大國魂神社前の旧甲州街道を西のほうへ向かって歩きますと、左手
に高安寺があります。

 そのまま進みますと京王線の踏み切りにでますので構わずそれを渡
ります。
 一つ目の交差点の右手前にはスーパーがありますから、この交差点
を左折しますと、陣街道になります。

 陣街道とは、中世に軍勢が陣立てして往来したことに由来します。
 昔、この道は、鎌倉と北関東を結ぶ主要道路でした。

 陣街道に入り10分くらい歩きますと、右手に淺間神社があります。

                                               淺間神社


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  淺間神社の鳥居の手前に屋敷分という石碑が建立してあります。

 説明碑文には

 屋敷分は現在の美好町一丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の一部
があった村落です。

 幕末の地誌には民戸、六千戸、往還(甲州街道)の左右に並居る((新編
武蔵風土記稿」)とありますが、これは甲州街道の開設(慶安頃=1648-
52)に伴い、移動したもので、もとはかなり南側のほうにあったといわれて
います。

 屋敷分村には「荒宿」という少名が記録されていますが、これは本宿に対
する新宿のことで、古い甲州街道の宿場に関係があるようです。

 地名の起こりは、国府時代の国衙の在庁官人で、その後、六所宮の社家
(神官)となった、鹿島田、佐野、中善寺氏等の屋敷があったことによるそう
です。

               屋敷分の説明碑

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 石碑に銅板が埋め込まれています「明治初期の当周辺の地名(字名)」

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        石碑に銅板が埋め込まれています「明治初期の村の風景」

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 屋敷分の脇には、「屋敷分の夷申塔」という石碑もありました。

 碑文には

 暦で六十日ごとに回ってくる夷申の日の晩に村中の人が集まり夜更かし
をする習俗が、かってありました。

 人の体に三戸という虫がいて、眠ったすきにこの虫が体を抜け出し、天
命に人の罪を告げてしまうので寝ないで夜を明かすのです。

 この「夷申待」という行事は、中国から伝わってきたもので、江戸時代に
は、民間信仰として広まり、その供養のための夷申塔が数多く造龍立され
ました。       

 みな村内安全や、五穀豊穣を祈ったものです。
 
 この夷申塔は、屋敷分村(現 府中市美好町三丁目)の人たちが延宝二
年(1674年)二月に立てました。

 市内で最も古い夷申塔で、本尊の青面金剛像と三猿が彫られています。

 昭和46年に府中市立郷土館、昭和62年には府中市郷土の森博物館に
移され、数多くの人々に親しまれてきましたが、平成13年五月に淺間神社
が整備されるにおよび、この場所に戻されました。

                                  「 屋敷分の夷申塔」説明碑文
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 「屋敷分の夷申塔」自体は後日またこの地へ行って撮影をしてくる予定
です。(撮影をしてきました)
 
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                       夷申塔   (撮影をしてきましたをしてきました)

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 車でよく通る道ですが、歴史を勉強してみると、わからないことが理解でき
た喜びに浸っています。

 
            小生が描いた最新版の水彩画です。


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