立川市歴史民俗資料館の手引きから

 養蚕と桑苗
  
 江戸時代の中頃から養蚕技術は急速に発達し、明治時代には生糸が
対外輸出品の上位を占めるようになりました。

 養蚕農家は、少しでも繭を多く生産するため、いろいろと知恵を絞りま
した。
 良質な桑の葉を求めたのもその一例でした。
 桑の葉の質は蚕の生育に大きく左右し、良い桑の葉は蚕の食いつきも
良く、繭も多く収穫できました。

 砂川の桑苗

 多摩地域は、かって、桑苗の一大産地でした。
 なかでも、砂川村は大正時代には桑苗の生産量が全国一だったことも
あり、桑苗の特産地として特に有名でした。
 江戸時代の享保年間(1716~1736)には、すでに桑の産地として知ら
れており、早くから桑苗の生産がおこなわれていたことが分かります。


 一般に、養蚕には「葉が大きく肉厚な桑がよい」とされています。
このような桑は、蚕の食いつきが良いだけではなく、給桑(蚕に桑を与
えること)作業も楽になるため、養蚕農家にとっても有利でした。
 桑苗の生産が盛んに行われていた砂川村では江戸時代のころは「白庄
土」 「丸葉十文字」などの品種が既にあったと伝えられています。

 幕末・明治時代に接木による生産が確立されると、生産技術が簡略化
し、大量生産が可能となりました。接木法は品種改良にも適しており、毎
年のように新しい品種が生み出されました。

 桑の葉の名称は上段より

      白庄土     島の内    剣持 
    
      丸葉十文字  伊太利    魯桑    

      白春日     甘楽桑    六郎高助  

      富栄桑     福島大葉   市平  

      紫早生     一の瀬    御所撰

                                           桑の種類

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                 桑を刈る道具

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                桑の葉を運ぶ籠等

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                   秤

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                養蚕道具

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            ヒラツケ・サンザシ・タケゴノメ

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  養蚕は江戸時代末期から昭和初期にかけて、立川、砂川、西地区の農
業の中心を占めていました。

 砂川では、万延元年(1860年)に蚕の神様の「高影神社」が祀られており、
当時養蚕がこの地方で盛んに行われていたことが分かります。

 養蚕がおこなわれる春から秋まで農家の生活は蚕を中心に営まれました。
 母屋も「蚕室造り」と呼ばれるものに改造されました。
 繭玉など養蚕に関連した年中行事も多い。

 しかし現在は、砂川のわずかの農家で行われているにす過ぎません。

             蚕に桑の葉を与える作業

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  機織りは女の仕事であり農家の副業として行われました。
 砂川では、江戸時代末期から「砂川太織り」が織らていました。
 明治になると、村山地方の「村山かすり」の影響を受け、生産の中心は
砂川太織りから村山かすりに移っていきました。

 道具も改良され、機織りはますます盛んになりました。明治22年の砂
川村の調査によると当時の村の農家の85%にあたる500戸で機織りが
行われていました。

                                               機 織 り  姫

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                 機織り器

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                  糸  車

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              イトヒキ     イトアゲ

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                   繭

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