家内が先だって聖蹟桜ヶ丘の京王百貨店で友達とランチを楽しんだ
後、ブティックに入り気に入った洋服があったらしいのですが、あいにく
色合いが気に入らないとかで、今度は立川に行ってみたいといいます。

 そこでモノレールを利用するといいますから、車で多摩川にかかる石
田橋を渡り「万願寺駅」まで送りました。

 万願寺駅の近くに「土方歳三資料館」がありますので、立ち寄ってみま
したがこの日は休館日でした。

 開館日は第一・第三日曜日のみとなっていました。
 開館時間も午後0時から4時までとなっています。

                                      「土方歳三資料館」  
 
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 外観は普通の近代的な建物です。

              「土方歳三資料館」

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 新撰組副長であった土方歳三は今でいうイケメンであったという逸話が
あります。
 京都在住のころ、日野の仲間に向けて多数の女性からの恋文をまとめて
送って見せたとか。

 司馬遼太郎の本では、沖田○○某が良い男で剣の腕も立つと表現してい
たように思います。
 当時女性の沖田ファンが多いと報道されたことがあります。


                          「 ゲート越しに歳三の胸像が見えました。」

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 玄関脇に説明表示板がありましたので引用しますと

 土方歳三生家跡

 新撰組副長土方歳三の生家は、ここより約三百メートル離れた石田寺
の北方にあった。

 1846年、歳三が十二歳の六月末、長雨による増水で多摩川・浅川の
堤防が決壊し、万願寺や石田村などは大洪水に見舞われたが、歳三の
生家も土蔵などに被害を受けた。

 その後、残った母屋や土蔵をこの地に解体移築した。

 歳三は、その家で文久三年(1863)二月、京都に上洛するまでの青春
時代を過ごした。

 現在、屋敷内には歳三の植えた矢竹が繁り、新築された家屋には相
撲の稽古をした大黒柱、歳三の遺品などが保存されている。

 なお歳三の墓は石田寺にあり、いわゆる引き墓(供養のために造られ
た墓)であり、そこに埋葬されたわけではない。

 とこのように書いてありました。

 前記説明文で多摩川の大洪水が発生した同時期に日野から御神体を
持って避難した土方という人が四谷村(現府中市四谷)に移住し、神社を
建て、祀ったといわれています。
 
 この神社を挟むように豪邸の土方家がありますが、日野から避難して
きた人の子孫に当たる方々だと思います。


 1月19日(第三日曜日)にはぜひこの資料館を訪れてみようと思ってい
ます。

  司馬遼太郎の作品「新撰組血風録」や「燃えよ剣」を夢中で読んだ記憶
があります。

 資料館に行ってみると、小説よりもさらに臨場感をもって訴えるなにかが
あると期待をしています。

  途中家内から電話がありまして、立川にも気に入った洋服が無かった
のでこれからモノレールで高幡不動駅に出て、さらに京王線で調布に行っ
てみるとのことでした。

 それからしばらくしてから、再度の電話でまた元の京王百貨店に帰り、最
初に眼をつけていた洋服を購入したということです。


 女性は洋服などに関してはかなりこだわりと云いますかおしゃれ心が旺
盛ですから大変です。
 又、これが楽しみの一つでもありましょう。