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カテゴリ: 道しるべ

現在にも通じる、歴史の裏での政治的な情報交換が伺えます。

三田氏宗が丹三郎村と野口助五郎へ宛てた書状。

丹三郎村に年貢3貫文を野口助五郎へ納入するように命じている。
また、助五郎には親の所領を継ぐまでの間、代わりの所領として丹三
郎村の年貢4貫文を与えることを伝えている。
 氏宗が丹三郎を支配下においていたことが確認できる資料。

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 三田政定が天寧時(青梅市根ケ布)へ奉納した銅鐘。

 このは銅鐘は「平氏朝臣将門之後胤三田弾正忠政定」と刻まれてお
り、三田氏が平将門の末裔を自称していたことがわかる。
天寧寺は文亀年間(1501~1504)に三田氏が甲斐国(山梨県)より
武田氏一族の一華文英和尚を招いて創建されたと伝わっている。

     三田政定が天寧時(青梅市根ケ布)へ奉納した銅鐘。
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  三田政定・綱定父子が潮船観音寺(青梅市塩船)の木造金剛力士像(仁王
像)を修理した際に作られた木札。

 塩船観音寺の金剛力士像は寿永3年(1184)に運慶によって作られたと伝
えられており、東京都の有形文化財に指定されている。
また、像が安置されている仁王門(山門)は室町時代後期の建造物で、国の
重要文化財に指定されている。

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定衡が原島新三郎へ宛てた書状。

 三田氏滅亡直前に出されたもので、丹三郎の屋敷分として400貫文を安
堵することを伝えている。
定衡は苗字が不明だが、三田氏の一族または重臣であると考えられてい
る。

          定衡が原島新三郎へ宛てた書状。  
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 原新左右衛門へあてられた書状だが、花押のみであるため、書状を出した
人物は不明。
文書の体裁から三田氏当主ではないかと推測されており、三田政定や三田
綱秀である可能性もある。
内容は古丹波の丹三郎(奥多摩町)にある所領の安堵に関することなどが
書かれている。
      
       原新左右衛門へあてられた書状CIMG0057


















































鎌ヶ谷大仏の前の道路を挟み向かいの段丘に八幡神社があります。

                八幡神社鳥居

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                  八幡神社本殿

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 この境内に「青面金剛王碑」がありました。 
 
 碑文には、青面金剛王碑は庚神様、道祖神と同じく猿田彦命を祀る神仏
混浠の時代、仏教では猿田彦命を帝釈天・青面金剛と唱え尊崇供養したの
でこの名称がある。
 
 この神は村落の四辻に立って道行く人・馬・車の安全を守り、村落に立
入らんすべての不幸・災難・病厄を塞ぎ御内安全と各家平安・住人安堵の
御威徳を有し、庶民の厚い信仰を享けられた。

 この碑は第151代光格天皇の御代(今より180余年前)の寛政文化年
間に造営されたもので、元当地村落発祥と縁のある旧家清田源内氏の持
地の十字路(現・大仏交差点)にあったが、清田源内の所有地は終戦後、
農地改革指命により、外地引揚者が入植開墾、農地を造成し、亦貸付農
地も悉く解放され、その影響を受け、碑の敷地周辺の土地も定住せる人々
に分離譲与された。

 大込高山坊(現・船橋市咲ケ丘)に土地を有した、御代川利平氏は高塚
を崩され路傍に引卸され無惨に分散横たわる此の碑を見て恐愕、厚く奉じ
祭らんと、己が屋敷に移築したが顧みれば郷土の宝とも謂うべき歴史的価
値のある貴重な文化財、先祖の遺品を私有地に私祭するは憚りありと、氏
子礼拝に便なる地(八幡神社)に奉還したき旨、関係者より申し出あり。

 宮司は役員会に諮り我が産土の境内こそ相応の地なり、即ちに遷御の祭
典を修し、恭しく移築、先人が朝夕此の碑に郷土の平安と子孫の繁栄を祈り
続けた真心をも籠めて奉斉し、併せて今上天皇御即位六十一周年慶事奉祝
の記念事業として永く後世に伝えることとした。

              青面金剛王碑

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               碑      文

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