atusisugoiのblog

2014年08月

 過去に記述したものと一部重複をするかもしれませんが、構わず続けます。

 史料室の奥まったコーナーには、絵画などの展示があります。

 武蔵名称図絵稿本 「六所宮社地後背」の図
      文政9(1826)年
 
 江戸幕府地誌編纂に関わった八王子千人同心の一人、植田孟縉が著した多度
の地誌の挿絵です。
六所宮(大國魂神社)の南西方面を見下ろすように描いています。
 画面左、大きくせり出した台地は、ここが眺望の地であることをよく示しています。
「御殿の跡地」記されているこの場所は、本文では【上古官庁の後なり】と書かれ、
徳川家康の「御殿」についても詳しく述べられています。

         「六所宮社地後背」の図
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           「六所宮社地後背」の図 
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           「六所宮社地後背」の図
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      錦絵 武蔵国調布の玉川 
        江戸時代後期
      原資料: 府中市郷土の森博物館
 歌川国芳による「玉川」の1枚で、多摩川を描いた三枚続きの錦絵です。 
その中の武蔵の多摩川は、布晒し、杵と臼などを配する秋の情景として構成されて
います。
華麗に修飾されていますが、往時の府中周辺の風物を思い起こさせる作品です。

            錦絵 武蔵国府の玉川
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   桑都日記続編図解「府中馬市」
       天保5(1834)年
    原資料: 極楽寺蔵

 仙人同心塩野適斎書きした『桑都日記』の中の一図です。
六所宮(大國魂神社)社頭のケヤキ並木で、馬を持ち寄り、市が開かれている様子が
描かれています。
この馬市は、江戸時代の初期、五月三日から九月末まで行われた大規模なものでし
た。
古代の武蔵国には、数多くの牧があり、馬を都に納めていた歴史を思えば、この絵か
ら古代国府の時代の情景を想像することができるかもしれません。

           桑都日記続編図解「府中馬市」
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 地域文化祭の責任者会議が9月10日にありますので、会議の後、府中市立
ふるさと府中歴史館を再度訪ねてみようと思っています。
その時に大國魂神社にもお参りする予定です。
神社境内はなぜか空気が引き締まり、さわやかな気分にさせてくれますので
楽しみにしているところです。
それは神々による目に見えない浄化作用があるからだと思います。



愛用しているガラスの透明なコップが、すりガラスのように曇っている
のが気になっていました。
結構丈夫で長年壊れずに頑張ってくれています。
自分なりの想像ですが、、水垢(カルシュームとかマグネシュームのよ
うな硬度成分)が付着してこのような汚れが発生するのかもしれません。

 ある時、偶然テレビでグラスの汚れを取る方法を一言聴視しましたの
で、実践してみました。

 まず少しきめの細かいスポンジに、練歯磨きをチューブから絞り出し、
少量付けてから、そのスポンジで内側についた汚れをこするように磨く
だけです。
あまりこすると逆にグラス内面に傷がつくのかもしれないと思い、合計
3回に分けて状態を見ながらトライしますと、新品のような透明感がよ
みがえってきました。
歯磨きの中に入っているごく細かな粒子が研磨の働きをするのだと思
います。
 
 歯磨きならぬコップ磨きの成果を目の当たりにし、小さな達成感を味
わっています。

 今度は手洗い兼洗面用器具をこの方法で磨いてみようと思っていま
す。

 ユニットになっている洗面器具を歯磨き剤で磨いてみましたが、格別
代わり映えしませんので、カビキラーを噴霧して様子を見ているところ
です。
たぶん、カビが付着して汚れていると思われますので、効果が期待で
きます。

 結果、洗面器具のカビが取れ、輝きが出てきました。
手洗い用の「キレイキレイ」のプラスチック容器も外観がかなり汚れて
いましたが、きれいになりました。
ついでにプラスチックでできている歯間ブラシの柄も、カビキラーを使
用、新品同様に透明感が出てきました。

 孫たちは長谷寺境内の団子売り場で一休みして、一口頬張りたい様子でし
たが、家内に鎌倉大佛さんを先に見にいかなくてはと言われ、団子はお預け
となり、長谷寺を後にしました。

少し歩いたところの入口山門に、金文字で「大異山」と書かれた扁額が目にと
まりました。
「大異山」とは正式には大異山高徳院清浄寺といい、この寺の本尊様は阿弥
陀如来坐像(大佛)だといわれています。


                 高徳院山門
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 この石碑はいつ頃建立されたされたのかはわかりませんが、聖武帝という文
字が刻まれていますので、この大仏様の原点は聖武天皇が各国に寺を建て
ることを奨励したころから、何らかの形で寺の存在があったものと自分なりに
想像しています。

           総国分寺 大佛碑
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                高徳院山門
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 国宝鎌倉大佛像は阿弥陀仏です。
源頼朝の侍女であったといわれる稲田多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金
集め)して造りました。
零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作った
ものではない。
初めは木造りで暦仁元年(1238)に着工し六年間で完成したが、宝治元年(1
247)台風で倒れたので、再び資金を集め、建長四年(1252)に至って現在の
青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置しました。
原型作者は不明であるが、鋳工として大野五郎右衛門や丹治久友の名が伝え
られいます。
大仏殿は建武元年(1334)と慶安二年(1369)とに大風に倒れ、その都度復
興したが、明慶七年(1498)の海潮(津波)に流失、以来は復興せず、露像とし
て知られるに至った。大正十二年(1923)の大震災には台座が崩れ、仏像は
前に傾いたが倒れなかった。
大正十四年(1925)台座を補強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復
がなされました。

昭和三十五年、三十六年(1960-61)の修理では、前傾しても警頸部を支え
る頸部の力を、強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、
大震災の際は、台座と佛体が離れる免震構造が施されました。
この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としては最初の
ものです。

 総高(台座とも)        13.5      m
 青銅佛身高          11.312 m
 面長                2.35    m
 眼長                1.00    m
 眉長                1.24    m
 口広                0.82    m   
 耳長                1.90    m  
 眉間白壱径           0.18    m
 眉間白壱高           0.15    m  
 螺髪(頭髪)高          0.18    m   
   々    径          0.24    m  
 螺髪数            656           ケ     
 佛体重量           121           トン

 以上、国宝 鎌倉大佛因由書きに基づき記述しました。

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 大仏様の中に入ってみました。
 大仏の原型の朔像を設置後、外側から土で鋳型を作り、下部から八段に分
け、順次青銅の溶けた湯を流し込んみ、建造されたといわれています。
渡来人によるものと推測される鋳造技術に驚いています。

         体内から見上げると大仏の頭部が見えます。
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 一番下の孫は、暑さで少し元気をなくし、椅子に座り込んでいましたが、もう
一人の元気の良い孫と高徳院の境内を散策しました。

 ペン画で小生が描いてみました。

      大仏さんの前で「ものまね」をしている子がいますね
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  特大の草履が境内の一角に吊ってあります。
脇に茨城新聞(2014年2月17日付)の記事が貼ってありますので読んでみま
すと、

 常陸太田市の子供たちが15日、同市松栄町の松営農研修センターで、3年に
一度行われる特大の草履作りに取り組んだ。
草履は長さ1.8メートル、幅約0.9メートル、重さ約40キロで、神奈川県鎌倉市の
鎌倉大仏で知られる高徳院に奉納される。

 地元の商栄会などによると、旧郡戸村時代の1951年に開かれた産業際に、
「松栄子供会」が特大草履を出品したことが始まり。
戦後間もない時期だったことから「大仏様にこの草履をはいてもらいたい」との
地域住民らの復興への願いを込め、高徳院へ奉納したという。
それ以後は毎年奉納が続き、56年から3年に1度になった。

 奉納の都市となった今年の草履作りには、子供会の小学生をはじめ、指導に
あたる地域のお年寄りや保護者ら約30人が参加。
特大の草履を作るため、これまでは屋外で作業が行われていたが、この日あい
にくの大雨で室内に変更した。

 子供たちは素材となる稲藁を編みやすくするために木づちでたたいて柔らくし、
大人たちが麦藁の束を力強くねじりながら編み上げた。
市立郡戸小の生徒は「手が痛くて思っていたよりも作るのが難しかったけど、鎌
倉に届けるのが楽しみ」と笑顔を見せた。

 地域住民らは3月1日に高徳院を訪ね、特大草履を届ける予定。
松栄町会々長は「60年以上前に戦後から復興を願ったように、今年作った草履
は東日本大震災からの復興への願いを込めて奉納したい」と話している。

           三年に一度作られる特大の草履
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 孫と一緒に、大仏様の背中側の境内に入り、散策しました。

               境内の風景
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 観月堂について、ネット情報に基づき記述してみたいと思います。

 15世紀中ごろ、漢陽『今日のソウル』の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられ
る建物で、1924年(大正13年)これを所持されていた「山一合資会社」(後の
山一證券)杉野喜精氏によって、東京目黒の私邸から移築。寄贈されました。
鎌倉観音霊場23番札所ともなっている当山では、今日この建物の中に江戸
後期の作品とみられる観音菩薩立像が安置されています。
            
                観月堂CIMG0079




















 お地蔵さんに、感謝を込めてお賽銭を供えました。
               
                 お地蔵様
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 境内には与謝野晶子の歌碑がひっそりと建立されていました。
 文学案内板によりますと、

 与謝野晶子 歌人
 1878年堺市生、1942年没。新詩社の社友となり『明星』で活躍。
「みだれ髪」の奔放自由な歌風は一世を風靡した。

  かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は
  美男におはす夏木立かな
              
             与謝野晶子歌碑
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 そのほかに、境内には次の方々の歌、句碑が存在します。
 
 星野立子 俳人
 1903年東京生、1984年年没。高浜虚子の次女。
父の薫陶を受け、『ホトトギス』で活躍。
俳誌『玉藻』を主宰。

 大佛の冬日は山に移りけり

 金子薫園 歌人
 1876年東京生、1951年没。落合直文の門に入り、
和歌革新運動に参加。
 
 寺々のかねのさやけく鳴りひびき
 かまくら山に秋かぜのみつ


 
 飯室謙斉 医師
 1883年東京生、1928年没。
高浜虚子から俳句を学んだ。

 春の雨かまくらのの名もやわらぎて

 飯室謙斉 医師
 1883年東京生、1928年没。

 吉屋信子 小説家(高徳院墓地)
 1896年新潟県生、1973年没。
 「海の極みまで」で文壇的地位を確立。
 代表作に「花物語」「徳川の夫人たち」がある。

 秋燈火机の上の幾山河

            ※ 句碑は高徳院墓地

 

 高徳院を出たところのお土産物屋さんで、アイスクリームを全員でいただき
ました。
小生が、まるまる1個を完食したのはずいぶん久しぶんりのことです。
ついでにこの店に置いてある、紫芋を使ったお菓子も一ついただきました。
なかなかのうまさでした。
土産物にうまいものなしという言葉は嘘ですね。

 そして、ここから出ているバスに乗り、鶴岡八幡宮を目指しました。








大國魂神社を背にして、伊勢丹の前を歩くと約5分で京王線の府中駅に出ます。

             伊勢丹前のケヤキ並木
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 大國魂神社境内にある「府中市歴史資料館」に中に入り、資料を拝見しています。

 縄文時代に豆栽培がなされていたという資料を目にはいり、大変興味をいだきま
した。

 【縄文時代の豆栽培】
 
 栽培種の大豆とアズキは中国大陸から日本列島にかけて分布する東アジア特産
の豆類です。
大豆は野生種のツルマメを、アズキは野生種のヤブツルアズキが改良されたとい
われています。
最近の研究では、日本では縄文時代前期頃(約6000年前)に中部~南関東地方
でも栽培が始まり、中期頃には盛んに栽培されるようになり、後期以降は西日本に
も次第に広まったと考えられるようになってきています。

 エゴマの分布と広がりも大体この豆類と重なるようです。
これらの栽培植物が見つかった遺跡は、縄文中期文化が繁栄した中部山岳~南
関東地方にほぼ重なっていますので、本格的な稲作が始まる弥生時代以前に、早く
もこの地方、独自に植物栽培が始まったのかもしれません。

        植物種子圧痕のある縄文土器の破片(深鉢)
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              エゴマ
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                エゴマ植物(シソ科)
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 広島在住の娘と孫たちを連れ、家内も一緒に鎌倉へ行くことになりました。
道順をインターネットで調べたルート図を持って出発しました。

南武線の武蔵小杉駅で乗り換へ、J・R湘南新宿ラインで鎌倉駅に到着、これ
より江ノ電に乗り換えて、長谷駅で下車、ホームに備えてある大仏様が彫ら
れたスタンプをスケッチブックに押してから、長谷寺に向かいました。

 昔、友達と一度だけですが、長谷寺を訪れたとき、ここは駆け込み寺だった
とか言っていたのを思い出しています。

                長谷寺山門
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              長谷寺社務所
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        写真の左側が本堂・正面が鐘楼
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              本堂内部の十一面観音
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               境内の庭園
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                 境内の池
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 境内には、由緒書きの立札があり、その内容は

 大麻唯男氏夫妻が愛娘栄子嬢の闘病二十一年の死の冥福を祈り広く病に
苦しむ人々に観世音の加護を祈願し建立。
(蔵の下部に埋め込まれたプレートには「永き日のわれらが為の観世音」
虚子)
丈夫石は大麻氏の挙に賛し常の花、双葉山元横綱が大麻氏に寄進、世間
大方の無事息災を祈るもの と書いてあります。

               聖観世音菩薩尊像
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 境内には、輪蔵(まわり堂)がありました。
説明板がありましたので、転記しますと、
 輪蔵は中国梁時代(五世紀)の学者伝大士の発明によるもので蔵内には
一切経が納めてあり、時計回転方向に一回まわすと一切経を一通り読んだ
と同じ功徳があるといわれております。回転書架は保存保護のため、観音
ご縁日(毎月十八日)に限り回転させることができます。 
              
                 輪蔵(まわり堂)CIMG0035





















 散策していると、久米正雄の胸像が建立されていました。
 1891年長野県上田市に生誕。俳人劇作家、漱石門下の小説家として活
躍鎌倉ペンクラブの初代会長でもある。
関東大震災の際、長谷寺にて難を逃れ戦中に当山復興にも尽力した所縁
により、氏の三回忌にペンクラブが建立。

              久米正雄 胸像
CIMG0030              



































 
 高山樗牛(林次郎1871~1902)明治を代表する評論家、思想家そして
文学者であったが31歳にて早世、短いながらも最晩年を長谷寺境内にす
ごした由緒と、その文筆活動を顕彰するため、大仏次郎など当時の文化人
が発起人になり、昭和43年に建碑する。
 
             高山樗牛住居碑
CIMG0020



































 境内に咲いていた白藩茉莉の花は大きな樹木に成長していました。
拙宅には小ぶりですが、花が青紫と白に咲き分ける「匂い藩茉莉」があります。
花からは独特の良い香りを出します。

              白藩茉莉という名の花
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 境内に咲く花、孫が写真を撮ってほしいといいますので撮影しました。
たぶんこの花の絵を描こうと思っているのかもしれません。

                 ツユクサ
CIMG0051



































境内にある地蔵のような石像(なごみ)の前でスケッチをしました。
誰かさんもつられてなごんでいました。

                なごみ
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