atusisugoiのblog

カテゴリ: 古墳を訪ねて

 JR西府駅の裏口です。

  この駅に入るのは今回が初めてでした。

 シンプルなデザインを施したきれいな駅です。

 この駅の向こう側(表玄関)はNECの会社がありますので、通勤や退社
時はかなりの人でにぎわうと思います。

           
               西府駅裏口

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 向こう正面に見える建物が、ホームセンターです。
 ホームセンターの駐車場に車を止めて後は歩いて西府駅の裏口から2
階に上がりました。
 
 この階から表に出るとすぐ目の前にコンビニエンスがあり、その脇に「御
嶽塚」があります。


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 府中市指定文化財(史蹟)御嶽塚の説明文によりますと

 御嶽塚は、もともとは古墳時代に築造された古墳で、直径25mの墳丘と
その周囲に幅7mの溝がめぐる円墳でした。

 その後、中世になると屋敷を壕で囲む約200m四方の区画の中心に位
置することとなり、さらに、江戸時代には信仰の対象として祀られることにな
ったと考えられます。

 
                御 嶽 塚

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 現在、塚上に祀られている石祠には「御嶽大権現 安政五午年 十一月
吉日 小野宮願主 内藤 伊助」の銘があります。

 御嶽信仰は、山岳信仰のひとつで、中世以降さかんになり、江戸時代に
各地に広がりました。

 小野宮は、現在の住吉町三丁目に所在する小野神社周辺の集落で、本
宿村に属していました。

 西府文化センター周辺では、御嶽塚の他にも、古墳時代後期の6~7世
紀初めころに築かれた13基の古墳が確認されています。

 墳丘に配された円筒埴輪や石室に納められた圭(ケイ)頭太刀、金銅製
の耳飾りなどが出土しています。
 これらの古墳は、この塚の名にちなんで御嶽塚古墳と呼ばれています。
 その範囲は、東側の鎌倉街道から西側の国立市境付近にまでおよんで
います。

                   石祠

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 この御嶽塚の右奥に西府文化センターがあります。

                                                 御 嶽 塚

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                        御嶽塚古墳群から出土した太刀と円筒埴輪

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 出展の準備をしていると、外から「金木犀」の甘い香りが入ってきて
秋の深まりを感じさせます。
 花は名前の通りで24金のような鈍い黄金色をしています。
 この樹木は中国が原産で世界各地で植栽されています。
また白い花を咲かせる「銀木犀」と云う種類もありますが、白はあまり
見かけないようです。
 白のほうが香りが弱いからかもしれません。

 秋とはいうものの、日中は29℃近くにもなり、夜との気温差が極端に
なってきていますので、体調管理として服装とか夜具で対応しなくては
なりません。

 家内が美容室へ行くというので、車で送って行きましたが、そのまま
帰宅するのももったいないので、八雲神社の境内に天王塚古墳が有る
と聞きましたので行ってきました。
 高倉古墳群の一つだそうですが、まだ発掘調査が行われていない状
態です。
          
               天王塚古墳(左側面から撮影)
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                       境内の奥にある 天王塚古墳 (正面から撮影)                                      
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                            天王塚古墳(道路側から撮影)
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 墳丘の頂上には大きな樹木が生えていて盗掘されないように頑張ってい
るかのように見えました。
 まさに神木といえます。

 発掘調査が行われるとすれば新たな発見があるかもしれませんので、秘
かにその日が来るのを期待しているところです。
 周りが住宅地であり狭い場所に天王古墳があるため困難な課題がある
と思われます。

 
  天王塚古墳が高倉古墳群のひとつであるということですので、マップを見
ながらそこへ行ってみることにしました。
 ここから割りと近いところにあって、小高い地形には高級住宅街の家々が
この古墳を取り巻くように林立していました。

 説明表示板によりますと

 府中の崖線(太古の多摩川がまだ海だった頃にこの付近まで水があった
のですが、今は水が引いて崖のようになっている地形のことだと思っていま
す)の斜面に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり
 これらは高倉古墳群と呼ばれています。

 このうち墳丘が残っているものが4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中
心に位置しています。
 
 古来より「高倉塚」と呼ばれ象徴的な存在だったことから中世以降には信仰
の対象として保存されてきました。

 これまでの発掘調査で、墳丘構築工法が判明し、墳丘下層から6世紀前半と
される土師器坏(はじきつき)が出土するなどの学術成果があり、高倉古墳群
を研究する上で貴重な資料となっています。

 なお、付近の古墳群からは、土器・直刀・鉄鏃・玉類が出土し、昭和の初めこ
ろに出土した銀象嵌太刀を含む大刀5振は、平成6年2月に市の文化財に指定
されています。
 
 国内でも数例しかない上円下方墳の武蔵府中熊野神社古墳など、是非この
周辺の古墳を散策してみてください。

                 高倉古墳の表示
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                                 高倉古墳 (墳丘を見上げた状態)

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          高倉古墳(墳丘頂上からから見下ろした状態)

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 武蔵府中熊野神社古墳は、この高倉古墳の3倍はあったと思いますが、
 その境内には古墳の石室の中をリアルに再現した展示館が設置されてい
て、係の人が中に一緒に入ってくれ、親切に説明をしていただけます。
 必見の価値があると思います。

 府中市の西府町に古墳があるという情報を得て、古い時代のお墓
ですから一人でも多くの人に知ってもらえれば光が当たるような気が
しますと同時に、供養にもなるのではと考え出かけました。

 甲州街道を新宿方面に向かうと小さなあまり目立たない西府橋が
あり、それを渡れば左手にサイゼリアという外食のチェーン店があり
ます。
 この辺りから一つ目の信号を左折して、少し走ると右手に、石を無
数に張り付けた鏡餅のような円形状になっている、大きな遺跡が眼に入
りました。

 バス停の手前に駐車場があり、ここに車を止めて、「武蔵府中熊野
神社古墳」を見てきました。

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  圧倒されそうでしかもダイナミックなドーム型の古墳に感動しました。

   以下、説明掲示板に基づいて記述します


 7世紀の中頃の飛鳥時代に築造された、上が丸く下が四角い上円下方古
墳です。
  
 古代の中国では、天はドームのような半球型で、大地は四角いものと信じ
られていたといいます。
 この考えを「天円地方」といいますが、このような宇宙観や思想を背景とし
て築造されたと考えられています。
 
 古墳の中心線は、真北より約7°西に向いているそうです。
 古墳の築造に当たって方角がいかに重要だったかが窺えます。

        古墳の北の方角に熊野神社の本殿を挟むようにして
        古墳裏の正面に鳥居があります。

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 墳丘の規模は、3段目の上円部の直径が16m、2段目の下方部の1辺が
23m、1段目の下方部は1辺が32mです。

 墳丘の高さは、3段目の墳頂で6mあります。
 墳丘全体の中心は、石室の一番奥の部屋(玄室)の中心に合わせるよう
に設計されていました。

 武蔵府中熊の神社古墳が、全国でも類例の少ない上円下方という墳形の
古墳であることや、副葬品の質の高さから、その被葬者はおそらく東国の有
力者であったと考えられます。
 残念ながらその人物名は、当時の文献や記録、古墳出土品に名前を記し
たものがないためわかりません。

 出土品は、石室の中で見つかった鞘尻金具(刃の鞘の末端に付ける金
物)は鉄製の地金に銀で模様が付けられています。
 
 この文様の中には円文(〇)で構成される「七曜文」があります。
 「七曜文」は同じ頃に国産初の貨幣「富本銭」に見られるだけでこのほか
に出土品としては、国内外にはまったく見られないものです。

 「七曜文」もまた、古代の中国の思想を表したもので、当時の日本では最
新文化として取り入れられたものと考えられます。

 陰陽五行思想の木、火、土、金、水、と日(陽)、月(陰)の七曜(星)を表
した古代中国の考えを基に考案された文様。
 
       武蔵府中熊野神社古墳の正面(石室入り口側)
 
                    ※ 必見の価値があります。

 
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          古墳の形状寸法(断面図)の説明
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                 葺石出土状況
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                   玄室入口
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                  玄室内部

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            武蔵府中熊野神社
            甲州街道沿いに大きな正面の
            鳥居があります。
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     カラスがのどを潤していました。暑いのでしょう口を大きく
     開けて一息ついていました。

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       「すさのおのみこと」を祭神としている神社(石碑文)
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            府中市指定文化財 「熊の神社本殿」
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 熊野神社とこの古墳との関連性はあまりなく、独立したものだと思います。

  飛鳥時代と言いますと、聖徳太子がすぐに頭に浮かびます。
 いくつかの書物には聖徳太子が渡来人であり、超能力を持ち合わせた
人物であるかのように書いてありました。
  また、法隆寺の設計を行なったとも云われています。

 「柿食えば 鐘がなるなる法隆寺」を口ずさんでいます。

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