夏の死期が迫っていることを肌で感じるここ数日。
 2018年もいよいよ9月を迎えた。


 昨年9月、僕は大阪で開催された「FES ANIMATION 2017」というイベントに参加した。
 ナイトクラブが数ある大阪でも最大級の規模を誇るJouleという箱を貸し切って開催されるアニソン・サブカル系のDJイベントだ。数フロアで同時に複数のDJがプレイを行う関西最大規模のサブカル系クラブイベントであり、僕のナイトクラビングライフの記念すべき初めの一歩でもある。
 そして今週土曜、9月15日に「FES ANIMATION 2018」の開催にともなって自身のナイトクラビングライフが2年目を迎えるにあたり、色々と振り返りながら書き留めておこうと思った次第だ。


 ナイトクラビングを始めた動機は幾つかあるが、FES ANIMATION 2017が開催される数日前、地元の友人と「なんかおもしろいことねえかな~」とぼやいていたところ、地元の公民館を借りて行われる地域密着型のサブカルイベントがあることを知り、赴いた先で見た踊り手氏の「踊ってみた」を見て、「こんなに楽しそうに踊る人がいるのか!」と衝撃を受けたことが発端かもしれない。底抜けに楽しく踊る姿は、見ている僕達にまでその楽しさを伝播させた。
 そこで感じた「魂を開放している」という感覚。
 退屈な日常からの脱却、代り映えのない日々へのスパイス、そういった類のものを肌で感じ、自分も魂を開放するすべはないかと模索した。


 それから数日後だったと思う。隣の市で、アニソン・サブカル楽曲の流れる「アニクラ」と呼ばれるイベントが開催されていることを知り、僕達はそこに向かった。クラブイベントでアニソンが流れる、という趣旨に新鮮味があり楽しむことはできたが、会場は商業施設の一室を間借りした狭い空間であり、フロアもなければお酒もなく、消化不良感があったことは否めない。
 しかし、僕が少しだけ練習を始めていた「メルボルンシャッフル」というジャンルのクラブダンスをキレッキレで踊る高校生との出会いを偶然にも果たした。はじめて生で見る「メルボルンシャッフル」が僕の目にはあまりにもカッコよく映り、たちまちのうちに憧憬を抱いた。
 その出会いが友人に誘われてなんとなく始めたクラブダンスに真摯に向き合うきっかけとなり、また後々の僕のナイトクラビングの根幹にも繋がる出会いだった、と確信している。
 それまでは音楽を聴き感情が高まったときには腕を上げ、飛び跳ねるのが常だったが、それ以外にも感情の高まりを表現できる手段があると知り、しかもそれがとても「魂を開放」しているように見え、強く惹き付けられたのだった。


 そしてさらにその数日後、友人が見つけてきたのが上記のFES ANIMATION 2017だった。
 僕と友人のそれまでのナイトクラビングは、ナンパ目的のいわゆる「チャラ箱」しか経験がなく、軽率な盛り上がりのみを重視して数年前に流行った古いダンスミュージックが延々とループして垂れ流しにされるような、個人的な感覚で表現すれば「質の悪いパーティ」ばかりだった。それでも酒をしこたま飲んで泥酔し、爆音に合わせて飛び跳ねていれば幾分かは楽しくあったが、何の実りもなく広がりもなければ先もない。あまりにも刹那的すぎる楽しみでしかなく、同じことの繰り返しにしかならないため、僕らの中では既に飽和状態だった。


 FES ANIMATION 2017はデイイベントだった。
 昼時に開催されて夕飯時には終わる時間設定で、まずそこにカルチャーショックを受けた。
 昼間からパーティだなんて酔狂な催しもあるもんだとその時は思いながら、それでも初めての経験に対して期待を抱き、イベントに参加した。
 実際のところ、箱に入場してからは衝撃の連続だった。
 まず僕達がその時点で知っていたあらゆるナイトクラブとは比較にならないほどフロアスペースが大きく、音響機材もよく、そしてそんな環境で堂々とアニソン、ボーカロイド、その他サブカル関連の楽曲が轟音で鳴り響いているのがもっとも衝撃的だった。
 周りを見ればコスプレイヤー、痛デザインT、ヲタ芸打ちと、ジャパニーズオタクカルチャーの祭典のようで、そして各々が全力で湧き上がり楽しんでいるのを見て、なんと楽しい空間がこの日本にあったことだろうと大いに感銘を受けた。
 僕達はそこでも酒をしこたま飲んだが、明らかにこれまでのクラビングとは違うバイヴスで飛び上がり、時に歌い、そして圧倒的な満足感を体中に巡らせて箱を出た。そして、これまで経験がなかった夕飯時の解散ということでさらにテンションが上がり、その時点で翌年の再来を固く誓ったのだった。
 パーティの後、僕は「魂の解放」を強く実感した。


 上記のFES ANIMATIONを代表するアニクライベントには、それから幾つか参加した。
 日常的にメルボルンシャッフルの練習を始めていた僕は、新たな音楽ジャンルのクラブイベントの新鮮さだけに止まらず、新たに「踊る楽しみ」も見出していた。その頃には共にイベントに参加する友人も増えて、月に1,2回は絶対にどこかしらのイベントに参加している、という日々が続いた。
 岡山の県北にある山小屋のような箱で開催されていたイベントでロボアニメの主題歌をあまりにも熱く歌い上げる女性の歌い手氏と遭遇したり、大阪の大箱では超有名ボカロP氏の生DJを目の前に天井に手がつくほど飛び跳ねたり、ナイトクラビングライフはとても充実していた。
 かたわらに常に酒があったものの、魂は健全に解放されていたように思える。


 アニクラに続々と参戦する一方、友人が一人で京都のイベントに向かったことがあった。
 そして帰ってきた彼から、ボーカロイド楽曲を専門としたクラブイベントである「ボカクラ」の存在を告げられた。
 僕はボーカロイドの楽曲に関しては2008年~2012年の有名楽曲ぐらいしか知らず、ただでさえ薄い知識の上でさらにリスナーとして5年のブランクがあるので最初はそこまで乗り気ではなかった。しかし、少し先に近く大阪でのボカクライベントがあるということで、物は試しだという気持ちで参加してみることにした。
 おそらく大阪の雑居ビル内のBARを借りて行われたイベントだったはずだ。自分の知っているボカロの有名曲が多々流れたのもあり楽しくはあったが、フロアのスペースに対して人口が過密であり、クラブダンスをするには快適ではない環境だった。
 魂の解放は適切に行われず、消化不良の感覚と飲み過ぎたアルコールがイベント終わりの僕の胃に残留した。


 丁度この時期からだろうか。
 ナイトクラビングの根幹が「音楽と酒」から「踊れるかどうか、あと音楽と酒」に移り変わったのは。
 クラブダンスを覚えることの弊害、それは踊れない環境では消化しきれなくなるということ。


 少しばかりの時が流れ、2018年3月末。
 全国のボカクラ勢が名古屋で一堂に会する「踊れるイベント」がある、という情報を友人から聞いた。「名古屋か~、遠いな~、でも大々的に踏めるって謳ってるなら興味はあるな~」ぐらいの軽い感覚で、そのパーティへの参加を決めた。
 その頃には、友人経由で知り合ったボカクラDJとしばしば顔を合わせる機会があり、近くに住んでいたためイベント当日も共に車で名古屋に向かうことにした。さすがにDJだけあり、常日頃の無節操な音楽の垂れ流しとは異なった質の高い車内BGMが流れ、出足から高いバイヴスで現地に向かうことができた記憶も今では懐かしい。
 そのイベントは昼間からの開催で、やはり夜のイベントに比べるとお酒が進まない感じがあったのだが、そんな気持ちも参加して瞬く間に吹き飛んだ。
「踊れるイベント」に相応しく、参加者がのっけから大人数でシャッフル、ドラムンベースステップをガンガンに踏んでいるではないか。視界にいる10人からの人間が一斉にクラブダンスをしている、と言う光景を目にしたことがなかった僕は、ここでまたしても新たに衝撃を受けることとなった。
 そもそもクラブダンスのカルチャーとしての成立を考えるに、サブカル音楽界隈のクラブイベントで目にする機会があるとも思っていなかっただけに、この時の驚愕の感情は今でも生々しく思い出せる程に鮮烈に焼き付いている。
 僕は、とても嬉しい気持ちになった。
 これまでのナイトクラビングでは友人と自分以外にクラブダンスを踊っている人を目にすることがほぼ皆無で、そういう場で踊るときはやはり多少なりと気を遣うし、パーティの雰囲気によっては「この感じだと踊るのは自粛しておこう」ということもあったし、だからこそ大々的に「踊ることが許されている空間」があまりにも嬉しくて、心地よくて、本当に天にも昇る気持ちだった。
 また、流れる楽曲も出演者によってはボカロをクラブリミックスした躍らせてくれる音楽がふんだんに盛り込まれていて、ボカクラの楽しさの新たな一面を知ることができたイベントだった。
 デイイベント後、出演者・参加者での打ち上げがあった。
 イベント先で積極的に交友関係を広げる友人とは違い、僕は基本的にイベント内での人間関係はイベント内で完結させる方なのであまりに乗り気になれなかったのだが、意を決して参加してみるとこれがまた楽しくて素晴らしかった。ひとえにその場にいた関係者・出演者・参加者の方々の人柄のおかげなんだと思う。コミュ障の僕でもすんなりと話に参加できるような空気感で、あたたかくて、とても居心地の良い空間だった。
 そして、昼間に散々踊りつくしたのにも関わらず、打ち上げ後に会場を変えて第2部のオールナイトイベントが始まった。
 これは後で知ったことだが、デイイベントからのオールナイトイベントからのデイイベント、のような強行軍を当たり前のようにこなす方がざらにいて、体力無尽蔵の化物がパーティ界隈にはとても多い事を知った。世間一般のパリピの比ではないと常々思っているところである。
 オールナイトのイベントは会場が二つあり、自分はスペースが広くて人の少ないバーでDJの中継を見ながらゆったり酒を飲んだり、思い出したように踊ったり、寝たりしていた。
 こんなに自由で快適な空間で好き放題していていいのだろうか、代わりにドデカい天罰でも喰らうのではないだろうか、などと思ったり思わなかったりしつつ、本当に自由気ままに楽しませていただいた。
 朝に近付くに連れてバーには人が増え、そしてその分昏睡していく死体の数も増え、そんななかで次第にパーティが終わりに近づくことに、一抹の切なさを覚えた。
「終わるのが名残惜しい」とイベントで感じたのはこれが初めての経験だった。言葉で表現し尽くせないくらい素晴らしいイベントだった。
 つい熱が入って文章が間延びしてしまったが、僕にとってはそれぐらい充実度が高く、この1年のナイトクラビングでも最上位に入るくらい良い思い出となっている。
 無論、魂はこれまでにないほどに解放されることとなった。


 そのすぐあと、春先頃が、僕にとってはナイトクラビングの転換期だったような気がしている。 
 まず一つは、通常のクラブイベントと同様、アニクラ・ボカクラも玉石混合だと僕は学習し始めたことで、何でもかんでも節操なく参加するのはどうか、という疑念が沸き始めた点。お金と時間を使ってパーティに参加するのであれば、質の高さを求め始める時期なのではないか、という考え方が自分の中に芽吹いた。
 そしてもう一つは、メルボルンシャッフルに熱を入れ上げた結果、サブカルに限定されないシャッフルに即した音楽ジャンルのクラブイベントにも裾野を広げたいという願望が沸き始めた点だ。


 そしてこの時に同時に思ったことがある。
 恐らく僕は、あまり音楽が好きではない部類の人間だということだ。
 音楽に合わせて踊るのが好きだが、音楽をいわば踊るためのツールとして見ていて、その楽曲の解釈や作られた経緯、バックボーンにある作者の人柄などにてんで興味が持てない。
 高校生ぐらいの時にロックバンドに入れ込んでいたときは、きっと音楽そのものが好きだった。
 でも、今僕が音楽の流れる場を求める動機は、きっとあの頃とは全然質が違うものだ。
 そういう結論に至ったが、それでも僕は酒を飲んで音楽に合わせて踊る楽しみを辞めようとは思わず、むしろ割り切ってその条件で楽しめるイベントに参加していこう、という考え方にシフトした。


 先の名古屋でのボカクラに出演されていた演者の中で、大阪でボカロ楽曲のトランスジャンルに焦点を当てたイベントを主催しているオーガナイザーがあると知り、またDJの知人もそこに演者として出演しているということで、今度は単発でそのボカクラに参加した。
 そのイベントもまた踊ることが許されている空間で、ボカロトランス楽曲はメルボルンシャッフルともとても相性がよく、また面白いことに酒よりも水分補給用の水がバンバン売れていくような風潮があり、初参加で一目惚れをしてしまった。
 先述した通り、参加するイベントの見極めをしていかねばならない時期に入ったと考えているが、このイベントはまず間違いなく可能な限り参加していきたいと考えていて、先月末にも2度目の参加をさせていただいたが、前回よりもなお楽しく素晴らしいイベントであったし、僕のナイトクラビングライフの根幹に据えていきたいと切望している。
 また、「お酒を飲まなくても楽しめるパーティも存在するのではないか」という素晴らしい考え方を自分の中に植え付けてくれたイベントでもある。
 魅力を語れば余白も時間も足りないため、心酔できる良質なパーティと出会うことができた、という解釈でお願いしたい所存だ。


 ナイトクラビングの本筋からは逸れるが、踊ることに主眼を置いたとき、同じようにメルボルンシャッフルをしている人たちと交流を図りたくなった。SNSでの交流はあったものの、同じジャンルのクラブダンスを一緒に踊るのは、ほぼ同時期に始めた友人と、隣市のアニクラで出会った高校生ぐらいのもので、この裾野を広げてみたいと考えた。
 丁度SNSでクラブダンスの動画をアップしたところに、程近い地区に住んでいたシャッフラーの方からコンタクトをいただき、しかも日本でもトップクラスの実力者ということもあって大層驚き、間もなく一緒に踊り始めるようになった。
 また、アニソン・ボカロに縛られずテクノ、ハウス、サイケデリックなどのイベントに参加したことで、大げさに表現すればメルボルンシャッフルというクラブダンスの歴史を体感することができたし、地元地域で呼びかけをしてクラブダンスの同好会のようなものも開催した。
 結局、いつも内々のメンバーで踊ることになってはいるものの、シャッフル以外の要素を排して踊り騒ぐことは、ナイトクラビングとはまた違った要素の楽しみがあると知った。


 その後北海道で開催されているメルボルンシャッフルの練習会に参加した。
 人生で初の北海道だったが、観光をすることなど毛頭も考えておらず、ただ同じクラブダンスを踊っている人たちと会いたくて飛行機に飛び乗った。
 自分よりももっと長く、もっと真摯にシャッフルに取り組んで来た方々が、それこそ10人を超える規模で存在する場がそこにはあり、会いにきて本当に良かったという感想が残った。
 その時のことは別個で記事として書いてあるので、尺の都合で割愛させていただく。

 ▼札幌とメルボルンシャッフルとおまけ
 

 それからまたしばらくのち、今度は大阪で開催されるメルボルンシャッフルの練習会に参加した。県外からも多数のシャッフラーたちが参加してくださり、同行の士が20人を超えていたのではないだろうか。広い公園で全員が一斉に踊る絵面は、とても壮大だった。
 少数で狭いナイトクラブの中で踊るのとはまた違った趣を感じた。言い換えれば、奇妙な表現には成るがナイトクラビングライフの基軸がナイトクラブからメルボルンシャッフルに完全に移行した、というところだろう。
 そして「魂を開放するぞ」という当初の意識もこの時分には抜け落ちていたように思える。


 それからは、サブカル界隈のイベント、シャッフルに馴染む音楽ジャンルのイベント、クラブダンサーがDJとして出演するイベント、パーティではなくとも踊る機会のあるイベント、に節操なく参加した。仕事の関係で日々の練習は頻度が下がってしまったが、その分週末の予定を詰め込んだ。
 夏が始まる頃には、夏の終わりまで週末の予定が全て埋まる、という自分にとっては異常な状況に陥ったりもした。特に8月の最終週からは、全ての週末がメルボルンシャッフルと密接なイベント・パーティだけでスケジュールを埋めることとなっていた。


 その反面、疲れもあった。
 とにかく踊ることだけに貪欲で他のことは何も考えず走り続けて、胃や肝臓、膝や腰、財布や貯金の悲鳴にも耳を傾けず、とにかく全速力で走ってきた。という感覚がここ2ヵ月ぐらいには特に強くあって、体の疲弊や心の摩耗を認知しながらも、とにかく走ることを止められない、壊れたパーティシャッフルジャンキーの様相を呈していた。
 完全に自分の人生をパーティに捧げる形となっていたのだ。
 もちろん、平日からもっとパーティに踊り狂っている人も世には沢山いるだろう。しかし、僕は本来、きわめて保守的で閉鎖的な性質の人間であるからして、いよいよこのライフサイクルを前に根を上げてしまっている、というのがこんにちの率直な感想だ。


 楽しさは常にあった。
 楽しくなければこんな破滅的な生き方は続けられない、無論。
 先々週はEDMジャンルで関西最大級の夏フェスに参加して心の底から楽しさを覚えたし、先週は愛知で「メルボルンシャッフラーの為のイベント」と呼んでも相違ないパーティに参加し、体の底の底のそのまた底から楽しんだ。
 その感想だけで独立した記事を書きたいくらいに熱量を持てるパーティだった。
 それだけはもう本当に間違いなくマジでガチでリアルにホンマの率直な感想。


 ただ、それと同時にこの1ヶ月少々はパーティを一つ終えるごとに「消化した」感覚や「〆た」感覚をおぼえていたことも否めない。パーティロスという健全な名残がある一方で、一つ山を超えた、というパーティピープルに聞かせればバウンスで殴られるような感覚もまた、確実に自分の中にはあった。
 そして、忘却の彼方に押しやってしまっていた「魂の解放」という当初の目的を最近になって思い出し、それについてをここ数日ずっと考えていた。


 昨夜、今夜とこの1年のイベント遍歴を振り返りながら考えをまとめた結果、思うに、魂を解放しすぎたのではないか、と考えている。
 大した抑圧が元よりあるわけでもない。
 本来は閉じて置くべき扉、最後の一線までを超えてしまった解放が当たり前になり、またそれが無意識の日常になったことで、後に得る反動のようなものもまた肥大化させてしまっていたのではないかと思っている。
 簡潔に書くならば、楽しみを追い求めすぎたあまり日常が虚無と化してしまった。
 もちろん、これは現時点での感想なので今後はまた違った感覚や視点が自分の中に生まれるのかもしれないが、少なくともいまはそういう風に考えている。


 今後もクラブダンスはもちろん続けるし、イベントには参加していくつもりではある。
 しかし、ここまでの一年間をまた繰り返そうとは思わない。
 自分には他にも考えるべきこと、やりたいこと、やるべきことが沢山あるはずだし、そこに楽しみを見出せなくなってしまうほどにパーティにのめり込むのはあまり健全ではないことなのだと、本能的に知覚している。
 なので、今年の「FES ANIMATION 2018」は「解放しすぎた魂に封をする」ために行く。
 その夜、同じJouleというナイトクラブでメルボルンシャッフルを踊る上でもっとも好きな音楽ジャンルのイベントもあり、そちらにも参加する予定だが、そこでもまた新たな仕切りという意味を獲得するためにこそ踊ろう、という風に考えている。


 昨夜、記事を書き始めたときの着陸点がこのようになることは予想していなかった。
 しかし、これまでを振り返り自分の感情の変遷をつぶさに考察した結果がこうなのだとしたら、きっとそういうことなんだろう、と思う。
 考え方、生き方は人それぞれだ。
 ただ、自分が考える〆の言葉をこの連なる文の果てで自分に一つ贈るとするのならば

「パーティは非日常ゆえにパーティだ。パーティを日常にしてはいけない」

 ぐらいのものだろう。


 END.