高安寺の前の旧甲州街道を少し下った所に、鹿島坂という表示碑があり
ました。

 石碑にはステンレスの板が埋め込まれていて、このように書いてあります。

 鹿島坂
 
 坂の名は、大國魂神社の例大祭に深い係わりのある人名に由来するとい
われます。



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 五月の例大祭に「国造代奉幣式」という古式あります。

 これは国造代(奉幣使)が、神馬に乗って坪の宮におも向き、御輿渡御の
完了を告げたあと、鹿島坂を登り、甲州街道を東上、御旅所へ参向して奉幣
を行うというものです。

 この式を、古く社家の鹿島田家がその役目を担っていたため、この坂を「鹿
島田坂」と呼び、後に、名前の一部をとって、「鹿島坂」となったようです。

 写真でこの鹿島坂を下ったところ辺りに坪の宮の社があると思います。
 今度また行ってみようと考えています。


                                        鹿 島 坂

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 この説明文で、「坪の宮」という社が出てきますが、重複しましても少し説明
する必要があると思います。

 大化の改新のころ、中央から国司と呼ばれる地方長官が武蔵国府に派遣
され、国司の下で国を統治していました。

 その国司が祭られているのが、坪の宮で、本町三丁目付近の下河原緑道
に面したところにあります。

 坪の宮は、五月五日にくらやみ祭りが行われた際、御霊宮神輿が大國魂
神社を出発した後に、国造代(奉幣使)が神馬に乗り坪の宮に参向して、御
輿渡御の完了を告げたあと、御旅所(祭礼の時、神輿を一時奉安するかり
のたてもの)にいたり、各神輿に奉幣(神前にぬさを奉る)式を行います。


 ついでに大國魂神社例大祭(くらやみ祭)について、市のホームページより
抜粋します。

 昔は武蔵国府と呼ばれた「くらやみ祭」
 六張の太鼓と八基の神輿がその勇壮さを競い合います。

 府中市は古代に武蔵国の国府がおかれた町ですが、大國魂神社の例大
祭は、その国府祭に由来するといわれる伝統のある祭礼です。

 この例大祭は4月30日の潮盛に始まり、5月5日のみこし渡御を経て、6日
のみこし還御に至る神事の総称です。

 かって5日のみこし渡御は、深夜、街の明かりをすべて消した暗闇の中で行
われたため、「くらやみ祭」と呼ばれ、親しまれています。

 この祭りは、かっておびただしい数の提灯が所狭しと建てられたことから「ち
ょうちん祭」、また、御本社神輿と御霊宮神輿が本殿から出発して御旅所で出
会うことから「出会い祭」などとも呼ばれています。


 随分前に読んだ小説に、昔はこのくらやみ祭りにの日には、男女が出会い睦
みあったと書かれていました。
 小説ですから作者の想像であったかもしれませんが。



 今日の午後で生涯学習センターでの水彩画「Nの会」の展示会が終了しま
す。
 本日は、Y・Mさんの作品を紹介させていただきます。

                                                   上高地

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                    噴  水

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                 静物(秋)

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 それでは小生のスケッチ画(生涯学習センターの側にある公園にて)
を添付させていただきます。
 
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