ですが、今回、質問、指摘を頂きました。
本人にここに載せる許可を貰ったので、その内容を発表したい。

後日お返事を書かせて頂く予定です。





■1 「科学も未だ他人の存在の証明が出来ていない」
(1)他人の存在の証明を引き合いに出さなければいけない理由はあるのか。
(2)実際に他人の存在を証明しようとした科学者はいるのか。


■2 「魔術と言われるものは……『現実が現象として発生する以前の混沌に、つじつまの合う範囲内で影響する技術』のようです」
(1)先に挙げられた「化粧」の例を魔術だと呼ぶのであれば、その定義は「直接に現象に影響し,さらにその現象が他者に影響するという過程を経る技術」と言う方が適切ではないか。
(2)混沌というものがどういうものなのか説明が欲しい。それはどういうもので、どこにあるのか。
(3)「自己→混沌→現象→他者」という順序で影響すると説明しているようですが、「混沌」という謎の概念をそこに挟む理由は何か。
(4)「つじつまの合う範囲内で」という制約は物理法則によってもたらされるのか。また、魔術一般ではなく特定の魔術を対象に具体的に説明してくれればイメージを掴みやすいので例を出してくれないか。


■3 「現象と感情が発生する場所は同じだという立場だ」
(1)「混沌から現象が生じる。」「感情から現象が生じる。」という2つの関係があるように思ったが,混沌と感情の関係はよく分からない。混沌・感情・現象はどんな関係にあるのか。


■4 「何かを追い求める時はそれを持っていない時だ」
(1)必ずしも全く持っていない時とは限らないので、「それを持っていない時」より、「それが足りない時」の方が正しくはないか。







さて、皆様はどう思いましたか?

ネガティブにもポジティブにもできること。


抱擁の総てに、指先の一つですらにも幻想が宿る。

吐息、鼓動、体温、形、存在そのものが
幻想の中の君をより抱擁できるほどに鮮明にし、

そうして儀式が私の識る全てを一つにする時、
美という名の愛の嵐の中で神は死ぬ。





「生き死に」について語るというのは非常に身の程らずなことだが、自らの体験と情報の知識を元に今の自分の考えを語る以外の方法が無い。



死ぬのであれば何故産まれてくるのか、人は何の為に生きるのべきなのか。
いくら考えても答えは出ず、いつの間にかそういった類の話は「考えるだけ無駄」な分類の内に封印される。

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しかし、どれだけ知らないフリをしても、ある時自分の存在に気付いたときから不意に人生が始まったという否定できない体験的事実と、死んだ後に広がる見通しの全く効かない永劫の無、未知に対する恐怖はふとした時に言い知れぬ虚無感となって現れる。



新しい建物が建つ前、以前そこに何があったのかを思い出せない時。
深夜に自分の部屋で、お気に入りのアーティストのアルバム再生が止まった瞬間。
帰宅の時、電車の窓ガラスに映る自分の表情を見た瞬間。







そうした言い知れぬ不安を、それぞれの手段によって「私には産まれてきた意味がある筈だ」と、覆い隠してきた。




どうやら文化が違うだけで、昔も今も人が想うことは変わらないようである。

現代魔術(3)

魔術
一先ず最終回。
基本的にはファンタジーは実在するかも知れない、という肯定的な立場で検証しているということを明らかにしておきます。
(実はこういう姿勢が一番重要だったりする。)



■魔術の本質
思い付きも含めて新興宗教は常時無限に産まれてるけど、昔から残っている物には、残るだけの何らかの意味がある筈だという妄信の元に、もし魔術がコミック作品等(あとヴィジュアル系とかね 笑)においてシンボリックに使用されること以外で何か意味を発揮できるものだとすれば、その本質は何なんだろうとこの度思索した。
※近代の主要な魔術師について調べたが、どうやら彼等は漫画作品の世界観提供の為に人生をかけた訳ではないようだった。


魔術の本質とは何なのか、という点について、とてもつまらんことになりそうだが推測してみる。
・脳内物質の意識的な操作による幻覚?
・錯覚を用いた詐欺のテクニック?
・肯定されるべき科学の反対概念?

ケチをつけ出したら切りがない。嫌いな人物の嫌な点を幾らでも挙げられるのと同じだ。
むしろ扱っているテーマがテーマなので、そこから夢のあるものを一つでも拾えたら奇跡のようなものだ。
何せ「魔術」なので。 




一先ずの結論とする今回の「現代魔術(3)」の作文にあたり、現代の日本で読むことの出来る魔術書や、関連書物を読み漁った現段階での結論には至れたのだが、その前に、科学的な側面からある前提を提示したい。
「強く思ったことは現実になるかも」という可能性についての話です。



クロウリークロウリー

近代で最も影響力のあった黒魔術師、アレイスター・クロウリー
彼が生涯をかけた黒魔術は全てが妄想なのか。
それとも夢のあるものが何か拾えるのか。




(1)前進しながら後退する宇宙船
AとBの宇宙船が宇宙空間を同じ方向に飛んでいた、
BはAの後から遅れて飛んできたが、スピードはBの方が早いので
AとBの距離は縮まり、やがては追い越し、BがAの前方に位置する座標に移動した。

あなた(観察者)から見た時、分かるのはAとBの相対的な位置関係だけで、
AがBの宇宙船に向かって後退しているとも言える。
 
宇宙空間に停止している目標物は存在せず、あえて宇宙の中心を決めるとすれば、
観察者である「あなた」、位なものでは無いでしょうか。
 
何故なら観察者はこの世にあなたしかいない。
少なくとも僕は現段階で自分以外の体験をした記憶はないし、仮に前世が存在するとして、その記憶を思い出したこともない。つまり、観察者はこの世にただ一人ということになる。今のところ。
※哲学的な話に感じるかも知れませんが、科学も未だ他人の存在の証明が出来ていない。
 
ここで不思議なのが、「AがBの宇宙船に向かって後退しているとも言える。」としたが、
極微の世界の振舞いを研究する量子力学的に見れば「後退している」という現実も確率的に存在しているというもの。

矛盾したまま複数の時間と空間は進行し、その近似値を観察者が現実として知覚している。 




(2)気紛れな物理法則
ある科学者が、同じ方法を用いて光が波か粒子かを調べる実験を繰り返していた時に不思議な現象が起こimageった。観察の仕方を変えた(実験方法ではなく。)所、「光」の振舞いが変わったというものだ。
それは極微の世界の現象、つまり、科学的な視点における私達のリアリティーの礎が、「監視されている間は大人しくしている子供」のような所作をしたということに他ならない。

この子供の所作は観察者である親を抜きにしては語れない。動機無くして行動は無い。結果には必ず原因が存在する。
観察者が明確な目的意識でもってして、リアリティー発生以前の混沌に方向性を与えた訳だ。


「観察する者、される者の相互関係によって世界は存在する。」
広義における宗教や哲学の世界では通説と成っているとは言え、
科学の分野からこの種の結論が出たとなると、いよいよリアリティーに対する世界観を改めなければいけない。 
※最近の研究では、国が違えば常識やそこに住む子供や母親が違うように、宇宙の場所により物理法則が異なるということがあるという。もうわけが分からん訳です。






上の二つの話は、天球が地球を中心に回っているんではなくて、世界が君の心を中心に躍動しているかのような錯覚を覚える様な話だ。







「われらは何億劫も前に別れたが、一瞬たりとも離れたことはない。一日中顔をつきあわせているが、まったく会ったこともない」 (大燈国師)







さて、現段階における、これらの公の科学的見解をベースに、各魔術書を読み漁っていった時に見つけた多くの共通項目があった。

どうやら古典的なものにせよ、現代的なものにせよ、体系化されている魔術と言われるものは、馴染みのある一般的な発想で、「普段意識されることのない潜在意識を強烈に操作して望む形の狂人になる技術」という自己催眠的な扱いをする表現方法も出来ますが、本質的なことを言えば、「現実が現象として発生する以前の混沌に、つじつまの合う範囲内で影響する技術」のようです。


「混沌」は意識場だとか、
道教ではタオ、仏教では空、魔術ではエーテルと呼ばれている。
※科学におけるエーテルは、精神世界を対象にしていない為、魔術のそれとは概念が異なる、が、名前が同じことを気にかけておいてほしい。


これらの混沌は、通常の意識では普通知覚出来ない領域の世界で、瞑想、催眠、薬物、スポーツに夢中になっている時、冗談を理解した瞬間の脳味噌など、顕在意識が停止した状態(変性意識状態)の時に垣間見ることが出来る。

 魔術において人間の
感情が産まれる場所と定義している概念、エーテルの海は、知覚可能な領域の現象の発生原因にもなっているとされる。つまり、現象と感情が発生する場所は同じだという立場だということ。
発生原因が同じなのだから、鮮明にイメージ化できる程の強い感情は、ただそれだけで現象の発生原因たり得るという訳だ。

エーテルは、ネットに似ている。
強い思いを持って主張した思いはネットとリアルという次元を飛び越えて現象として現れる。
現実世界で大きな出来事があれば、ネットの世界にも影響があり、
逆に物理現実で採るに足らない現象は、エーテル界で「ツイート」されることも無いという具合だ。



上の如く下も然り」 (ヘルメス・トリスメギストス)

何が上で下かということはさて置き、
恒星の周りを周る惑星、原子核の周りを周る電子、自然界のあらゆる場面で出てくる黄金比率等からも、この話は受け入れやすい。

現実世界が無くなってしまったら、それに伴いネット世界も当然無くなる。

現実の発生原因がエーテルにあるという理屈を全面肯定し、同じ構造が延々続いているとすると、
ネットに対する現実と同じ距離感で、
現実に対するエーテルが存在するのと考えるとイメージがし易い。
「仮定に仮定を重ねるのは危険だ」という話を展開する人物は否定的な仮定を重ねる傾向にあり非常に危険だと思う。

ほぼ毎日をネトゲの世界でレベル上げして過ごすニートは、世捨てして山篭り、瞑想しあの世に繋がる僧侶のようだ。
両者は現実世界で肉体を持っている。

「ネット?便利ですよ?」「アカシックレコード?便利ですよ?」






立命館大学の大学院講師で、社会心理学、トランスパーソナル心理学の研究をしている中村雅彦氏は、心理学の研究を突き詰めるにあたり、どうしても魂等の問題を扱わざるを得なくなると言う。
そして「拝み屋」に対して取材をした際に、自らも修行をして、遂には「拝み屋」を兼任する程になってしまったという興味深い肩書きの方だ。
※拝み屋=民間の霊媒師
 
彼は著書、「祈りの研究」において興味深いことを言っている。

眷属とか式神といっているものは、ある意味、人間が作り出したイメージ体なのです。そういうものの方が個別具体的な要求に応えやすく、願望を実現する効果があります。」


つまり人によって作られた特定のイメージに対して強く願って、場に影響しようという訳である。


■「願ったことが叶ったことなど無い」?

ソクラテスとアガトンという人物の会話を紹介したい。

ソ「美の神、エロースとはどんな神かね。」
ア「美を追い求める神です。」
ソ「エロースは美しいかね。」
ア「勿論です。」
ソ「人が何かを追い求める時というのは、それを持っている時かね、持っていない時かね。」
ア「どうやら持っていない時の様です。」
ソ「エロースが美を追い求める美しい神であれば、彼は美を持っていないことになる。この矛盾をどう解釈するかね。」 
ア「ソクラテス、私は恐らく先程自分が述べたことに対して、何一つ知ってなどいなかったのです。」

何かを追い求める時はそれを持っていない時だ。
信じよう信じようと強く願っている人は、思いの深度によっては疑っている前提で強く願っている。
世の中にある様々な願いにはどんな前提が隠れているのだろうか。




■召喚は実在するか・・?
魔術の持つ夢に興味を持っている立場として、
研究開始前から、その夢を破壊する可能性のある要素が幾つかあった、その中でも特に大きいものが以下の二つ。

(1)ヘブライ語でもエノク語でも何でも構わんが、呪文が効果的なものとして存在すると仮定したとして、地球の日本でそういう言葉で呪文唱えて意味あるの?それらは宇宙やあの世の公用語だとでも言うのかね? 

(2)魔術には召喚なんてものもあるけど、魔法陣から羽根生えた変質者が出てくるとは到底思えないのだが。


今にして思うと、この問がある意味一番知りたかった点だったのかも知れない。
謎が一先づ解けたので、現段階での理解をここに残しておく。(認識は当然これからも更新されるし、それを望んでいる。)




母親「いいわー。祟り神何度見てもキモイわー。」

子供「ただいま。今日学校で彼女が出来ましたので、いい加減小遣いをよこせ。ばばあ。」
母親「勿論よ。でも自分が怒っていると相手もイライラしてくるという経験あるでしょ?」
子供「はい。」
母親「逆にいえば、親切にしたら親切が返ってくる。これは最早物理法則です。」
子供「そんな物理法則は学校で教わってはいない。」
母親「理科の教科書に載らない法則というものもあるのよ。」
子供「・・構わないから私に夢を見る映画のチケット代を下さい。」
母親「黙れ小僧!お前にこの私の不幸が癒せるか!(?)お小遣いが欲しければ、法則性に従って早目に愛情いっぱいのお手紙をお父様の為にしたためなさい。」
子供「・・・。」
母親「これは書き手がその意味を理解していなくても一定の効果をあげる文面の一例よ。絵も可愛らしいでしょ?書いてるうちにテンション上がってくるから、ちゃんと絵も真似して書くように。」
子供「母上、ヘブライ語が分からない。あとこの変な図形も書きたくない。めんどい。」
母親「チッ・・。自分の知る言語で作文しても良いけど、心の底から本気で愛情たくさん込めるのよ。気持ちが重要なんだから。」

子供「・・・“前略。お父様、如何お過ごしでしょうか。私は元気です。草々。”と。(デートの資金くださいくださいください)」


数ヶ月後

出張先の父親より
“お前が昔、東府中のドンキで欲しがってた天使の変装セットを送りたい気持ちになったので、買って今回一緒に送った。何故かは分からない。

完。





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昔は日本にも土着の神や聖霊(妖怪)が「実在していた」?
そういったものが存在し得ると、
「つじつまが合う程に」情報が不正確で発達していなかったからではないか。
今も昔も唯一証明できるのは哲学者のデカルトの言うように「我」という唯一の観察者だけだ。
 
ファッション雑誌風に言えば 
『聖霊は時代遅れ、今の「気分」は科学だ。』ということになる。
ファッションのデザインや文化的背景に興味を持つと、あのバックはバレンシアガ、この靴はジミーチュウという具合に量販店の品の殆どがモードの抜け殻であることが嫌でも見えてくる。
※今日のコーディネートの「気分」、いわゆる優越感、劣等感、安心感、不安感は、決して自分では無く、それをコントロールしたい人によって作られる。
 
 
追いかけている対象の名前に惑わされず、その本質を並べた時、その差が如何程のものだと言えるのだろう。




■魔術書のススメ
知識と体験は全く違う法則性の世界に存在している。
つまり実践せよ、ということだが、魔術の場合、具体的な実践方法について、その効果を信じるという段階を抜きにしては語れない。
 
しかし、その「信じてみる」という体験は、自ら情報収集して(実際に本を買って)楽しさを見付けてもらう以外に方法が無い。

以下に目的を「魔術に興味を持って貰えるように」という一点に絞ってリスアップした書籍を紹介します。
今年に入って明確な目的意識に購入した200冊程度の本の中から特に厳選した以下の本はきっと今回の件に関する未知への扉を開ける上で重要な書籍だと信じている。
 
※というか、大き目の書店に行くと信じられないようなタイトルの本が平然とあることに驚く。これらの本はあなたが望んだ時に本屋に並べられ、望んだ時に初めて姿を現すことになる。池袋のジュンク堂ら辺りに 笑


★西洋の魔術書  学研マーケティング
「コンビニで売られているような安っぽい丁装からは想像が出来ないような突っ込んだ内容が書かれている。所謂、古今東西の魔術書の美味しいエッセンスと夢が豊富な図や写真と共に詰め込まれている。
ファンタジーは存在するかも知れない、という気にさせてくれる本だ。著者は日本人の魔女。」


★図解近代魔術  新紀元社
「魔術の発生から現代に至る迄の歴史が学生が使う参考書のような調子で紹介されている。
知識0の人を対象にしている為に専門用語の説明もしてあって、基礎知識、概要を掴むのには非常に読みやすい。この本が気に入れば、同じシリーズの図解悪魔学の購入もお勧め。」


★ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践  春秋社
「上記の二冊、その他、スピリチュアル系の書籍をぼんやり見てると、禅、ヨーガ、瞑想、呼び方は色々あるが、死の擬似体験から得られる感覚が重要であることに遅かれ早かれ気付く。
この本の内容を実践して1週間程度で、瞑想してる連中というのが、格好付けて座って考え事をしていた訳では無かったのだ、と衝撃を受けた。
「瞑想が何を目的としているか、その目的の本質について自分は何か少しでも知っているのか」と考えてみると、言葉以外何も知らない事実に気付くかも知れません。」


★無の書  国書刊行会
「混沌系魔術の邦訳版。数ある魔術書の中では比較的軽い書き口で読み易く、実践的。」


★カバラ魔術の実践  国書刊行会セフィロトの樹
「魔術中の魔術、ユダヤの奥義、カバラ抜きに魔術は語れない。
上の「無の書 」に比べると中身が少し取っ付き難い印象を受ける。 
某ロボットアニメのオープニングでも出てくる生命の樹の概要が分かります。」


他にも「法の書」や「エメラルドタブレット」、「魔導書ソロモン王の鍵」等、重要な本はありますが、入り口としては上の5冊とタロットカードを買えば・・、
 ※タロットに関する注意。最初から小アルカナを含めて占うように。大アルカナだけで慣れてしまうと後々面倒なことになる筈ですので。




立派な狂人の完成!ヽ(゜▽、゜)ノ
















「 あらゆる固定した考えから解き放たれるところに、真の精神性がある。」(F・カプラー)


現代魔術(2)

元々このサイトは、中二病色の強いサイトであったが、一先ずの結論と成りそうな現代魔術(3)は特にその趣の強い文章となると思います。

とは言っても、表現の動機となる部分に関して言えば、成功しているか失敗しているかに関わらず、今迄、その“痛い”思いはオカルトとか、スピリチュアルといった類のものではなく、無意識を取り戻すことに対して傾けられることが殆どでした。

阿斗A「何か最近イライラするな。他人の所為だ。」
阿斗B「つうか、その前にそんなことを考えて暫く睡眠をとって無いでしょう?寝れば?」
こういう感じ。

上の文章を逆に言うなら、此から書こうとしている内容は今迄の以上にオカルト、神秘色が強い内容であるということです。

毎度のことなんですが、こう言った内容について言及する場合、
その現実離れの度合いに比例して、そういった事柄に半信半疑な方に対する説得が必要となる。
言い換えれば説得という呪文を唱える前段階の儀式のようなものです。
(本編は現代魔術(3)で書きます。つまり今回は儀式に終始しています)

最近は長い儀式の準備中にお客さんが帰っていまい、壁に向かって一人で喋っているような気がしますがヽ(゜▽、゜)ノ


今回は特にオカルト、神秘とは切っては離せない、“痛い”について考えてみる必要がある。
何故なら「痛い」ことを否定する明確な理由が無かった場合、それはオカルト的、神秘的とも言えるし、
痛いことを肯定的に見ようとする姿勢が無かった場合、こういう類の話は聞き入れにくいからです。

因みに“痛い”とは「君はいつも元気だね。」「私には守護天使が憑いているから。」「…(こいつ痛いな)」←こういう使われ方をする俗な言葉です。
運が良いと感じる時に「今日は憑(つ)いてるな。」と言いますが、上のケースのように、その内容について具体的に述べると「痛い。」となるという訳です。
同じ様にご飯を食べる時に手を合わせて「いただきます」と言いますが、「誰に手を合わせてるの?」と聞いて「神に。」と言うと、「…(痛いなこいつ)」となる。

上記のような使われ方をする「痛い」ですが、その本質的な意味は
「金にならない上に、協調性がない」という意味の様に思います。(※以前に書いた「キモい」と似たようなもんです。)
一般的な価値観に照らすと正に“役立たず”であり、確かに否定的に見るには十分な要素であるとも言えますヽ(゜▽、゜)ノ


しかし、その人物の、ある対象に対して熱意が注がれる動機にあたる部分、衝動は、金で何を得たいかが明確で無い人間より、純粋と言えないでしょうか。

※「命や、美に対する興味」(或いは愛)が智の源泉であることが前提ですが、何故そう言い切れるのか、という部分に関して、ある程度論説的に語ろうとすると、膨大な長文となり、今回語ろうとしている話の筋からズレる為、割愛します。ただ、説得を試みている対象の方のスピリチュアルなものに対する心持ちが「完全否定」で無ければ、直感的に同意して頂ける部分であり、そういう体験的理解が実は何より得難い。どんなに弁が立っても語られたものは、その部分でしかしかない。実際イメージしてみて下さい、「呼吸」のマニュアルを。


但し、協調性(他人に伝えようとする努力)はあったに超したことは無いです、間違いなく。※美を見る前に志半ばで迫害されたくなければ。

無題
一見この役立たずの「興味」は、古代ギリシャ哲学的に言えば「エロースのイデアの追求」というものにあたると考えています。逆に言えば金、つまりはエネルギーそれ自体に美は無い。美の無い物をいくら掻き集めても満たされることはない。
経済行為が無駄だと言っているのでは無く、重要なのはその動機なのだということを言いたい。
「何のために産まれて、何をして喜ぶ。分からないまま終わる。そんなのは嫌だ」と、あるアンパンも歌ってます。
(エロースやイデアとは何ぞや、と興味を持って頂けた方があればプラトンの著作「饗宴」を参照されたい。)


因みに金を産むが協調性がない人物のことをカリスマと呼んでいるように思う。
彼らの生み出した結果は、その現実社会において有益とされますが、プロセスが見えないので、時にそれこそ魔術師的畏敬を集めることがあるが、そんな大層なものでも無いのかも知れない。
※カリスマが「大層なもの」として、「疑う余地のない」物であれば、僕は今この瞬間に人類が求めて止まない絶対的真実を手にした瞬間に立ち会えたことになる。
世界中の科学者は未来永劫に渡って百円ライターから火が出る理由を説明できないかもしれないからだ。


カリスマ自体に大層な価値は無い、ということの論拠の要素を挙げる為に、
独断と偏見により挙げたカリスマの要素一つ、「協調性がない」という部分の原因としてイメージされるものを書き出してみた。全く失礼な話だ。

協調性が無いと評価される原因
・コミュニケーション能力の欠如した人物だから。
・何らかの理由により伝える気が無い人物だから。
・自分の行動が及ぼす影響のプロセスについて無自覚な人物だから。


この何れかでしょう。

例えば百円ライターを古代に持って行き、神の使いと崇めたて祀られてしまった状況を想像してみると、カリスマの下らなさが、分かりやすく伝わるかなと思います。
イメージの中であなたには協調性がある行動が取れましたか。



古代を現代に置き換えて、ライターを持って行ったあなたを別の何かだとした場合、ライターは何に当たるのか、ライターを開発した人物が、一体何に当たるのか。
その上は、さらにその上は?
※複雑化しているとも取れる為、本質からは遠ざかっている、つまり「下部構造」という考え方もありますが、未来に向かって退化しているというのは何となくイメージを共有し辛そうである。


例えば現代にUFOが飛んできて中から灰色の人間が降りてきてカリスマになったとする。
実際に凄いのはUFOを作った人なんですがね。
しかしそのUFOを作った化学者も大したことは無い。
私達にとっては得体の知れない技術かもしれないが、究極的には自然法則を用いている。

しかし古代の人はそんなことは知っている訳です。
古代の人は不可解な現象をこう子供に伝えるのではないでしょうか。
「手から炎を出す神、現れたり!」
これは完全に自分の妄想なんですが、理解不能なものは全部神になっちゃうという発想は、馴染みがあると思います。しかしこの発想は分からないことを明確にしているという点で、ある意味で正しい。

有限の人間の一生では、経験可能な領域にも限りがある。
それは自分を人類という集合の一部として見た時にも同じことが言える。

科学が神を知る前に人類の寿命は尽きるでしょう。

しかし、神(自然)を知る為に、必ずしも百円ライターの複雑な構造(科学)を知る必要はないと個人的には思います。


「手から炎を出す神、現れたり!」

分からないものがある。これでも良い訳です(おいおいという声が聞こえてきそうですが。)

ギリシャのソクラテスという哲学者は「無知の知」ということを言っています。
これは「知らない方が上だ」ということを言っているのではありません。
正確には「不知の自覚」というもので、分からない範囲を明確化することで理解する、
また、知らないということを知らなければその対象に対する理解を深められないというものです。
完全に理解していると思い込んでいるもの、知らないと意識すらされないものを調べることはないでしょう。

然し、知らないことは知らないから知らないとなる訳で、
何を知らないのかについて知る方法は、アンテナを伸ばしてとりあえず何にでも興味を持つしかない。


霊的な現象、古典的な魔術や宗教を「非科学的だ」というだけの理由で一蹴せずに興味を持って見てみると何かしら自分の人生において幸せを実現する手助けになる可能性があるかもしれない。

そもそも「非科学的だ」が口癖の彼らの信望する科学の内、彼ら自身が知らない、分かっていない明確な範囲はどこなのでしょうか。
分からない範囲を明確化させることで、神の姿は明確化されませんか。


丁度それは透明人間に何かを被せて形を知ろうする行為が近い。
昔はサッカーのゴールネットのように目の粗い布で、現在は洗練されたシルクのような布(綺麗なので毛羽立ちがとても目立ちます)
これからも布の糸はより細く、目は細かくなっていき、被せた時のディティールは、より顕わになる。
確かにサッカーのゴールネットを透明人間に被せたら、網目から指が、下手したら頭がはみ出るかも知れない。しかし果たして「神の無駄毛の本数」までも知りたいと思う人間が何人居るというのか。
例えばお見合いで「私の腋毛は〜本です。この写真がその毛を拡大したキューティクルです。」なんて言われちゃってさ、「もう容姿のことは大体分かったから、別の情報教えてくれよ!」となる訳です。(でも実際言われたらならないね。帰るね。)




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禅には「現象は移ろいゆく雲のようだ」という概念がある、
分子→原子→陽子、中性子→クォーク
と見ていくと、空気も人間も同じ素粒子からなっていて、現象はその密度によって現れるということが言えます。
昔の人は科学をすっ飛ばして、正に現象は雲だということを知っていた訳です。


アインシュタインはE=mc^2という式で質量はエネルギーの一形態だと言っていますが、
その遥か昔に道教の太極図ではそのことが現されています。
陰と陽、エネルギーと物質がぐるぐる形を変えても、全体の円の形は変わりません。
※エネルギー量は常に一定です。

また仏教のお経でもこんな下りがあります。

色不異空 空不異色
不生不滅 不増不減

色とは現象、物質のことで、空とはエネルギーの場のことを言っています。
訳すとこんな感じです。

「物質はエネルギーと同じもの。
産まれることも滅することも増えることも減ることも無い。」
※エネルギー量は常に一定です。




流行語の多くが死語になるように、無駄だったり、使えないものは淘汰され消えていく。
残っているからには理由がある。

タイトルを何度か耳にしたことがあるという一点で興味を持ってみるだけで、何かしら有益な情報を得られるかもしれない。






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ただ興味を持つということに関して言えば、論理性や科学的な根拠なんていらない。







さて、入り口に立ったところで、今日はお終い。

現代魔術(1)

卓越した能力を持つハッカーのことをウィザード(魔法使い)と呼ぶらしい。


状況が同じであればどう認識しても構わない。

数年前に何度か耳にした「美魔女」(年齢不詳のおばさん)などは、美しいかは別として、意識的にそう在ろうとしているのであれば、確信犯的な魔女である。
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写真:Gareth Pugh

化粧もファッションも印象の錯覚の技術を用いたもので、
「その技術を用いられ、実際に影響を受けた人間が、なぜ自分がその状況にあるのかの原理をイメージ出来ない(或いは影響すら意識されない)」という意味のことを魔法と呼ぶのであれば、意識的に用いられた女性のそれらの行為は魅惑の魔法と呼ぶことも出来るのでは無いでしょうか。

「いや、ハッカーはハッカー、化粧は化粧だろう。魔法じゃない。」

確かにハッカーだと意識されるハッカーはハッカーでしかない。
化粧と意識される化粧は化粧でしかない。

しかしここで論じているのは、意識されるような物ではなく、人にそれと意識されることもないまま、その「場」や、心に影響を与える技術のことなのです。

高度な技術は、それと悟られることも無いので、魔女を探しに行こうと意識して街に出て、道行く人を観察してもそれを見つけることは出来ない筈だ。
※我々男子にはナチュラルメイクは素っぴん、つまり美人に見える。

魔法はいつの間にか、かかっていて、知らぬ間に心に影響を与えている。
しかも技術が高度に成れば成る程、使われていることすら知覚出来ない。

施術者の目的は達成され、しかも被術者も、心地良い。
「あのCMの犬が可愛い」という具合に。
※矛先を変えたとして、被術者が怒りに震えているという点では某国某党がかけている魔法は二流かもしれない。


これらの魔法の影響の多くは無意識に対するものが大きな割合を締めている。
香水というイメージの枠に当てはまる条件に達した時に「香水」と脳内で言語化されて初めて意識される。
心理学者には心理テストが効かないという話がありますが、それは、「これは〜を調べるテストだ」と容易に言語化(意識化)出来てしまうからです。

行動は思考に依って起る、思考は無意識の影響を受ける。



ギリギリ意識されない五感が無意識に与える影響は計り知れない。



「現代魔術(2)」に続く。

葛西臨海公園

葛西臨海公園2
前回に公園ブログを書いた影響もあってか、葛西臨海公園に行きたくなったので行ってきました。
葛西臨海公園3

何かを成そうとする時、イメージを無意識から引っ張り上げてから行動に移す。
私達が目にする風景は全て顕在意識のイメージが形になったもので、そういった意味では自然を目にする機会は殆どない。

例えば、建設計画をイメージする時に、そこに生えている樹や虫は存在しないことになっており、
その場を「空き地」と呼ぶ。

俺なんぞは産まれてこのかた一度も自然と触れ合ったことは無い。(作為的に残された自然はありますが。)

ただ逆に脳内のイメージが顕現化したものであるからこそ、安らぎを目的として作られた世界一(?)の公園は、人間が創造しうる最も天国に近い場所とも言えるのではないでしょうか?
天国を人間の想像力が産んだ究極の安らぎの場所だとするのであれば。

そしてこの公園は、現在の日本において、生きている間に行ける天国の中の一つだと今回感じた。

蜂の巣は造る前に既に蜂の中に存在している。
但し、環境によりその純粋なイメージは歪んだ形で現れることになる。人型の神とかね。

だとしたら個性なんてものは全て錯誤のバリエーションなのではないか。
「天国」も適切じゃない。
※因みに芸術家は潜在意識のイメージを概念として認識出来る言葉、無明のフィルターに通すこと無く直接形にする。(催眠、禅やヨガ、アルツハイマーのような意識レベルが低下した精神状態)
何も考えること無く、言葉に歪められること無く勢いで完成させた作品には名作が多い。




葛西臨海公園1




葛西臨海公園4
葛西臨海公園内の水族館にも行ってきました。
写真の建物はその入口。



葛西臨海公園5


葛西臨海公園6


葛西臨海公園7葛西臨海公園8
ヒトデがサボっていました。





葛西臨海公園9葛西臨海公園10



葛西臨海公園11

遊んでいるだけ

禅1



禅2
禅3




仕事の休憩時間にこの公園に来ると大抵俺一人なのだが。


先日、ぼんやり風景を観ながら受け取った感覚を分類して遊んでいると、珍しく隣に人が座っていた。
樹、遠くの樹、考えた、物音、鳥、かわいい、雑念、水、風、ざわめき、物音、近い、右、男、近い、という具合。
ってか近ッ!( ̄□ ̄;)とぼんやりした意識が一瞬にしてぶっとぶ。
自分を落ち着かせて挨拶をして少し話すと彼はこの公園からすぐ近くにある精神病院の統合失調症患者で、元創価学会員なのだという。
※創価学会 仏教から派生した国内最大の宗教法人。

鞄の中には、たまたまその前日に買ってみた池田大作氏(その宗教の教祖)の本が入っていたこともあり、不思議な縁を感じたので、暫くお話をした。
※勘違いされない様に申し上げておくが、見識を広げる為に購入した10冊の内の一冊がたまたま学会の本だったというだけで、学会そのものには興味はないです。「核爆弾の作り方」にも「世界の豪華客船」にも「黒魔術の手帳」にも拘りは無いのです。
また、このブログにも最近宗教的な話題が多いですが、そういった思想を押し付けるような意図もありません。
綺麗でしょ?とか、面白いでしょ?とか、そういう呟きなのです。


仏教と中国の道教思想、現代物理学の共通点について話すと「その辺りの学会の人よりよく仏教を知っている。教授クラスだね」ということを言われた。
(「不増不減」「色即是空空即是色」、太極図、E=mc^2、これらの概念は同じことを言っている。※これについてはまた今度書いてみようと思う。)

創価学会員には級があり、教授というのは1級の称号なのだという。
考え方に賛同頂けたのは嬉しかったが、それを聞いた時に創価学会の懐の狭さを感じてしまった、というのが率直な感想だった。

必要なくなったら捨てれば良い。
捨てにくいものを持ったら余計苦しいのではないでしょうか。
※級というからには試験がある筈である。つまり、試験を受ける方は創価学会という社会の中で認められる為に努力する訳だ。これは一般社会で認められる為に己に鞭打って金を稼ぐのと同じで、目的がすり変わればやはり本来の欲求は満たされない。
努力を否定する訳では無い。「安心したい」というのが潜在意識の求める本来の欲求であるのに、錯誤によって「認められる」とか、「大金を持つ」こと自体が目的にすり替わってしまったら、不安の原因にしかならないでしょう。
認めらるとは同時に失望の可能性を孕む、それが作為的に無理をして得られたものなら、その無理を継続しなければならない、失望される不安を感じながら。
金が「必要以上」にあればそれが奪われないか不安になるだろうし。
故に中国の道教という思想では無為、つまり社会(言葉)を超え、自然であれと説いている。



そんなことを思っていると、「君は真言宗かい?それとも禅宗?」と聞かれ、「自分は一人で遊んでいるだけです。」(南無阿弥陀仏×3)と答えた。


これが楽だし、自然ではないでしょうか。







猿は入会契約等しない。
仏陀に飽きたら、今度は足元に落ちている木の棒で遊ぶ。

割と植物が可愛い

公園で子供が父親に言った。
「樹がザワザワ言っている。」
「木が自分で考えて動いている訳では無いよ。」
「帽子を押さえるお母さんも同じ?」

消える車

物事が所謂「運命」によって既に決定している訳ではないという前提において、
車それ自体には殆ど興味が無い俺の、前方なり後方なりから走ってくる「それ」が己に与える影響を考えた時、それを「迫り来る危機」と知覚するという、浪漫のお話。

その「迫り来る危機」は俺の横を通過した時点で消えることになる。

仮に運命というものが存在し、それに依って全ての物事が決定されている場合、俺は走ってくる車に対して、耳元を飛ぶ蚊と同じ名前を付けるだろう。
※ぶつからないと決定されている車は集中を妨げる蚊と変わらない。


自分に与える影響だけを考えた時に、盲人であろうと無かろうと、通過した瞬間に危機は消える。
そして遠くを走っている車を指して「妄想」と呼んでみたりもする。

ガードレールより歩道側を歩いている時に、今ここに車が突っ込んできたら、その車は自然現象だと思う、ということを二人で食事をしながら話していると、彼女が
「それなら殺人鬼も災害ね」と言う(こんな基地外な話であるのに。素直な良い子である。)


アメリカ一部の過激なキリスト教徒は、メタルのCDを売っている店を悪魔の巣窟と呼ぶ。
また、違法薬物を使用し、顕在意識レベル(環境に対するチューニング力)が低下した者が、自分の世界観を不安定にする対象を悪魔と呼ぶこともある。
※一般に私達が「自分」と呼ぶ後天的な顕在意識は体験した環境に対するただの反応であって、全ての行動、言動は「より安定したい」という潜在意識の想いのバリエーションに過ぎない。
言葉を使う意識を自分と呼び、言葉は他人との意思伝達の為に存在し、意思の伝達により社会が存在する。つまり自分とは本来の自分の社会的な側面のことで、言葉によって歪められた姿である。(by老子)
元を辿れば水も植物も私も物理法則に反応する陽子、中性子等の素粒子の一モードに他ならず、そこに本来の自分を知るヒントがある。(宗教モードの人は禅やヨガによって顕在意識を停止させ、動物的本能を以ってして観る。)
分かりやすい例として無重力空間において、水はより安定する為に完全な球体を目指して進行する。
よくアニメやコミック等で冗談みたいに「水の声を聞け!」なんて言うが、強ち間違いではないのかもしれないなぁとも最近思う(南無阿弥陀仏×3)




「迫り来る危機」は自己の世界観を構築する上での一つの意識のモードであって、
言語を用いる「社会的」な顕在意識が正常に機能し、言葉に捉れれば、車は車でしか無く、

社会的な人達の妄想の近似値として、遠くを走る車は、そこに実在するかの様に振舞う。



実際は俺が人型の猿であっても、だヽ(゜▽、゜)ノ
自分

阿斗

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