冷凍された果物が好きです。

熟れてしまった果物はなんでも凍らせてしまいます。
みかん、ぶどう、バナナ、キュウイフルーツ、凍らせればしゃりしゃりうまい。
コンビニとかで売ってるみかんやマンゴーを凍らせたやつも好きです。

清涼感の小さな塊みたいなもので、暑くなると定期的に食べたくなるのです。

今日は暑かったので、スクリュードライバーに冷凍みかんを突っ込む。
スクリュードライバーはウォッカをオレンジジュースで割っただけのシンプルなもの。
石油掘削現場で即席でスクリュードライバーでステアしたのが名前の由来だそうな。


ウォッカを入れ、オレンジジュースを入れ、軽く混ぜたら、冷凍みかんを浮かべます。
コンビニに売ってる小袋のやつが便利。

オレンジジュースを適度な冷たさにすれば、冷凍みかんが半分溶けてとてもいい感じになります。
しゃりしゃりとしたみかんがとても美味しい。
ウォッカの量でアルコール度数の調節が簡単にできるので、お酒があんまり強くない人にもおすすめです。


生まれたかった季節のことを言いながら冷凍果実つまむ指先
/田丸まひる『ピース降る』
四季に関わらず、スーパーに行けばなんでも売っている昨今ですが、果物は比較的、季節とリンクしているような気がします。
しかし、冷凍された果物は四季との繋がりを断たれて、冷凍室に鎮もっている。

そんな冷凍果実を食べながら、作者は生まれたかった季節の話を偶然していたのでしょうか。あるいは、誰かがしている話を聞いたのかも知れませんが。
いずれにせよ、そのふたつが作者の中でほんのりと繋がった、そんな一首でしょうか。
もしかしたら、その果実の季節が生まれたかった季節なのかも知れません。

四句切れになっていて、焦点は指先に当たります。
その季節に生まれることはできなかった事実を提示するように、ほんのりと空虚さが漂います。

生まれたかった季節の話をしているというリアリティがとても好き。
少し会話が途切れた後に、なんとなくはじまる、無意味だけれど変に記憶に残る会話ですね。


キャベツ一枚剥がしそのまま齧る春ひとの眠りにつばさを重ね
骨までも黴びている気がする夏の夜明けをつつむ言葉がほしい
感情を青いスピンに預けたら冬のあなたを先に見送る
/田丸まひる『ピース降る』

歌集には季節の歌がたくさん収録されていて、過ぎ行く日々を愛惜する作者の思いが感じられます。
季節があって、具体的な描写があって、作者は確かにその時を生きていたんだぞ、みたいな、当たり前の実感がそこにあるような気がするのです。

ほろほろと生き延びてきて風を抱くきみの感情のすべてが好きだ
/田丸まひる『ピース降る』


最近、Twitterのタイムラインを眺めていると、時折、カレーかつ丼なる食べ物が流れてきます。
カツカレー丼ではなくカレーかつ丼。

どうやら、卵でとじたかつ丼にカレーがかけられているらしい。

うーむ、たぶん美味しいだろうなぁ。
写真を見る限り美味しそうだ。

富士そばのメニューのようですが、富士そばは首都圏にしかありません。

というわけで作ってみました。


家で作るにはなかなかに面倒です。
なんせ、かつ丼とカレーを作る必要があるので。

平日に作ることにしたので、カツは泣く泣くできあいのものに。
カレーも煮込む時間があまりないので、水ではなく、炭酸水で作ります。

実際に食べてみると、甘いたれと、カレーのスパイスがあいまって、なんともうまい。
正解かはわかりませんが。

次はちゃんとしたトンカツで作りたい。

余談ですが、家でカレーを作ると少しカレーが続きます。

弁当もカレー。

翌夜もカレー。

さすがに飽きます。
しばらくカレーはいいかなぁ、と思うのですが、またすぐに食べたくなる。
カレーですから。


生卵カレーに落とし食ふわれをコンサバティーフと呼ぶ声しきり
/大辻隆弘『水廊』
カレーに生卵を落として食べる人がいます。
関西の名店、自由軒やインディアンカレーは生卵入りがずいぶんポピュラーですし、かく言うわたしも時々やります。

辛いカレーに生卵を落とすとマイルドになる。

ただ、卵を落とす行為が信じられないと言う人もいます。
わたしも、気持ち悪いと言われたことがある。

たぶん、その辺があって、自分の食い方が保守的だと感じているのかもしれません。
昔ながらの食い方、美味しいんやけどなぁ、というように。

第1歌集である水廊のあとがきには、「僕の短歌観は保守的だと思う」という言葉があります。
コンサバティーフとい声は、生卵をカレーに落とす自分だけではなく、「名詞よりは助詞・助動詞、意味よりは調べ」に惹かれる自分にも聞こえてきているのかも知れません。

それでも、他者からなんと思われようとも、生卵を落として食べるのです。
だって、美味しいのだもの。

ざっ、と夏がやってきた感じです。
この、春から夏になりかけている感じはとてもいい。

もうすぐ取り返しがつかないくらい夏になってしまうし、梅雨も来てしまう。
今は、陽射しや風の感じは夏っぽいんだけど、まだ凶器のようには暑くない、そんな感じです。

このくらいの時期に食べるのが豆ごはん。
グリーンピースです。

関西では春の終わり頃によく食べます。
うすいえんどうという改良種が出回っていて、柔らかく美味しい。

田舎にいるので、農家の方から頂くことがあり、年に一度、このくらいの時期に豆ごはんを炊くのです。

米2合に正味量で100グラムくらい。
塩は小さじ1くらい。
ほんの少しだけ日本酒を入れて炊きます。


とっても素朴な味です。
塩をキツ目にしたり、昆布を入れたりすると完全な主役になりますが、個人的にはこれくらいの感じが好きです。

普通におかずと一緒に食う豆ごはん。
食卓の片隅に、まだ春が居残っている感じで、よい。


まっさらな雪をすくった跡のようあなたは炊飯器をまぜない
/山階基/未来2017年1月号
毎日ご飯を炊くので、ご飯について意識することはあまりありません。
だけど、豆ごはんとか、きのこごはんのような炊き込みご飯を作ると、ごはんをあらためて意識します。

そんなとき、ふと思い出したのがこの歌。
白ごはんの歌。

あなたがごはんを掬った後、炊飯器を開けて自分のごはんを掬おうとすると、そこには、コポッとごはん一膳分ほどの窪みがあったのでしょう。
そこで、「あ、この人は炊飯器のごはんを混ぜないんだ」と思った、そんな歌です。

上句の比喩が素敵です。
ごはんを掬った窪みが、掬われた新雪に見立てられると、なんとなく神々しい。
上句だけ読むと、雪の歌か?と思うんだけど、下句でごはんを混ぜないという事実が提示されて、あ、ごはんの比喩だったんだと読み下し終えて気がつく。

素敵な把握です。

下句、少し強引な句またがりですが、不思議と韻律が乱れません。
「炊飯器(のごはん)をまぜない」という省略が効いていて、区切って読ませないからでしょうか。


たけのこごはんを炊くと春の盛りがやってきて、豆ごはんを炊くといよいよ夏です。
多めに炊いたので、明日のお弁当も豆ごはん。
春の残り香を楽しもうと思います。

豆ごはんつぶりつぶりと食うてをり一粒ひとつぶ緑いなり    豆
※緑い=あをい
/河野裕子『歩く』



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