千葉の孫達の家を昼前に出て成田山新勝寺まで電車を利用して向か
いました。

 成田在住の友と船橋在住の友三人で成田山駅で予定通りに会うこ
とができました。
 新年のあいさつを笑顔で交わせたことが何よりの幸せでした。

 早速、たくさんの人出で賑わう参道をゆっくりと歩きながら、人の流れに
乗るようにして新勝寺を目指します。


             ひしめき合うような参道

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              老舗旅館「大国屋」が見えます。

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          参道の商店街から山門が見えてきました

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 急傾斜の石段を上がります。

              「成田山新勝寺山門」

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 お正月三ケ日の成田山新勝寺本殿前は幅12列くらいで人々が参詣を
待つ状態ですが、当日は並ばなくても参拝ができました。


               「新勝寺本殿」

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               「境内のお店」

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                「参道のお店」

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                「参道のお店」 

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 成田在住の友達がここの鰻屋さんの鰻は大変おいしいのだといいます
ので以前、この店の中に入って食べたことがあります。

 噂にたがわずおいしかったので何年か前に広島から娘と孫たちが千葉の
家に遊びに来た時に、ここで鰻を御馳走をしようと張り切って来たのですが、
年末の30日だったか31日でしたのでガラス越しに鰻をさばいている様子と
か焼いている様子が見えるだけで、お店が開いていなかったのを思い出し
ました。
 大晦日から正月にそなえての仕込中だったようです。

 仕方なく7人は近くの他の店の2階で鰻重を食べたのを懐かしんでいます。

       「娘と孫たちでわざわざこの店を目当てに来た鰻屋さん」

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               「鰻のかば焼き」

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 参道の成田駅に割と近い場所に「三橋鷹女の像」がありました。

 説明文によりますと

 女流俳人鷹女は、明治32年(1899)に成田町成田(現在の成田市田
町)で父三橋重郎兵衛・母みつの三女として生まれました。
 本名は「たか」です。
 
 成田幼稚園、成田小学校を経て、成田高等女学校(現在の成田高等学
校)を卒業しました。

 大正5年(1916)に上京、同11年(1922)に歯科医師の東謙三(号剣
三)と婚姻し、夫と共に俳句にいそしみました。

 初めは「鹿火屋」、次に「鶏頭陣」などに属しましたが、のちには永く結社
に拠らず、独自の句境を築きました。

 ・ 夏痩せて 嫌いなものは 嫌いなり

 ・ 白露や死んでゆく日も帯締めて

 ・ 口中一顆の雹を啄み火の鳥や

 等の句はよく知られています。 

 昭和47年(1972)73歳で永眠しましたが、生家に近い田町の、通称
白髪毛にある三橋家の墓所に葬られました。

 ・ 千の虫鳴く一匹の狂ひ鳴き(遺作)


             「三橋鷹女の像」 

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 駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで帰路に着きました。

 特別な話といえば、会社時代に事務をしていた方が、去年11月に亡くな
った話くらいでした。

 感慨深げにしていた成田の友はこの人の隠れファンの一人でした。