「名古屋にて。其の参。」の結末で「完」 と書いただろう。
 ――あれは嘘だ。


 正確に言えば、そのときは本当にそれ以上先のことを書き記していくつもりはなかったのだけれども、ちょっとした心変わりで、もう少し書き綴ってみようかという気持ちになった。もちろん、またふとした拍子に「やっぱりこれ以上は書きません」となるかもしれないが。
 続きを書こうという気持ちになった理由は2つあって、1つは単純にブログを書く動機が他に見当たらないということ。
 もう1つは、1人の人と長く付き合うという経験が今までになかったため、自分の気持ちがどのように移り変わっていくのかを記録したいという願望と、それを蓄積することがまた何らかの財産になるのではないか、という考えが自分の中に芽生えたこと。
 と言っても、これから先はありのままの事実を記すというよりは、自分の気持ちや感情にフォーカスを当てて書いていこうと考えている。


 閑話休題。本筋に戻る。


「恋の賞味期限は3カ月」なんて、人々はもっともらしい顔で言う。
 しかし、今回の恋愛を少し振り返って考えるなら、そんな理屈は嘘っぱちだ。
 9月上旬、初めて会って「好きだ」という気持ちを実感してから、既に6か月半の月日が経過している。
 しかし、臆面なく自分の感情を率直に申し上げれば、まだまだ好きでいる、どんどん好きになってゆく。
 凄腕のナンパ師が「なにもプレゼントというのは物品だけを指すのではない。今日会ったらこういうことを話そう、ということでも十分にプレゼントに成り得る」という旨のツイートをしていたのを見て、実に素敵な考え方だと思い、次に喋るときには何を話そうかな、なんて日々常々考えているありさまである。
 いつだったか、彼女は職場の同僚から旅行帰りのプレゼントを貰ったときに言っていた。
「自分と会って話していない時間でも、自分のことを考えてくれている。その事実が、プレゼントそのものよりも嬉しい」
 僕は今、世界中の誰よりも長く彼女のことを思い浮かべている自信がある。また、それは恋人で在り続ける限り続けていくのだろうとも思う。仮にそうでなくなってしまったなら、それこそが恋の終焉そのものなのだとも思っている。


 恋人関係になってから、彼女には2度会った。
 2回とも、「バイバイ」した直後から強く感じたことがある。
 もっと話せばよかった。もっと伝えればよかった。もっと会っている間の時間を大切にすればよかった。 次は、いつ会えるんだろう。
 たぶんこの感情は、会っている時間のうちにどれだけ一生懸命頑張ってみても、必ず訪れるのだろう。ということは理屈ではわかっていても、絶え間なく訪れる後悔と、別れた直後に包まれる寂寥感を実際に払拭しきれない。
 なんていう風に堅苦しく書いてみたものの、要するに頭の中がお花畑というやつだ。自覚がある分、まだそこまでタチは悪くないはずだ、と思う。
 しかし、この「お花畑感」こそが恋の質を高めたり、寿命を長くしたりする脳内物質なのではないか、とも考えている。ゆえに、当面の間はこの「お花畑感」を重たくなりすぎない範疇で、大切に大切に保持していこうと思っている。


 嬉しかったことがある。
「再就職祝い」ということで、ネクタイを彼女から貰った。
 僕もやはり彼女と似た考え方の性質のようで、プレゼントそのものより、不慣れながらに紳士服売り場の知人に色々と相談して選んでくれた、というそのストーリーに心が躍った。
 人の気持ちなんて今まで真剣に考えたことがなかった。
 考える必要性がなければ、考えることに何の生産性もない。
 そんな風に思っていたのに、25年間かけて積み重ねてきた常識や感覚が、いとも容易く彼女の手によって覆されていく。そんな事実がもたらす衝撃と感動を、日々噛み締めて生きている。
 どうすれば同じだけの喜びを返せるのだろうか。
 もたらされた喜びが大きすぎて、簡単には思いつかない。
 いつかしたいなあなんてぼんやり考えているのは、どこかで見たアイデアではあるが、思い出をたくさん写真に収めて、それを開くと立体化する切り抜き絵本のように加工してみたい、というもの。
 今日から、たくさん写真を集めていかないとなあ。


(続)