2018年12月3日(火) SR 15/100
「病んでいる」という表現は適切ではないような気がする。
 どちらかというと「憂鬱である」や「塞ぎこんでいる」という感覚のそれに近しい。しかし、非常に適切な表現だと思う反面、わずかながらも絶対的に違いを感じるこの心の有り様に、僕は「魂の封鎖」と名前を付けることにした。
 いつからかは明確ではない。しかし、ここ数か月のあいだずっと抱えているのもまた間違いない。
 今日は祖父の危篤と偽り、会社に行くのを拒んだ。
 悠々自適で怠惰な一日を過ごすつもりで、実際に怠惰ではあったけれども、しかし心の曇りは少しの晴れ間も見せず、むしろ積み上げられた鈍重な雲の塊はよりその質量と密度を強めるばかりだった。
「自分で自分の観察をしよう」と思ったのはほんの十数分前の話だ。
 何の役に立つのかはわからない。時間の空費かもしれない。しかし、それでも気力の続く限りは続けていこうと思う。そしてその決意に対して、僕はなぜか「最後の抵抗」と銘打ちたくなる。
 積み上げられた課題は多い。その茫漠たる質量に立ち向かう気力さえも奪われ、気力無きままに転げ悶えているあいだにも、また新たな課題が次々に積み上げられる。好転の兆しはない。この最後の抵抗に賭けるしかないような気がしている。
 仕事に対する安定したモチベーション、裕福ではなくとも憂いを抱えずに済む経済力、この2点を確保することがこの魂の封鎖の根本治療だと、現段階では考えている。
 また、肩や首回りの筋肉痛は脳への深刻な血行不良を生み出すため、これもまた魂の封鎖を解放する上での大きな妨げだという感覚を得た。以後、ご安全にすることとする。