ジンが好きです。
前にも書いた気がしますが、ジンが好き。
スキッとした後味も、独特の香りも好き。

トニック、ジンジャーエール、オレンジジュース。
何で割っても大丈夫だけど、割ってもジンです!って主張は崩しません。

少しいいジンを冷凍庫で冷やしてストレートで飲むのも良い感じです。

家で飲むならジンバックが好き。
ジンジャーエール(辛めのが好き)にレモン。
簡単に作れるし、とても美味しい。



炭酸の効いたジンバック。
喉が渇いている時に飲むのは至福です。

ジントニックも好きなのですが、あまり作りません。
ライムを常備していないのもありますが、妙に構えてしまいます。
ほんまにこの分量でええんか、シュウェップスじゃなくてええんか、ライムないけどええんか。みたいに変な自問をしてしまう。
その点、ジンバックはジンジャーエール割りやし!と気安く作れる、気がします。

そのうち、さらりとジントニックを作れるようになりたいなぁ、と思ったりします。


甘やかで冷たきジンを飲み終へて悲しいのなら悲しいと言へ
/矢部雅之「友達ニ出会フノハ良イ事」
キンキンに冷やしたプレミアムジンをストレートで飲んでいるのでしょうか。
ほんのりと甘い香りが抜けるジンを呷る。
ハードボイルドな印象ですが、どことなくアルコールに飲まれている感じもします。

下句、他者への呼びかけとも取れるけど、なんとく自分に語りかけている気がします。
アルコールを呷る事で悲しいと言うことができない自分を叱咤している感じ。
酔っている感じがして、よいです。

飲んでいるのがジンなので、甘くならずに妙にかっこいい部分と、酔っ払って滑稽な部分とが同居しているように思います。
お洒落なイメージと労働者の安酒のイメージをあわせ持つジンが、とても効いている、気がします。

ジン飲めば妬心はジンの香をおびて肉の奥なる闇にしみゆく
もう一人の我が我より脱け出で世界の果てで呷るジンの香
矢部雅之「友達ニ出会フノハ良イ事」
歌集中にはジンの歌が他にも出てきます。
作者の意図を考えたりもしましたが、詩的意図うんぬんよりもジンが好きなんだろうなぁと。
そんなことを思います。

おまへのなかに一冊のあつい辞書があり未知の言葉をさがせとさそふ
矢部雅之「友達ニ出会フノハ良イ事」


久々に、夕方はやく帰れたので夕ご飯をつくります。
先月はずいぶんと働く羽目になって、平日の夕餉はほとんどちゃんと作れなかったので…。
少しずつ日常が戻ってきている感じがします。

買い物が面倒だったので、あるもので作る。
豆腐と豚こまがあるので、メインは麻婆豆腐でよいとして、付け合わせを少し悩む。
こういう、冷蔵庫にあまりものがない時に乾物はとても便利です。

乾燥きくらげがあったので、水で戻して、軽く茹でる。
にんじんを細く切って塩をして放置する。
茹でたきくらげ、出てきた水を絞ったにんじん、細切りにしたハムを加えて、お酢、醤油、創味のつゆ、ごま油を入れて混ぜたら完成です。

 
青ねぎを散らしたら綺麗なものです。
きくらげのこりこり感とシャキシャキのにんじんの食感がいい感じです。

副菜を作るのがとても好きです。
メインと違って、あるものからなんとなく作る、それが上手くいくと一日が上手くいった、そんな気がします。


木耳を触って思うほんとうにこれは耳だなざんざん刻む
/岡崎裕美子「わたくしが樹木であれば」
きくらげ、木耳、漢字表記をするとすこし粟立つものがあります。
確かに、自生しているきくらげは木から耳が生えているようにも見える。
西洋でもきくらげは耳と呼ばれているので、そういうものなのでしょう。

ただ、きくらげの耳感を最も味わうことができるのはそれを切る時だと思うのです。
ぬるま湯で戻したぷるんとしたきくらげに触れると、これは外耳の一部なのではと、そんな気がして粟立ちます。

作者はこれを耳だなと思う。
そして、それをざんざん刻むのです。
刻むのは、きくらげだから当たり前ですが、前提に「これは耳だな」という宣言が入ると不穏な気配がしてきます。

倒置が効いていて、きくらげを触って違和感を持つ→耳だなと思う→でも刻むことにする、という意識の流れが伝わってきます。
「木耳を触ってこれはほんとうに耳だと思うざんざん刻む」にするとすっきりするけど、意識のたゆたいみたいなものがなくなってしまう。そんなことを思いました。

つながったまま運ばれてわたくしの四肢はあなたのものになりゆく
おばさんでごめんねというほんとうはごめんとかないむしろ敬え
/岡崎裕美子「わたくしが樹木であれば」
性愛の歌を含めた相聞歌や家族の歌が注目される歌集ですが、個人的には冒頭であげた歌を含めて日常的な歌がとても好きでした。
この歌集を読んでいると、夢かうつつかわからんくなってきます。
日常の歌にも、もちろん岡崎さんが日常を掬ってるんだという感覚があって、あぁ、ここはちゃんと同じ世界だと思って、私は少しだけ安心するのです。

花びらをつけたまま来るタクシーが止まってしばし春に溺れる
春の海あらわれたればいっせいに海側へ向く列車の人は
/岡崎裕美子「わたくしが樹木であれば」

色々あって忙しくなりました。
自分のせいではない忙しさは嫌いです。
自分のせいの忙しさも好きではありませんが。

忙しくなるとご飯がつくれない。
日付けが変わってから帰っても、ご飯を作る気が起きないのです。
ストレスです。

今日は少し早く帰れたので、久々に台所に立つ。
おつまみをさくさくと作ってお酒を飲むのです。

餃子を焼き、塩もみしたキャベツときゅうりをキムチの素であえてハートランドを飲む。
しめ鯖を炙り、明太だし巻きを焼き日本酒を飲む。
つぶ貝の燻製と空豆チップスを出してきてお湯割りの三岳を飲む。
ドライマンゴーを出して、アードベックをストレートで飲む。

無茶苦茶楽しい。


明太子の入った玉子焼きが好きです。
巻けるかどうかギリギリまで出汁を入れる。
プルンプルンのだし巻き。
明太子の辛さとしょっぱさとめちゃくちゃ合います。
間にとろけるチーズを入れて。

こいつには日本酒。
しかも、辛口でクセのない日本酒がとても合います。
今日は上善水如。
このために生きている、気がします。


同じ火の熱量を分け合いながらかたまる玉子とろけるチーズ
/御糸さち「連作ではないキッチンの歌」/未来2017年10月号
チーズオムレツか、チーズ入りの玉子焼きか。なにかチーズ入りの玉子料理を作っているのでしょう。
フライパンで熱すれば、液体だった玉子は固体になり、固体だったチーズは液化していきます。
当たり前のことなんですけど、句またがり、擬人、対句とレトリックを駆使して表現されるととても不可思議なことに思えてきます。

仰々しくなりがちな対句も、これだけ些細なことに使われると、小回りが効いていい感じです。

つん、とわが背すじ冷たし青鰺の中骨に切っ先を当てれば
鶏豚鶏鶏豚鶏鶏まれに牛わたしはグラム何円だろう
しろたえの乳化現象にわとりを煮込む隨に日の落ちてゆく
隨に=まにまに
/御糸さち/前掲書
今月号の未来、御糸さちさんの厨の歌が好きです。
骨に包丁が達したときの違和感、呪詛のようなメインディッシュ、煮込まれて脂とスープの混じりゆく鶏。
家事の中に顔を出す詩情が素敵です。

料理は極めて日常的な行為です。
だからこそ、叙情する楽しさがそこにはある、わたしはそう思います。


↑このページのトップヘ