atusisugoiのblog

2018年07月

 7月も後一日を残すだけとなりました。夜には庭から、秋の虫の音も聞
こえ始めています。
 台風12号は、高潮による被害をもたらしましたが、中国地方も無事で
したので安心いたしました。お蔭で少しだけ炎暑が和らいだように思いま
す。
 この暑い中、三友花の挿し木を行いましたが、一回目は枯れてしまい、
二回目は日陰に鉢を持ってきて、挑戦しましたところ、今は元気に育って
います。親木の三友花から鉢に挿し木をし、先月、絵画サークルに持参し、
静物画のレッスンを受けました。サークル終了後、会員の方に挿し木したこの
三友花を鉢と共にプレゼントしましたが、生育はどうでしょうか、この暑
さではたぶん枯れてしまったかもしれません。日陰に置くようにその後ア
ドバイスはしたのですが。
 絵画サークルでのレッスン時、三友花は、小生一人しか描きませんでし
た。他の人たちはユリ、紫陽花、猫じゃらしなどのモチーフに魅かれたよ
うです。小生はユリも描いてみました。

                三友花の親木  2018.08.03撮影
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  「三友花(さんゆうか)」の挿し木  2018.07.30撮影
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  「三友花(さんゆうか)」の挿し木  2018.07.30撮影
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 2018年08月1日(水曜日)

 今日も酷暑日となりました。あまりの暑さに挿し木をした「三友花」は
すぐ、ぐったりとしますので、家の中に入れてやりました。そしてもう一
鉢の「三友花」は裏庭の、大きな柚子の木の下に置いてやりました。根付
いたものですと少々の強い陽ざしでも喜んでいるぐらい強い木ですが。

         「三友花(さんゆうか)」の挿し木  2018.08.01撮影   
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  「三友花(さんゆうか)」の挿し木  2018.08.07撮影
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 2018年8月10日(金曜日)

 予報は日中の気温が32℃と報じていましたが実際は35℃まで上がり
、猛暑日となりました。午前中気がつかなかったのですが、三友花の挿し
木に花が咲きました。もっとも、挿し木の時点で花の蕾はあったのですが
、真っ白な花です。

  「三友花(さんゆうか)」の挿し木  2018.08.10撮影
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 裏庭の木蔭に置いたもう一鉢の三友花の挿し木は、13号台風の影響で
昨日と今日の涼しさと雨を呼び、元気をとりもどしています。手前の萎れ
てい方は、もしかすると枯れてしまうかもしれませんが、様子を見ること
にしています。

 裏庭の「三友花(さんゆうか)」の挿し木  2018.08.07撮影
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         三友花  静物画
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 三友花の親木は大きな鉢に植替え、立派に生育していますが、この三友
花は、青森へ長期出張の際、引っ越し荷物と一緒に運んで、持っていき
ましたが、何しろ寒さを極端に嫌う植物を寒い北国へ持っていくもので
すから、もちろん花など咲かずじまいでしたが、寒さに耐え無事帰京し
たという貴重な体験をした植物です。
今は、庭には、百日紅(サルスベリ)の花も満開です。

       百日紅の花 2018.08.02撮影
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                百日紅の花 2018.08.02撮影
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           ユリ 静物画
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 2018年8月6日(月曜日)
 今日は広島の原爆記念日です。あのころ、ちょうどアメリカは原爆の製造
が完成した時期で、どここかで使ってみたいという衝動も手伝い、不幸にし
広島をターゲットにして投下されたと聞いています。また原爆を上空のB-
29から落とした飛行士は、その後、気が狂ったといいます。
 被災された人々は、やけどの厚さで、川に身を投げなくなった方も多いそ
うです。心から哀悼を捧げたいと思います。
 一昨日、夕方散歩の途次、多摩川べりでバーベキューを楽しんでいる人た
ちを見、スケッチをしてみました。若い人たちは、炎天下の中、元気ですね。
向うにこちらを見ている犬は、主人といつも一緒で、主人は鳩に餌をやって
いる姿をよく目にします。スズメも寄ってきています。たまにトンビが上空
から急降下し餌を狙う場面もあります。あるいは遊んでいるのかもしれませ
んが。
 トンビは、対岸の木が大きくなり、かなり茂ってきていますから、そこを
塒(ねぐら)にしているのかもしれません。
にしている様子です。

         多摩川べりに遊ぶ
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 2018年8月7日(火曜日)

 台風13号により、今夜から関東地方は影響を受け、風雨が強まると予
報しています。
 「三友花「」の挿し木の鉢を裏庭へ置いている方が、気になり、様子を
見に行き、撮影する間にたくさんの蚊が集まって来て、足や手に、刺され
てしまいました。

 昨日、FB(フェイスブック)の友達をモデルに水彩画作品を仕上げまし
た。

       森の中に遊ぶ
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 《裸婦》

 《立てる裸婦》

 1920年代初めに、下地の質感と色を生かして裸婦の「肌」を魅力的
に描くというスタイルを確立した藤田にとって、画面の中で裸婦の体が接
する部分、つまり背景や裸婦が身を置くシーツなどをどのように処理する
かは大きな課題だった。当初は、背景を黒く塗りつぶしたり、細部描写に
凝った布などで、人物以外の部分の大半を覆うようにしていた。対照的な
色や、質感の異なるものを隣り合わせに描くことで、肌をより際だてさせ
る狙いである。しかし1920年代後半になると新たな手法が主流になっ
ていく。人物以外の部分の描き込みや、絵具を重ねる部分をできるだけ少
なくして、下地を露出させたり、透けて見えるようにして仕上げるように
なるのである。結果として、全体が白っぽくなり、流麗な墨線と、わずか
に色合いの違う白色だけの、幻想的ともいえるような画面が生まれた。
 例えば、白いシーツの上に裸婦が横たわる《裸婦》では、体の部分には
下地が透けるように薄く溶いた絵具が塗られ、さらに陰影には暗い色が重
ねられ、筋肉や体のふくらみが強調されている。一方、シーツは細い線で
襞が描かれた上に、灰色の影をぼかして描き、下地を所々残したまま仕上
げている。
背景にも灰色を塗っているが、こちらも下地が透けて見えるように粗い塗
りかたである。同じような手法は《立てる裸婦》でも使われている。肌の
明るく見える部分や、裸婦の輪郭線の外側、背景の一部は下地の白色がは
っきりと見えるため、画面電体がほのかな光を放っているようにも見えて
美しい。
この手法について、飛躍的に増えた注文に対応するために、1点にかける
製作時間を短縮する目的で編み出されたものだという指摘もある。確かに
人気の絶頂であると同時に、一部の評論家から量産化との批判を受け始め
るのもこのころからである。しかしながら、たとえ現実的な面もある方策
だったとしても、「乳白色の下地」の美しさ自体を味わう方向へと進んで
いることは確かだろう。製作状況と切り離して考えれば、下地の扱いに円
熟味を増したともいえる。さらに、肌とそれ以外のモチーフの微妙な質感
の違いを、繊細に楽しむような新しい表現を生み出そうとしたとも考えら
れるだろう。
 なお、《立てる裸婦》は、1930年に発行された6枚組の版画集『女
達』の原画に採用されている。

 裸 婦
 1928
 73.0×101.0㎝
 布/油彩
 個人蔵(名古屋市美術館寄託)

             裸 婦 
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 立てる裸婦
 1929
 81.5×54.5㎝
 個人蔵

           立てる裸婦
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 《二人の裸婦》
 
 縦1メートル80センチ近い大画面に浮かび上がるように描かれた二人
の裸婦。一人は腰をかけ、もう一人は彼女に寄り添うように立っている。
左足に重心をかけた立ち姿の裸婦の作るゆるやかな曲線、座る裸婦も足の
先まで神経の行き届いた美しいポーズである。二人はお互いに顔を向け合
っているが、その視線はわずかに重ならない。立ち姿の裸婦の寂しげな瞳
が心に残る印象的な作品である。
 この作品は、1929年にパリ国際大学都市日本館のために描いた一つ
《欧人日本へ到来の図》から、二人の裸婦を独立させて一つの作品とした
ものである。「東洋への西洋文明の輸入」をテーマとした《欧人日本へ到
来の図》は、長崎に西洋人が到着した場面で、積み荷を降ろす様子や、ポ
ーズをとった半裸の男女が、横6メートルもの画面に堂々と描かれている。
背景は金箔で仕上げられており、主題だけでなく技法の上でも西洋と日本
の伝統を融合させた壮大なスケールの大作である。
本作の二人の裸婦は、この壁画の中央に描かれている。象徴的な位置に描
かれた二人は、たくさんの登場人物の中でも特に重要なモチーフといって
よいだろう。サイズもほぼ同じなので、おそらく同じ下絵を用いて、
再製作したものと考えられる。
 両者の違いは体の表現である。壁画では筋肉質な体つきの堂々
とした姿に仕上げているのに対して、本作では陰影を抑えて柔ら
かな肌の質感を
重視している。乳白色の背景の効果もあり、全体的にふ
んわりと優しい印象に仕上がっている。
また、壁画は公共の場所、特に留学生の集う学生会館に設置されるという
ことを考慮したためか、裸婦の腰が布で覆われているが、本作には布はな
く、より自然な姿である。これらの違いには、いわゆる「モニュメンタル
な」、立派で格式高い表現が求められる公共的な制作と、それ以外の作品
を描き分ける藤田の意識がはっきりと表れていて興味深い。
 また、本作は歴史の波に翻弄された作品でもあった。第二次世界大戦前
にはパリのユダヤ系コレクターの手にあったため、戦時中にナチスドイツ
に接収されてしまう。戦後、フランス政府に返還され、所蔵者不明のまま
パリの国立近代美術館に長く保管されていたが、展覧会で展示された際に
遺族が名乗り出て、やっと本来あるべき場所に返されたという。

 二人の裸婦
 1929
 178.0×94.2㎝
 布/油彩
 個人蔵

           二人の裸婦 
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 欧人日本へ到来の図
 1929
 壁画
 パリ日本館蔵

         欧人日本へ到来の図
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  《裸婦(キキ・ド・モンパルナス)》

 頭の後ろで腕を組み、横たわる裸婦。伝統的なポーズで、藤田が特にお
気に入りだったポーズの一つである。古典彫刻のような筋肉質な体の描き
方が、堂々とした印象を与えている。横1メートル以上のある大型サイズ
のデッサンで、油彩画の下絵として描かれたものと思われるが、完成作は
知られていない。
 強い眼差しでじっとこちらを見つめるモデルは、「モンパルナスの女王
」と呼ばれたキキ。本名をアリス・エルネスティーヌ・プラン(1901
-53)といい、「狂乱の時代」、1920年代のパリを代表する女性の
一人である。豊満な肉体と美しい肌、天真爛漫で開けっぴろげな性格が画
家たちに愛され、キスリングから多くのエコール・ド・パリの画家が彼女
をモデルに名作を残している。写真家マン・レイの恋人としても有名で、
(アングルのバイオリン)などキキをモデルにした作品は多い。
 藤田にとって彼女が特別な存在だったのは、彼を一躍有名にした《ジュ
イ布の裸婦》(1922年、パリ市立近代美術館)のモデルを務めたとい
うことが大きい。藤田もやっと売れ始めたばかりの頃で、この作品が8,00
0フランという予想外の高値で売れた時、キキのおかげだといって、彼女
が驚くほどのお礼をしたという。
あるいは、風邪をこじらせたキキのために、自分がモデルをして医者代を
用立てた話なども、藤田が繰り返し語る友情のエピソードである。お互い
貧乏だった時代からの友人関係であるためか、深い親愛の情を抱いていた
ようである。
 1920年代には、モデルの他、歌手や女優としても活躍し、回想録を
出版するほどの有名人となっていたキキだが、時代の波にのまれるように
落ちぶれて、酒浸りになる惨めな晩年だったらしい。1953年に亡くな
った時、華やかに活躍した時代の友人はほとんど葬儀に現れず、参列した
画家は藤田ぐらいだったという。

 裸 婦
 1929
 71.5×128.5㎝
 紙/鉛筆
 目黒区美術館

             裸 婦        
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 047裁縫道具のある静物

 小さな画面の中に藤田愛用の裁縫道具が細かく描き込まれている。手先
の器用な彼は、パリに留学して間もない頃から裁縫を始めたようだ。小柄
な日本人の体形に合った服がなかなか見つからなかったことや、経済的に
衣類にまでお金を回す余裕がなかったことなど現実的な理由でもあったが
元来が凝り性で器用だった藤田は洋服作りにたちまちのめり込み、自分が
身に着けるものだけでなく、恋人や友人の服まで作ったという、写真家の
アンドレ・ケルテスが撮影した1920年代の藤田の写真があるが、ラン
ニング・シャツに雪駄履(せったば)きといういでたちで葉巻をくわえな
がらミシンを踏んでいる。画家の肖像写真にミシンを踏んでいる姿を選ぶ
というのも珍しいが、当然藤田自身がその姿をよしとしているわけで、自
分はただの画家ではないというアピールも写真家からは伝わってくる。明
治生まれの日本男子としては、極めて珍しい態度だが、あるいはこのよう
な態度が一部の人々にとっては、藤田独特の外連(けれん)として顰蹙(
ひんしゅく)を買ったのかもしれない。画家は画業に専念すべきで、まし
てや男子が裁縫などに現(うつつ)を抜かすとは、というわけである。
 藤田は静物画を数多く描いているが、花や果物や本などを組み合わせた
西洋の伝統的な静物画とはやや趣を異にしている。そこに描かれるのは藤
田が日常愛用する品々が大半であり、描かれるモノに対する作者の愛情が
画面から静かに伝わってくる。画面が小ぶりということもあるのだが、見
る者に何とも言えない親密な感覚を呼び起こす。手にとって使う道具を至
近距離から描き出しているという点も、この親密感を一層増している。そ
して画家愛用の道具を描き出すということは、これは一種の自画像にもな
っているのである。
 一見すると何気ないテーブルの上の道具類をそのまま描き出したような
自然さにあふれているが、よく見ると構図や色彩に丹念に気を配ったこと
がわかる。白い下地を十分に生かしながら、赤、青、黄、そして黒など、
心憎いばかりのバランスで色を配置し、画面をまとめている。そして藤
田独特の細かい輪郭線による描写の巧みさが、このような小物を
描くと一層際立つ。色々
なものが画面に散らばっているのに、少しもう
るさく感じられず、それぞれが場所を得て、完璧な調和を生み出してい
る。

 裁縫道具のある静物
 1930
 26・0×35.0㎝
 布/油彩
 熊本県立美術館


          裁縫道具のある静物 
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 トックの女

 トックの女とはトックを被っている女のことである。トックは白や黒の
毛皮で造ったものが多い。まず頭巾(ずきん)に近いものだ、このセルビ
ヤはこのトックがどの帽子より自分によく似合っていると思っているらし
い。
実際それは彼女に最も能(よ)く似合っていた。

 トックの女
 1914
 油彩/キャンバス
 40.0×33.0
 府中市美術館

               トックの女 
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 毎日のように小雨に鎖(とざ)されていた冬が、どこか遠くに流れて行
くと共に、風があった。生まれる春の光が見え出すと、街路のマロニエは
見る見る芽を吹いて、思い切って黒い幹と小枝が鉄条網の絡み合いから段
々枝が膨らみ潤って、冬の縺(もつ)れからとけるように柔らかになり、
銀色がかった白線の芽を花の如く点じ始めたときは人の心にも春の歓喜(
よろこび)があった。

 このモデルの話はKという画家、それの話である。

 Kはこのいい季節に巴里を去るのは心残りがした。またこの人間の住む
都市としてこのくらい美(うる)わしい、芸術の限りなく栄える都を離れ
るかと想うと淋しい心が湧き立って来る。今朝も目が覚めると天井から射
し込む淡い、まだ寒い朝の光が寝ているKの顔に斜めに当たった。
 幸福の夢から離れたような心細さが、毎日の様に感じられる。もう一ヶ
月もすれば、ここの都を去らねばならんと思うと、二年近くいて何一つ纏
(まと)まって研究出来なかった事や、やや覚えて来た巴里の味や、製作
についても纏まりかけた思想をまた故国の煩瑣(はんさ)の生活の中に投
入する事は悲しかった。
しかしてこの頃では見るもの聞くもんがお別れと想われて寂しかった。K
はついぞ人から聞いた思郷病も知らなかった。
枕元にある、時計を見ると、もうモデルの来る時間が近づいているので、
kはがばと跳ね起き、大急ぎにストーブを焚きつける。瓦斯(がす)で湯
を沸かして顔を洗った。夜着から仕事着に着替えた。
 牛乳と麺麭(パン)で朝食を食いかけていると、遅れた時間の申し訳か
のように、足音激しく呼吸(いき)切って、あわただしく扉を叩いたのは、
モデルのルイズである。
 -お入り。
 ルイズは手袋の片一方とって、-おはよう!ムッシュ今日はまた寒いわ。
 Kの手よりも大きい、握手する指先は凍っていた。
 -早くお暖(あた)り。
 彼女はすぐ外套(がいとう)を脱いで、椅子に腰を下ろして、勢いよく
燃え上がるストーブに寄って、猫のように腰を撫でたり、靴先を温めたり、
体中に暖かみを送り込んでいる。
 このルイズは、カフェー・ド・ロドンで一目見た時は今少し顔にも肉体
にも初々しいところがあると思って、すぐと話し合って雇ってみたが、帽
子を脱ぐとまず豊かでない癖のある髪が現れた。それから上衣を取り、下
袴を脱ぎ襦袢をとり、コルセット、パンタロンを剥ぐにしたがって肉付き
は骨っぽくって、若いところ女の張り切った林檎のツヤツヤした肉体がな
いだけでなく、みすぼらしかった。そして産後あまり長くない事を語って
いる。
 それでも雇ったのだし、また自然の元素はその者すべて完全であると言
う、写実からの立場から、いかなるモデルでも同一の美がある。なるだけ
このいい意味でモデルのいいところをそのまま見つけ、捕えようとして、
これで三枚目である。
 Kは朝飯(デジュネ)の半ばをこのモデルに分けてやる事になっている。
ルイズもそのつもりで朝飯をここで済ます事にしているらしい。
 朝飯が片付くと、一服するかしないかに写生の準備にかかる。九時から
十二時までを三つに分けて、一時間の中に十五分ずつ休ます事にしている
が、始めるのは大抵十時近い事が多い。姿勢は鏡を背景として裸のまま
髪を解いて梳(す)くっているところである。
 毎日一回はなんだか調子が纏まらないので姿勢を直したり、塗
ったり削ったりしているが、二回目からは調子づいて、大きな魂
も掴(つか)まえる様に脂が乗って来る
。そうすると今度はモデル
の方が段々疲れて、上げた手がだるくなる、体を支えた右の足が痺
(しび)れる。
姿勢は自由に動き出す。
 休み時間には未だ二十分も間があるが、ルイズのいかにも疲れたという
目と体の表現で、
 -休んでもいい。
 というと、彼女はほっと大きく息をついて、体を延ばし腕を撫でまわす。
そして外套を裸の上に引掛けてストーブに暖まっている。

 Kの無言でいる時は、彼女は活気でもつけるように、いつも唄を歌う、
きっとニースのカルナバル祭の唄を繰り返す。この歌は巴里のお祭りを偲
ぶに最もよかった。どことなく巴里の雰囲気さえ味わえた。そしてその歌
う時だけ彼女の顔にも輝くものがあった。
で、姿勢の疲れた時また絵の進行しない時は、Kから頼んで唄わす事もあ
る。感情が新たになっていいのだ。
 小鳥が天井の硝子板を飛び廻る、それから誘い出して、郊外がもう梅や
梨の花が綻(ほころ)びかけて春が窺(のぞ)きかけていることを語って、
郊外散歩を勧めるが、どうもルイズとお散歩するより独りの方が美しかっ
た。
このルイズにどこか可愛いところか、奇抜の処が潜んでいれば、巴里のお
別れに郊外で暖かいしめやかな初春の情緒を惜しんでもいいと思ったが、
どうもその感興は起こらなかった。
 それでも毎日写生だけは続けていた。またカルナバルの歌を唄う数は多
くなった。仮装した男が宵に女に会いに来る。歌の意味より、音律がいい。
Kにも歌う節を幾度も教えたが、半分も物にならなかった。
 何日であったか写生していると、戸をコトコト叩くものがある。またビ
ヤレットの奴が邪魔しに来たと思って、仏頂面で扉をそっと開けると、セ
ルビヤであった。
 悪い時に来たと思ったが、やさしく、
 -今は仕事しているから、午後に来ないか。
 と言うとセルビヤの方では、そんな事はお構いないと言う風に、ずんず
ん入った。
 -ボンジュール。
 と言いつつ頸に飛びついて接吻する。
 Kは身を擽(くすぐ)られるように覚えた。
 ルイズは冷ややかに笑っている。
 ルイズとも友達だと言って、安心したかと言う様に得意になって、その
まま寝床に腰かけて、唄ったり、飛び下りて菓子を探したりする。
 Kはそれでまた写生にかかっていたが、傍らから騒ぐので、
 -おい、少し静かにしないか。
 というと、
 彼女は口を嘴(くちばし)のように尖(とが)らして、両手をちょっと
驚いたと言う風に上げて、
 -今日はお前、愛らしくない。
 と言って、帽子を脱いで、床の上に寝た。
 今日の仕事は駄目だと思って、ルイズを返した。
 絵具箱をしまって、見ると、セルビヤは床の上に死んだ様に眠っている。
一年前見た時に比すれば、痩せて円いやや平板がちの顔の弛(たる)んだ
筋肉の上に、何とも言えぬ疲労の影がある。睫毛(まつげ)も薄くなって、
それをむやみと墨でぼかして、この頃の彼女の生活を思わすにかたくない、
もうモデルでも食えなくなって、公然女郎となった有様は目前に展開され
ている。
帽子もトックではなく、鳥の毛の逆立った帽子に、今年流行の東洋を模し
た荒い格子縞の服は所々、色が褪(あ)せ、それに隠してもよく見える短
靴の破れ、栗色の麻屑に似て、短く切った髪は乱れて、息は小鳥の衰えた
ほど細くかすかである。
 セルビヤ。と呼んだ。
 セルビヤは飛び起き、今恐い夢をみていたと下におりて、目を擦(こす
)りながら、
 -ムッシュ、お前はこれから妾のアミにならないか。
 とすぐにでもKが承諾する様に身構えて、目をKから離さなかった。
 Kはこの奴、食いつめて来たとすぐ分かったから、もう多寡(たか)を
括(くく)って。
 僕は近い中に日本に向かって出発するよ。
 セルビヤはちょっと驚いた身振りをして。
 -いつ立つの?
 ―来月末には立つよ。巴里ともお別れだし、君達ともお別れだよ。
 -今度いつ来る?
 もう来ないよ、巴里には毒虫がいるから。このセルビヤは、Kが自分に
惚れてでもいると思っているらしく。
 -それでは、その出発するまで妾とここで二人生活しないか、二人なら
安くて行けるよ、画はモデルに成るし、夜はここで寝るよ。-いいだろう。
 -俺はお前なぞに食わす金はないよ。それよりお前は奮(ふる)い愛人
(アミ)でも探して結婚するといい。
 妾は今恋人もなし、ほんの独りだ。だから二人でここに住まないか。
 このセルビヤは前から多少肺が悪かったが、この頃はかなりひどい様だ。
白粉(おしろい)と手垢で汚れたサックから、くしゃくしゃになった手巾
を出して、その先を引き出しては痰(たん)を拭いている。黄色い白粉を
出して、ポットで顔に叩(たた)きつける。
 どうかしてKの心を自分に惹きつける様に。
 -お前は覚えているか、初めてお前に会ったのはこの室だ。
 この室はKの友のいた室を画室に直した、画室と室との合いの子のよう
な室だ。光はただ天井だけしか射さない。Kは先月から前の大きな画室を
出てここに代ったのだ。
 -そうだった、あの時お前は伊太利の男と来ていたねえ、あれはどうし
た?
 ―あれは、戦いに出た。
 -米国の人は?
 ―あれは本国へ。
 -手紙はよこすか?
 ―一、二度限り、しかし妾は別に何とも思っていない。
 まだあの時は、身なりも良かったし、顔の表情にも生き生きとして、ち
ょっと誰でもよく魅(み)するものを持っていた。それと少女のごとき可
愛い声は今でも偲ばせていている。一二年でこんなに衰えるかと思ったが、
それには彼の放逸(ほういつ)の生活があった。
 -それよりか、この室で、寝床にいた、イボンあれはどうしたのだろう

 -イボン、イボンはもう狂人だ。
 リュクサンブール公園傍らの、瘋癲(ふうてん)病院にいるようだ。
 -お前は会った事があるか?
 -一度。
 病院に行く前、カフェー・デ・ロドンであった。人を見ては、そんな風
にと、目をギロギロさせて、
ゲラゲラ笑って。
 このイボンはモデルの中ではちょっと珍しい秀(ひい)でたものを持っ
ていた女であった。詳しくはわからないが、モデル達の話では生まれは白
耳義(ベルギー)であるが、多少獨乙(ドイツ)の血統も混じっていると
いう事だ。
女学校まで登ったが、男ができて子供まで上げた。それを棄ててパリに出
たのが最後、日々の放浪生活に馴(な)れるにしたがって、取り返しのつ
かぬ身となった。
戦争前は獨乙(ドイツ)人の経営していた新聞社に女記者をしていたが、
戦争開始とともに新聞は廃刊する。その後モデルの群れに投じた。その才
分と負けず嫌いの気質はいつとなくモデルの監督かのごとく幅を利かして
いた。よくKなぞのところに来て、ヴェルレーヌの詩と、ボードレールの
詩はこんなに感情が激したのと、寂しさとの違いだと身振りをしながら、
朗読したり、感奮(かんぷん)して、泣き倒れたこともあった。
 正月Kたちの会合のあった時は、男装したりまた、埃及(エジプト)風
俗をして夜通しタンゴを踊ったり、唄ったり、ひとりで波濤のごとく少し
も静まることがなかった。こんな時は彼女はきっと、コカインがアシーシ
を嗅いでいた。
 彼女の発狂はこの劇薬のためと言っていい。ベルギーが戦いに敗れると
共に、彼女の父母は行方不明となり、彼女の放浪生活は、定まった宿さえ
なかった。一週間はあちら、一日はこの友と、男や女の友の宿を廻ってい
たがあまり放逸なのでなるだけ人は彼女を敬遠する様になった。
 それでもこのイボンには姉弟以上の差のある少年隊の恋人がいた。その
話はあまりに長くなるので避けるが。
 いつかセルビヤと二人連れで来ていた時、一枚の写真を落としたので、
そっと拾てみると、ヘルメット型の軍帽姿の美少年の肖像であった。
 インボは恥ずかしそうにもせず、これは自分のアミだといって、サック
に入れた事がある。
 で彼女は一時の苦痛から楽しい現象を描く慰めから、一服の薬を嗅いで、
黄色の現実から、空想の境に誘われていた。それがだんだん講じてもう薬
の効き目がなくてはいても立ってもいられなくなった。
現在の苦痛、頭痛でさらに責められた、頭を水に浸したり、壁にぶつけた
りした。
 発狂する前あたりは、この寝床で一日、一夜すすり泣きをしていたがつ
いに瞳は灰白く冷笑するようになった。 
 しかしこのイボンは別としても、これと同種の彼ら多くの放浪者は、一
体どうなっていくものかKには判断できなかった。結婚の望みもなく、月
毎に移り変わる恋人の取替えは不安としか想えなかった。多くの彼らは案
外にのんきではあるのに驚かされる。
 巴里ではよく流れ込む、文人や詩人が客死しているが、巴里というとこ
ろは、生、死にいいのではないかとも考えてみた。ツルゲーネフが客死し、
オスカー・ワイルドが同じように死んでいるが、寂しい甘い悲壮の感じは
するが、酷(むご)たらしい気はしないとも想ってみた。 
 このセルビヤはイボンほど大胆ではないが、それでもコカインなぞ嗅い
で、ひとりでデカダンを気取っている、莫迦(ばか)のところと面白いと
ころがあった。
 セルビヤを知ったのはこの室で、その後一二度モデルとして使ったのが
そもそもセルビヤと友(アミ)となった始めである。
 いつかはムウドンの郊外の森に行って昼寝をしている中に、夕陽が地上
を隠れたのに驚いて、夜汽車で帰った事もあった。
 またいつかは、サン・ミッシェルの活動写真に行っていたら、ちょうど
終りのフィルムの時、獨乙(ドイツ)のツウェッペリンが巴里を攻撃に来
たので場内は騒ぐ、急いで外に出ると街路はことごとく電燈が消されて、
雨が時々パラパラしていた。真っ暗な道を寄り添い寄り添いリュクサンブ
ール公園側を抜けた。
 警戒のラッパは自動車でふき廻る。なんとなく惨澹(さんたん)とした
夜である。セルビヤは怖いと言って、Kの腕を痛いほど胸に抱いて、パパ
ンの通りに来ると、自分の宿の四階を覗いた。その室は彼女と彼の友が住
んでいるのだ。
 -ジャンジャンと大きな声で二三度呼んだが返事はなかった。扉や、窓
掛けから洩れる燈火もなかった。
 -いないのか・・・・。
 とセルビヤは言いつつ。
 -今夜はお前のところに行って泊まるが、いいでしょう。
 -いいが、あの通り小さい寝床しかないよ。
 そんなら夜明かししてもいいではないか、早く行ってストーブに暖まろ
う。寒いと、がたがた震えつつ、モンパルナスの停車場からプールバール
・パスチールの画室に辿った。
 真っ暗がりの画室を開けると、絵ノ具やテレピンの匂いが鼻をつく。手
探りで、マッチを探してランプに火を燈(とも)して、すぐとストーブを
燃やしにかかった。小さな焚き付けと新聞紙で火をつけて、上から少しず
つ石炭を投げ込むと、煙突が音立ててやがて火には石炭に燃えうつって、
二人の体はだんだん暖まってくる。
 東洋の緑茶に、砂糖入れるのはおかしい、と言うと、
 -砂糖なしで?
 とセルビヤは驚いた顔で、寝る前は砂糖は大変良いのだと言って、自分
の茶に砂糖入れて幾杯も飲んで、
 -もう寝よ、明日は昼まで眠ってもいい今夜はもう二時だ。
 
 一夜は明けた。東の一方は、スリガラスになっているのと、丈が高いの
で、明かりは早くから、室いっぱいに照らして熟睡もできなかった。Kは
とても眠っていられないのですぐと起きた。ストーブを第一に焚(た)き
つけると、後からやっとセルビヤは起き出て髪をとかすとすぐ牛乳と麺麭
(パン)を買いに行った。ほんの簡単の朝飯が進むと、セルビヤは帰ると
言うので、Kは別に止めなかった。むしろほっとした。清々した。
 でその日の仕事はお流れとなって、明日は是非仕事に朝来ると言ったの
に、そのまた翌日もこないで、速達が来た。
 簡単に、「私を許せ、私は大変病気で苦しんでいる明日は必ず行く。」
とあった。
 大変の病気で、明日来るとはおかしいものだ。
 Kは女の生活の状態や、恋人について聞いてもみず、詮索しようとも思
わない。それだけでなくkは心から愛を感じた外国人にはまだ出くわさな
い。それは彼の理智からでなく、彼の欲求より彼らの肉体は目で想像した
のより冷たい。kは心を沸かし燃やす女を待っているがついに記念とすべ
きものを見つからないのでまず好奇心くらいしか起こらなかった。まして
外国によくある嫉妬なぞは出なかった。で彼は画を描く以外に、女からい
つ来るといえば、いうままにまかしていた。来ると書いてよこした日の午
後になって、来た。その時はkの友人達もいたが、彼女は仕事の事なぞも
う眼中に置いていない。
 なぜ来なかったかと言うと、自分は宿料を払っていないので、昨日とう
とう追い出された。これから自分の田舎に帰るのだから汽車賃を貸さない
かというのである。この女の父は西班牙(スペイン)生まれで、母は仏蘭
西人である。牧畜を業としていたが戦いのため軍隊に買われて、大変損を
したのだと言っている。今はパリのあまり遠くは無い近郊にいるのだ。家
から幾度も勘当されたり、許されたりしていたが、今ではその郷里も裕(
ゆた)かでない事は分かっている。
  田舎から一度花が咲いて美しいから今度二人で来ないかとい手紙があっ
たきりセルビヤは見えなかった。
 そのうちkもパリの近郊で春を送る事になって、そこで二、三ヶ月も過
ごした。リラの花が食卓に飾られてある頃だ。セルビヤからなぜ手紙を送
ってくれないと言ってきたが、kには面白く思うままの手紙は書けなかっ
たので、そのままにして巴里に帰って来ると、もう夏になって暑かった。
若葉は老いて、緑深く、料理屋や、珈琲店のテラスは賑わって往来の人に
も白や水色の服装が夏らしかった。巴里から郊外に出ると、心が静まるが、
田舎からパリに帰ると、また蘇った情熱が沸く。夏は少し余裕のある人は
旅行準備にかかり季節である。大きな絵の具屋は戸を鎖(とざ)ざす時で
ある。
 Kは久しぶりに。〇君を訪うて、二人でリュクサンブール公園から、博
物館に入って芸術話などして、カフェー・リラでコーヒーを啜って帰ると、
自分の扉に手紙が挟んであった。それはだれが持って来たか書いたか分か
らないがマドモアゼル・セルビヤがこの画室続きの一室に病気をして寝て
いる、しかして大変「貴兄(あなた)」を頼みに思っているという意
味だった。しかしKはセルビヤには定まった恋人(アミ)もあるの
だし、自分とは愛人というほどの関係もないからそのままにして
おいた。

 その翌日下女代用の隣のマダムが来て、「貴兄(あなた)は何故セルビ
ヤを訪うてやらないのだと言う。あの手紙はあのマダムが書いたものと分
かった。なおマダムは多少興奮的にKに義務があるかのごとく言ったので、
Kは多少腹が立ったからそのままにした。
 すると、セルビヤから下女に手紙を持たせて、自分は病気で動くことが
できないから、来てくれないかと言ってよこした。
 でKは下女に連れられて彼の小さな部屋を訪ふてやった。
 向う側の三階の一番奥の空気の流通しそうもない陰気な室である。扉を
開けて入ると、まづ、セルビヤが青ざめてあまりに憔悴しているのに驚い
た。ロセッティの絵のように、生気もなく、ただ感覚のみが生きている。
夜具から出した手は温き同情にだけ飢えている。また彼女は病気に同情さ
すように毛布を剥いで見せたり、室の隅にある、血に穢れた、パンタロン
や襦袢を指した。
 kは警察からセルビヤの病状の探索に来た事を下女から聞いたので、大
抵推察できた。
 でKは、-お前の愛人はどうしたのだ?
 ―アミってあの米国人か。あれは度々来てくれるが今日はまだ飯も食わ
ないので心細い。
 と言っている。なんと言うみじめな生活であろう。
 セルビヤは枕の側から漫画雑誌を出して、自分の男がこれに投画してい
るのだと、中の一頁を示した。
 その翌日も朝下女が呼びに来る。その次の日も呼びに来る。いつかは、
久しくビフテキを食わないので食いたくてたまらないと言うので、Kは自
分で作ってやったこともあったがいつまでも世話もできなかった。
 下女やマダムたちは病気していても、彼女の恋人(あみ)は充分助けて
やらないからかわいそうだと言っていた。
 その後Kにもアミができたのでつい訪ふ事もしなかったし、セルビヤも
もう呼びにこなかった。
 いつであったか、夕方、モンパルナスの停車場の横手を通っていたら、
セルビヤの買い物して帰りがけに出逢った。Kは何気なく近づいて話しか
けると、
 -お前は良い恋人が出来ておめでとう。と言ってすたすたといった。
 その後多くのモデルや友達とで、カフェー・ヅ・ドームにいると、久し
ぶりにセルビヤが来た。その時はまた丈(せい)の大きな男と一緒にいた
がいたく肥えていた。外国人は死ぬほど衰えると思うても、またすぐ復活
するとKは思った。
 それから女郎になった話も聞いていたが半年くらい見なかったから、思
わずマガザン・ヅ・プランタンで会ったときは全くの女郎の姿であった。
そのときは前の事を忘れたかのごとくこれから珈琲店に遊びに行かないか
と誘ったが、展覧会に行くから、その中遊びにおいで、あのイボンのいた
室にいるとお世辞に言ったので、彼女は今日来たのである。

 セルビヤはKの腰かけている膝に乗って、なぜお前はアミにならないの
か、妾は嫌いなのかという。   
 Kは出発するから駄目だと断った。そして約束している、日本飯の会に
行かねばならんと思って、セルビヤに帰ると言うと、それでは金を二フラ
ンくれないかという。
 この二フランは女郎は殊(こと)に持っていないと、巡査に捕まったら
連れていかれて、仕事させられる、しかして二フランできたら、出してく
れるのが巴里の警察の一つの規則である。
二フラン請求するのはそのためであった。しかしこれで飯を食う金がない
から小さな料理屋に連れて行けと言ったが、いやだというと、それではお
前たちの日本飯の会に行く。お前の友人は大抵知っているからいいと言っ
たが、Kは応じなかった。こんなことをしてもつまらないと思って、そこ
まで一緒に出かけることにして、降り出した雨の中をKの蝙蝠傘(こうも
りがさ)の中に、セルビヤは身を縮(ちじ)めて、モンパルナスの通りに
来た。その間も何とかして料理屋に行くように誘ってみたが、Kが頑固に
聞かないので、彼女は多少軽蔑され屈辱されたと思ったか、
 旅行者が巴里で愛人を得る事は困難だ、殊に日本人、それにお前は妾の
言うことを少しも聞かない、悪い奴だと言って、持っていた傘を投げつけ
るようにKに渡して、振り向きもせず、雨の中を飛んで、カフェー・ヅ・
ナポリタンの方へ行った。

 トックノ女は、トックの女ではなくなった。






























 

















































 猫のいる自画像

 多くの人が思い浮かべる藤田の絵といえば、裸婦と並び、自画像でしょ
う。
おかっぱ頭に丸眼鏡、ちょび髭と金のピアスという個性的なスタイル。
傍らに愛猫を置き、アトリエで制作をしている姿の「おなじみの自画像」
です。版画や水彩画も含め、かなりの作品が残されていますが、数の多さ
は人気の高さを物語っています。自画像の制作が増えるのは1920年代
頃からで、それに伴って定番のモティーフも定まっていきました。そして、
世間の注目をさらに集めるきっかけになったのが、1927年に2件も続
いた公の買い上げです。リヨン美術館は《アトリエの自画像》(1926
年)を購入し、ルーヴル美術館の版画室は《自画像》1927年の銅版画
の原版を収蔵しました。特にルーヴル美術館の件は日本でも報じられたほ
どのニュースでした。
 2作品ともよく似た図で、版画はリヨン美術館の油彩画をクローズアッ
プして、一部を切り取ったような構図です。
 同じころに制作された《猫のいる自画像》は、その版画と同じ図柄で、
着色はリヨン美術館の作品によく似ています。紙と硯を前に、筆
手にしながら頬杖ついて、穏やかな表情でこちらを見る画家。
肩の後ろか
らはキジトラ模様の猫が、にゅっと首を伸ばして顔を
出す。片方の歯をち
らりとのぞかせる藤田お気に入りの表情です。
後ろの壁には裏向きに立
てかけられたキャンパス。全体が見えず
にわかりにくいが、キャンパスの
前に重ねられているのはデッサ
ン挟みです。キャンパスの枠の木目や、デ
ッサン挟みの表紙の模
様まで細かく描き込むところが藤田らしい。壁の
右には、女性の
横顔のデッサンが貼られています。紙の折り目まで表現
する丁寧
さで
す。アトリエ内のモティーフを細々と描いたリヨン美術館の
品より、すっきりした印象で、ピアスや筆の柄。猫の眼などに
用いられた
金色が効果的に際立っています。
 さらに、もう少し踏み込んでみて見ますと、アトリエで制作中
の姿で描
くこと、頬杖をついて思索にふけるポーズなど、西洋の
自画像の伝統を
っかりとくんでいることが分かります。その一
方で硯と墨、そして面相
を描き込み、日本的な制作法を強調し
ていることにも気づきます。面
相筆を持つ姿の自画像描き始めた
のは1917年頃ですが、硯なども加
えて日本的な面をさらに強
く押し出すようになるのは、ちょうど乳白色の
下地に墨色の線で
描くスタイルを確立したころでした。つまり、サロンで
「乳白
の裸婦《藤田 嗣治展を鑑賞してきました。(Ⅰ)》に掲載」と
並べて、その創作の裏舞台を公開するような自画像を発表するこ
とで、日
本的な技法に支えられた自分のスタイルをアピ-ルする
作戦だと思われま
す。よくいわれるように、実際には、イーゼル
にキャンパスを立てて洋筆で制
作することも多く、自己演出的な
面も過分にあったようです。

                                猫のいる自画像
CIMG0230
































 それに加えて、こうした自画像は、東洋的な容貌と個性的なファッション
でも人目を引き、人々に奇抜な姿の「画家、藤田 嗣治」のイメージを、
人気キャラクターのように強く印象づけたのです。事実、この頃は相当な
有名人になっていて、店のショーウインドウにかれそっくりの蝋人形が飾
られたほどだったといわれています。1929年に描かれた《自画像A》は、
筆を上げたポーズを左側からとらえ、その表情はさらに自信が増している
ように見えますが、モティーフで日本的な面をアピールする手法は同じで
す。細部描写もさらに徹底され、すったばかりの墨、筆の柄の竹の質感ま
で神経が注がれ、壁の額に金箔を貼って仕上げる手法も手が込んでいます。
サインを壁の絵の中に入れたのも一興でありましょう。

            自画像(A)
CIMG0232
































ややあっさりと仕上げられていた《猫のいる自画像》に対して、所狭しと
モティーフが描き込まれていますが、赤などポイントとなる色をバランス
よく配置することで全体をまとめています。これとほぼ同じ姿で描いた自
画像は、一回り大きいサイズで、アトリエ内をより広くとらえた構図です。
猫の位置や壁のデッサンが違っていたり、机上のモティーフが増えていた
りと、細部には違いはありますが、おおよその構成は変わりません。


             自画像(B)
CIMG0234

































 順序は不明ですが、2点は続けて描かれたのではないでしょうか。藤田
は1枚の下絵を写して、複数の作品を仕上げることがありますが、自画像
(A)の人物だけを描いた下絵(1929年、東京近代美術館)は自画像(
B)とは細部が重ならないため、下絵の段階からもう一度描き直したよ
うです。ともかく、両者ともに細部まで充実した力作といえるでしょう。

 ところで、この3作品も含め定番の自画像に共通してして描かれている
のが、猫と壁にかかる女性像です。壁の絵のモデルはユキであるといわれ、
藤田、妻、愛猫という家族の肖像にもなっているという指摘も興味深いも
のがあります。確かに、その後もマドレーヌ・君代と伴侶が変わるごとに、
壁の女性像も変わっている。一方、絵を求める側からすれば、お決まりの
スタイルの画家自身の姿に加えて、女性像と猫という人気画題を、ひとつ
の絵の中に納めたお得感のある商品だったともいえるでしょう。こうした
分かりやすさもあり自画像の人気はさらに高まっていったといえます。
 人気の商品でもあった自画像ですが、意外にも、サロンなどの展覧会へ
 の出品は、裸婦などに比べると多くありません。そんな中で自画像(A
)は1929年の一時帰国の際に日本へ持ち帰り、帝展に出品されたもの
です。
17年ぶりの故郷への華やかな凱旋帰国は世間の大きな注目を集めました
が、美術界の評価は分かれた、藤田がパリの美術界で格闘する中で生み出
した、西洋の伝統と日本的な技法を融合した絵画を、日本で理解するのは
難しいということが根本的な理由でしょう。
しかしもっと単純に、パリでの彼の評価は、奇抜な外見や「日本」を売
りにしただけの軽薄で売名的な人気だという批判も多かったので
す。自画像がそうした空気
を煽る一端となったことは想像に難くあり
ません。
パリでは巧妙な作戦によって彼の成功を支え、一方、日本では同じ理由で
強い反感を買うことになった。藤田の自画像。フランスと日本、西と東を
結ぶことを願いながら、二つの文化に引き裂かれる苦しみも味わった藤田
の画業を象徴する一面を持っているといえるでしょう。

 2018年7月23日(月曜日)

 今年一番の暑さになりそうです。八王子は正午現在で39℃を記録した
と伝えています。ここ府中市は八王子に近いせいもあって、都心よりも気
温が上がっていて、37.4℃ですが、まだもう少し上がって来そうです。
まったくこれでは酷暑以上の天候です。

 先日新聞で、今月31日から東京都美術館にて「藤田嗣治回顧展」が始
まるという記事を以前に目にしていましたので、新聞を引っ張り出して、
再度詳しく読んでみました。

 1992年代のパリで、裸婦像が高い評価を得た藤田嗣治その最大規模
の回顧展が31日から東京・上野の東京都美術館で開かれる。という見出
しから始まっています

 ポンピドゥー・センター蔵の油彩画「カフェ」は藤田の代表作の一つ。
パリのカフェでほおづえをつく女性の背景には、「マドレーヌ」の文字が
描かれた看板が見える。36年に日本で客死した、藤田の4人目のパート
ナー、マドレーヌ・ルクーと同じ名だ。
 藤田は太平洋戦争中に作戦記録画を制作したことが論議を呼ぶ中、49
年に日本を去った。滞在先のニューヨークで描いたのが、この「カフェ」
だ。女性の物憂い表情に昔日のパリを想う藤田の心情が読み取れる。実は
「カフェ」と題する作品は、同様の構図でほかに6点存在する。別の絵で
は背景の看板に、藤田と共に洗礼を受けた最後の妻、君代の洗礼名「クレ
ール」の文字がある。

     「カフェ」 ポンピドゥー・センター蔵
CIMG0308
































 藤田は最初の妻、鴇田(ときた)とみをはじめ、フェルナンド・バレー
、リュシー・バドゥー(愛称ユキ、マドレーヌ、君代と、生涯を通して5
人の女性と暮らした。
 本展ではポンピドゥー・センター蔵の「カフェ」と、その下絵である素
描(熊本県立美術館像)が、約70年ぶりに並ぶほか、ユキを中央に配した
乳白色の裸婦像「舞踏会の前」が出展される。藤田のインスピレーション
の源となった女性たちに思いをはせたい。

       「舞踏会の前」 大原美術館蔵
CIMG0310























                  五人の裸婦  東京国立近代美術館蔵
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     エミリークレイン=シャドボーンの肖像
                 シカゴ美術館蔵
CIMG0323

















      二人の少女 プティ・パレ美術館
CIMG0324

































       争闘(猫)   東京国立近代美術館蔵
CIMG0325





















       町芸人 平野政吉美術財団象
CIMG0326

















 三年(トランザンネ)の展覧会

 コンコルドの上に「三年(トランザンネ)」の恤兵(じゅつへい)展覧
会があった。戦争で出品しなかった作品などを集めたのである。
 二階には織物、窓掛け等の美術工芸品もあるが、多くは絵画で僅かの彫
刻を混じっていた。そして大抵お定まりのマチス。ゲランド、ドニー、ド
ガ、シニャック、マルタン、ボナール、マルケー、メーナール、ロダンで
ある。
 中ではマチスの『金魚』が好いと思った。またシャルル・ゲランの作が
二枚ある。一枚は『音楽会』一枚は『黄色の首飾り』である。シャルル・
ゲラン氏についてある人はセザンヌを古典派とすれば、ゲラン氏はブルタ
ニークと言っている。ゲラン氏の作品にセザンヌの感化があるのは勿論で
ある。しかしゲラン氏はセザンヌに待避する程まだ立派の作家とは思われ
ない。
サロンド・ドートンヌに出品する人達の中で悪い方ではない事は確かだ。
堅くってぽきぽきした氏の技巧は豊かではない。ここにある『黄色の首飾
り』でも『音楽会』でもこんな感じである。が、面の見方や、デッサンを
確かめた点に理知的の点がある。熱情は乏しいが、冷たくはない。多くの
現代の堕作中でちょっと目を惹く作家だ。
 モーリスト・ドニーはゲラン氏よりはいいが『神聖なる心』と言って十
字架のキリストの胸にマリヤだろう、頭を寄せている。そしてキリストの
胸に『心(ハート』が黄色に描かれているなぞかなり抽象的の絵だ。彼は
画の構成に論理的のところがあり、色調に巧みがある。この頃は段々それ
が装飾的になり過ぎて、つくりものの感じがする。
またマルタンはほんの写生を図案的にした甘いものだ、マルタン中ではソ
ルボンヌ大学の二面の壁画が一番よく見える、永遠性をもっているところ
がある。
 ピエール・ルノワールはまるで、オーギュト・ルノワールの模倣(もほ
う)でいて拙だったがあまりにルノワールに似ているので目についた。
 また僕には、メナール、ボンナ等の作はどうしても賛同する事が出来な
い。

















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